私
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神父様、今神父様は「滅び」と仰いましたが、それは何ですか?
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司祭
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滅びとは、「神から心が離れた状態」です。
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私
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滅びた人はどうなるのですか?
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司祭
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ん?
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私
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つまり、私が訊きたいのは「死んだ後」のことですが。
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司祭
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神から離れた心の状態が永遠に続きます。
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私
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状態? それだけですか?
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司祭
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?
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私
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つまり、私がお訊きしたいのは、いわゆる「地獄」というもののことですが。
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司祭
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ええ、だからそれは神から離れた心の状態が永遠に続くことです。
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私
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それはある精神の状態のことだけだということですか?
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司祭
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精神? いや「心」ですよ。精神とはここ(頭を指差す)のことでしょ? そうじゃなくてあくまで「心」です。ここ(胸を指す)です。
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私
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いや、だから要するに、〈状態〉であると同時に〈場所〉でもあるのではないですか?ということですが。
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司祭
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?
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私
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つまりです、地獄という、一つの場所というか、こう天と地が開けている世界、時間と空間のある世界があるのではないか、ということです。
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司祭
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いや、天国も地獄も「永遠」の世界ですから、時間はありませんね。
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私
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いや、私がお訊きしたいのはですねぇ・・つまり、あるじゃないですか、たとえばファチマのシスター・ルチアが「地獄の火の中に降る雪のように落ちてゆく滅びた霊魂達」を見たとか。
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司祭
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ああ、あれは信仰箇条ではないので信じなくても構いません。
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私
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いや、私はファチマそのもののことを云々しているのではなく、つまり人間の心の中には古来からそういう世界への一定のイメージがあるじゃないですか。他宗教でも、たとえば仏教の地獄絵図とか、あるいはダンテの神曲だとか。
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司祭
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ダンテ? いや、あれは違います。
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私
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だから・・直接ダンテがどうのというのではなく、それらに見られるのとある種同じような世界観をもって、カトリック教会は地獄を、また天国というものを教えないのですか? ということです。天国も地獄も一つの〈状態〉としてばかりでなくある種の〈場所〉として、ある意味物理的に存在していると、教えないのかということです。
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司祭
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物理的? だって物理的には存在してないじゃないの。
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私
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いや、勿論この世界と次元は異にしているのですが、言ってみれば物理的に存在してると・・
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司祭
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ああ、それは貴方にとっての「物理的」ね。
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私
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いや、そうじゃなくて単に言葉の使い方です。確かにそれは現在の科学では捕捉できませんよ。しかしそのような世界、そのような天地が「存在する」のであれば、それは「物理的に存在する」ということであり、そのような意味合いにおいて私は「物理的」という言葉を使うわけですが。
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司祭
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ああ、それは貴方の言葉の使い方ね。
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