1998年 9月 北海道帯広への旅 (4)


4: 宿舎、それは闘いの場所でもあったりする

旅館到着。17時前。旅館の入口を入る。部屋割りを見る。合格発表を見るような気分。自慢ではないが、私自身、合格発表の掲示板でガッツポーズをしたことがない。掲示板を見るときには結果があらかじめ通知されているか、もしくは不合格だったからである。しかし、今回は部屋が小さいので、自分の寝るべき部屋は呑み部屋にはならないだろう、と高を括っていた。ところで、その部屋割りはもう忘れてしまった(笑)

我々のサークルが合宿をすると、部屋は大体7部屋か8部屋ほどを取るのだが、うち1部屋は「呑み部屋」、もう一つの部屋は、前の別府合宿で私を不眠に追い込んだ、憎んでも憎みきれない「麻雀部屋」、略してジャンベヤとなる。略称までついているのが、私には何とも許しがたい所である。ちなみに呑み部屋は大人数が集まるため、一番広い部屋になることが多い。

その後、夕食までは同学年の皆と部屋で盛り上がる。そこに上級生M氏がいらして(^^;、特急券をたくさん見せて下さる。「昔は、おおぞら1号、おおぞら2号、おおぞら3号とかの特急券でトランプができたんだよう」(・_・;;;; さすがは鉄道研究会。 研究会じゃなくて、ただ遊んでるだけじゃん(笑)

夕食(宴会)は6時半から。あらかじめ料理が置かれている。うまそうだ。2年S氏の乾杯で食事開始。食事開始後20分、当会恒例の「経路紹介」開始。当会会員の性格があらわになる瞬間であり、個人的には楽しみな一番である(謎)

それを聞いていると、出発日9月1日(合宿当日) は、自分とOD氏ただ二人だけで、あとは全員、8月25だの26だのと、バラエティに富んでいる。中には8月18日とかがいて、健全な私は例によって驚きの表情を隠せない。しかし出発日は早いが、自分なりに楽しんでいるようで。観光に鉄活動に、縦横無尽に駆け巡っている。

そんな中、ただ一人「JR全線乗り潰し」の為だけに奔走している男の存在があった。2年J氏。経路紹介は他人のそれとは明らかに違い、「OO線に乗ってOOへ行って、そこで駅寝して、OO線に乗って・・・」しかも、それがあまりに長く、宴会のお開きの時間が迫る(笑) 仕切っていたS氏は、「じゃあ、乗り潰した路線名だけを挙げてって下さい」と、半ば本気な突っ込みを入れる。このJ氏の行動は、J氏には悪いが私にはちょっと理解できない。しかし、乗りつぶしの行動をJ氏は嬉々として語っているのを見ると、本人は満足しているようだ。この人、将来大学の教授になったら面白いことになりそうだ。今後の動向に大いに注目したい。

私が、台詞を忘れて上級生にいい加減な掛け合いをしていたせいか、場は白け(失礼)めでたくお開きとなる。部屋へ戻ろうとすると、部屋の鍵が閉じ込められてしまっている(笑) JAF でも呼ぼうかと思ったが、4年の人がフロントにかけあってくれたので、事は解決。布団も敷かれ、風呂入って寝るかぁ、と思った矢先、呑み主力のM氏曰く、、

「おぅい、ここ呑み部屋になるからな。」 ・・・・ 私は布団ごと、OD氏の部屋へと移動した。

私が布団ごと部屋を移動する状況に追い込まれたのは、いままで3回経験した合宿(新入生歓迎合宿は除く) のうち2回。打率 0.667 というハイ・アベレージである。いい加減にしたい(笑)

OD氏の部屋は、もの静かなメンバー。しかし、右隣が呑み部屋。左隣が麻雀部屋。この夜は、OD氏と夜2時近くまで話していたが、呑み部屋から聞こえる音声は 「アハハ」「ワハハハハ」「イヤイヤイヤ・・・(?)」「ドスン(?)」 、かたや麻雀部屋からの音声は「アハハ」「ワハハ」「クソォ」「アーッ」「ジャラジャラ・・・」「中央林間、南ぃ林間、ヤーマートー(宇宙戦艦ヤマトの小田急線版替え歌)」 など豊富であった。ただ、壁越しということで、さほど気にはならなかった ( 呑み部屋の ドスン という音は、それなりに耳障りではあったが。。。)

さすがに、各部屋とも2時半までには床に入ったようで、明朝の朝食をブッチした(寝過ごして食べなかった)人は皆無であった。朝食は例のごとくバイキング。だが品目が少ないので、ほぼ全種類を取らざるを得ない状況。ですが十勝産であろう牛乳は美味しかったです(^^)v

次回、合宿2日目。北海道の広大な大地へ!