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第八書・第ニ章

使徒たちの会議

 不幸なへロデの死後、エルサレムの初代教会はかなりの間、無事平穏でした。その項、聖パルナバと聖パウロは小アジア、アンチィオキア、リストラ、ベルゲなどの諸都市で説教し、大成功を収めました。聖ペトロは牢獄から解放された後、エルサレムから脱出し、ヘロデの治めていないアジアの一地方に引きこもりました。アジアやパレスチナの成長しっつある教会は、聖ペトロをイエズス・キリストの代理者、教会の頭として認めました。信者たちは聖ペトロにいろいろなことを質問しました。質問の中には、聖パウロと聖パルナバがエルサレムやアンチィオキアで劉礼やモーゼの律法に反対していることも挙げられています。エルサレムにいる使徒たちや弟子たちは、聖ペトロの帰国と教義問題の解決をお願いします。彼らは聖母のご帰国もお隣いします。全信者は聖母にお会いしたいし、聖母を通して主の軌ましを受けたいし、聖母のご滞在により教会が繁栄することを望んでいます。聖ベトロは帰国を決意し、聖母に手紙を書きます。

 「童貞にして神の御母なる聖マリアヘ。 イエズス・キリストの使徒、御身の僕、神の僕たちの僕なるペトロより。 貴婦人よ、信者たちは、御身の御子なる我らの救世主の教えと共に、モーゼの昔の律法も信じるべきかどうかについて質問しています。答えを先生である神から聞きたいのです。私の兄弟なる使徒たちと協議するため、私はエルサレムに参ります。全信者の希望と御身の教会に対する愛のため、御身のご参加をお願い申し上げます。エルサレムはヘロデの死後、信者にとり安全になっています。御身のお助けにより、信仰と恩寵の律法に寅献するものは何かを見分けたいと思います。」

 聖母からこの手紙を見せてもらった聖ヨハネは、聖母がキリストの代理者に対して何を書かれるかを尋ねます。聖母は答えられます、「私の息子である主よ、あなたが適当と考えることを取り計らって下さい。私はあなたの召し使いとして従います。」 聖ヨハネは申しあげます、「教会の頭に従うことは正当なことです。」 聖母は答えます、「出発の準備を始めましょう。」

 聖ヨハネに言われた通り、聖母は婦人たちを集め、信仰のために忍ばなければならない事項を教えます。

 出発の日、聖母は聖ヨハネの祝福を願います。二年半滞在したエフエゾを後にするにあたり、聖母の護衛天使千位が人間の形をして現れ、武装して隊列を整えているのが聖母に見えます。大龍と同盟軍の攻撃に対し、準備するようにという印です。海辺に着く前に、地獄の大軍が待ち構えていて、その真ん中に龍がいるのが見えます。龍は七つの頭があり、恐ろしい形相を示し、大きな船よりも大きいのです。これらの恐るべき敵に対し、聖母は堅い信仰と熱烈な愛により、御自身を強固にし、御子の御言葉や詩編を繰り返します。聖母は天使たちに守備を命令します。聖ヨハネはこのような事態を全く知りませんでした。

 御二人は乗船し、船に帆が立ちます。船が港から少し離れると、地獄の龍たちは海に暴風を起こします。その物凄さは今まで見たことも聞いたこともありません。波は恐ろしいうなり声と共に高まり、風に乗り、雲の上に達するようで、水と泡の山を作り、海を大きく広げるみたいです。船は波に、ここかしこ、叩かれ続けます。一回叩かれただけでも船はばらばらになるほどの強さで叩かれるのです。船は雲の中に投げ込まれたかと思うと、海底に落とされたり、帆も帆柱も泡の中に埋もれます。一言語を絶する暴風の最初、船は天使たちの手により空中に保たれました。お陰で海底に押し落とそうとする大波から船を救いました。乗組員も船客もこの助けに気がつきましたが、気違いになって迫って来る死を嘆き悲しみました。悪魔たちは人間の形となってそばの船の上にいるように見せかけ、人々が船を棄て、悪魔たちの船に避難して来るよう呼びかけます。他の船も暴風に痛めつけられましたが、悪魔たちの怒りと暴力は、聖母の乗っておられる船に集中したのです。聖母は全て御存知でした。船乗りたちは声に騙され、自分たちの船を守ろうとはせず、海の怒涛に任せ、他の船に救ってもらおうと思ったのです。しかし、天使たちは乗組員の代わりに舵を取り、船を守りました。この混乱と危機の問、聖母は威厳と徳により心の静寂を保ち、英雄的諸徳を実行しました。前回の船旅の時と同様、航海の危険を再び実感し、航海者全員への同情を更新し、前からの祈りや嘆願を全てもう一度申し上げました。海の不敵な力を嘆願し、この無生物である被造物により表現された正義の神の怒りに思い至りました。神の怒りは人間の罪のせいであることが明瞭ですから、世の中の救いと教会の成長のために熱心に祈りました。聖母はこの航海の難儀を主に捧げましたす御自身のため、この迫害と苦難を受けている乗船者たちのことを思い、御心が大変痛みました。

 聖ヨハネは、白日分の本…ヨの御母である世界の女主人のご苦労を思い、とても心配になりました。二、三度、聖母をお慰めしようとしました。普通はエフエゾからパレスチナまで約六十日かかるのに、今回は十五日だけで、そのうち十四日は暴風雨でしたから、聖ヨハネは度を越えた困難の毎日に落胆し、聖母にある日質問します、「これはどういうことですか。私たちは海に沈むのですか。どうぞ御子に御憐れみの御眼を私たちに向けて下さるようにお願いして下さい。」 聖母はお答えになります、「私の息子よ、心を騒がせないように。私は主のために戦い、堅忍により主の倣を打ち破らなければなりません。私たちといる人たちを一人として海に沈まないように、イスラエルを見守られる神が眠られないように懇願します。天軍の中で強力な天使たちが私たちを守護します。全人類の救いのために十字架にかかられた主のために苦しみましよう。」 これを聞いて聖ヨハネに元気が出てきます。

 ルシフェルと悪魔たちは、聖母が海に沈み、決して助からないと脅迫し続けます。しかしながら、恐ろしい脅しは的を外れた矢のようなものです。聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません。彼らは、聖母のお顔からいと高き御方の徳が輝いているのを一瞥すらできません。この徳を打ち負かそうとすればするほど、彼らはもっと弱くなり、徳という武器により苦しめられます。

 聖パウロと聖パルナバはエルサレムに入ると、聖母のご帰還を知り、直ちに聖母のもとに参り、平伏し、喜びの涙をぽろぽろ流します。聖母も神の御名を高め、信仰を広めるため全力を尽くす使徒二人に特別な愛を持っておられます。聖母も二人の足許に平伏し、二人の手に接吻し、祝福を願います。この時、聖パウロは素晴らしい知的幻視を頂き、この神秘的な「神の都市」つまり、聖母マリアの偉大な神秘と特権について啓示を受け、聖母が神性により完全に包まれているのを見ます。

 教会の頭である聖ペトロは、エルサレムの中や近隣にいる使徒たちを集め、聖母の臨席の下に会議をすることにしました。全員に向かって挨拶します、「我らの救世主なるキリストにおける兄弟たちと子供たちよ、我々が集まり、困難を解決し、我らの兄弟なるパウロとパルナバが知らせてくれた事態について決定し、その他、信仰を増大させるための他の事柄を決めることは必要であります。そのために聖霊のお助けを願い、今までの習慣のように十日間の祈りと断食を続けることは適当であると考えられます。最初と最後の日、我々は神の光を受入れるようにミサ聖祭を行います。」 全員、このやり方を認めました。翌日のミサのため、聖母は高間を掃除し、装飾を付け、用意万端整えます。聖ペトロがミサを立て、他の使徒たちや弟子たちはペトロから御聖体を拝領します。聖母が一番最後でした。大勢の天使たちが高間に降って来たのが全員に見えました。聖変化の時、高間は素晴らしい光と芳香に瀞たされ、その中で主は人々の霊魂の中に素晴らしい効果をもたらしました。最初のミサの後、全員は何時聞か祈り続けました。聖母は一つの所に引き下がり、十日間飲食を断ち、誰とも話さず、一人きりで身動きもしませんでした。その間、主は天使たちに命令し、最高天にお連れしました。体も霊魂も共に天に行かれたので、天使が高間で聖母の代わりになりました。聖母が地上よりはるかに高い空に来られた時、全能の主はルシファーと部下全員を女王の前に召喚しました。全員がそろうやいなや聖母はご覧になり、ありのままに彼らを知り、どんな状態にいるのかもわかりました。悪霊たちは嫌悪すべき姿をさらけ出したので、見るに耐えませんでした。聖母は神の徳により武装されていたので、恐るべき、呪うべき様子をご覧になっても傷つきませんでした。主は彼らに、敵として迫害しているこの「女」の偉大さと優越さを理解させます。聖母に対抗しようとする馬鹿さ加減を認知することになります。もっと恐ろしいことは、聖母が御胸の中に秘跡にこもられたキリストを抱いておられることです。神が聖母を抱き、悪魔たちを辱め、投げ飛ばし、滅ぼす、神の全能の中に聖母を包んでおられることでした。悪魔たちに神の御声が聞こえます、「不敵で葡力な我が腕が支えるこの盾により、我は我が教会を絶えず守る。この『女』、古代の蛇の頭を踏み砕き、蛇の厚かましい誇りに打ち勝ち、我が御名に誉れを帰するなり。」 絶望と痛みに耐えかね、悪魔たちは叫びます、「全能者の力よ、俺たちを地獄に投げてくれ。この『女』の前に俺たちを留め、火よりもつらい目に遭わせないでくれ。ああ、無敵、強力な『女』、立ち退け。全能者の鎖に繋がれ、御前から飛び離れられないのだ一億たちの終わりが来る前、どうして俺たちを苦しめるのか(マテオ8・29)。全人類の内でお前だけが俺たちに対抗する全能者の器だ。お前のお陰で俺たちがなくした永遠の至福を人類はもうけやがった。神を永遠に見えないと絶望した者共は、お前のせいで救世主の確かな善業の報いをもらった。お前は俺たちにとって苦痛と罪だ。俺たちを放してくれ、全能の主なる神よ。天からの墜落という罰の繰り返しを中止してくれ。この強力な武器で俺たちは罰せられる。」 この嘆きと脱出の試みは長い間続きます。主は聖母が彼らを釈放する権威を行使されるように望まれます。女王として釈放をお許しになると、彼らは天から地獄の穴へまっしぐらに飛び込みます。彼らは恐ろしいうなり声を上げ、地獄に落とされている人々を震え上がらせます。負けを否定できないという落胆と苦痛で、人々の前で、全能者と御母の御力を軍一昌します。御母はこの勝利を獲得した後、最高天を目指されます。最高天では、新しい敬うべき歓待を受け、二十四時間滞在しました。

 聖母は主の御前に平伏し、聖三位一体を崇め、教会のため、使徒たちが福音の律法を樹立し、モーゼの律法を終了させるため何が適当であるかを理解し、決定するように祈ります。

 聖三位の別々の御声が次々に響き、使徒たちや弟子たちを助けることを御約束になります。御父は全能により教会の体制を指導され、御子は教会の頭として御智恵により教会を助けられ、聖霊は教会の浄配として愛と啓示により援助されることを聖母に保証されます。次に御子の人性が、聖母が教会のために捧げた祈願を御父に御知らせになり、御認めになり、祈願が成就されるべきことをお勧めになります。福音の信仰と主の全律法が世界中に神の御意志により確立されるべしとお勧めになるのです。直ちに我らの救世主キリストの提案を実行するにあたり、神の不変の真髄により、ダイヤモンドが輝く水晶で建立され、エメラルドやレリーフで飾られた教会が出て参ります。諸天使と諸聖人は叫びます、コ聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、強力なるかな、主の御業よ」(黙示4・8)。聖三位一体はこの教会をキリストの人性の御手にお渡しになり、キリストは聖母にお渡しになります。すると同時に聖母は新しい輝きで満たされます。

 長時間この喜びの中に留まられた後、聖母は天使たちにより高間にお帰りになりますが、御手には御子より頂いた神秘的教会を持っていらっしやいます。その後九日間、聖母は身動きされずに祈り続けられます。聖母がなさった神秘的なことの中には、救いの宝を教会の子供たちに分け与えたこともあります。御子は全教会の統治と全恩寵の分配を聖母に任せられたのです。

 さて十日目が来ると、聖ペトロはミサを立て、全員が聖体拝鎗しました。全員、聖霊に祈り、教会の諸問題の解決について相談を始めました。頭としての聖ペトロが最初に話し、聖パウロ、聖パルナバ、聖小ヤコボの順で話しました。この会議の第一の決定は、割礼の律法とモーゼの律法は受洗者に強制されないということでした。永遠の救いは、洗礼とキリストの信仰により与えられるからです。他の決議は、例えばある信者の不適当な信心業を中止するために教会の祭儀の規定を作ることなどです。信経を決定した会議では、使徒だけが出席しましたが、今回の会議には弟子たちも参加しました。また、今回は決定の仕方も公式決定でした。

 会議の決定事項は手紙としてアンチィオキア、シリアやキリキアの教会に、聖パウロ、聖パルナバや他の弟子たちにより送られました。アンティオキアでこの手紙が信者に発表された時、聖霊が目に見える火となって降りて来られたので、全信者は勇気づけられ、カトリックの真理を確信しました。

 聖母は主に感謝し、聖パウロなど遠方に行く者たちに、我らの主キリストの着物の一部などまだ残っていた物を贈り、聖母の守護と祈りを約束して彼らを勇気づけました。

元后の御言葉

 私の娘よ、人性と天使のペルソナの違いについて説明しましょう。人性は弱く、疲れ易く、仕事の途中で諦めます。徳の業が難しいとわかると落胆します一ある日は喜んで徳に進みますが、次の日には徳を批難します。今日は熱烈でも明日はぬるま湯のようになります。ところが天使も堕天使も霊であり疲れません。悪霊はいつも霊魂を誘惑する時、決して疲れません。神は悪霊たちの行動を制限し、人間を支持して下さいます。恩寵と力を私たちに与えてくださるので、私たちは悪霊たちに抵抗し、打ち勝つことができます。

 誘惑に対抗して同じでいられないこと、善行と悪霊に対する戦いの苦労を耐えられないことは弁解できません。欲望にかられると感覚的な楽しみに引かれ、悪霊の側につき、禁欲の辛苦や嫌悪を誇張するようになり、禁欲が健康や生命に危険であると見なすのは悪魔的なずるさから来るのです。このように悪魔は無数の霊魂に自分自身を地獄の低い穴の方にどんどん落として行くように騙します。人々は悪魔に仕えるため、徳を積むよう神の律法が命令するよりも、もっと困難で骨の折れる罪の業を行うのに忍耐強く、いつも準備しています。自分の霊魂を救う行為をする時はぐすぐずし、自分に永遠の罰を科する時は熱心です。

 私の娘よ、悪霊たちは私の胸の中にこもっておられる御聖体を感知して、大変な恐怖に襲われたことをあなたは書き記しました。あらゆる秘跡は、悪霊たちを怖がらせるための最強の手段です。特に御聖体の秘跡がそうです。信心と敬虔をもって秘跡に度々あずかる者は悪霊たちを支配します。秘跡の中の神の火は純粋な霊魂の中で霊魂と同化します。私の中で神の火は、単なる被造物としての可能性の極限までとても活発です。

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