補論・日米安保論議の現状

非常に分かりにくい表現を行なったので「現状の主流派は、日米非軍事同盟と核の傘容認」について説明を加えておく。これは、現状の日米安保協定(軍事同盟)支持派の矛盾した立場を表現した言葉である。「日米非軍事同盟と核の傘容認」を一つの単語として理解していただきたい。軍事同盟推進派と安保破棄派の間には明確な境界があるのでなく、その間に、より軍事同盟支持と非同盟主義など、さまざまな考え方が入り混じっており、それぞれが一貫しているわけでもない。思想の分布状況をある程度、傾向として分類するためこのような表現を敢えて選択した。

 日米安全保条約は、その実態においても理解においても幾通りもの解釈が可能な「関係」である。それは世界情勢と常にリンクしており、そのリンクを無視すれば不明瞭、端的に言えばいい加減な条約である。

 現在の日米関係は日米戦争に始まる。無条件降伏した日本の最初の統治者は国連軍、実体は米軍であった。そのとき日本が選択せざるを得なかった国際関係は「非武装」であった。それは、日本帝国主義軍の復活を永久に封じ込めるために、憲法9条を制定することであった。

 中国における毛沢東軍の勝利、朝鮮戦争勃発という、アメリカが理解するところの共産勢力の拡大にたいし、アメリカはトルーマンドクトリンの発動で、反共同盟の強化を推し進める。その一環として、日米講和条約、日米安保条約が締結され、日本の再軍備が容認される。

 ここでの、アメリカが日本に認める武装とは、非核、つまり軽武装、その代わりアメリカの核の傘で日本防衛を保障するものであり、その限度内で日米安保条約を軍事同盟化することである。

 日本の非核は時代によって大きな意味を持つ。そしてそれは日本の圧倒的国民によって支持される条件でもある。

 アメリカが反共同盟の必要性から日本の核武装を許す、あるいは求める(そう信じ込んでいた「左翼」も少なくはないがが)ことは、ソ連の核武装強化を一層促進し、世界は際限なき核競争に入り込んでしまう。ただしそれは表向きの理由で、アメリカの核独占、世界政治における主導権の弱体化をもたらすからである。日本の非核は、アメリカにとって、政治的主導権を保ち続ける上に、核軍縮の主導権を握るために必要な条件である。

 この時代に、日本共産党と左翼諸派のスローガンは「アメリカ帝国主義打倒」であり、社会党もほぼ同じであった。

 冷戦の終結と共に、日米軍事同盟、つまり安保条約の質は変化した。事実上の核戦争の危機は消滅した。その代わり、民族紛争、内戦、などが唯一の覇権国家米軍の主な任務となった。

・ ・・ここでは湾岸戦争などの経過は省略する・・・

現在日本で行なわれる日米安保論議は、安保条約破棄はほとんどスローガンとしての意味を失っている。共産党や社民党も、日米関係は大事だ、という姿勢である。日米軍事同盟は現実となっている。そのなかで日本国内の対立は、安保条約の現状維持か相互安全保障条約へとステージを上げるか、ということである。

併進する日米の軍艦があり、そこにアメリカ軍艦にたいして攻撃がなされた場合、現状では日本の自衛艦は米軍艦を護衛できない。したがって相互安保が必要だ、という意見は、言葉の持つ本来の意味での軍事同盟推進である。相互安保派の最先端に、日本核武装派がいる。

小沢の言う国連軍への直接参加。つまりアメリカとの2国間協定で国際的軍事行動に参加するのではない、という意見には次のような批判がなされる。国連は事実上アメリカが支配している。したがって国連軍に参加するということはアメリカとの共同行動の隠れ蓑である。

この批判は、全くの的外れではないが、正しくもない。要は、如何なる紛争に対して国連軍として参加するのか、ということである。イラクやアフガンなど、統治形態に問題があるとはいえ一応の治安が維持されている地域への、アメリカの単独主義的軍事介入に参加することは勿論とんでもない。しかし現実に内乱状態にあり、如何なる治安確立も望めない情況の地域への、とりあえずの治安確保と復興援助は、しなければならないだろう。それを日米同盟(軍事)でやるのではなく、国連決議に基づいてやることについては、この批判は正しくない。それは一国平和主義である。

現在、日米安保条約に基づく日本の自衛隊の派遣は、あきらかに憲法違反がある。だが相互安保に踏み込んではいない。相互安保締結は、9条改憲が前提となる。それなしに相互安保が締結されれば、これは完全に憲法違反である。結局相互安保派は、9条改憲という関門をクリアすることなくその目的を達成することは出来ない。

反9条改憲派にはいろいろの政治的立場がある。もちろん公認の最左派は、安保破棄・米帝打倒である。だがこのスローガンはもはや市民権を持たない。米帝打倒の闘争は、日本の左翼は全く無力である。アルカイダやタリバーンの鼻くそにも及ばない。

日本共産党はオバマの核廃絶演説を絶賛し、軍事同盟部分を除く日米同盟を否定しない。

市民派護憲運動は、ほとんどが現状維持。つまり非武装時代から現在までの日米関係容認、かつ現状維持である。過激な護憲派は、海上保安庁の巡視船による北朝鮮工作船撃沈を批判するが、大多数の護憲派市民は、専守防衛の枠内として容認している。

現在の自衛隊の海外派遣は解釈改憲と呼ばれている。ただしこの解釈改憲は無限ではない。日米軍の共同作戦による軍事行動は、現在では日本への侵略の場合だけ許されている。アメリカの言う国際治安出動に関しては、共同作戦による軍事行動は禁止されている。これが解釈改憲の限度である。

かつて圧倒的な自民党の支持基盤であった選挙民が自民党を見捨てたのは、9条改憲派に反対したからではない。しかし自民党が見捨てられることで、ついでに9条改憲派は大打撃を受けた。

今や大阪府民の絶大な支持を受ける橋下知事は核武装論者である。だが彼は、府の財政危機に対応することに専念し、知事に立候補するに当たっては「核武装論は封印する」と宣言した。彼は折からの官僚批判にのって知事選に大勝した。ポピュリストとしての資格はある。その上核武装論を凍結した。つまり角を隠して、選挙民を欺いて知事になった。ミニヒトラーとしての資格もある。だが彼が本物のミニヒトラーになるには、選挙に勝ったあとから本性を表し、相互安保、9条改憲を目指した活動を、その権力を行使して行なう必要がある。つまり彼は、核武装論は全く非現実的であることを知っている。知事である限り彼はその姿勢を変えないはずである。つまり情勢を十分理解し、独裁者にならないで府政に当たる限り、彼はミニヒトラーではない。彼が府知事でなく、国会議員に出馬するとしたらその持論を通すであろう。そしてその時、個人的人気で国会議員となり、権力で自説を強引に押し通すようになれば、そのとき彼はミニヒトラーになる。つまりヒトラーは、彼の資質で権力を掌握したのではなく、選出した選挙民の不明が生み出したということを忘れてはならない。