#355 - 奇跡の写真
コラジン、おまえは不幸だ。ベツサイダ、おまえは不幸だ。もし、おまえたちの間で行なわれたあの奇跡が、ツロやシドンで行なわれていたならば、これらの町は、とうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。
マタイ 11:21
特別の恵み
あなた方はこれらの写真を非常に注意深く読み続けなければなりません。それらは今後のミッションにおけるあなた方に力を与える特別の恵みです。またそれらは、将来における調査のためにも明白な証拠となるでしょう。
1975年12月27日 聖母
個人的なギフト
私の子よ。あなた方が受け取ってきた写真は、その多くは現在のため、その幾つかは将来のために与えられたものです。これらの写真、印刷された奇跡は、あなた方を啓発するために与えられました。それらは『天国からのメッセージ』の証人となり、また多くの人にとって、彼ら個人を啓発するものとなるでしょう。
1974年8月21日 聖母
コミュニケートするため
あなた方は、あなた方のもとにやって来る写真によるしるしを解釈するために、非常に忙しくなるでしょう。多くの人は、これらの写真の中にどのようなストーリーが秘められているかについて、一時的に盲目な状態にあります。私達は、盲目の世代とコミュニケートするために、この手段を選びました。私達が羊を集める時、多くの人はしるしを受けでしょう。あなた方がルシファーに対する戦いにおいて結集する時、多くの人に、ヴェールの向う側を見る視界が与えられるでしょう。
1973年3月24日 聖母
励ますため
私の子供達、写真による多くの奇跡が与えられます。それらは、この先の戦いにおいてあなた方を励ますでしょう。
1977年9月28日 聖母
ミッションを促進するため
あなた方は世界中至る所で祈りによる警戒を常に続けなければなりません。あなた方はこの戦いにおいて大きな反対に遭うでしょう。天国からのメッセージは大きな反対に遭うでしょう。私の子供達、私達はあなた方に、あなた方の神に対する従順を、天国からのメッセージへの従順を求めます。
多くの奇跡、癒し、そして回心が、永遠の聖父の聖名によって、地上にこのミッションを促進する目的のために与えられるでしょう。
1977年5月30日 聖母
合理化
私の御子の家の司祭達、あなた方は何故、世界に向けられた私の警告に対して反証を加えることに時間を浪費しているのですか? あなた方は私からの超自然的しるしを合理化しています。プライドと傲慢は、多くの者を破壊の道の上に、霊魂の破壊の道の上に置いてきました。
1974年12月24日 聖母
しるし
あなた方は知識の写真を受け取り続けるでしょう。多くのものは人知れず目立たぬかたちで、また〔別の〕多くのものは世界に向けて公示する目的のために与えられます。
これらのしるしを拒絶する人々のことは気にしないで下さい。それはただ、永遠の御父が彼らの目を真理に対して開き給うことをお選びにならなかった、ということなのです [1] 。これは恵みです、私の子、多くの人が盲目である中、見ることができるというのは特別の恵みなのです。
1975年7月25日 聖母
印刷された奇跡
印刷された奇跡は、心と信仰におけるあなた方の力を強めるために与えられています。私の子供達、聖霊のギフトを、敵、サタンから来たものだと思ってはなりません。これらの写真の意味は将来明らかになるでしょう。
1972年6月8日 聖母
明白な証拠
あなた方はこれらの写真を非常に注意深く読み続けなければなりません。それらは今後のミッションにおけるあなた方に力を与える特別の恵みです。またそれらは、将来における調査のためにも明白な証拠となるでしょう。
ミッションを続けなさい、私の子。心をしっかり強く持って続けなさい。全ての事は永遠の御父がお許しになるに従って起こっていくでしょう。奇跡の存続と到来について心配し過ぎてはなりません。それらは正にあなた方の眼前で起こるでしょう。
1975年12月27日 聖母
コピーして世界中に配りなさい
私の子供達、これらの奇跡の写真は世界中に配られなければなりません。あなた方はこれらの奇跡の写真を複製し、世界中の私の子供達に配布することに特別の努力を傾けなければなりません。
1974年10月6日 聖母
ヤシンタ1972
この写真は1971年9月14日に撮られた
ヴェロニカ: 徐々に見えてきました・・・おお、少女と少年です。おお、私は彼らを知っています。おお、ヤシンタとフランシスコです。聖母はそこに立っておられますが、金色の装飾の入った白いガウンをお召しになっています。そして今、彼女は御手を外に出して、前に差し伸べておられます。彼ら二人は聖母の御前に立っています。非常に愛らしいです。そして今・・・おお、ヤシンタが引っ張っています・・・おお、少年は帽子を被っていますが、ヤシンタがそれを脱がせています。帽子は深く被るタイプのもののようですが・・・ヤシンタがそれを脱がせています。そして今、彼女は手に写真を持っています。おお、写真です。ヤシンタ、1972。今、ヤシンタは涙を拭いています。おお! 今、聖母は視線を落して彼女と話しておられます。聖母が今おっしゃっています、「彼女のメッセージが顧みられもせず受け入れられもしなかったので、ヤシンタはとても悲しんでいる」と。おお、写真。
聖母: あなた方はこの写真を世界中にもう一度配らなければなりません。
私の子、世界は御父の超自然的しるしを拒否するでしょう。それはただ、彼らが自分の心を頑なにし、御父によって盲目でいることを許されているからなのです。大いなる恵みを受け取る能力を与えられていながら、それらの恵みを投げ捨てている人々を見るのは、何と悲しいことでしょう。彼らのためにもっと祈りなさい、私の子供達、何故なら、彼らは、あなた方の祈りなしには、王国への道に戻ることが決してできないだろうからです。
1974年5月22日
心の単純な者に与えられる
子供の幻視者であるヤシンタを通して与えられた奇跡の写真は、捨てられ、忘れられた。それは、人類にとっては、昔も今も一つのミステリーのままなのである。しかし、秘密は心の単純な者達には与えられた。地上で高い地位に居る博識な者達は、彼らの贖いに至る道を見失っている。写真の奇跡、心の癒しの奇跡、体の癒しの奇跡を与えられるのは、今後も、思いと行いにおける単純さと純粋さを保った者達の心においてだけであろう。
1976年7月15日 イエズス
幾つかは個人に、他のものは一般大衆に
私の子、私はあなたに、もし彼らが奇跡の写真に対して軽率な判断を控えるならば、その時私達は彼らにも与えます、それが最も望ましいことです、と、私の子供達に忠告するように勧めます。確かにあなたに言います、その時当然それは与えられます。幾つかのものは個人に与える目的をもって個人に与えられ、他のものは一般大衆のために与えられます。
1975年3月18日 聖母
啓発のために
奇跡の写真はしばらく続くでしょう。ヴィジルの場所の外では〔ヴィジルの場所以外で撮られた写真に関しては?〕、私は私の子供達に、最も疑り深くあるようにと、サタンが写真に入り込んでいないかよく見るようにと、警告します。これらの奇跡的なしるしと現象は、メッセージについて人々を啓発するために与えられました。
1977年5月18日 聖母
人は見ない限り信じない
私の子供達、御父は、奇跡の写真をもっと増やすことが必要である、と考えられました。それは多くの人にとって大きな慰めとなるでしょう。それらは人間が目で見ることのできるものです。彼らはそれによって真理を確かめ、知るでしょう。人々の信仰は「見ない限りは信じない」というほどに弱くなっています。そのために、私達はこれらをあなた方に与えているのです。御父はあなた方に多くの癒しの恵みと回心の恵みを送られています。時間のあるうちにそれらを集めなさい。時は残り少なくなっています。
1974年7月15日 聖母
それらは私の言葉のための物証となるものです
私の子供達、奇跡の写真は数多く与えられるでしょう。それらは私の言葉のための物証となるものです。私の子供達、多くの人が見ずには信じないのは、あなた方の時代の悲しみです。
1975年2月10日 聖母
それらは真理を証しするものである
私の子供達、奇跡の写真はあなた方を啓発するためのものです。それらは真理を証しするものです。私の子、恐れることなくあなたの使命を続けなさい。
1975年3月22日 聖母
聖母の御心は張り裂けておられる
私の子供達に与えてきた奇跡の写真の多くが拒絶されたので、私の心は張り裂けています。善人は無関心となり、悪人は前よりもっと悪くなっています。
1978年12月7日 聖母
カメラは祝福されねばならない
私の子、私達は、あなた方が注意深く写真を読んでいるので、とても喜んでいます。しかしまた、私の子、私はその喜びと同じほど、与えられた恵みを受け取らない人々のために苦しい思いをしました。これらの写真はしばしば、人知れず、目立たないかたちで与えられます。しかし、永遠の御父のなさり方により、多くの人は見るには見るが分からないのです。
私の子、これらの写真の上に特別のメッセージと意味があります。あなた方が指し示し説明しなければならない多くのものがあります。それは一重にあなた方の目にかかっています。
奇跡の写真を撮るために、カメラは浄めのために祝福されなければなりません。
1975年10月2日 聖母
多くの奇跡の写真が与えられてきた
私の子、そして私の子供達。私はこれまで、多くの名のもとに、あなた方のところを訪れてきました。しかし、私はあなた方に、私のことを “恵みの母” として認めて欲しいのです。何故ならそれが、私が今あなた方のところに来ている目的をよく示しているからです。私の子供達、その目的とは、この地上において純粋と堅忍の状態に留まるために必要な恵みを、また、真理をよく知るために必要な恵みを、あなた方に与えることです。それらがあなた方を導き、あなた方を天国に通ずる狭い道の上に留まらせることができるようにです。
私の子、そして私の子供達。多くの奇跡の写真は、あなた方に唯物的な世界の中で幸福を買おうとしてうろつき回ることが如何に無駄であるかを悟らせようとして、あなた方に与えられてきました。あなた方は幸福を買うことはできません。何故なら、幸福とは、私があなた方に何度も言ってきた一事、すなわち、人間の精神は真理の生活から生ずる利益によって護られ育まれなければならない、という知識にあるからです。それは聖書の知識、昔も今も将来も変わらぬ聖書の知識です。
1985年9月14日 聖母
多くの者は変わることを望まない
多くの人は写真を拒絶しました。何故? 御父は彼らの心の中を覗き込んでおられます。私の子、多くの人は、もし彼らが〔御父に〕受け入れられたいとしても、そのためには自分の道を変えなければならないので、それら〔の写真〕を拒絶するのです。そして、多くの人は、あまりに自分の罪を愛しているので、変わることを望まないのです。
1975年2月1日 聖母
多くの人は、自分が神を侮辱して
いるという知識と直面したくない
誰一人、この聖地の上に裁判官として立ってはなりません。誰一人、自分を御父の上に置いてはなりません。この聖地で神聖さのうちに起こる出来事は、御父と御父の憐れみの御心から直接に来るものだからです。癒し、回心、そして人間の目にも見えるしるしと奇跡が起こります。多くは拒絶されるでしょう。しかし、私の子、それは人類の弱さなのです。多くの人は、自分が神を侮辱しているという知識と直面したくないために、これらを拒絶するでしょう。
1974年9月28日 聖母
〜しない限り
私の子、あなた方の旗に描かれている十字架は、今やあなた方にとって完全な意味を持つに至りました。あなた方の国、美しき国アメリカは、完全な反転(reversal)がない限り、落ちてゆくでしょう。私の子、刷新(renewal)ではありません。なければならないのは、あなた方を暗闇の中に導いてきた道からの反転です。
1976年5月29日 聖母
光の十字架
御子の御手は重くなっています。私はもはやそれほど長くはそれを押しとどめられません。私の子、あなた方の国は十字架を受けるでしょう! 私の子、今やその写真の意味を悟るべき時です。多くの人にとって十字架が救いとなるでしょう。私の子、あなたがその写真から読み取ったように、十字架は光の十字架であり、命の光を放つ十字架です。
1976年5月15日 聖母
奇跡の写真の多くは、メーカーの説明が言うところの “タンパープルーフ(不正変更防止仕様)” の「ポラロイド・インスタマチック・カメラ」で撮られた。カトリック聖職者の多くは、いまだにこれらの奇跡を否定し続けており、また、聖地に来ることを恐れ、薔薇の聖母の聖地で彼らの眼前で奇跡の写真が撮られることを恐れている。
バーナード・ヌネシュ神父様は書いておられる。
Fr. Bernard Nunes
1917-1999
参照1 参照2
出現地で起こっている現象の中で最も驚嘆すべきものは、コダック・ポラロイド・フィルムで撮られた、来るべき懲罰(「贖いの玉」とも呼ばれる)、キリスト、悪魔など(これら全ては、幻視者によってだけ、脱魂状態の中でヴィジョンとして見られたという)の奇跡的な写真である。互いに知らず、国籍も違った人々が、タンパープルーフ写真を生成する様々なインスタマチック・ポラロイド・カメラで、これらの驚くべき写真を撮った。ポラロイドは何の説明もしていない。しかし聖母が説明しておられる。「これらの奇跡の写真は、あなた方を啓発するために与えられました。これらの写真は天国からのメッセージの証人となるでしょう」と。
管理人注
[1] 聖書にも同様の言い方がある。
「主は彼らの目を見えなくし、〔彼らの〕心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず〔かれらの目が見えず〕、心で悟らず、回心せず、わたしからいやされることがないようになさるためである」
ヨハネ 12:40、イザヤ 6:10
「人々の前でこれほど多くの奇跡をおこなわれたのに、なおかれらはイエズスを信じなかった。」(聖ヨハネ 12:37)
このような写真は「気持ち悪い」ですか?
しかし、私達は時々、自分の目を洗った方がよくありませんか?
私達にとっては往々、「常ならぬ」=「得体の知れない」、なのでは?
想像して下さい。あなたがラザロの復活に立ち会った時のことを。
あなたはその時、すぐに「神からのものだ」と確信したでしょうか?
あなたは仰天し、「常識」で理解できないために「得体の知れない」と感じ、「悪魔からのものでは?」とさえ疑ったかも知れないのでは?
ほとんどの人は「対象を見る」ことしかしていません。
「対象を見ている自分の目を見る」ことをあまりしません。
後者の方が遥かに大事です。
2010/02/28
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