* 天主が、救主として此の世に遣わし給うた御方は、どなたでありますか。
天主が、救主として此の世に遣わし給うた御方は、イエズス・キリストであります。
* イエズス・キリストとは、どのような御方でありますか。
イエズス・キリストとは、人となり給うた天主の御独子、即ち三位の中の第二位であります。
* 天主の御独子は、どのようにして、この世にお降りになりましたか。
天主の御独子は、聖霊によって童貞マリアの御胎内に、霊魂と肉身とを受け、人となって、この世にお降りになりました。之を御託身の玄義と申します。
御告の祈に「而して御言葉は肉(ひと)となり給えり」ととなえるのは、此の尊い玄義を思い出して、天主に感謝するためであります。
イエズスとはどういう意味でありますか。
イエズスとは「救う者」という意味であります。
「汝其名をイエズスと名づくべし、其は自(みずから)己(おの)が民を其罪より救うべければなり」(マテオ 1:21)
キリストとはどういう意味でありますか。
キリストとは「聖油をそそがれた者」という意味であります。
旧約時代の預言者、司祭、王たちは、聖油をそそがれて、キリスト(ヘブレア語ではメシア)と呼ばれました。イエズス・キリストは最も優れた預言者であり、大司祭であり、又王でありますから、之は最もふさわしい名であります。
なぜ、イエズス・キリストを天主の御独子と申上げますか。
イエズス・キリストを天主の御独子と申上げるのは、イエズス・キリストのみが、本来神性を具え給う天主の御独子であるからであります。(ヨハネ 1:1、10:30、フィリッピ 2:6-8)
なぜ、イエズス・キリストを我等の主と申上げますか。
イエズス・キリストを天主の御独子と申上げるのは、我等の天主であり、又我等の救主であるからであります。
* イエズス・キリストは真の人でありますか。
イエズス・キリストは霊魂と肉身とをお具えになりますから、真の人であります。(ヨハネ 1:14、ルカ 1:31、2:7)
* イエズス・キリストは真の人だけでありますか。
イエズス・キリストは真の人だけではありません。天主の性をお具えになりますから、又、真の天主であります。
イエズス・キリストは、天主の性と人の性との二つの性をお具えになるならば、天主と人との二つのペルソナ(位格)があるのではありませんか。
イエズス・キリストは、天主の性と人の性との二つの性をお具えになりますが、天主の御独子のペルソナ(位格)があるだけであります。
* イエズス・キリストの御父はどなたでありますか。
イエズス・キリストの御父は、天主なる聖父であります。人としての父はありません。(ルカ 1:34-35)
* イエズス・キリストの御母はどなたでありますか。
イエズス・キリストの御母は、童貞聖マリアであります。そして、イエズス・キリストは天主でありますから、聖マリアを天主の聖母と申上げます。(ルカ 1:30-31)
天主は聖マリアを御子の母とするために、どのような御恵をお与えになりましたか。
天主は聖マリアを御子の母とするために、原罪を免れさせ、聖寵に満ちたものとなさいました。(創 3:15、ルカ 1:28)
聖マリアの無原罪の御宿りの祝日は十二月八日であります。又聖マリアの被昇天の大祝日は八月十五日であります。
* 聖マリアは終生童貞でありましたか。
聖マリアは、イエズス・キリストの御降誕の時も、その前後も、常に童貞でありました。
聖マリアは婚姻なさいましたではありませんか。
聖マリアは聖ヨゼフと婚姻なさいましたが、相共に童貞をお守りになりました。
聖書に主の兄弟(マテオ 12:47、13:55)とあるのは、聖マリアの子供ではなく、イエズス・キリストの従兄弟に当る人々であります。イスラエル人は近い親類を屡々兄弟と呼ぶ習慣がありました。
なぜ、聖マリアは婚姻をなさいましたか。
聖マリアが婚姻なさいましたのは、天主の御思召(おぼしめし)によるのであって、一、世の疑いを防ぎ、二、御子を養育し、三、困難の時に助を得るためであります。
それならば、聖ヨゼフはイエズス・キリストの何に当りますか。
聖ヨゼフは、イエズス・キリストの養父であります。
聖ヨゼフは公教会の守護の聖人であります。
聖ヨゼフの祝日は、三月十九日で、その御守護の祝日は御復活後第三週の水曜日に当ります。
イエズス、マリア、ヨゼフの御三方をナザレトの聖家族と申上げ、その祝日は一月六日後の主日であります。
天主の御独子は、何のために人となり給うたのでありますか。
天主の御独子が人となり給うたのは、一、我等の罪を贖い、二、失われた聖寵を再び我等に与え、三、その教と模範とによって、天国への道を示し給うためであります。
一、我等の罪を贖い....「世の罪を除き給う者を」(ヨハネ 1:29)
二、失われた聖寵を再び我等に与え....「我の来れるは羊が生命を得、而も尚豊に得んが為なり」(ヨハネ 10:11)
三、その教と模範によって天国への道を示し....「我は道なり、真理なり、生命なり、我に従うものはくらやみを歩まず」(ヨハネ 14:6、8:12)