第五の願い「われらが人にゆるす如くわれらの罪をゆるし給え」では何を乞い求めますか。
第五の願い「われらが人に赦す如くわれらの罪を赦し給え」では、私たちが人のあやまちをゆるすように、神も私たちの罪をゆるしてくださるよう乞い求めます。
なぜ、罪は「負債」とも呼ばれるのですか。
罪が「負債」とも呼ばれるのは、この世または来世において神の正義の前に償いをして、罪の負債を返さなければならないからです。
隣人を赦さない人々は、罪の赦しを神に期待することができますか。
隣人を赦さない人々は、罪の赦しを神に期待することなどできません。そのような人々は「われらが人に赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」と神に願うたびに、自分の罪を宣告することになります。