1998年2月 九州北部への旅 (3)


3:別府タワー

2月17日、合宿2日目。朝飯を食べおわると、それぞれレンタカーで各方面へ向かっていった。私はレンタカーに乗る予定ではなかったので、3年生1人、1年生2人と私(1年)の4人で、ひとまず別府タワーへ行くことにした。寝ていたかったのだが(^^; 余談であるが、この3年生というのは、中学・高校時代に同じクラスの友人であった人である。気がついたら、私と2年も学年が離れてしまっていたというわけだ(^^; 良く解釈すれば、私が3浪していたら、この日は、今自分が在籍している学部の試験日であったはずだ。そう考えると、心が開放された気になった(笑)

別府タワー。入館料は大人200円。エレベーターで17階へ上がる。なんで「17階」なんだ? その17階に着き、そこで券を出す。朝なのでほとんど人がおらず、人の良いオバチャンが居た。「今日、どこ行くの?」「あ、あのまだ決まってないんですけど(^^; 」「今日は天気がいいから、どこ行ってもいいね」「そうですね」「別府の地獄巡りなんてどうだい?温泉だよ」「ここから、近いんですか?」「うん、バス乗ってすぐだよ」、、 このありがたいアドバイスをもとに、我々は特急で中津市へと向かった(笑)

歴史好きな1年生の一言で決まった中津行きだが、特急は前日とちがって大混雑。例によって「ソニック」なる特急で中津までノン・ストップで直行した。

 

4:中津、古い町並み

中津駅前。市とはいっても、田舎である。駅前には、早くも諭吉銅像らしきものがある。駅から2分も歩くと、もう畑、小さな通り、家という、典型的な田舎だ。そして、我々は奇妙な看板に出くわした。 「カレー、牛丼、コーヒー」、、なんという組み合わせなのだろう(笑)

駅から10分、まずは「福沢諭吉旧邸」に到着。近くの土産店からBGMが流れている。ラジオかどうかは解らないが、まず流れていた曲は、演歌。しかも、普段耳にするそれとは異なる、なにか怪しげな演歌だった。「地元出身の演歌歌手か?」、と思い500円を払って入る。私は小銭がなかったので、「ここは先生しかないだろう」と主張してごまかしつつ1万円札で払い、大量に釣りをもらった(^^;

一通り見て回る。保存状態は、まあまあ良かったといえる。山陰にあった某氏の旧宅には「セコム」がついており、台無しであったのに比べれば良い。 いつしか演歌は終わっていて、次に流れたのは「シャ乱Q」の曲であった(笑) 次に記念館。福沢の一生などが展示されている。普段は美術館や博物館などに興味のない人も、かなり見入っていたようだ。そして、福沢がモデルの1万円札の「1号券」がここにあった。

既に12時を回っていたが、次の目的地である中津城へ向かう。なんかジジくさいルートではあるが、何も見ないで帰るよりはずっといい、と考えていたのか、4人とも城へ向かった。この城は5階建てであるが、エレベーターはついていない(笑) 1階は例によってヨロイ、カブト等の展示。1人を除いて、興味なさそう(笑) 「これ、鑑定に出したら高くつくと思うよ」「マニアだったら、ね(笑)」

2階へ上がる。「特別展示室」と書かれた小部屋があるので、名前につられて入る。中身は1階と大して変わらない(笑) しかし最後の1枚の絵で歴史好きな一人が反応した。長篠合戦の絵巻らしきものだが、なにやら絶賛していた。良くわからない(笑)

最上階は5階で、ここが例によって展望台である。眺めは最高だった。のどかな風景。川が流れ、大量のカモメが眼下に見える倉庫の天井で寝ている。そして、ここで私と別の1年生がラジオを取り出す。既に金メダルを取った後だった。時計は2時を回っていた。いくら競技が延び延びだったにしても、2時だったら終わってるよなー(涙) もう一人は、どうやら四国のFMを聞いていたらしい?(^^;

昼飯は、さんざん迷ったあげく、駅前の商店街の、とある小さな大衆食堂。「おい、ここ大丈夫か?」「あ、今おばさんが出てきたから大丈夫だろう(笑)」「あ、それに厚生省認可って書いてあるし(笑)」「でも、ふつう表にこんなの出すか?」「いいよ、厚生省が認めてるんだから大丈夫だろ、入ろう」 、、こんな会話のわりに、私が食べたエビフライは絶品であり、心配は吹き飛んだ。

昼飯を食い過ぎ、夕飯が食えるのだろうかと贅沢な心配をしながら、特急で別府へ戻るため駅へ戻った。

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