8: 7月27日: ワシントンDCへ
4日目の朝は、バスに乗って再びローガン空港へ。そこから、USAirways という飛行機でワシントンDCまで飛んだ。地理的に、ボストンとワシントンDCの間には、ニューヨークという都市があるので窓から見えるかと思ったが、結局海しか見えなかった。
アメリカン航空といい、USAir といい、座席の前には電話がある。クレジットカードを通すと電話ができるらしい。
機内誌は全て持ち帰ったが、なにせ全部英語である。 USAir は、機内誌を通して「自称世界一の航空会社」をアピールしていた。
ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港。
もともとはワシントン・ナショナル空港だったのが、レーガン大統領の誕生日にプレゼントとして名を付記することになったそうだ(ガイド談)。
ここワシントンでは、観光をした。というよりは、観光地以外には見るべき所が少なく、いわば霞ヶ関に住宅地をくっつけただけのような都市である。
だが、都市自体は計画整備されているので、美しいし車も走らせやすそうだった。まずはリンカーンが座っている記念館、そして戦争が近くなるとテレビによく登場するペンタゴン(車窓から)、ケネディらが眠っているアーリントン国立墓地(飛行機が3分おきに飛んでくる)を散策した。この墓地は、「アメリカに尽くした人々が眠る墓地」とのことである。死んでからも飛行機が見たいぞ! という人は、いますぐアメリカ合衆国の利益になることを実行し、この墓場に葬られるのが良い。
そして、
↑ 写真映りが最も良いといわれる国会議事堂(キャピトル)。
↑ 遠くから見たホワイトハウス。
この日は、ワシントンは34度。アメリカでは摂氏ではなく華氏で表示するので、華氏だと約93度になる。ガイドいわく、「今日はまだマシ」だそうで、前日までは摂氏40度近くあったようだ。そして、そんな日は墓地散策どころではない、ともおっしゃっていた。
アメリカでは、速度もマイル表示される。標識も「35マイル以上のスピードを出すな」。35マイルといえば、時速60Kmくらい。日本人にとっては分かりづらい。最後に、スミソニアン航空宇宙博物館(スミソニアン博物館には、いろいろ種類がある)。この博物館に入ると、いきなりアポロ11号が転がっていた。ほかにも古い飛行機が吊る下がっていた。何より興味深かったものは、アメリカからみた第二次世界大戦の映像。東京大空襲の作戦などもあったが、現地では原爆といったらキノコ雲の形くらいしか報道されていないようだ。
これで宿舎へ帰還。ちなみに、この日の昼飯はシーフードのバイキング。珍しく盛り上がって談笑している現地人を見た。
ワシントンには黒人が多く、貧富の差が激しい。なので、治安は思ったほど良くないようだ。
さて夕飯となり、飲み物にビールを頼む。するとウエイターが寄ってきて、身分証明を見せろという。アメリカでは21歳以上でないとビールが飲めない。日本では、誰が注文しようと歳を聞かれることはないが、アメリカではこだわっているらしい。しかし、一体何歳に見られたんだ!?<自分
ちなみに、後ろでは修学旅行らしき一団が騒いでいた。修学旅行でワシントンか君ら!
9: 7月28日: 電車でニューヨークへ
5日目。この日は、amtrakという、日本で言うJRのような電車に乗ってニューヨークへ向かう。ところで、この旅行では、ニューヨークでの滞在時間が一番長かった。
この日は、8時発の Metro Liner に乗るため、朝6時20分にロビー前に集合がかかった。しかし、迎えに来るはずのバスが渋滞に巻き込まれたらしく (と運転手は言っていたが、本人が寝坊した可能性も否定できない)、バスがホテル前に着いたのは7時前。それまで添乗員は一人慌てていたところで、我々はロビーで談笑していた。バスが着いてから添乗員が運転手に叱責していたが、ここはどんなに自分が悪くとも絶対に謝罪しないアメリカ、運転手は終始、すまし顔であった。らしいといえば、らしいね(笑) さすがは戦勝国だ。
↑ ワシントンDCの中心駅、ユニオン駅。
ユニオン駅に到着。天井がやたら高かった。そして、電車にも無事に、間に合った。
↑ アムトラックのドル箱路線 Metro Liner 。
この電車は、朝の8時にワシントンDCを出て、メリーランド州ボルチモアに8時38分、ペンシルベニア州フィラデルフィアに9時45分、終点ニューヨーク・マンハッタン34丁目の一大ターミナル駅ペンシルベニア(通称 ペン・ステーション)に10時59分到着。ただ、やはり日本の電車ではないので15分ほど遅れた。