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第五書・第ニ章

イエズスは母に恩寵の法則を教えられる

 私たちの偉大なる貴婦人は、御子の最初の特別な使徒です。諸聖人の聖性と光栄は、我らの主イエズス・キリストの愛と功徳のお陰ですが、聖母の優秀さと比べると何の意味もなくなります。御独り子の生きているイメージとしての聖母には不完全さがありません。キリストの愛の極致が聖母に与えられました。聖母が主キリストから受けなかった恩寵を戴いている人は誰もいませんし、人々が戴けなかった恩寵も全て聖母は戴いております。聖母は諸聖人が各自の目的達成に向かう原動力となりました。聖母の優秀さを知るためには、主キリストが聖母にどうなさったかを、全教会建設のために払われた御努力と比較する必要があります。主は使徒たちを選び、導くために三年間努力されましたが、御母に御自身の聖性を刻み込むため三十年間を費やされました。神の愛の力は、片時も休むことなく働き続け、恩寵に恩寵を加え、賜物の上に賜物を重ね、祝福の後に祝福を与え、聖性に聖性を加えました。このようにして達成した聖母の偉大さは、太陽のように輝き、我々の目には眩し過ぎます。我らの救世主イエズス。キリストは、エジプトから帰国した後、聖母に、御自身が先生になることを明かしました。エルサレムから帰宅した後、聖母は神を見ました。この幻視はそれまでの直感的幻視ではなく、知的イメージであり、神性について新しいイメージで、神の秘密をたくさん示しています。恩寵の法則と御力について神の御旨を啓示しています。同時に聖母は、永遠の御父が封印された七巻の書(黙示5・1)を御子に委託したことを鬼ました。小羊なる主が、御自身の受難と死により、教義と功徳により、封印を破ったことも見ました。この本の秘密は福音と教会についての新しい律法にほかならないことを神は示されたのです。至聖なる三位一体は、聖母がこの本を読み、理解する最初の人になることを望まれました。御独り子が本を御母のために開き、その内容を全部御母に見せ、御母がその内容の通りに行動する最初の人になると判りました。この新しい契約は、御子の本当の御母に委託されたのです。永遠の御父と聖母の御子がこの御旨をどれほど喜び、御子の人性が聖母のために大喜びで従われたかを聖母は見通しました。

 聖母は、この恍惚となる幻視から目が覚めると御子の許に行き平伏し、申し上げました、「私の主、私の光、私の先生、御身の御旨を成就するため、御身の価値なき母を準備されました。私を改めて御身の弟子として、召し使いとして任命して下さい。御身の智恵と力を発揮する道具として私を飼いて下さい。御身の御旨と御身の永遠の御父の御旨を私により遂行して下さい。」 御子は最も説得力のある言葉で、人類の救い、教会の設立と新しい福音の掟の制定に関して、永遠の御父が御子に申し渡された事業の深遠な意義について聖母に説明しました。聖母が御子の伴侶であり、共臆者であること、至聖なる貴婦人は御子の十字架上の死まで苦労をともにし、全く不退転でたじろがない気持ちを持ち続けることです。福皐日の掟の理解と実行についても御子は教えました。聖母は謙遜、従順、敬服、感謝と熱烈な愛で御子の教え全部を受入れました。

元后の御言葉

 いと高き神は、光をあらゆる人々に与えます。人々が自由意志を濫用し、この光を罪により遮らない限り、光は神を知り、天国に入るよう私たちを導きます。主の教会に入る者は、神をもっと良く知ります。洗礼の恩寵は必然的諸徳や自分の努力によって達成できない諸徳だけでなく、この世的な諸徳や修練により獲得できる諸徳も与えます。これらの諸徳は、神の聖なる律法を熱心に私たちが守るためです。信仰の光の他に、福音の神秘をより良く理解し、善業に励むための知識と徳も、主は他の人々に与えます。汝は他の多くの世代の人たちよりももっと恵まれていますから、主に対する愛と、塵にまで自分をへりくだらすことに於て、人一倍の努力をしなさい。

 私は、主の御業を破壊しようとする悪魔のずる賢さについて警告しましょう。子供が物心つくようになるやいなや、悪魔たちにつけ狙われます。私たちが神を知り、徳を積むようになると、悪魔たちは怒り狂い、神が蒔いた種を地中から取り除こうと躍起となります。または成長するのを抑え、実を結ばせまいとし、悪徳や無用の事柄、その他、徳やキリスト者としての自覚、神の知識、救いや永遠の生命を忘れさせようとします。悪魔は、親たちに子供たちに対する卑しい怠慢の気持ちや肉感的愛情を吹き込みます。学校の先生たちを不注意になるように扇動します。従って、子供たちは悪に対抗するための指示がもらえず、多くの悪い習慣により腐敗し、諸徳を見失い、堕落していきます。

 しかし、最も親切な主は、この危険にいる人々を忘れません。主の説教師や司敬老を通して、教会の聖なる教えを授けます。主は秘跡やその他多くの助力を提供します。救いの道を歩く者が少ないのは、子供の時に培われた悪徳や悪い習慣のためです。「子供の時のような日々を老人が暮らすことになる」(申命33・25)と言われています。そのため、悪魔たちは子供の霊魂を捕まえ、子供に小さな取るに足りないような過誤を起こさせれば起こさすほど、大人になってから、もっと大きな罪をもっと頻繁に犯すようになると企んでいます。罪を一つ犯す毎に、悪魔に支配されるようになります。悪の惨めな軛が人間の首をもっと固く締めつけます。人間の霊魂は、自分自身の悪に踏みつけられ、断崖から落とされ、また次の崖から落とされ、奈落の底の方ヘビんどん落ちて行きます(詩編42・8)ルシフェルは大勢の人間を地獄に投げ込みました。毎日、何人む投げ込み続け、全能なる神に対して鼻せ同々に威張っています。ルシフェルはこの世の暴君となり、人々に死、審判、天国と地獄を忘れさせ、異教や異端の暗黒の底へと諸国民を突き落としています。私の娘よ、神の律法と命令、カトリック教会の真理や福音の教義を忘れてはいけません。毎日、神の教えを黙想し、他の人たちに黙想するように勧めなさい。毎日実行する信仰、信頼を起こす希望と熱烈な愛は、全て痛悔と謙遜の心から始まるのです(詩編51・19)。

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