* 洗礼とは何でありますか。
洗礼とは、水と天主の御名とを以て、原罪、自罪及其の罰を全く赦し、人を天主と公教会の子とする秘蹟であります。(コリント前 6:11、チト 3:5)
洗礼によって天主の子となるとは、どういう意味でありますか。
洗礼を受ける人は聖霊によって新たに生れ、天主の御生命に与り、天国の世嗣(よつぎ)となるという意味であります。
洗礼によって公教会の子となるとは、どういう意味でありますか。
洗礼を受ける人は、母なる公教会に従う義務が生ずる代りに、そのすべての霊的宝を分け与えられる資格を得るという意味であります。
* 洗礼は救霊を得るに必要でありますか。
洗礼は救霊を得るに最も必要であります。それはイエズス・キリストが「人は水と聖霊とによって新(あらた)に生れずば、天国に入る能わず」と宣うたのを以ても明らかであります。(ヨハネ 3:5)
* 洗礼の時、何を約束いたしますか。
洗礼の時、悪魔と、その仕業と、其の栄華とを棄て、公教を真実に信じ且守ることを約束いたします。
悪魔とその仕業と其の栄華とは何を指しますか。
それは、罪及び罪に導く機会、例えばすべての虚しい名誉、悪い楽しみ、現世の宝に執着することなどであります。
洗礼の時、種々の儀式を行うのは、真の信仰を起させ、罪を棄てて新たに生れることを悟らせるためであります。
代父や代母を立てるのは、なぜでありますか。
代父や代母は、本人の約束の保証人となり、その約束を守らせるためであります。
霊名を付けるのは、なぜでありますか。
それは、聖人の名を戴いて、御保護を願い、又その聖人を鑑とするためであります。
信者はその子に、いつ洗礼を受けさせねばなりませんか。
信者は自分の子に、一日も早く洗礼を受けさせねばなりません。(教会法 770条)
親は子の身体を育てるようにその霊魂をもはぐくまねばなりません。それ故、自分で真理と信ずる宗教を守らせるのは、子の自由を妨げないばかりでなく、親の義務であり、真に子を愛することになるのであります。
大人が洗礼を受けるには、どのような準備が必要でありますか。
大人が洗礼を受けるには、公教を弁(わきま)え、之を固く信じ、一心に罪を痛悔せねばなりません。(徒 2:38)
洗礼を授けるのは、誰でありますか。
洗礼を授けるのは、普通、司教か司祭であります。しかし必要の場合には、誰でも之を授けることができます。
死に臨んだ未信者に洗礼を授けるのは、他人の霊魂を救うことでありますから、信者は之をゆるがせにしてはなりません。大人の洗礼については、附録参照。
洗礼を授けるには、どのように致しますか。
洗礼を授けるには、本人の額に水を注ぎながら、「我、聖父と聖子と聖霊との御名によりて汝を洗う」と、となえるのであります。(マテオ 28:19)
洗礼を受けないでも、死後、救霊を得る人がありますか。
洗礼を受けないで死んでも、一、殉教者、二、一生の罪を完全に痛悔して洗礼を望んでいた者、或は、洗礼を知らないでも、救霊に必要なことはすべて守りたいとの心構えを持っていた人は、救霊を得ることができます。(マテオ 10:32、マルコ 8:35、ヨハネ 14:21,23)
洗礼は救霊を得る手段として是非必要でありますが、上記の場合は、之に代って同様の効果を斎(もたら)すのであります。それ故、殉教者の場合は血の洗礼、その他の場合は望みの洗礼という言葉が用いられています。