4:合宿2日目の夜
中津から、古い特急に乗って別府へ向かった。当初は別府で降りるつもりだったが、なぜか別府から3駅離れた大分駅へ行くことになった。3年生1人は別府で降りていったが、残る1年生3人は大分駅で降りることにした。 大分駅は、中津や別府とは比較にならない大きな駅であり、さすが県庁所在地といった感じである。ここで解散ということにして実際に解散したのだが、気がついたら3人で府内城跡へと向かっていた(^^; ここは石垣のみ残存しており、天守閣のあった場所は駐車場になっている。ある一人だけが嘆いていた。
別府の宿舎に着いた。午後5時半ごろである。ほどなく夕飯のお呼びがかかり、席につく。「九州は魚がうまい」というが、肉料理が意外と多かったのは、大学生の集まりということを考慮してのことなのだろうか。
夕飯の宴が終わり、501号室に戻ると予想通り布団が敷かれていた。ここで作戦開始である。布団をまとめて、私は日中同行した3年生の居る506号室へ移動した。このために、今夜寝かせてくれと昼間からお願いしていたのだ(^^; この部屋のメンバーからして、ここだと確実に眠れる、と判断してのことである。やはり501号室では麻雀が開始されていて、しかも負けている人がかなりエキサイトしていた(笑) 聞くところによると、この夜も3時半まで続いたそうで、布団の大移動は正解であった(^^) ただ、朝に布団を再び501号室へ戻すのは疲れた(^^;
5:博多へ、そして熊本へ
2月18日、サークルの合宿の最終日。この日は、博多でサークル1年生だけの食事会&泊まりもある。熊本へ行こうとは前まえから友人と相談していたが、別府からの熊本ゆき直通特急は8時過ぎであり、まず起きられないだろうということで博多経由とした。前日の経験からして、「別府からじゃ座れないから始発の大分まで戻って、そこから特急に乗ろう」と言ってみた。この策も見事に的中した。大分発、博多行き特急。名前は例によって「ソニック」であるが、列車は始発の大分から満席状態。次の停車駅の別府では、ほとんど空席なしであった。
この電車は、途中の小倉駅から逆に進行する。 列車は昼過ぎに無事、博多到着。コインロッカーに大荷物を託して、ここから熊本までは「つばめ」という特急に乗る。西鹿児島行きのこの特急は、「ソニック」に劣らずデラックスなものであったが、自由席はほぼ満席。 こう言っては悪いが、博多から鹿児島行きの特急なんかガラガラだろう、と高をくくっていた自分が甘かった。 熊本というと、プロ野球・広島カープの前田選手を輩出した所である。やはりその前田に似て、頑固な人が多いのだろうという先入観があった。
特急「つばめ」の車内で隣に座っていたのが、ちょうど熊本の人だったので色々と話を伺うことができた。熊本の人は、やはり「頑迷固陋」なのだという。そして、新しい考えを受け入れないとのことである。この人情に合わない人は、熊本にくらべて自由度の高い博多などへと移住してしまうらしい。これは、麻雀に合わない私が部屋を布団ごと移動したのに似ている(笑) そんな熊本県民が勧める観光地は、と尋ねると、「熊本城」「水前寺公園」「田原坂」と挙げられた。夕方までには博多に戻らなくてはいけないと言うと、「時間がないんなら、タクシーで回らないと」と言われ、そんなに遠いのか? と恐れたが、後で行ってみると市電でわずか10分の場所であった(^^;
このほかにも、熊本と関わり深い明治10年の「西南戦争」の話などしてくれた。熊本県民は、ほとんど西郷隆盛方につき、新政府と戦い敗北した。「会津」も似たような境遇だが、これがもとで古き伝統を守り続ける(要するに頑固?)性質が生み出されたのだろうか。ちなみに、西南戦争の一番の激戦地が熊本近郊の「田原坂」である。 、、なんか堅い話になってるな(^^;