ウルソーの目標を超えた男


ウルソーは、2000年シーズンが始まる前、75試合に登板すると言い張って、注目を浴びた。

もちろん、75試合に登板などできるわけがない。誰もがそう思っていた。
そして、結局、できなかった。

日本記録でさえ、78試合である。
プロ野球は全部で140試合。半分以上である。

 

しかしながら、この記録は同じ球団の選手により、翌シーズン見事に達成されることとなる。

その名は菊地原毅
左腕投手、つまり、ウルソーのライバルでもある。

相武台高校という、夏の高校野球・神奈川県予選でも4回戦まで持たないことが多い
この高校を出て、カープに入団。
2000年シーズンまでは、田中由基と共に「1軍のダメ投手」の肩書きを欲しいままにしてきた。

しかし、そんな菊地原も、すでにウルソーの前で大器の片鱗を見せつけていた。

2000年8月29日。
近鉄(2軍)を相手に、7回と2/3を無失点に抑えたことは、あまりに有名である。
余談だがこの試合、菊地原の後を受けウルソーが登板している。
(「今週のウルソー」のURSO TIMES、9月4日号を参照)

菊地原は78試合に登板し、稲尾和久の日本記録(1961年)に見事並んだ。

以下、菊地原の全登板表と、あわせて「マニアック記録」を掲載する。

 

【 2001年、菊地原投手の軌跡 】

(↑クリックすると、別ウインドウが登場)

 

<マニアック記録>

  2001年・菊地原毅 2000年・ウルソー
登板したときのチームの勝率 .372 .483
登板して、いきなり四球を与える確率 .077 .310
登板日の相手打者を全て凡退に切って取る確率 .423 .241
打者から三振を奪う確率 .226 .124
打者を凡退に切って取る確率 .668 .546

 

<コメント>


ウルソーよ、菊地原を見よ!