1: 7月24日: 自宅からシカゴまで(約17時間)
今回、ありがたいことにアメリカへ行く機会を与えて頂いた。その恩恵に預かって、アメリカを満喫してこようと決心したのは、4月頃のこと。ちなみに、ツアーはパックであり、家からの同行者は父親。
おおまかな旅程は、次の通りです。(太字は宿泊地)
成田>シカゴ>トロント>ナイアガラ>バッファロー>ボストン>ワシントン>ニューヨーク>成田
7月24日。朝5時40分。当然起きられるわけがない。少し寝坊するが、なんとか起きて横浜駅へ。そこからは 特急成田エクスプレス という、横須賀線利用者にとっては電車の本数を間引きされるだけの邪魔物に過ぎない特急に乗るのだが、この特急がひさびさに役立つ。
特急は東京・錦糸町まではノタノタと走り、そこからは飛ばす飛ばす。空港第2ビル駅という、外国人はおそらく成田空港駅と区別できないであろうその駅に着いたのは9時ちょうど。集合までは1時間半ほどあるので、3階出発フロアでくつろぐ。
10時半に空港カウンタへ出向き、11時にツアー参加者への説明大会。このツアーには、16名ほどが参加していた。半分は大家族(7人)であったのだが!
通関を難なく通り過ぎ、12時半ほぼ定時に離陸する。行き先はアメリカのシカゴ。成田を出ると、まず日本近海を北上。そのまま千島列島の東を進み、カムチャッカ半島のはるか東を進み、日付変更線を通って北米アラスカを通過。それからは南下する。到着20分ほど前になると、左手に5大湖の一つミシガン湖が見えてくる。到着10分前には住宅地が見えてくる。ちなみに飛行中、夜は2時間ほどしかなかった。
機内はというと、私のいた2階席は小ぢんまりとしていた。2階席(搭乗券に Upper Deckと書かれる)には、座席の横にも荷物棚があるため、物の収納には不自由しなかった。ただ足の収納場所にはやはり困り、エコノミークラスの不自由さを改めて痛感。11時間半の寝台便であるが、眠れない。これは、いわゆる「大垣夜行」の飛行機版であろうか。改めて大垣夜行に乗りたくなくなった。--;
機内、2階担当のスチュワーデスは2人。いかにもお局様風の方(日本人)と、香港支局からやってきた香港人の若手。香港人の若手さんは、お局様の叱責を幾度も受けていたようだ。
機内食は3回出た。1回目と3回目はまともな食事だったが、2回目はオムスビだけで、結局食べなかった。
2: 7月24日: シカゴから乗り継いで、トロントへ
シカゴ・オヘア国際空港 第5ターミナル到着。(日本時間午前0時;現地時間午前10時)
閑散としている。人口は300万くらいあるはずだが。それもそのはず、オヘア空港にはいくつかのターミナルがあり、第5ターミナルは主に国際線仕様のターミナルのようである。ここで入国手続。しかし、ここで私は怒られる。
「 Do you have a **+*+*+*?」
つい数日前まで前期試験のあった私としては、英語に耳を慣らす暇もなかった(言い訳)
現物を示されてやっとわかり、持ってないのでNOというと、相手がキレた。しかし、後ろに居た親がすぐに提示し、ここは一段落。どうやら、家族で1枚持つ申告書のようであった。さすがはアメリカ、入国審査に人一倍うるさい国。
次に手荷物受取。しかし、親のスーツケースが歪曲していた。航空会社に持っていくと、
「最終到着地のトロントで言ってください」 と責任転嫁した。さてここから、主に国内線の出る第3ターミナルまでは、モノレールのような交通で移動した。
↑ 第3ターミナル駅構内。東京の「ゆりかもめ」に似ている。
第3ターミナルは活気にあふれ、これぞアメリカといった感じ。ここで2時間ほど休憩し、カナダのトロントへ向かう。
どんな風に活気があったのかというと、
・ ある夫妻の開けようとした ”PEPSI” が大爆発 (私にも破片が当たる)
・ 空港には動く歩道がなく、代わりに(金をとる)専用車が通路を走りまくる
・ ガルベス(巨人軍)のような体型のアメリカ人が多数歩き回っている
・ 現地人は、自分の貴重品を放置したまま平然と場を立ち去る
そんなラブリーなシカゴをすぐ発ち、アメリカン航空という、機体が銀紙で覆い尽くされたような飛行機で約90分の旅。自称・世界一の航空会社の誇りからか、一応国際線だからということなのか、申し訳程度にまくらが置いてあった。私の分は下に落っこっていたが(−−;
しばらくして、トロント空港到着。ここの入国審査官は、「コンニチハ」と片言の日本語を話し、場を和ませていた。この時点で、まだ午後3時くらい。
トロント(英語では トーントォ と聞こえる) では、インド系・中国系・アメリカ系 といった、バラエティ豊かな「出迎え人」が多くて面白かった。旅行者を喝采で出迎える若者もいた。恥ずかしいだろうな。
手荷物であるが、今度は私のスーツケースも歪曲していた。合わせて持っていくと、
「NARITAで、JALのカウンターに持っていってください」 と、またしても責任転嫁!
3: 7月24日: ようやくホテルへ
トロントからは、専用バスでホテルへ。高速道路に入り、2時間ほど走った。ずっと海の上を走っていたようだが、海ではなくオンタリオ湖なのだそうだ。ちなみに、この時点でツアー客の70%以上が爆睡しており、現地のガイドさんがほとんど意味をなさなかったようだ。(笑)
ホテルは、ナイアガラの滝が見渡せるホテル。窓を開けると「ドドド」という音が聞こえた。ここは、アメリカとカナダの国境に位置している。
↑ 左がアメリカ滝、右がカナダ滝(Horse-shoe Falls)。
右のカナダ滝のほうが迫力がある。まず水しぶきの量が違う。夕飯を最上階で食べるが、激しい雷雨で滝どころではなくなった。生演奏の拡声機も壊れてしまったようだ。