長崎銀屋町教会について

長崎銀屋町教会は、出島にあった出島メソヂスト教会がそのルーツとなります。以下、その大まかな歴史的なことを記します。

1873年、アメリカメソジスト監督教会宣教師のJ.C.デビソンが出島で伝道開始。3年後に出島メソヂスト教会を献堂。

1890年、出島メソヂスト教会宣教師のH.B.ジョンソンが浜町に講義所を設立し、翌1891年に教会となる。初代牧師は木村七十郎。

1894年、麴屋町に土地・建物を購入し、麴屋町教会となる。砂本貞吉が牧師として就任。

1903年、同教会に中山忠怨牧師就任。また、飽の浦に講義所を開設。後に長崎飽之浦教会となる。

1904年、現在の銀屋町に土地を取得。出島メソヂスト教会の建物を移築して、日本メソヂスト教会長崎中央教会として出発する。

1941年、宗教団体法により、キリスト教諸派は統合され、日本基督教団が成立。長崎中央教会は、日本基督教団 長崎銀屋町教会と改称。

1943年、東山手教会、ホーリネス教会、救世軍長崎小隊は国家の命令により、統合ないし解散を命じられ、長崎銀屋町教会にもそれらの信徒や教職が転入する。戦時中、長崎銀屋町教会は玉之江幼稚園で礼拝を行うこともあった。

1945年8月9日、原爆投下。教会は全壊を免れるも、以後多くの修繕を必要とするようになる。

1948年、東 道男牧師が就任。教会学校の他、道心会も行われるようになる。1956年には、教会学校分校が市内に6校、琴海にも1校つくられ、活動がなされた。その他にも、川棚、島原、滑石でも伝道がなされた。

1964年7月、火災により出島メソジスト教会より受け継いだ会堂は消失。

1965年12月、新会堂(現会堂)を献堂。長崎地区内はじめ多くの支援を受けた。

1973年、小林正直牧師が就任。

1977年、軽度心身障害児保育「こばと学級」、後の「なかよし学級」が始まる。なかよし学級は、2011年度をもって終了。

1982年、長崎大水害発生。礼拝堂、牧師館は床上浸水。今も礼拝堂の十字架には当時の浸水痕がある。

1985年、丸木位里・俊夫夫妻の「原爆の図」展を支援。またアウシュビッツ長崎展を支援。

1986年、創立100周年事業の一環として「100周年記念館」を建設。現在では「記念館」と呼んでいる。

1989年、小林正直牧師逝去。以後、半年無牧となる。

1990年、西畑 望牧師就任。

1998年、創立110周年記念として、歌手の沢ともえさんのコンサートを開催。

2002年、原 和人牧師就任。

2012年、竹内款一牧師就任。