2009年8月30日衆議院議員総選挙
何がどのように変わりつつあるのか

はじめに

 郵政選挙と呼ばれる前回の選挙を巡る情勢は、あたかも、一人のリーダー、一つの党派が、何か意図的な目的を持って歴史を動かしていくように見えた。それにたいし、今回の選挙は、明確なリーダーシップは見えてこず、何がどう動いているのかは表面的には見えなかった。しかし有権者の意思は固く、選挙結果は、投票以前に断定的に予想されていた。

 自公連立与党は大敗北。民主党の大勝利による政権交代が起きた。そして、きわめて明確な、全く疑問をさしはさむ余地の無い政権交代であるにもかかわらず、今後の日本がどのような道を歩むのかが非常に分かりにくい。したがって、悲観的予言をする旧与党関係者以外には、分かり易い予言をする言論人も見当たらない。それどころか、旧与党側は、敗北の原因について、全く理解できていないようである。

 旧連立与党の敗北については、当事者だけでなく、言論人、マスコミ、さらに有権者ですらその認識はいまだ曖昧である。「とりあえず一度民主党にやらせてみよう。それで駄目だったらまた自民党にやらせればいい」という意味の発言がたいへん多く聞かれる。実は筆者もそのような言い回しで自公連立政権打倒を呼びかけてきた。それは、閉塞感にとらわれながら、方向の見えない政権交代に踏み出せない有権者の背中を一押しするためであった。筆者の周辺では、郵政選挙で熱心に小泉を支持した人たちが、とにかく政権交代しないとだめだ、という意見に変わった。民主党の農家の所得保障、高速道無料化など批判すると、まるで筆者が政権交代に反対しているとでも思うのか、「こんどは民主党に勝たせないといかんでしょう」と筆者を説得にかかる事態が、選挙戦後半には生じた。

 動いた歴史の歯車は元には戻らない。もう一度自民党にやらせることは不可能である。今回の選挙における旧連立政権与党の敗北の原因は、そのあり方の内部的要因と、旧連立政権与党たらしめた情勢全般がある。内部的要因は選挙での敗北によって矛盾が露呈し、連立与党、あるいはそれぞれの党自体の求心力が壊れてしまった。環境的要因は、矛盾を内包する組織が、政権党であるという理由で一体化を維持できる条件、時代の包容力を保てなくなってしまった。日本の政治は、そして有権者は、激動の、というより不安定の時代に足を踏み入れてしまった。しかも今の時代の政治の特徴はリーダーシップの不在。船頭のいない船を嵐の海に漕ぎ出したようなものである。

 政権交代を喜ぶ人も危惧する人も居る。問題は日本丸をどちらに向って進ませるのかを示せないまま、政権交代だけを自己目的化した頭領がおり、しかも彼は自ら船頭になるつもりはない。そういう情況のまま、この政権交代は進歩かどうか評定する評論家がいる。本当の意味でのリーダーシップの不在のなかで起きた政権交代。それこそが現代の危機の核心である。

旧連立与党の内部的問題

 実は敗北した連立与党は、それぞれの体制再建を巡る議論の中で、過去の求心力の源泉と内部矛盾を自ら外に向けて発信している。あらためてページを割く必要も無いようなものだが、今通り過ぎようとしている時代について整理しておくことは、無駄なことではないと思われる。

公明党という存在

 かつて若手の政治化が、自民党を痛烈に批判しながら自民党から立候補していった。その構図はまだ変わっていないようである。政権の座、政権党にいなければ何も出来ない。東国原宮崎県知事が自民党から立候補しようと思ったのもそれが理由である。当時の現政権の下で宮崎は過疎化し、高速道路建設も後回しになった。であれば現政権にたいする反対勢力として立候補しようと考えるのが筋だが、そうではない。政権党に加わり、貢献する、あるいはおべっかを使って分け前に預かる、という発想である。

 つまり政治には、正面から反対し、権力闘争に勝って目的を実現するという方法と、権力者に媚びておこぼれに預かることで目的を実現するという方法の二通りがある。

 公明党は、最多数派の政権政党自民党と後者の関係を結んでいた。言うまでも無く公明党は創価学会の別名といえる。政教分離の原則をクリアし、そのうえで保守、革新に分離できない中間層と呼ばれる有権者の票を獲得するために結成され、それが党の政策の基準となっている。そうしたスタンスをとることで、公明党としてはその政策の核心的施策、坂口試案に基づく「100年安心の年金改革」と「定額給付金」を実現させた。この二つは、公明党にとって存在意義を賭ける重要施策ではあるが、野党はもちろん、自民党内でも反対者は多かった。しかし連立を維持するため自民党は党議拘束で両法案を成立させた。元々独自で政権を獲得する展望を持つことの出来ない公明党にとって、その政策実現のために、野党であるより与党であることを選択したことでもたらされた結果である。

 100年安心の年金改革は、すぐあとに露呈した年金行政の不祥事で吹き飛んでしまい、本当に必要な年金改革を大幅に遅延させてしまった。今100年安心の年金改革は忘れ去られてしまい、新たな年金改革が議題となっている。定額給付金は、経済危機という本質に対しては全く効果は無く、ただ貧困者にとっては数日間の食料が支給されたというものでしかなかった。

 もともと公明党は、与党としての政策立案能力はきわめて弱い。それは上の二つの案件をみればわかる。存在意義は、比較的貧困層の多い創価学会信者の要求を国会に届けることである。しかし信者組織の強力な集票力から選挙には強い。自民党はその一点に意義を認め、連立を組んだ。いまさら説明するほどでもないが、自民党は公明党との選挙協力で政権の座を保つことが出来た。また公明党も、同じく選挙協力で、支持率がほぼ同じ共産党の倍以上の議席を獲得できた。それが今回の選挙では、自民党が票を落としたことに引きずられて、議席を半減させ、しかも党三役が全員落選し、党役員全員の入れ替えという、事実上の壊滅状態に陥った。

 勝っているからこそ、権力の座にあるからこその連立、選挙協力、集票力である。それは今回の選挙で見事に示された。それどころか、選挙協力で大敗北することは分かりきっていたにもかかわらず連立の解消など、公明党は手を打つことが出来なかった。もっとも、小泉政権下以後の、3分の2条項を駆使しての傍若無人の政権運営に対して、野党も選挙民も、選挙を前にしての姑息な動きを認めはしなかったであろう。

露呈した野合・総裁選挙の自民党

 かって若手の政治家が、自民党を痛烈に批判しながら自民党から立候補していった。その構図はまだ変わっていないようである。政権の座、政権党にいなければ何も出来ない。

 そのようにして隊列に加わった党員は、当然党自体に批判や異る意見をもっている。よく言えば自民党活動家は、日本共産党のように演説口調まで同じという個性を封印した組織ではなく、自分の思想、行動パターンを持った個性であり、その集合組織が自民党である。日本共産党の場合、指導部を批判したり違ったパターンの行動をすると除名されるが、自民党の場合総裁を批判しても、異端的行動をしても、あきらかに反社会的行為を行なわないなら除名されたり脱退を迫られることはない。

 「君の言うことはわかる。それは私も同じ考えである。だが今はその時期ではない。時期を待とうではないか」と言って先送りする。これがバラバラの個性集団を組織的に統一する、公の方法論である。そのかげに、資金提供による、あるいは資金を切ることによる、物理的拘束手段がある。この表裏の方法が、自民党の組織的集中手段である。

 ベテラン党員に推された谷垣、若手が支持する河野、ベテラン若手という対立構図を批判し、しかし主張内容はほとんど河野と同じ西村、の3人によって自民党総裁選挙が行われた。そのなかで若手の主な主張は「自主憲法制定」である。これは、55年体制といわれる今までの自民党の党是、いわば最大限綱領である。

 これまでも自民党改憲派はこの主張を繰り返してきた。1955年の保守合同で誕生した自民党は、その党是、最大限綱領として自主憲法制定を掲げた。しかし実体は、最大限綱領に位置づけることで棚上げしたのであった。ほとんどの場合自民党主流派は、時期尚早として改憲に取り組まなかった。そのため改憲派はつねに不満を持ち続けた。

 改憲派の挫折は、日米安保改定を行なった岸が、大衆運動で退陣に追い込まれたときに宿命付けられた。その後、中曽根、安倍という改憲派総裁が誕生したが、正面きって改憲をテーマとする党運営をすることは出来なかった。

 狡猾な小泉は、郵政民営化という持論実現のため、かってしなかった靖国参拝を、しかも中国、韓国の批判を押し切って行なうことで効果を倍増させて、改憲派の支持を取り付け、かってない自民党の求心力を作り出した。それが郵政選挙であり、従来の自民党の選挙基盤を、まさにぶっ壊して大勝利した。

 小泉を改憲派と思い込み、世論は改憲派を支持したとかってに思い込み、勝手にだまされた安倍は、自ら総裁の座を放り出すはめに陥った。

 今、世論でも改憲の支持率は上がっている。だが9条改憲になるとそうではない。今改憲問題の分水嶺は、実は9条改憲か9条維持か、というところに設定される必要がある。そして当然そこで政治的対立が構成される。ところが現状での改憲論議は、それをぼかしたまま行なわれている。改憲が現実問題となった時、9条を巡って世論が分裂するだけでなく、自民党が分裂する。そのことを認識するなら、9条改憲派は自民党の分裂こそが再建だという立場に立つべきである。

 自民党の党是、自主憲法制定を棚上げすることで、外交は日米同盟と核の傘に包括された。現状の主流派は、日米非軍事同盟と核の傘容認(「補論」参照)である。少数派として日米軍事同盟派、あるいは核武装派がある。ただし実績としてあるのは、非軍事同盟、つまり9条維持、したがって非核武装、核の傘容認派である。このような選択は日本の経済復興、そして経済大国化をもたらした。したがって第1次、第2次戦後派世代からは自民党は圧倒的支持を受けていた。

 社民党(かっての社会党)や日本共産党は、「自民党は自主憲法を制定して、戦争の出来る国にしようとしている」と批判している。だがこれまでの自民党の実態は上のようなもので、社民、共産が批判するのは自民党内の一部でしかない。選挙民はそこのところを心得ているから、両党の主張に乗せられることなく、自民党を選択し続けた。

 総裁選挙で若手が批判するベテラン議員たちは、まだこれまで固めた基盤に乗っている。だが彼らはいずれ高齢で政界から去っていく。しかし今若手の批判を受け入れることは、自ら基盤を捨て去ることになる。もしそうなれば、国際的な軍事的緊張が高まり、世論が9条改憲に代わらない限り、自民党は右翼少数党派へと転落してしまうことになる。

 こうした切り口から見るならば、自民党は分裂し、これまた野合集団の民主党との政界再編に向うことが予想される。

自民党支持基盤の崩壊

 自民党は農村部に支持基盤を置いていた。しかし本当に農家に支持されていたわけではない。農家は、自民政権の下で農産物の貿易自由化が進められ、経営環境の悪化がおきた。ストレートに考えれば、自民党農政は、農家にとって否定されるべきものである。しかし政権党は、補助金や公共工事を農村部に提供することで農家の支持を繋ぎとめ続けた。地方土建業、農協などの組織が集票マシーンとなる。地方自治体が、地方交付税の窓口となり、自民政権のネットワークが形成されていた。それは磐石のものと考えられていた。しかしこの構造は、地方の自立心を希薄にしてしまった。補助金漬行政、箱物依存の財政運営が地方自治体の財政を破綻に追い込んだ。つまり金でつなぎとめる集票システムは、金が尽きれば崩壊する。

 小泉は、金でつなぎとめるシステムを破壊した。地縁、血縁で結ばれた自民議員は、郵政民営化の踏み絵を踏まされた。郵政民営化に抵抗した議員には刺客が送り込まれた。これは、小泉にとっては抵抗派議員を駆逐するものであったが、実は自民党の集票システムをも破壊した。多くの地方組織が、政権党から排除された議員は不要とばかりに刺客・自民党公認候補を支持した。かくして中央政府と地方のパイプは断ち切られた。刺客、いわゆる落下傘候補は選挙区に基盤を持たず、したがって地元の期待に応えられなかった。次の、つまり8月30日の選挙での落選は決まっていた。

 地方は自民党幻想にすがって中央とのパイプを失い、自民党は、地方に地盤を築いてきた議員を刺客によって駆逐することで、自ら選挙基盤を解体した。

 それだけではない。政権から転落することで、政・財・官の癒着、自民党からみれば協力関係が破壊された。これは政権の座にあることで生み出されたものであって、政権から転落すれば自動的に消滅する。

日本社会の変化

 日本社会の変化にはいくつかの要素がある。政治的要素は、その終焉が語られ始めてからしばらく時間が経っているが、いわゆる55年体制である。55年体制そのものが日本社会の当時の現状から生じたものでは有るが、同時に、55年体制がその後の国家運営システムを維持してきた。外交、あるいは国家思想という分野では、日米同盟・核の傘・戦争放棄が基本であった。冷戦時代、それは確たるものであった。

 冷戦が終わり、アメリカ単独主義の時代が訪れると、日米同盟における軍事協力を強化するかどうかということが問われ始めた。憲法9条に制約された軍事協力で、日本の国際的地位は低下した。そこで日本社会は、国際的地位を巡る方針において、議論の現実化が始まらざるを得なくなった。

 経済運営では、非軍事的日米同盟と核の傘は日本にとって非常に好都合であった。軍事費負担の少ない国家運営は、低い租税負担によって、産業分野の成長と個人資産蓄積を促進した。工業製品の競争力強化がアメリカ企業を脅かすと、当初自由貿易を迫ったアメリカは、農産物輸入自由化へと要求をエスカレートさせた。すでに産業界と農業の国内での力関係において優劣が決まっていた日本の経済運営は、産業界優先、農家には補助金という構図を作り上げた。前にも述べたとおり、日本の農業は自立経営でなく、補助金で生き延びる寄生的存在となった。この構造の維持こそが、自民党が権力の座に座り続けるシステムであった。

 例えば石炭産業はスクラップ化し、生じた余剰労働力は新産業計画に基づくインフラ整備と、都市における産業振興に吸収された。国鉄は民営化され、補助金、つまり経営にかかる税金投入が大幅に削減された。しかし農業は、もちろん国営化は出来ず、かといって自民党の選挙基盤を捨て去ることは出来ず、補助金は増加する一方であった。

 工業製品輸出によって得られた富が増加し、税収が増え続ける。それを農村への補助金、公共事業として再分配する。これが高度成長時代の再分配システムであった。

 日本が外貨(ドル)保有高世界一になると、円高が昂進し、日本の工業製品は競争力を低下させることになる。そのため日本産業は工場を海外に移し、また円高による海外調達が増える。したがって高度成長時代の再分配システムは機能を低下させる。

 世界第一の外貨保有量と円高の相乗効果は、日本を産業国家から金融資本主義国家へと変身させた。それが日本社会を大きく変貌させた。経済体質のサービス産業化がその最大の特徴であろう。

 生産的工業労働者数の減少。したがって労働組合員数の減少。これはいわゆる労働者階級の意識に大きく作用した。

 流通、販売、情報などのサービス産業労働者の増加。これは成果主義や能力主義給与システムを労働者自身が受け入れる条件を生み出した。結果として非正規雇用化が進み、さらに非正規雇用化は製造業にフィードバックされ、低賃金化が進んだ。

 反面において、産業資本主義から金融資本主義への経済体質の変化、日本の国際収支の金融資本化が進み、所得格差が拡大した。

 地方、農業の補助金依存体質だけは変わらなかった。

 こうした事態を受けた政治の対応が、さらに日本の経済状態、社会状態を悪い方に変化させた。

 工業競争力低下にたいする援助は、法人所得税減税として行なわれた。さらに地方では、企業の流出を防ぐため固定資産税減免を行なった。さらに企業への投資を促すために、所得税累進率を引き下げ、高額所得者の減税を行なった。

 他方労働者の賃金は下がり、所得税収だけでなく、社会保険料収入も低下した。したがって国税収入が減っただけでなく、健康保険や年金などの社会保険も財政難に陥った。こうした財政危機の原因は少子化ではない。少子化こそが根本問題のように、政府、与野党、言論界が口をそろえている。騙されてはならない。

もっとも社会保険財政危機には怪我の功名もある。財政危機から過去のずさんな運営が暴露され、制度改革問題が緊急課題として浮上した。

 旧連立与党は、補助金漬にして飼いならしてきた支持者を、財政難から切り捨てざるを得なくなった。このことが連立与党敗北の本当の原因である。

 問題は、補助金漬の地方、農村は残されている。その改革はたいへん難しい。民主党は、所得保障(差額保障)しか提案していない。地方、農村振興は、そこへの資本導入をどのようにして生み出すか、という問題であるが、そのことについて有効な提案はない。

 労働問題について少しだけ言及したい。例として国鉄民営化問題を取り上げる。国鉄が何故民営化されざるを得なかったのか。

 国鉄経営は赤字を膨らませ続けていた。それで維持されたのは、赤字は財政から補填されるからである。

 国鉄経営陣は、経営が赤字であることを気に留めなかった。それは、国家運営にとって必要なインフラとして、元来国費で運営されるべきものだと考えていたからである。したがって赤字は当然であった。国鉄の赤字が国家財政を圧迫するなど夢にも思わなかったはずである。

 この赤字体質のほか、地方の人口減少、モータリゼーションの進行で、航空路開発などで鉄道利用は減り続けた。利用が減れば赤字はさらに膨らむ。

 現在も国鉄赤字の原因とされるのは、政治路線の敷設である。整備新幹線問題でもいわれるように、政治家が、あきらかに赤字となる路線を、票と引き換えに鉄道を引き、それが国鉄の赤字を膨らませた。これは、現在のJAL問題と同じ構図である。需要の少ない空港を政治家が地元の要望に応じて建設し、そこに国策会社JALを就航させる。したがって経営再建には赤字路線の廃止、つまりリストラは避けられない。したがって労働者の首切りも避けられない。親方日の丸の経営、それに無批判に従う労働組合、という構図が解体されない限り、経営再建はない。

 それともう一つの伝説、官による商売はうまくいくはずがない。民間にまかせれば経営はうまくいく、という考え方も大きな影響を与えたと思われる。

 そのような理由で国鉄民営化が進められた。

 当然労働組合は猛反対した。最も戦闘的労働組合とされていた国鉄内の組合は、しかし大きな考え違いをしていた。国鉄の労働組合は賃金や労働条件で経営者から大きな譲歩を引き出していた。そのうえで経営者は国鉄を守る、したがって組合は守られる、と思い込んでいた。つまり国鉄経営者が税金のわけまえに預かり、労働組合はそのおこぼれに預かるという構図だったのである。経営者と組合という関係だけを引き出すなら、責任は経営者にあると言うだけで十分である。しかし経営そのものが成り立たない事業であるという前提を設けた場合、経営が行き詰れば労働者は失業する、という当然の結果を見なければならない。

 政府は財政赤字と需要減少から国鉄合理化と民営化を目指した。有権者は税金の使い道において、国鉄赤字への補助にノーという答えを出した。このとき組合があくまで民営化反対を貫くなら、その戦う相手は、政府と納税者である。当然のことながら、国鉄の労働組合は敗北した。そのまえに国鉄経営者が敗北した。

 結果として赤字路線は廃止された。労働者はぎゅうぎゅうと絞られ、ついに福知山線の大事故が発生した。

 国鉄の補助金体質は、形の上では断ち切られた。しかし新幹線建設問題で、実はJRは国費の地方への再分配システムの中にしっかりと位置づいている。それは将来国家財政の債務として、日本の国家財政運営に割り込んでくる。

 ここでの問題は、労働者が、とくに正規雇用労働者が自立した存在でなく、補助金体質に組み込まれてしまっているのが今の日本社会の実情だという点である。そして、やむをえなく自立させられた労働者は、非正規雇用として、貧困社会の底辺に沈められようとしている。

 幸か不幸か日本は、生産量における食料自給率は40%だが、豊富な資金量によって100%をはるかに越える食料供給を実現している社会である。だからコミュニティーの崩壊に直面しているわけではないが、世界に多数存在するバーバリズムが支配する地域と紙一重で、同じ地球上に存在していることを認識し、今登場した民主党政権が、そうした社会への配慮を、わずかでも深めることをとりあえず期待するしかない。

 コミュニティーの存在理由は、再分配機能である。その、再分配機能の方式は一つではない。社会主義では、生産物の所有者は社会そのものであり、それが分配される。一方私有財産制社会では、生産物の所有権は個人にある。それが税金や債権や社会保険料などの形で、コミュニティー維持管理の分担金として、共同体管理機関によって徴収され、それが再分配される。

 今回の選挙での自公与党敗北の原因は、結果として露呈した外交(安全保障)方式の対立ではなく、自民党的再分配方式の破綻である。それは小泉によって破壊されたのではない。小泉の勝利そのものが、この自民党的再分配システム崩壊によってもたらされた。

 すこしだけ解説をしておく。

 健康保険、公的年金は、それ自体で自己完結する再分配システムとして構築されている。しかし自己完結できないから、社会保険財政への国家予算からの補填が行なわれる。

 揮発油税による道路特定財源もまた、社会保険と同じく自己完結的再分配システムである。これは余っているから無駄な道路が作られる。

 このように再分配システムを分野別に自己完結的に行なおうとする方式は破綻している。そこで道路特定財源の一般財源化、などということが問題になる。

 こうした特定再分配システムを除く再分配システムが税金と一般会計である。この一般会計、地方交付税などを地域や業種(使用目的)に分配する権利こそが政権である。したがって、再分配システムの組織的表現が政権党、地方自治体、地域有権者という関係である。自民党の敗北は、55年体制として作り出された再分配システムの崩壊そのものである。だから新政権は、旧来の、公共事業で再分配するという方式を変えざるを得ない。当然過去の自己完結的再分配システムもである。

 政権交代を「革命だ」と恐れる政治家、財界人、知識人がいる。だが革命はまだ起きていない。しかし、新政権の個別の取り組みを見ていると、革命を予感させる現象が無いわけではない。

 革命派?つまり左翼的?部分の民主党政権にたいする評価を見ると、過渡期社会論からファシズム論まである。そのように何か規範的規定をすることでしか起きている事態を認識できないことが問題である。あえて言えば、是々非々主義で臨むという共産党のスタンスは正しい。しかし、だから共産党の現状認識と政策が正しいというのではない。旧連立与党を、戦争ができる国にする党としか認識できなかった理論的欠陥、内部からの批判を認めない組織体質は、今、一歩自立に向って進み始めた日本の有権者を説得することはできない。

 つまり、今回の選挙で、有権者は、自らを縛り付けていた再分配システムから自立することで、ブルジョア政治の枠内ではあるが日本の民主主義のステージを一段押し上げた。この点だけは間違いなく期待を持って選挙結果を受け止めることができる。そして、より確かなこととして、革命的にであれ漸進的にであれ、あらたな再分配システムが生み出されない限り、コミュニティーは崩壊する。

(岩内)