エロイカより愛をこめすぎたら 05 act.06 ただならぬ関係 (5) The Alarming Relations If Eroica put too much love
その店は小さいところが難点だが、実にいい酒を出すため伯爵も何度か足を運んだ。 暗く狭い店内。 注文したグラスを受け取るために手を伸ばした伯爵は、必然的に彼、元・刑事で今は伯爵のボディ・ガード、クレイグ・ギアに身を寄せることになった。彼が数回鼻を鳴らした。 「あんた…なんの匂いだ、これ。香水か?」 「そうだよ。特別に作らせてる。私のお気に入りなんだ」 『あのにおい…好かん。何も付けてない方がずっといい』 不意にあの日の少佐が思い出された。 カッと赤くなる。 「…どうした」 暗く狭い店内では顔色の変化はわからなくても動揺は隠せない。 ごまかすように笑って訊いた。 「このにおい…不快?」 「いや?」 思い切り否定の色でそう言うと、改めて確認のため伯爵の方に身を寄せしっかりと嗅ぐ。 ありえない、という顔で首を捻る。 「…そんなやついるのか?」 伯爵は曖昧に苦笑した。 *** その時点で、すでに美しい伯爵を狙っている輩は複数いて、屈強そうな黒髪をいつも同伴で現れるようになっても、諦めきれない者たちも中にはいた。 そして執念深く、狡猾な輩も。 その日、いつになく聞こし召した伯爵は『元・刑事』が目を離した隙に、不覚にも背後から薬を嗅がされ拉致られていた。 路地裏。 数名の下衆の手が伸びたまさにその時、 「その辺にしとけ」 不意に男が声をかけた。 背景のまぶしいネオン。 暗くてよく見えないが、コートのポケットに両手を突っ込んだその上背のある男が、非常に落ち着き払っていることは、声だけでなくそのたたずまいからもわかる。 「残念ながら、そいつは君たちが思っとる以上に面倒な男だぞ」 その心底残念そうな声(苦)。 男とは対照的に、気色ばんで向かってきたそのチンピラもどきどもを軽くのしてから、男はようやく銜えたタバコに火をつける。そしてひとつ煙を吐いた。 「治安は悪いとは思っとったが…ったく、やるんならもっと人目に付かんところでやればいいものを。目障りな…」 そう一人ゴチて、ようやくかったるそうに彼はその場にしゃがみこみ『それ』を覗き込んだ。 (何をやっとるんだこの阿呆は…) タバコを銜えたその口で軽く舌を打つと、『それ』の腕を取り肩に担いで立ち上がる。 その時… 「止まれ」 背後至近距離。 銃口が向けられているのは気配でわかる。 「…やめとけ。あんたレベルだとおれもうっかり撃っちまうかもしれん」 「……その男を渡してもらおうか」 「…警察関係者?」 背後からの返事がない。 「確かにおれは『落し物』を拾っただけだから、警察に届けたいのはやまやまなんだが、こいつは警察だと余計に面倒なことになる」 「『元』だ。その男はボスの大事な客人だ」 数秒考えた。 確か…イタリアの…… 「……ボロボロンテ?」 「…あんた何者だ?」 少佐はくるっと向きを変えた。 「警察じゃないなら構わん。渡すぞ」 文字通り、荷物でも渡すようにその身体は渡したのに、伯爵の片手は少佐のトレンチコートの端を握り締めていた。 それは結構な力で、引き剥がそうにも剥がれない。 「この野郎。はなせ! はなさんか、ばかもの!」 ついに少佐は意識のない伯爵をポカポカ殴りだした。 薬が強かったためか依然意識は取り戻さないが、殴られ続け無意識のまま苦しげにう〜んう〜んとうなる伯爵(苦)。呆れる元・刑事。 「お…おい、ちょっと、あんた…」 ついに見かねた元・刑事が口を挟んだ頃、不意に、伯爵の美しい眉根がかすかに寄り、閉じた伯爵のまぶたからす…っと涙が一粒こぼれ落ちた。 同時に、その口唇は「しょ…さ…」とかすかに動いていた。 二人揃って伯爵の顔を凝視する。 少佐がため息をついた。 そしてその、コートを握った方の伯爵の手を片手で丸ごと包むと、そのまま伯爵の耳元にそっと言った。 コートを握る伯爵以上の力でその手を握り締めて。 「伯爵…はなせ」 聞こえているはずのないその力強い命令に、伯爵の手はようやくそのコートの端を手離していた。 元・刑事は、二人のあいだにただならぬものを感じたが、男はさっさと立ち上がりその場を後にしようとする。 が、去り際、背を向けたまま付け加えるように言った。 「頼みがある。そのバカを拾ったのはあんたってことで」 「…あんたは?」 銜えたタバコを指に外し、彼は言った。 「…その阿呆の……『天敵』だ」 *** 話は少し前にさかのぼる。 ボン。 NATO情報部にて非常に不快そうに荷造りをする少佐。 「機嫌を直したまえエーベルバッハ君。こんな役目、君には何でもないだろう」 「おれはあんなところに行くのは嫌なんです」 「任務だよ君」 「おれの有給でしょうが」 たたみかける少佐に部長が頭を振る。 「有給を消化するのが君の任務なのだ。君がさっさと有給を消化しないから、SISが君のためにわざわざ仕事を作ってくれたのだよ」 「だったらウチにこもっている方がずっとマシです」 「半月もかね」 半月とってもまだ余りある少佐の有給(苦)。 人事の苦情に耐えかねた部長の命令だった。 少佐は深刻な顔つきでついに打ち明けた。 「部長、おれは昔、ある男と『男の約束』をしたんですよ。『アメリカなんぞ行く気もないから安心しろ』と」 「誰だねそれは」 「『ごり押し』という…」 「知らんよそんなもの」 部長はばっさりと切り捨てた。 「とにかく君の任務は、『ノイエ・ナチスに関するある重大な秘密を耳にしてしまった一般人の警護』なのだからな。よろしく頼むよ」 「すべてがウソにしか聞こえません」 少佐の目が死んでいる。 立てたトランクに体重を半分預け、少佐が言った。 「…部長、Lに何か賭けででも負けたんじゃないですか?」 途端に部長の部分的な頭髪が逆立った。 「それ以上の質問は許さんぞエーベルバッハ君! 君は上官の命令に従う義務があるのだ! 黙って任務を遂行したまえ!」 「………………了解しました」 ワールドカップ戦の賭けだな…と少佐は確信した。 *** NY。 伯爵が滞在しているホテルの一室。 「また君に面倒をかけたね。どうやってお礼をしようか」 誘惑の微笑みを浮かべて、伯爵はその『元・刑事』の男らしい首に腕をまわした。 自分に気のある男に迫るのは慣れている。 「よせ…」 すげなく腕を外された。 そして両腕をやんわりつかまれたまま訊かれた。 「あんたの想い人って……軍関係者?」 伯爵の戯れの雰囲気は一瞬でかき消えた。 腕をさっと離し、美しく豊かな髪をかきあげる。 「…私が寝言ででも何か言った?」 質問には答えない。 「あんた、苦しむ必要のないことで苦しんでる気がする。お陰でおれまで…」 クレイグはため息をついた。 この、いわくありげな、金髪巻毛の、滅多に見れないほど美しい男には、正直一目惚れだった。 久しぶりに強く惹かれた。血が騒いだ。 (※作者注:クレイグ氏はバイ・セクシャルです。性別にはこだわりない感じで) が、『元・刑事』はそれなりにいい大人だった。 勝敗のわかりきった勝負にあえて挑むこともまあ悪いことではないが、それ以上に、裏も表も一通りのことは知っている経験値が残念ながら勝った。 どう見ても『特別な二人』だ。 拒絶しあってるのに引き付けあう、強烈な磁力。 まるで神の采配のような『それ』に、あえて割って入るほどバカじゃない。 「決着を…つけたほうがいい。後悔じゃ済まないことになる前に」 「言ってる意味がわからない」 「来てるぞ、ここに。あんたの想い人」 怪訝な顔で彼を見る。 「…さっぱりわからないな。君はありえないことを言ってるしね」 不快さをにじませる笑顔を伯爵は浮かべた。 クレイグは、はじめて見るその伯爵の余裕のない表情に内心驚いていた。 「ありえなくても仕方ない。実際おれも見たし…一目でわかった」 伯爵の目は不信なまま。 「長めの黒髪。瞳はグリーングレー。トレンチコート。……思い当たる人物がいるだろう」 *** サングラスをかけた伯爵は、建物の死角に身を潜めた。 すでに自分の息が酒臭いとわかるほど酔っていたが間違いない。 夕食時の繁華街。 小柄な、少女のようにかわいらしい女性をエスコートする少佐。 間違いなかった。 正真正銘、少佐本人。 なんでまた、よりによってこんなところに。 自虐的に『クスッ』と笑ったら、しばらく笑いが止まらなくなった。 遠くの少佐が身を屈めた。 細い腕がその首に絡みつき、彼女を軽々と抱き上げる。 彼女のかわいらしい嬌声が、街の雑踏にまぎれてかすかにここまで届く。 伯爵の顔は、笑っているはずのまま固まっていた。 ――本物だ。 今度こそ本物の嫁候補。 実際のところ、正直言えば、そんなもの出てくるはずがないと、心の奥底ではそう勝手に決めていただけ。 あの男は絶対に、気のない『女性』に、往来であんなことを許しはしない。 知らず知らずに、伯爵は歯を食いしばっていた。 こんな、伯爵にとっては地の果てのようなこんなところでまであの男に会わせてくれる神の計らいを憎悪したが、 『覚悟を決めろ』という神のご意思だと思い直した(伯爵はもちろん無神論者だが)。 「決着をつけろ」と元・刑事は言った。 その通りだ。 このままでは、前にも後ろにも進めない。 私だけが。 現に、少佐はもうすでに前に進んでいる。 伯爵は顔を上げた。 *** うんざりしきったような少佐の手をとる彼女。 伯爵は思い切って、やや斜め後ろから二人に声を掛けた。 「久しぶり。元気そうだね」 彼女だけが振り向いて伯爵に注目した。 その声に少佐は振り向きもしない。 視線だけで一瞥すると小声で言った。 「…おまえなんか知らん」 伯爵は少佐の言葉を無視してやや腰を屈めて彼女にご挨拶した。 「はじめまして。少佐の古い友人でアルバート・ブレナンと申します」 彼女が若干興奮気味に少佐の背広の袖口を引っぱる。 「いいんですよ。彼が無愛想なのは昔から知ってますから。本当は声を掛けるのもやめようかと思ったんですが、 あんまりかわいらしい『恋人』を連れているからつい…」 彼女が頬を染める。 見上げる目が妙にキラキラしている。 なぜか、少佐よりも自分に興味がありそうに見えるのは錯覚か? いやそうだろう。だって『少佐の恋人』なのだから。 彼女は頬を高潮させ、子どものようにぎこちなくご挨拶した。 「は…はじめまして」 本当にかわいい。 伯爵がにっこりとやさしく笑いかける。 「彼は……あなたにやさしいですか?」 「…はい」 「よかった」 その巻毛青年の安堵の微笑みはあまりに美しく、彼女は完璧にぽーっと見とれた…が、その直後驚いた。 だって涙が零れてる。 しかも彼はそのことに…、気づいて…ない? 彼女の小さな手をやや恭しく握り、きゅ…と握手し、 「少佐をよろしく」 と微笑んだときに、ぱたぱた…っと何粒か音を立てて零れ落ちてはじめて彼は、自分の涙に気づいたようだった。慌てていた。 「…失礼」 そう言って足早にその場を去った伯爵。 びっくりした様子の彼女。 なんてみっともないんだ、私は。 *** ようやく少佐が伯爵を見つけ出せたのは2ブロックも先でのことだった。 雑踏の中、その背中に怒鳴る。 「おい伯爵!」 振り向きもせず怒鳴り返す伯爵。 「お似合いだよ」 (なんで追ってくるんだ!!!(怒)) 「Lの孫だ。きさまもおれをロリコンにしたいのか!」 ついにばっと伯爵の腕をつかんで振り向かせた。 「メリンダちゃんはまだ12だぞ!」 ようやく足を止めた(止められた)伯爵が若干驚く。 「…随分大人びた12歳だね」 「ジジイが根回しし過ぎるからだ」 まばらな人中、延々と駆け足と競歩を続けたふたりは、やや息をはずませていた。 ふいっと伯爵が顔をそむけた。 「大丈夫だよ。いずれにせよ女性ならなんとかなる」 「……きさま最悪だな」 「女の子を『ちゃん』付けで呼ぶ君も最悪だ。気持ちが悪い…」 そう言って、(酔っているせいもあり)伯爵は本当に吐きそうな顔をした。 少佐の顔面に青筋が浮かびまくった。 「Lがいつもそう呼んどる!(怒)」 「声が大きいよ。それよりいいのかい? 彼女を放り出して」 「大きなお世話だ。自宅直行の車に突っ込んだ。そもそも彼女は親とこっちにきてもう三年だ。きさまの方がよほどあぶなっかしいぞ酔っ払い!」 「…私は男だよ」 「だからなんだ!」 そう、私は男だ。 しばらく黙った伯爵は、突然声を上げて笑いだした。 しかし、さすがニューヨーカー。 流れ行く人波は、あらかたがきっぱりとその伯爵の奇行を無視してくれた。 それに乗じて(?)伯爵は身体を二つに折り、腹を抱えて延々と笑っていた。 かと思ったら……… ボーゼンとする少佐。 「おい、伯……」 伯爵はすでにボロボロボロボロ泣き出していた。 自分の前に差し出した手に、むしろ滝のようにとめどなく落ちる涙。 そうだ、私はこんなにも君を愛してる。 だけど… それにしてもどうなってるんだ私の涙腺は。 ここのところ、思い通りに働いた試しがない。 自分の涙にウンザリしながら、吐く息のように囁いた。 依然涙は流れ続けていた。 でも力なく頭を振り、表情は笑いながら泣いていた。 「…君に…何もあげられない」 少佐は、ようやく堤防が崩れたのを目の当たりにした気がした。 その場に崩れ落ちそうになっている伯爵の腕を、もう一度つかんで言った。 「きさまなんぞから何かもらおうなどとは思っていない」 まったく… 「そろそろ吐いてもらうぞ伯爵。おれをこんなところまで引っ張り出しやがって」 怒りを含んだ声でそう言って、物騒に少佐が指をバキバキと鳴らした。 *** 『そんなのごめんだ!』 と、往生際悪く走って逃げ出した伯爵。 例のごとく猛然と追いかける少佐殿。 「待て、この野郎!」 酔っている分ハンデがあるが、ここらの裏道には伯爵の方が分がある。 とはいえ、相手もプロだった。 かなり粘ったがついに街外れの高架下で追い詰められた。 まばらな街灯。人影はない。 往来する電車の轟音で、怒鳴らないと互いの声も聞こえない。 いずれにしても、この場合、二人は怒鳴ったろうが。 「いい加減全部吐いちまえ! なんなんだきさまは!!!」 追い詰められた伯爵は、コンクリートの橋げたに後ろ手をついて、悔しそうに口唇を噛んで少佐を睨んでいた。 が、しばらくしたのち、ようやく観念したのかその顔がくしゃっと歪んだ。 そうして深くうつむいて、またもやボロ泣きしはじめた。 ついに泣きながら口を割った。 「……君が、そんなに私を愛してるなんて思わなかった!!」 少佐の動きが奪われた。 目が点々になった。 正気を取り戻すなり少佐の軽蔑しきったような口調。 「……あ? きさま酔っとるのか!」 伯爵も顔を上げて言葉を叩きつける。なじるように言った。 「ああ酔ってるよ! 愛してるじゃないか!! じゃなきゃあんな名前!!」 少佐が怪訝な顔で再度ポカーンとする。 思い切り不審げに言った。 「……………名前? 何のことだ」 「『エーディット・クローゼ』!!」 「あ? …ああ、忘れとった」 「忘れるな!」 少佐にもまったく引けをとらない厳しさで伯爵が泣きながら怒鳴った。 「君が私にあんな名前付けるからだ!」 「知らんと言っとるだろう!」 (君の嘘なんかこの私が見抜けないはずないだろう!) 伯爵は口唇をギリ…と噛んでその言葉を呑んだ。 水かけ論になることが分かりきっていた。 少佐はそれを一生認めはすまい。 君は私を愛してる。 私でも怖くなるくらい。 でも、それ以上に、私は君を愛してしまっている。 絶対に戻れなくなるほど。 気が変になりそうなほど。 もう逃げ出さずにいられないほど。 君からすべて取り上げたくなってしまうほど。 こんなに『怖い』と思ったことなど、これまで一度もなかったくらい。 そして、目を閉じた。 言葉は自ずと口から出ていた。 涙とともに。 「…お父上を愛してるんだ。君より…お父上を…」 「またそれか。きさまの守備範囲と未練たらしさには呆れ果てるな」 伸ばした少佐の手を伯爵がぱしんと払いのけた。 「私にさわるな! 私はお父上のものだ!」 ついにぶちっと少佐の中で何かがキレた。 …ふざけるなよ? これで何度目だ? こんなやつに手をはたかれたのは。 こんなバイキンになんぞ、さわりたくてさわってるんじゃない。 …はずだった。もうずっと。 なのにこれはどうだ。どういうことだ。 むしろおれがこいつにさわりたがってこんなやつに拒絶さ… 瞬時に少佐の身のうちから憤怒の焔が燃え上がった。 この野郎、許せん!! それ以上に許せんのが、このおれ自身とはさらに許せん!!! 明らかに顔色の激変した少佐に恐怖を覚え、一瞬の隙に伯爵は逃げ出そうとしたが、すかさず腕をがしっと捕まえられた。 その少佐の形相の恐ろしさは、とても言葉で表せるようなものではなかった(苦)。 「…きさま本気でおれを怒らせたな?」 (きさまの嘘なんぞおれが見抜けんわけがないだろう!) *** 少佐が伯爵を肩に担いでそのドアをバーンと蹴破った。 「NATOだ! 陸軍少佐だ! ついでにホモだ! 部屋を貸せ!」 セリフもすごいが、顔面中の青筋もすごい(苦)。 カウンターの男も真っ青になって鍵を渡して慌てて引っ込む。 *** 少佐は伯爵を安普請なベッドに放り投げた。 「ちょ…ちょ…」 「なんだ! 明るいうちからがいいんだろうが!!」 「きっ君がこんな安宿で…しかもあんな啖呵…頭でも打ったのか!?」 「ぐだぐだうるさい! あと何が不満だ! 言ってみろ!」 恐る恐る、つぶやくように口にする。 「…こんなコワれた君は見たくなかった」 「誰のせいだ!」 「私は何もしていない!」 「きさまが面倒くさいからだ!」 *** その首に喰らいつく。 序盤はいつもそうだ。 少佐の場合、色気もへったくれもありゃしない。 どちらかというと、大型の獣が大型の獲物に襲いかかるようにしか見えない(苦)。 抵抗する伯爵。 だが抵抗したところで相手はプロだ。 うつぶせに押さえつけられればもう逃れられない。 まさに『野生の王国』さながらだ(苦)。 その肢体を、巧みに押さえ込みながら少佐は言った。 「伯爵、どう考えても変わったのはきさまの方だ」 少佐はどの間接をどっちに向ければ人間が動けなくなるかわかっている。 それでもなんとか逃れようとする伯爵。 「逃げるな! 怪我するぞ!」 揉み合ううち、すでに半分露になったそのなめらかな背筋。 五指を広げたままの少佐の大きな手が、日ごろは巻毛に隠されたうなじから背筋へと、ゆっくりとそのラインをたどりはじめる。下へ上へ。邪魔なブラウスを押しのけながら。 「ふぁっ」 きつく、切なく、伯爵の眉根が寄る。 計理士お墨付きのその肌の美しさ。 確かに悪くない。そんなものはもう十分知っている。 けれど… 「あ・あ・あ…」 肩をそびやかし、伯爵が、震えながらも硬直する。 そんな風に、確かめるように、この身をこの男にふれられるただそれだけで、ぞくぞくとした強い快楽の波が伯爵の全身を支配する。 その瞳にさらされ、指にたどられ、感じられる。………私を。 それだけでこんな風になってしまうのは、他の誰でもない。この男。少佐、君にだけ。 私が唯一、その腕の中に捕まってしまった相手だから。 自分の意に反して、身も心も何もかもあけ渡してしまう相手だから。 瞬時に抵抗できなくなる。 声も出せなくなる。 息もできなくなる。 ――気持ち…よすぎて。 もう必死にベッドのシーツを鷲掴み、びくびくと震えながらその切なさを堪えることしかできなくなる。 「あ…だめ…だめ・だ・少…佐…だめ・だって…」 「…………………ほらな」 少佐はすでにあぐらをかいて、そんな伯爵を眺めながら言った。 「おれのさわり方なんぞ別段変わっていない。おまえの反応が変わっただけだ」 中断された愛撫に、ベッドにうつぶせにへばりつく伯爵は、なんとか息を整えようとしていた。 「それに…………異常に早撃ちだ」 パン! と伯爵が少佐の頬を引っぱたいた。 「何しやがるこの野郎!」 「君がそんな下品なことを口するとは思わなかった!」 少佐がひるんだ隙にぱっと身を起こし、逃れるようにヘッドボードに背を押しつけた。 たった今、背中に施された五指の感触を打ち消すように。 そうしてボタンの飛んだブラウスを胸元でつかんで、少佐を睨みつけた伯爵が真っ赤になってぶるぶる震えている。 少佐がフン! と真顔で言った。 「勘違いするな。ばかにしとりゃせん。別におれはおまえが早撃ちだろうとかまわん。 記録に挑戦するようにイキまくるのもかわまん。おもしろがっとるだけだ」 「最悪だ! 君は本っ当にサイアクだ!!(怒)(怒)(怒)」 さらに伯爵が真っ赤になってぶるぶるぶるぶる震えていた。 *** 時計の針が9時をまわった。 組み敷く少佐と抵抗する伯爵。 「や…め…、私には、こんなこと、君がやりたくてやってるとは思えない!」 「それは重要なことなのか? 以前のおまえなら、おれの考えなんてお構いナシだったろうが!」 信じられないものでも見るように伯爵が少佐を凝視した。 重要に決まっている。 それどころか、それ以上に重要なことなんて何もないほどだ。 そうじゃないんだとしたら、どう考えても君がおかしい! だけどこれもまた水かけ論になる。 少佐は私を愛してる。 本人に自覚がなかろうがなんだろうが。 ハンパなく私を愛してる。 だけどこういうことを少佐が『やりたくてやってる』かどうかはまた別問題であり、 そうなればたとえ『やりたくなくても』任務のごとくこんなことくらいはできる男なのだ、君は。 いずれにしろこの少佐殿がそんなことを認めるなんて、万に一つもありえない。 そして私は… 私のプライドの高さは… 自分でも呆れるほどだ。 絶望的に叫んだ。 「言ったはずだ! 私は君よりお父上を愛してるって!」 「おれも言ったはずだぞ、伯爵。『報酬は望みどおり』とな。きさまが望むなら今すぐにでも出てって一番はじめに出会った女を孕ませてやる!」 そのセリフと眼光の凄さにさすがの伯爵もすくみあがった。 「…………君、本当にハプスブルグ家の末裔?」 完全に毒気を抜かれた伯爵。 そのまま少佐に襲われても、もう抵抗する気力も無くなっていた。 つづく
エロイカより愛をこめすぎたら
act.06 ただならぬ関係 The Alarming Relations
ニ0一0 八月十四日
サークル 群青(さみだれ)
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