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第一条 我は天地の創造主、全能の父なる天主を信ず。

第四課 天主

  1. 何によって天主の存在を知ることができますか。

    天主の存在は、1、推理によっても、2、天啓によっても之を知ることができます。

    推理によれば、
    一、天地万物は自ら存在するものではありませんから、之に存在を与えた自ら存在する者がなければなりません。
    二、天地万物は運動していますから、この第一原因がなければなりません。
    三、天地万物は相互に秩序を保っていますから、この秩序を保たせる者がなければなりません。
    四、生物は生物によらなければ発生することが出来ませんから、これらの生物を派生させた生命の源が存在しなければなりません。
    五、人には皆良心があり、その命令を勝手に無視することはできませんから、この良心の立法者がなければなりません。

    天啓によれば、
    天主は屡々その存在をお示しになりましたが(ヘブレオ 1:1-2)特にモイゼに現れ、「我は自ら在るものなり」(出 3:14)と仰せられて、元来自ら存在し給う御方に在すことをお示しになりました。

  2. * 天主とは、どのような御方でありますか。

    天主とは天地万物をつくり、又之を宰(つかさど)り給う限りなく完全な霊であります。

    天地万物の創造史(創 1)
    「御身の宰りはよろず代にたゆることなし」(詩 144-13)(ヨハネ 4:24)

  3. 霊とは何でありますか。

    霊とは五感に感じられないが、智慧と意志とを具えたものであります。

  4. * 天主には始めがありますか。

    天主には始もなく、終もなく、いつも存在し給う御方であります。之を天主の永遠ともうします。

    「御身はいまだ地と世界をつくり給わざりしとき、永遠より永遠に到るまで御身は天主なり」(詩 89:2)
    「永遠の天主」(創 1:33)

  5. * 天主は何処においでになりますか。

    天主は、天にも、地にも、何処にでもおいでになります。之を天主の遍在ともうします。

    「われ天にのぼるとも御身かしこに在し、われわがとこを陰府(よみ)にもうくとも、視よ御身かしこにいます。我あけぼのの翼をかりて海のはてに住むとも、かしこにても、尚御身の御手われをみちびく....」(詩 138:8-10)

  6. * 天主の御存じにならぬことがありますか。

    天主の御存じにならぬことは一つもありません。過去、現在、未来のこと、人の心の底までも知り給うのであります。之を天主の全知と申します。

    「悪人は天主がすべてを見給うと考えず....天主の目は太陽よりも千倍もあきらかにして人々のすべての道、人々の心の隅まで見給うを知らず」(集 23:27-28)

  7. * 天主のおできにならぬことがありますか。

    天主のおできにならぬことはありません。之を天主の全能と申します。

    「何事も天主には能わざる所あらじ」(ルカ 1:37)(詩 113-3)
    尚天主は万徳を具え給い、たとえば至って聖(イザヤ 6:3、黙 4:8)至って真(マテオ 24:35、民 4:8)至って善(創 18:26、ヨハネ 3:16)至って美、至って義(ロマ 2:6)、また罪人には至って大なる御憐み(エゼキエル 33:11、ルカ 15,18)を有し給う御方であります。

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