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緒言

 宗教は天主に対する人の道であります。従って、天主に対する人の義務は勿論、社会に対する義務、他人に対する義務、己に対する義務等(など)を完全に教え、社会の秩序及び道徳の基礎をなしております。

 それ故、宗教を離れた社会秩序や道徳は、その根底を失ったものであって、実践的には甚だ不完全であると言わねばなりません。又、人は如何に五倫の道を完うしても、宗教を忽せにしては、人の道に欠けるところがあるのであります。

 尚、人は生れながら完全な幸福を求めておりますが、宗教によらなければ之を得ることが出来ません。何故ならば、完全な幸福は天主と一致することで、天主の特別な賜物であるからであります。

 このように、宗教は人の道を完うし、完全な幸福を得るために是非必要であります。然し、どんな宗教でもよいというわけではなく、唯真の宗教によってのみ、その目的を達することが出来ます。そして、天主は御一体、真理は一つ、人の真の道も一つでありますから、真の宗教は唯一つあるのみであります。その上、天主に対する人の道は、人が自由に決めることではありませんから、真の宗教は天主の啓示し給うたものでなければなりません。

 幸い、天主は人々に真の宗教をお示しになりました。即ち、人祖にその大本をお授けになり、預言者たちを通じて次第に之を明かにし、終にイエズス・キリストをもって之を完成し給うたのであります。そして、イエズス・キリストは、真の宗教を万国万代に伝え、万民に救霊を得させるために、公教会をお建てになりました。

 公教要理は、公教会に伝えられたイエズス・キリストの御教の大要を記したもので、人は誰でも、天主に対する人の道を完うするために、之を学ぶ必要があり、殊に信者はその子女に之を学ばせる義務があります。

(註)本文中の大型活字は暗誦すべき部分、その中(うち)* を附したものは教理の大切な箇所で、年齢、病気その他の理由により、教理を簡単に勉強しようとする人々でも、省略してはならぬ部分であります。

 小型活字は聖書の引用その他の説明で、直接暗誦の必要はありませんが、大切なこともあり、又参考になるところが多いので忽にしてはなりません。

 尚、聖書の出典については、次のような略号を用いています。

創世記

出エジプト記

民数紀略

申命記

列、下

列王紀略、下

代、下

歴代史略、下

詩篇

箴言

伝道書

智書

黙示録

使徒行録

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