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第六課 創造及び主宰

  1. * なぜ天主を天地の創造主と申しますか。

    天主を天地の創造主と申しますのは、何もないところから天地万物をおつくりになったからであります。

    「はじめに、天主は天地をつくりたまえり....」(創 1:1)

  2. * 天主は、天地万物をおつくりになっただけでありますか。

    天主は、天地万物をおつくりになっただけではなく、常に之を保ち、またこれを宰(つかさど)り給うのであります。

    「天主の意志なくして、いかにして存続し得ん」(智 11:26)
    「天主は大なるものも小なるものもつくり、等しく之を計(はから)い給う」(智 6:8)

  3. 天主は人のことを特別におはからいになりますか。

    天主は人の生命(いのち)、健康、衣食住を始め、霊魂と肉身とに係(かかわ)るすべての事を特別におはからいになります。之を天主の摂理と申します。

    「五羽の雀は四銭にて売るにあらずや、然るに其(その)一羽も天主の御前に忘れらるることなし、汝等の髪の毛すら皆算(かぞ)えられたり、故に懼(おそ)るることなかれ、汝等は多くの雀に優れり」(ルカ 12:6-7)(マテオ 6:30-33)
    すべて、世の中の出来事は、盲目的な運命によらず、天主の摂理によって導かれるものであります。

  4. それならば、人は天主に対してどのような心を持たねばなりませんか。

    人はつねに天主の御恵(おんめぐみ)を有難く思い、すべてにこえて天主を愛し、天主に信頼し、且(かつ)、よく仕えねばなりません。

  5. 天主は人のことを特別におはからいになるのに、なぜ禍(わざわい)をお除きになりませんか。

    天主が人の禍を除き給わぬわけは、禍は、一、試練となり、二、罪の償(つぐのい)となり、三、戒(いましめ)となり、四、後の世の幸福のもととなるからであります。

    一、試練となり....ヨブの試練(ヨブ 2:6-7)
    二、罪の償となり....「われら弟のことにつきて罪責(せめ)あるなり....さればこそかかる苦悶(くるしみ)われらに至れるなり」(創 42:21)
    三、戒となり....「主はそのいつくしみ給う人をこらし、すべて子として受け給う者をむちうち給えばなり」(箴 3:11-12、ヘブレオ 12:6)
    四、後の世の幸福のもととなる....「わがために人々汝等を詛(のろ)い、且迫害し且偽りて汝等に就きてあらゆる悪声を放たん時、汝等福(さいわい)なるかな、歓(よろこ)び躍(おど)れ、其(そ)は天に於ける汝等の報(むくい)甚だ多かるべければなり」(マテオ 5:11-12)

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