ある日の一言(2004年1月〜)
<母親の部屋> <子供の部屋> <関連リンク> <普通の家>
内容紹介
ある日に起こった出来事、感じたことを一言書きます。楽しみにしててください。
1月17日
早く今年のバージョンの「ある日の一言」を作らねば・・・。もう1月中旬になってしまった・・・。
1月5日付けの産経新聞、夕刊フジにNOVAの授賞式のことが載ってました。NOVA雑誌の1月号に写真つきでかっこよく掲載されてました。
1月3日
今年も普通の家をどうかよろしくお願いします。
年末年始は自分と妻の実家(三重と名古屋)に帰ってました。食べすぎ、飲みすぎで胃はオーバーヒートです。さて、今年はどんな年になるか。楽しみだな。
12月26日
写真を何枚かアップします。
@サイパンに行ってきました(12月2日〜5日)
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低気圧の影響で風が本当に強い日でした ホテルからの眺めは最高!
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子供はすぐに誰とでも(人でも猫でも)友達になれるのだ。
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ハンバーガはデカイ! 猫とたわむれるマサキとショウヤ
後ろに座っているこわもての人はカメラマン
Aマサキの七五三のお祝いをしました(12月11日)
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みんなで川崎大師にいきました マサキはかっこいい着物を着て大喜び!
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ショウヤもカメラ立てをもって大喜び おにいちゃん離してよ!
BNOVAのレベルアップコンテスト祝賀パーティに出席しました(12月12日)
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特別賞を受賞しました(隣のNOVAうさぎはもらえません) NOVAの社長はきさくな方です
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同じテーブルの受賞者の方です 元トップモデルで写真家の安珠さんです。今回はゲストとして海外での生活について話されてました。
受賞の対象となった論文を紹介いたします。
12月19日
しばらく更新ができませんでした。この3週間はいろいろなことがあった。
まず12月2日〜5日にサイパンに行ってきた。木曜日の夜に羽田を出発して、サイパンに朝着き、サイパンで1泊して、翌日の夜中にサイパンを出発する。そして日本に日曜日の朝に帰るという、旅行日程は4日になっているが、実際は正味2日間というハードなスケジュールだった。良かったのは、羽田から出発することで、俺は初めて羽田の国際ターミナルに行った。思ったとおり人がほとんどいなくて、狭くて何もない。けど免税店がちゃんと夜でも開いていたのが驚きだった。
サイパンは天気が良くて、海もきれいで、何も言うことがないぐらい良かった。宿泊はたったの1泊だったが、日航ホテルのコネクティングルーム(2つの部屋がつながっている)で広くてきれいで、のびのびと過ごすことができた。ただ、部屋の場所がホテルの端だったのでフロントから部屋まで歩いて行くのに少し距離があった。そうそう俺にとっての本題は英語だったが、普通の会話をするのに特に問題になることはなかったが、完全に聞き取ることはできなかった。また相手が早口で、ペラペラしゃべってくると途中から分からなくなった。やっぱまだまだ勉強が足りないなぁ。
帰りが大変だった。サイパンを出発前、マサキがぐったりとなっていたので額に触ると、かなり熱い。体温計がないので温度は分からなかった。俺と妻はマサキとショウヤを抱いて荷物を運んだ。チェックアウトの時間は夜中の1時過ぎだった。当然子供たちは2人とも寝ていた。その頃、日本では低気圧の影響で非常に強い風が吹いていた。結局サイパン空港では飛行機の出発が1時間ぐらい遅れた(日本からの飛行機が予定通り到着しなかったのだ)。もっと悲惨だったのは、羽田空港に飛行機が降りれなかったことだ。朝の6時ぐらいに羽田の上空に着いたが、強風の為、全ての到着便が上空で待機していた。
結局1時間ぐらい待ったが降りれないので1度給油の為に関西国際空港に行くことになった。関空でも更に1時間ぐらい待たされて(飛行機の中)、羽田の強風がおさまり次第、再度出発するとのことだった。しかし、風がおさまる気配がなく、結局関空で出国手続きをして、そこからは自分たちで帰ることとなった。おいおいどうやって帰るんだよ。新幹線で帰るのは大変だと思い、俺たちは伊丹空港に移動して羽田まで飛行機で帰ることにした。
念のために関空の病院でマサキを診てもらった。額を触ると熱がだいぶ下がっているみたいだったし、飛行機の中では元気で、ショウヤと一緒にスチュワーデスに遊んでもらっていた。ところが熱を測ったらまだ38.6度であった。早く帰って安静にさせないと。本当は関空から、羽田に直接飛行機で行きたかったのだが夕方まで満席とのことであきらめ伊丹に移動することにした。伊丹まではバスで1時間だ。俺たちは3つのスーツケースを転がしながら、マサキを抱えて、ショウヤを歩かせて、ようやく伊丹空港に着いた。ここでも飛行機の順延が俺たちを待っていた。伊丹で3時間ぐらい待たされて、ようやく飛行機が飛んだ。羽田に着いたのは午後4時過ぎであった。予定では今日の朝の6時頃には着くはずだったのが、結局10時間ぐらい遅れてようやく帰ってきた。本当に疲れた〜。もうそこからバスや電車で帰る余裕はなかった。俺たちはタクシーでまっすぐ帰宅した。
12月11日はマサキの七五三のお祝いとして、写真を撮りに行ってきた。先月はハカマを借りて大師公園を散歩した。今回はスタジオ内での撮影であった。なかなかいい写真が取れたのでまたアップします。バカ殿様みたいでおもしろいのだ。
12月12日は赤坂プリンスホテルでNOVAのレベルアップコンテスト祝賀パーティが開かれた。全国のNOVAから300名の受賞者が集まるのだが、これは毎年開かれているイベントで、全国50万人の生徒に対して、英語に関する成功体験、留学経験など、論文の応募があり俺も6ページ書いて申し込んだ。その結果受賞したのだ。昨年に引き続き2年連続であった。更にその中で上位10名ほどが、優勝、準優勝、特別賞、部門賞をもらえるのだ。俺はそんなのは気にせずに、始まったら食べて、飲むのに忙しかった。昨年度は緊張していてそんな余裕がなかったから、今年は徹底的に飲み食いするぞ、と意気込んで参加したのだった。やっぱ赤坂プリンスの料理は違うな。うまいよ。
突然、司会者より俺の名前が呼ばれた。英語で呼ばれたから、分かりにくく気のせいかと思ったが、誰もでていかないので俺がでていった。なんと特別賞に選ばれてしまったのだ。おいおい本当かよ。賞状とトロフィと副賞の旅行券10万円分がもらえた。壇上でスピーチをしなければならなかったが、俺は飲み食いのことしか考えてなかったので、あまりうまくしゃべれなかった。この特別賞の受賞は驚きであった。応募総数がどれだけあったのかはしらないが、50万人の生徒を対象にした論文の応募の中で10人に選ばれたのだから。すごいとしかいいようがない(本当に驚いている)。論文の内容は、英語の勉強が国際会議の発表に役立ち、その結果博士が取れた、ということを書いたのだ(この内容はまた公開します)。来年1月5日の夕刊フジ、8日の産経新聞、NOVAの雑誌に内容が掲載されるそうだ。またこれで英語のやる気がでてきたぞ。ようしレベルアップを更に目指すぞ!
12月17日は会社の忘年パーティがあった。当日は各地から役員も集まって全員で100人ぐらいがパーティに出席した。俺は昨年に引き続き今年も司会をすることになった。昨年ほど緊張をすることもなく、問題も起こらず無事に終わった。会長、社長夫妻が出席する俺たちにとっては大きなパーティだったので、ミスのないように、スピーチ内容も十分に考えて、頭の中で前もって何度もシュミレーションをして望んだ。とりあえず無事に終わって俺はほっとした。終わった後に疲れがどっとでた。役員が退席したあと会場から、俺の名前の大コールが起こり、「来年も! 来年も!」とあったが、来年は本当の本当に勘弁してほしい。心からそう思う俺であった。
12月18日は新宿に行ってきた。俺にとってこれから何が必要か。今の時期に何をすべきかをず〜と考えた結果、MBAの取得を次に目指すことにした。MBAというのは経営学修士号で会社の中で必要なマーケティングや財務、金融論、特許戦略など、会社組織の運営に必要な基礎的な要素が全て含まれているのだ。少し前に会社の仕事で俺のテーマとして、生産性向上と、原価低減というのがあったが、そのテーマは俺にとっては非常に大きくて難しいものであった。というのは財務諸表を見て、会社の過去の分析を行い、どこを伸ばしていくのかを自分なりに判断するのだが、財務諸表の見方が全くわからないのだ。
本屋でMBAの本を買って読んでみると、マクロ理論とかミクロ理論とかマーケティングなど、会社が繁栄する基本的なことが書かれていたのだ。俺はそういう分野があることは知っていたが内容は全く知らなかった。その中に財務諸表の見方もあった。また人材育成というところでは、おもしろいことに人間の心理的な分析結果が書かれており、人間には欲求があり、入社何年目の社員だと、今こういうことを望んでいるから、こういうことに力を注ぐはずだと、だから会社としてはこういう内容の仕事を与えたほうがよい。など書かれている。これはおもしろい。結局、会社の業績を伸ばしていくには、人のやる気が一番影響すると俺は考えているからだ。世の中にはこういう学問があったのか。知らなかった!
昨日行ってきたのはイギリスの大学の日本語プログラムというので、土曜日に授業があり、2年間勉強してMBAを取得するコースだ。ただ金額がかなり高くて、NOVAの授業どころではないのだ。国内の大学もいろいろ探しているが、会社に行きながら勉強できるところはなかなか見つからないのだ。本当は1年もしくは2年ぐらい会社を休んでヨーロッパもしくはアメリカで勉強をしたいが、それこそ簡単なことではない。外国の大学で授業を受けるにはそれなりに高度な英語力を身につけておかないと駄目でおそらく今の俺の英語レベルでは無理だと思う。TOFELのテストも受けなくては。お金のこともあるし、会社のこともあるし、家族のこともあるし、俺も若くはないから条件がそろえば早めに勉強したいと思っているのだが。さあどうしようか。
11月28日
新しいパソコンは絶好調だ! 前のデータを古いハードディスクから早く移さないと・・・。ただ前のハードディスクは半分壊れているから、あまりやりたくないのだが・・・。
先週NOVAで月刊誌の電話インタビューと写真撮影を行った。そんなに大げさなものではなかった。電話でのインタビューでは、聞き手のNOVA出版局のスタッフから、「英会話を習い始めた目的は何ですか?、普段の英語の勉強方法はどのようにされているのですが?、今後の目標は何ですか?」、など30分ぐらい話をした。写真撮影は専門のカメラマンが取るのではなくスタッフがパチパチと数枚取るだけだった。以前俺が経験した、サラリーマンモデルの撮影とは全然違って、気楽なインタビューであった。なんにせよ初めての経験で楽しかった。来月の1月号に掲載されるそうで、楽しみだ。
11月21日
パソコンがとうとう動かなくなってしまった。それでしばらく更新ができませんでした。そして昨日ついに新しいパソコンを買ってしまった。ヨドバシカメラ、さくらやなど、川崎駅前の店を数件みて、スペックと金額を見比べて、SOTECのパソコンに決めた。今までのパソコンは、他の人からマザーボードを売ってもらったり、CPUだけを買ったりと部品を組み合わせて作っていたのだが、はっきりいってあまり調子は良くなかった。
今度の新しいパソコンは絶好調である。インターネットの接続速度を測ったら2倍になっていた。すげぇ。ただ、2倍といっても、これまで7Mだったのが、14Mになったのだけど、50MのBフレッツだから、本当はもっとでてもいいはずなんだよな!
この2週間の間、よいニュース、悪いニュースがいろいろあった。
NOVAのレベルアップコンテストに2年連続入賞することが決定した。このコンテストは年1回NOVAで行われており、外国語を勉強して、自分の夢がかなったことや、海外で経験したことなどを書いて応募するのだ。そしてNOVAスタッフが内容をチェックして、300名を選ぶのだ。昨年度は3万人が応募していたそうで、約1%の確立で選ばれた。ただ抽選というわけではなく、内容で決まるとのこと。NOVAスタッフの話によると2年連続というのは聞いたことがないそうだ。だいたいの人は、その応募用紙にほんの数行書くだけらしいが、昨年俺は3ページに渡って書いたのだ。更に今年は、なんと6ページも書いたのだ。まめだからな。来月の12日に赤坂プリンスホテルで祝賀パーティが行われて、更にその中で、優勝、準優勝など10人ほどが選ばれるのだ。さて、どうなるか。期待はしてないが・・・。昨年は緊張して、あまり食事が食べれなかったけど、今回はがんがん食べて、がっぽがっぽ飲むぞ。かなり豪華な食事なのだ。楽しみだな。
つぎもNOVA関係のニュースだ。NOVAが毎月出している雑誌に俺のことが掲載されるそうだ。来週、写真撮影とインタビューがある。来年の1月号に掲載されることが、すでに決まっているそうだが、これは初体験だけに緊張しそうだ。
次は悪いニュースだ。会社の忘年パーティの司会が、これまた2年連続で俺がやることに決定した。半分会社の命令だから、しょうがないけど、何でまた俺なんだよ。昨年も緊張したけど、今年もまた、すげぇ、緊張しそうだ。会長、社長をはじめ、今年も役員会議があるから、役員がみんな勢ぞろいしている。アルコールもあまり飲めないし、食事もほとんど食べることができないし。とほほ・・・。
次はいいニュースだ。来月の初旬に1日休みを取ってサイパンに行くことが決定した。今月、国際展示会が東京ビックサイトであり、日曜日に説明員として出勤したから、その代わりに休みを取るのだ。ちなみに、うれしいことに羽田出発だから、会社が終わった後、23時ごろに集合して、夜中に離陸するのだ。サイパンは俺にとって英語の集中講義の絶好の場所だ!
10月31日
そういえば最近家族で海外にでかけてないな。去年の11月に俺はイギリスに行ったけど、これは国際会議で会社の出張だったからな。ようし、海外旅行を計画してみるか!海外旅行というよりも俺にとっては英語の集中講義といったほうがいいか。最近は英会話もやる気パワーが出てきて、週3〜4日はNOVAに行っているのだ。けど、NOVAに行ったとしてもわずか40分の授業だから1日のうちで英語はほとんど話す機会がないのだ。それならば思い切って海外にいったほうが何倍もいいという考えだ。しかし問題は金だ・・・。
10月26日
この前の続きです。
ホッチキスを目にしたマサキは、再び警戒をし始めた。しかし、医者は子供の扱いに慣れていた。マサキの目に入らないように頭の横からホッチキスを出して、のど元にそっと持っていき、片方の手でピンセットを持ち、はみ出ている肉を器用に傷口に押し込んで、ホッチキスでパチン、パチンと二ヶ所とめた。わずか数秒で終了した。そしてホッチキスの針の上からバンドエードを張って終了。えっ、これで大丈夫なのか? 俺は驚いた。マサキは相変わらず泣いている。ホッチキスの針はどうみても普通の我々が使う針と同じでスチール製みたいだった。いや、通常のより多少大きかった気がする。先生からはまた明日も来るようにと、言われて、とりあえず処置をしてもらい、ようやく我々は安心した。しかし麻酔が切れたとき、痛くないのだろうか?
その後マサキは元気になり、1週間ぐらいで針を抜いてもらい、今ではきれいに傷口がふさがっているのだ。よかったな。
10月17日
前回の続きです。そして俺達は、救急車を呼ぶか、病院に直接つれていくかを考え、結局、家の近くにある救急病院に直接連れて行くほうが早いだろうということになった。妻が急いで病院に電話して、現状を詳細を伝えた。俺は会社から帰ったばかりであったので、スーツとネクタイをしており、あわてて着替えて、マサキをかかえた。そして妻とショウヤと一緒に車に乗り込んだ。マサキは泣き叫ぶこともなく神妙な面もちになっていた。痛みがあるのかないのか分からないが、泣いてないところをみると、そんなに痛くないのだろう。ただ、本人に聞くと、「痛い、痛い」を連発していた。首を押さえていたタオルは鮮血で真っ赤になった。
数分で病院に着き、急いで駐車場に車を止めた。マサキを抱えて入り口に急ぐと守衛に連絡がいっていたらしく、すぐに鍵を開けて中に入れてくれた。夜の病院はぶきみに静まりかえっていた。受付を急いで済ませると治療室に案内された。先生を待った。看護婦さんは治療の準備をしている。しかしなかなか先生がやってこない。看護婦さんはマサキを診る気配もなく、俺はマサキを抱えて長椅子に座って待っていた。遅いな。マサキは落ち着いている。しかし目はどんよりしていて、痛いのか、眠いのかよく分からない。そのどんよりした目が、俺は不安であった。大丈夫かな。俺達は、早く医者がこないのか、といらいらしながら待った。数分後に先生がきて俺とマサキだけが治療室に入り、ベットに横にねかせた。
先生がマサキの首のタオルを取るようにいったので看護婦さんが取ろうとすると、マサキは、「痛いからヤダ!」と叫んだ。それから俺も、マサキを説得して、タオルを取り除くと、首と、のどの間の柔らかい部分が三角形に深くえぐられていて、中の白い肉が見えた。また、肉の一部が外側にはみ出ていて俺は目を覆いたくなった。白い肉はまるで目の内側のような色をしており、柔らかい感じであった。
それから医者、看護婦があわただしく動き始めた。先生は注射器を手に取ると、「お父さん、体をしっかり押さえて下さい。暴れますから」と、言った。看護婦さんが頭を抑え、俺はマサキの手と足を押さえた。俺は、何が何がさっぱり分からなかったが注射器で麻酔を打つみたいであった。俺は不安だったが、マサキはもっと不安だったみたいだ。マサキの目がきょろきょろと動き、注射器に目がいくと、その瞬間大声で泣き始めて大暴れはじめた。火事場のバカ力はこんなにすごいのか、と思うぐらい手足をばたつかせた。
俺の目の前を注射器が横切り、鮮血がしたたり落ちる傷口に注射針を入れた。俺は本当に目をそむけたかった。マサキは大声で泣き、俺はひたすらなだめていた。「マサキ、痛くないぞ、頑張れよ」。こんなに身近で救急治療を見るのは始めてであった。医者と看護婦のパワーにも圧倒された。まず最初に、三角形の傷口の周囲に軽く注射を打ち、そして徐々に深い傷の中に注射を打ち、麻酔をした。傷口の周囲には5ヶ所ぐらい注射を打っていた。その後、医者が、「ホッチキス、ホッチキス」と、叫んだ。何、ホッチキス?俺はよく分からなかった。おそらく更に驚いていたのはマサキであっただろう。再びマサキの目がきょろきょろ動き、医者の手先を警戒し始めた。医者はすぐに、「ステップラー、ステップラー」と英語に変えたが、すでに遅かった。マサキは時々家でホッチキスを使っているため、その意味を理解していた。そして、明らかに警戒して、更に暴れ始めた。見ると大きくて白い業務用のホッチキスが医者の手に見えた。
話が長くなりそうなので、このつづきはまた。
10月11日
先月の終わりのことだが、俺が家に帰った後、マサキとショウヤがいつものように興奮して暴れていた。俺と妻はいつも怒鳴っているのだが、2人共なかなかおとなしくならない。マサキは布団をかぶってショウヤと一緒に狭い家のなかを追いかけて騒いでいた。ふと気が付くとマサキが倒れている。ショウヤが布団をふんで転んだのか、あるいはマサキが自分で転んだのかは分からないが倒れている。すぐに起きあがってきてマサキは大泣きになった。よくみると首から出血している。あごとのどの間が2〜3cmほど陥没して肉がはみ出ている。「うわぁ〜、マサキ、ど、どうしたんだよ」。俺はおどろいた。どうもパソコンのデスクトップの角で(鋭くとがっていて)、のどをついたみたいだった。妻はマサキを見ておどろき叫んだ。「きゃ、どうしたの、何があったの」。マサキは更に大泣きしはじめた。妻がタオルを出血したのどにあてた。時計をみると夜の21時50分であった。そして俺達は・・・。つづきはまた。
9月26日
今週は休日が日曜日しかないのだ。先日、会社の連中と飲みに行って、焼酎のボトルを3本あけてしまった。ほとんど原液で飲んでいたからあっという間になくなってしまった。おまけに、その前にワインとシャンパンを2本飲んでいて、俺達はかなり酔っぱらってしまった。俺はどうやって帰ったか記憶にない。ただ朝になって気が付くと、俺の寝ている周りに、ネクタイとYシャツが散らかっていた。うぇ〜、気持ち悪い。2日酔いだ。もうしばらくはアルコールは飲まないぞ〜。
9月20日
さて3連休だ。何をしようかな。今年の3連休は2回しかない。だから有意義に過ごさねばと、思ったが・・・どうしよう?結局、初日はマサキとショウヤを連れて散歩することになった。新しく、開拓したスペシャル散歩コースだ。まず近くのバス停まで歩いていく。そこで大師行きのバスにのり、京急の川崎大師駅まで行く。そこで電車に乗って川崎駅まで行く。ここから旧東海道を歩き六郷の渡しを通り、多摩川を越えて都内に入る。橋を完全に渡り終わる手前に、多摩川の堤防沿いに降りる階段があって、そこを通り、堤防沿いに歩くと、京急、東海道の鉄橋が見えてくる。京急の鉄橋は大人の場合、頭を低くしないと鉄橋の下をくぐることができないぐらい低いのだ。俺達がくぐろうとしたとき、京急の急行電車が猛スピードで通り過ぎた。ガタガタガタ。そのすごい音。ショウヤは、怖い怖いと泣き叫んだ。すぐ目の前に電車の車輪が見えて、下からも電車の通過を見ることができて、それはそれはすさまじい。それから京急の六郷駅で電車に乗り、川崎駅まで行き、そこからバスに乗って家まで帰るのだが、その日はバスに乗らずに横浜まで行き、妻と待ち合わせて買い物をしたのだ。なかなか今日はおもしろい穴場を見つけたぞ。走ってる電車をあんなに間近で見られるところなんてないぞ。ようしまた行こう。ちなみにこのスペシャル散歩コースは4時間ぐらいかかるのだ。その間、ショウヤは抱っこ、抱っこを連発してひさびさに腕がたくましくなった気がする。
少し散歩の話を長く書きすぎたなぁ。ちなみに2日目はお台場のジョイポリスに行ってきた。ジョイポリスというのはセガの体験型ゲームが置いてあるアミューズメント施設なのだ。そして3日目は釣りに行ってきた。キスが1匹、ハゼが5匹釣れたのだ。なかなか充実した休日だった。
9月11日
今日は近くの温水プールに行くことにした。俺は初めて行ったのだが、年中泳げてスイミングスクールもやっているから人気のプールなのだ。大人が2時間で500円、子ども200円と少し割高だが、土曜日は子どもが無料だから少しお得なのだ。俺とマサキは1時間30分ぐらい遊んで、それからいつもの釣り場に移動した。投げ釣りでしばらくするとすぐに引き始め、俺はすかさずリールを巻いた。すると20cmを越えるイサキが釣れた。ようし、今日も塩焼きだ。その後まったく釣れず、おまけにマサキは眠くなりはじめたらしくて、「寒い、寒い」を連発したので帰ることにした。ようしエサもタップリ残っているし明日も釣りに行くぞ!
9月4日
学会発表も終わり休日も少し余裕が出るようになった。ようし釣りに行くぞと、はりきって行くことにした。ちょっと待てよ、俺は先週も釣りに行ったのでは? どこが、余裕が出るようになったんだ? 細かいことは抜きにして、先週行った堤防で再び釣ることにした。今日も天気が悪いな〜。
午前中ショウヤとでかけた。しかし、30分も経つとショウヤは何もすることがなくて騒ぎ始めた。結局1匹も連れずに帰ることにした。午後はマサキと出発。ようし今度こそ釣るぞ、と意気込んで再び出かけた。しかし何も釣れず2時間が経過した。マサキがそろそろ飽き始めた。その後、突然強い引きがきたのでいっきに引き上げると、20cm程のイサキが釣れた。ようしやったぞ!
それから1時間ぐらい経って、再び軽い引きがきた。釣り上げてみると前回と同じシロギスが引っかかっていた。やったぞマサキ、今日もおいしいフライが食べれるぞ!
結局、今日の収穫は2匹だった。周りをみるとほとんど釣れてなかったようだった。まぁ、少ないけどいいか、と自分で納得して帰ったのだった。夜はイサキの塩焼きと、シロギスのフライでおいしく食べることができた。満足満足。
9月3日
久しぶりに学会発表があった。立命館大学で朝からあったので前日の夜に移動した。俺と同じ大学で学位を取得したメンバーもそろい、有意義な話をすることができた。発表でも活発に質疑応答が行われ、座長をされていた先生も、「みんな成長したなぁ。言うことは何もないよ」、と本当に喜んでいた。しかし、学会発表は準備が大変で、実のところ今回の発表はあまり念入りな準備ができなかった。
8月28日
さて、今日もプールに行くぞ〜、と思っていたが天気が悪い。雨が今にも降りそうで少し肌寒い。よし、それならば最近見つけた穴場に釣りに行こうと、マサキとショウヤを連れて出発。そこは堤防沿いだが公園になっていて、家からも車で20分ぐらいと近い。絶好の釣り場なのだ。俺達が行くと数人が釣っていた。堤防は2〜300mぐらいと長いのではっきりした人数は分からなかったが、穴場らしく、あまり人がいないのだ。
しばらくして釣っているとマサキとショウヤは騒ぎ始めた。それだけならまだいいのだが、雨が降り始めた。どうするか、帰ろうかと、思っていたら竿がひき始めた。ようし、釣ってやるぞ、と意気込んで引っ張ったらエサがなくなっていた。残念だ!
しばらくすると今度は別の竿がひき始めた。今度こそ、とゆっくりと手応えをつかみながら上げると魚が一匹ひっかかっていた。ようし、一匹ゲットだ!それはシロギスだった。今日の晩はフライだ!そのうちに雨がひどくなってきて、マサキが寒がり始めた。今日はこれで引き上げるとするか。まだエサが残っているから明日の朝に行くぞと思い、俺は帰った。
家に着いてインターネットでシロギスの料理法をチェックした。俺は今までの経験とそのネット情報で、魚の頭を取って、はらわたを取って開いた。しかし後から料理法を再度チェックすると違っていたのだ。開き方が逆で、背中から開かなければならなかったのだ。俺はおなかから開いていたのだ。けど、そんなのは大したことじゃなく、キスのフライは本当においしかった。マサキはバクバクと食べてしまった。おいおい俺の分は!
8月21日
先週は名古屋と三重の実家に帰って連日プールや川で遊ぶことができた!マサキもショウヤも大喜びだった。俺は飲み過ぎた。
7月30日
最近英会話をさぼり気味だ。1週間に1回は行くようにしているが、行けないときもある。行けないというよりも、やる気がないといったほうがいいかもしれない。昨年は国際会議の発表という目標があっただけに必死にやってたけど、今は英語の目標がみあたらないのだ。今のレベルより更にワンランク上を短期間で目指すとか、TOEICなどで高得点を取るとか、何か決めたほうがいいな。
7月25日
昨日、会社のソフトボール大会が井の頭公園近くのグランドで開催された。全部で10チームが参加しており、我々は1勝2敗で4位だった。同業者間の親睦のための試合で、各チームに40歳以上と女性を数人入れて戦うのだった。都内は連日連夜の猛暑で、その日も朝から暑かった。我々のチームは応援も入れて総勢50数名の大所帯だったが、俺もほんの少し試合に出ることができた。2度の打席が回ってきて、1回目はヒットとなり、2回目は打ったがアウトだった。試合前から俺は少し練習をしていたが、やっぱり即席の練習では足りないことがよく分かった。しかし、10数年ぶりにソフトボールをやって、久しぶりにいい汗が流せた。やっぱ運動はいいな!これからも何か運動を続けなくては。
7月11日
大師公園のプールが始まって以来、休日の我が家はプールモードになっている。結局、土曜、日曜ともプールにいってきた。大師公園のプールは大人300円で、3歳以上15歳までが100円とお得なのだ。おまけに先週と今週の土曜日はなぜか子どもが無料だった。安くていいなと、思っていたら問題もあるのだ。安いだけに大勢の人がやってくるのだ。ヘタすると芋洗い状態になって、泳ぐどころでない、ただ水に浸かるだけになってしまうのだ。それでも夏の暑い中、プールで遊ぶのは気持ちがいい。ようし毎週いくぞ、と思うマサキであった。
7月6日
先週の土曜日、子ども達と一緒に近くの大師公園に遊びにいった。公園の中に中国庭園があって、ときどき散歩に行くのだ。そこは滝や池、コイなどもいてなかなかいいところなのだ。しかしその日は庭園の前の木陰に若い連中が集まって騒いでる。おまけによく見るとコスプレのやつらもいる。なんか、嫌な雰囲気だな、と思い庭園の中に入ると、中にもコスプレ軍団がいて写真を撮っているのだ。全てが女の子で、セーラームーンのような衣装や、ツノが何本も生えているどうみても悪者の女のような服を着た人がいる。更に中国人風の人なんてノンチャックをもって振りかざしているのだ。おまけに刀をもった女までいる。なんだ、こいつらは!何者だ! 髪の毛は茶髪どころが、オレンジ、緑。半分裸体のようなやつもいるぞ。よくそんな恥ずかしいかっこうができるよな、と俺は逆に感心した。
よく見るとカメラを撮っている人は普通のおっさんで、数人いるのだが、中には反射板を持っている人もいる。本格的だなと、思いつつ、そのおっさんたちはコスプレ女に、いろいろなポーズの指示を出している。もしかしてこいつらみんなプロか? と思いつつ見ていると、マサキが、デカレンジャだと叫んだ。何? 何だって! よく見ると、コスプレの1人に犬のワッペンをつけた人を見つけた。そうだ、俺もテレビで見たことがあるぞ。デカレンジャというのは日曜日の朝、テレビ朝日でやってるヒーローものの番組だ。(俺のイメージではゴレンジャーだが)そこに出ている女の子(変身前の人)がいるのを見つけた。あ〜、あ〜、お。本物か。すげ〜な。そういえば先々週の番組で、ここの中国庭園が戦いの場面で出ていたのを思い出した。ときどきここでも撮影をするんだな。今日はもしかしたら朝から撮影があったのかもしれないな。
今まで疑いの目で見ていた俺が、少し興味深い目で見始めた。しかし、近くで見るとどうもテレビの顔と違うのだ。遠くで見ると、スタイルも髪型も、もちろんコシュチュームも全く同じだが、近くでじ〜と顔を見ると別人なのだ。もしかしたらスタント専門の人達かもしれないな。ありえない話ではない。JACなどのチームがスタント専門でアクションシーンだけをやっているのだ。確かテレビで見たシーンでもここでは戦いのシーンだったから。
いずれにせよ、マサキとショウヤは大喜びだった。ここに遊びに来ていた他の小さな子どもも、デカレンジャだ〜と騒いでいた。マサキはひたすら、男がいない、男がいない、と叫んでいた(デカレンジャは男3人、女2人の5人組なのだ)。そのたびにコスプレの人がこっちを見てきて少しかっこ悪かった。マサキ、静かにしろよ!もうそろそろ帰るぞ。
I went to Daishi park with my children near my house last Saturday. We sometimes go to the Chinese garden in the park for a walking. That's good place because we can see a waterfall and pond, a lot of carps. But in the day, there are many people under tree in front of the garden. Incredible, the young people was included a costume playing person. While I was felt to dislike the atmosphere in the scene, I was going into the garden. I saw many costume playing people in it and they shot a picture. They were all women who look like to be worn the costume of SEILAR MOON, bad women. A woman of the chinese style has also a nonchac and flourished. Another has a sword. I was surprised. Who are you? What are you doing? Hair color of them is blond, orange and green. A women is almost naked. I admired them for the ashamed costume.
I recognized that the cameraman are normal guys. One of them has a reflection plate for shoting.They are similar professional, I thought.The guys order the women to pose. Are they really professional? Then Masaki yelled that's Deka-ranger. What, What's? I look at them. I found a woman to wear a dog badge. I know it on TV. The Deka-ranger is TV program by TVasahi. We can watch it every Sunday morning.(I imagined go-ranger) I found the woman of the Deka-ranger. Oh, oh, really? cool. I reminded that the chanese garden was apeared on the TV program. I understood where TV shoot is carried out sometimes there. Maybe, there were the shooting this morning
Before I have suspected seeing them, I changed to be interested in them action. But they were diferunt to compare with them on TV. If I saw them from far away, they are the same style, hair and costume. But I saw them clously in the case, they were completly athors people. I guess, the actress are other special group for stant action team. It's possible to be acted the JAC only stant scene. I'm sure I watched fighting scene on TV.
Anyway, Masaki and Shoya was delighted. Other kid to come there shouted that was Deka-ranger. Masaki often said and shouted that there are no man, no man. (The Deka-ranger are five groups of three men and two women.) Whenever Masaki said that, they looked at us. I was embarrasing a bit. Hey Masaki, don't say that! Go back.
6月27日
先週は会社の慰労会が多くて飲む機会が多すぎた。おまけに週末も家で必ず飲むから、飲み過ぎかもしれない。ようし、来週は気をつけなければと、思ってもすでに予定が入っている。会社の行事だから出ないわけにもいかない(おまけに司会もやらされるのだ)。最近はあまり食べることができなくなってきて、飲む:食べるは6:4ぐらいになってきた。以前は3:7ぐらいだったけど。
話は変わるが、最近このホームページのカウンタ数が増えているのだ! その原因が分かった。Mr.Kaの策略だった。
Last week, we have had a lot of party for a drinking. I also drink in my house every weekend. I guess, I need to take care my body for a health next week. But I'll have a company party next week. Of course I should join the party. I'll be a master of ceremony in the party. Recently I haven't eaten anything foods but I can drink a lot. The rate of a drinking and a eating is 6:4. Before that it was 3:7.
By the way, the counter of my website is been raised gradually. I understand the reason. Mr Ka has detected a plan.
6月20日
会社で創業55周年式典が開催され、高輪プリンスに一泊宿泊した。全国から850数名が集まって行事を行ったが、初めて見る人もたくさんいた。その中で社長特別賞を受賞し、代表謝辞を読んだ。す〜げぇ緊張したぞ。けど久しぶりの緊張で楽しかった。
表彰の理由は、博士号の学位を習得したことと、新しい加工装置を開発したことで、研究と社業を両立させながら目標が達成できたことで、強い責任感と誠実さに対して表彰とのことであった。多くの方々に感謝いたします。
副賞でカタログの商品をいただけるとのことで、その中から掃除機を選ぶことにした。今の掃除機は8年ほど前に一人暮らしをしていたときに買った小さな掃除機でもう吸引力が弱いのだ。買い換えには妻も大喜びだ。
カブト虫が20匹全部成虫に変わったぞ〜。すごいぞ〜。写真はまたアップします。
Our company had been celebrated the 55 years anniversary at Takanawa prince. I didn't know all my colleagues of about 850 people who came to Takanawa . In the event, I was awarded the President Special Prize and presented an acknowledgement. I was tense but enjoyed in it.
Our company gave the prize that why I have got the Ph.D and developed the new machine at the same time. They have recognized especially my strong responsibility and sincerity. I thank a lot of people.
I selected a cleaner in catalog that was the additional prize. We have a old cleaner now. When I was graduate student 8 years old, I bought the one. The old cleaner isn't been powerful recently. Therefore my wife is happy to change the new cleaner.
By the way, my twenty beetles has changed to imagoes. Great! Will be update the photo.
6月14日
パソコンが立ち上がらなくなっていた為しばらく更新できませんでした。すいません。今日は偶然立ち上がった。ようし、このときに急いで更新しなくては。
少し前、久しぶりに友人に会うため埼玉まで行った。首都高速を利用したが埼玉までほとんど渋滞することなく行けた。午前中は市内の公園で遊び、午後に友人宅を訪問した。生後6ヶ月の可愛い女の子が我々を待ってくれていて、マサキもショウヤも大喜びであった。6ヶ月の赤ちゃんを見るとショウヤが子どもに見えた。俺の感覚ではショウヤはまだ赤ちゃんだな、と思っていたのだが、比べてみると明らかに大きい。子どもというのはどんどん大きくなっているんだなぁ、と改めて気付かせてくれた日であった。
I'm sorry to be late to update my website. My personal conputer hadn't been booted for a while. But now, my computer is working. Therefore I should update one hurry.
We went to Saitama to meet our friends. We hadn't seen them for a long time. We drove on the Metro highway while we didn't have a trafic jam. After we enjoyed a park in the morning, we visited to them house. A cute baby waited for us. Masaki and Shoya was happy and joyful. I had thought Syoya was a baby before I saw the 6 month baby. But he is a child, I guess. He's bigger than the cute girl. I recognized again that children grow up quicly.
5月30日
我が家のカブト虫の幼虫がさなぎに変わった!すごいぞ〜。昨年の夏に30匹ぐらいいたカブト虫が70個ほど卵を産んで、その中から20匹が産まれた。その幼虫がさなぎに変わったのだ。20匹全部が変わっているわけではないが、ケース越しに見ると徐々にさなぎになりつつ幼虫も見えるのだ。俺はカブト虫のブリーダーだ!子ども達も大騒ぎしてるよ。
My larvae changed to pupas. It's great! Last summer, some of 30 beetles had breaded 70 eggs. After that 20 larvae was breaded. The larvae are been changed, not only all larvae but also some ones. We can see a pupa in the case while the cast is shedding one's skin. I'm a breeder of a beetle. My kids is also delightful.
幼虫はさなぎに変身する前、少し色が黒くなってくるのだ。
自分の周囲に土まゆを作り、準備を始めるのだが・・・。
Before a larvae change to a pupa, the skin of a larvae is gradually dark
a bit .
A larvae start to make a land cocoon but...
さなぎに変身するとき脱皮するのだ。上の写真の左にあるのが脱皮したあとの皮だ。
このさなぎはツノがないからメスのカブト虫だ。
When the larva change to a pupa, the skin of the larva is thrown off.
On above photo, that of the left is skin!
I guess the pupa is female because the horn is not.
5月21日
6月に会社の創業記念式典があるが、そこで社長特別賞を受賞することが決定した。詳細な理由は聞いてないが、おそらく博士号を取得したことが大きな理由だと思う。おまけに今年の4月に昇格した。自分としては会社への貢献度がそんなに高いと思ってないし、そんなに早く昇格しても周囲の同僚、特に先輩にはかなり気を使ってしまうから望んでいたものではなかった。実は昨年の4月にも昇格し(多分係長級?)、今年も昇格(おそらく課長級?)というのは、入社年数から考えると非常に早い。周囲からもそういう目で見られているだろう。これからは一層謙虚にいかねば・・・。
Our company will have the estabilished anniversary next month. In the anniversary, our company decided to give me the President Special Award. I guess, the reason for giving me the award was that I got the Ph.D. I also promoted my position last month. I think I didn't earn a lot for my company and I need to take care some people who are colleagues and specially senior. Therefore I didn't hope the earily promotion. Actually, I promoted a position, maybe chief?, last year and also promoted again this year. My promotion is very first for only short career. Surrounding people has maybe the same opinion. I should be humple more...
5月15日
今日は朝からすごくいい天気になった。近くの大師公園にマサキとショウヤを連れて遊びに行き、その後、川崎大師に行った。川崎大師では5月1日〜30日の間、ご開帳というのがあって、普段見られないものが見れるらしい。俺もよく知らないのだが、数百人ぐらいの人が並んで待っていた。すごいぞ、正月以外にもこんなに人が集まってくるんだ!。また、大師の中はいつも祭りみたいな感じで多くの店が並んでいる。賑やかで楽しいぞ。俺は、バターをタップリぬった、じゃがバターを買って3人で食べた(2週間ぐらい前にも大師に行って、じゃがバターを食べたけど、これが結構うまいのだ!)。
It's a great day today from morning. I went to Daishi part with Masaki and Syoya near my house after that I went to Kawasaki Daishi Shrine. The Shrine has been a specilal event, that is called Gokaicho, through May 1st to 30th. We can show a special something but I don't know what I can see. I found that a few of handred people more was waiting to have a long line.
5月9日
今週末の休みは今日だけしかなかった。今日は何をしようか・・・、と思ってたら夜になってしまった。
I have just only a day off today in this weekend. I thought what I was doing today. I recognized that it's coming this evening soon!.
英語版をつくらなくては。前回と前々回の内容の英語版。途中までです。
I needed to take care my sons around two weeks ago, because my wife went out. I should care two sons. But I had the work which is a lecture of morning assembly in my company.
5月1日
さあ、ゴールデンウィークに入ったぞ。何からしようかな・・・。やりたいことはたっぷりあるのだが。そうだ、とりあえずは前の続きを書かなくては。
家に帰ってきたマサキとショウヤを見て俺はびびったのだ。ショウヤの眉毛のあたりに縦に3〜4mmの傷があり、血が出ているのだ。マサキは悲しそうな顔をして黙っている。俺は、怒りをおさえて言ったのだ。「おい、マサキ、怒らないから言ってみろ。ショウヤはどこで怪我をしたんだ。滑り台のところか?」。するとマサキが小さくうなずいて返事をした。「ウン。滑り台の降りたところで、こけたんだよ。・・・。」
俺は急いで血を止めようとティッシュでショウヤの傷をおさえた。けど、ショウヤは痛がって暴れてゆうことをきかない。こりゃ、やばいな?大丈夫か?とにかく血の流れをおさえて、あとは、消毒薬を傷口につけようとしたが、頭をふって、なかなか消毒することができない。かなり痛いようだ。俺はとにかく、頭をおさえて消毒した。そしてもう一度、「おい、マサキ、なんでこうなったか言ってみろ! はっきり説明しないと分からないだろ!」
マサキの話だとこうであった。滑り台を降りて立ち上がって、歩こうとしたときに転んで頭を切ったらしいのだ。俺はその話を聞いて納得した。けど後からよく考えるとおかしいのだが、そのとき俺は冷静に考えられなかった(実はブランコが揺れているところに、ふらふら歩いていって頭を切ったらしい)。その後、妻にメールを送ったが、返信メールでは、「えっ〜、2人だけで外に出したの!!」。ときた。まだまだマサキはショウヤの面倒をみることができなかった。というよりも俺の判断が間違っていた。自分の仕事を優先に考えてしまって、マサキとショウヤの面倒をみることをしなかった俺が悪かったのだ。マサキを責めることはできない。失敗だった。
子育ては簡単ではないが、難しいとは言わない。だって誰もがやっていることなんだから。ここから少し学者風に子育てについて書いていくが。今回の場合は5歳の子どもが2歳の子どもの面倒を見ることを俺はできると判断して外にだしたのだが、結果は血を流して帰ってきた。だから失敗だったか? 本当にそうか。 例えば、2人とも無事に帰ってきたらどうだろうか。俺の判断はあっていた。と思っているだろう。たまたま、事故にあったのか、たまたま帰ってきたのかは分からない。ちなみに今は傷も治って元気で遊んでいる。これは本当に失敗だったんだろうか? 俺の判断は間違っていたのかもしれないが、あることを気付かせてくれたのかもしれない。一種の天からの警告だ。小さい子どもを2人だけで外に遊ばせること自体が間違っているのはなく、父親として面倒をもっとみてやらないとダメじゃないかと、もっと一緒に遊んでやらないとダメじゃないか。更に考えるとショウヤの頭から血が出る程度ですんだと思った方がよいのかもしれない。道路を横切るときに車とぶつかっていたらこの程度では済まなかっただろう。だからこれは俺に対するある種の警告なのかもしれない。気付かせてくれたのだ。
ショウヤが怪我をしたとき俺は会社の朝の朝礼の内容を考えていた。道徳的なことについて話をしなければならなっかた。その朝礼で行う勉強の中に「気付き」という言葉がある。我々が物事を発見したり、ふと気付いたりすることは、自分自身が気付くわけではなく、ある種の力が他から作用して、気付かせてくれる、ということだ。天からの知らせみたいなものだ。何を訳の分からないことを言っているんだと、思うかもしれないが、これは俺が毎朝勉強している道徳的な内容の1つである。更に大きな視野で物事を考えると、我々は生きているのではなく、生かされているのだ。我々が生きていくうえで必要な水や空気などは自分たちで作っているわけではない。また太陽の光も与えてもらっており、結局我々が生きていく上で必要なものは全てが与えてもらっているのだ。だから我々は世の中のために恩返しをしていかないといけない。私たちが働くことは、その恩返しの1つである。また、子育てもその1つと考えられる。とくるわけだが、この話はここでストップするとして、今回のショウヤの事件は俺に気付きを与えてくれたものと考えられる。父親としての役割について、また子どもへの接し方について、いろいろ反省する点はある。ただ、反省だけなら今はサルでもするのだ。これを実行していかなければ意味がないのだ。言うは易く行うは難しというものだ。
4月24日
少し前の休日、妻が出かけたので俺が子ども2人の面倒を見ることになった。しかし俺は会社の仕事をしなければならなかった。前回も書いたが、朝の朝礼で10分程度話をしなければならないので、その内容を考えるために悪戦苦闘していた。
最初のうちマサキとショウヤ2人で家の中で遊んでいたのだが、そのうち、「外に遊びに行きたい」と、言い始めたのだ。今まで2人だけで外に遊びに行かせたことはない。マサキだけなら1人で自転車に乗ったり、隣の公園で遊んだりしていたのだが・・・。どうしようか、俺は2人だけで遊びに行かせるか悩んだ。子ども達にとって外で遊ぶことは非常に大切なことだ。太陽の光に当たって日光浴することで、子ども達の体も成長していくだろう。俺もマサキぐらいの小さい頃、近所の子どもと外でよく遊んだ記憶がある。ただ、俺が住んでいたところは、四日市の田舎のほうであまり車が通らなかった。しかし、今住んでいるところは、家の前に2車線の道路があり、車の量も多い。
マサキが遊んでいるところを以前見ていたことがあるが、道路を横断するとき左右を確認せず走って渡って行ったのだ。俺は、その後、マサキによく言い聞かせた。「道路を渡るときは必ず左右を見ろよ!」。マサキを外に出すたびに、「車には気をつけろ」と、言っているのだが・・・。さて、このようなマサキにショウヤを任すことができるか?俺は考えた。最初は何事も不安だが、今の混沌とした世の中を乗り越えるには、1歩1歩いろんなことに挑戦させていかねばと。
マサキを初めて1人で遊びに行かせたとき、俺も妻もすごい不安でマンションの上から覗いていたり、こっそりと様子を見たりしたものだ。ところが今は、それに慣れて、1人で自転車に乗ってでかけても、ある程度安心できるようになった。やっぱ、何事も最初は不安だ。だけどいつかは初めての日が来るのだ。俺は真剣にマサキとショウヤを2人だけ外に出すかどうか悩んだ。子どもを持つ親はおそらくこの問題で絶対悩むと思う。マサキの同級生の母親も言っていたらしい。初めて外に出すのを悩んでいたけど、マサキが一人で公園で遊んでいるのを見て、外に出すのを決意したらしい。外に出しているときも、常に気になって気になって、ず〜と様子を見ていたらしい。それを聞いて思った。どこの親も同じだ。いつかは一人で外で遊ぶことができるのだろうが、そのタイミングがいつになるかだろう。親としては今の年齢では危なくて外に出したくはないんだろうけど、それでも出来れば早く外で遊べるようにさせたい。
俺はず〜と悩んだ結果、2人だけで外に出すことにした。多少不安があったけど、マサキには、「道路を渡るときは右左をよく見ろよ。絶対に道路に飛び出したら駄目だぞ。ショウヤが泣いたらすぐに戻ってこいよ」と、言い聞かして遊びに行かせた。30分後俺は心配で上から眺めると、2人で仲良く滑り台の付近で遊んでいた。よしよし、俺は2人でうまく遊んでいることに納得して仕事を始めた。
更に30分経った頃、家のチャイムがピンポンとなったので玄関をあけた。すると、マサキとショウヤが立っていて、ショウヤが大声で泣いているのだ。俺はショウヤの顔を見て驚いた。眉毛のあたりから血が流れているのだ。それも傷口はかなり大きい。「おい、こらマサキ、いったいショウヤはどうなったんだ!、なんで血がこんなに出てるんだ!」と、怒り心頭した。マサキは黙ってて何も言わない。俺はそこであらためて、「マサキ怒らないから言ってみろ。どこでショウヤは怪我をしたんだ!」。
続きはまた。英語版も作らねば。
4月17日
4月になって仕事が忙しくなってきた。特に他の人のレポートチェックなどだ。今まで自分の論文はたんまり書いていたのだが、人のレポートを見るのは難しい。これまで先生がいつもチェックしてくれていたのだが、その気持ちが多少分かったような気がする。俺が書くならこのように書くのだけど・・・。などなど直していくと、結局書いた人の文章はあとかたもなく消えてしまうのだ。これではレポートを書いた人は成長しない。だからなるべく書いた人のベースは崩さずに直していく。これが難しいのだ。
会社では毎日朝礼があるのだが、俺も2週間おきぐらいに話をしなければならなくなった。それも、徳らしきものの話をだ。俺にそんなのできるか〜、と騒いだが、誰も聞き入れてくれない。先週初めてしゃべったが、前もって勉強しないと簡単には話ができない。けど人前でしゃべるのは、学会発表もそうだが、自分の為になるのは間違いない。しかし・・・。
I'm getting to be busy my work on Apr. Especially, my job is a correction of some reports for other person. I have experienced to write a lot of thesis. But it's difficult to check a report for others. Since my teacher had been helping me to check my report, I might understand his mind a bit. If I write the sentence in the report, I can write... etc. After I checked the sentence, the original one is almost disappeared. But the result isn't good for someone due to make a report for training. Therefore I want to rest them basic sentence as many as possible. That's difficult!
My company has a morning assembly everyday. It was decided that I have to talk something about every two weeks, and also the talking is about virtue.Unbelievable! Though I was vociferous as that I never speak that, nobody hear my voice. I had a lecture at first time last week. Before that I needed to study much time. Because I should speak fluently. I guess that giving someone a lecture is useful by myself. But...
4月11日
先週初めて東京ディズニーシーに行ってきた。ランドには行ったことがあるけど、シーには初めてで子ども達も大喜びであった。さすが春休み最後の土曜日とあって子ども連れや学生のカップルで大にぎわいだった。
これは確かピノキオに出てくるいじわるな猫だったけど、名前は何だっけ?マサキは連れて行かれそうになって喜んでたよ。
英語版も作りました!
We went to Tokyo Disney Sea for the first time last week. I had gone to the Land before that. But I went to the Sea at first. Therefore my children were delighted and excited in the Sea. There were a lot of families with children and young couples, because it's last Saturday in spring vacation.
This is the dishonest cat of Pinokio. I don't know the name. What's the cat's name? Masaki was pleasured to be caught and be taken away by the cat.
3月28日
このホームページのタイトルは「普通の家」だけど、そろそろ名前を変えようかな? 題名はず〜と一緒だったけど、その下のコメントが少しずつ変わっていたのは、みなさん気付いてました? 今は、このホームページはごく普通の家に繰り広げられる、ごく普通の家族が普通の人生を変えようとしている物語です。さあ、皆さん普通の家の扉を開けて家族の部屋を見て下さい。
だけど、以前は少し変わってたんだよ。知ってた? とりあえず学位を取ったし、テレビにも多少でてるし、普通の家だとまた誰かに文句を言われるかもしれないな。ず〜と前にメールで言われたんだよ。「テレビに出ていて、どこが普通の家なのですが」と、・・・。う〜ん、確かにそうかも、と思ったからコメントを少し変えたんだけど、そろそろタイトルを少し変えようかな・・・。脱普通の家、普通の家脱出計画、普通の家からの脱出、異常な家(これは違うか!)。どうしようかな・・・。何かいい案ないかな。
そろそろホームページの英語版に挑戦しようと思っている。今日のある日の出来事を少し書いてみると。
I want to change the title from " Normal house". The title has been the same since begining the website. But the coment under tht title was changed. Did you check it? Now,
This website has a story of a family of a normal house. They want to change them life by them self. Please open the doors and see the family life.
But the coment was changed before that. Did you know? I got a Ph.D and had a chance to appear on TV a bit. If I don't change the title, someone would have a clame to me. I remember that someone sent me a e-mail. Why is Normal house though you appear on TV? Well... that's right, I thought. Therefore I changed the coment a bit. I might change the title. Escape Normal house, Escape plan from Normal house, Abnormal house (No way!). How can I change it? Have a good idea?
う〜ん、何か変だな。そのまま翻訳すると少し変になるな。まぁ、意味が通じるからいいか!
3月24日
今日、学位授与式が行われ、無事に博士号を授与した。これでようやく工学博士になった。
3月20日
来週、大学の近くのホールで博士号の学位授与式が行われる。博士課程の修了者には直接学長から手渡しで学位証が渡されるらしい。ところで、「博士になってどうなるの?何が変わった?」、と改めて自問自答してみる。
実のところ、「はい、あなたは今日から博士になりました。おめでとうございます」、と言われてもピンとこないのが正直な感想である。社内外で、「よく頑張ったね。いや、博士か、すごいね。」など、他の人からいろんなうれしい評価をいただくが、実際本人は、「う〜ん、博士になったのか。本当に博士かな。俺の中で何が変わったのかな? 何も変わってないのにな。」、と思ってしまうのだ。博士になると名刺には、”工学博士”と印字されて、先生の話によると、社会的信用が高くなるそうだ。特に海外では、Mr(ミスター)からDr(ドクター)に呼称が変わる。しかしこれらは全て表面的な変化で人間的にどう変わったんだろう? そうあまり変わらないのだ(変わってないと俺は思っている)。 しかし他人の見る目が変わってきているのは、ひしひしと感じる。今後、会社でも今以上に責任のある仕事が待っているだろうし、学会の場でも、”○○さん”から”○○先生”に変わるだろう。
社会的な立場を考えると改めて自分自身を見つめ直し、「自分は博士である」、という強い認識が必要になってくるのだろう。しかしすぐには変われないと思うので徐々に変えていきたい。
3年前に大学に入学したときは、「俺は社会人学生として本当にやっていけるのかな? 博士号取得なんて夢みたいなこと本当にできるのかな? 俺にそんな高いハードルを飛び越えることができるのかな?」、とかなり不安に思っていた。しかし現実はできた。その為のキーワードとしては、”努力とやる気”ではないだろうか。博士という目標を設定することで、それを達成しようとする意志が働き、やる気が出てくる。
世の中を見ると、”やる気”の薄れた人が多くいるのを見かけるが、それはおそらく明確な目標が設定できていないからであろう。ただ毎日の生活を何気なく過ごしていくのは、せっかくこの世に、生を受けて生きているのにもったいない気がする。なんて偉そうなことを並べるが自分自身も、ふと気が付くと、何をするわけでもなく、ぼっとしていることが多いのだ。また、その状態が俺にとって、ある種の快感なときでもあるが、そこで気を引き締めて、「おいおい、時間がもったいないだろう。俺は今何をすべきなんだよ。」、と問いかける。それでも体と脳が動かない時間は1日の中でかなりの割合を占めていると思う。この時間が少なくなるように上手にマインドコントロールできれば、自分のやりたいことを短時間で達成することができるだろう。
これを書いて、ふと気が付いたが、3年間という決められた博士課程の中で、いかに目標を達成すべきかという考えは、いつも持っていたと思う。この論文はいつが締め切りだから、今日中には絶対に基本的な構想をまとめねばならない。発表はこの日だから、練習は何日前にはスタートしなければならない。また、その為には発表用の原稿はいつまでには完成させないと、など毎日のように考えていた。それでも怠け癖のある俺(人間)は計画通りにはうまく行かないのだ。すぐに集中力がなくなってきて、「まぁ、後からするか」、となってしまう。大学の博士課程の中で他の社会人学生の人は今年6年目を迎えるがまだ学位を取得することはできてない。会社の仕事も忙しいのかもしれないが、目標に達成する為のマインドコントロールが上手くできていないものと考えられる。
改めて考えると、自分に身に付いた能力は、もしかしたらこういうことかもしれない。ある計画を立てて、それを実行する。これは意外に簡単そうだが、実際に行うとなると難しいのだ。
もし機会があれば、この3年間を省みて記録に残すことができれば、と考えている。これまで論文をひたすら書き続けたから文章を書く能力は多少は身に付いた。ホームページも作っているし。機会を見つけて本を書いてみようと思う。これから社会人学生を目指す人の為に自分の書いた文章が少しでも役に立つかも。それと、今回博士号取得という1つの大きな目標に達したが、自分自身をのばす為に、また新たにより高いハードルを設定し、それに向かって活動していきたいと考えている。詳細はまた。
ついにこの日が来ました。今日、大学で博士の学位授与審査があり、その結果、博士号を授与することが決定した。多くを語るのは今日はやめるとして、周囲の方のおかげで無事に取得することができたことに本当に感謝している。
また、博士取得の副収入として英語を勉強できたことが俺にとっては大きい。NOVAで英会話を学んだことと、国際会議で英語でのプレゼンをやったことは良い経験だ。そうそう、先週NOVAでレベルアップの推薦状を先生からもらい、テストを受けた。その結果、レベル4に上がることができた。俺がNOVAに入ったときに目標にしていたレベルだ。これらの結果は、自分の努力だけでは難しく、いろいろと協力をしてくれた周囲のおかげだと思う。何と言っても、妻には心からお礼を言いたい。本当にありがとう。あっ、そうだ、今日は結婚7周年目だ。
今日は家族で世田谷にある、「いぬたま ねこたま」に行ってきた。俺達が行ったのは、「いぬたまドックタウン」の方で中には何十頭もの犬がいて、好きな犬を選んで散歩をさせることができるのだ。おまけにドッグレースもやっていて1等の犬を当てると景品がもらえる。我が家は家族4人で、みんな違う犬を選んだ。そしたら、妻が1等の犬を当てて景品のシールをもらっていた。「いぬたまドッグタウン」の中では犬と触れあうことができて、マサキもショウヤも大喜びだった。入場券は、前もってインターネットで割引券を入手するか、携帯のウェブサイトを窓口で示すと割り引きしてもらえるのだ。ちなみに大人は1000円→700円になる。
学会に投稿していた論文が専門誌に掲載された。これは2年前の12月に投稿したのだが、掲載されるまで1年以上かかったことになる。おまけにこの論文は最初別の学会に出して、却下されたもので、考察を訂正して他の学会に投稿したら掲載されることが決まった。良かった。
昨年のNOVAのレベルアップコンテストの受賞内容が産経新聞に掲載されていた。俺の名前は、・・・、あった、あった、隅っこに小さく一行だけ。
一昨日に博士号の本審査(公聴会)が行われたのだ。そう、これが博士のための最後の審査なのだ。詳しくは違うのだが、俺が努力することができる、最後の審査と言ったほうがいいかも。これまでにも書いたけど、博士を取るには3つの審査がある。一昨年おこなわれた資格審査、昨年行った予備審査、そして本審査なのだ。審査方法は、5人の審査員(大学教授)の前で45分程の研究発表を行い、その後30分程度の質疑応答を行う。そしてその後、自分は退出し、その場で会議が行われて、10分後には結果が出るのだ。
結果は合格だった。ただ、博士論文の内容で数カ所指摘があり、直さないといけない。なんにせよ良かった。けど、これで博士がもらえると決まったわけではないのだ。さっきも書いたけど俺が努力出来るのはここまでで、後は運を天に任せるしかないのだ。最後に学位授与審査というのがある。これは、大学の教授70数名による無記名投票方式で行われる審査で、どのような方法かというと、投票の場で俺の名前が挙げられて、大学の教授が○か×かをつけて提出するのだ。そう、選挙みたいなかんじだ。それで2/3以上が○だと合格となる。つまり最後の最後は推薦してもらい博士号を”いただく”ことになるのだ。
俺の考えだけど、博士号というのは1つの名誉の称号で自分で取るものではなく、人から与えられるものなのかもしれない。例えば、何かの賞を受賞するときも、自分から賞をもらうのではなく、自分の努力の結果、他に評価されて人から与えられるもので、ある意味、それと同じ種類かも。最後の結果は来月分かります。
下の写真は1ヶ月前に撮ったものだが、我が家のカブト虫の幼虫はここまで大きく育ったのだ!全長5cmぐらい。気持ち悪いぐらいでかくなったぞ。昨年の夏に実家に帰って30匹あまりのカブト虫をとったり、もらったりした。その中でメスはたったの3匹しかいなかったのだが、なんと、70ヶ以上の卵を産んだのだ。そこから21匹の幼虫が生まれてここまで育った。我が家にとっては大事件だ。いったいどうやって幼虫を育てるんだ?エサはいったい何をあげるのだ?小さい頃、父親が世話をしていたのを少し覚えてるけど・・・よく分からない。そこでインターネットや飼育書を見てチェックチェック。
なんにせよ子供達は大喜びだ!世話係はやはり自分だ。とほほ。
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カブト虫の幼虫で大騒ぎをしていたら我が家に季節外れの虫が迷い込んできた。それは、・・・、また書きます。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、本年度、1発目の話題は・・・。
先月の話題で申し訳ありません。テレビのネタを少し。12月14日の「発掘あるある大事典」に少し出ました。内容は、「髪の悩み」で俺は白髪の被験者として少し出ました。俺の髪の毛は白髪が多く、近くで見るとよく分かるのだ。「あるある」の調査では、白髪というのはストレスによって発生するらしく子育て中の女性や、仕事や生活等でストレスのたまっている人に見られるそうだ。俺の場合は学会発表や論文の作成で常にプレッシャの中で生活していたから?だということらしい(はっきりとは断定できないだろ!)。テレビでは、英語論文の発表があるため、俺が懸命に英文の修正しているところが出ていた。
黒髪の色素は「メラニン」。”メラノサイト”という、色素を作る作用が正常に働いておれば、髪は黒く染められるそうで、何らかの原因でメラノサイトが黒い色素をうまく分泌できなくなってしまうと、髪が黒くならないまま育ってしまうらしい。これを補うためには、カルシウムと銅を摂取するのがよいらしく、カルシウムの多く含まれる食べ物は、牛乳、チーズ、煮干しなどで、銅分の多い食べ物はスルメ、カキ、シャコなどだ。また、白髪を抜くのはタブーでそこから黒髪にはえ替わる可能性があるから、そのままにしておいたほうが良いのだ。いや〜、勉強になるな。詳細はフジテレビのあるあるHPをチェック。撮影のとき、スタッフの一人が近寄ってきて、久しぶりですと。はて、誰だったかな? そうだ前回、フコイダンの撮影の時にいたスタッフであった。昨年にフコイダンを摂取するという「あるある」の実験に被験者として参加したときに会ったのだ。俺はすっかり忘れていた。
撮影は10月前半に行われたのだが、俺はいくつかの発見と初体験をした。まず、都内にはいたる所に撮影用のスタジオがあるということだ。普段町中を歩いていると分からないが、ビルの中では撮影が行われているのだ。今回は2カ所で撮影を行ったが、1つ目は五反田の駅の近くで、そこにちっぽけなスタジオがあるのだ。そこで俺は血液と髪の採取、および髪の悩みに関するコメントを撮った。外から見ると普通のビルだが中にはスタジオがあって、控え室も備わった立派な撮影場所なのだ。
もう1カ所の撮影は、”ハウススタジオ”で行い、ドラマや映画など家のセットで撮影するときによく利用されるそうだ。俺は初めてハウススタジオに入った。場所は都心をはずれた世田谷の住宅街で、普通の1軒屋が並んでいる中に、そのスタジオがある。外から見ると普通の家だから車で走っていると分からない。いや、歩いていても気が付かないかもしれない。中に入っても普通の家だ。少し違うのは各部屋が洋室、和室、子供部屋、書斎、台所とあらゆる部屋の設定でできていることだ(う〜ん、やっぱり普通の家と同じかも)。張り紙がしてあり、近隣の人に迷惑がかかるので携帯電話は外でしないで下さい、とある。そう、周りは正真正銘の普通の家なのだ。スタッフに聞くと都内にいくつものハウススタジオかあるそうだ。このスタジオは、ピオ22と書かれていたので、22箇所のスタジオがあるのは間違いなさそうだ。おそらく100箇所以上はあるのだろう。
あと、もう1つ昨年のネタがあるのだが、それはまた書きます。
それでは、今年も頑張って行きましょうか。