ある日の一言(2006年1月〜)

<母親の部屋> <子供の部屋> <関連リンク> <普通の家>


内容紹介

ある日に起こった出来事、感じたことを一言書きます。楽しみにしててください。


12月31日
 今年もいろいろありました。また来年もよろしくお願いします。
12月17日
 車の車検が来年の3月にやってくる。次の車検がくるとファンカーゴは7年乗ることになる。そろそろ車を買い換えるか、それともあと2年乗るか。どうするかだ?さすがに7年近く乗っていると、いろいろと不具合が出てくるのだ。最近交換したのはミラーだ。ミラーが閉じなくなって丸ごと交換したのだ。高くはないが決して安くもなかった。あとエンジンがかからなくなって保険を通して近くの車屋に来てもらったらバッテリーが古くなっていて充電機能が落ちているとのことであった。とりあえず1回はエンジンをかけてもらったけど次止まったら始動するのが難しいとのことで、すぐに車屋に行ってバッテリーを交換してもらった。こんなふうに少しずつ問題が出てくると毎回毎回費用がかかってしょうがないし、長距離ドライブも心配になってくる。ようしそれなら思い切って車を買い換えるか。

 そこでディーラーを回ってよさそうな車を探し始めた。もちろん車はトヨタだ。2台の車が候補車としてあがった。ファンカーゴの後継車のラクティスか、排気量1500ccだが今より大きい7人乗りのシエンタかだ。どちらにしようか。ディーラーを3店舗まわりいろいろ話を聞き、試乗を行い、値段交渉をした。その結果シエンタを買うことを決めた。その理由は試乗した感じ、エンジンがファンカーゴより少し強そうで、何と言っても7人乗りが魅力であった。

 あとは値段交渉と付属品でこちらの要望するものをどれぐらいつけてくれるかだ。それと今のファンカーゴの下取りがいくらになるかも重要であった。下取りはディーラーでの引き取りか、専門業者(アップル、カーセブン等)への売却を考えた。全部で8社に査定をしてもらった結果、20万〜40万円と幅があった。基本的金額は乗車年数で決まり、ほとんどの業者は25万円をつけた。ただ専門業者で次の乗り手がファンカーゴを探しているところは40万をつけてきた。しかし専門業者の場合、見積もりなど紙でもらえなく時価で今の金額が決まるということであった。つまり来週、2週間後には金額が変わる可能性もある。そして手放すのは数日後、来週などで、次の車が来てからという悠長な状態ではなかった。高い金額で即決で決めるか、もしくは金額は下がるかもしれないが安心のディーラーでファンカーゴと入れ替えをするかであった。結局即決はやめてディーラで交渉をすることにした。同じ会社の違う店舗で合い見積もりを取り、付属品の金額についても細かく打ち合わせした。その結果、下取り金額も40万円を超える額をつけてもらい、大幅な値下げをしてもらうこととなった。

 先週納車で真新しいシエンタに乗った。やはり新車は気持ちいい。座席も新しい臭いがする。何もかも新しくて気分は上々だ。今回ディーラーといろいろ交渉して多少修羅場もあったが、とにかく良かった。

 そうそう、ディーラとの修羅場というのは、こういうことだ。ディーラの営業員ははっきりいって内容をころころ変えてくる。うそを平気でつく。まぁそれが営業の仕事かもしれないが、最後の最後に印鑑を押すとき、ファンカーゴに後付けしたカーナビの説明書がないと下取り金額が安くなる、保証書が必要だとか言い始めたから、「そんなの最初に言えよ」、と俺が印鑑を押すのをやめて強めに文句を言うと、「いや、それはカーナビのことではなくて、ファンカーゴの説明書だと」、言い訳を始め、あげくのはてにはカーナビの説明書はできればあったほうがよいという程度になった。

 またこういうこともあった。別の店舗のディーラーで値段交渉の末、ある金額を提示してもらい、その金額に対して他のディーラでも交渉をしていると、結局その年配の担当者の後輩が別の店舗のディーラの店長だということが分かり、すぐに圧力がかかり結局別の店舗で行った値段交渉はご破算になってしまった。

 俺は怒って、「あんたさっき言った言葉は何だったんだよ、さっき言ったことを撤回するのか」、と怒鳴ると、店長は謝った後に、なんだかんだ言い訳をして、結局、「○○さんのところから気持ちよく買ってください」、と言ったので俺はしょうがなくあきらめた。だが担当者の話ではそこの店長はルール違反をしているとか、もしその金額になるのであれば、車を2台買っても赤字になるとかいっていたから、よほど金額が下げたのかもしれない。本当かどうか分からないが後からそこの店長には、上層部からおとがめがあると言っていた。

 しかし、男が一度口に出したことは何があっても守り通せと、俺は怒っていて、特に客との話し合いで決めたことを別の店舗の先輩から言われたぐらいで安易に変更するとは何事だ。そこの店長はどうしても車を買ってほしくて、それで俺のいろいろな要望を受けると言っていたが、そのときは気が動転して冷静な判断ができなかったとも言っていた。また車の金額は時価で変わるとも言い始めた。

 腹が立つこともあったが、俺としては交渉するなら徹底的にしなければならない。安い買い物ではないし、簡単に買い換えることができないから気合を入れて何度もディーラに足を運んでベストプライスになるように交渉したつもりだ。これを書いていたらまた腹がたってきた。そうそう、夜シエンタを走らせていたらライトの高さが左右違っていることが分かった。たから今日もう一度ディーラに持ち込んで調整をしてもらうつもりだ。
12月3日
 マサキの誕生日が今月の6日である。かなり前からマサキはゲームが欲しいと言っていたが、俺は特に買う必要がないと思って買わなかった。最近はコマーシャルでもやってるが大人のDSとか、頭を使うゲームも増えているとのことで俺自身も興味を持っていたし、実際にすると確かにおもしろく熱中してしまうのだ。

 いつだったか忘れたけど、マサキが友達と会話をしていたのを少し聞いたことがある。マサキの友達が、「おまえのところはゲーム何があるの?」、マサキは、「ないよ」、友達「何でないの」、マサキ「だって、言ってもダメだもん。パパが買ってくれないから」。と100%あきらめていたのを知ったことがある。確か1年以上前の話だと思う。

 小学校の中では、今こんなゲームが出ていて、すごくおもしろいとかいう話題が多いらしく、休みの日になると、マサキは友達と遊びに行くといっては、友達の家に入り浸ってゲームをやる日が多くなっていた。もちろん公園でドッチボールや木登りをしているのを見たときもあるが、話を聞くと友達の家に行く=ゲームをする、ということだった。

 そこで俺は考えて、これだけ世の中に出回っているのだから、特に悪いものでもないんだろう。俺も子供の頃テレビゲームに熱中したこともあるからな。しょうがない。買ってやろうか。けど金額が高いからな。本体とゲームソフトを合わせると2万円を超えるのだ。そうえいば、マサキは学校で書いたポスターが市民ミュージアムにも張られたから、そのごほうびとしても買ってやるか。

 そこで早速ゲームに関して調べると、本体はなかなか入手するのが難しいことが分かった。昨日俺たちは2店舗(ヨドバシカメラ、さくらや)まわったけど思った通り売り切れだった。けどヨドバシは明日の朝に入荷するとこのとだったので、ようし並んで買おうかと考えていた。そして、さくらやでゲームソフト、他のおもちゃを見ていると、突然アナウンスが入り、「任天堂DS、ただいま入荷しました」と、俺たちはすぐに見に行った。

 そうするとちょうどダンボール箱から出しているところだった。ようし、これは絶好のチャンスだと、買うことを決めてレジカウンタに行った。周りでは他の客が騒然としている状態だった。俺たちはほとんど並ぶことなく買うことができた。ふと後ろを見るとDSを買うために長い行列ができていた。その後、マサキの欲しがっていた、「スーパーマリオブラザーズ」を買った。少し早い誕生日プレゼントである。マサキは大喜びですぐに家に帰りゲームで遊んでいた。ショウヤも一緒にゲームをやり、俺も妻も楽しんだ。こりゃ、確かに毒だな。ゲーム中毒にならないように気をつけなくてはいけないな。画像はきれいだし、内容もおもしろい。確かにみんな熱中するはずだよ。
11月26日
 昨日は会社の行事で高尾山に登った。高尾山は東京都の八王子にあって、京王線の高尾山口という駅から登れるのだ。俺たちが歩いたのは第六歩道で、はっきりいって景色は全然よくない。山の中の谷川沿いを歩くコースで、道幅は狭く足場の悪いところもある。谷川の中の石の上も一部コースになっていて、コケで滑らないように気をつけて歩かねばならなかった。山頂への最後の階段は高さがまちまちで、距離もあってけっこうきつかった。年配の人は、はぁ、はぁ、ふぅ、ふぅと汗を流しながら登っていた。これはきついな。
 
 会社の行事として成功したかどうかは分からないが、今までこういう場所に自分から進んで行くこともないので、ちょっとした探検、冒険ができておもしろかった。自然の中の空気は新鮮で気持ちいい。全体の登るペースが早かったせいか、山頂まで通常1時間30分かかるところを、1時間少しで到着して解散となった。俺たちは山頂で弁当を食べて、ビールを飲んで下山した。ふ〜、疲れた。
 そして今日の夜になって少し筋肉痛がでてきたのだ・・・。明日の朝が怖い!
11月19日
 マサキの書いたポスターが市民ミュージアムに展示された。学校で書いた”飛び出し禁止”のポスターらしい。よし、マサキ、よくやった。さすが我が息子。とバカ親ぶりを発揮して、市民ミュージアムでは写真を取りまくっていた。俺の感想は、「うん、まぁ、うまい絵とは言いがたいが・・・、子供らしくていい絵じゃないか」。まぁ、自慢じゃないが俺は絵が下手で子供の頃は一度も展示会なんかに出してもらったことはない。それどころか、「これはいったい何の絵? 長時間書いてそれだけ?」と、かすかに嫌な記憶が残っているが。それと比べるとすごいぞ。

 第49回創造する子供展ということで、川崎市内の小、中、高校生のポスター、絵、工作などが展示されていた。なかにはすごい工夫をこらしている展示品もありおもしろかった。みんなの作品を見て俺も感性が豊かになった気がするぞ(うそだ。お前の頭はもうすでにこり固まっているぞ)。


11月12日
 昨日は高田の馬場に行ってきた。数年前から俺はビジネスの勉強をしたいと思い、いろいろな大学の資料を集めていた。すると某私立大学院のビジネススクールの集中講義が土曜日にあることを聞いて受講することにした。ビジネス(MBA/MBO)の要点を3日間、6講座の授業で説明してくれるのだ。これがけっこうおもしろい。授業内容は、人材・組織、マーケティング、財務・会計、アントレプレヌールシップマネジメント、戦略、技術経営である。

 会社の中で必要な知識を一通り教えてくれるのがビジネススクールなのである。俺は基本的に技術のことしか知らないけど、技術というのは会社の中のほんの一部分だけで、幅広く全体観を持って会社を見る為には他の知識も必要になってくるのだ。全体最適ということだ。その為には俺はビジネススクールで仕事のあり方の基礎知識を学ぶのが手っ取り早いと思っている。

 授業終了後、担当教授にビジネススクールの詳細について話を聞いた。このビジネススクールのMOTというクラスは金、土に授業を行っていることは俺も前から知っており、仕事と両立して授業が受けれるかどうかが俺にとっての焦点だ。あと大学院の修士課程だから当然入学試験もあり、どの程度の能力があれば合格できるかも気になるところだ。その中には英語の能力も要求される。これは英語の授業があるからだが、提出書類の中にTOEIC、TOFELの試験結果というのもあるのだ。どの程度の英語力が要求されるかだ。あとこの大学は超有名私立大学だから世界中から人が集まってきていて入試のレベルが高くなるのは間違いないと思う。あと授業料も決して安くはない。会社にも許可をもらわないとだめだ。いろいろと問題が山積だが実行する価値は十分にある。しかし、・・・。

 話は違うが、高田の馬場駅というのは電車が出発する際、鉄腕アトムのテーマ曲が流れるのだ。蒲田駅は蒲田行進曲、品川駅は汽車だったかな(タイトルがあやふやだけど、聞いたら絶対に分かるよ)。 いつもの、出発のブーブー、という音と違って何か楽しくなる。心が和まされるような気がする。他に変わった音楽が流れる駅はあるのかな?山手線内をずっと周るともっと見つけることができるかもしれない。ただ渋谷や新宿、池袋はない。おそらくそこの地名(駅名)と関係があるテーマ曲が流れるのだと思う。そうすると高田の馬場はなんだ、鉄腕アトムと関係があるのか??
11月3日
 10月19日〜22日までサイパンに行ってきた。最近知ったのだが、木曜日の夜にサイパンに向けて出発する飛行機があることだ。そうすると金曜日だけ会社を休むだけで行けるのだ。今回は三世代旅行であった。自分の両親と我が家族だ。両親は初めての海外旅行で大変楽しんでいた。

   

宿泊したのがニッコーホテルでここのプールはスライダーがある。、マサキは何回も滑って楽しんでいた。ただ俺が滑ったときマサキが前をゆっくり滑っていた為、衝突してあわや大惨事になるところだった。マサキは息ができなと泣いていたが、すぐに元に戻り自分もマサキも体を強く打ったが、特に骨が折れることもなく問題はなかった。スタッフから気をつけて滑るようにと注意を受けた。いや、本当に気をつけなくては。

   

両親が楽しみにしていたのが潜水艦からのサイパンの海の眺めだ。出発前には潜水艦はバッテリ交換の為中止だと言われていたのだが、現地に行くと前日からツアーを実施しているとのこと。俺たちは早速申し込んだ。サイパンの海は本当にきれいだ!第二次世界大戦で沈んだ貨物船や戦闘機も見れる。これらも今は魚のすみかになっているのだ。

   

俺とマサキは今回初めて酸素ボンベを背負ったダイビングに挑戦した。ただこれは水の中には潜れずに浮いているだけだ。どうも年齢制限があって7歳以下は潜れないのだ。来年からは潜れるらしいから、もし挑戦する機会があれば今度はダイビングするぞ。

 海の中は本当にすごい。ソーセージをスタップからもらい手に持つと魚がたくさん集まってくる。これだけ大量に魚が集まってくると簡単に手でも魚が捕まえられそうだが難しい。俺は数匹小さな魚を捕まえた。マサキも大喜びだ。


   

今回初めて海外旅行に行った両親も大喜びだった。俺は直接自分の目で見て、肌で感じる経験が大切だと思っている。両親もこれを機会にまた海外に行ってもらいたいと思っているし子供たちにも海外の経験をもっともっと持たせたいと思っている。海外旅行を通じて日本と外国の違いを一部でも感じ取れればいいと思っている。

 しかし出発前に子供たちに英会話を教えたが、ほとんど役に立たなかったのが残念だ。残念だ。本当に残念だ。

10月14日
 最近暑いのか寒いのか分からなくなってきた。当たり前だが朝は寒くて、日中は暑くなる。そのうちに朝も昼も夜も寒くなっていくんだよな。・・・・。書くネタがないな。
 今起きたばかりで頭が働いてないから、後から考えて書こう。
10月9日
 土曜日はショウヤの保育園で運動会があった。ただ運動会とは呼ばず”元気祭り”というのだ。ショウヤの保育園は園内でするのではなく、隣の公園でするのだ。そんなに大きな公園ではないが、保育園の園庭と比べると大きいのだ。俺が子供の頃、保育園の運動会の記憶は全く無いが、確か保育園の敷地はもっと広かったような気がする。それでも妻に聞くと、ショウヤの行っている保育園はまだ広いほうとのことだ。もっともっと狭いところもあるらしい。やっぱり俺が育った田舎と川崎では違うのか、それとも子供の数が減ったからなのかな。

 元気祭りのときふと散髪屋の話を思い出した。俺がいつも行く散髪屋のおやじの話だ。散髪屋のおやじの娘さんはマサキ、ショウヤと同じ保育園に通わせていたそうだ。運動会のときいつも足の速い子がいてかなり目立っていたそうだ。その子は背が高くてすらっとしていて運動神経も抜群だったそうだ。それからかなり経ってその子がよくテレビにでるようになったそうだ。名前は東山で少年隊とのこと。昔のことを知っている人は少ないだろうな。昔も公園でやっていたのかな。今度また聞いてみよう。

 そうそう今日は俺の○○回目の誕生日だ。おめでとう! ただ誕生日なのに休日出勤だ。せっかくの3連休が・・・。
10月1日
 昨日はマサキの学校で運動会があった。子供の学校での雰囲気を普段見ることができないので、運動会を通して見れたのは良かった。俺も保護者参加の競技の綱引きにでた。午前中は曇っていて適度な暑さだったが、午後は太陽が出て日差しが強くなってきた。帰ってきたら疲れて何もヤル気がなくなってしまった。

 マサキは理解力が欠けているところがある。あと集中力が足りない。子供はみんなそうかもしれないが。朝いきなり担任の先生から電話がかかってきた。本人が電話で話していたから内容は分からなかったが、「集まっているからすぐに学校に来なさい」、とのことだった。マサキには前日に、「おい、いったい何時に学校に集合なんだ?」、と聞くと、「8時25分」、と答えていたから、まだまだ余裕があると思っていたが、どうも違うらしい。電話の後、8時10分頃に俺はマサキを連れてすぐに学校に行った。ちなみに学校は目と鼻の先で、玄関のドアを開けてから学校の校門に入るまでに1〜2分以内で行ける。

 学校に着くと他の生徒は並んで椅子を外に運んでいた。校門を入っていくのは保護者ばかりで生徒は誰もいない。やっぱりマサキの言っていた学校の集合時間が違っていたのだ。マサキとはそこで分かれて、自分のクラスに向かって行った。俺はシートを広げて、場所を取ろうと思ったら既に運動場の保護者席は色とりどりのシートで覆われていた。話を聞くと朝早い人は4時30分に来て待っていたそうだ。すごいよな。俺は運動場の周囲をぐるぐる周ってあいている場所を探していたが、もちろん眺めのいいところは既にない。それから妻とショウヤがやってきて合流した。話を聞くとマサキの友達の親がすでにいい場所を取ってくれたそうだ。

 しばらくすると先生がこっちに走ってきて、マサキのバンダナがないことを伝えた。マサキ忘れ物するなよ。妻が取りに戻った。朝の集まる時間といい、忘れ物といい、いいかげんな性格だよな。人の話を聞いていないのがよく分かる。後から分かったことだが家の留守電に先生からのメッセージが3件も入っていた。バンダナがなければ代わりのものを用意してますと。更に夕方妻から聞くと、マサキはバンダナを家に持ち帰ったことを先生に問われても黙っていたから、叱られたそうだ。いいかげんな(おちゃらけた)性格だから、学校でももっと厳しくしつけて下さいと、今度会ったら言っておこう。家で俺は厳しくしつけているつもりだが・・・。

 朝の集まる時間を間違えるなんて、考えれば考えるほど、いいかげんだ。小学校の低学年だからこうなのかもしれないが、運動会で他の競技をやっているとき、マサキをじっと見ていると、友達にちょっかいをかけて、騒ぎまくっている。まぁその程度だったらいいけど。大切な用件のときに、集中して聞ける習慣を身につけさせなければならない。何が大切なのかということを判断できる人間にならないといけない。
9月24日
 先週ショウヤをNOVAキッズ(子供英会話)に連れて行った。最初にスタッフから詳細な説明を受けるのだが、前にも聞いたから俺は話半分で聞いていると、ショウヤがどこかに行ってしまった。そして戻ってくるなり、「○○くんがいたよ」。同じ保育園の友達がいたそうだ。すごいな保育園からもう習わせているのか。親バカだなぁ。こんなに早く習わせて早すぎるんじゃないのかと思ったけど、俺も同じだろということに気づいた。ちなみに他のクラスにも同じ保育園の子がいることも分かった。す、すごいよな。俺が子供の頃なんて学習塾なんて行ったことがなかったのに。けどそろばんとか習字とかはやったよな。今は何の役にもたってないけど。

 同じクラスには4人の子供がいた。先生が先に部屋に入って、「Come in:入ってきなさい」と言うと、一人づつ子供たちが入っていくのだ。ショウヤを見ていると、自ら進んで他の子供の後ろに並んで入っていき、いきなり、「My name is Shoya 」と言った、お〜、すげぇな〜、スタッフも「すごいですね、自己紹介できるんですね」と親バカの調子に合わせて話してくる(もちろんこれが仕事だから)。ただ俺もここまでどうどうと話すとは本当に思わなかった。おそらくマサキだったら、うじうじしていて中には入っていかなかっただろう。

 しかしその後が全く続かなかった。先生が「What's it?:これは何?」と聞くのだが、何て話していいのか分からないらしく、答えようとしない。他の子が、「It's a t-shirt」と言う。お、さすがにすごいな。俺はまたまた感心した。どれぐらいの間やっているのか分からないが、先生の言葉に反応して、ちゃんと答えている。ショウヤは相変わらず黙ったままである。最初の勢いはなく固まっている。更にみんなはホワイトボードに自分の名前を英語で書き始めた。ショウヤはもちろん書くことができない。ひらがなですら書けないのに英語の書き方なんて教えてないから書けるわけがない。とりあえず先生に手伝ってもらって書いていた。他の子はさすがにいつも書いているのか、自分で書いているのだ。すごいな。ちなみにこのクラスは4〜6歳児のクラスである。

 少しするとショウヤも慣れてきたのか要領をつかめたのか先生の真似をするようになってきて、最後にはなんとか「「It's a t-shirt」と言えるようになっていた。クラスの中では基本的に日本語を使ってはいけないので、先生(もちろん外人)はず〜と英語で、言うことを聞かない幼児相手に奮闘していた。先生も本当に大変だな。40分間見ていて、結局先生の周りで話を聞いている子は2〜3人で残りは、いたずらをして遊んだりしていた。やっぱり幼児だ。ただそれでも聞かれると、それなりに答えていたから環境を整えてやれば話をすることができるのだ。ちなみに親は子供たちが英会話をしている間、椅子に座って待っていてほとんどが雑誌や小説を読んだり、携帯をピコピコしたり、また買い物に行ったりしている。

 授業が終わってショウヤに感想を聞くと、「英語おもしろい。やりたい。」と言う。 ちょっと待ってくれよ、今日は体験レッスンだけ来たのだから。NOVAのスタッフも調子にのって、「子供さんがやりたいとせっかく言っているのですから、是非やらせてみてはいかがですか」とか、「結局やるかやらないかは親御さんにかかっているのですよ」と、いろいろ言ってくる。俺が他のスクールで勉強していることは言ってない。やっていることを言うと、更にうるさく攻撃をしかけてくるのは目に見えていたからだ。

 「今日は体験レッスンの為に来ましたので」と言い張って帰ることにした。ただ最後に、「やるからには途中でやめることなく継続的にやらせたいので週1日とか2日ではなく、1ヶ月に何回というやり方で長期間に渡って習わせたい。これから小学校、中学校と英語が必要になってくるだろうし、聞いた話ではセンター試験もヒアリングが実施されているということだから、いつからスタートさせようかとタイミングを見てることは確かですよ。」とは言った。本当にやるのであれば途中でやめたら何の意味もなくなるから、俺は本当に長い間続けさせたいと思っている。
9月16日
 先週の話だがマサキを病院に連れて行ったら、結局ドクターストップがかかってスイミングには連れていけないことが分かった。代わりに別の日に振り替えてもらうことになった。

 今日はショウヤをNOVAキッズ(子供英会話)の体験レッスンに連れて行くぞ〜。前に1回だけ川崎大師の近くのNOVAキッズに参加させたことがあるけど、最初は何もしゃべらずに固まっていたのが、最後には一応片言の英語を話していたから驚きである。全く英語を話せない子供に対して、外人講師が全て英語で話しをして説明して、そして子供が英語を話すようになるのだからすごい不思議だよ。日本語の会話ですらできないのに。そこがおもしろいところだ。どういう反応をするか楽しみだ。
9月9日
 先日このHPを見ている一人が分かった。見ているというより、見てもらっている、見ていただいていると、書いている立場からは言うべきなのだろう(こんな自我自賛でひとりよがりのHPなのだから)。本人の要望もあり、仮名をMr.V(ミスターヴイ)としよう。彼には2人の男の子がいる。年齢もマサキ、ショウヤに近いそうだ。まだマサキ、ショウヤの年齢まではいってないとのこと。俺がこの「ある日の一言」でたまに書いている子供の教育観(教育感?)に対して、「そうそう、分かる、分かる」というようなことがあるそうだ。Mr.Vが言うには、自分の子供のことで少し後で(彼の子供がマサキ、ショウヤぐらいになると)、おそらく自分もこういうことで悩むのだろうな、ということを考えて読んでいるとのこと。おそらく親が子供に対して持つ気持ちというのは似ているんだと思う。

 最近俺が書いたのは、「兄弟げんかのこと」「スイミングスクールのこと」「苦労をして大きくなること」。昨年の「ある日の一言」を探すともっとあるかもしれない。

 子供というのは見ているとおもしろいところがあるし驚かされるところもある。全くもって自分に似ているところもあったり、まさに”子供は親の鏡”(こんな言葉あったか?)というべきところである。これからも気がついたことを書いていこう。こうやって子供の観察を記録にとっておくと後から見ると、そういえばこういうことがあったんだな、あのときは大変だったなとか、思いおこすこともできる。これを読まれてるみなさんもいかがですか?

 話は変わるが今日は俺がマサキを連れてスイミングに行かなくてはならない。妻が今日と明日、実家に帰るからだ。ということはショウヤも一緒にスイミングに連れていかないといけないことになる。先々週は俺が仕事だったから妻が2人を連れていったけど、マサキが水泳の練習している間、ショウヤが全然言うことを聞かないと、妻がぼやいていたから。覚悟して連れていかなくては。明日の夜に妻が戻ってくるまではマサキとショウヤの面倒をみなくてはならない。妻は母親の手伝いのために琴の演奏会に出るそうだ(けど俺は今までに妻が琴を引いたのを数回しかみたことがない。それも8年ぐらい前に。もちろん家では見たことがないけど本当に演奏会に出れるのか?(妻いわく、今日1日練習すれば大丈夫。子供の頃から習っていたから琴の引き方は体で体得しています)。確かにそんなものかもしれないな。俺も今でも空手の型を覚えてるぐらいだからな。

 このHPを書いている間にまたあらたなる展開があった。マサキがどうも”とびひ”らしい。マサキは肌が弱いので体中をかきまくるのだが、一部に菌が入って水ぶくれ状態になっている。”とびひ”の疑いありだ。そんなの大丈夫だろと俺は思うのだが、この”とびひ”は伝染病で水ぶくれの液体が体の他の部分に触れるとそこも水ぶくれになるらしい。だからスイミングに行けるかどうか病院で診察してもらい確認しなければならない。なんだよ朝から病院かよ! それじゃ妻に連れて行ってもらうか、といつもだとこうなるが、妻は朝からでかけるからそういうわけにはいかない。俺がこのHPを書いている間にでかけてしまった。さて病院に行く準備をするか。
9月2日
 最近朝晩がめっきり涼しくなってきた。俺は半そでのYシャツで通勤しているが、最近ちらほらとスーツの上着を着ている人を見かけるようになった。もう9月になったからな。

 話は全然違うが、俺は字を書くのが本当に下手である。我ながら驚くほど下手で、どんなに上手く書こうとしても全然上手く書けないのだ。周囲の人、両親に聞くと字を上手く書くコツはゆっくり丁寧に書くことと、言っているが、俺はどれだけゆっくりと丁寧に書いても上手く書けない。

 そこでワープロの文書や本の書体を真似て書いたこともあるが、何かが違うのだ。一字一字は我ながら上手く書けていると思うのだが、文章全体を見ると全然上手く見えないのである。よく見ると一字一字の字の大きさにばらつきがあるのだ。それが原因かもしれないと思いながら書いても上手く書けない。

 小学生の頃、習字を習っていたが、はっきりいってそんなのは今全く役に立ってない。結局続けてないからなんだろうけど。俺は特に学生の頃や数年ほど前までは自分の字が下手なことに、こだわらなかった。たまに自分の書いたメモを他の人に渡したりする程度だったから特に問題はなかったのが・・・。

 ある時俺にとって重大な事件が起きた。俺にとってだ。他の人にとっては大したことはないかもしれないが。数年前イギリスに国際会議の発表に行ったとき、会社に現状報告をせねばならず手書きの文章を2回ほど送った。もちろん上長に報告するわけだから、俺は渾身をこめて丁寧に書いた、つもりだった。そう、つもりだったのだ。そしてそれをFAXで送った。メールで送ることができればよかったのだが、俺にはその手立てがなかった。

 その後、会社に戻った俺は驚いた。俺の手書きの文章が部内を回覧されていた。見ると本当に”へたくそ”な字であった。そればかりか漢字が間違っていて社長に訂正されていたのだ。そう俺のへたくそな文章は社長まで回っていたのだった。俺は穴があれば入りたかった。俺はすぐにその文章を回収した、がとき既に遅し。もう全員に回った後だったのだ。当然だ1週間程イギリスに行っていたからその間に回覧されていたのだった。

 俺は手書きのFAXを見て、「へたくそな字だな!」と叫んだら、隣にいた先輩が、一言「本当だな」と。俺はそれからいろんな人の手書きの字を観察することにした。あの人は上手い。あの人は下手だ。字の上手下手は年齢、男女、学歴は関係ないように思えた。

 あるとき回覧がまわってきて見ると、すさまじく下手な字を見つけた。申し訳ないが本当に下手で自分とは比べ物にならないぐらい下手だった(お前も人のことは言えないだろう!)。これは絶対に人前には見せられないだろう、と心の中で俺は思った。それと同時に、上手い字を書かなくてはと本当に本当に思い始めた。

 それから自分では字を丁寧に書こうと心がけるがやっぱり上手く書くことができない。何とかしなくては。俺は字が下手だから年賀状ももちろん全て印刷だ。できるかぎり手書きのところを少なくしているのだ。仕事でもほとんどパソコンを使うから手書きが少ない。

 そしてある日の朝、新聞の広告を見ていたらユーキャンを見つけた。そう資格のユーキャンだ。今はコマーシャルをやっているが、その広告を見つけたとき2年前はあまりコマーシャルで見ることはなかったが、ときどき広告に入っていたのは知っていた。そう実用ボールペン字講座だ。金額は2万9千円。このままだと俺は一生下手な字を書き続けるだろう。俺はちょうどその頃博士課程を修了して時間の余裕もできて、結局挑戦することにした。ただこの実用ボールペン字講座の説明を見ると1日20分程度練習すれば見違える程上手くなるみないなことが書かれていた。1日20分だったら楽勝だ。俺でもできるぞとお金を払い教材を購入した。

 まずはひらがなの練習からだ。あ、い、う、・・・。最初はやる気があるから1日15分どころではない。1時間も2時間もやる。会社から帰って字を書く練習をするのだ。妻は、”旦那がまた何かをやり始めた”という感じで遠くから見ている。そう知っての通り俺はNOVAにはまっていたからだ。俺の日課は会社の帰りにNOVAに行き、そして夜10時前に帰ってくる。そして今は、この新しく始めたボールペン字の練習をやっている。

 妻は何を言うでもなく(文句も賞賛の声もなく)見ている。たまに言うのが、「年間いくら(俺が)お金を使っているか知ってる?」。もちろん俺はそんなことは知らないが、かなりの金額を使っているのは確かだ(反省はするのだが・・・)。そういうときは俺は決まってこう言う。「今俺がやっているのは将来に対する自分の自分に対する投資だ。確かにNOVAで○○円以上は使っていると思うが、結果から見ると自分の英語が今は会社の役にたっている。おまけに自分が投資した金額以上に会社から戻ってきている(俺が思っているだけかもしれないが)。だからこのボールペン字もそれと同じだ。必ず役にたつときがくるはずだ」。いますぐに役に立つとは思わないが、もしかすると将来的に自分の一生を左右するようなことに発展するかもしれない、と本気で俺は思っている。みなさんどう思いますか?更に付け加えて言えば、中国語もドイツ語も同じことだと俺は思っている。

 俺のボールペン字の練習は最初は順調だったがやはり嫌になるときがくる。教材は全部で6冊あって6ヶ月かけて練習を続けるのだ。ひらがなの練習、カタカナの練習、数字、そして文章・・・。定期的に練習の成果を送ってチェックをしてもらうのだ。忍耐力があると思っていた俺も結局1ヶ月程たつとあきてきた。最初は1日2時間ぐらいやっていたのが、そのうち平日は練習せずに週末の土日にまとめてやるようになった。そして土日もやらなくなりそのまま何もせずに1ヶ月ぐらいがたった。

 ある時俺は、こんなことではダメだ。当初の俺の志はどこにいったのだと、もう一度やり方を考えることにした。やる気を継続させる方法は、何かないかな。NOVAの場合だとレベルが9段階に分かれていて試験があってレベルが上がるわけだが、このクラスというのが受講者のやる気を起こす1つになっている。つまり上のレベルを目指して頑張ろうと。

 俺は最初に送られてきた教材と他に何か一緒に入ってなかったか調べてみた。するとボールペン字にも検定があることが分かった。5級からあるみたいだ。俺は早速練習をすることにした。ボールペン字の検定というのは、決められた文章があり、それを清書の用紙に書いて日本書道協会なるところに送るのだ。そして採点が行われて合否が決定するのだ。

 5級の清書を送るとなんなく受かった。5級が受かると検定料を納入する振込用紙が送られてくる。3000円だ。お金を振り込むと5級の認定書と次の4級の課題が送られてくる。もし不合格ならばお金は必要ない。再度課題の用紙が送られてくるのだ。そして何度でも挑戦できるらしい。なんとなく、日本書道協会なるものは怪しい金儲けの団体のような気もするが、ユーキャンがやっておりおまけに今はコマーシャルでもボールペン字を宣伝してるぐらい(人気が高い講座)だから信用するか。何より字が上手くなることが俺の目的だからそれが達成できればよい。それに5級でも検定に受かると気持ちがよくて、ようし次も頑張ろうかとなってくる。

 とりあえず俺にとって継続する為のやる気がでてきたのは間違いない。調子にのった俺はすぐに4級の練習に取りかかった。そして翌日に清書を書いて出した。今考えるとそんな簡単に受かるわけが無いと思うのだが・・・、その時は動機が不純でとりあえず4級を目指そうというだけに成り下がっていた。本当の目的は字が上手くなることなのに。結果は言わずとしれた不合格だった。「もう一度練習をして提出してください。あなたの字はここがよくないです。」というようにコメントが書かれていた。

 ダメだったかと思うと同時に俺はあさはかさを知った。たった1日練習しただけで急激に字が上手くなるわけはないのだ。長い年月を書けて常に丁寧に書くことで上手くなっていくものなのだ。だから1日20分毎日練習を続けることに重大な意味があるのだ。つまりいつも丁寧に書く習慣を持つということだ。ただ丁寧に書くだけでなく、字形を整えなければならない。それぞれの文字できれいに見せる為の書き方があって、ここは長めに書いて、ここは短めに書く、またこの漢字はバランスよく小さめに書く、他の字とのバランスを考えて縦書きの場合は中心線を揃えて書くなど非常に細かいのだ。俺はボールペン字は奥が深いと感心した(腕は未熟だがこういうことは一人前に思うのだ)。

 また全体の文章をある程度バランスよく書くと一字一字が下手であっても全体的には綺麗に見えることが分かった。上手い人の文章は全体的にバランスよく書けているのだ。ようやく俺はそれに気がついた。結局4級が不合格以来毎日わずかな時間でも練習するようにした。また普段の仕事の中でもなるべく丁寧に字形を整えて書くようにした。そして3ヵ月後再度4級を出して合格した。

 検定以外に教材の練習は14回ごと(14日ごと)に練習の成果を別の用紙に書いて提出しなければならない。全部で15回の課題を提出するのだ。そして今年の4月に15回目の課題を提出した。一時、数ヶ月間何もせずに過ごしたときがあったが、それ以外は順調に進めることができた。最初はひらがなの練習、次にカタカナ、そして漢字、それ以降はあいさつの文章、年賀状の文章、行書の書き方、最後の練習課題は筆ペンを使った”のし紙”の書き方だった。6ヶ月で終わるところを、結局1年半ぐらいかけて行った。予定はかなりオーバーしたがとりあえずやり終えることができた。

 後は日々の生活の中で書くのが練習で、丁寧に字形を整えてバランスよく書いていかねばならない。油断をするとすぐに元の字に戻ってしまうのだ。問題は字を書くのに時間がかかることにあるが、行書を上手く併用することで早く書けるようになるのだろう。日々練習である。ちなみに検定は先月2級が合格した。今度は1級に挑戦だがこれは全て行書で書かなければならないので練習中である。書道はおそらく一生かけて行うもので、自分の腕は常に磨いていかなければならない。一朝一夕で上手くなるものではない。

 我ながら2年前と比べると上手い字が書けるようになったと思う(自分で思っているだけかもしれないが)。妻に言わせると、俺が一字書くのに妻は四字ぐらい書いているから、あまりの字の書く遅さにあきれている。世の中のスピード時代に反するかもしれないが書道は別ものだと思っている。ただこの2年の間やってきたボールペン字を永久的に保つには常に意識して書かねばならず俺にとって重荷になるかもしれないということだ。そうでないとやってきた意味が無い。ただ検定の受験料がバカ高い。2級は8千円で、次の1級はなんと1万円もかかるのだ(日本書道協会、やっぱり怪しいぞ)。おそらく妻も不満に思っているのだろうが何も言わない。

 今日はたくさん書きすぎた。ここまで読まれた人ごくろうさまでした。俺はこのネタを書くかどうか迷っていた。実用ボールペン字講座をやり始めた頃に1つのネタとして書こうと思っていたが結局今まで書くのはやめていた。それは自分の字が下手だという恥をさらすことと、もしかすると講座を最後までやり遂げることができず挫折するかもしれないと思ったからだ。だがとりあえずやり終えることができたから書くことにした。

 ただ第三者の立場からみると自己満足のためにやってんじゃねぇのか、思うかもしれない。ただこの自己満足が仕事に社会に役立てばこれほどうれしいことはない、と俺は思っているのだ。
8月26日
 小学校の夏休みがあと2日で終わる。俺が小学生の頃は確か9月1日から2学期がスタートしていた記憶があるが、今の小学校は違うのだ(もしかしたら今住んでいるところだけかもしれないが)。おまけに今は2学期制になっている。つまり1学期と2学期しかないのだ。だから休み明けに学校にいってもまだ1学期なのだ。

 そういえば宿題は全部やったのかマサキ? 見せてみろ! おいまてよ、まだこんなに残っているのか。それもほとんどが絵日記。おい、いつやるんだよ。ということで今日と明日は宿題のかたずけをやらせることにした。俺も確か小学生の頃はそうだったよな。
8月20日
 休み明けにスイスから来客があって対応した。スイスの母国語はドイツ語だがやり取りは英語で行われる。外人がプレゼンをするので自分ともう一人の人が通訳をやりながら進めていくのだが、やはりすべての単語は理解できない。理解できないからどうじても全部を通訳できずに、あらましだけになってしまう。また全ての単語が分かっても同時通訳なんて真似はできないから、外人が一通り話し終わるまで、言っていることを記憶しながら通訳することになる。結果的には詳細な部分まで通訳ができない。やはり難しいな。通訳のテクニックが必要だな。まだまだ勉強不足だ。
 
 ただ食事の時に少しドイツ語を披露すると外人はよろこんでいた。日本でドイツ語を聞く機会はめったにないから。自分がドイツ語で通訳ができるのはいったい何年後だろう。
8月17日
 11日〜16日まで実家に帰った。名古屋では大高緑地公園に行ってきた。天気が良くて本当に暑かった。少し歩くだけで汗が出て結局そこに半日近くいたから汗びっしょりになった。これまでの1年間の中で一番汗のかいた日であった。大高緑地には交通公園があってゴーカート(2人乗り:150円、1人乗り:100円)を楽しむことができた。

 別の日にナガシマスパーランドに行ってきた。マサキとショウヤはナガシマは初めて行くのだ。ここは7台のジェットコースターがある超大型の遊園地で、プールは何種類ものスライダーがある東海地区では超有名な遊びのスポットだ。入園すると8〜9割りぐらいはプール方面に流れていき、残りの1〜2割り程度の人が遊園地で遊んでいたから最初のうちは乗り物はすぐに乗ることができた。メリーゴーランドから始まり、ケロヨンジャンプ(子供用のフリーフォール?)、スカイライナー、お化け屋敷、ゴーカート、ダブルマイルドマイス(高速でカーブを曲がる)、ジェットコースター、チルドレンコースター、子供自動車、ティーカップ、汽車、ウォーターエース(白鳥の足こぎボート)、観覧車、ホワイトサイクロン、マウスコースター、最後に乗ったのがおもしろかった。それはボブカートでボブスレーとゴーカートをミックスさせた乗り物で、約1100mのコースを快走して最高速度40kmで速度をコントロールして急カーブを走り抜けるのだ。その日も本当に天気のいい日で、またまた、これまでの1年の中で一番汗のかいた日であった。

 別の日は三重県亀山市の石水渓に行ってきた。弟夫婦が近くに住んでおり、そこに寄った帰りに行ってきた。山の中の渓谷で冷たくてきれいな水が流れているところで半日を過ごした。おたまじゃくし、魚、亀を捕まえた。またヘビが蛙を狙っているところにも遭遇した。みんなでヘビの動きを追って観察していたが、3回ほど蛙の捕獲にトライしたけど結局捕まえることができなかった。

 マサキとショウヤは父にカブト虫取りに連れていってもらった。残念ながらメスのカブト虫1匹だけが取れただけだった。早速我が家のカブトの仲間入りすることとなった。そうそう、我が家にはカブト虫、カニ、金魚がいるが、今回の帰省ではカブト虫とカニを連れて帰ってきたのだ。金魚は1週間程度もつ餌を入れておいたから大丈夫なのだ。

 ちなみに三重の実家の庭でマサキがバッタ、カマキリを捕まえたそうだ。逃がしてやればいいのに、マサキがどうしても持って帰りたいとのことで、今は別の昆虫ケースに入っている。けどカマキリとバッタを一緒に入れていると、バッタは食べられるのではないのか?また誰が昆虫の世話をするのだ?
8月6日
 マサキをスイミングに通わすことにした。近くに最近できたスイミングで、マサキ本人もやる気があるみたいだ。俺はマサキに何度も聞いた。本当にやる気はあるのか?スイミングをやるからには絶対にやめるなよ。どうせやるならオリンピックを目指せよ。マサキに激を飛ばして、絶対にやめないという固い約束をしてスイミングに行かせることにした。さて本当に続けることができるのか。初日にクラス分けの試験があった。遠くから見ていたからよくわからなかったけど、顔を水につけたり、潜ったり、背面で何秒間か浮いたりしていた。クラス分けの結果18級というバッチをもらっていた。これから毎週土曜日にスイミングがあるから一緒に見にいくか。
7月23日
 最近雨が多くてうっとうしいな。ただ温度が低いから過ごしやすいよ。そういえば先週ショウヤを連れてプールに行ってきたよ。人はけっこう多かったのだ。先週は暑かったからな。今日も行きたいけど、天気がよくなさそうだ。

 マサキとショウヤはよくケンカ(お互いの言い合いも含めて)している。だいたいパターンは決まっている。
@マサキが何かおもちゃで遊んでいて、ショウヤがそのおもちゃを欲しがって「お兄ちゃん、貸してよ〜」と騒ぎ出すパターン。
Aショウヤがおもちゃで遊んでいて、マサキがそのおもちゃを強引に奪ってショウヤが騒ぎ出すパターン。
Bテレビを見ていてマサキとショウヤのどちらかがテレビの前に立って見えないとき。
Cテレビを見ていて、マサキかショウヤかどちらかが大きな声で話しをしていて、テレビの声が聞こえないとき。
D椅子に座っていて、相手の足が当たった、当たらなかったでもめているときもある。
その他多数である。

 くだらないことで本当によく言い合っているけど、俺も子供の頃よく兄弟同士けんかをやっていて親に怒られた。子供心にどうしていつも兄貴の俺ばかりが怒られるんだよと思っていたけど、親になった今改めて考えてみると、やはりどちらかといえばマサキを怒るケースが多くなってしまう。

 俺としては平等に悪いほうを怒るように心がけているつもりだが、兄弟げんかの怒るパターンとして、「マサキは兄貴なんだから、もう少し弟のことを考えてやれと」とか、「お兄ちゃんだったら、そんなのがまんしろよ」とか、「お兄ちゃんだったら貸してやれよ」とか、兄と弟の関係をどうしても出してしまう。

 子供の頃よく親に怒られていて、自分が大人になったら、ぜったいにそうならないようにしよう、と思っていたのだが結局兄弟の関係を出してしまうのだ。難しいな〜。俺としては出来る限り、けんかをしているときのどちらが悪いのかを見極めて怒るようにしてるのだが。

 親と言えども未熟な人間だから、自分の子供を教育するのに誤ることもある。だから怒る時は感情的なってはいけない。冷静に判断して子供がこういう悪いことをやったから、これぐらいで怒らないといけないとか考えるわけだが。どれぐらいの悪いことで、どれぐらい怒ればよいのか。これはおそらく各家庭によって違ってくるだろう。もちろん親の能力によっても違ってくると思うが、俺が思うには、やはり各親が子供の頃に受けた家庭教育をそのまま実行しているのがほとんどだと思う。

 確かにいろいろな教育の本が出回っているのでそれを読んで実行されてる方もいると思うが、しょせんそれはマニュアルなのである。自分で子供の頃体験したことを実行する、あるいは子供の頃親からこんないやなことを受けたということがあれば、自分の子供にだけはぜったいにそんなことはしないでおこうと考える人もいるだろう。

 これらの経験をベースに家庭教育(怒ったり、ほめたり、勉強させたり、手伝いをさせたり、社会奉仕をさせたり等)はされると思う。そう考えると子供を怒ることは大切なことなのだ。何が大切かというと、結局自分の子供が将来親になったとき、この今の体験に基づいて、彼らの子供、つまり自分から言えば孫を怒るからだ。

 教育の方法を間違えるととんでもないふとどき者が将来でてくるかもしれないからだ。結局、親の責任、先祖の責任ということになるのだろう。もちろん家庭教育だけではなく、社会の環境(友達、学校、家の周りの環境)にも影響されるわけだが。

 こう考えると、今マサキとショウヤがテレビを見ていて、ショウヤが「ボクは仮面ライダーに変身したいよ」と言って騒いでいるとして、それを聞いたマサキが「そんなの変身なんてできるわけがないよ」、とけんかを始めたら、なんて言ってけんかを止めるのか、もしくはどのように教育すればいいのか、難しいよな・・・。俺のこの一言が、自分の子孫何代にも影響を受けるかもしれないから。なんて考えながら怒れますか?
7月15日
 とうとう来訪者が1万人になりました。いつも普通の家を見ていただきありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

 先日NOVAで英語の授業を受けたが、またほとんど話せずに授業が終わった。みんな本当によくしゃべる。内容が分からないわけではない。話を聞いていて、ほとんどが理解できるのだが、話をするタイミングが遅すぎるのだ。他の人はテンポよく会話を進めていくのだが、俺が考えている間に話はどんどん進んでいくのだ。この意見を今から言おうかなと思っている間に他の人が割り込んで話を進めていく。前のレベルでは全会話の50%ぐらいは話せていたのが、今は5%以下も話せていない。これがどれだけ苦痛か、なんとかしなくては・・・。
 レベルが上がるごとに毎回感じるのだが最初の数回はかなり苦痛だ。けどこれが何回も行くうちに慣れてくるのだ。と俺は信じている。
7月8日
 NOVAでドイツ語の試験を受けてレベルが7Bに上がった。3月に習い始めたから4ヶ月経ったことになる。試験の内容は、「あなたの名前は、どこに住んでいますか、趣味は何ですか、今日は何をしましたか、今何をしてますか、夜は何をしますか、あなたは何が好きですか、家族は何人いますか、子供は何が好きですか等」、その後、画面に出た数字(2,5,35,125等)を読むのだ。それから、店で何かを頼む時のロールプレーをする。先生が店員で、俺が客でやり取りするのだ。「あなたは何を注文しますか、他には何がほしいですか。はい、全部で2.5ユーロです等」。次にCDを聞いて、いくつかの質問に答える。俺はこの質問にいくつか答えることができなかった。けど試験は問題なくパスした。ただし7Bに上がってもまだまだドイツ語での会話は難しい。本当に簡単な受け答え程度なのだ。

 今ふと考えると1年前はドイツ語なんて話せなかったし、中国語も全く同じで話せなかった。けどわずか数ヶ月勉強するだけでとりあえず簡単な受け答えだけはできるようになる。例えば日本語で、「あなたの名前は何ですか?」は、英語では、「What's your name?」となり、中国語は、「ニー、ジャオ、シェマミンズ」となる。ドイツ語は、「ヴィ、ハイセン、ジィ」となるのだ。1年前だと全く頭に思い浮かばなかった言葉が、今は考えなくとも頭に思い浮かんできて、話すことができるのだ。不思議だよな。いや、勉強してるから当たり前といえば当たり前なんだろうが、1年前と今は明らかに違っていることが実感できる。やっぱりこれが変化だよな。ただ進歩と言えるかどうかは分からない。もしかすると暗記力の苦手な俺の場合、他の言語を1つ覚えることで、日本語を1つ忘れているのかもしれない。だからこれは進歩とは言えないかも。あと「あなたの名前は何ですか」という言い方が、いろいろあるのがおもしろい。言語が違うから当然なんだが、自分が違う国の言語で言えるのが、何となくおもしろい。これが今の実感だ(心の表現を文章で伝えるのは難しい)。

 先週英語がレベルアップしてから初めての授業があったが、やはり予想通りあまり話ができなかった。レベルが違うからというのではなく、何となく様子見をしていた。最初に思った程のレベルの差は感じられなかったが、これからはレベル2の人も一緒に授業を受けるから、どうなることやら。クラスの人に話を聞くとレベル3の中の半分ぐらいは、子供の頃とか仕事などで海外で住んだ経験のある人だそうだ。だから発音とかはネイティブに近い。鍛えられそうだ。俺にとっては聞き取りをもっとしっかりとしなければならない。授業でも先生の言っていることが分からずに推測で話すときがある。結局100%分からなくてもそれだけでも会話は成り立つのだが、相手の微妙な言い回しなどは理解できない。あとは単語力を強化しないといけない。テレビの英語放送を聴いてもやはり理解できない。単語が知らないからだ。もちろん聞き取り力も欠けているのもあるわけだが。
 今日は妻と子供達は、彼女の昔の友達とその子供達で品川プリンスの水族館に遊びにいった。俺はどうしようかな。一人で映画にでも行って英語の聞き取り力でも鍛えに行くか。
 
7月1日
 NOVAで英語とドイツ語にレベルアップ試験の推薦状がでた。そして昨日英語の試験を受けてレベル3に上がった。長かったなぁ。レベル4からレベル3に上がるまで2年と3ヶ月かかったことになる。早い人はおそらく1年以内で上がるのだろう。一緒に勉強していた人たちもどんどん俺をおいて上がっていったから俺にとってレベル3の壁は能力的にオーバーヒートぎみだったに違いない。だけどとりあえず乗り越えることができた。けど次のレベル2の道はかなり遠そうだ。NOVAの雑誌で体験談が書いてあったが、ある人はレベル3から2に上がるのに10年かかったそうだ。され俺はどれぐらいかかるのだろう。
 
 昔からそうだったがどうも俺は暗記物が弱い。昨日覚えた単語が今日になると忘れている。だから1週間前の単語なんて記憶からぶっとんでいる。けど英会話は受験英語じゃないから一夜漬けなんてする必要がない。たとえ一夜漬けで覚えたって使えないと意味がないし、2日目に忘れていたのではまったくもって意味がない、と俺は思っている。初めて出てきた単語は2、3回ぐらい会話でしゃべらないと身につかない。頭で覚えただけでは通用しないのだ。

 さてレベルが上がってまずやっかいなのは、そのクラスのレベルに慣れることだ。あたりまえのことだが、他の人は自分よりもつわものだ。俺よりペラペラしゃべって、俺よりも単語をよく知っている。今までの経験から行くと、初めて上のクラスで勉強すると、「おいおいこいつら本当に俺と同じレベルかよ。もっとゆっくりと簡単な単語で話してくれと」、思うのだ。ところがこれが数回行くうちに慣れてくるのだ。さて今回はどうなるのやら。あと来週にドイツ語の試験もあるから、少しは勉強しなくては。
6月25日
 我が家のカブトムシが次々と成虫に変わってきた。しかも驚くべきことにすでに交尾の体制になっている。は、はやすぎるぞ!夏はまだまだ長いぞ。早まるな〜。

   

そういえば、我が家のカニはどうなったんだろう。最近見てないけど元気かな。
お〜、久しぶりに見るけど元気そうだな。

6月17日
 前回書いた、玉音放送の現在語訳はここを参考にしてください。

 昨日、一昨日と仕事で岡山に行ってきた。岡山は既に梅雨に入っていた。品川を出る時は天気が良かったのに大阪を過ぎたあたりから雨が降ってきて、岡山に着いたらどしゃ降りになっていた。結局コンビニで傘を買うことになってしまった。そこで少し思ったのが、場所が違うと、晴れてたり雨が降ってたりと環境が違うように、普段の場所と違う環境で働くと別の緊張感もでてきていい意味で仕事のやりがいが感じられる。またいつもと違う人と話をすることで、新しい考え方やアイデアなんかも沸いてきてよい刺激になる。多くの人に気を使わなくてはならないから神経が疲れるのも確かだ。
 ただ毎日東京で仕事をして、殺伐とした川崎に住んでいると、朝の雑踏とした通勤電車に乗り多摩川の流れを眺めながら通勤しているこの首都圏からたまに抜け出すのもいいのではと思うときもある。
6月3日
 この前の会社での朝の朝礼は本当に困った。2〜3週間に1度、社内の朝礼で講師の順番が回ってくる。説明した内容が、「大東亜戦争の終戦の詔書」で玉音放送の現在語訳を解説しなければならなかった。まぁ一種の歴史の勉強みたいなもんだけど、「大東亜戦争」というのは第二次世界大戦のことで、詔書というのは天皇が発布する命令である。戦争が終わる時に昭和天皇が玉音放送というのを流した。その内容を説明するのである。その内容はだいたい、「日本は戦争に負けました。だから全面降伏してポツダム宣言を受け入れます。その理由は・・・。」というようなものである。自分は戦争の話を聞いたことしかなかったが、これまでにサイパンに行ったときに、旧日本軍の爪あとを見たり、聞いたりしたので、その話をすることにした。
 
 サイパン島には沖縄から22000人の日本人が移民して砂糖を作っていたそうだ。そのうちの15000人がアメリカ軍の侵攻で死んだそうです。現地の人が、「スーサイドクリフ」と呼ぶ場所があり、日本語では「自殺の絶壁」で、切立ったがけの上から大勢の日本人が飛び降りて死んだとのこと。アメリカ兵はもちろん止めようとしたが、鬼畜米兵に捕まるなという、感じで捕まったら何をされるか分からないということで、大勢の老人、女性ががけから飛び降りたそうだ。また他の場所には、「バンザイクリフ」というところもあり、海に面した絶壁のがけで、多くの日本人がそこから「ニッポンバンザイ」と叫んで飛び降りたそうだ。今でも多くの慰霊がまつられており、札がたっている。その場所は、サイパン島の中で日本に最も近い場所とのことだ。

 自分は中学、高校と歴史を勉強してきたが詳細はよく分からなかった。それは戦後の日本の歴史教育が、連合国軍の命令でかなり削除されたからだと聞いている。ただ玉音放送の内容を勉強したり、実際にサイパンで起こった事実を聞いたりすると、本当の歴史が見えてくるような気がした。次は玉音放送の現在語訳を書きます。
5月28日
 最近スーパーに買い物に行くとカブト虫、クワガタ虫を売っているのを見かける。早いな〜、もう出ているのか。我が家の幼虫の様子を見てみると、少し変だな。ケースの底部に楕円形のスペースを作って縦長の状態で動かなくなっている。これはもしかするとさなぎに変身する為の準備か?
 1ヶ月程前に幼虫の数をカウントしたら全部で12匹に減っていた。確か昨年の11月に確認したときは39匹だったから1/3は死んでしまったことになる。自然淘汰か?39匹の幼虫を全て育てるにはケースが狭かったのかもしれないなぁ。実際には何匹が成虫になるのかは分からないが、次の課題は幼虫の育て方だ。
5月13日
 最近は雨が多くて天気がすっきりしないな。先週は魚釣りに行ったけど、風が強くて糸が引いているのかとうかほとんど分からなかった。結局魚は全く釣れなかったのだが、ようし今週はリベンジだ、と思ったけど、雨が降っているから今日は釣りに行くのはやめよう。明日雨がやんだら行こう。
 ・・・結局釣りには行けなかった・・・
5月8日
 あっというまにゴールデンウィークが終わってしまった。今年度初の海釣りにいったけど・・・魚は全く釣れず。
4月29日
 先週仕事で福島県に行ってきた。東京のほうは桜が散って青々とした葉が出ているけど、福島はまだまだ桜が咲いていて少し葉桜になっている程度だった。十分に花見ができる。もしかするとこの土日に花見をしている人もいるかも。

 中国語がNOVAでレベルアップして初めてレッスンを受けた。やはりみんなよくしゃべる。少し長めの文章をみんな作るのだ。最初はついていくのに苦労するけど、5〜6回受けると不思議なことにすぐに慣れてくるのだ。

 そういえば連休がもうすぐ始まるけどどこに行こうかな。
4月23日
 中国語のレベルが1ランク上がった。NOVAで中国語を始めたのが11月2日だから、そろそろ5ヶ月ぐらい経つ。もう5ヶ月も経つのか早いな。しかし特にたくさん話せるようになったわけではない。

 NOVAのレベルの仕組みだが、レベルは全部で9段階あって、レベルの低い順に、7C、7B、7A、6、5、4、3、2、1となっている。超初心者の俺はもちろん7Cでスタートして、今回試験を受けて7Bになったのだ。普段の授業の中で講師が会話能力をチェックしていて、もうそろそろレベルを上げてもいいだろう、という程度になると2人の講師から推薦状がでる。そうすると試験を受けても大丈夫でしょうということになる。試験は講師と1対1で会話して、その中でいろいろな質問をしてくるのだ。例えば、1枚の絵を見せて、「この中には何人の人がいますか?」、「お父さんは何をしてますか、お母さんは何をしてますか。犬は何をしてますか」、という具合だ。全部で30ぐらいの質問があり、15分ぐらいで終了する。そしてすぐに結果がでるのだ。

 講師から推薦状がでて試験をするぐらいだからほぼ100%近く試験には合格する。だったら試験の意味がないんじゃないか、と思うかもしれないが、中にはダメな人もあるらしい。その場合は試験でダメだった項目をその後、レッスンで再度勉強して、問題なければレベルが上がるらしい(実際にダメだった人を聞いたことはないが、NOVAのスタッフの話によるとこうらしい)。

 中国語が日常会話として使えるレベルはおそらく7Aぐらいからだろう(しどろもどろだけど何とか意思疎通ができるレベル)。仕事でなんとか使えるレベルは多分4ぐらいだろう(今自分が英語が4だから)。そうそうドイツ語はもちろん7Cの超初心者だ。

 ただこうやっていくつかの外国語を平行で勉強してると、互いの関係が見えてくる。似たところ、違うところである。例えば、中国語は日本語と同じで漢字を使うが、発音が違う。ところが中には似た発音もたくさんあるのだ。例えばこれは人名で「小林」。そう「こばやし」である。これ以外の読み方もある。「しょうりん」とも読む。これは中国語は、「しゃおうりん」と読むのだ。かなり似ている。また文法は英語と似ていて、主語+動詞という順で作るのだ。

 次にドイツ語だが、これも英語と似ている単語、発音が出てくる。ただ発音は日本語のローマ字発音に近いものがあるのだ。だから自分が分からない単語でも英語から予想して、日本語のローマ字読みで話すとかなり近い言葉になる場合がある。

 まぁ外国語の勉強は地道に少しづつやっていくしかないだろう。英語も俺は最初7Aからスタートしたがやっていればいつかは日常会話として話すことができ、いつかは仕事でも使えるレベルになる。中国語、ドイツ語の場合、1年後か、3年後か、または5年ぐらいかかるかもしれないが・・・。学生の頃ははっきりいって勉強する理由が分からなかった。だからほとんど勉強しなかったし、すごく嫌いだった。しかし今は違う。学校と違って強制的に勉強させられることもないから自分のペースで自分の目標をもって伸び伸びとできる。また仕事の中でも外国語を使う機会が増えてきているから、やればやっただけ結果が目に見えてでてくる。だからやりがいもある。達成感も味わえる。これはかなり気持ちがいい。この気持ちは経験した人でないと味わえないと思う。この達成感というのは、おいしいものを食べた瞬間的な喜びではなく、達成した後、自分の中に長い間その心地よさが残るのだ。だからいいのだ。そしてまたこの達成感を味わおうと挑戦をするのだ。

 ただ冷静に考えてみると、結局、自己満足の世界かもしれない。現実的に周りから見ると、例えば妻は、「えっ、今度また他の外国語を始めるの、年間いくらお金を使っているか知ってる?」。「もっと早く家に帰ってきて子供たちの面倒を見てほしいわ」となる。子供にとっては、「パパ、保育園に迎えにきてよ。パパに来て欲しいよ」。(たまには行っているんだけどなぁ)

 また会社の同僚から見ると、「えっ、今日もNOVAに行くの、そんなことに力を入れるのなら、その分この仕事に力をまわしてくれよ。もっとスピードアップするんじゃないのか」。更に、こういう意見もある。「えっ、また雑誌に載ったの、そんなに目だってどうするんだ」。現実的にはそんなもんだ。

 しかし俺の考えはこうだ。自分が何かをしようとするときには、必ず壁が出てくる。特にやりすぎるぐらい実行しているときには必ず、それを阻止しようとする人がでてくる。そこでやめてしまっては、その事は達成できない。博士号の取得のときもそうだった。その人たちはみんな、「そこまですることないんじゃないか」と、必ず俺の行動を阻止することを言う。中には、「君の為を思って言っているんだよ。この試験に受からないほうが君のためだよ」。そういうことを言われると余計に俺は頑張りたくなるのだ。相手の意思に反して、ようし、それならやってやろうじゃないか、となるのだ。

 自分で言うのは何だが、我ながらなかなかいい性格だと思う。大分前に親にも言われたことがある。「お前は調子にのるタイプだから気をつけろ」と。そうかもしれないが、そこまで徹底的にしないと多分博士号は取れなかったと思う。1つのことに秀でるためには常識的な努力ではまず達成できないと、俺は思っている。子供の頃、ある強い空手の先生が言っていた。「ボクは素質がないんだよ。だけどね練習量は誰にも負けないよ。人一倍練習をするんだよ。だから強くなれるんだよ」。もちろん練習の仕方もあると思うけど、この考え方に俺は感化された。ただそれほど空手は強くならなかったが・・・。

 いづれにせよまぁ自分のペースでやっていこうと思ってます。今日は少し書きすぎたなぁ。
4月16日
 先週は仕事で熊本に行ってきた。熊本と言うと南国で暖かいというイメージを持ってしまうが、自分が行った南関町というところは盆地になっていて、今でも東京と比べて少し温度が低く寒いのだ。桜は少し残っていたが、これも東京と同じぐらいでほとんど葉桜になっていた。

 これまで熊本に何度か仕事で行ったことがあるが、今回初めて知ったことがる。南関町の隣の大牟田市には三池炭坑があって(今は使われてないが)、大牟田市内の地下はいたるところに地下トンネルが掘られているそうだ。三池炭坑というのは、あの盆踊りで有名な三池炭坑節(みいけたんこうぶし)の発祥の地であるのだ。三池炭坑は明治20年に採掘を始めて、昭和20〜30年頃にかけていくつかの採掘場所が閉鎖されていったそうだが、最近まで地下へのトンネルの入り口があいていたところもあったそうだ。今の三池炭坑はトンネルの入り口が閉鎖されていて、排気口のあるレンガ造りの煙突の周囲は公園になっている。そして採掘で使用されていた炭坑列車が何台か置いてあるのだ。地元の人ぐらいしか行かないそうだが、もし機会があれば是非行ってみて下さい。
4月9日
 4月になりマサキも小学2年生になった。マサキに、「学校はどうだ、楽しいか」、と聞くと必ず、「楽しくない」、と答える。そうだろうな。俺も小学校の頃はそう思っていた。そして中学校になると、クラブ活動という自分にとってもっと大変なことが待っていて、「小学生に戻れたらいいのになぁ。何で小学生の頃は嫌だったのかなぁ。今のが(中学)もっと大変だしつまらないなぁ。」、と思うようになったのを覚えている。

 結局それから年齢が進むにつれて、俺は過去には戻りたいとは思わなくなった。それは年齢が上がるたびに、大変さが増してくるようになったと思っているからだ(そんなに大した苦労もしてないけど)。数年前よりも今がいい。つまり数年前の大変さには戻りたくないということだが、更にその前の大学の頃にも戻りたくない。それも大学の頃の大変さより今がいいということだ。過去に戻ったときに、今と同じ道が歩けるかどうか分からないし、全く違う人生になっているかもしれない。

 ある本に書いてあったが、人は過去に戻ることができない(当然だ)。だからこれからの未来をどう生きるか前向きに考えないといけない。しかしだからといって過去に生きてきた失敗経験や歴史は省(かえり)みないといけない。反省は大切だ。またこれからは今より大変なことが待ち受けていると考えるべきであろう。人生は苦なりである。だから俺はこれから楽して生きようとは全くもって思ってないし、子供たちにも楽して生きてほしいとは思ってない。

 マサキもショウヤもこれから多くの苦労が待ち受けているだろう。この苦労を1つ1つ乗り越えることで、多くの経験を積み人間として成長していくと思う。もし今目の前に、楽と苦の2つの道があるならば、苦の道を選ぶべきだろう。ただ言うは易く行うは難しで、実際に実行するのは簡単ではない。今自分がすべきことは何だろう。よく考えてみよう。
3月26日
 今日はボート免許の話です。2/25の話の続きですが・・・、1級のボートの試験日まで2週間をきったころから計画を立てて勉強を始めました。自分の今までの経験からいくと、計画を立てるけど、その通りにできないことが今までの人生の中でかなりありました。試験の日に勉強の成果がでるように、自分の体も頭も最高の状態にもっていくように計画を立てなければいけないが、ある時は立てた計画の6割しかできなかったこともあり、ある時は試験日の1ヶ月前ならば完全に覚えていたのが、まだ1ヶ月も余裕があるとみて、それからあまり勉強をしなくなって、結果的に試験の時に力を発揮できず不合格になってしまったりと、いまいち自分をコントロールすることができないことがあった。あるいは勉強のやり方がうまくなかったのが原因かもしれない。いづれにせよ、その努力は認められるけど結果がついてこないことがたくさんあった。結果が全てとは言わないが、せっかく努力して勉強したのだから、やっぱり成功するようにしたい。これは誰もが思うことだろう。頑張ってやったのに、不合格だった。頑張ってやったのに何の成果も得られなかった。それでは意味がない(もちろん努力した、その行為はよいことだが)。
 
 ボート免許の場合は問題集があるから、それを試験日までに完璧に答えることができれば、おそらく合格するだろうと、俺は考えた。それで俺の記憶力のない能力からいくと、2週間前から集中してするのがちょうどいいと考えた。問題集の問題はだいたい250問ぐらいある。朝会社に行く途中と、帰った後と休日を利用すると、多分2週間ぐらい前からやると集中力も持続しつつ覚えられるはずである。そう、はずである(はっきりとは分からないが)。結局、試験日2日前に、問題集の問題を全て答えられるようになった。
 そして試験日の当日となった。試験会場はお台場のテレコムセンター、そうフジテレビの近くである。朝9時に集まって、身体検査と、筆記試験がある。身体検査は、視力、聴力と体が自由に動くかどうかの簡単な試験である。その後、問題の筆記試験がある。受験者は総勢300名ぐらいでいくつかの部屋に分かれて受けた。
 これがその時に俺が受けた試験である。





 問題はほとんど問題集の中に書かれているものであり、俺は迷うことなく答を書くことができた。
試験が終わるとすぐに外の掲示板に答えが張り出されるのだ。問題を持ち帰っていいから、俺は全て自分の答を問題集にチェックしていて、すぐに答えあわせをした。確か7割ぐらいあっていれば合格だったと思う。見ると全問正解だった。よし、大丈夫だ! 俺は気持ちよく試験会場を後にすることができた。

 それから2日後俺はヤマハの免許センターに確認すると、「合格です!」と返事がもらえた。それから1週間後に免許証が送られてきて、晴れて1級船舶に合格することができた。さて、ここからである。俺はこの免許で何ができるのか。もちろん自前の船は持ってないし、購入する予定もないから、レンタルするしかない。俺の夢の1つである、船で自分で運転して海外に行けるのか?行けるとしてもどのような手続きをすればよいのか?すぐに実現できないのは確かだが、とりあえず1つのステップをクリアしたことは間違いない。さて、これからどうするかだ・・・。
3月19日
 ドイツに仕事で行ってきました。ドイツは緯度的に言えば北海道より北に位置しており、自分が行ったところは平均気温が0度ぐらいで寒いところでした。南に行くほど高い山が多くなり、積雪も増えてくる。逆に北のほうは当然北極に近くなるから気温が低くなっていく。結局のところ北に向かっても南に向かっても寒いということだ。テレビの天気予報でやっていたが、北のある地域では最低気温がマイナス20度になるところもあるそうだ。
 

 飛行機はエールフランスで、フランスのシャルルゴール空港を乗り継いでドイツのフランクフルトに入った。行くときは成田からフランスまでは14時間。そこで3時間待ち、更にドイツまでは1.5時間と家を出てドイツに入るまで、22時間ぐらいかかった。経由便はつらいな。おまけにシートが狭いから体が固まってしまうので、ときどき立っては体をほぐしていた。時差が-8時間だから朝の9時ということは、日本では夕方の17時である。そして、フランクフルトからはICEという特急電車で1時間10分ぐらい移動してヴルグスブルクに行った。ここである会社を訪問して2泊した。

 

 天候には恵まれていて晴天だった(気温は低くて寒いのだが)。宿泊したホテルは外見がこじんまりしていたが部屋がきれいで気持ちよく泊まることができた。ホテルの周囲は古い似たような建物が多く、石畳がひかれていてまさにヨーロッパという光景でした。ホテルの周囲を歩いていてもあまり人を見かけることはなく静かな田舎町という感じだった。周囲にはいたるところにぶどう畑があってさすがワインのメッカである。

 

 次に電車で2時間ほどかけて南下してアウグスヴルクという地方都市に移動した。ここでは見本市を見に行く為、車で移動した。初めてアウトバーン(ドイツの高速道路で制限速度のない道路)に乗った。無制限の速度といってもみたところ80〜160キロぐらいの速度で走っている車がほとんどである。感覚的には日本の高速道路と同じで、特に怖いと感じることはなかった。ここで1泊した後、次にミュンヘンまで移動した。

 

 ミュンヘンはさすがに都会で大勢の人が行き来しており、寒さは一段と増した。天候は曇りがちで、ときどき雪も降っていた。上のライオンはかなり落書きされていたが、デパートのマーシーズのキャラクター?(だと思うのだが)、デパート前に置かれていた。市電は各都市でたくさん走っており市民の足となっており、ここミュンヘンでも、車とうまく共存して交通渋滞もなく走っていた。背景には中世の建物があり、市電となんとなくマッチしている。しばらく見ていても楽しくなる絵だ。
 
 ドイツ人はほとんどの人が英語を話すためにそれほど仕事も会話も不自由に感じることはなかったが、書いてあること、テレビで話すこと(言葉)全てドイツ語だから、全く理解することができずにストレスを感じた。あるパンフレットを読んだとき、ドイツ語と英語が併記してあるのを見て、書かれている内容が本当に簡単な言葉だったので、余計に腹が立ってストレスを感じた。ドイツ語も覚えたいなぁ。

 その後、ミュンヘンで飛行機に乗り、フランスのシャルルゴールを経由して成田に戻ってきたのだが。帰りの成田行きの便に乗る際、ボーディングパスを渡して乗り込もうとすると、突然、「ちょっとまて」と言われた。そして「英語はしゃべれるか」と言われた後に「クラスがビジネスに変更」と言われた。俺は、おっ、すげぇなと、びびったが、冷静に「ありがとう」と答えパスの半券を受け取った。座席は5Bと書かれており、前方のビジネスシートだった。うわさには突然の座席の変更もあることを聞いていたが、自分が体験すると、なるほどこういうこともあるんだと本当に感心した。仕事で初めてビジネスクラスに乗った。帰りのフライトは12時間かかったが快適な座席でくつろいで帰ることができた。ただ帰ってからは時差ボケが待っていた。今日の昼間も眠かった。

3月11日
 明日から1週間ドイツに出張に行くことが決まった。当初予定していた直行便は取れずに結局フランス経由で行くことになった。おまけに本来は月曜の朝に出発する予定だったのが、明日の夜10時に出発することになった。海外出張は突然決まるから、理想の便で行くのは難しい。おまけに今回は途中で台湾の人と合流することになるから、連絡を取りあって日程を調整するのに時間がかかった。

 今回は初めてエールフランスという飛行機に乗る。もちろんフランス語は全く分からない。またドイツ国内はかなりの長距離を電車で移動することになるから少し心配だ。ドイツに行ったことのある人に聞いたら、市内ではほとんど英語が通じないらしい。NOVAで数回ドイツ語を習ったが、今までやったのは、発音の仕方、名前の聞き方、言い方、住んでる場所の聞き方、数字の数え方など、基本中の基本ばかりだ。考えれば考えるほど、あれはどうすればいいのかなぁ、これはどうすればいいのかなぁ。と不安が出てくる。一番重要なのが仕事で、ドイツ英語が本当に聞き取れるか、技術的な詳細部分を英語でやり取りできるか、不安なことばかりである。
 
 まぁ、よくよく考えてみれば、学生の頃ろくに英語も話すことができないのに一人でオーストラリアに行った経験もあるから(その時もかなり不安だったが)、それを考えると何事も経験だと、割り切って考えるしかない。逆に会社が自分にドイツに行けと命じたのをありがたく思うべきだろう。他の人が経験できない仕事を経験できるのだから。さてどんな出張になるのやら・・・。
3月4日
 先々週にいつものようにNOVAに行き授業を受けたときのことだ。話題の内容がNHKのテキストの話になり、ある生徒が、俺が今月号に掲載されていることを知ったとたん、突然、「サインください」ときた。俺はびびって、「はっ?」、「何」?」。他の生徒も笑い始めた。「今度、テキストを買ってきますので、是非サインしてください」。真剣な顔だ。俺は更にびびってしまって、「あっ、うっ、えっ、ええ」。とあいまいに返事をした。すると、そんなことは気にせずに、その人はしゃべりはじめた。「以前、そこに張ってありましたよね。私ね、いつもそれを読むたびに、そうだね、そうだね。やっぱりそうなんだよなぁ。私ももっと頑張らないとダメなんだよな。っていつも思っていたんですよ。けど私はレベル6だから、全く話をする機会なんて無いと思っていたし、話なんてできないと思っていて・・・」。俺は全くコメントできなかった。「・・・」、「・・・」、「・・・」。ただ、俺がレベル4のときに、レベル6だったということは・・・追いつかれた。

 以前、レベルアップコンテストに入賞して、雑誌に掲載されたとき、半年か、1年ぐらい前だが、かなり長い間、その記事が写真つきで、掲示板に張られていたのだった。その子は、そこに張られていた記事のことを言っていたのだった。俺は、ようやく「あ〜、あ〜、はい、はい、確かに張られてたね。それを読んだんだ。へ〜、そうか」。心の中で、そうか、そのように思うのか、と納得していた。

 そして、NOVAのスタッフにその話をすると、「本当ですか〜、すごいですね。ここでは有名人ですもんね。宣伝部長ですから。そういえば、他の生徒さんで、すごい落ち込んでる人がいたんですよ。その人は、「あ〜、あ、俺はもう全然だめだなぁ。なんでダメなんだろう」。って言いながらレベルアップコンテストの雑誌を見てたんですよ。そして偶然、○○さんが(自分の名前をよんで)掲載されているページを開いて、「ワォ、すげぇ、このスクールにもこんな人がいるんだ。俺も頑張らなきゃ」。って言ってたんですよ。だから、○○さんはすごく他の人に力を与えているんですよ。私たちとしては本当にうれしいですよ。○○さんみたいな雑誌に載る生徒さんが、私たちのスクールにいることが私たちスタッフとしては本当に幸運です」。やっぱり俺は宣伝マンとして利用されてるのかなぁ。だったら割引券ぐらいくれてもいいのに。と心の中で思いつつ、自分の行いが、多くの人を勇気づけるのは確かにいいことだと思った。そうか、こういう社会の貢献のしかたもあるんだ。昔の有名人の伝記ものとか、日経新聞の私の履歴書なんかを読むと、すげぇな、こんな生き方があるんだ。自分もこういう人間にならなくては、と思うが、相手が自分を見て、そう感じてくれるのは、俺にとっては感無量というものだ。妻にこの話をすると、「人に力を与えて、そしてまた自分も更に頑張って・・・」。確かにそうかもしれない。こういうふうに思ってくれる人がいると、ようしもっともっと自分を鍛えて、頑張らなくてはと更にやる気が沸いてくるものだ。

 もしかすると、このホームページもそういう役割をしているのかもしれない。自分を鍛えて、ある結果が出て、それをホームページで公開することで、もしかするとこれを見てくれている人の中で同調してくれる人がいて、その人も頑張ろうという気持ちが沸いてくる。今回の場合だと、自分がやってきたこと、達成できたことが雑誌に掲載されて、それを読む人が、「自分も頑張らなくては」、と思ってくれる。
 そっか、今何か一つのひらめきみたいなものが出た感じだ。こういう社会貢献ができるんだ。

 話は全く変わります。再来週にドイツに出張で行くことが決まった。仕事場は英語が通じるらしいが、食事や宿泊は英語が通じない場合が多いらしい。そこで急きょ、ドイツ語を勉強することにした。こいうときにNOVAは助かる(NOVAの宣伝をするわけではないが)。思ったら早速行動だ、ということでレベルチェックのテストを先日受けた。予想通り、中国語と同じで一番下のレベル、7Cだ。出張前になんとかドイツ語のレッスンを5回は受けたい。明日は3回受ける予定だ。出張までにどこまで勉強ができるか。けど問題なのは予定していた飛行機が満席であることだ。直行便がダメなら経由便を検討しているが、出張はいつも突然決まるからしょうがないんだろうけど。前回のマレーシアでは延泊したから、今度はそうならないように乗り換え時間に余裕をもたせよう。
2月25日
 今日はボート免許の話です。10数年前にボート免許(4級船舶)を取ったとき、確か費用は7万円ぐらいかかった。今思うと高い金額だよな。当時の4級免許を取るには、講習を1日受けて、実技(ボートに乗る)も1日受ける。その後、国家試験があるのだ。試験というのは、筆記試験が1日と、実技試験が1日である。だから講習から試験まで全部を合計するとたったの4日間で取得できるということになる。ただ、それぞれあいている日程に予約を入れて実施するので、自分は確か約4ヶ月間ぐらいかかった。その時に思ったのが、数ヶ月前に1回きりボートに乗っただけで、俺は本当に実技試験が受かるのかな。かなり不安だった。筆記試験に関しては4択だったから、車の免許と同じで勉強すれば受かると思っていた。そのときは十分な時間があったからだ。

 さて、今回の1級の挑戦だが、費用は約4万円、講習は1日、試験も1日と免許取得に要する日程はたったの2日だけなのだ。おまけに実技もないとくれば、そりゃ、がんばりましょうとなる。講習会は都内の江戸川区にあるヤマハのマリーナで受講した。朝9時〜夕方の4時とかなり長い間勉強する。そこで徹底的に勉強するのが、船で沖に出たときの自分の位置を知る方法だ。コンパス、定規を使って海図(海の地図)上に作図して、今自分がどこにいるのかを見つけるのだ。そして、自分がある場所に移動するのにどれぐらいの時間がかかるのかを計算するのだ。当然、潮(しお)の流れもあるから、考慮に入れて計算する。その作図に半日を費やし、残りの時間でテキストの他の部分を勉強する。

 講師がテキストの解説をしていくのだが、重要なところ、試験に出そうなところをチェックしながら進めていく。そして試験対策としては問題集を勉強するようにとの指示があり、講義が終了した。しかし長かったなぁ。これだけ講習を受けたのはいったい何年ぶりだろう。おまけに海里計算(船が進んだ距離の計算)なんて、速度×時間=距離、久しぶりに思い出したぞ。なつかしいなぁ。あと気象学についても勉強するのだ。西高東低の気圧配置がある場合は冬で、南の方から暖かい空気が流れてくると、これは「春一番」と言われたり、他にも「フェーン現象」、「梅雨前線」、「秋雨前線」なんて言葉もでてくる。低気圧で風速が17m/sを超えると台風と呼ばれるなど、なかなかおもしろい。低気圧は左回転だが、高気圧は右回転で、もしも船が台風に直面したらどうやって逃げるのかなど。
 さて講義は終わったから後は、問題集をやるのみだ。国家試験までは1ヶ月もあるから少しづつやってかなくては。
2月18日
 2月14日に発売されたNHKの英会話のテキスト(3月号)にコメントが掲載されました。全部で6誌に掲載されてますので書店でみかけたら見てください。せっかくだから買って英会話の勉強でもいかがですか。おすすめは、「100語でスタート英会話」で、分かりやすく簡単な単語を使った英会話の表現がたくさん載ってます。火曜日〜金曜日の夜11時から教育テレビでやってますよ(もちろん自分はテレビにはでていません)。



  
    

2月12日
 少し前、ヤマハから一通の封書が届いた。中をあけると免許更新の案内が入っていた。おや、こりゃなんだ、そうだ、思い出したぞ。そういえばすっかり忘れていたけど、昔学生の頃、4級船舶の免許を取得したんだ。そしてその免許の更新がきたのだ。5年で免許更新があるので、普段から全くボートに乗らない俺はその存在すらすっかり忘れていた。ちなみに前回の更新の時もすっかり忘れていて、免許の更新時期を逃してしまった。それで後から更新手続きを行い、再度免許を発行してもらったのだ。それで次回からは更新の時期が来ると、知らせの書類が届くようにしたのだ。

 昔はマリンジェットなんかに乗ったけど仕事をしてからは船を運転したことは一度もない。それで俺はすっかり忘れていたのだった。ただ俺が実現できればと思っていることの1つに、海外に船で行くことがある。ただ旅客船に乗って海外に行こうというわけではない。自分で運転して行くのだ。少し前にどこかのおじいちゃんが、ヨットで世界一周をしたというニュースがあったが、あそこまでは無理としても、できればそれに近いことを実現できればと思っている。おそらく夢で終わるのだろうが・・・。
 
 ただ今の4級船舶だと出航できる海域が決まっていて海外まで行くことはできないのだ。それで俺はいつかもっと上の免許を取りたいと思っていた。そして同封されている書類を読んでいくと、免許の級別の改定があって、4級船舶は今の新免許の2級に変更になるそうだ。更に他の書類を読むと、レベルを上げて1級に挑戦しませんか、と書かれていた。俺はそれを見た瞬間に、ようし海外に船でいけるぞと、思った(早すぎるぞ〜)。1級を持っていれば海外に船でいけるのだ(確かいけるはずだが・・・)。そこで俺は1級の免許に挑戦することにした。
1月28日
 先週の続きです・・・。
NOVAの宣伝担当の子会社NISに電話をして、コマーシャルに出させてほしいと出演交渉をしたときの話だ。雑誌担当の人が、「コマーシャル担当の者に聞いてまいりますのでお待ちください」、と行ってしまった。俺はそれからすごく緊張してきた。電話を持っている自分の手が震えてくるのがわかった。なかなか担当者は戻ってこない。1分たち、2分たち、遅いな〜、と思っていたら戻ってきた。

担当者は、「コマーシャル担当の者に聞いたところ、生徒さんにインタビューする形式のコマーシャルを予定しているそうですが、ストックがたくさんあるので今は応募してないそうです。ただ、次回に応募のときには私が責任をもって連絡させていただきますので、そのときはよろしくお願いいたします。」 と言われた。そして俺はようやく緊張がとけた。そうか残念だったな。今はないのか。けどまたチャンスはありそうだな。本当はNOVAうさぎと共演したかったんだけど、まあいいか。しかしこの担当者はなかなか、きっちりした人だ。
 
1月22日
 先週の続きです・・・。
 NOVAの広告の件で、妻が聞いた大阪の連絡先に電話をした。すると、「ナースですが」。ナース?ナースとは何だ?俺はすかさず、「あの〜、すいませんが、そちらはNOVAの関係のところですか?」と疑い深く聞くと、相手も俺の声のトーンの低さを感じ取ったのか、少しぶっきらぼうに、「そうですがぁ・・・」。と答えた。あれ、本当にNOVAの関係か? 俺は、「広告担当の○○さんって、いらっしゃいますか」、と聞くと、「はい、お待ちください」。おわっ、本当にいたんだ! もしかするとこの話は本当の話かも!

 しばらくすると担当者がでてきた。かなり丁寧な話し方で、「奥様からお聞きになられたと思いますが、来月号のNHKのテキストのNOVAの広告の中に、写真とコメントを掲載させていただきたいのですが・・・」。おわっ、これは本物だ!その瞬間俺は緊張してきた。「レベルアップコンテストの受賞を読ませて頂きまして、内容がよかったので是非掲載をさせていただきたいのですが・・・。」おわっ、本当かよ。俺の返事は考える間もなく瞬間的に、「はい、協力させていただきます」と、言っていた。やっぱり本物だったのか? 写真は以前に撮ったものを使用するとのことで特に撮影はなく、コメントも向こうが自分の投稿文を読んで作成してくれるとのことであった。雑誌ができあがったら送ってくれるとのことであった。

 俺はその担当者に、この電話をかけるまで広告掲載を疑っていたこと、NOVAのスクールに確認の電話をいれたけど分からなかったことなどを話した。すると担当者は、「突然お電話をして誠に申し訳ございませんでした。スクールのマネージャに連絡をしておればよかったのですが、申し訳ございません。奥様にもどうかよろしくお伝えください」。かなり丁重にあやまった。そしてちなみに、ナースではなくエヌ、アイ、エス(NIS)というNOVAの宣伝、雑誌関係を担当している子会社であった。

 すごいよな。またNOVAの広告に使われるのか。しかし、ただで?確か前回でたときも掲載した雑誌が送られてきただけだったけど。特に今回もギャラがでるとか、割引券がもらえるとか、何もなかったな。別にお金が欲しいわけではないけど、せめてNOVAの割引券ぐらいはもらいたいよな。考えれば考えるほどそう思いはじめてきた(何か心が狭いよな。出れるだけでもいいだろう!)。

 翌日スクールに行ったときにスタッフも大騒ぎしていた。伝言ゲームのように話が伝わっていて、話が大きくなっていた。スタッフが、「今度NHKに出られるんですか」。 「・・・」。俺は思わず笑ってしまった。「違いますよ。NHKのテキストのNOVAの広告にでるみたいですよ。それは・・・」、とこれまでのいきさつを話した。「そういえば、いつもこういう雑誌の掲載なんかの場合はマネージャーから教えてもらうけど、今回は大阪のNOVAから突然かかってきましたからね。こっちは怪しいと思いましたよ。今も少し思っているのですけどね。・・・。そういえば、今までNOVAのためにいろいろと雑誌に出て協力してますけど自分には何もないんですよね。ギャラとか割引券とか。そういうのもできたら考えて下さいよ」。するとマネージャは、「しかし普通は広告に掲載されるにはオーディションを受けて、それでようやく出れるんですよね。それを考えるとオーディションもなく選ばれるなんてうらやましいですよ。私だってやりたいですよ・・・」。そう言われてしまうと俺は何も言い返せなくなってしまった。確かにそうかもしれないなぁ。

 しかし日がたつにつれて、やっぱり納得できない。今までいろいろと写真撮影を経験したけど、それなりの見返りはあったから、オーディションをやろうがやるまいが関係ないのでは。まぁ、ダメもとでもう1回電話をしてみよう。

 「もしもし、NISですが」、
 「すいませんが広告担当の○○さんお願いします」。相手が変わり、こちらの名前を告げると、
 「あっ、お世話になっています」。トーンが高く、相手の反応はかなりいい。ようし交渉するぞ!
 「あの、お願いがあるのですが、今回のNHKのテキストの広告の件ですが、これは例えば広告掲載料とかNOVAの割引券とかそういうのはあるのですか」。すると相手はトーンダウンして、申し訳なさそうに、「いや〜、そういうのはなくて、雑誌を送らせていただくようにしているのですが・・・」。
すかさず俺は、「そうですか、例えばNOVAで発行している本なんかでも難しいのでしょうか(もらえないでしょうか)」。
「いえ、本は結局NHKのテキスト6冊を送らせていただくのですが、6誌分ですが・・・」。おや、まてよ6冊も送ってくるの。えっ、6誌に掲載されるのか、すごいな、と心で思いつつも、
「分かりました。そうですか。」、これで電話を切ろうとしたが、ふと思いついた。

「あの〜、もう一つお願いがあるのですが・・・。」。俺はこりゃ絶対無理だろうなと思うお願いを思いついた。「あの、NOVAのコマーシャルでNOVAうさぎが出ていますよね。もしできるのであれば、NOVAうさぎと共演させていただきたいのですが・・・」。俺はこれは絶対に大うけするだろうと思った。言っている自分でさえ、思わず笑いが出るのをこらえていた。すると向こうは、笑いもせずに、「それは生徒さんが出るインタビュー形式のものですか、それに出演されるのをご希望されているのですね」。俺はその瞬間凍りついて、思わず、「うっ、はい」と答えてしまった。「コマーシャル担当の者に聞いてまいりますのでお待ちください」、と行ってしまった。うわっ、本当かよ。驚いたな、わざわざ聞きに行ったよ。俺はそれからすごく緊張してきた。電話を持っている自分の手が震えてくるのがわかった。

・・・続きはまた書きます。 話は全然違いますが、今日船舶免許の試験を受けに行ってきました。この話もまた書きます。
1月15日
 昨日病院で胃カメラをのんできた。昨年の健康診断でひっかかってしまって精密検査を受けることになったのだ。ポリープの疑いあり。前回の健康診断でも胃カメラをのんでチェックをしてもらった。その結果、胃の中にポリープがうようよとできていた。今年は大丈夫だろうと思っていたのだが・・・。

 病院で胃カメラをのんだ結果、前回のような、うようよしたポリープはほとんど消えており、ところどころ、ポツポツとできているだけであった。先生も、「問題ないですね」。写真を指差して、「このあたりにポリープの跡がありますね。残りのポリープも、このままだったら消えていくかもしれませんね」。

 俺は安心した。先生いわく、ポリープのできる原因はストレスの可能性があるとのこと。昨年、別の病院で受けたときの先生も同じことを言っていた。確かに一昨年は、仕事のこと、特に英語での初めての発表があり、夢の中にも頻繁にでてきて俺を苦しめていた。ただ自分的にはストレスがたまるタイプではないと思っている。それはストレスがたまっているとは全くといっていいぐらい感じていないからだ。けどおそらく体にはたまるのだろう。

 別の見方をすると、ポリープが少なくなったということは、自分に対する負荷が少なくなったともいえる。いづれにせよ健康第一だ。自分の健康を管理できないということは、自己管理ができてない証拠だ。ただこの一年間で7kgも太ってしまった。大いに反省だ。前回ポリープができたときに医者にいろいろ厳しいことを言われて、自分なりに改善したのだが、それは、朝飯を食べること。晩御飯を早く食べること。

 当たり前のことだろう! と叫びたくなるのだが、今までその当たり前のことができていなかった。朝飯を食べずに会社でコーヒーを多量に飲んでいたので、胃酸が多量に出て胃壁を壊していた。晩御飯を寝る前に食べていたので、朝まで胃が動き続けて、朝は胃もたれてしていた。だから朝ごはんを食べたくなかった。この悪循環がず〜と繰り返されて、胃壁を壊していたのだろう。

 そこで俺はこの1年間、改善したのは、毎日朝ごはんを食べることにした。晩御飯は早く食べるために、ほぼ毎日(土日を除いて)外食をした。その結果、胃のポリープは少なくなったが、代わりに体重が一気に7kgも増えてしまった(おまけに食費も増えてしまった)。ようし今年の目標は体重を減らすことにしよう。

 別の話だが、先日大阪のNOVAから家に電話があった。「すいません、お願いがあるのですが、協力していただけますか。来月発刊のNHKのテキストにあなたの写真とコメントを掲載したいのですが。NOVAの宣伝広告の中にお願いしたいのですが・・・」。俺は家にいなかったので妻が連絡を受けた。そして妻から電話の内容を聞いた。「えっ、本当かよ。すごいな。」と、一瞬思ったのだが、俺はすぐにその話を疑った。これは本物か、いたずらか。今まで大阪のNOVAから直接電話なんてかかってきたことがない。早速俺はいつも行くNOVAのスクールのスタップに確認した。しかし、そんな連絡は全く入ってないとのことであった。やっぱり怪しいな〜。何はともあれ、妻が聞いた大阪の連絡先に電話をして確認することに。電話をすると、相手が出て、「ナースですが」ときた。ナース?ナースとは何だ?俺は更に怪しいと感じた。

・・・続きはまた書きます。
1月14日
スタートが遅れてすいません。今年も普通の家をどうかよろしくお願いします。
みなさんは今年1年の目標を何か考えましたか? さて、今年はどんな年になるやら。

戻る