ある日の一言(2009年1月〜)
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内容紹介
ある日に起こった出来事、感じたことを一言書きます。楽しみにしててください。
12月20日
転勤で福島県に引越しした。今週はすごく寒い。ある朝起きると外が一面銀世界になっていた。会社まで15分ほど歩くが、軽い雪が舞っているので傘など役に立たない。ここは車社会であまり歩いている人がいないのだ。
革靴で通勤しているから滑ってしまう。橋のつなぎ目が金属でできており、うっかりその上を歩いてしまうと、ツルッと滑る。俺は2回滑り、こけそうになった。会社に着くと体が真っ白でスノーマンになっていた。
そうそう、引越し初日の話に戻るが隣人が非常にうるさい。夕方ぐらいから大声が聞こえてきて、夜の10時から何人も人が出入りしてドンちゃん騒ぎが始まった。おいおい、いつもこんなかんじかよ。俺はその日は疲れ果てていて早めに寝たが途中から目が冴えてしまった。
明日不動産やに文句を言おうと、その日は布団をかぶって寝た。ようやく静かになったと、時計をみると夜中の3時をまわっていた。
翌日早速不動産屋に文句を言った。文句がきいたのか、その日の夜はときどき声は聞こえるがわりと物音は静かであった。しかし翌日また夜の10時過ぎからドンちゃん騒ぎが始まった。俺は夜中に文句を言いに行こうと思ったが、隣人とのトラブルの元になると思い、管理している警備会社に連絡した。すると、「すいません隣人とのいざこざや音のトラブルに関しては対処ができないんですよ」、と断られ、次に不動産やに電話した。もちろん夜中だから誰もでない。
俺は、この部屋は最悪だということに気付いた。隣は若い連中で車で夜中に何度も出入りして、大声で騒いだり、ドアの閉めるときも気をつかわない。この部屋では夜寝ることすらできないぞ。
同じ会社の人が別の階に住んでいるが、そこの部屋はまったく音が気にならないらしい。うらやましいな。俺の部屋も一方の隣人の音はうるさいが、もう一方の隣人からはほとんど音が聞こえない。かなり静かである。常識的に考えればそれが普通だろう。鉄筋なので普通の声ではまず隣に聞こえないはずだ。それがよっぽど大声で話しをしないと、ここまで迷惑にはならないはずだ。
翌日また不動産やに文句をつけた。するとそこのうるさい部屋はある会社が借りているとのことで再度クレームをつけるとのことであった。まったく何をやってるんだよ。こうなったら直接話をつけるしなかいな。その日の夜は静かであった。多少朝方声が聞こえたが以前に比べると静かである。それでももう一方の部屋の人とは違ってうるさい。
2度あることは3度ある。3度あることは4度あるだろう。今は不動産やと会社に言われて静かにしているが、またいつ騒ぎ出すか分からない。俺は単身赴任でどれぐらいの期間福島に住むか分からないが、夜眠れないほどつらいことはない。仕事にも大きく影響するだろう。こうなったら部屋の場所を変えてもらうしかない。
幸いなことに引っ越して数日しかたってないので変更はきくだろう。ちょうど別の部屋に住んでいた同じ会社の人は転勤でここをでていく。不動産やに交渉して場所を変えてもらうようにしよう。
福島に来て1週間もたってないのに、早速トラブルが起こった。おまけに寒波到来で今年一番の冷えこみとなった。さてこれらかどうなるのだろう。
12月12日
久しぶりに早稲田に行った。ビジネススクールとドラッカー学会主催の講演会があったのでみんなで講義を聴きにいった。セブン&アイホールディングスの伊藤会長の講演もあった。ドラッカーは有名な経済学者で生誕100年にあたるということで記念講演がビジネススクールで催された。商学研究科の建て家は新しくなって早稲田大学の中でも一番新しく一番高いビルになっている。ビジネススクールの先生の講演もあって、なかなかおもしろい内容だった。
12月5日
突然異動の話があった。福島県の工場への転勤だ。大元の部署は同じだから自分の長は同じなのだが、今度は工場の中の製造課長の辞令だった。何の前ぶれもなく突然降ってわいた話であったが、今までの仕事の流れを考えるとあり得る異動である。
俺にとって初めての転勤だ。まずは俺1人で行くか、家族で行くかを決めなければならない。家族の和を守るには、家族みんなで移動するのが一番よい。そして俺はマサキに聞くと、「行きたくない。今の学校がいい」、の一言。そうだろうな。俺も同じように思うだろう。ショウヤに聞くと、「パパと一緒にいたい。けど今の学校がいい」。結局は学校を転校するのが嫌みたいだ。
ただ最近は子供たちも妻の言うことを聞かなくなっている。もちろん父親の自分の言うことは聞く。その辺りが単身で行くと心配なところだ。しかし妻とも相談してとりあえず単身で行くことにした。そして子供たちが我がままで妻の言うことを聞かないのであれば、家族みんなで福島に行くことを子供たちにも話した。
さて次は住居を決めなければならない。そして荷物をまとめること。いろいろと揃える必要も出てくるだろう。そしていつ引越しするか。俺がしている仕事もみんなに引き継がなければならない。俺にとって初めてことで、何から初めてよいのか分からない。
単身だと2重の生活費がかかってくるけど、本当にやっていけるのか? NOVAでの語学勉強の環境はどうするのか?せっかく3カ国語を長期間やっているのだから、今ここでやめたくはない。考えれば考えるほどいろいろ分からないことが出てくる。
とりあえず一つ一つ準備を進めていこう。異動の話は降ってわいた話なので俺は週末のスケジュールを数週間先まで決めていた。会社の人との船釣り、NOVAでの語学勉強、ドラッカーの記念講演会の参加などである。もちろんこれらもうまくやって、並行して引越しの準備を進めていかねばならない。
休日を使って家族みんなで福島に住居を見に行ってきた。朝から高速を飛ばして3時間30分程度で到着だ。けっこうきついな。アパマンを訪れて7件ほどの物件を夕方まで見せてもらった。その中の3件が良さそうであった。家に帰ってきたのは夜9時をまわっていた。車で福島までの往復はけっこうきついぞ。とりあえず住居は3件の中から選ぶことにした。
11月22日
今日はビジネススクールのときにお世話になった先生宅をOB数名で訪問した。近くの山にみかん狩りに行き、先生の奥様の手料理をいただいた。今日はあいにくの曇り空で雨模様であったが、みかん狩り農家に到着したときには雨もやんでいた。良かった。
通常みかん狩りは持ち帰りの際1kgあたり金額○○円を支払うが、先生が農家と契約しておりバケツ1杯分、というより取った分だけいただくことができた。全部で76個ありました。先生ありがとうございます。
帰りの電車はみかんが重くてきつかったよ
11月14日
もちろん土、日は釣りにでかけた。土曜日はボートを予約していたが数日前に雨の予想だったのでキャンセルして、変わりに近場に釣りにでかけた。昼から夕方までの結果、1尾のハゼを釣りあげた。大きさは16cmだった。秋になるとハゼも大きく育ち形はけっこういいのだ。俺は、初めて「ハゼの土佐作り」を作った。美味しかったよ。釣りを拒否した子供たちもおいしく食べてたよ。もちろん妻もおいしく食べていたよ。
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16cmのハゼを釣り上げたよ。ハゼは生命力が強いのだ。 初めてハゼの土佐作りを作ったよ。少し青葉が足りないけど。
11月7日
さて今週も釣りに行くぞ! 俺の最近の毎週の日課は釣りに行くことだ。そしてもちろん1人でだ! 少し寂しいけど・・・。俺が家族に釣りに行こうぜ、と誘っても誰も来ないのだ。最初の頃は誘うと来ていたけど俺が毎週誘うからとうとう釣りを楽しいと考えるより辛いものと考えるようになったみたいだ。そう、釣りは忍耐力が鍛えられるのだ。しかし釣った後の魚はみんな食べたいみたいだ。そりゃ、そうだろう。すごく美味いからな。スーパーで売られているのと違い釣ったばかりだから、少し前まで生きていた本当に新鮮な魚なのだ。
近くの釣り場に行ったがボウズであった。残念。
11月2日
土曜日は家族みんなでレンタルボートを借りて船釣りにでかけた。俺は釣りに行く気が溢れていたが、子供たちはどうも乗り気ではない。土曜日は天気もよく釣り日和だと思ったが、船でマリーナの外に出るとかなり波が高い。2mぐらいはあった。こりゃ、すごいな。俺たちは近くで釣りをすることにした。しかし20分ほど経つとショウヤが気持ちが悪いと言いはじめた。きたな、船酔いか。俺はあまり気にしなかった。いつものことだと思っていた。
すぐによくなると思っていたが更に30分ほど経つと、かなり気持ちが悪いらしく泣きはじめた。そのうちに直るだろうと思っていたが、更に大泣きになり、このままではあまりにも可哀想だと思い、マリーナに帰ることにした。妻とショウヤは船から下りることにしたが、マサキも釣りが嫌らしく船から降りた。何だよ、せっかく船を借りたのに、俺はここで決意した。
これから家族では船釣りに行かないことに決めた。マサキとショウヤは俺が何度も釣りに誘うのが嫌なのか、あまり釣りに行きたくないらしい。もし今後、子供たちが釣りに行きたいと思ったときに連れて行ってやることにした。無理に連れて行かれてもおもしろくないものはいやだろう。俺も子供の頃に夜中にうなぎ取りに父親に何度か連れて行かれて、けっこう嫌だったことを思い出した。今思うといい思い出だが子供の頃は何度も行くのは嫌であり最後は断っていたと思う。それを思い出し俺は子供たちの気持ちに任せようと思った。
俺は1人で夕方の4時まで釣りをしていた。そして結局午前中に2匹イイダコが釣れただけであった。さみしいな。たこを釣り上げたときに俺はたこの墨攻撃を受けた。たこは俺の顔をめがけて墨をぶつけてきた! 俺はとっさによけたが、体から下が真っ黒な墨で汚れてしまった。恐るべしイイダコ。
翌日俺はたこをおいしくいただいた。たこのさばき方が分からなかったのでインターネットでチェックした。頭の中に墨の元、内臓が入っていてそれらを取り除いた。塩をたこにまぶしてぬめりとりを行った。さてどうやって料理するのかな?新鮮だから生でも食べれそうだけど・・・。ようし、俺は思い切って生で足を食べてみた。すると、う、うまいぞ。それを聞いた、マサキ、ショウヤもすぐにやってきて、食べたいよ。
まてよ、おまえらは今日釣りをやったか?、やってないだろう、だから食べる権利がないんだよ! と叫んだが、まぁ、しょうがない。生で食べてみろ。マサキ、ショウヤ、そして今回は珍しく妻もパクリと食べた。みんな声をそろえて、美味しい! そうだろう、新鮮なたこだからうまいんだよ。ショウヤは今までたこを見た目で嫌っていたけど、初めてたこの美味しさが分かったみたいだ。これが釣りの楽しみの一つなんだよな。釣ったばかりの新鮮な魚を食べることができるんだよ。釣果は少なかったけどたこが釣れて良かったよ。ようし来週も行くぞ。
そういえば話は違うがNOVAで勉強していた人のHPを見つけたよ。こりゃ、かなり参考になるぞ。俺もこんなHPを作らなければ。HPはここです。
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たこの足は刺身で美味しくいただきました。頭はお湯を通して食べました。柔らかくて本当に美味しかったです。
10月25日
この土日も釣りに行こうと思った。しかし土曜日は朝早くから東扇島に行ったが人が多くて入れなかったので近くの釣り場に移動した。ここもトラックが多くて車を止めるスペースがなくて本日の釣りは断念した。
今日の日曜日は朝早くからでかけた。多少雨が降っていたが俺は頑張って釣っていた。結局5時間ぐらいびしょぬれになりながら釣り続けてキス1匹をゲットした。
14cmのキスでした。フライでおいしくいただきました。
その後、久しぶりにNOVAでドイツ語を勉強し、その後、市長選挙、知事選挙に行った後に再び釣りに行った。しかし夕方の成果はゼロであった。まぁ、とりあえず今日は1匹だけでも釣れて良かったよ。
10月18日
最近どうも最後まである日の一言が書けないよ。先週も先々週も途中まで書いてやめてしまった。とりあえず先週分は更新しました。まずはそちらを見てください。先週は大型ベラと黒鯛(クロダイ)の子供まで釣れましたよ。
釣りの今の目標は、さば、ソーダガツオ、シーバスを釣りあげることである。釣りに行っても周囲の人は釣り上げているのだが俺だけが釣り上げることができない。タナが違うのか。あるいは仕掛けが違うのか。よく分からない。この土日もさば、ソーダガツオ狙いで東扇島に行ってきた。
今回は会社のM氏夫婦も朝早くからやってきた。俺が朝5時過ぎに行くとすでに釣り人で混雑していて場所が確保しづらい状態であった。すごいよな。こんなに朝早くからみんなやってきて。ほとんどが昨日の夜から来ているのかもしれない。
俺たちはそこでねばったが結局その日は1匹も釣り上げることができなかった。翌日俺は近くの釣り場で残りのエサを使ってリベンジであった。しかしその日の釣果もボウズであった。最近行くと必ず1匹は釣れるのに残念だった。ようし来週も行くぞ。
10月12日
さて3連休に入った。会社で3連休は1年に2回しかない。今回の3連休は貴重なのだ。俺は休み中に何をするか前もって決めていた。それは熱中している釣りだ。俺は毎日釣りに行くことに決めていた。初日の10日は朝2時過ぎに目が覚めてそれから眠れなくなった。釣りに行くのが楽しみだったからだ。
朝早くから準備を始めて4時過ぎに東扇島の西公園に行った。さすがに人が少ないだろうと思っていたがとんでもない。100人程度はすでにいた。マサキぐらいの子供もいた。俺は釣り人の隙間に入り釣りを始めた。それでもまだ隙間があったのだが、2時間たつと入る隙間がないぐらい一杯になっていた。釣り人の後ろではあいている場所を探して多くの人がうろうろしている。
釣りの成果はどうかというと、せっかく朝早く起きて釣りをしているのにさっぱり釣れない。周りもさっぱり釣れてない。ところが7時頃から周りが釣れはじめた。それもソーダガツオで30cmはある。大物だ。イソメをつけて底釣りをしていた俺は一向に釣れないので周りと同じさびきに変えることにした。
俺は前もってウキを準備していたのだ。ようし俺もソーダガツオを釣るぞ。意気込みはよかったが、さびきに変えたのに釣れないのだ。周りは何匹も釣り上げているのに俺にはかからない。俺は竿を思いっきり振り回して仕掛けを遠くまで飛ばしていた。投げ始めて4回目ぐらいたったとき、思いっきり竿を振り回したら、ぶちっという音がして仕掛けが切れて飛んでいってしまった。なんだ〜。錘が重すぎたのか!
俺は予備のウキを持ってこなかったのでそれ以上続けることはできなかった。周りはどんどんカツオを釣り上げている。せっかくのチャンスなのに・・・・。俺にはタイムリミットがあった。9時までに戻らなくてはならなかった。俺は一匹も釣り上げることなく東扇島を後にした。
しかし俺の釣り紀行はここで終わるのではない。昼からはボートをレンタルしていたのだ。家族みんなで船釣りだ。ここの東神奈川のマリーナではこれで3回目の釣りであったが今まで一度も釣れてない。よく考えて見ると家族で船釣りに来たが一匹も釣れないのだ。そのうちの1回は船長付きであった。釣れるポイントをよく知っていたにも関わらず釣果はゼロであった。
東神奈川のマリーナでは店主から、「今日はリベンジですね」と言われたので、「他のマリーナでは釣れたんですよ。そこでは、・・・」と先週の話をした。確かに釣れないとくやしい。このマリーナでは今まで一度も釣れてないのだ。陸からだと長時間粘って釣れるのだが、船だと短時間なので釣れる確立が低くなる。だが自由に移動できるので魚の場所を探して釣ることができる利点がある。
午前中の釣り情報を入手すると京浜運河のあたりで鳥が魚の群れを襲っているとのことであった。俺は先週釣れた付近に行こうとしていたが、今日の午前中に釣れている場所とのリアルなネタを聞いたからには、その場所に行くしかない。
おまけに今日の朝のソーダガツオの話をすると、やはりその辺りでも釣れているらしい。俺たちは迷わずそこに行った。鳥の群れを探すと、いるわいるわ。近くまで行くと小魚の大群が飛び跳ねている。大きな魚に追われると小魚は群れて逃げるのだ。鳥はその群れを狙って襲いかかる。
これがうわさのやつか。俺は初めてその現場を見た。鳥が本当に海につっこんで魚を取っているのだ。すごい光景だ。そして小魚は飛び跳ねて逃げている。小魚と一緒に大物の魚も飛び跳ねているのが見えた。ようしこりゃ、ぜったいに釣れるぞ!俺は釣り始めた。俺は夢中になって何度か竿をふっていたが、妻から、「自分だけ釣ってないで私たちにも釣らせてよ」ときた。そうだ。俺は自分だけ夢中になっていて、妻と子供の竿の準備をしてなかった。
竿は4本あり俺は準備をして渡した。みんな釣りを開始した。さて誰が最初に釣れるのだろう。今日の持ち時間は3時間と少しであった。みんな最初は一生懸命に釣りをはじめたが釣れないことが分かるとマサキとショウヤは遊びはじめた。船の上で何もすることがないので2人でふざけているしかない。
あまりにも2人がうるさいので俺はいらいらして怒鳴っていた。魚は全然釣れない。糸は絡む。マサキとショウヤはケンカをはじめる。とりあえず鳥が群がっているところを中心に船を移動させながら釣りをした。しかし釣れない。時間は刻々と過ぎていく。妻も一生懸命にキャスティングしている。妻は運動神経がよく短時間でうまくルアーを狙ったところに飛ばしている。小魚の大群の中にうまく落としこんでいるが釣れない。ところが2匹の大型魚がルアーを狙って船のところまで追いかけてきた。妻は、「もう少しだったのに」、と更にやる気を出して釣り始めた。
マサキは怒られたのか疲れたのか船の上でフテ寝を始めた。ショウヤはお菓子を食べ始めた。子供たちにとって最早釣りなんてどうでもよいみたいだ。結局タイムリミットぎりぎりまで釣っていたが一匹も釣れなかった。ちきしょう! 結局またボウズか! 悔しいなマリーナに帰ったらスタッフに恥ずかしくて何も言えないよ。どうして俺たちはいつも釣れないのだろう。
俺はくやしくて翌日も近くの防波堤で釣りをすることにした。今までの経験から朝方と夕方に大体釣れることが分かっていた。俺は朝早く起きてでかけた。船での釣りの欠点は時間帯が9時から16時と昼間であることだ。魚が釣れる時間帯とは言い難い。日中はあまり釣れないと言われている。俺たちが船で釣れないのはそこに原因があるんだ、と1人で勝手に決めて防波堤釣りに熱中することにした。
やはり3連休とあって人が多い。6時でも釣り場は混雑している。俺は釣れそうにもない堤防と堤防のせまいところで誰も人がいない場所で釣ることにした。糸を垂らしても引きがない。少しすると10mぐらい隣にも別の釣り人がやってきた。よさそうな場所が全てとられているのでここで釣るしかないのだろう。俺は昨日の失敗を考えながら3本の竿にエサをつけて投げた。
ふと気がつくと1本の竿先がしなった。おっ、これはヒットか。俺はすかさずその竿のリールを巻き始めた。こりゃ、けっこう重いかもしれない。竿先のたわみ具合から、もしかすると大物が釣れたかも。リールを巻くが重くて途中で巻けなくなる。そのときは竿を手で引っ張りあげて、それからまた巻き始める。これを繰り返すと大物が泳いでいるのが見えた。こりゃ、なんとしても釣りあげなくては。防波堤の足元まで魚を引っ張ってきて、最後は一気に引き上げた。
これはベラだ。熱帯魚のように鮮やかな色が体中にちりばめられている。しかし大きいな。こんなベラは初めて見たぞ。後から計ると23.5cmだった。ここまで大きな魚を釣り上げた経験はなかった。こりゃ人生初体験だ(なんて大げさすぎるんだ!)
そして再びすぐに他の竿にもヒットした。今度は普通の大きさのベラであった。同じ場所で釣れた。狙い目はあの辺りか。俺はそれから数時間何度も投げていたが結局これ以上の釣果はなかった。いや、良かったな。とりあえず俺にとって大物が釣れたから。
さてどうやって食べようか。ようし新鮮だろうからベラを刺身で食べてみよう。生まれて初めてベラを刺身で食べるぞ。大型ベラの半分を刺身、半分を焼いて食べることにした。小さい方は焼き魚にすることにした(小さくても15cmはあったぞ)。刺身はスゴウマであった。マサキ、ショウヤは刺身と聞くとすぐに飛んできてパクパク食べていた。俺の分も残せよ。マサキもショウヤも昨日の釣りではほとんど働かなかったのに食べるときだけは頑張るからな。
残りは妻が魚を焼いてくれた。妻は刺身は食べないが焼き魚はおいしく食べていた。俺が釣った魚は生では食べたくないらしい?! 焼き魚もうまいぞ。ようし3連休最後も釣りに行くぞ。
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初の大型ベラを釣りました。23.5cmありました。 初めてベラの刺身を食べました。新鮮でおいしかった。
焼き魚もうまい!自分で釣った魚はおいしいよ。
最終日に俺1人で釣りに行くのではなく、マサキとショウヤにも聞いた。マサキは行きたくない。ショウヤは悩んでいた。そこで俺はいろいろ話をして無理やり連れて行くことにした。今日はソーダガツオ、サバを釣りたいぞ、と大黒海釣り公園に向かった。ショウヤも一緒だったので朝6時前に出発した。ところが海釣り公園はすでに一杯で中に入ることができない。そこで俺はいつもの釣り場に戻ることにした。
昨日も大物を釣ったので今日も頑張って釣るぞ。俺は昨日とは別の場所に陣取った。昨日よりは人が少なかった。3連休とはいえ月曜日だからかもしれない。エサをつけて投げ入れるとわずかな当たりがあった。毎週釣りに行っているだけあってなんとなくこつがつかめてきた。
すると7cmほどの小さな魚がついていた。イシモチでもつれたかな?種類はよく分からなかったが後から調べると、なんと黒鯛(くろだい)の子供であった。す、すごいぞ。初めてタイを釣ったぞ。それからショウヤにも竿を持たせて何度か投げて、巻いてを繰り返した。ショウヤがなんか巻きづらいみたいだったので俺が代わりに巻いてやった。すると小魚がついている。おっ、ショウヤ、これはハゼだ。ショウヤ初めて魚が釣れたな。ショウヤは大喜びである。
そしてショウヤが言ったのは、「これはショウヤが釣ったからショウヤが食べるからね」、な、何、すでに食べることを考えているのか。俺はあきれかえったが今まで何度誘ってもやってこなかったショウヤが久しぶりにきて、魚を釣り上げことに本当にうれしかった。
ようし今からガンガン釣るぞ! 俺たちは何度も投げて何度も巻いた。しかしなかなか釣れない。そのうちにショウヤも飽きはじめて、いつものごとく、「帰りたい」を連発始めた。もう飽きてきたのか。さっき釣れたときは大喜びだったのに。俺は前もってショウヤの気を引くためのトラップを考えていた。まず1つ目は携帯のテレビであった。「ショウヤテレビ見るか」と渡した。
それから30分ぐらいすると、また飽きたみたいで俺に携帯を戻してきた。「ナンだよ、もうテレビ見ないのか」。「家に帰って普通のテレビで見たいよ」。俺はそれから1時間ぐらいはほっておいたが、「そろそろ帰ろうよ」、を連発してきた。そこで俺は次の手に出ることにした。「釣りは修行だ。だからがまんしろ」、と無茶苦茶な理由付けをした。ショウヤは意外にも、「そうか釣りは修行か」、と納得したみたいでおとなしくなった。
それでも30分ぐらいたつとまた、「帰りたい」を連発してきたので、今度は別の作戦に出ることにした。「ショウヤ、今日は朝早くから長い時間、釣りの修行をしたから、パパはショウヤに○○してあげるよ。さて○○にはいる言葉はなんだ?」と、訳の分からないクイズを出した。そう、クイズ作戦だ。考えている間はおとなしくなるのだ。
ショウヤはしばらく考えていたが、「分からない」を今度は連発してきた。俺は、「よし更にヒントだ。今日はパパと一緒に釣りの修行をしたから、パパはショウヤに○○を買ってあげようと思っているんだ。さて○○は何だ?」。 ショウヤの目がキラリと輝いた。「えっ何、何」。明らかに興味を示した。そりゃそうだ。何か買ってやるって言ったのだから。
俺は少し前からベーゴマの競技する台が欲しいことを聞いていた。これまで金額の確認にも行っていた。そして結局競技用の台を買ってやる約束をした。その理由は朝6時前から昼までで釣りの修行をしたから、という理由だ。何て甘い父親だ。我ながら思ってしまった。競技用の台は金額が1200円程度であった。ちなみに最近俺は遠投用のウキを糸が切れて数本なくしてしまったが、これはセットで500円程度する。竿も新調した。これは1800円だった。よく考えると俺は釣りにお金をかけすぎているかもしれない。ショウヤのおもちゃの方が比較すると安い。
釣りにお金を多少はかけるけど、今年はボートと釣りに力を入れようと決めたのだから、まぁ大目に見てもらおう。釣りの醍醐味は釣る楽しみと、釣った魚を食べる楽しみがある。家に帰って今日の獲物の黒ダイの子供とハゼを焼くことにした。ハゼはショウヤが食べて、タイはみんなで白身を食べた。
タイは本当にうまい。この白身は今までの中で一番といっていいぐらいうまいかもしれない。
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クロダイの子供の名前は・・・、何だっけ。 表面に少しこげめがある程度に焼きました。おいしかったよ。
10月4日
今日は会社のB氏、M氏と一緒に船釣りにでかけた。朝9時30頃〜夕方16時過ぎまでの長時間の船釣りである。もちろんレンタルボートを借りての出航である。俺は先週船の安全レクチャーをベイサイドマリーナで受けた。ここのマリーナは初めて使うので安全レクチャーを受けなければならない。
安全レクチャーではマリーナ独特のローカルルールを教えてもらう。ここの海域は漁具があるので気をつけろとか、ここは浅瀬が多いので通るな、ここの基地は米軍が機関銃を持っているので近寄るな等である。ちなみに米軍の話は本当らしい。俺はそこを通るたびにびびってしまった。
さて今日午前中はシーバス狙い、午後はサバ・アジ狙いである。俺は生餌、こませ、ルアーを準備していった。とりあえずシーバスのポイントを教えてもらい、そこまで30分ほどかけて移動した。さて頑張ってシーバスを釣るぞ。俺達はルアーを使ってとある構造物の付近で釣っていたが、ぜんぜん釣れない。他の船もやってきたが釣れてない。
船が少し揺れていて慣れない2人は少し船に酔ってきたみたいだった。B氏は糸がからまったようでずっとほどいていた。下を向いて作業したのがよくなかったのか酔いがまわってきたみたいだ。そこで波の揺れが少ない湾の内部に移動することにした。
次に行ったのはつばさ橋の下である。そこで1時間ほどねばったがだめであった。B氏は調子が悪いみたいで船の上で横になっていた。俺はしばらくルアーを投げていたが釣れる気配がない。M氏はさびきに切り替えたが一向に釣れる様子がない。
そこでまた別の場所に移動することにした。そこはある橋の下で、小魚が泳いでいる。するとシーバスの魚影も見えた。ようしこれは釣れるぞ。俺は何度かルアーを投げた。あるときシーバス2匹がルアーを狙って追っかけてきた。だが残念ながら食いつきはしなかった。その後も何度か投げたが結局だめであった。
もう昼である。ようしこうなったらサバ・アジ狙いに変えるぞ。昨日、本牧海釣り公園でサバが700匹以上釣れたという情報を得ていたので俺は海釣り公園の近くに移動した。そこで1時間ぐらいねばったがあたりすらこない。いったいどうしたんだよ! なぜ1匹も釣れないんだよ。
ついにラスト2時間前となったのでマリーナの近くに移動した。周囲には釣り船、漁船がいる。ようしここなら釣れるだろう。頑張るぞ! と意気込んだものの全く釣れる気配がない。近くを大型の船が通り過ぎていく。俺たちはぼっとしながら釣っていた。船酔いのB氏も大分よくなってきたみたいだった。
更にマリーナのすぐ近くの堤防付近に移動した。1時間ほど糸を垂らしていたが手ごたえがない。ラスト30分をきった。すると俺の竿をなにかが引っ張っている気がする。上げてみるとエサがなくなっていた。おっ、これはもしかして・・・。俺は急いでエサをつけて垂らした。すぐにごくわずかなあたりがきた。俺は急いであげるとシロギスが釣れた。みんな、「おっ、やっと釣れたぞ」、と大喜びだ。
俺はすぐにまた糸を垂らした。そしてまたあたりがきた。引き上げるとまたまたキスが釣れた。大喜びしていると、M氏の竿にも引きがきた。何かが釣れたぞ。引き上げるとイシモチである。さびきのエサなしでイシモチを釣り上げた。その後、M氏の竿にまた引きがきた。今度はアジが釣れた。おっ、待望のアジだ。俺もアジを釣るぞ、と意気込んでいたが終了5分前であった。結局4時ちょっとすぎまで粘ったがそれ以上は釣れなかった。
俺の釣ったキスは17cmと15cmでやや太めのなかないい形であった。帰った後に俺は3枚おろしにした。すると身がたっぷりと入っている。こりゃ、刺身で食べられるかも。俺は皮をはいで細く切った。さてキスの刺身の出来上がりだ。俺は生まれて初めてキスの刺身を食べる。おっ、けっこういけるぞ。子供たちも食べ始めた。おいおいあまり食べるなよ。貴重な魚なんだからよ。1匹あたりいくらになるか分かるか。計算すると単純に3千円ぐらいだ。た、高いな。それでも船での釣りは、それだけで俺にとって価値があるのだ。
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17cmのいい形のしろぎすです 初めてしろぎすの刺身を食べました
9月27日
俺は一つ気がついたことがある。「英語、中国語、ドイツ語会話への挑戦」を書いたのはいいが、結局語学のことを十分に書いてなかった。つまり英語や中国語やドイツ語の言語でほとんど書いてなかったということだ。先週それに気がついて英語と中国語を書き始めた。
とりあえず出来る限り勉強した内容を書いていくことにしよう。さて今週もNOVAで英語を勉強した。前日にスタッフから連絡があり、空席があるので出席しますか? ときた。俺は先週も行ったので断ろうと思ったが、いや待てよ、せっかく連絡してくれたのだから頑張ろう、とやる気を出して勉強することにした。
さて今回レッスンのテーマはプレゼンテーションである。会社で月曜日にプレゼンがあるのでたまたまその話をしたら、講師が、それならプレゼンの話をしようということになった。
さて問題です。プレゼンで大切なことは何でしょうか。・・・。
答えは、Eye contact, Voice level, Strongなどである。順番にアイコンタクト、これはプレゼンするとき聞いている人達に目で訴えかけるように話をすることで日本語ではアイコンタクト、つまり聞いている人の目を見ることである。決してにらみつけるわけではない。次に話す声の大きさである。声はやや大きめに言うことが大切である。英語では、Slighitly aboveということだ。
9月22日
世の中はシルバーウィークと5連休だが、うちの会社は20日から3日間の連休であった。けど19日の土曜日に子供たちの運動会があったので休暇をとった。やったぞ、4連休だ。
マサキは先週から37〜39度の熱が続き月、火、水曜日と学校を休んでいた。しかし土曜日の運動会にはなんとしても参加したいとはりきっていた。学校を休み続けると運動会の練習もできなくなる。リレーの選手と組み体操、騎馬戦がありみんなと協力して練習するので学校を休みたくないらしいのだ。よし、さすがだマサキ。
そして結局、解熱剤をのんで学校に行くようになった。おいおい大丈夫かよ。どうしても運動会は出たいらしく、俺はその意気込みに本当に驚かされた。俺は本当は19日に会社を休むつもりではなかった。子供たちには悪いが仕事も忙しかったので当初は会社に行くつもりであった。
けど仕事も一通り落ち着いたし、マサキの運動会に対する強い意気込みを見て、よしそれじゃ俺も運動会を見に行こうか、という気持ちに変わった。マサキは運動会前日も38度を越える熱があって、本当に大丈夫かな、と思ったが当日は37.5度まで下がり運動会にいどんだ(おいおい大丈夫かよ)。
運動会での様子を見ていると係をみんなと楽しそうにやっていた。特に疲れた様子は見られなかった。運動会にどうしても出たい理由があると俺は思っていて、それがよく分からなかった。俺だったら休んでたかもしれない。マサキは俺に似合わず足が速く、学年を4グループに分けてチーム編成をするがその中で1位とのことであった。今年はリレーの選手に選ばれた。
勉強はいまいちだが運動に関してはぴかいちらしい。運動神経も俺に似合わずいいらしい。マサキにとっては運動会が華やかな舞台で自分が一番活躍できる場だと思っているのかもしれない。だからどうしても出たかったんだと思う。そうそう、ちなみにショウヤも昨年に続き今年もリレーの選手に選ばれたと張り切っていた。
俺はマサキとショウヤが出るときに、ビデオをとっていたが肝心のところで撮れなかったりした。実をいうと俺はビデオを撮りたくないのだ。生で競技を見るのが一番だ。ビデオは手で持っているだけだ。一応カメラは回すけど液晶ごしで見ないから本当に撮れているのか分からない。
ビデオを見てると周りの風景が見えないのでつまらないのだ。せっかく会社を休んで子供たちの運動会を見に来てるんだから生で競技を見たいのだ。まぁ、ビデオがうまく撮れなかった言い訳はこれぐらいにしてと、運動会では5、6年生で騎馬戦をやるのだ。
これがまたおもしろい。かなり盛り上がる。相手の帽子を取ったり、馬から落としたりすると勝ちだが運動会の中で本人たちも見ている父兄もすごく盛り上がるのだ。マサキは馬になっていたが、来年は是非上に乗って戦ってほしいものだ。
運動会が終わってその夜、マサキはすっかり元気になった。マサキ良かったな。その代わりにショウヤが38度を超える熱が出てしまった。おいおい、我が家は全員同じ病気になったのかよ。それでもショウヤは元気で家の中で騒ぎまくっている。とにかく熱がでたのが運動会が終わってからでよかったよ。前日に高熱だったらもしかするとショウヤは休んでいたかもしれなかった。
マサキの高熱、ショウヤの高熱と続いたので我が家は連休中にどこに行くこともできなくなった。せめて家族でどこかで食事にでもでかけようと思っていたが、それもできなくなった。今の状態ではインフルエンザにかかりやすいので家にいたほうがいいだろう。
そこで俺は今はまっている釣りにでかけることにした。連日早朝早くと夕方に釣りにでかけた。やはり毎日でかけるだけあって何かは釣れた。驚くべきことに今回はカニとあなごが初めて釣れたのだ。こりゃたまげたぞ。他にもキス、はぜも釣れた。数は少ないが釣りに行くとそれなりに成果があったので良かった。そして釣った魚はもちろん美味しくいただきました。特にカニの味噌汁は本当においしかった。
いつも俺は家の近く(車で10分ぐらい)の穴場に行くが、魚を釣るためには時間帯が重要なことが分かった。日中はあまり釣れない。朝方と夕方が釣りやすいのだ。
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初めてアナゴを釣りました。細いいけど30cmはあったぞ。 最近はぜがよく釣れてます。
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18cmぐらいのキスです。なかなかいい形をしてます。 ワタリガニを初めて釣りました。上はハゼです。
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カニの味噌汁は超うまかった。家族みんな大喜び。 ハゼはフライで丸ごと食べた。しかし少し揚げすぎだな。
焼き魚にしました。ハゼ、アナゴ、キスです。フライばかりだと油をとりすぎるので今回は焼きました。
そして釣りの合間にNOVAに中国語の勉強に行った。今回は対面式の授業がとれなかったのでテレビ回線を使った授業を受けた。生徒は自分を含めて2人で、もう1人は愛知県の人であった。先生は大阪の人だった。テレビ回線の授業を発信するところが大阪にあるのか、たいていの先生は大阪か神戸に住んでいる。
生徒は日本全国バラバラである。さて今日の中国語はまずは自己紹介。次に生徒のお互い同士が質問をして答える。今日は休みですか? 中国語では、「今天,ニ是休息マ」(中国語が出ないところはカタカナで書きます)。読み方は、「ジンティエン、ニーシーシュウーシーマ」となる。漢字を見るとなんとなく理解ができるが、会話を聞くとさっぱり分からない。
9月12日
1週間前から妻が高熱を出している。最高39.9度まで上がったらしい。俺もお盆のときには39.7度まで上がった。妻は発熱の翌日にインフルエンザ検査を受けたが陰性であった。症状は俺と同じで長い間高熱が続き、咳がひどい。
1週間ほどたってようやく平熱に戻ったと思ったら今度はマサキが38度を越えた。我が家は大丈夫かな。今はマサキも37度程度まで下がったが心配だな。俺と妻が体験したこの高熱だが、長期にわたって子供がかかるのは過酷だろう。
大人でさえも今回の病気はかなりエネルギーを使ってふらふらになる。食欲がなく食事も充分にできないからだ。妻は今でもふらふらだ。会社でも同じ症状の病気になった人がいた。もしかしたら今はやってるのかな?
話は変わるが、最近このHPで、”挑戦シリーズ”を作った。ビジネススクールへの挑戦、博士課程への挑戦、それと英語 中国語 ドイツ語会話への挑戦、と立て続けに3つをまとめた。
最近久しぶりにNOVAに英会話、中国語会話を勉強しに行ってきた。最近語学勉強のことをHPでめっきり書いてないが定期的には行っているのだ。定期的にといっても前回行ったのは1ヶ月程まえのことである。この間延びした勉強だと会話力が伸びるどころがどんどん下手になっていってるかもしれない。
昔はほとんど毎日通っていたこともあったが、今は語学勉強に力を入れるのではなく、会話学校に投資するお金を節約して他のところにお金を使おうと思って、実際にそうしている。今年の夏は釣り、レンタルボートにお金を使おうと思っている。
それでも語学勉強のこつは継続重視だから、たまには行かないと伸びるどころがどんどん下手になっていく。仕事で外国語は使わない。ただ昔は会社でどうどうと、「俺は英語を勉強してるんだ」、と宣言していたが、今は極力語学を勉強していることを言わないように心がけている。
理由はご想像にまかせるが、今は語学勉強を趣味でやっているのだ。そして今の心境は仕事にも使いたくないのだ。だから会社の人に聞かれたら、答えるのも面倒くさいが、英語はやめたと言ったり、たまに行っていると言ったり、その場しのぎで適当に答えている。ただこのHPを見ている会社の人に分かってしまうのは仕方がないことだ。
ちなみに中国語は少し前までNOVAにあるテレビ電話で画面を見ながら授業を受けていたのだが、横浜のNOVAで対面式で受けることができるのが分かり今はわざわざ電車に乗って横浜まで通っている。今日は2レッスン(1レッスン:40分)を続けて受けてきた。生徒は最初の授業は3人、次の授業は4人であった。ちなみに横浜NOVAの中国語の先生は1人だけである。おまけに土曜日しか予約がとれない状況だ。
俺の受けているクラスは7Bで、かたことであれば受け答えができる程度のレベルである。ただ先生の話す言葉の半分は理解ができない(少し大げさかも分からないが)。だからはっきりいって会話を成り立たせるのは難しいレベルだ。
もちろんこちらから発言することはできる。そして先生は理解してくれる。そして先生が話しかけてくる(会話だから当たり前だ)。しかし分からない言葉があって、意味が理解できない。それで俺は、○○ってどういう意味、と聞く。すると先生は教えてくれる。という具合に会話をするから、普通の会話として成り立たせるのは難しいレベルなのだ。
他のメンバーはどうかというと同じである。お互いに話をするときも、自分のことはある程度言える。しかし聞くことができないので、相手が何て言ったのか分からないのだ。
俺はごくたまに外で食べるけど、そのときに中華系の店であれば相手が中国人のスタッフとみると少し会話をしようと話しかける。しかしさっきの例みたいに、こっちは自分の意見を話すが、相手の言ったことはよく分からないのだ。
だから会話は成り立ちにくい。NOVAの7Bのレベルとはこの程度なのだ。それでも昨年台湾旅行に行ったときにはある程度話をすることができ、みんなを連れて観光することもできた。つまり旅行して片言の中国語を話す程度であれば今のレベルでも十分ということだ。
みなさんは自分の英語のレベルをどれぐらいだと思いますか。今は勉強して無くても少なからずも中学、高校と勉強してきたから多少は英語を読むこともできる。また海外旅行に行っても買い物、ホテルのチェックインなどそれほど不自由なく旅行ができるので、まぁ、多少はできるかな、と思われているのではないでしょうか。
自分も英語を習うときはそんな感じで、自分のレベルは中級弱ぐらいかなと思いNOVAに入会しました。それまで10数カ国は海外旅行していたし大学の頃はYMCAでも英会話を学んでいて当時でも中級レベルはいっていた。
しかしNOVAのレベルチェックでは10段階中下から3番目の7Aのクラスで少しがっかりしたしほっとしたところもあった。ほっとしたのは給付金のもらえるクラスが7A以上だからである。おそらく英会話になじみの無い人が英語をスタートするとNOVAでは7Bか7Aぐらいのスタートになると思う。
7Bというのは、定型的な用語で自己紹介ができます。簡単にゆっくり話し掛けられれば理解でき、「ハイ」か「イイエ」で答えられます。基本的なボキャブラリーが不足している、または、知識として知っているとしても会話の中で使える活きたボキャブラリーになっていないため、単語や決まったフレーズでなら何とか返事ができますが、自分でフレーズを作ることはできません。話し掛けられた相手の言葉を繰り返すことが多く、母国語がよく混じります。
- あいさつを交わす、決まった言い方を使って自己紹介を行う、など、人と接する基本的な場面においてネイティヴスピーカーとやりとりができます。
- 買い物やレストランなどでの簡単な状況において、キーワードを聞き取り、単語や決まったフレーズだけでなんとか対処することができます。
7Aというのは、
7Bに較べて会話の中で使えるボキャブラリーが多く、知っている限りの言葉を用いて、日常生活の最低限の欲求を満たすためのサバイバルなコミュニケーションができます。決まった言い回しのフレーズや、また簡単な単語を一つ一つゆっくりと話し掛けられた場合、聞き取ることができます。必要最小限の基本的なボキャブラリーがあり、何とか意志の疎通はできますが、会話の中では簡単な単語の組み合わせでしか話すことができず、センテンスでは話せません。
- 旅行や出張などにおける基本的な状況であれば、基本パターンでの受け答えをしながら対処することができます。
(例えば、旅行やホテルの予約をする、飛行機で何かを頼む、空港の入国審査を受ける、買い物やレストランといった状況での基本的なやりとり)- 社会生活において、簡単な質問や返答の表現を使用して、基本的なやりとり(自己紹介や連絡先を伝えるなど)をすることができます。
ちなみに中国語のレッスンは最初にお互い自己紹介を行う。我叫○○(わたしの名前は○○と言います)。発音はウォー、ジャオ、○○。我住在○○(住んでいるのは○○です)。発音はウォ、チュウザイ、○○。
その後質問コーナーとなる。ある人は俺に、なぜ中国語を習い始めたのか? 俺の返事は、5、6年前に国際会議で英語でプレゼンしたときに、ある中国人から質問があったんですよ。その人の英語が分からなくて、俺は中国語を勉強すれば中国人の英語も分かると思ったんですよ。と答える。さてこれを中国語に直すと、・・・。長いので省略。
これは事実である。7Bのレベルでも慣れるとこの程度は話ができる。英語も同じである。ちなみに英語のレベルは3である。
3というのは、
日常会話は全く支障がなく、文法/構文もほぼ正確に使え、センテンスを論理的に構成しながら話すことができます。会議や商談に際しても、広範な話題に対処できるボキャブラリーがあり、言いたいことをほぼ表現できます。議論の中で相手の論理的矛盾を見ぬくリスニング力があり、異なる意見を持つ相手と論じ合えます。ただし、不慣れで複雑かつ抽象的なテーマについては、自分の意見を組み立て、正確に表現するのに時間がかかります。
- 旅行や出張、海外生活で特別な配慮や扱いを依頼する、といった状況にも自信を持って対処することができます。
(例えば、物やサービスを購入するときにより良い条件となるように交渉する、苦情を述べる、友人を何かをするよう誘う・説得する、など)
- ビジネス上のやりとりにおいて、自分の意図や意見を明確に伝達することができ、繊細さの度合いや相手の社会的立場を考慮して話し方をある程度調整することができます。(例えば、人の間違いを丁重に訂正する、丁重に要望を述べる、非難を上手く伝える、交渉するといった状況)
文法/構文がほぼ正確に言えるというのは、俺はちょっと自信がない。論理的に構成しながら話すことはできる。ある程度のボキャブラリはあって単語が分からなくても他の言葉を並べて説明することはできる。外人に対して自分の意見を述べてある程度議論をすることはできる。ただし難しい単語があるときには話ができない。
この前のレッスンでは犯罪のことを勉強した。もちろん初めてでなく今までも何度か犯罪の勉強をした。万引き、終身刑、死刑、詐欺、つけ火、強盗、ゆすり、恐喝、殺人・・・。みなさん英語で言うことができますか?俺は勉強するときは、「あっ、そうだ確か聞いたことがあるぞ、だけど何だったけ、思い出せないぞ」、となるのだ。Blackmail、さてこれは何でしょうか?そう日本語ではブラックメール。意味が分かりますか?
答えはゆすりです。それでは高校生が中学生を脅してお金を取った。さてこれはBlackmailでしょうか。答えは違います。ブラックメールとは文章や通信手段を使って相手を脅すこと、らしいです。先週勉強しました。ここまでくると訳が分からない。
ちなみに英語はいつもマンツーマンをとっている。外人と1対1で会話をする。レベル3だとほぼナチュラルスピードで話すことができる。ナチュラルスピードというのはテレビの洋画で話してる通常の会話のスピードである。7Aの人が聞くと、「うぁ、こいつら何者だ」、とびびってしまうスピードだ。1ヶ月間英語を話してなくても、知っている単語をつないでナチュラルスピードで会話をすることはできる。
しかしさっきの犯罪の定義を議論するときは詰まってしまう。他の言葉で置き換えるときも頭をフル回転させて呼びださないと駄目で、それでもかなりきつくなる。ちなみにテレビの洋画を聞いても5割ぐらいしか聞き取ることができない。その理由は2つあって、1つ目はボキャブラリが足りない。単語の意味が分からない。2つ目はスラングが理解できない。簡単な単語が並んでいるだけだが意味が理解できないのである。
だから俺は今でも洋画は理解ができないのだ。映画によっては理解できるのもあるだろう。もっと頑張らなくては。
9月6日
最近は釣りにはまっている。昨日も朝5時30分頃に家を出てショウヤと本牧海釣り公園に行った。竿を投げてすぐに小さなカサゴが釣れた。今日は調子がいいぞ、と思ったがそれから2時間まったく釣れなかった。ヒトデが2匹引っかかってきただけだ。
その後一度家に戻りマサキのスイミングに付き合って、それからまた海釣り公園にでかけた。今度はマサキとでかけた。人、人、人だらけである。釣り始めたがまったく釣れない。マサキも自前の釣りセットを何かの景品でもらったのを持ってきてたが、全然だめである。
11時頃からスタートし14時まで釣りをしたけど一尾も釣れない。マサキも暑さでぐったりで、そろそろ帰ろうと思い始めた。他の人も帰る人がいて、今日は一匹も釣れなかった、とか、もう2度とここには来るものか、と言ってるグループもいた。俺たちもまったく釣れないので帰ることにした。
釣り場から外に出ようとしたところ、俺たちが釣っていた反対側の防波堤で魚が2尾一緒に釣れているのを見つけた。おっ、こちらは釣れるのか! 俺が朝カサゴを釣ったほうの防波堤であった。しばらく様子を見ていると他のグループも釣れていた。おっ、魚の大群がいるのか!
俺たちはその堤防で釣ることにした。しかし大勢が釣れている場所は人がいっぱいで入る隙間がない。そこで少し離れたところに場所を確保して釣り始めた。しかし釣れない。周りをみてもここでは釣れてなさそうだ。
マサキは壁にもたれてぐったりとしている。そのうちに眠りはじめた。俺はさびきのためにずっと竿を上下に動かしていた。1時間ほどが過ぎた。すると引きがきて1尾のサッパが釣れた。おっ、待望の魚だ。やった!これで今日は帰れるぞ。
マサキが元気になりはじめた。釣った魚を眺めていたり釣りをまたはじめたりした。さて待望の2匹目が・・・、なかなか釣れない。更に1時間ぐらいたった頃、また引きがきた。そして2匹一緒に釣れた。おっ、きた。今大群が下にいるぞ。寝ていたマサキの目の前に魚をぶらさげて起こした。
しかし周りのグループでは全く釣れてない。周囲の子供から、ワッ、いいな〜、と声が上がった。それからしばらくすると周囲でもサッパが釣れはじめた。気がつくと隣のグループも2尾一緒に釣っていた。それからは定期的に釣れはじめた。サッパの大群がやってくると辺り一帯で連れ始め。釣れないときはどこも釣れず、という状態を繰り返していた。マサキはさっきまでの”ぐったり”から”しゃっきり”に変わって一生懸命に竿をふりはじめた。
それからマサキも初めて3尾一緒に釣り上げて大喜びしていた。結局マサキは6尾、自分も6尾の合計12尾を釣り上げていた。夕方、人が減り始め少し離れた場所に移動した。その途中少し大きめの魚を釣り上げた人がいて、うわっ、すげー、マサキ見てみろと、話したら、向こうの釣り人も声をかけてきて、もしよかったら持っていきませんか、とありがたいお言葉を。俺とマサキは、すかさず、もしよければいただきます、ありがとうございました。後から調べるとシマイサキという魚で20cm程度はあった。
今日は大漁であった。朝のカサゴを入れて、いただいたシマイサキも含めると合計14尾であった。途中で帰らなくて良かったよ。日中はあまりつれないんだな。朝方や夕方のほうがよく釣れるみたいだ。ようし明日も夕方行こうかな。その日の夜は夜中過ぎまで魚をさばいていた。
シマイサキの刺身を食べようと苦労して魚を切って、しょうゆをつけて口に入れると、”すごうま”であった。マサキとショウヤもバクバクと食べ始めた。おいおい、もう夜中の12時まわっているんだから食べるのやめようぜ。14尾の魚をさばくのにもかなり時間がかかり結局シマイサキの3枚おろしが完成したのが夜中の12時過ぎであった。今日は大漁で本当に良かったよ。
魚はフライで食べました。2度揚げしたらイサキの背骨までポリポリと食べることができました。
本当においしかった! ようしまた釣りに行くぞ!
9月2日
今日は水曜日だけど休暇をとった。1ヶ月ほど前に土曜出勤をしたので、その休暇を取ることにした。さて休みだからHPは先週分も含めて一気に書き上げよう。
最近釣りに凝っている俺は今日も大黒埠頭の海釣り公園に行った。前回はサッパを6匹釣りあげたので今日も釣果を期待していった。
朝7時30分過ぎから釣りを始めた。さすが平日だけあって、かなりすいている。俺の周囲はほとんど人がいないので自由に場所が使えるのだ。俺はさびきと投げ釣りの2本で始めた。ところが1時間たっても、2時間たっても釣れない。海釣り公園のスタッフが話しかけてきた。今日はさっぱり釣れないことを言うと、台風の影響で魚が分散したとのこと。2〜3日するとまた戻ってくるそうだ。昨日はもっとひどくてほとんど釣れなかったらしい。
更に1時間たったが当たりすらこない。隣のおじさんも全然釣れそうになく俺に話しかけに来た。やはり台風の後だと駄目らしい。その人は浮き付きのさびきでさばを狙っていた。俺は疑似餌だけで釣りをしていた。ふと隣の竿を見るとすごく引いている。ところがおじさんはいない。
おじさんの姿が見えないので俺はほっといて釣りをしていたが、隣の竿が気になってしょうがない。隣の竿を見ると引きまくっていて、魚が暴れている。こりゃかなりでかいぞ。俺はまた隣のおじさんを探した。すると離れたところで別の竿で釣りをしていた。俺はおせっかいにもおじさんを呼びに行くことにした。
おじさん、魚が釣れてますよ。するとそのおじさんは、いやいや、あれは浮きがついているから引いているように見えるだけだよ。いや、あれは魚がひかかってますよ、何度もそういうやり取りをしてもおじさんは竿を見に行く気配もない。
そこで俺は竿を指差して説明して、ようやくおじさんが動き始めた。周りの人たちも、釣れてますよ、と騒いでいる。どうみても大物がひっかかっているよ。俺はおじさんが何を釣り上げるか見ていた。すると30〜40cm程度のヒラマサかイナダである。やっぱり釣れてたじゃないですか、おじさんに言うと、ありがとうと一言。
す、すごいな。ようし俺も頑張って釣らなければ!俺はそれからまた1時間以上粘ったが結局1匹も釣りあげることはできなかった。周囲を見渡してもほとんど釣れてない。気がつくと12時40分をまわっていた。結局5時間以上も粘っていたのか。今日は風が強くて寒いから、もう帰るか。しかし釣れなくて残念だったな。隣のおじさんの魚はすごかったな。ようし今週の週末も釣りに行くぞ!
8月30日
昨日は釣りにでかけた。初めて船長付きのチャーター船で釣りを行った。先週船ででかけたときは全く釣れなかったので、今日はなんとしても釣りたい。それで少し金額が高いけど船長付き釣り講習付きの海釣りにでかけることにした。
狙いはシーバス?、サバ?、とりあえず船長にまかせることにした。最初に近くの防波堤付近まで移動してルアーフィッシングの練習をした。基本の練習だ。まぁ、みんなそこそこできたのでポイントに移動して釣りを始めることになった。
最初は横浜大桟橋の付近で釣りのスタート。下を見ると、海には大物の魚影があった。回遊魚だろうか、集団でかたまっている。しかもでかい。30cm程度はあるぞ。ようし釣ってやるぞ! 何度かトライしたが結局釣れず。場所移動することになった。ここでも15分程粘ったが釣れず別の場所に移動した。シーバスはルアーを疑似餌と判断するらしく何度かアタックして駄目だったら場所を変えたほうがいいそうだ。
これを何度か繰り返したが1時間たっても2時間たっても釣れない。あと残り1時間である。大丈夫かな。今日の釣りにはお金をかなり投資しているので何としても1匹は釣りたい。しかし船長も釣っているが、全く釣れない。船長は朝から別のグループに同行したそうだが、そのときは1人平均2匹ぐらいは釣れたそうだ。時間帯が問題か、俺たちの腕が問題か。
よく考えてみるとここ1年間俺は釣りにでかけてるけど1匹も釣れてないのだ。ようし俺の運気をあげるためにも何としても釣ってやるぞ! そう思えば思うほど釣れなかった。結局いろいろなポイントに連れていってもらったが釣れなかった。残念だ。くやしい。本当に残念だ。
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さて今から出発だ。今日は10人乗りの船で出航 船長付き、釣り講習付きのチャーター船でポイントに移動
終わった後に船長に聞いたが外海は波が高いので、結局港湾付近でシーバス狙いになったと。シーバスはかなり難しいとのこと。だったら他の魚を狙いたかったよ。そして外海のある所ではとサバがよく釣れるとか、後から聞いたが、それだったら最初から行ってほしいよ。とりあえずポイントは分かったぞ。今度からは自分で行こう。
船釣りから戻っても俺は釣れなかったのがくやしくて、その日の夕方俺は1人でまた近場に釣りにでかけることにした。2時間ほど粘り、辺りが真っ暗になるまで釣っていたが結局釣れなかった。ようしこうなったら釣れるまで何度でも頑張るぞ。
翌日台風が接近中で雲ゆきが怪しかったが俺は本牧の海釣り公園に行った。高速で30分ほどであった。しかし波が強くて俺が到着したときには入場制限で入ることができなかった。えっ、まだ朝8時前だぞ。話を聞くと波が高くて防波堤を超えているとのこと。台風の影響だ。危ないから入場制限にしているそうだ。
俺は次に大黒埠頭の海釣り公園に向かった。風がすごく強い。雨も降りそうだ。それでも俺は何としても魚を釣り上げたくて、さびきをトライすることにした。さびきは案外釣りやすいのだ。するとほんの数分後に引きがきた。おっ、と思う間もなく魚を一匹釣りあげた。サッパであった。
俺は調子にのってすぐに糸を垂らした。するとまた引きがきた。今度は魚が2匹ついていた。おっ、すげー。今まで1年間釣れなかったのが嘘のようである。離れたところでも投げ釣りでふぐが釣れていた。サッパを何度か落としたり釣り上げたり。また釣りあげても下が網目になっていた釣り糸から外れると下に落ちてしまう。ふと気がつくと雨が降り始めていた。いつのまにか大雨になってきた。ようしあと1匹釣ったら帰るぞ。
服も釣竿も荷物もびしょぬれになって気がつくと6匹釣れていた。おそらく逃がしたのが4匹ぐらいだろう。大漁だ。俺にとっては大漁だ。サッパは大きくも小さくもなく10cm程度であったが俺は大満足であった。やった〜。ようやく釣ることができた。
家に帰ってマサキとショウヤに自慢した。するとマサキは、釣れるんだったら行きたかったよ、だって。俺は行く前に2人に声をかけたが2人とも行きたくないという返事だった。ようしマサキ、今度また行くか。
サッパは腹の骨が太くて硬いので食べるのが大変である。とりあえず3枚おろしにした。その後妻が骨を抜いてフライにした。けっこうサッパも美味いぞ。ようしまた釣りに行くぞ!
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今日の釣果はサッパ6尾だ マサキもうろこ取りの手伝いをやった
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3枚おろしの完成だ。フライでおいしくいただきました。
日曜日の夜は飲み会があった。俺は直前まで行くかどうか迷ったが結局行くことにした。ビジネススクールの集まりで現役生とOBの有志の集まりであった。俺は他の人から誘われていたが日曜の夜に勝どき駅まで行かねばならず更にそこで屋形船だったので行くかどうか迷った。翌日は台風がやってくるので雨が降っていて風も強かった。
俺は誰よりも早く40分前に到着してしまった。もちろん誰も来ていない。20分間前になっても誰も来ない。あるグループがいたので声をかけたけど違っていた。本当にみんな来るのかな?現役生でも1年生だと顔が分からないし、2年生でもほとんど俺の知らない人だろう。やっぱり来るんじゃなかった。帰ろうかな。
そう思っていたら知っている顔がやってきた。よかった。幹事であった。話を聞くと今日の参加者は30人とのこと。えっ、そんなに参加するの。すごいな、よく人を集めたな。
ビジネススクールの飲み会は言い方を変えれば異業種交流会である。初めて見る顔が7割以上であった。俺は人と話をするのが苦手であるが、飲み会に参加するのは好きでほとんどビジネススクールの飲み会は毎回参加している。すると顔見知りが増えてきて話ができるのだ(当たり前だが)。仕事にも役立つだろう。
ちなみに屋形船は刺身、天ぷらが出てくる。会社の忘年会でも乗ったことがあるが行き先はお台場で2時間30分のコースである。最近はKBSのメンバーも出席している(KGBではありませんよ)。KBSとは慶応ビジネススクールである。ちなみに我々はWBSである。
今日のメンバーの中にホッピーの社長が来ているとことを知った。えっ、どの人だ。俺たちはすかさず挨拶に行くことにした。名刺交換をしたら副社長であった。次期社長である。ホッピーとはアルコール飲料で最近居酒屋でもよく置かれていて、焼酎と割って飲む飲み物である。
ホッピーの副社長は有名な人である。テレビでも取り上げられていて彼女がOLを辞めて、父親の会社に入社してから社員といざこざが起こり半分ぐらい会社を辞めたらしい。しかし彼女の経営改革のおかげで売上げが伸びて、多くの居酒屋でもホッピーが置かれるようになった。
す、すごいな、ビジネススクールにとっては大物の入学だ。ちなみに彼女はWBSの1年生でMOTなので自分の後輩にあたる。テレビでもいくつか取り上げられたらしくて、会社改革の様子もドラマとして作られたそうだ。島崎和歌子が本人役になり徹底的な会社改革の様子が放送されて、本人はかなり悪者として見られたそうだ。
今日はおもしろい話が聞けてよかったよ。昨日、今日と釣り三昧で疲れていたし、おまけに台風もやってきているので参加するのを迷ったけど、参加して良かったよ。
8月24日
今日は月曜日だけど休暇をとった。1ヶ月ほど前に土曜出勤をしたので、その振替休暇を取ることにした。よく考えてみると昨年はビジネススクールで毎週土曜日学校に行っていたけど代休を取ることはなかった。代休がなかったというよりも自分で行かしてくれ、と頼んで学校に行ってたわけだから取るつもりもなかった。しかし会社のルールから言えば、代休を申請して取ることができたのだろう。
先週の夏休みは風邪で半分ダウンしていたから、その分を取り戻さなくては。夏休みは三重で船に乗る予定だったのをキャンセルしたのだ。そこで今日は船に乗って釣りをする計画を立てた。平日の船のレンタルは数千円安くなるのだ。
東神奈川のマリーナから出航して、インターコンチネンタルホテル、コスモワールドの観覧車の横を通り抜け、みなとみらい地区の赤レンガを横目に大海原へ出発。横浜ベイブリッジを過ぎたあたりで最初に釣りを始めた。波がかなり高い。船が大きく揺れて釣りどころではない。まっすぐに立っているのも大変だ。
そこで釣り場を変えることにした。波の静かな港湾の工場地帯に変更した。ここは波がほとんどなくてのんびりと釣りができるぞ! しかし全然釣れないな。魚群探知機を見るとたまに魚が通り過ぎていくがタイミングよく糸をたらすことができないのだ。
魚釣りは難しいな。ここ最近堤防釣りに行ってもほとんど釣れてないのだ。数年前は釣りに行くと必ず何かは釣れていた。俺の腕が落ちたのか。それとも俺には釣りのセンスがないからか。
マリーナに戻った後にスタッフの人から釣りに関するアドバイスをもらった。まずリールが反対についていると言われてしまった。えっ、本当に。それってもしかして基本中の基本かも。右利きの人は左手でリールを巻くらしい。俺は生まれてからずっとリールは右手で巻いていた。本当かよ!みんなも右利きの人はリールを左手で巻いてる?
釣り竿の中で一番大切なのはリールらしい。それは魚が釣れたときに糸に強いテンションがかかり、リールが逆回転するようになっているらしい。この微調整がされてないと糸が切れたり、ルアーや針が取られたりするらしい。えっ、それも知らなかった。俺のルアーは全く逆回転ができない状態になっていた。これだと大物がかかったときにすぐに糸が切れるらしい(しかし今まで大物なんてかかったこともなかったけど)。
このマリーナでも船長付きで釣り講習を行ってるとのこと。少し金額が高いけど一度やってみなくては。そうでないとこのままだと全く釣れないかもしれないな。釣りも基本が大切だから一度徹底的に基本を勉強しなくては。スタッフの話によると釣りのポイントも例えば1m×0.5mの範囲内に針を落とせるかどうかで決まるとのこと。それ以外の場所では全く食わない。そしてポイントに落として海底からの高ささえばっちり合えば入れ食い状態になるとのこと。本当かよ!早くそんな状態を体験したいな。
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さて今から出発だ。首都高速の下をくぐりぬけて大海原へ。左手にインターコンチネンタル、右手はコスモワールドの観覧車
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さて頑張って釣るぞ! しかし釣れないな・・・。 全然釣れないから眠くなってきたよ!
釣りに行っても魚が釣れないからおもしろくないよ!
船に乗れたのはおもしろかったけど。
8月20日
お盆は悲惨な生活を送っていた。11日の昼ごろから熱が37度を超えて、その夜は38度近くまで上がった。病院に行って薬をもらったが、翌日12日から夏休みに入ったが38度を越えていたのでもう一度違う病院に行った。まずすぐにインフルエンザ検査を行った。結果は陰性で大丈夫であった。
翌13日は39度を超えるようになった。なんと昼ごろ39.7度に到達したので解熱剤を飲んで熱を下げてから再度病院に行った。この日もまずはインフルエンザ検査を受けた。結果は昨日と同じ陰性であった。この2日の間にかなり大量の解熱剤を飲んでいた。
血液検査をすると腎臓の機能が低下しているのでこのままだと入院する必要があると言われた。な、何、こりゃやばいな。医師の診断ではおそらく解熱剤の副作用とのこと。そこで薬の力を弱めて体にかかる負担を軽くした。病気の治りは遅いかもしれないが体の機能が低下しているので、このまま今の薬を飲み続けると危険との判断である。
俺は食事も充分にとってないのだ。体重がどんどん落ちている。いろいろな悩みが重なり、5月と比べると体重が12kgも落ちていた。
妻子は2日から既に実家に帰っていたので俺は1人で生活していた。冷蔵庫の中をあさって食べ物も少なくなっていた。しかし高熱が続くと食欲もない。外に買いに行く気力もなくなる。さすがに40度手前までいくと俺はこのまま野垂れ死んでいくのか、という夢と現実の間をさまよっている状態に陥るのだ。
気がつくと俺は大量の汗をかいている。布団も衣類も丸洗いしたかのようにびっしょり濡れている。さすがにそこに寝るわけにはいかないのでシーツを剥がし布団を乾かす。妻がいないので俺が布団のシーツを洗う。ついでに枕カバーも、衣類も洗ってやれ。やけくそだ!
大量の汗をかくと熱が一時的に下がる。それでも38度以上はある。この程度の熱であればまだ大丈夫だ。外に買い物に行く気力もあるが、39度を超えると厳しくなる。一度コンビニにいったが頭がくらっときた。顔も真っ赤になっていた。すぐに店員が俺の不審に気が付き、マスクをつけていた。
14日になっても38度以上の熱がある。妻子の待つ名古屋に行かねばならない。当初の予定では13日に行こうと思っていて、出発のための準備を行っていた。荷物を宅急便で送り、よし今から出発するぞ、という直前に39度の熱があり動くことができなかった。行ける状態になったら出発しようと思っていたが、13日の出発は断念した。その夜にショウヤが、「パパはいつになったら来るの? 早くきて欲しいよ」、と騒いでいたそうだ。
そこで俺は自分の調子がよくなった瞬間に出発することを決めた。14日の昼ごろに熱を測ると38.4度あった。そして俺は出発する準備だけは整えて再度寝ることにした。布団を多めにかぶると汗がでてくる。気がつくと大量の汗がでて体が軽くなった感じで調子がいい。おそらく今は熱が下がっているのだろう。
しかし今熱を測って体温が高いと、出かける気力がなくなってしまう。そこで俺は熱を測らずに、自分の感覚だけで出発するタイミングをはかった。よし、今がチャンスだ。俺は急いで荷物を持つとすぐに家を飛び出した。もう後戻りはしない。
東海道線の電車の中は揺られて気分が悪い。頭がくらくらする。めまいがひどくなるのでずっと目をつぶっていた。品川で新幹線に乗り換えた。最初にきた新幹線に乗った。新幹線は揺れが少なく調子がいい。しかし寒い。何でこんなに冷房が効いているんだよ。高熱のある俺にとってはきつい。俺は上着を着込んで寒さ対策をした。
あっというまに名古屋に着いて地下鉄に乗り継ぎ妻の実家に無事に着いた。やった。ようやく着いたぞ。そこで熱を測ると、38.6度であった。やはり熱が下がることはなかったか。
翌日ようやく熱が下がり始めた。37度になり、夜には36度まで下がった。結局11日から14日まで38度から40度の熱がでた大変な夏休みのスタートとなった。とにかく熱が下がってよかったけど咳がひどくなってきた。今日も会社を午前中に終えて昼から病院に行ってきた。
血液検査をすると腎臓の数値は元に戻っていた。よかった。しかし咳がひどいのだ。会社では病原菌扱いをされた。昨日名古屋出張に行くとインフルエンザの影響で俺は工場への立ち入りが禁止されていた。こちらに戻ってきた俺は名古屋から病原菌を持ってきたんじゃないかと、みんな大騒ぎしていた。こら、俺を病原菌扱いするな!
おまけに咳がひどいから、みんな避ける。おかげで今日は堂々と血液検査の為に病院に行くことができた。病気で会社を休んだのは記憶にないぞ。それぐらい久しぶりだった。今度休むときは遊びで休みたいもんだ。
話は前後するが、俺はヤマハの会員を切り替えて自分でも船の運転ができるように新しい会員になった。そして早速安全講習を受けてきた。初めて船を自走させるときには安全講習を受ける必要があるのだ。講習会の後、山下公園、みなとみらい、ベイブリッジの付近を回りながら釣りをした。初めてのボート釣りである。GPS、魚群探知機をボートは積んでいるのだ。俺は魚がいようがいまいがとりあえず釣り糸を垂らした。近くをいろいろな船が通り過ぎていく。休日の港には多くの観光船がいるのだ。
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ベイブリッジを下から見上げた風景 横浜大桟橋には飛鳥が入港していた
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海賊船のような船が接近してきた。逃げる用意を。 今回レンタルした船です。初の単独運転でした。
8月2日
先週は研修のために土曜日出勤であった。課長研修なるもので金曜日の昼から夜9時まで、翌日の土曜日は朝から夕方までと長時間の研修であった。ケーススタディを読みグループワークで議論して結論を導き出すというリーダーシップの勉強会であった。長かったな。
翌日の日曜日は横浜で船に乗った。俺は以前から船のペーパードライバーから早く脱却したいと思っていたが、ようやく実現できた。船の運転は何年ぶりだろう。記憶にないな。10年はやってないぞ。昨年、船舶試験の1級が受かって以来ようやく免許を使うときがきた。
2週間前にヤマハの会員になった。俺が選んだのは免許がなくてもお試し乗船ができるライト会員である。しかしこの会員では自分で船の運転することはできず船のレンタルと一緒に船長もつけなくてはならないのだ。それでは免許を持ってる意味がないのでは?
ただペーパードライバーの俺がいきなり船を運転するのは無謀だ。船の止め方ってどうだっけ、右側通行・左側通行どちらだっけ、係留するときのひもの縛り方はどうするのだっけ、着岸の仕方はどうするのだっけ? や、やばい。船のことはすっかり忘れている。そうするとやっぱり船長付きで何回か船に乗って、慣れてから自分で運転するのがいいだろう。
八景島のマリーナから出発だ。家族全員で乗船して船は貸切なのだ。天気は晴天でかなり暑い。船に乗り込むと船長が、「今日はお試しクルーズですので、どうか運転してください」、ときた。えっ、いきなり運転。俺には無理だぞ。とりあえずマリーナ内の狭いところは難しいので広いところに出てから運転することにした。
よく考えてみると船の運転は簡単なのだ。そうだ思い出したぞ。レバーを前に倒すと前進。後ろに倒すとバックだ。あとはハンドルを切るだけ。本当に簡単なのだ。しかし船が多い。まっすぐ走っているつもりでも少しづつ曲がっている。はるか向こうの左前方から来る船とこのままだと衝突しそうだぞ。かわさなくては。
後ろから抜いていく船にも気をつけなければ。漁船は急にUターンしてくるので危ない。周囲を全く無視して走る大型クルーザにも気をつけなくては。定期航路の船は進路を譲らないのでこちらがよけるしかない。それが海の掟だそうだ。横浜の海は運転が難しいのだ。
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近くに軍艦の観光船があり船の上から見学した。すごいな。船の上から記念撮影だ。その後、八景島をぐるっと一周すると、周囲はウインドウサーフィンだらけだ。こりゃ危ないぞ。このあたりは船長に運転をおまかせ。ウインドウサーフィンは突然こちらに向かってくるので怖いのだ。
風を切って走るのは気持ちがいいな。おまけに自分で運転しているから最高だ。お試しクルーズは16歳以上であれば免許がなくても運転体験ができるので妻も恐る恐る運転していた。
ようし今度は船を借りて釣りをするぞ。マリーナに戻るときに着岸の練習をした。しかしうまくできなかった。30度の角度で桟橋に進行して・・・、その場になるとやり方を思い出した。しかしすぐ近くに別の船がとまっていてうまくできない。2度トライしたけどだめだった。もう少し桟橋が長ければうまくいったんだが・・・。
船はおもしろいな。ようし今日1日運転したことで、大分船に慣れたぞ。こうなったら船の運転ができる会員のほうに変更しなくては・・・。今回運転してかなり思いだした。次は釣りに挑戦だ。
8月1日
7/19の続きです。
7/20日の連休2日目は東京ビックサイトのおもちゃ展に行ってきた。前日は入場者が6万8千人で、人でごった返したとの情報があった。また入場制限もあり得るということで、俺たちは朝早くの開場ぎりぎりに行くことした。
それでも入り口は普段の展示会ではありえないぐらい長蛇の列ができていた。ほとんど開場と同時ぐらいに行ったのに300〜400mぐらいの長さの列ができていて驚いた。これで本当に入ることができるのか?
それでも列はスムーズに流れてあっというまに中に入ることができた。入り口のセガの巨大なブースに入っていくと、赤ちゃんや幼児用のおもちゃから、子供や大人が興味を引くラジコンヘリ、戦車など一通り揃っていた。
マサキとショウヤはカード&ゲーム盤で遊び始めた。スタッフが寄ってきて、「もしよければモニターになってもらえませんか」、とゲーム1式もらえることになった。おっ、ラッキーだ。こりゃすごいぞ。他のところも見てゲームをゲットしなければ、と俺は外にでようとしたが、マサキとショウヤはそこのブースで遊びに夢中だ。
俺はふらふらと他のブースをさまよっていた。すると日曜日の朝からテレビでやっている、○○レンジャーの主題歌を歌っている歌手(俺は名前を知らないのだ)のショーがやっていた。マサキとショウヤは喜んでいた。
他にもバンダイやトミカ、タミヤなど多くのブースを回った。中に入るのに40分待ちなどのブースもあった。バンダイなどは歴代の仮面ライダーの等身大フィギアが並んでいた。すぐそばには、プリキュアのホログラムが自己紹介をしていた。その前には、”おたく”達が自分の携帯で写真やビデオを取っていた。しばらく観察していると”おたく”はずっとそこを陣取っていて、子供達はなかなか前に進めない。
かわいそうに。そう言う俺も”おたく”観察のためにずっとそこにいたので、後ろが詰まっている。前に進もう。周囲は人、人、人だらけである。気がつくと妻や子供たちとはぐれてしまった。しまった。”おたく”観察なんてやめればよかった。俺は疲れて椅子で待つことにした。
昼飯を食べる場所ももちろんいっぱいである。俺たちは通路の端に座って食べた。最近俺は歩くようにしており、長距離歩くことに自信があったが、ここではかなり歩いて足が痛くなってしまった。妻や子供たちもかなり疲れている様子だ。結局午後2時過ぎに帰ることにした。疲れたけどおもしろかったな。”おたく”観察がおもしろかったよ。
7月19日
今年初めての3連休だ。初日の昨日はビジネススクールの総会があって出席してきた。総会といってもただの飲み会だ。卒業生と現役生と先生方と一緒に立食パーティを行う。久しぶりに仲間に会って近況報告をした。コンサル、ベンチャーキャピタル、広告会社、教習所、製造業、飲料メーカなどみんないろんな分野で働いている。初めて顔を見る人ももちろんいて、いろいろな話が聞けておもしろかった。
金額が高いので留学生はほとんど参加していなかったのが残念だ。おまけに俺たちの同窓生は5名ぐらいしかいなかった。また金額が高い割には料理がいまいちであった。ホテルはリーガロイヤルだからかなりいいホテルである。大学に併設しているからいつもそこを使用するのだが、部屋代にかなりお金が取られているのかもしれない。
そして最後の締めくくりは校歌を歌うのが慣わしだ。大学に関するイベントでは必ず最後に校歌を歌う。大学野球のとき何回も歌ったし、飲み会のときも必ず歌う。それもただ歌うだけではなく、拳を握り大きく振り上げたり下げたりして昔風に歌うのだ。最初はこっぱずかしかったがいつの間にか慣れてくる。そして気がつくといつのまにか歌詞を覚えていたりするものだ。
7月11日
今週はどたばたの日々が続いた。工場で会計に関する勉強会があり説明要員として内容を充分に理解しないまま説明してきた。その数日前の勉強会で俺は初めて資料を見て驚いた。こんな数十ページに渡る内容をどうやって話すんだ! 俺は土日も話す内容を考えていて、話をする直前までプレゼンの手順を考えていた。
2日間に渡って説明会があったが初日は7割を自分で話し、2日目は2割程度話をした。残りは一緒に行った人に説明してもらった。結果的にみると予想通り、プレゼンだけであれば特に問題なく話し続けることができた。ただ朝から夜まで話し続けるために喉を痛めてしまった。質問に関してはこれも予想通りあまり回答することができなかった。一緒に同行した財務の専門家に回答してもらった(俺はプレゼンだけならできるけど即時回答が苦手なんだよね)。
何はともあれ2日間の説明会が終わった。しかしその翌日にも別のプロジェクトの会議が午後からあり、午前中はどたばたで資料の準備を行った。会議終了後は上長の歓送会があり横浜に移動した。部署の中の飲み会の幹事をしているので数週間前から歓送会の準備も進めていたのだ。
とりあえず歓送会は盛り上がり終了した。ただ場所が少し遠いだけに開始前には不満の声もあったみたいだ。また今回ホテルの一室を借り切って行ったが、初めての場所なので成功するかどうか心配であった。俺は先週下見にも行って確認した。
いつも使っているところであればよく知っているから下見の必要はないが初めての場所だとやはり歓送会にふさわしい場所か気になる。同僚が主役のイベントであれば場所の心配はあまりしないが、さすがに今回は常務の歓送会だったのでふさわしい場所を探す必要があった。
今回は特に前日、前々日と出張していたため大変であった。また前日に突然他の参加者も現れたため何度か予約を取り直した。もちろん協力者がいたからできたことで、自分ひとりで全てはできなかった。
とりあえず1週間が過ぎ土曜日がきてほっとしている。しかし昨年はこの状態でビジネススクールに行っていたのだから本当に忙しかったよ。おそらく今はテストの時期だろう。みんな頑張っているだろうな。そういえば一緒に卒業した友達から結婚式の招待状が届いた。10月に結婚するとのこと。おめでとうございます。
7月5日
来週は仕事で2日間福島に行かねばならない。ある勉強会が工場であり、その説明要員として行かねばならない。俺が腑に落ちないのは僅か2日間の勉強会に参加しただけで内容の理解がないまま工場に行き、説明することだ。
先週2日間朝から夕方までぶっ通しでその勉強会が行われたが、その勉強会の参加も突然指名された。おまけに来週の説明要員も突然指名された。俺は「そんなの無理です」、と断るまもなく気付くと説明要員になっていた。2日間の講義で俺は理解しようと努力したが無理だった。しょうがないので土曜、日曜も資料を見たけどやはり難しい。会計的な内容なのでビジネススクールで多少は勉強したが技術系の俺にとって内容を全て理解するには時間がかかる。
まぁ、仕事だから組織の長から命じられたことは実施するしかないけど、理解できない者が現場で説明するのはあまりにも無謀だ。俺も命じられたからには無謀ながらも説明しようと試みるが、さてどうなるだろう。俺は話をするのはおそらくなんら問題ないと思う。内容を自分が理解できなくてもプレゼンする自信はある。しかし質問を受けたときに回答する自信は全く無い。
今まで繰り返しいろんなところでプレゼンを行ってきたから、どんな内容でもプレゼンだけならできるだろう。しかし内容を理解してないので深い意味を説明することはできないのだ(当たり前だけど)。一緒に同行する人が財務系の人なので質問回答はその人にまかせよう。
6月27日
本の整理をしなくてはならない。今まで学校で勉強してきた本が乱雑に積まれている。この2年間の間ビジネススクールで勉強するために買った本である。40冊以上はある。本の購入費だけでどれぐらいかかったのだろう10万円は超えたかな?
最初の頃は新書を買っていたけど、新しくても古くても中身は同じということでそのうち節約のためにアマゾンで中古本を買うようになったのだ。
写真の真ん中ぐらいに赤い本でキャズムと書かれた本がある。キャズムって何か分かります?日本語では落ち込んだ溝という意味だけど、新しい製品が世の中に生まれると、まずはオタッキを中心に広がる。つまり新しいもの好きな人が新製品を購入してくれるということだ。
そこから一般消費者に伝達する前にキャズム(落ち込んだ溝)がある。このキャズムを乗り越えるのに企業は苦労するのだ。なかなかおもしろい本らしい。らしいというのはみんなの意見で、俺は要所要所しか読んでないのだ。本もこれだけ購入したけど隅から隅まで読んだ本は少ない。
キャズムの上の黄色い本で、ガツンと事業をどうのこうの、という本は全部読んだ。全部読んだというより読まされた。なぜかというと授業の初めに読後感を書かされたからだ。やむを得ず全部読むことになった。この本の著者がその授業の先生で本の売上げを伸ばす貢献をしてしまった。
先生はその後、何冊も本を出しているが、その先生というのが最近論文を一緒に書いた人だ。さすがにその先生に俺も一緒に共著にしてくださいとは言えないが、どうやったら本が書けるのですか、とは聞いたことがあった。
まずはネタを書くことだ。それからそのネタを出版社に持ち込むこと。そうすると出版社が本になるネタかそうでないか判断してくれる。修正するのにはかなり時間がかかるそうだ。人によって違うかも分からないが下手したら1年ぐらい費やすかも分からないらしい。
他の先生で本を書くのが趣味の人もいる。その先生のゼミ生は本を書かなくてはならない。論文を本として出版するそうだ。話を聞いたがかなりの労力がいるそうだ。
その先生は毎年1〜3冊の本を書いて出版している。夢は本の印税だけで生活することだそうだ。既に数十冊出していて、本人いわく、もうすぐ印税生活ができるとのことだ。
すごいな。その先生も授業で自分の本を使っている。おまけに1回の授業で平均3冊の本の解説を行うので全ての授業を通すと10冊以上の本を購入する必要があるのだ。テストのときは本の持込みが可能で俺はアマゾンで6、7冊ぐらい本を購入した。俺も先生の印税生活の夢に貢献してしまった。
6月20日
昨日六本木に飲みに行った。俺にとって最近六本木に行くことじたいなかった。六本木に行ったことあったかな?10数年関東圏に住んでいるけど六本木で飲むのは初めてであった。夜の六本木の俺のイメージは外人が多い、若者がたむろする、怖いところ、であったが、・・・・、実際に行ってみると普通の都会であった。普通の都会という表現はおかしいけど、別段特に何が違うというわけではなかった。確かに多少外人が多いような気がしたけど。
2週間前にビジネススクールのパネルディスカッションがあったが、そのメンバーが集まって飲むことになったのだ。慶応の方がセッティングをしてくれて都合のよいメンバーだけが集まった。ビジネスの話を中心にお互いの自己紹介、普段の生活、ビジネススクールの勉強、将来の夢などいろいろ話をした。
話の中で外資系企業と国内企業の人材の扱い方が大きく違うことは俺にとって勉強になった。今の不況のときリストラで人を切らざるを得なくなった場合、外資系企業は従業員を頭から順番に順列をつけて下位何人の首を切る、ということを平気で行うとのこと。純日本の企業とは大きく違う。外資系は仕事を行うときにそういう契約するそうだ。だから仕事をやめさせられるときもあっさりしているとのこと。リアルな話を聞くと、やはり驚いてしまう。
飲み会はみんなの仕事の都合でスタートが20時だったこともあり気がつくと0時を過ぎていた。けっこう盛り上がった飲み会であった。みんな違うビジネススクール出身でそれぞれ専門も違う。このメンバーで新規事業をやるならどのようなのがいいか、みんな夢を語った。ビジネススクールの連中と会うと必ずそういう話になるのが不思議だ。このメンバーだったら国内ビジネススクールの本を書けるかもしれないな。
夜中でも六本木は人だらけである。終わった後、さて俺は家までどうやって帰るか考えた。地下鉄とJRを乗り継いで途中の駅まできたけど、その後は電車がなかった。しょうがないからそこからタクシーで帰還した。今日は、おもしろい飲み会であった。バックボーンの違う人と飲むといろんな話が聞けて本当におもしろい。
翌日は別の友人と会う約束をしていた。彼はビジネススクール卒業後、グロービスという独立系のビジネススクールに就職していて一度話がしたいと先方から連絡があった。学校見学をさせてもらいグロービスの教育内容について話を聞いた。
グロービスは1教科から勉強ができ、夜間、土曜日開講のビジネススクールで優秀な講師陣が揃っているとのことであった。俺が見学したときも授業中で1クラス20名程度のクラスが10程度開講していた。自習室、ミーティングルームがあり雰囲気は俺が勉強してきた学校と似ていた。
大きな違いはグロービスは株式会社であるため利益を出さないと事業継続ができないことであった。だから授業も最低受講人数が決まっていた。俺が勉強してきた学校の場合、最低人数は決まっておらず例え1人であろうと授業は行われるのだ。
その人は今でもゼミのメンバーと定期的に勉強会を開いているらしく、前向きで積極的な考え方を聞くと自分のモチベーションも上がった。ある別の人は学校卒業後に社業を継ぐため更にグロービスでも勉強するらしい。かくいうその人も過去にベンチャーを立ち上げて今でも株主としてその業務にも関わっているとのこと。すごいパワフルだな。俺もその前向きな姿勢を見習わなくては・・・。
6月16日
先週の土曜日は久しぶりに大学に行った。ゼミの先生に本を返却し、パネルディスカッションの報告を行い、先日雑誌に掲載された論文も手渡した。今のゼミ生は全員が留学生で英語ゼミになっている。少し前にトヨタ自動車の見学に行ったそうで外人は「トヨタに行った」というだけで大喜びらしい。俺も誘われていたけど他の予定があって断ったのだ。
来年チャンスがあれば行きたいな。他にも軽井沢や鴨川で合宿を行っているとのことで修士論文の定期報告会を行っているそうだ。みんな今が修士論文の最後の仕上げだから大変な時期だろう。
その後偶然別の留学生とあって話をしていたら来週には修士論文を提出とのことであった。今必死になって図書館にこもって論文を作成しているそうだ。その人は留学生といっても日本語で書いているそうだから、かなり大変だろう。
その後俺は雑誌に一緒に投稿した別の先生と掲載祝いということで飲みにいった。大隈会館には教員専用のレストランがあってそこで昼間から飲むことになった。その日の授業はゲスト講師がきており一緒に話をすることになった。
その方は元大手の会社に勤めており、元帝○のエンジニアで工学博士である。今は独立して会社を経営されている。お二人の話は重みがあり、企業のこと日本のことなど多岐に渡って話を聞くことができた。先生の所属している会社の会長は有名な人で、現在政府のある委員の長を担当していて首相とも懇談しているとのこと。そういう話を聞いて俺はすげーなーと感心するだけであった。
6月7日
先週は慶応大学の日吉キャンパスに行ってきた。ついにビジネススクールのパネルディスカッションに出席する日がやってきた。6大学(慶応、日本、法政、多摩、立教、早稲田)が集まったビジネススクールのMBAフェアーである。
俺は1週間前からパネラとして話をする内容を考えていた。司会は法政大学の教授である。少し早めに会場に行くと聴講者が多数集まっていた。今回申し込みは350名で、過去最高とのことである。しかし実際俺が舞台から人数をチェックすると100名程度であった。
他のパネラや先生と名刺交換をしていくつか驚くべきことがあった。慶応のパネラは以前交流会(飲み会)を行ったときに会った人で驚いた。おまけにある先生からは、○○さんをご存知ですか、と聞いてくる。その人は会社の創業者に関係する人で、その先生の後任だと言われていた。非常に驚いた。
俺たちは、ビジネススクールに入学しようとした理由、ビジネススクールではどういう勉強ができるのか、MBAを取得してどのように役立っているかなどの話しをした。俺の場合は、工学博士なのになぜMBAを取得したのか、という質問もあった。
パネスディスカッションの後に模擬授業で我が大学の先生が財務会計の授業を行った。その後、個別相談会というのがあって、各大学のブースでビジネススクールの個別な質問を受付けていた。
俺も暇だったのでブースに立って、修了生ということで大学の授業の様子など話した。他に数名大学の先生と事務の人が来ていた。我々のブースは意外に活況で特に夜間コースに人が集まっていた。
自分にとっては初めてのパネスディスカッションだったのでよい経験になった。ただ技術系のMOTの自分がなぜ選ばれたのかは今でも疑問である。特に成績も良かったわけではないはずだ。
話は変わるが、ついに論文が雑誌に掲載された。雑誌社から数冊の雑誌が送られてきた。今回も掲載されるまで何度も校正を行ったから長かったな。
5月17日
1ヶ月近く更新できなかった。
5月の連休は旅行に行ってきた。当初は5連休であったが会社が世の中の景気後退の影響を受けて会社全体で帰休休暇となった。5月6日まで8連休あり1週間の長期旅行にでかけた。詳細はまた書きます。
大学の先生と作成していた論文の校正がようやく終わった。長かったな。論文は雑誌の6月号に掲載される。楽しみだな。
話は変わるが、マサキが新聞の切り抜きのコピーを学校からもらってきた。見るとマサキの写真がでかでかと載っていた。前日に多摩川での自然観察がありその内容が書かれていた。俺はそのコピーを見て新聞の原紙の方がもっときれいに見えるだろうと探すことにした。
新聞屋に電話するとその新聞を扱っているらしく俺は6部も頼んだ。6部も頼むなんて俺も親ばかだな(妻は失笑していた)。翌日その新聞を見るとなんとカラーで写っていた。やっぱりこっちの方がかなりクリアーだ。写真には3人が写っていた。偶然3人の写った写真が選ばれて掲載されたみたいだ。良かったな。
また話が変わるが、家の駐車場にはよく空きスペースにいろんな車が止まっている。住人だと思うが迷惑である。俺の車の出口付近もよく車を止められる。そこにトラックがここしばらく止まるようになった。いつも止まっているわけではないがたまに俺が車で外にでようとするときに見かけるのだ。
本当に迷惑だよな。出れないことはないがトラックが邪魔して左方向にしか出ることができないのだ。前回はがまんしたが今回はがまんできない。そこで俺は警察に通報することにした。するとパトカーが5分ほどでやってきた。早いな警察。ナンバープレートから所有者を割り出し移動するように連絡すると警官が教えてくれた。
ところが相手がつかまらないとのこと。直接注意をすることができないので車に移動するようにと書いて張ってくれた。それから2時間ぐらいたって見ると車がすでになくなっていた。さすが警察の力はすごいな。それ以来そのトラックの姿は一度も見ていない。
今回俺はトラックの迷惑駐車をまず最初に管理人に伝えた。迷惑駐車に対して注意するように促したが、管理人は「どこの車か分からない」と全然取り合ってくれなかった。だったら警察に電話かけてくれと頼んでも、「私には権限がそこまでないからできない」、全くの役立たずであった。掃除ばかりでなく管理人らしい仕事をしてくれよ。
だったら俺が自分でかけるよ、ということで、こういう流れになったのだが、今回は警察の素早い行動でトラックを移動させることができた。迷惑駐車はマンションの敷地内だと警察は何もやってくれないと思っていたが、私有地であってもそれなりの行動を取ってくれることが初めて分かった。さすが警察だ。
4月25日
大学の先生と何度か論文の校正を繰り返している。技術と経済いう雑誌に載るらしいが俺はそんな雑誌があるなんて知らなかった。経済の専門誌らしい。少し前に大学の図書館で読んで分かった。
その先生が電話で、「今度から授業をもっと厳しくしようと思ってるよ」、と言われた。俺は既に卒業した身なので、「先生、厳しい授業のほうが学生のためになりますよ」、と他人のことを思って言った。しかし授業は1つだけでない。多くの学生は授業で宿題、レポート、プレゼンがあり全て同時に進めていく必要がある。正直言って、大変だろうなと思った。
そういえば先生から、「シラバスを見たか?」と以前言われたことを思い出した。大学のシラバスを見ると、指定教科書のところに、自分の名前が書いてあるので驚いた。「えっ〜、どういうことだ」。昨年書いた大学のケースと今ちょうど校正している論文が書かれていた。「ぶったまげたな〜」。俺の書いた論文が指定教科書になってるよ。(俺のではなくて”俺たちの”と書くべきだ)
授業内容を見ると、3つぐらいのレポートを書くらしく、その1つは昨年俺も授業で書いた「個人の自律化」だが、全て10枚程度書くようにとなっていた。昨年はどれか1つを選択して自分の書きたい枚数だけレポートを書くだけであったが、今回は全て10枚書くようにとなっていた。これはきついぞ。
文章を書くのが苦手な人は、もしかするとこの授業を避けるかもしれないな。「厳しくする」、というのはこのことだったのか。しかし驚いたのは自分で書いた論文がビジネススクールの指定教科書になってることだ。本当に驚いた。念のために一言、俺には一切のお金は入ってきませんので。
そういえば大学から話のあったパネルディスカッションはどうなったのかな、学校からは何も言ってこないよな、大丈夫かな、と思いネットで調べると既に宣伝用のパンフレットが出来上がっていた。
出席するビジネススクールは6つでいくつかの大学のHPの中で宣伝されていた。その中に我が大学の2009年3月修了生として俺の名前が載っていた。やっぱり各大学1人だけが出席するのか。びびるな。大学のある財務系の先生が模擬授業を行うとなっていた。
パネルディスカッションのタイトルは、「MBAのキャリア形成」とまた曖昧な名前がつけられていた。別の大学の先生が司会者らしい。おそらく司会の先生が質問をぶつけてきて俺たちがトークをするのだと思う。俺にまともな意見が言えるのかな?入場者の定員は200名となっていた。そんな大勢の前で俺はトークをしたことがないぞ。心配だな。
話は変わるが、卒業生の1人からメールがきた。彼は社長で高齢であるが自分や他の若い方とクラスメートとして仲良くしていた方で、我々のクラスのリーダー的存在だった人でもある。その人が、「○○先生が学長の就任挨拶に先ほど会社にきましたよ」、というメールがあった。俺が5、6年前に博士をとった研究室の先生のことであった。すごいな。学長といったら大学の中のトップだ。俺が博士課程だったときに一度副学長をされていたこともあったが、学長になられるとは。す、すごいな。
その先生には俺がビジネススクールに行くとき推薦状も書いてもらった。もちろんその先生には卒業してすぐに学校卒業の報告はした。同級生である社長はその地域の経済同友会のメンバーで、昔から先生とは知り合いとのことであった。そしてよく俺の話が話題にあがっていたらしい。今度また挨拶にいかなくては。
4月20日
沖縄の離島に行ったときの写真をアップしました。船でダイビングスポットまで行きシュノーケルをつけてもぐりました。海がすごく綺麗だった。
4月15日
1ヶ月近く更新できなかった。
今まで更新できないぐらいすごく忙しかったわけではなかったが、そこそこ仕事も忙しくまた脱力感があり更新する気力がなかった。
とりあえず、3月25日に無事にビジネススクールは卒業できました。よかった〜。ビジネススクールの卒業とともに脱力感が襲ってきた。「ようやく終わったぞー」。俺にとっては、いろんな面でつらいことが多かった。ようやく学校が終わったと思ってホットしていたが実は終わってなかったのだ。
卒業式の日にゼミの先生からある人の名刺をもらった。「事務所に寄ってこの人に会ってくれないか。何か君に頼みたいことがあるらしいよ」。俺は大学の卒業式のパーティを抜け出して事務所に行った。するとその人から、「パネルディスカッションに出ていただけませんか」、と依頼があった。パネルディスカッションとは何だ?
事務所の人と、いろいろ話した結果引き受けることになった。俺はパネルディスカッションというのは初体験である。いったいどんなことをするのだろう。詳細は分からないが6つぐらいの大学の修了生がパネラーとして出席して意見を述べるらしい。
MBAフェアーということらしいが、ビジネススクールに興味のある人たちが集まるらしく、その人達の前でトークをするそうだ。「何人ぐらいの人が来るんですか?、個別に対応するのですか?」。
俺は以前も先生の依頼でMBAフェアーに出席したことがある。欧米、アジアなど世界各国のビジネススクールの見本市に出席した。そのたぐいだと俺は思った。個別に対応するのであれば大したことないよな。しかし事務の人から略歴を送ってくれと言われて、詳細なことが分かった。「昨年の入場者は250名ぐらいで、・・・」。俺は唖然として断ろうとした。「俺よりもっと適任の人がいるのでは、・・・」。
詳細はまた後日書きます。
卒業式が終わったその翌日から2日連続で休暇を取った。土日も合わせると4日間の休暇であった。俺は妻のご両親とお兄さん一家の総勢9人で沖縄に行った(行ったというより連れて行ってもらった、というのが適切だろう)。
沖縄本島経由で石垣島、小浜島、西表島などいくつかの島を巡った。由布島では水牛の牛車に乗り川を渡った。初めての体験であった。石垣島でのシュノーケルダイビングは海がきれいですごくよかった。船で島を離れて沖で潜るのだが、マサキもショウヤもウェットスーツを着て水中探検を楽しんでいた。写真はまたUPします。
沖縄から戻るとよけいに日常の殺伐とした状態が体にビシビシと突き刺さってきた。毎朝混雑している電車に乗りながら大きなため息をつく。仕事は更に忙しくなった。大学が終わり学校の勉強がなくなったので俺には容赦なくバンバン仕事が入るようになった。俺は再びうつ病ぎみで仕事をせざるを得なくなった。
大学とは完全に縁が切れたなと思っていたら、授業で一緒にケースを書いた先生から突然連絡があり、「声を聞かせてくれ、今度雑誌に掲載する論文の校正してくれ」、と連絡があった。俺は適当に校正して返信したら、先生より、「頭を真っ白にして見直すと、もっともっと訂正する部分が見えてくるはず!」、と厳しい一言があった。俺は最近憂鬱な日々を過ごしているので頭の中ではやるべきことが渦巻いているのだが・・・。
自分の仕事は忙しくなるが会社自体は世の中の景気後退と同様に仕事量が減り会社全体で帰休休暇が今月末から発生することになった。俺が入社して以来初めての長期休暇になる。いったいこの長期休暇をどう過ごそうか。海外に行くか、あるいは家で過ごすか。ゴールデンウィークに海外に行くとバカ高いからな。どうしよう?
3月21日
景気はどんどん悪くなっていく感じがする。ボーナスはでるのかな? 俺の仕事環境はどうなっていくのだろう。自分の仕事は減るどころかどんどん増えていくからありがたいけど。逆に増えすぎで会社の人と怒鳴りあいになって問題を起こしてしまった。共同研究先の先生からも研究が不十分だと叱られた。
学校の勉強会やゼミ合宿があり家にあまりいないので子供たちから、「何で今日はいないの。つまらないな。」と言われてしまう。
花粉症の薬を飲んでいるけど最近ひどくて頭がぼっとしてくる。そうすると全てのモチベーションが下がってしまう。
会社は久しぶりの3連休に入ったが、仕事、学校、勉強、子供と遊ぶ、通院などいろいろある。ゼミの教授に卒業式のときに渡すプレゼントも買いにいかなければ。そうそう25日についにビジネススクールを卒業するときがきた。
大学全体の卒業式が午前中、午後からビジネススクールの卒業式があるのだ。平日だけど会社に許可をもらって俺は午後からの卒業式に出席する予定だ。その後はパーティーがいくつか催されているようだ。
2年間いろいろな問題があったけどとりあえずここまでくることができた。多くの人と知り合い、優秀な教授陣のもとで多くの勉強ができた充実の2年間であった。
政府の有識者会議が開かれたと先週の新聞に載っていたが大学のある先生もいた。日経新聞によくコメントを掲載している有名な先生もいる。今のビジネススクールは優秀な教授陣が揃っているのは確かだ。あとはそこで勉強してきた人達がいかに実行して世の中を変えていくかにかかってくる。さてこれから新たな気持ちでスタートだ。
3月8日
怒濤の日々が過ぎていった。社内外の人達と多くの議論と怒鳴りあいがあり疲れた2週間であった。自分の意に反することが多くありストレスも溜まってくる。最近は三半規管がおかしいのか、ふとしたことでめまいがする。体の中で何かが起こっているのかもわからない。年齢を重ねると共に体調が悪くなってきているのかもしれない。
体調維持はもちろん第一に考えなくてはいけない。体調が悪いと他の全てに影響してくるからだ。あと大切なのはやる気だ。やろうと思う気持ちがなくなれば前向きに進むことができなくなる。けど自分の意思に反することを命ぜられても正直言ってやる気はおきない。
命令するほうはやる気をおこすように仕向けるが、人の心はそう簡単には動かない。表面上はやる気をおこしているように見えても実際に心の中ではやる気がおこってないのである。周囲から見るとやる気をおこさずにいる人は単なるわがままとしてうつるのかもしれない。これは単なる自己都合のわがままなのか、あるいは違うのか。
話は変わるが九州出張の帰りに福岡空港でホンジャマカの石塚を見た。多くの人と記念撮影をとっていたので、よし俺もと思ったが誰もスーツ姿の人は騒いでなかった。俺も、かっこ悪いからやめようと思いあきらめた。同じ飛行機で彼は前方のクラスの高い座席で上着を脱いで半そでになっていた。暑いのか? いや寒いだろう。いや彼にとっては暑いのかも。
家に着いた後にマサキとショウヤに話をすると、「写真とってきてほしかったよ」、と言われてしまった。記念撮影をしていたのは家族旅行らしき人たちと若い女性達だけで、スーツ姿のビジネスマンは誰もそのような行動をとってなかった。
さすがに俺もかっこ悪くてできなかったことを話すと、子供たちは残念がっていた。よし今度は勇気をもって写真だけでもとるか。そういえば少し前に東北の議員のサスケ氏(覆面プロレスラー)の写真をとろうとした人が殴られそうになったと報道されていた。気をつけたほうがいいな。
有名人は所属プロダクションが肖像権を持っているので勝手に写真をとって公開するとダメなのかもしれない。早慶戦で斉藤投手に対しても、「写真を撮らないでください」、というボードを係りの人が持っていて、撮影している人には注意していた。
しかしホンジャマカの石塚は超笑顔でファンサービスに応じていた。いい人なんだな。おそらくファンを大切にするかどうかで違ってくるのかもしれない。
話はまた変わるが、マサキの版画がまたどこかに出展されたそうで賞状をもらってきた。「おっ、マサキすごいな、どんな版画を作ったんだ」。「えっと・・・
2月22日
今週は2日間名古屋に出張があって、来週は2日間九州に出張があり忙しい。大学の集中講義は正規登録してないから宿題やレポート、プレゼンの負荷はない。代わりに会社の仕事がどんどん増えている。
俺が大学で学んだことを会社で活かすため、来年度の事業計画の中にいろいろ組み込まれていた。この2年間で会社は自分に対して投資をしてきたので、俺は何らかのリターンを返さなければいけない。修士論文で設備投資の意思決定を書いたが、企業は投資をするときにどれぐらいのリターンがあるのかを現在価値で換算して投資すべきかどうかを検討する。
人に対する投資も同じだろう。会社が俺に対して投資したのだから、当然それに対するリターンを生み出さなければならない。会社はそれを期待して投資したのである。
ビジネススクールに行く前には漠然としかそのあたりのことは考えてなかったが、大学で経済性分析を勉強してから、そのあたりの考えがはっきりと分かるようになった。もしかすると俺だけが分からなかったのかもしれないが。
博士課程で勉強していたときはそのような考えは少なかったと思う。工学系の頭で勉強していたから、実験装置を作り実験を行い、結果を文章にまとめる。再実験が必要なところは再度行い、最終的に文章が完成すれば論文を投稿したり学会で発表したりする。ひたすらこれを繰り返す。しかし企業にとって必要なのは研究成果を会社の利益につなげることである。
今思うと多くのトレードオフがあった。会社のための研究を行い、良い結果がでると発表はできなくなる。社外にその研究成果を公表してしまうと他社に真似されてしまうからだ。しかし博士課程で先生側から見ると良い研究成果が出れば、是非発表して欲しいと望む。
つまらない研究成果を発表しても学会の中ではバカにされるのが落ちである。しかし会社としては論文として世の中に公表するのであれば、少しランクを下げた成果に留めておくべきだ、ということになる。もしかすると、「これ以上の説明は社外秘ですので」、と言えばよいのかもしれないが、「だったらなんで発表するんだ」、と言われかねない。
いずれせよ、世の中にはトレードオフの問題が多い。一方を立てると、もう一方が立たない。別を立てるとこちらが立たなくなる。
話が少しずれるが、更に複雑なのが産官学の協同研究だ。会社で俺も担当している(いや、させられている?、いやいや、無理やりやらされている?)が、ここでは国家が絡んでくるからやっかいになる。このHPではあまり無茶なことは書けないが、はっきりいってストレスの塊を肩車している状態である。おかしなことが本当に多い。
その1つとして立てた予算は完全に使い切らないといけないというルールがある。いや予算以上に使う必要があると言ったほうがよいかもしれない。全く国の考えはよく分からない。企業はできる限り節約しようと必死になって取り組んでいるのに、国の場合は大前提にあるのは、無駄を省くよりも予算を使い切ることが重要になってくるのだ。
そうしないと来年度の予算が少なくなるからという全くもって訳の分からない理由がついている。おかげで無駄なものを買わざるを得なくなった。来週の九州出張はその関連で行ってくるがモチベーションが上がらない。来週は10ページ程度の関連報告書の提出もあるし、発表会も3月に控えている。今から考えるだけで胃が痛くなってくる。会社の仕事時間だけでは対応できない。俺にとってこれもまた試練である。
2月15日
金曜日と土曜日はゼミの先生が担当するロジスティックスの集中講義を受講した。木曜日から火曜日の5日間の講義で朝から夕方まで集中して行われる。午後は外部講師が来て話をしてくれる。金曜日は元ジョンソン&ジョンソンで今はナイキゴルフの部長である。その部長は女性である。日本のロジスティックスを率いる数名しかいない女性部長の1人だそうだ。ちなみにロジスティックスとは物流のことである。つまり製品の流れで、ジョンソンの事例はコンタクトレンズの製造から顧客に届くまでの流れを話してくれた。自分もコンタクトを使用しているので興味深く話を聞くことができた。
土曜日はリコーの室長が講師であった。その人は先生が名古屋で教えていたときの元ゼミ生である。つまり自分にとってゼミの先輩にあたるのだ。またその大学は自分の出身校でもあった。だから学校の先輩にもあたる。すごい偶然だ。
講義はSCMのインパクトある話でプレゼンがかなりうまかった。自分も質問をしたが的確な意見が戻ってきた。言葉に重みもあり、プレゼンには冗談も含まれて先生お墨付きのおもしろい内容であった。先生も言っていたがもしかすると将来リコーの親分になるタイプの人かもしれない。ようし早速名刺交換をしておかなくては。そういえばうちの会社はロジスティックスの概念がないから、導入するとコスト削減できるかもしれないな。ただ他の会社の真似をしてもダメでオリジナルのロジを作り上げないとダメだろう。
帰りのエレベータで先生と講師と一緒になって元ゼミ生と現役ゼミ生いうことで少し話をすることができた。今回の集中講義はなかなか有意義であった。俺もできれば他の曜日も受講したいが、仕事があるから無理である。来週は仕事で2日間の名古屋出張も入っており忙しいのだ。
そういえば話は変わるがドイツ語の勉強を再開することにした。修士論文も終わり1段落ついたので2年越しに勉強することにした。自分ひとりではまずできないので、もちろん新NOVAでのドイツ語会話を勉強するのである。早速プレスメントテストを受けようと予約を入れた。思い立ったら早速行動である。NOVAではプレスメントテストのことをCATといっているが、ようはクラス分けのレベルチェックテストのことである。
2年前やっていたころは一番の初心者の7Cからスタートして次の段階の7Bになっていた。そこでNOVAが倒産して勉強の継続ができなくなった。ちなみにNOVAのレベルは9段階あって、低い順番に7C、7B、7A、6、5、4、3、2、1とある。7Cは初心者で1はネイティブレベルである。
テストといってもドイツ人講師との会話だけである。筆記試験などない。全くの初心者だと何を言っているのかさっぱり分からない。中国語のときなど「ニイハオ、ツァイチェン」以外は初めて聞いたので全く話すことができなかったことを覚えている。
2年前に初めてドイツ語のレベルチェックテストを受けたときも全く話をすることができなかった。確かに20年ほど前に大学の教養課程でドイツ語を勉強したけどそんなの全く役に立たなかった。いや中国語に比べると確かに、「イッヒ」や「ダンケ」や基礎的な文法が分かっていたから少しは役にたったはずだ。
そうだ今これを書いて思い出したが確かドイツ語を習おうと思ったきっかけはドイツ出張があったからだ。そうだそうだ。このある日の一言にも確か書いたぞ。ここだ。2006年3月から勉強を始めたんだ。そして・・・、2007年10月にNOVAが倒産して語学勉強ができなくなったんだ。
そうするとドイツ語を勉強していた期間は1年7ヶ月だ。けっこう長くやっていたな。そして勉強ができなかった期間は1年と4ヶ月間だ(2年じゃないんだ)。時間が長引くと語学はどんどん忘れていくものだ。特にドイツ語なんて普段接する機会がないから忘れていくのが早い。
とりあえずNOVAでのレベルチェックの前に過去の勉強したことを再度確認しよう。昔のノートや市販のドイツ語会話の本を一通り読んでテストにいどんだ。すると多少は話すことができたが単語をやっぱり忘れていた。結局レベルの評価は7Bであった。元のレベルだ。よかった。全く話ができないと思っていたが講師の言った意味が多少は理解できて、少しは答えることができた。前に1年7ヶ月やっていたのがとりあえず無駄にならず継続して勉強ができそうだ。
語学勉強は継続が大切だ。すぐにぺらぺら話せるレベルになるのは難しい。仕事で必要になることはないかもしれないが突然必要になって短期で勉強してもまずすぐに話すことができない。だから語学は長期勝負だと思っている。そして一番難しいのがやる気を維持することだ。おそらく誰もが、「ようし語学の勉強をするぞ!」と一度は決意するものだ。中には何度も決意する人もいるはずだ。最初の数ヶ月はおもしろい。やる気があるからだ。しかし継続するのは難しいのだ。
2月8日
最近テレビでジャッキーチェンの映画をよくやっている。子供たちは大好きで録画して何度も見ている。もちろん自分もアクション映画は好きで子供の頃からよく見ていたし、友達同士で蹴り技の練習もやっていた。
小学校の頃は毎週日曜日に空手の練習があって、練習場にフワフワマットがあったからよく飛び蹴りの練習やプロレスの技を練習していた。テレビでもジャッキーチェンの酔拳などやっていてみんなでマネをしていたのだ。おそらく同世代の人は分かると思うが。
先日もテレビを見終わった後に子供達がカンフーの真似をして戦っている。そういえば俺も子供の頃兄弟でよくやっていたな、と思い見ていた。マサキとショウヤが2段蹴りをはじめた。2段蹴りというのはジャンプして空中で2回蹴りをする技である。
カンフー映画でたまに出てくる。マサキとショウヤのは俺が見るかぎり蹴っているのではなくて、ただ左右の足を上げているだけである。俺はすかさず、「おいおい、それは何だよ! そんなのは蹴りじゃないぞ!」、と思わず言った。俺は子供の頃から蹴りが得意でカンフーやプロレスを見てよく研究していたのだ。高校の頃は自由組手の大会でも俺は2段蹴りをよく使っていた。他にも飛び蹴りやタイガーマスクのローリングソバットも仲間同士のおふざけ組み手ではよくやっていた。
「マサキ、ショウヤよく見てろよ」と、言って俺は軽やかに2段蹴りをやった。すると、「すごい。パパすごいね」、と絶賛だ。俺は調子にのって、「いいか、蹴りというのはこうやってやるんだよ」、とそこからは2段蹴りのトレーニングが始まった。
2段蹴りをするには片足で立った状態で、ジャンプして軸足で蹴ることができないとだめなのだ。「マサキ、ショウヤ、パパは空中で3回蹴ることもできるんだぞ」、と得意になって自慢を始めた。マサキもショウヤも懸命に練習を始めた、がうまく蹴ることはできない。そりゃそうだろう。数回練習する程度でできれば誰も苦労はしないのだ。俺は子供の頃から10年以上も何百回と蹴りの練習をやってきたから、何年たっても体が覚えているのだ。そういえば・・・、今でも型を覚えていた。昔やったことは体で覚えているものだ。こりゃすごいや。
しかし運動不足の俺は後から恐怖がやってくる。か、か、体が痛い。あ、あ、足が痛い。いきなり無謀なことをやるもんではない。俺の記憶では昔の空手のことが鮮明にあり、こうやって、こう蹴ってと無理なく体を動かすことができるのだが・・・、実際には蹴りをするたびに俺の体が、「ぐぎー、ごぎー、こら、無理をするな! お前は運動してないんだから、グギー、ゴギー、やめろ!」と叫んでいた。しばらくは安静の日々が続きそうです。
そういえば少し前に俺は本物のジャッキーチェンのサインを見る機会があった。学校の留学生が映画の撮影で広東語の指導をするということで見にいったことがあった。映画監督はジャッキーの大ファンで彼のような映画を作りたいと頑張っているそうだ。
そこで本物のジャッキーのサインを見せてもらった。「おっ、これがスーパースター、ジャッキーのサインか!」。俺は感動しながらサインを見ていた。映画の製作現場は初めてで少し緊張しながら見ていた。撮影現場ではなくて事務所で作業をするのである。VTRを見せてもらうと撮影はほとんど終了していた。しかし音は撮影した状態になっていた。つまり家庭のビデオで撮影したのと同じ状態である。
テレビや映画などは、背景の音とセリフと臨場感あふれる音楽がセットとなって放送されるが、製作途中の映画とは妙なものである。カンフー映画なので剣と剣で勝負するシーンもあるが、互いの剣が当たったときに「キーン、カキーン」という音が普通するが、それが全く無いのである。かなり変である。違和感がある。映画の途中とはこういうものか。おもしろいな。
俺も中国語を勉強しているが北京語である。ジャッキーの使う広東語は香港や中国の南方で使う言葉で全く違うのである。俺もたまにジャッキーの映画をテレビの2ヶ国語の副音声で聞くが全く分からない。英語で制作される場合もあるが広東語のほうは全く分からない。
留学生の広東語の翻訳を聞いていたが本当に全く分からなかった。そうそうちなみに台湾語も北京語と全く違うのだ。方言みたいなものらしい。2時間ほどで翻訳作業が終わったが映画の制作の一部を見ることができてよかったよ。監督もフレンドリーな人でおもしろい話、苦労話をいろいろ聞かせてくれた。今度俳優の音入れのときにも遊びに来ていいよとまで言ってくれた。ところで映画のタイトルは何だっけ?
2月1日
口答試験の練習をした。再度編集し直してプレゼン資料を9枚に縮めた。10分の発表であるが、約9分で発表できるようになった。念のために先生には前もってプレゼン資料とスピーチの概要を送り、許可を得たが、練習の後にいろいろな指摘を受けた。「君のしゃべりかたは平坦すぎるよ。重要なところは強く言わないと、どこが重要なのか分からないよ。僕だったらここのフレーズはこういうよ。・・・」。
明日が本番の試験なのに先生からプレゼンに関する細かい指摘があった。それにいくつかの追加事項もあった。俺は素直にハイ分かりました。そう答えたが心の中では、「そんなの急に言われてもできるわけないよ」、と叫んでいた。他のゼミ生もいくつか指摘を受けていた。3日ぐらい前に言ってくれればいいのに。
プレゼンテーションのプロからのアドバイスだけにまったくその通りだと恐れ入った。俺は急いでプレゼンのスピーチ内容を変更した。試験当日も練りに練って考えた。そして大学に行くと先生の部屋に来るようにと連絡が入っていた。
あと20分ほどで発表だが急いでいくと、先生より、「朝からの発表を聞いていて結局プレゼン時間をもっと短く削るようにとなったんだよ。君、もっと短く話せるか?」。俺は言葉を失った。だって昨日は、あれも追加、これも追加で話すボリュームが増えたのに、プレゼン直前で短くするようにと言われても対処できないよ。俺はあきれたが先生に文句は言わなかった。「できる限り短くします」。
そして発表することになった。3人の教授の前でプレゼンするのだ。俺は昨日の先生の指摘と、さっき言われた短くするように、をミックスさせてプレゼンした。以前も書いたが決められたことを話すだけなら俺は得意である。うまく強弱をつけて重要なところと、自分のオリジナリティのところを重点に話した。我ながらうまく話せたと感じた。
そのあとの質疑応答が俺は苦手だ。3人の教授のうち1人は指導教授で、他の2人が質問するのである。1人の先生が厳しい質問をすることを俺は知っていた。覚悟して1問目の質問を受けた。専門用語が含まれており正確な内容はつかめなかったが、端的な意味は理解できたので回答した。
次は簡単な質問であった。その後、厳しいと思っていた先生からおそるべきありがたい言葉がかえってきた。「すばらしい論文だからこれ以上質問がないんだけど。企業にとってこれは絶対に必要(な課題)だよね」。
俺は、「ありがとうございました」、と言って企業の意思決定の重要性について述べた(俺の論文の内容は企業の意思決定である)。その先生は大手の車メーカの元米国副社長であり、昔自分も似たようなことをやっていたと話してくれた。かなりいい雰囲気である。更に、「もし、いいのができたら他の企業にも売れるよ。車メーカに売ってほしいよ」、とまで言われた。どこまで本気が分からないが口答試験としてはいい雰囲気で終わった。指導した先生もホッとしていただろう。ようやく終わった! この一言につきる。
その日の夜はパーティがあった。お疲れさん会である。現役生と卒業生と他のビジネススクールからも参加していた。試験の後のビールは本当にうまい。定期的に行われるが今日は60名ほど参加していた。数回前は100人を越えたそうだ。俺はそのときゼミ合宿で参加しなかったが。
60名もいると初めて話をする人もいる。KBS(慶応ビジネススクール)からも10名ほど参加していて名刺交換をした。数名は公認会計士であった。おっ、すごいな!同期にも1人いるが、公認会計士だから話しをするとやっぱり言うことが違うんだろうな、と思うかもしれないが、そんなことは全くない。普通の人である。飲んでいるときはみんなバカ騒ぎするのである。定期的に参加しているといろいろな人との交流ができる。後輩ともこういう機会でないとなかなか話をすることもない。アルコールを飲むと活舌になるから交流しやすい。卒業生とのつながりもこういうときにできるのだ。
さて来週からは集中講義が始まる。正規登録はしてないが金曜日、土曜日は聴講する予定である。残りわずかを頑張ろう!
1月25日
口答試験の練習がゼミであった。1週間ほどかけてプレゼン資料を作成したが17枚ほどになった。10分で発表するのに17枚は多すぎるよな。そう思いつつもあれも入れて、これも入れてと考えているとページ数が増えてしまった。こうなるとどの文章を省くか悩んでしまう。2年間の集大成の発表がたったの10分だがら短すぎるよな。まぁ、百数十名が1日で発表するわけだから審査の先生も大変なのはよくわかる。
プレゼンのルールとしてパソコンとプロジェクターが使用禁止なのだ。そこで俺は紙芝居を作った。プレゼンのパワーポイントの資料を拡大して15枚にまとめた。繰り返し練習すると平均12分でプレゼンすることができた。急いで話すと10分でいける。よしこれで行くか。
先生の前で少し緊張しながらプレゼンをしたら結局12分かかった。時間がオーバーすると減点だそうだ。厳しいなー。先生から、「これは不要、これも不要だ」、と枚数を8ページに減らすように指摘があった。来週も口答試験の前日にゼミで練習がある。さぁ、もうひと踏ん張り頑張るか。
話は変わるが俺はTOEICの勉強をしようと新NOVAのTOEIC試験対策コースを受けている。他の学生に刺激を受けたわけではないが俺はほとんど点が伸びないので、なんとか壁を打ち破ろうと努力することにした。みんないったいどういう勉強法をやっているんだ! 別に仕事で必要なわけではないが他の学生が、「受けるたびに伸びるよ。800点まではいけるよ」、なんて聞くと俺の勉強方法が間違っているのではと思い結局プロの指導を受けることにした。
しかしそれは問題がかなりあった。TOEIC試験対策コースといっても外人の先生がテキストに沿って教えてくれるだけだ。ロジックにのっとって説明してくれないのだ。ここのブランクにはこの単語があてはまるが・・・。俺はなぜその単語が入るのか理解できない。
このコースは失敗か?文法の問題は外人にとって説明が難しいのだ。外人は子供の頃から英語を使っているから、なぜこの文章のなかにこの形容詞、あるいは前置詞を使うのかが説明できない人が多いのである。もちろん先生によって教え方が上手い、下手と大きく分かれるが。俺がなぜこの単語が入るのかと聞いても、「これ以外は答えじゃないよ」、などと説明がないからまったく分からないのだ。
1月18日
少し前の話だが年始に三重に帰ったとき約20年ぶりに友達と会った。小学校の頃の同級生で、毎年年賀状でやり取りはしているが会うのはかなり久しぶりである。驚くべきことに実家のすぐ近くに引越ししていた。住所は分かっていたが、番地と実際にすんでいる場所が田舎のほうでは整理されてないためどこに住んでいるのか分からないのである。
小学校のころよく遊んでいた記憶がよみがえった。俺は地元を離れたので昔の友達と会う機会がほとんどない。地元に住んでいればおそらくどこかでばったりと会う機会があると思うが、俺はまったくないのだ。同級生の消息をいろいろ聞いた。俺と仲がよかったもう1人は旅行会社で働いていたが、最近独立したことを聞いた。おっ、すごいな。
早速ネットで調べるとブログを見つけた。みるとおもしろい。紹介できないのは残念だけど、読むと日常の大変さがよく伝わってくる。顧客満足度第一を考えた旅行会社で、忙しい毎日の業務内容がブログからひしひしと感じる。旅行業務だから添乗も頻繁にあるみたいで、友達も言っていたが、家族や子供との接点が少ないのが問題だそうだ。夢の実現はすごいけど、それに対する影響が少なからずあるみたいだ。しかし本人は毎日ひたむきに働いている。すごいな!
1月11日
1月8日にようやく論文を提出することができた。8日は木曜日だから通常学校に行かない日だが、その日の17時が締め切り時間になっていたので、会社に許可をもらい提出してきた。担当教授は海外で講演があったので副査の教授に提出した。
我々のゼミ生は無事に全員提出することができた。しかし他のゼミ生で準備ができず当日急いで論文の仕上げを行っている人もいた。またファイルに綴じる作業ができていない人がいて俺も一部手伝う羽目になった。17時の締め切りが過ぎれば、たとえ先生だろうが絶対に遅れて提出することが許されないのだ。
提出するときにフォーマットが違っていたなどで再提出を言い渡された人もいたが、それでも当日の17時までに出さないといけないのだ。ここのビジネススクールは全てに時間厳守である。とにかく俺は論文が提出できてホッした。次は31日に口述試験があり準備が必要だ。これからゼミでやっていかねばならない。
さて俺は仕事が最近詰まっているのでそちらも頑張らないといけない。共同研究のプレゼンが来週に控えており、他にも試験がいくつか詰まっているので月曜日からまた忙しい日が続きそうだ。
学校の連中は卒業までの僅かの間にいろいろと予定を組んでいる。海外に短期留学する人、語学の勉強に励む人、もちろん就職が決まってない人は就活に励んでいる。また博士課程のプランを立てる人もいて俺もいくつかアドバイスをした。中には在学中に起業した人もいる。先日もあるパーティで卒業後に起業した人と話をする機会があったが大変だけど楽しそうに仕事をしていた。卒業論文で起業プランを提出する学生もいる。
俺も次の勉強をいろいろ考えているが、とりあえず語学をもっと磨かないといけない。某電気大手メーカから来ている学生は韓国留学に行き、次に米国のUCLAに交換留学に行ったそうで、最近戻ってきた。その人はTOIC960点のつわものだがUCLAではそれなりに苦労したそうだ。
またあるアジアの留学生はこれまでのTOIECが毎回100点づつアップして今は800点を越えていると豪語していた。俺なんて何度受けても半分強程度だ。「TOEICの得点アップは簡単だ」、などと言うから俺も刺激を受けて勉強する気がまたでてきた。
しかし俺は1つのことに一生懸命に取り組むのが苦手な性格だから、他の言語も同時にやっていこうと思う。旧NOVAの頃はドイツ語もやっていたが今は2年間勉強してない状態にある。完全に忘れる前にまた再開したい。
中国語は今度は中国語検定の4級か3級を目指して勉強したい。最近韓国の留学生とも話をするから韓国語も少しづつ覚えていきたい。いろんな国の向上心のある人と話しをすると本当にやる気がでてくる。
日本は本当に恵まれた環境だということをしみじみと感じる。いかにやる気を出して実行するかで決まってくる。この恵まれた環境をうまく活かしてやっていきたい。日本人学生と今後のことを話していたとき。その人は、「すごいね、常に進化していくということだね」、と言った。そうだ進化していかないといけないのだ。現状維持は退歩と同じだと言われるが、常に新しいことに挑戦していかないといけないのだと俺は思う。
そういえば個人的なことですが、Kさんいつも普通の家をみてくれてありがとう。また飲みに行きましょう。
1月4日
明けましておめでとうございます。本年も普通の家をよろしくお願いします。
年末年始は論文の仕上げに全力を尽くしていた。年末までに仕上げようと気合を入れてやっていたが結局完了できずに今年に入ってしまった。先生とメールでやり取りしながら論文の作成、チェック、修正を繰り返すが、先生からの訂正要求が多く年末には終えることができなかった。
マサキとショウヤは早くおじいちゃん、おばあちゃんに会いたいと言っていたが俺は論文をある程度仕上げるまでは帰らないつもりでいた。というよりも早めに終わらせて実家に帰るつもりだったがそうはいかなかった。
しかし年末が近づくにつれて催促が多くなってくる。「いつ行くの?」、「まだ分からないぞ!」これの繰り返しである。妻もあきれて怒りモードだ。本当にいつ実家に行けるか分からないのだ。両親からも連絡があるが返事も中途半端しかできない。俺は年賀状もまだ書いてないのだ。
今年の年末年始は本当に忙しいのだ。1月8日に論文を提出するため先生から論文完成の許可を得なければならない。しかし何度出してもOKはでない。
結局マサキとショウヤの矢のような催促に負けて、「よし分かった。明日の夜中に行こう」、と言ってしまった。本当に大丈夫か?もしできなくてもインターネットのできる環境さえあればなんとかなる。
出発の直前になっても先生からの許可はもらえず実家に帰ることにした。そして実家で猛烈に論文の修正をすることになった。それでも論文だけを書くわけにはいかない。いろいろとやらなければならないことはある。
それでもせめて次の妻の実家に行くまでには終了させないと、気合を入れてやっていた。しかし気合なんて続くわけがない。俺にとっての気合の元はアルコールだ。やる気のないときにアルコールを飲むと神経が麻痺してとりあえず机に座ることができるのだ。
俺のパソコンの隣にはビール、日本酒、焼酎といろいろならんだ。たまに支離滅裂の文章をいくつか書いたがようやく1月1日に先生から「これで最後の修正にしましょう」と返事があった。そして最後の修正を出して終了した。
やったー、終わったぞー。俺は心の底からそう思ったわけではない。なぜなら自分で読み返すとどうも文章や内容がいまいちなのだ。とりあえず先生からのOKはもらったが細かいところは何度も読み返して修正しなければならない。
読めば読むほど修正点がでてくる。かめばかむほど味が出るスルメみたいなものだ。俺が今書いているある日の一言もそうだ。後から読むとけっこう修正するところがあるのだ。とりあえず論文提出まで少し日があるからじっくり読んで修正していこう。
今年の帰省ラッシュはすごかった。車で帰ってきたが、名古屋を夜23時20分にでて川崎に着いたのがなんと翌日の9時だ。いったい何時間かかったんだ! もちろん途中でかなり休んだけど。東名高速はいたるところで渋滞しており、ねむくてねむくて仕方がなかった。今回の時間は今までの中で最長記録だ。