我が党創立大会政治報告に関する21世紀的「解題」として

はじめに

このホームページのドキュメントは、約40年前の1966年に始まっている。したがって現在とは非常に異なる世界情勢があり、その時代を知らない世代にとっては、それを読むことの意義すら理解できなくて当然である。しかし敢えてホームページの最初にこの「声明」を持ってきたのは、単に我々の運動のアイデンテイテイーの再確認のためではない。戦後幾度となく高揚を示した各国の階級闘争が、孤立したまま敗北していく状況にたいし、(戦後)第4インタナショナル(FI)がその原因と課題を自らの責任として提起できないことに対する批判から始まった我々の運動の問題意識は、たとえ冷戦の終結という世界の権力支配構造の大変動の後でも、依然として必要、かつ有効だからである。(こう断言することは、意義すら理解できない人から見れば主観でしかない。それを証明するのが本来この「解題」の任務であるが、それを完全に果たそうと思えば、この論文の何倍もの解説が必要となるので、ここは、そう思って次に読み進んでいただきたい)。

湯浅赳夫・著「トロツキズムの史的展開」(1975年7月31日発行版)の年表の最後は1965年12月 FI統一後第2回(第8回)世界大会 となっている。同書は1968年までの世界のトロツキズム運動について言及しているが、この論文が関わるIC派国際会議については、最終章(11章 遠心する諸潮流1964-1968)の(2)ヒーリーとポサダス でふれられている。パブロ派(IS)とキャノン派(IC)に分裂した戦後FIが1963年に再統一し、統一書記局(US)を形成したとき、ヒーリー(英)はそれに加わらず、1966年4月にインタナショナル世界大会の位置づけでIC派国際会議を招集した。そこへの我々の関わりは本文にて読んでいただきたい。

日本国内での運動の流れ

日本における左翼運動においてもっとも長い歴史を持つのは現在の社会民主党の源流となる社会民主主義(第2インタナショナル)系の社会党と民社党、および日本共産党であった。これに対し主に日本共産党に対する批判からうまれたいわゆる新左翼が市民権を得たのが1960年の安保闘争と炭労・総評の大労働争議である。反日共(反代々木)新左翼は、元は日本共産党員であったが、そこから分裂する過程で二つの潮流に分かれた。それはトロツキズムにアイデンテイテイーを求める日本革命的共産主義同盟(JRCL、革共同)と、トロツキズムを否定する共産主義者同盟(ブント)である。60年には革共同はさらにFIを否定する革共同全国委員会(黒田派)と書記局派に分裂していた。そのあたりは他に資料もあり、ここでの説明は割愛する。

書記局派は自己の政治的立場をUSに位置づけたが、大原派と呼ばれるグループはパブロ主義批判から、自らをICと位置づけた。そうした経過から、自らをJRCLと名乗り、IC派国際会議に参加したのである。

IC派との政治的な関係については本文に述べてあるとおりで、IC派の政治的立場では結局スターリニストの補完物となり、プロレタリア階級を世界革命に導くことは出来ないという結論に至り、それと訣別してトロツキズムの原点に立ち返り、第4インタナショナルの再建のための闘いを開始することを、日本において宣言した。それがこの論文である。

ホームページに採録されたこの時代の論文は、<指導部の危機>として特徴付けられる第4インタナショナルの時代の、時代的特性の証明、そのことに問題意識すら持っていない戦後FI諸派の批判に大部分のページが当てられている。そしてこの声明はその集約でもある。

 補足的説明を加えておきたい。

戦後日本の共産主義運動は、獄中で戦時を過ごした浦島太郎達によって再建された。ソ連に居て投獄をまぬかれ、実際の情勢を見てきた野坂参三によって現状認識が与えられた。したがって戦後日本共産主義運動の出発点がスターリン路線であったことは止む終えなかったところもある。そこに新左翼が芽生えたのは、スターリンを批判したフルシチョフ報告、およびハンガリーにおける人民の闘争を、ソ連の戦車が踏みつけ、弾圧したのがきっかけだといわれている。これらの事件は日本における新左翼誕生のきっかけとなっただけではない。世界共産主義運動における作られたスターリンの神話を崩壊させ、歪められた共産主義運動の根本的な再検討、再建の好機でもあったし、日本における共産主義運動、特に日本共産党内で路線を巡る論争が巻き起きたのも、その状況の反映である。

我々の運動もまた同じ源流を持ち、それゆえに国際共産主義運動との結びつきを模索する過程は幾つもの紆余曲折を経ざるをえなかった。大原派もまた、ICとの訣別を目指す中で分裂していったのである。

時代的特性の核心

歴史的に見れば、帝国主義戦争は資本主義の矛盾が極限に至り、自ら築いた政治的・経済的枠組みを暴力的に破壊せざるを得ない境地に追い込まれた結果である。それは当然一方において資本階級の殺し合いであり、その無秩序を克復する勢力は共産主義思想で武装された労働者階級である、というのが共産主義者によって提起された仮説であり、その運動が実証の過程である。帝国主義戦争は、最早資本階級によっては市場経済の暴走をコントロールできないことのなによりの証明であり、人による経済のコントロールを回復する闘いが、労働者階級の反戦闘争である。したがって、資本階級が思う存分殺しあえる状況は、資本階級の没落の必然性の証明であると共に、抑止力としての労働者階級の、闘争の敗北の結果である。

スターリンは社会ファシズム論を提唱し、労働者階級のもう一つの政治的結集点であった社会民主主義を、ファシズムと同列視することで、本当のファシズムにたいする労働者階級の戦いを分裂させた。そのことが実はナチズムを先頭にしたファシストの権力獲得に対する側面援助となった。ファシズムが十分に力を蓄え、ソ連に対する武力の行使を隠さなくなったとき、今度は反ファシズム統一戦線を提起したが、すでにファシストの支配する国家の共産主義者は殲滅されたあとであった。反ファシズム統一戦線論は、ファシズムと民主主義の闘争と規定され、対立する帝国主義諸国の一方との同盟、労働者階級を(共産主義運動をも)帝国主義戦争に動員する理論的根拠となった。

戦後は、冷戦体制と呼ばれる分割支配体制の一方の極として、スターリニスト官僚の支配するソ連は、一般的には共産主義運動の橋頭堡として理解されてきた。しかし、スターリンとルーズベルト・チャーチルによる戦後の分割の謀議により、実際は労働者階級と帝国主義の世界階級闘争の休戦協定が結ばれたのである。ソ連の支配圏における反乱には連合国は手を出さず、連合国における労働者階級の闘争を支援しない。その結果、戦後の混乱期に起きた幾多の反権力闘争の多くは大衆の敗北に終わった。幾つかの例外、中国、ユーゴ、キューバを除いて。

戦後世界秩序におけるソ連の果たしている役割について、共産主義の橋頭堡でなく、労働者階級の闘争を引き裂く資本階級の補完物であると我々が気が付いたとき、ソ連軍の占領によってナチスから解放され、傀儡政権がつくられた東欧諸国、分割支配協定に逆らいながら例外的に生まれた革命政権国家について、それを共産主義運動の一定の前進と見なす戦後FIとは決定的に異なる時代認識に到達したのである。

戦後世界支配秩序が、実はスターリニスト官僚によってインタナショナルへの労働者階級の結集が阻害された結果生まれたものだとするとき、そして、先に述べた資本階級の暴走を抑止する勢力としての、共産主義思想で武装された労働者階級の運動を生み出すためには何が必要か、と問題を立てるとき、その運動を作り出す世界党の不在、孤立した各国の階級闘争を関連づけ、組織化する指導部の不在こそが最大の問題である。資本主義はスターリニスト官僚の援助なしにはその権力を維持出来ないにも拘らず、それを打ち倒す運動を作り出す世界党(インタナショナル)が存在しない。これこそが階級闘争を規定する時代的特性であり、それはトロツキーによって提唱されたFIの時代特性をなお引き継いでいる。そう判断する時、我々は腐った戦後FIとの訣別によって推し進める我々の運動はFIの再建である、と規定した。

指導部の危機(現代の階級闘争の危機の本質は指導部の・インタナショナルの不在である)という認識については今日も変っていない。これは実は深刻な問題である。そのような認識に基づく運動が、未だ成果をなしえていない、あるいは敗北した、という疑問を突きつけられざるを得ないことは十分理解できる。しかも現実には共産主義運動はむしろ後退しており、共産主義そのものが夢でしかなかったのだという攻撃すら加えられている。ただしそれらの問題提起は、仮説でしかない。実証は共産主義運動が勝利するか、それとも剥き出しの生存競争の中で人類社会が崩壊していくのか、によって示される。そしてその決着はやはり未来のものである。

次に、冷戦の終結は、この論文が書かれた時代とは世界支配構造を一変させた。この論文の有効性はもはや失われたのではないか、という疑問が生じることも否定できない。そのことの解明は必要である。ただしそれは、有効性の否定でなく、この論文の政治的諸結論を導き出した方法を如何に継承するか、という方向ではないかと考える。

戦後第四の堕落した基盤を解体し、革命的再建の闘争に結集せよ!

論文のサブタイトルであるこの一節を、それまで運動に関わったことの無い人が読んでもさっぱり理解できないはずである。第2世代の私ですら正確に理解した、という自信はない。したがって「解題」については起草者に依頼した。この「解題」が起草者の真意を歪めて伝える可能性があるからである。しかし起草者は現在病を得て、議論を含めて長時間の執務が困難な状態にあり、療養には長期間が必要で、この歴史的文献を収納する文箱の表書が、生あるうちに出来るかどうかわからない、ということであった。したがって、ことによったら起草者の怒りを買う結果になるかもしれないが、当時の状況との関係からこのスローガンに説明を加えておく。

「万国の労働者!団結せよ!」これは労働者大衆に普遍的に呼びかけたスローガンである。それに習えば、「堕落した戦後第四を解体し・・」という表現になるはずだし、そうすればあらためて説明を加えるまでもなく、呼びかけの対象も自ずと限定されてくる。それが何故「堕落した基盤を解体し・・」とされたのか。分かりやすさが必要な政治スローガンとしては、上出来とは言えないこのスローガンには、起草者の表現能力を理由としてしまうことの出来ない原因があった。

我々の運動はIC派国際会議に関わることでこの声明の地点に到達したのであるが、それまでの道のりは、分散化し混迷する戦後FIの影響下にあった。戦後FIは、おおまかにはUSとICという二つのグループに分裂していたが、その分裂もまたそれぞれのグループの内部も、そこに参加した各国党の日常の闘争環境、つまり国家社会の状況にによって問題意識が分散化されていた。つまり明確な世界指導部は存在しなかった。そうした二つの国際組織と各国内党から発せられる情報に、日本国内のトロツキスト達は影響を受け続けた。

そういう状況の原因は<スターリニスト官僚との闘争や如何に>というテーマにおける戦後FIの曖昧さにあった。そのために戦後FIの運動に結集した活動家達は右往左往させられた。そうした状況の克服を如何にして成すのか、と考えて到達したのがこの声明である。この論文は、IC派との訣別という意味においては結論であるが、その後の戦いという意味においては、綱領の確立ではなく、決意表明である。その周辺には戦後FIの影響下にある活動家が多数存在し、また戦列に加わった同士たちのなかにも、私のように消去法的に追随した者も多数居た。ある意味でそうした存在こそが、スターリニスト官僚に対して屈服した戦後FIを存在させる基盤であった。この呼びかけはそうした部分への呼びかけであり、活動家個人の、既存の組織に依存する気持ちに対する、内なる闘いの呼びかけでもある。

事実、IC派の政治的路線に対する批判については納得しつつ、実際に国際党建設の組織活動方針として、ある程度の組織実態を持つIC派との訣別がその後の運動にとって手がかりを放棄するものではないかという議論はその後も何度となく繰り返された。

国家資本主義論

論文1③に、わが同盟とウブリエル派(仏)の提案を「国家資本主義論と同一傾向である」と規定し・・・とある。これは戦後FIにとって重要な意味を持っている。

トロツキーによるFIの結成に参加したのは、左翼反対派と呼ばれるグループである。そのグループは、トロツキズムという明確な思想と綱領で統一された組織というより、文字通り左翼反対派であった。綱領の獲得自体がFI創立の目的だった、という言い方も可能だろう。そのなかで、トロツキーとバーナムやシャハトマンとの論争が行われている。それが国家資本主義論争である。

国家資本主義論は、ソ連を労働者国家と見なさない。その契機は、スターリニスト官僚と、各国スターリニスト党によって労働者階級の闘争が抑圧される現実と、その道具と化したソ連邦をどう理解し、どう対処するかという問題である。ソ連が反革命の道具としてスターリニスト官僚に利用されるのは、ソ連国家自体が、資本主義の未発達な、したがって資本階級も労働者階級も未成熟な社会において成立したからである。したがってそれは本来資本主義国家であり社会主義国家建設には未だ時期尚早な社会である。したがって社会形態上も社会主義でなく国家独占資本主義である。その支配者たるスターリニスト官僚の反革命的政治は、そのことに規定されている。大まかに言えばそのような理屈である。

似たような理論展開は、ソ連を国家独占資本主義と明確に規定しなくても、労働者国家であることを否定し、遡ってロシア革命がプロレタリア革命であることを否定したり、スターリンによって反革命が成し遂げられたと見なすなどの、多くの理論家達がいる。

ソ連を労働者国家と規定する根拠は、国家の社会システムや形態でなく、権力がどの階級によって握られているか、ということである。ロシア革命に対し、「早すぎた革命」論でなく、資本階級が未成熟であり、したがって労働者階級の社会勢力としての力が小さくても、諸階級の権力維持能力が弱小で混乱が続く社会では、共産主義思想に武装された労働者階級が、他の階級と同盟することで、労働者階級の支配する社会をつくることが出来る。これがロシア革命の教訓であり、世界革命(帝国主義戦争)の時代における共産主義者の任務と可能性を具体的に実証したのである。

したがって国家独占資本主義論は「早すぎた革命」論によって労働者階級の革命を永遠の未来に遠ざける、日和見主義でしかない。これがFIの思想的支柱の一つとして継承され、それがIC派においては、論敵に対する決定的な批判の意味として使われたのである。

FI(戦後も含めて)がその政治的立場の根幹に関わる問題として闘ったのが国家独占資本主義論であった。したがってわれわれの提案にダメージを与える目的をもってヒーリーはこのように言ったのであろう。

ソ連邦の崩壊によってスターリニスト官僚の物質的基盤は失われた。したがって今、ソ連が労働者国家であるか国家資本主義国家であるかという論争は、FIにとってどうでも良いことのようにも思えるが、ロシア革命とソ同盟70年の歴史は、共産主義革命論に、今後も当分は最大の比重を占め続けざるを得ない。それを捨象することは、歴史から何も学ばないことである。

「共産党宣言」では、諸々の社会主義として宗教社会主義や空想社会主義などが批判されている。その後も、国家社会主義や戦時社会主義などの言葉が生み出された。ある状況において、何らかの単位社会において社会主義を発見することはたやすい。同じように、個人主義、自由主義を発見することもたやすい。したがってソ連において社会主義を発見することは簡単であった。しかし、暴力的抑圧機関によって支配された社会で、資本主義や自由主義を発見することは困難であった。その結果社会主義社会は抑圧社会である、という理解が生まれた。他方社会主義シンパからは、抑圧社会であるソ連は社会主義ではないことを証明する必要感が生まれた。国家独占資本主義論発生の根拠はここら当りにあるであろう。

だがソ連に資本主義を発見するのもまたそう困難なことではない。帝国主義時代は、資本主義による経済グローバル化の表現である。そのなかで、封じ込められたとは言え、一国におけるアウタルキーの維持は不可能である。したがって世界市場から隔離されて、社会主義社会が建設されるわけがない。ソ連が資本主義であろうとなかろうと、労働者国家であろうとなかろうと、世界市場経済に飲み込まれるのは必然であった。我々が問題にしたのは、例えそれが国家独占資本主義型社会であろうとも、その権力は革命によって打ち立てられ、その歴史的基盤の上に存在していたということである。その歴史的基盤を放棄することは、共産主義運動を何十年も後戻りさせるであろうと考えていたし、実際その後の歴史はそれを証明している。

この論文の意義と課題

この時点でわれわれは、ソ連を共産主義運動の橋頭堡として擁護する戦後FIに対し、たとえ倍する苦難の道を歩かされようとも、ソ連を擁護することは、共産主義運動の前進にとって障害でしかないとして、戦後FIの看板であった「労働者国家擁護」のスローガンを撤去する前日にあった。

労働者国家擁護、ソ連の防衛を戦後FIはスターリニスト官僚に委ねた。スターリニスト官僚は帝国主義の対立した一方と同盟することでソ連を守った。その結果として東ヨーロッパ諸国を支配下に収めた。しかしそれはソ同盟への加入、つまり社会主義?の拡大ではなく、言い換えればインターナショナルの拡大でなく、労働者階級は分断されたままスターンの支配下におかれた。その状態で包囲されてしまった。一国社会主義論は、その困難な状況を何かすばらしい状態のように覆い隠すために生み出された包み紙である。資本による世界支配、グローバル化の時代において、世界市場から隔離されたアウタルキーの建設を夢見るスターリンの社会主義は、ロバート・オーエン的空想社会主義の領域である。

そして今、スターリンに労働者国家防衛を依頼した戦後FIは、これまた溶解してしまっている。

40年前われわれの歩き出した道は、残念ながら大方の関心を呼ぶことなく引き出しの底に眠らされてきた。しかし、今日の世界情勢にいたる流れが、すでに当時に見通され、その動機があきらかにされていたことを、この時期の論文は示している。

一方今日では、これらの論文が生まれた時代の世界労働者階級分断のシステム、冷戦体制は崩壊した。にもかかわらず世界的規模での労働者階級の闘争は起きていない。スターリニスト官僚は、労働者階級の資本階級に対する反乱を永久に封じ込める安全装置を作って歴史から退場したのか?それとも冷戦体制に代わる階級闘争抑止システムがうまれたのか?あるいは、たまたま今のところ世界的規模での階級のエネルギーの爆発が起きるまでの時間的余裕があるのか?

世界各地から発信される情報では、安全装置が開発され資本階級の永久支配が可能な社会が生まれたとは思われない。それどころか富裕階級は、国家の治安機関すら信用できず、私兵にガードされた要塞都市に引きこもり始めているし、要塞の外では貧民階級はホームレス、飢餓、アウトローへと転落させられている。ただ、共産主義を横取りしたスターリニスト官僚に裏切られた革命的労働者とインテリゲンチャーは、「共産主義」への疑心暗鬼に陥り、再結集をためらっている。彼らは、戦闘的環境主義、戦闘的人権主義、戦闘的反(特定)帝国主義などに分散して、個別的に支配階級に対する自爆攻撃を行っている。したがってそれがガス抜き(支配階級の安全装置)となっている。だがその安全装置は、小規模多発の不定時時限爆弾として、市民の生活を脅かし続ける。

そのような状況において、共産主義がなお再結集の旗印となりうるのか、それはどのような規模と色と模様を持っているのかについて、これらの論文は課題を残している。(岩内 悠造)