第四章 心を見透かす宗教者
自分には俳優顔負けの演技力がある、そう確信して私はポーランドへ旅立った。
苦学生として六年間を孤独に過ごし、二一歳にして、思いやりのある、従順かつ敬虔な若者として戻るのだ。必死で神学校に入ろうとするのだから、敬虔以上である。自分の初舞台としては、まさに打ってつけである。
私は、義母を簡単に騙せると考えていたが、博士はどうなのか。私は彼の診断を恐れた。この男は、自分が人生で恐れを感じた唯一の人間だ。ともかく、何としても、どんな犠牲を払ってでも、彼を騙さなければならない。
彼の援助がなければ神学校に入学できないからではない。自分の力を証明するためにも、決して怪しまれてはならないのだ。博士は、私にとって、自分の価値の試金石であった。
私は、彼が帰宅する以前に、短時間義母と過ごせるよう、午後六時ごろに「家」のベルを鳴らした。ドアを開けたのは彼女だった。ずいぶん老けたようで、化粧はしていない。具合が悪そうにみえる。彼女は震えだした。それから泣き出した。
謝罪することによってこの件が落着し、博士が帰宅する以前に忘れられてしまえるよう、私は、長いこと留守にしていたことを詫び、許しを願った。
男の前で男として懺悔する気持ちはさらさらない。彼女がともにいれば、私たちはすぐに再会を喜び、将来の計画を打ち明けることができるだろう。
彼女は、私が立派な司祭になることしか望んではいないので、私はすぐにこの件を切り出した。哀れな女はこれをとても喜んだ。これなら、幾らでも騙せるだろう。
彼女は、どうしてそんな気持ちになったのかと質問した。漠然と色々な説明を考えてはいたが、事前に光景を決めてしまわない方がいいと考えていた。予め考えたものは、その場の発想ほどには優れてはいないのが普通である。
私は、彼女の信頼を勝ち得るのに打ってつけの「御出現」物語を作り上げた。博士なら、このような話に疑いを持つだろう。だが、超自然現象が彼女の弱みなのだ。
二人の意見を分裂させ、こちらの立場を強めればいい。私について議論しているあいだは、私はひとりでいられる。
そこで、私は、天からの御出現の話を彼女にして、自己矛盾に陥ることのないよう、この話を細部にわたって慎重に記憶に焼きつけた。
自分がパドアの聖アンソニーのご出現を受けたと話したのは、皮肉なことだった。紛失物を見つける聖人として有名なこの人が、失われた子羊の世話もするということだろうか。
この聖人はあまりに人気が高いため、およそどんな奇跡を彼に当てはめることができる。そこで、パドアの聖アンソニーは、両腕に幼児イエズスを抱きかかえた姿で、私の元に現れたということにした。
この話をしながら、美しい信心の場面を創作してもよかったが、二人が甘美な信心談に浸っているところに、博士が帰宅した。
理性ある存在の登場である。だが、彼が私を信じていないことは、すぐに見て取れた。勝負は難しい局面に来たが、俄然面白味を増してきた。
自分の養父を信じ込ませるのが、私の任務なのだ。少なくとも、彼が私を信じている振りをするところにまで持ってこなければならない。
だが、第一夜はかなり難航した。博士は、自分が出会った中でも、珍しいほど知性的な男だった。これまでにないほど面白い勝負になった。
翌日、私は、司教に会わせてほしいと二人に頼んだ。養母は司教とは子供のときからの知り合いである。彼は私を丁寧に迎えたが、熱中してはくれなかった。
彼は、召し出しを煽るより、撥ねつける方を得策と考えるカトリックに違いない。真の召し出しであれば、どんな難関をも突破できるという考えである。幸いにも、私はこの種の考え方には慣れていたので、少しも困惑しなかったが、こういう考えに混乱する者も少なくないだろうと思う。
自分に関して言えば、私はクリスチャンとしての謙遜を保つ術を心得ていた。司教が自分を不愉快に思うはずはない。
彼は、司教区の司祭と、もう一人、心を読むことで有名なある信仰者に会うよう私に勧めた。この信仰者は、ただの妄想と明らかな召し出しとを識別して、誤った召し出しを看破できるというのだ。
まず、司祭に会いに行った。男らしく、また単純な信仰の持ち主だった。彼は、自分の司教区に召し出しの花が咲くことを望んでいた。この朗報を告げるためなら、何でもしてくれそうな勢いだ。
私は、自分の聖なる情熱を博士の心に印象付けるため、司祭を家での晩餐会に招くよう、義母に願った。集いはうまく行った。司祭は子供のような霊魂を持っていたからだ。この滅多にない現象を前に、列聖審査に通じていた義父は、罪責感を感じ始めた。誠実なクリスチャンに聖人を拒めるはずがない。
このようなわけで、読心術に長けているという信仰者に会いに行くときには、私はかなり気が楽になっていた。だが、この男は、最初に会ったときには、とても耐えられない存在に思えた。彼は、ゆっくりした話し方と、頻繁に起こる沈黙で影響を与えているようにみえた。
ともかく、私は、真の召し出しを言葉に表そうと、あらゆる手を尽くした。私は心の中では笑っていた。自分の心に秘めた思いが、相手になど伝わるはずがない。別の思いを秘めていることなど、どうして相手に分かるものか。
面談は長時間に及んだが、私は次第にこれが好きになってきた。私は雄弁に語り、自分の言葉に耳を傾けた。むろん、謙遜の徳を忘れなかった。これほど容易に真似できる徳はない。とても楽しい勝負でさえあった。
私は謙遜ばかりか、他の多くの徳を装うことができるのだ。パドアの聖アンソニーの出現談については、あえて話さずにいた。
これについては、母から話が行っているに違いない。これについては沈黙していたほうが得策だ。
だが、一人の女性とも関係してはいないこと、セックスには関心のないこと、子供を作るときのみそれは善であると思っていると彼に話した。これも召し出しのしるしの一つに数えられるはずである。
党の中で自分が選択した仕事を言い表すのに、この召し出しという語を使えると思った。女性に対する自分の無関心さは、そのための条件なのだ。使徒も偽使徒も、自分の使徒職とのみ結婚するべきなのだ。
それで、使徒職という語が出てくるときには、私は特に雄弁になった。自分が熱心な使徒になろうとしていることは、明らかに伝わったはずだ。
この宗教者は、嘘をつかせようと、私を何度も罠にはめた。幼稚なやり方だ。知的な男は、嘘は使ってはならないこと、ごく稀な場合にしか使ってはならぬことを知っている。仮に、自分が嘘をつかざるを得ないと感じたとしても、私の記憶容量は余りに大きいので、自己矛盾を起こすようなことはない。
この宗教者は、私が六年間、消息を絶った理由を知りたがっていた。さすがに、このときばかりは心が動揺した。過去を思い出せば、自分をロシアに行かせた心の痛みが戻ってくる。だが、この男は、私が共産主義者になっているのではないかと感じていたのである。
そこで、私は自分は政治には無関心であるとだけ言った。六年間留守にした理由については、話せなかった。
ときには弱い人間を見せることも大事だ。こうすると、上に立つ人間は、逆にかばってくれるものだ。
私は、消息を断っていたことを激しく後悔しているといい、私の召し出しで母の気持ちは報われていることを理解させようとした。
この老人は、老母の唯一の望みを奪うことによって、彼女の気持ちを傷つけたいとは思わないだろう。むろん、そんな言葉は使わなかった。そうあって欲しいと心の中で望んだだけである。
進むにつれて、次第に話は丁寧になってきた。私は満足を感じ、最後に友人として別れた。
だが、教会からは何の音沙汰もなかった。まるで、新しい神学生の受け入れを急いでいないかのように、長いときが過ぎた。
私自身は、ロシア経由で全世界に届けられているはずの次の指令に、熱心に取り組んでいた。
だが、最後に、司教館に呼ばれたときには、目の前が真暗になった。宗教者は私が召し出しを受けてはいないと考えている、そう司教は話したのだ。
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