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第五十課 完徳

  1. キリスト教的完徳とは、どういうことでありますか。

    キリスト教的完徳とは、天主を愛するが故に、世事に心を奪われず、万事に於て天主の御旨にかない、天主と一致した生活をすることであります。

  2. キリスト信者は、誰でも完徳に志さねばなりませんか。

    キリスト信者は、誰でも完徳に志さねばなりません。

    「汝等の天父が完全なるごとく汝等も完全なれ」(マテオ 5:48)

  3. 完徳の優れた鑑はどなたでありますか。

    完徳の優れた鑑はイエズス・キリスト御自身であります。

    「汝完全ならんと欲せば、我に従え」(マテオ 19:21)諸聖人達はイエズス・キリストの模範に倣って完徳に達した人々で、また我等の鑑であります。

  4. 完徳に達するためには、どうしなければなりませんか。

    完徳に達するためには、教理をよく学び、熱心に祈り、秘蹟を度々受け、悪は小罪でも之を避け、己を棄てて犠牲を献げ、小さな事柄をも忠実に果すように努めねばなりません。

  5. 完徳に達する特別な方法は何でありますか。

    完徳に達する特別な方法は、イエズス・キリストの三つの福音的勧告であります。

    福音的勧告とは、一、清貧、二、貞潔、三、従順であります。修道者はこの三つの福音的勧告に従い、それを果すように誓願を立てて完徳に志しております。完徳に対するイエズス・キリストの教訓は真福八端に現れています。即ち、
    一、福(さいわい)なるかな心の貧しき人、天国は彼等のものなればなり。
    二、福なるかな柔和なる人、彼等は地を得べければなり。
    三、福なるかな泣く人、彼等は慰めらるべければなり。
    四、福なるかな義に飢え渇く人、彼等は飽かさるべければなり。
    五、福なるかな慈悲ある人、彼等は慈悲を得べければなり。
    六、福なるかな心の潔き人、彼等は天主を見奉るべければなり。
    七、福なるかな和睦せしむる人、彼等は天主の子と称(とな)えらるべければなり。
    八、福なるかな義の為に迫害を忍ぶ人、天国は彼等のものなればなり。(マテオ 5:3-10)

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