エロイカより愛をこめすぎて 02



act.02 桃色吐息
The Sigh of Amorous Affair
From Eroica with too much Love





赤い薔薇  一輪





『最後の七日間』で、さみだれの力技で関係を持った二人だが、その後も表向きは二人の関係はまったく変わらず、 各国のエージェントも部下もその他もすべて全員だまくらかしてきた。

 少佐はソレに関しては一切口止めなどしなかったが、そんなもの、関係を持つ前からある意味阿吽の呼吸だった二人だ。
 少佐がとぼければ間違いなく伯爵もとぼけ通す。
 ソレ以外のネタでは脅したりすかしたりは変わらずお互い容赦なかったが、ソレに関しては絶対に洩らさないという信頼が疑う余地もなく成立していた。

 だから本当に誰にも知られなかった。
 伯爵の二人の忠臣を除いて。


     ***


「伯爵、最近いつもああだな、外泊すると…」

 最近、ごくたまに行先も告げず一人で外泊をするようになった伯爵は、決まってその後二、三日寝室に引きこもるようになった。 しかもひどくしんどそうな様子で。
 その日もボーナム君は心配そうにドアの隙間から部屋の中をうかがっていた。

「おまえも心配かボーナム!」
 珍しくジェイムズがまともなことを言ったと思って背後を振り返って見てみれば、
「本当に気がかりだ! 伯爵がぼくの目の届かないところでどれだけ浪費してるのかを考えると! あんな、寝込むほど遊び呆けるなんて!」

 …いつもどおりお金の心配をしていた。

 ボーナム君はどれほど長い間伯爵が少佐に懸想していたかも知っているし、そもそも自分がこうなるきっかけを作ってしまった 張本人の一人であることもわかっていた。だからなおさら気が揉める。

 何せその第一回目からして、少佐と伯爵のソレが伯爵にとってろくでもないことだということはわかりきっていた。
 あの日、あの時の、あの断末魔のような悲鳴で(苦)。
 なのに伯爵はその後もソレを続けているようなのだ。
 呼び出しでも受けるのか、浮かない顔をしながらもそそくさといなくなる。

 もしかすると恐喝でもされているのかもしれない。
 伯爵に限ってそれは…と思う反面、相手があの少佐だったらそれも…という怖い想像が繰り広がる。

 体が完治したのは何よりだったが、新たな心配事がボーナム君とジェイムズ君の頭を悩ませていた。


     ***


 任務で各国を飛びまわる少佐から、連絡が入ることは滅多になく、その上いつも突然だった。

 今はフランスの美しい港町、ル・アーヴルに来ているらしい。
 指定されたのは夜だったので、日暮れ前に到着してしまった伯爵は少し街を散策した。

 印象派は伯爵の趣味ではないが、モネが描いた街として少し有名。
 さすがに花々や木々が実に美しい。
 きなくさいことがほとんどの少佐の任務に似つかわしくないノルマンディの美しい小さな街。意図的なのかどうなのかわからないが、 少佐が伯爵を呼び出す街は、百発百中で伯爵の美意識を満足させた。

 二人きりでは三ヶ月に一度でも会えればいい方だった。
 伯爵はもちろんいつでも少佐に会いたかった。が、そんな我が儘を口にしたことはない(そういう流れになるような裏工作や話の持って行き方は徹底的にしたが(苦))。
 なにせきっかけがきっかけだっただけに茶化す気にもなれないし、少佐が二人きりで会ってくれる、それだけで実は歓喜で気絶しそうだった(苦)。

 だから呼び出されればどこへだろうと飛んで行った。
 誰にも気取られぬように、逸る気持ちを抑えて。

 恋をしているからか、今の伯爵の目にはすべてがまぶしすぎるほど美しく見える。
 景色も、人々も、日差しまで。
 特に少佐と会える街は、どこの街だろうとどんな絵画より美しく見えた。

 途中、街灯の下でもあまりに美しかったので、一束の花を買って少佐のホテルに向かった。


     ***


 すでに闇夜の中、伯爵は屋根づたいに建物の窓から侵入した。
 カーテンの内側、部屋の中も真っ暗だった。

(あれ? 外出中? 部屋を間違えたか?)

 視界ゼロの室内に侵入すると、不意にうしろからぐわしっと捕まえられた。
 恐怖と驚きで必死でもがく伯爵の手から花がばらばらと零れ落ちる。
 この腕力は多分間違いないが、毎度のことながら窒息死しそうになる。

「伯爵か」
「しょ…少佐?(←顔半分ふさがれているので発声できない)」

 真っ暗な中だったが声で安心した。
 なので依然生命の危機にはさらされつつも(苦)、びくともしない腕の中、ようやくもがくのはやめた。 少佐は注意深く外の様子をうかがい、カーテンをきっちり閉めてから伯爵を放すと部屋の明かりをつけた。

「追っ手はまいたよ。下にも見張りがいたから上から来てみたんだけど…」
「少し前から窓側も監視されとる」

 居間の床に色鮮やかな豪華な赤い薔薇が散乱していた。
 暴れもがいた伯爵と押さえ込んだ少佐に、だいたいのものが踏みつけられていた。
 伯爵がしゃがみこんだ。
「あーあ」
「きさま、タダでさえ目立つのに、またちゃちゃら花なんぞ買いおって…」

『久しぶりで嬉しくて』とか、『私がいなくなった途端に忘れないでくれるように』とか言うと、また青筋立てて怒るかもしれない。 そういう顔も見たくないわけではないが、まだ任務完了前のようなので勘弁してやろう。

「はい。お望みのもの」
 伯爵は事前に依頼されていた雑貨類をまとめた一袋を少佐に手渡した。

「領収書は」
「いくつか盗品もあるんだけど…」
「きさまの裁量だ。NATOは関知せん」
 何枚かの領収書を受け取ると少佐は長財布からざっと紙幣を渡した。伯爵はとりあえずもらっておいた。二人揃って額を確認していない。

「お役に立てそうかな」
「これだけあれば…大方メドがついた。あと一、二時間でカタがつく」
「それはよかった」

 窓に面した部屋は二つ。
 寝室と伯爵が侵入した居間。長期滞在型の部屋だった。
 寝室奥側の壁に面した大きな机。コンピューターの周りには雑多な資料類、書類。
 伯爵には自分が持ってきたものがどう少佐の役に立つのか見当も付かない。

 さっさと少佐はその『仕事場』に篭ると任務に没頭しはじめた。
 上の空で伯爵に言った。

「ご苦労だったな。帰ってよし」

 少佐のおいしそうな背中を見つめてにこにこしていたはずの伯爵が、途端に不満の声を上げた。
「えええええー? それはないよ少佐」
 コンピューターを睨んだまま少佐が言う。
「…日当でも払えと言うのか」

 返事がない。少佐の眉間の皺が深まる。
 肩越しに少佐が頭だけ伯爵を振り返った。

「金なんかいらないさ……わかってるだろう少佐」
 腕を組んで寝室のドアに背をもたれた伯爵は、意味深な視線を投げかけた。


     ***


 邪魔するなら帰れ!、と銃まで突きつけて脅されたが、伯爵はひるまなかった。

「食事くらい付き合ってくれてもいいじゃないか!」
「任務中だ!」
「大人しく待ってるよ。一、二時間で終わるんだろう? シャワー借りるよ。私の協力を無駄にするなよ。頑張って任務を仕上げてくれたまえ」

 少佐の反論を受け付けない構えで、人差し指を少佐に向けながら矢継ぎ早に言いたいことだけ言いながらバスルームに向かう。
「そうだ、ルームサービスを呼ぼう。どうせ簡単なもので済ましてばかりだったんだろう? 君の声で頼むから大丈夫。任務完了祝いなんだから 少しぐらい多めに頼んだって怪しまれないよ」


「まだ終わっとらん!」


 少佐が怒鳴る前に逃げ込むようにバスルームの扉がピシャッとしまった。
 小さく舌打ちして、コンピューターに向かう前に、床に散らばる赤い薔薇が少佐の目に入った。
 片付けたいが任務完了を優先した。

 少佐も腹は減っていた。


     ***


 バスルームで半脱ぎ状態で床にへたり込んだ伯爵は、便器の蓋に顔をつっぷして撃沈していた。

 ごくたまに二人きりで会ってくれるようになったものの、少佐は相変わらずケチな男だった。
 顔を見れれば丸、しばらく一緒に過ごせれば二重丸、一緒に食事ができれば三重丸で、その先があれば花丸付の五重丸だ。 だから今だに伯爵は、大抵やすやすとは少佐にさわれなかったし、少佐の姿を目にすると、本人に気づかれぬようなんとかさわろうとする伯爵の指先が、 緊張と興奮のあまり震えるのも相変わらずだった(苦)。

 なのに今日はいきなり冒頭抱きしめられた(←違う)。
 しかもあんな、骨も折れんばかりに狂おしく(…)。
 今でもあのときの甘美な痛みが伯爵を悩ませる。

 耳元で声を殺して囁かれた「伯爵か」という少佐の声。
 その囁きたった一言でシビレてしまった。

 実はあの時点で伯爵には簡単にスイッチが入ってしまったのだ。
 それを表に出さないよう伯爵は必死だった。
 なんせ少佐は、一線を越えてからでも、明るいうち(←電灯も含む)から『そういう雰囲気』で伯爵が迫ろうものなら途端に怒り出し、 その時点で容赦なく逢瀬自体が終了となってしまうのだ。
 そんな気難しいくせに、自分からは容赦なく無意識に伯爵に火を点ける。

 …本当に厄介な男だった。


     ***


 およそ三時間後、すでにルームサービスも頼んでしまい「先に食っとけ」と言われた伯爵が一人寂しく居間で食事をしはじめたところに、 タバコをくわえた少佐が姿を見せた。

「終わった?」

 千切れんばかりに尾を振る犬の内心を隠して見上げる。
「いや、思ったより面倒なヤマだった」
 うつろな目にテーブルの上の料理を映して、少佐がイライラと少しネクタイを緩めた。
 伯爵は目の前のご馳走より、明らかにそちらに生唾をひとつ飲んだ。
 平静を装って訊く。

「私に手伝えることは…」
「ない」
「君も少し食べたら? メドは立ってるんだろう?」

 邪気のない笑顔で誘ってみる。
 深いため息をついて、少佐が斜め側の一人がけソファにどさっと座った。

「…完了後の方がうまい」

 空腹と睡眠不足を抱えた少佐は実にセクシーだった。
 本人には悪いが、伯爵はそんな少佐がすぐそばに座っただけで猛烈に興奮してきた。

 ワイシャツの袖口は両方肘までまくっている。
 その前腕。体つき。
 ここまでそそられるワイシャツ姿の男を、伯爵は見たことがない。

「一口ぐらいいいじゃないか。ここのルームサービス結構イケるよ。特にこのローストビーフなんか…」
 少佐が伯爵の皿からその一切れを摘まみ上げ口に放り込んだ。



 少佐の摘まみ食い!(しかも私の皿から!!)



 きっと疲労のあまり警戒心も薄れているのだろう。
 想定外の親密なしぐさに、恋情を鷲掴まれた伯爵の興奮はもはや最高潮に達した。
 そんなこと想像もつかない少佐は、とどめに人差し指と親指についたソースまで目の前でしゃぶってくれた。

 口を半開きにした伯爵が少佐に釘付けだった。

 自分の中で『一口だけ』とでも縛りを設けているのか、美味かっただけに不快そうに「フン」という表情で、 テーブルの上の料理を目に入れないようにタバコを吸っている。




 もう何をどうされてもかわいすぎる…!!!



「少佐…」

 うつむいて伯爵はぶるぶる震えていた。
 突然テンションが下がったような伯爵の方を、不審げに少佐がチラッと見た。





「君にさわりたい」


 ぶわっ


「な(げほっげほっ)…に(げほっげほっ)…を(げほっげほっ)…」

「こんな拷問もう耐えられない! 目の前にご馳走があるのに手も出せないなんて!」
「それはおれの台詞だ! きさまは飯を食っとるだろうが!」


 このサッパリわけのわからない口論で、少佐はさらにエネルギーを消耗してしまったが、そのままの怒りのテンションで 任務の最後の山場をあっさりクリアできてしまった…。


     ***


「任務完了おめでとう」
「…民間の協力感謝する」
 ふたりはチンとグラスを合わせた。

 ようやく腹も落ち着いて、少佐が食後の一服を味わっている。
「きさまも飲んだらとっとと帰れ」
「もう電車も飛行機も動いてない」
 伯爵の台詞に少佐は苦虫をつぶしたような顔をした。
「だったら宿でも探すんだな。あいにくここは一人部屋だ」
「私は一向にかまわないよ」
 しれっと言う伯爵を眼力で射殺すほど睨みつける少佐。

「じゃあ勝手にここのソファで寝ろ。今夜のベッドは絶対譲らなんからな!」
 そう言い捨てて少佐はバスルームに向かった。

 どのくらい眠れなかったのか。おそらく少佐の全身を「睡眠欲」が襲ってるんだろう。
 しかし伯爵も少佐に負けず劣らず「少佐をさわりたい欲」に全身襲われていた(苦)。


     ***


 セミダブルのベッドの中央に律儀にガムテープが貼られた。
 なんとか少佐を言いくるめて伯爵はここまでこぎつけた。天才的な話術だった(苦)。

「越境してきたら射殺する」
「よろしい。約束だ。君の睡眠の邪魔はしないよ」

 誓約でもするように伯爵は右手を上げて宣言した。
 胡散臭いので少佐はもちろん無視をした。

 二人とも大柄なので少々狭いが、少佐はもともと狭いベッドにも慣れているし行儀よくまっすぐ寝るタイプだ。 伯爵に至ってはこの際もっと狭くてもいいくらいだった(苦)。
 案の定、部屋の明かりが消えて真っ暗になってから一分もしないうちに伯爵が越境してきた。

「あっこの野郎…!」
「こんな境界線、越えないわけがないだろう!」
 真っ暗闇の中、二人の本気で言い争う声だけが派手に交わされる。

「契約違反だ! 睡眠妨害!」
「契約は破棄させてもらうよ。遠慮なく撃ってくれ。会いたかった少佐もう我慢できない!」

 ぎゅうううううっと伯爵が懇願するように少佐を抱きしめた。
 極度の睡眠不足と疲労で全身疼痛に襲われていた少佐だったが、その痛いほどの伯爵の抱擁で、ついに少佐の中でも何かがキレた。


     ***


 翌朝、伯爵が目覚めた時には、もう少佐の姿はその部屋にはなかった。
 ゆうべまでここに『少佐がいた』という痕跡すらない。
 いつものことだった。

 ゆうべもめちゃめちゃ素晴らしかった。
 やはり任務完了時の少佐は格別中の格別だった。
 伯爵はもうこのまま死んでもいいくらいの絶頂感にひたりながら、 情事後の恍惚フェロモンを垂れ流していた(苦)。

 少佐と夜を過ごすと、しばらく数日は極度の愛されしあわせフェロモンが出っ放しになってしまう。自分でも信じられなかった。

 男色家でも本来伯爵の嗜好はタチ(攻)だ。
 子供の頃は当然『愛される側』が多かったが、ある程度の歳になるともう立派に美青年たちを食いまくっていた。愛する者が自分に翻弄されるのが好きだった。

 実は少佐とそうなるまで、ネコ(受)はとんとご無沙汰だった。が、昔とった杵柄なのかなんなのか、伯爵は受という役割も十分うまかった。 男ははじめてのはずの少佐がすんなり伯爵を愛せたのも、この要因がひとつ絡んでいる。伯爵には何より少佐への絶対的な深い愛情があった。

 本来は少佐相手でも、もちろん攻めて攻めて攻めまくりたいはずの伯爵だが(苦)、自分のその狂おしい思いをはるかに凌ぐ思いで少佐を愛していた。

 なんせあの少佐だ。
 正気だったら『男に愛される』などという屈辱に甘んじるわけがない。本当のところ伯爵は、少佐の意地もプライドもすべて 何もかもが愛おしく守りたいほどに大切に思っていたから、たとえ自分がどんなに望んだところで少佐とはそういう関係にはなれないと思っていたし、 それでもかまわないとさえ思った。(実際(原作でも)チャンスがあれば常にトライはしていたが、おそらく一生無理だろうということもわかっていた(苦))。
 そうこうしているうちに、思いがけないきっかけ(『最後の七日間』参照)から、うっかり愛してもらえてしまっただけだ。

 そして一度味わったらもうだめだった。

 とにかく少佐にさわりたい。さわれるんだったら何でもする。
 やるかやられるかなんてこの際どうでもいい。

 しかも少佐に会えるのはそう頻繁ではなかった。だからこそ喜びが倍加してしまうのかもしれないが、『少佐にさわれる』というだけで 身体中の全細胞が狂喜するのを感じた。

 少佐は、伯爵の予想を裏切って、トーヘンボクどころかソッチ関係はかなりのハイレベルだった(ムードづくりは最悪だったが)。 伯爵とは全然違うタイプながら、少佐も相手を翻弄するのはうまかった。そのメリハリの効いた緩急の付け方やツボを心得た スマートな進め方は大抵の相手を満足させるだろう。伯爵ももちろん夢中になった。

 が、一番伯爵がヤラレたのは、そんなコト見るからに乱暴そう・杜撰そうなくせに、 実は平均をはるかに超えたレベルで、すべてが、なにもかもが、ありとあらゆることが『優しかった』というギャップだった。

「………」

 自分のテリトリーに入れた者にはとことん情が深いということか。
 少佐のソレはS××ではなくまさに愛情表現だった。

 ――ロマンチスト。

 出会った頃、磨き抜かれた鋼鉄の色がいい、などと言い出した少佐と妙につながった。

 そこに愛があろうとなかろうと、あんなふうにふれられたら、ふれられた方は『愛されている』と錯覚する。誰であっても。
 だからこそ少佐の過去を想像するとそれだけで猛烈に腹が立った。
 日ごろあんなに怒りっぽくて乱暴で暴力的なくせに…詐欺だ。

「くそ…少佐め」

 悪態をつきながらすねるように伯爵は爪を噛んだ。
 こんなにもその何もかもが自分を夢中にさせる少佐が許せない。が、どうしようもなかった。とにかく伯爵は少佐に惚れすぎていた。 だから少佐が『上手い』『下手』以前の問題として(もちろん『下手』ではないのだが)、その最大最強の理由ゆえに、 情事の度に伯爵は少佐に完璧に骨抜きのメロメロにされていた。

 少佐に愛してもらってしまうと、もうそれだけでしあわせすぎて、自分でも意識して注意しないとすぐに恍惚の表情となり、頬は火照り、 目はうつろで、頭の中にはもうあのときの少佐とのあれやこれやのことしか考えられなくなる。

 吐息は甘く切なく、全身を襲う疼痛すら愛おしく、少佐の軌跡をなぞるように自分で自分の身体をたどり、さらに切なくなってしまったり。

 一人でいる時ならまだいいのだが、伯爵も大抵、部下その他の他人との生活時間が長い。こんな完璧骨抜きのとろとろ状態を知られ、 さらに少佐との関係が公になったりしたら命取りなのだ。なんせ少佐は世界中の敵に常に狙われるNATO軍の花形(?)スパイなのだから。

 紅潮する頬を両手でおさえつけ、ゆうべのしあわせを反芻してはうっとりしてしまう自分の頭を懸命に振り払いながらながら、 そろそろチェックアウトの時間だ、と、腕をついて身を起こすと、サイドテーブルに一輪、赤い薔薇がグラスに挿してある。

「………」

 伯爵が真っ赤になって固まった。
 昨夜私が持ってきて散らかしてしまった薔薇「エロイカ」の一輪だった。

 この小憎らしい演出。
 というか演出ではないんだろう。だからこそ…

 またしても少佐に恋情を撃ち抜かれてしまった伯爵は、力なく再度ベッドに倒れこんでいた。


     ***


「伯爵…少しは食べた方がいいですよ」

 ボーナム君の声に、ハッと我に帰った伯爵は、自分から放出されていた空気中のいかがわしいフェロモンを慌ててぱっぱっと払い、 布団を被ると「う〜んう〜ん」と苦悶の声を上げてみせた。
 小さいノックの後、ドアをチャッと静かに開けて、トレイにサンドウィッチや飲み物を載せて、ボーナム君が伯爵の寝室に入ってきた。 布団の中で唸り続けている伯爵をかなしげに見つめる。

「伯爵…」
「ありがとう…でもごめん。食欲がないんだ」
 事実だが本音は悟られないように、殊更苦しそうに布団の中から伯爵が言う。

 外泊の後、決まって寝たきりになる伯爵。
 頻繁にあることではないからと、ボーナム君も目をつぶってきた。が、このただ事ではない伯爵の苦しみようは……

 ついにボーナム君はぎゅっと下唇を噛んだ。

「伯爵! もうやめてください!」
 ボーナム君が突然叫んでいた。

(――え?)

 布団を被ったまま、伯爵はボーナム君の側(がわ)をうかがった。
「どれだけひどいことをあなたにしているんですか? 少佐は!」
 ボーナム君の必死の涙声はすでに震えていた。
 日ごろ温和なだけに、こんなボーナム君の声は滅多に聞かない。

(え? ヒドイこと?………は、確かにしてるなイロイロと。うん)

 ボーナム君の台詞に、布団の中でひとり神妙にうなずく伯爵。
 朝この私をホテルに置き去りにしたり、用が済んだ途端「帰れ」と銃を突きつけたり…と指を折って数えてみる。

「もう見ていられませんよ! 少佐に会う度にこんなにやつれ切るあなたは!」

 一瞬虚を突かれたが、その後納得して苦笑した。
(あ…は…は………………はあ。)
 ボーナム君はそのままベッドの傍らに立ち尽くして「ひん」と片腕で両目を覆い泣き出してしまった。

 どうやら演技過剰だったらしい。
 どうしようもなかった。
 上半身裸の伯爵は背に布団をまとったまま、身を起こし、ベッドにぺたんと座った。枕を抱きかかえている。

「あの…ボーナム君?」

 もうすでにボーナム君はおいおい泣いている。
 手が付けられない。
 伯爵も困ってしまった。
 枕を手放して、ボーナム君の方に寄ってゆき、優しくなだめてみる。

「そんなんじゃないんだよボーナム君。泣かないでいいんだ。私はちょっと、その…少佐と腕相撲をしてるだけで…筋肉疲労が数日取れないというか…」

 ――腕相撲?

 あまりにもお粗末な嘘に驚き過ぎてボーナム君が泣き止んだ。
 涙の向こうからボーナム君が伯爵を凝視する。
 伯爵が優しく苦笑していた。もう隠し通せない。

 伯爵がぎゅっとボーナム君を抱きしめた。
「『腕相撲』…ということにしておいてくれないか? 頼むよボーナム君」
 切なく甘い表情で、身をすり寄せて伯爵がボーナム君に懇願した。

 伯爵はいつもいいにおいがしていたが、その日のレベルは群を抜いていた。
 頭のてっぺんからつま先までぶるっと震えて、ボーナム君はひたすら動転した。
 昔から非常に美しい人だと知っていたが、今自分を抱きしめている伯爵は(チラッとしか顔は見れなかったが)もうそれどころじゃない、 怖いぐらいの美しさだったように思う。

「伯っ…えっ…あのっ…えっ…」

 あまりに動転しすぎて、ジタバタと暴れもがくボーナム君が、気絶してもう何も言えなくなるまで伯爵はひしっとボーナム君を抱きしめ続けていた――。


     ***


「…少佐、来れないってさ」
 伯爵が携帯電話を折り畳んで振り向いた。

 ボーナム君があまりに心配するので、次の呼び出しのときには一緒にプラハまで来てもらった。が、その後、任務の都合で 「何時に行けるかわからない」となり、結局ホテルまでボーナム君と来てしまってから、「確実に来れない」というキャンセルの連絡になった。

「二回に一回はこんなものだよ。がっかりして寝込むか、会えてもそれがバレないようにオーバーに芝居をして寝込むか。 どっちにしろ寝込むからボーナム君を心配させちゃってたんだけどね」
「………」

 ボーナム君は黙って伯爵を見つめた。

 恐らく嘘ではないのだろう。
 何より証拠に、やはり見れば見るほど今や伯爵は、以前にも増して本当に美しくなっていた。少佐の連絡を受けた伯爵は、 愛されているからに違いないようなこぼれるような笑顔を見せ、結局会えないとわかってからの、気落ちを押し殺した伯爵ですら、 頼りなげな美しさが研ぎ澄まされていた。

 伯爵が殊更明るく提案した。
「せっかくだから泊まっていこうよボーナム君」

 見当違いな心配で大騒ぎしてしまったボーナム君は若干負い目を感じているようだ。拗ねるようにしょぼんと言った。
「…私には少佐の代わりは勤まりませんよ」

 伯爵はやさしく微笑んだ。そして囁いた。
「ボーナム君にはボーナム君のよさがあるんだよ」
 伯爵はボーナム君の肩を抱いてくすっくすっと笑っている

 美しい伯爵に大甘のボーナム君は、少し頬を染めつつも、心から困った顔で伯爵を見ていた。

「…罪なヒトだ…」


     ***


 伯爵はボーナム君を愛していたし、ボーナム君ももちろん伯爵を愛していた。が、伯爵の部下には珍しく、 いまや完全に清い愛情で結ばれた部下だった。別に境界線なんか引かなくても、これまでも同衾しても間違いは起こらなかったし、 その日も仲良く二人一緒のベッドに並んだ。

 就寝前、部屋の明かりを消して伯爵が「おやすみ」と言った後、暗闇の中でボーナム君はダメ押しのように伯爵に確認した。

「伯爵、しあわせ…なんですね? ホントに」

 ボーナム君の思いが痛いほどわかって、伯爵は真面目に答えた。
「ああ、この上もない程に…ね」
 伯爵がそのしあわせを噛み締めるように目を閉じた。

「…じゃあもう私は何も言いませんよ」
 暗闇の中、かすかに見えるその仰向けた横顔に、ボーナム君もようやく安心してため息まじりに笑うと伯爵に背を向けた。

「おやすみなさい」
「おやすみ」

 伯爵はその背中に親愛と感謝のまなざしを向けてから、心の中で「おやすみ少佐」と恋しい相手を思い甘い吐息をつくと、うっとりと夢の中に落ちていった。








FIN



エロイカより愛をこめすぎて
 act.02桃色吐息

The Sigh of Amorous Affair
From Eroica with too much Love


ニ0一0 一月二十日 脱稿
サークル 群青(さみだれ)
 

はい! どうもお疲れ様でした〜。新春?二作目孤独企画
「エロイカより愛をこめすぎて」act02『桃色吐息』でした〜。ドンドン、パフパフ。

ふう(ちょっと燃え尽きた(笑))。どうよ?この薔薇。
私もフツーならここまで薔薇なんてアイテムとして出てこないでしょうね。 さすがエロイカさん(笑)。無駄なほどに華麗。アダルト。

そもそもコチラ、「伯爵が情事の後に吐息を吐きまくる」ということしか考えてなかったので、ホントにハナシになるんかいな、 とむしろ完成を期待していなかったのですが、書く間にあれよあれよと少佐がかわいすぎて(笑)。 ここのくだりはWEB版より紙版の方がトキメいた悶えた一人で(笑)。
いやほんとにね。ほんのちょびっとしか会えないからなのかなんなのか、そのほんのちょびっとが実にね。たまらんとですよ。
(しかしエロないな〜。大丈夫かなアタシ(笑)。つかホントにこんなんでいいのかな〜。難しいな〜少佐×伯爵(笑))

舞台に使ったル・アーヴルはフランスの港町で、私も一度行ったことがあるんですが ルーアンと迷った。どっちも花が実に綺麗だったな…と記憶しています。 ルーアンの方が古い教会とかが山盛りあるんだよね。さみだれさん教会大好きなんですよ。 でもル・アーヴルの普通の公園の緑の美しさ(ジヴェルニーみたいな雰囲気)や、 光溢れる感じ、目が合うとオバサマたちが何の気負いもなく挨拶してくれるところが、 とても好印象だったらしく決定。
街自体は、歴史を感じるよりむしろ近代的な印象。 伯爵の趣味とは全然違うかもしれないけど(しかもフランスだし(笑)) いいんです!私が気に入ったんだから。
プラハは行ったことないけど行ってみたい方の街ね。
ヨーロッパが舞台のハナシっていいわあ。 私ヨーロッパ大好きだから。選ぶだけで楽しい。

WEBのいいところは、一発アップしちゃっても、直したいところが随時直せるところ。 これがアナログだと、それなりにお金もモノも動くし後から訂正できない。 とはいえ、一度アップしてしまったものは、その一度目で読まれたら、またしつこく読む人ってそうはいないだろうから(ごくたまにいるが(笑))、 やっぱりできる限り自分の中では「完成形」にしてから出したいんですけどね。実はまだこれ多少動きそうなんですよ。変に冗長になってしまったところとか。 でちょっと迷ってるんですけど、なんかカウンターが前より動いてるんで(って前が動かな過ぎなんだけど(笑)) せっかく足運んでもらってみやげがないって申し訳ないよな…って感じで、とりあえずアップしてみます。
00もできてるんで、むしろソッチの方が超短いし上げやすいんですけど、あまり一生懸命読まれると困るシロモノなので三番目くらいに上げようかと…(笑)

続きはますます難しい「秘密」ですよ。
オリキャラ出ますよ。学生時代(寄宿舎時代?)、伯爵に弄ばれた美青年が。頑張ってくれよオレ(苦笑)。

お読みいただきありがとうございました。
(by さみだれ)






back