NOVA特別賞受賞論文
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平成16年12月12日に赤坂プリンスホテルでNOVA鰍謔闢チ別賞を受賞いたしました。対象となった論文を紹介します。
NOVAのレベルアップコンテスト2004
1.外国語会話を習い始めようと思ったきっかけ
博士号を取得する為、国際会議でプレゼンテーションをする必要があり、英語を習い始めました。
2.実現!ついに叶った私の夢
私の夢は博士号を取得することでした。3年前、ある共同研究がきっかけで大学の教授と知り合うきっかけがありました。そこで聞いたのが社会人学生による博士号の取得で、会社の許可を得て自分も挑戦することにしました。最初の難関は入学試験で、これまで自分が行ってきた仕事の内容をプレゼンテーションすることと、英語の入学試験がありました。仕事柄英語を使うことがほとんどなかった為、このときは独自で勉強を行い、無事に合格することができました。
博士号を取得するためには論文の学会誌への掲載が必要とされており、その中に国際会議での発表も含まれておりました。NOVAで英会話を習い始めたのは国際会議に自分の研究論文を投稿し、発表を行うためです。2年前、初めての国際会議に挑戦するため、自分の行っている研究内容をまとめて英文アブストラクト(概要)を作成して申し込みました。この会議で発表をするには2度の審査があり、両方に合格しなければなりません。最初はアブストラクトの内容に関して審査が行われて、これには合格することができました。次の審査は作成した6ページの英語論文の内容で合否の判定が下されるのですが、ここでは内容の他に英文作成能力および文章の組み立て能力が要求されます。審査の結果、残念ながら不合格となりました。戻ってきたコメントには、私の作った英文があまりにもひどかったため却下された、となっていました。私はくやしくて、くやしくて3ヶ月前から始めたNOVAのことを考え、何のために英語を勉強しているのだと、自問自答を繰り返し、もっと前から勉強をしていればと悔やみました。
しかしどうしても3年で博士号を取得しなければならず、次年度の国際会議に再度挑戦できるよう会社に申請を行いました。そこで、二度と同じ失敗を起こさないことを誓い、新潟と英国で行われる2つの国際会議の申し込み許可を会社から得ました。そのとき私は、「今年こそは徹底的に英語を勉強して、何としても国際会議で発表を行うぞ」、と固く決心しました。そのため、会社の行き帰りは必ずNOVAのCDを聞き、また出来る限り毎日NOVAに通い、家でも英語のCDを聞き、テレビの洋画は必ず英語で聞くようにして自分の周りが英話の環境になるように常に工夫しました。更に、自分で作成した英語論文をNOVAの講師にチェックしてもらうため、マンツーマンレッスンを繰り返し受けて、文法のチェックを細かくしてもらいました。その努力の結果が認められ、まずはアブストラクトに合格、引き続き英語論文の審査も無事に合格して、発表できることが決定いたしました。
そこからが大変でした。両方の国際会議とも11月にあり、それぞれ違う内容で発表するため、2つのプレゼン用原稿と資料を作成しなければなりませんでした。発表のスピーチで使用する原稿も、NOVAのマンツーマンレッスンで文法チェックを細かく行ってもらいました。また、発音の練習も繰り返し行い、国際ビジネスクラスにプレゼンテーションのレッスンがあるのを知り受講もしました。ただ私にとって、10月から11月にかけては、学会発表(日本語での発表)、新潟での国際会議(英語での発表)、博士課程の審査(日本語)、イギリスでの国際会議(英語)と連続して発表があり、また博士論文の作成もあり、大変なときでした。毎週違う発表があるため、1つの発表が終わると、次の発表の準備をするという状態でした。
そして新潟での国際会議の日がやってきました。主催しているのは日本機械学会といってかなり大きな団体で発表者が200名近くいてかなり大がかりな国際会議でした。前日まできっちり練習をやっていき、万全の体制で挑みました。しかし、学位論文の修正や資料の作成にプラスして、自分の記憶力のなさもあって、直前まで原稿を見て確認していました。とりあえず、15分の英語のスピーチはなんとか終わりました。しかし、その後の質疑応答が大変でした。
一人のインド人が質問してきた。「I'm・・・slaid・・・」?? 私には聞き取ることが出来なかった。や、やばい、テレビや講演会でご覧になったことがあると思うので、この雰囲気を分かってもらえると思いますが、普通、質問があったら発表者は、「はい、そうですね、・・・。これは、・・・こうなります。」など、即答しなければなりません。それが、答えに困って黙っているのでは、発表者としては最悪の状態でした。私は、まず何を言ったのか聞き取れないので、とりあえずもう一度言ってもらうことにした。すると、インド人がまた、「I'm・・・slaid・・・。」ときた。うわぁ、こりゃやばい。本当に、分かんないぞ! どうする。
私の頭がフル回転して、どう対処するか考えた。冷静に考えるとNOVAの中でもよくあるシチュエーションであることに気付いた。講師が私にしゃべりかけてきたとき、全ての意味は分からないが、部分的な英語は聞き取れる。あるいは早口でしゃべる講師の場合も同様で、聞き取れた単語から推測して話をまとめる。そう、「1つ飛ばし法」と自分で勝手に言っているのだが、集中して全ての単語を理解しようとするのではなく、1つ飛ばしで単語を理解していくのだ。早口の講師の場合は特に効果的だ。1つの単語を言われて頭の中で考えて理解している間に次の単語がくるから自分の頭が間に合わないのだ。だから意識して1つ置きに単語を理解しようとする。そうすると意外に分かるのだ。
もう一度改めて聞き直すと、いくつかの単語をしゃべっているのが聞き取れた。「slaid」スライド?そうだ、分かったぞ。インド人の言っていることは、このスライドのことを聞きたがっているのか。私は水を得た魚のように、ぺらぺらと解説を始めた。ところがインド人の反応がにぶい。・・・。おや、私の言っていることがおかしいのか、それとも私の英語が意味不明なのか? するとすかさず座長が、「slit」と言ってくれた。スリット?、何?、スライドじゃないのか。私は大きな勘違いをしていたのだった。インド人が言いたかったのは、「このスリットの役目は何か」、と聞きたがっていたのだ。私は冷や汗をかきながら、その簡単な質問に回答した。
発表前、私は実はひそかに全ての質問に堂々と回答する自信があった。なんにせよ1年以上英会話を習っており、おまけにできる限り毎日行くように努力していたのだから、相手の言うことはある程度理解でき、きっちり回答する自信があったのだ。それが、見事に崩れ去っていった。「ガタガタガタ」
ショックを受けている暇はなく、座長が直々に次の質問で攻撃をかけてきた。「I don't understand the figure. What did you draw it?」。おや、待てよ、自分は何でこんなに座長の英語を簡単に理解できるのだろう。次の瞬間私は即答していた。座長はすぐに納得してくれた。そう、そのときに私はようやく気付いた。そのインド人の発音を理解するのが難しいことを。後から聞いた話だが、他の発表者も、その人の質問にはかなり苦戦していたそうだ。とりあえず発表が終わり会場から拍手がおこった。「ようし発表が終わったぞ!」 そのとき、私は心の底からそう思った。
全ての発表が終わった後、私はリベンジに行くことにした。そう、もう一度そのインド人としゃべろうと、名刺交換に行った。が、撃沈された。やはり何を言っているか分からないが、「あなたの発表は良かったぞ。」と、言ったのだけは聞き取れた。やはり多くの外国人と話をしないと駄目なんだ、と実感しました。
さて、発表も終わったから、のんびりしようか、などと言っている暇はないのだ。次にもっとも大事な博士の予備審査があるのだ。あと1週間しかないのにまだ原稿が完全には出来てない。おまけに原稿ができてないからスピーチも覚えてない。そうこの審査は45分間のスピーチと30分の質疑応答があって、博士号の合格不合格が決定される重要な審査なのだ。もしこれで不合格となったら博士号は取れないのだ。
博士号を取るには3つの審査があって、「資格審査」、「予備審査」、「本審査」と全てに合格しなければならない。その2つ目の重要な審査である。私はこのとき平均睡眠時間が4時間で、徹夜の日もあって半分気力だけで生きていました。会社の人にも顔色が悪いと言われていた。しかしこれだけ重要な目標があると、それどころではない。私は審査の4日前に原稿を完成させて、それから45分間のスピーチ内容の記憶を始めた。先週発表した英語のスピーチはもう頭になかった。発表の前日までに9割ぐらいは覚えた。そして残り1割も話をつなげれば、なんとか原稿なしで話をすることができるようになった。もう、こうなったら、身を天にまかせるしかない。
発表の時、5人の大学教授の前で私は緊張しながらスピーチをしていた。今までの学会での経験も多少あって滑らかに発表は終えた。その後、恐怖の質問攻撃だ。と思っていたが、するどい質問はなく、私の書いた博士論文のアドバイス的な意見が多かった。「ここは、こういうふうにしたほうが良い」とか「これを追加したほうがよい」など。あっという間に30分が過ぎていった。その後、審議のために私は外に出て結果を待つこととなった。もしここで不合格なら私が2年半やってきたことが無駄になってしまう。しばらく経ち私はまた部屋の中に戻った。結果は「合格だ」。やった〜。この瞬間、博士の内定が得られた。あとは2月の本審査、すなわち公聴会を残すのみとなった。ただ、ここで受けたアドバイスの中には実験を再度行う必要もあってまだまだ油断はできない。学位を授与するまでは気を引き締めてかからねば。
さて、発表も終わったから、のんびりしようか、などと言っている暇はないのだ。更に1週間後にイギリスのブリストルでまた国際会議があるのだ。イギリスでは15分間の発表と5分の質疑応答と新潟と同じパターンだ。今まで予備審査に全力を注いでいたからイギリスの準備が遅れている。スピーチの内容はこれまでにNOVAの講師にチェックしてもらっており、ある程度はできているが、まだ細かい修正が必要であった。その原稿を覚えようとしているがまだ4割程度である。やばいぞ。こりゃ、発表日までホテルに缶詰だ。とほほ・・。なんにせよ、これまでやってきた英語の成果を試すときがきたのだ。ようし、本場のイギリスで確かめるぞ。
成田を出発し、オランダで飛行機を乗り換えて目的のブリストルまで17時間かかった。かなり長い旅だった。宿泊先に到着した後に分かったことだが、2泊分の予約が取れてなかったのだ。オーナーの話によるとその2泊は国際会議のため満室になっているとのことだった。しかたなく次の日、宿泊先を探すことにした。ブリストルの中心にあるインフォメーションセンターまでバスで行き、スタッフに宿泊施設の名簿を見せてもらって安いところを中心に電話で空いているかどうかを探してもらった。その中で30ポンドという日本ではビジネスホテルなみのB&Bが見つかった。ちなみに日本円だと5800円ぐらいである。また、B&Bというのはホテルよりワンランク下の宿泊施設で「Bed&Breakfast」の略である。いま泊まっているところもB&Bで、毎朝おなか一杯の食事が食べられるのである。しかし風呂はシャワーしかなくバスタブはついていなかった。それでもこのB&Bは48ポンド、日本円で9600円もするのだ。高すぎる〜。イギリスは全体的に物価が高いのだ。
私はホテル探しをのんびりしている暇はなかった。発表の原稿が完全にできあがっておらず、当然ながらその内容も覚えてないので、B&Bで修正しなければならなかったのだ。結局、発表の直前まで缶詰になり、前日に原稿ができあがり、その後、半日かけて覚えて、発表に挑むことになった。時差の関係で日本とイギリスでは昼と夜が逆転しており、朝目が覚めるのが決まって明け方の4時ぐらいになっていた。日本では午後1時ぐらいである。だから昼間は他の人の興味のある発表を聞いて、夜と明け方から午前中にかけて原稿の修正を行っていた。発表が終わるまでは睡眠時間は3〜4時間ぐらいだったがそんなのは全く苦ではなかった。それより何より発表が気になって寝るどころではなかった、例え眠くなって寝たとしても、原稿を懸命に覚えている夢や、質問が聞き取れない夢ばかり見た。
他の人のプレゼンテーションを聞いて英語の聞く力をつけようと、発表中に後ろの席で聞いていたが、内容を理解することができず、また質問の意味もほとんど分からなかった。こんなことで私は本当に発表ができるのか、例え発表が出来たとしても質問に答えることができるのか、かなり不安であった。NOVAで勉強してきたことで英語が多少は身に付いたと思っていたが、まだまで勉強不足であることを実感した。ただ通常の会話はある程度こなすことができ、B&Bの予約、オーナーとの簡単な会話などは問題なかった。発表は9割が大学関係者が占めていて自分のような会社の人は少なかった。しかしよく考えると自分も社会人学生だから同じ学生か。日本人の発表は下手で大学の先生でも練習不足なのか詰まりながらしゃべったり、原稿の棒読み、また質問の意味が理解できず答えることができないのが目立った。まさに英語の不得意な日本人である。質問者の中にはかなり鋭い突っ込みをいれる先生もいて、もし私が質問されたら何て答えようなどと考えながらいくつかの発表を聞いていた。
発表の当日、時間が夕方の5時20分であった為、午前中に少し練習をして、昼過ぎから前の人達の発表を聞いて自分の調子をベストな状態になるように保っていった。私の発表のとき、念のために原稿を手で持ち前に立った。発表会場は2つあって私が発表したのはブリストル大学の中の伝統ある教会である。今月2度目の国際会議とあって、前に立つとほとんど緊張することなく、座長の英語も意外にクリアに耳に入ってきた。やっぱり前に立つと集中力が違うのかな? 座長より自分の紹介があり、スピーチが始まった。今回は多少余裕があってスクリーンを見て話すだけでなく、聞いている人達の顔を観察しながら発表をすることができた。結局原稿を見ることはなかった。全ての発表が終わった後、恐怖の質問が始まった。韓国の大学の先生からである。「You're nice presentater・・・」と、「おまえのプレゼンは良かったぞ・・・」と、誉められたあと質問があった。これも前に立って集中していたことが理由なのか分からないが、意外に聞き取りやすく、簡単な内容であった為、すぐに回答することができた。しばらくの間、この先生とやりとりを行い、つたない英語で説明を行った。次の質問が無かったため発表がそこで終了することになった。終わったぞ〜。11月に3件の発表があったが、その最後の発表を済ませて、心の底からほっとした瞬間であった。
その日の夜、テレビをつけた私はブッシュ大統領がロンドンを訪問中であることに初めて気付いた。また、トルコのイギリス大使館がテロのため爆破?されていたことも初めて分かった。街を歩くといたるところに警官が立っていて、あっちこっちでデモをやって大騒ぎしている。今までほとんどB&Bに缶詰になっていたから周りの状態が分からなかったのだ。
次の日、別の宿泊先に移動した。その部屋を見て驚いた。トイレがないのだ。おまけに風呂がない。いったいどうなってんだ〜。私はB&Bの人に聞いた。すると共同トイレで共同浴場で、もちろん浴槽はなくシャワーだけということだった。前の宿泊先よりもっと悲惨であった。おまけに朝飯は自分でコーンフレーク、パンを焼いて、コーヒーを入れて食べるのだ。前の方が良かったと、そのとき改めて思った。しかし、もうどうしようもない。これも1つの経験だと思って私はあきらめた。
その後、私はブリストルを出発し、無事に成田に到着した。そして11月のハードなスケジュールを終えることができた。2004年3月8日ついに本審査の日が来ました。大学で博士の学位授与審査があり、その結果、博士号を授与することが決定した。3月24日、大学の近くのホールで博士号の学位授与式が行われた。博士課程の修了者には直接学長から手渡しで学位証が渡された。
ところで、「博士になってどうなるの?何が変わった?」、と改めて自問自答してみると、実のところ、「はい、あなたは今日から博士になりました。おめでとうございます」、と言われてもピンとこないのが正直な感想である。社内外で、「よく頑張ったね。いや、博士か、すごいね。」など、他の人からいろんなうれしい評価をいただくが、実際本人は、「う〜ん、博士になったのか。本当に博士かな。自分の中で何が変わったのかな? 何も変わってないのな。」、と思ってしまうのだ。博士になると名刺には、”工学博士”と印字されて、社会的信用が高くなるそうだ。特に海外では、Mr(ミスター)からDr(ドクター)に呼称が変わる。しかしこれらは全て表面的な変化で人間的にどう変わったのだろう? そうあまり変わらないのだ(変わってないと私は思っている)。 しかし他人の見る目が変わってきているのは、ひしひしと感じる。今後、会社でも今以上に責任のある仕事が待っているだろうし、学会の場でも、”○○さん”から”○○先生”に変わるだろう。
社会的な立場を考えると改めて自分自身を見つめ直し、「自分は博士である」、という強い認識が必要になってくるのだろう。しかしすぐには変われないと思うので徐々に変えていきたい。
3年前に大学に入学したときは、「私は社会人学生として本当にやっていけるのかな? 博士号取得なんて夢みたいなこと本当にできるのかな? 私にそんな高いハードルを飛び越えることができるのかな?」、とかなり不安に思っていた。しかし現実はできた。その為のキーワードとしては、”努力とやる気”ではないだろうか。博士という目標を設定することで、それを達成しようとする意志が働き、やる気が出てくる。
世の中を見ると、”やる気”の少ない人が多くいるのを見かけるが、それはおそらく明確な目標が設定できていないからであろう。ただ毎日の生活を何気なく過ごしていくのは、せっかくこの世に、生を受けて生きているのにもったいない気がする。なんて偉そうなことを並べるが自分自身も、ふと気が付くと、何をするわけでもなく、ぼっとしていることが多いのだ。また、その状態が私にとって、ある種の快感なときでもあるが、そこで気を引き締めて、「おいおい、時間がもったいないだろう。俺は今何をすべきなんだ?」、と問いかける。それでも体と脳が動かない時間は1日の中でかなりの割合を占めていると思う。この時間が少なくなるように上手にマインドコントロールできれば、自分のやりたいことを短時間で達成することができるだろう。
これを書いて、ふと気が付いたが、3年間という決められた博士課程の中で、いかに目標を達成すべきかという考えは、いつも持っていたと思う。この論文はいつが締め切りだから、今日中には絶対に基本的な構想をまとめねばならない。発表はこの日だから、練習は何日前にはスタートしなければならない。また、その為には発表用の原稿はいつまでには完成させないと、など毎日のように考えていた。それでも怠け癖のある私(人間)は計画通りにはうまく行かないのだ。すぐに集中力がなくなってきて、「まぁ、後からするか」、となってしまう。大学の博士課程の中で、ある社会人学生の人は今年6年目を迎えるがまだ学位を取得することはできてない。会社の仕事が忙しいのかもしれないが、目標に達成する為のマインドコントロールが上手くできていないものと考えられる。
改めて考えると、自分に身についた能力は、もしかしたらこういうことかもしれない。ある計画を立てて、それを実行する。これは意外に簡単そうだが、実際に行うとなると難しいのだ。
もし機会があれば、この3年間を省みて記録に残すことができれば、と考えている。これまで論文をひたすら書き続けたから文章を書く能力は多少は身に付いた。機会を見つけて本を書いてみようと思う。これから社会人学生を目指す人の為に自分の書いた文章が少しでも役に立つかも。それと、今回博士号取得という1つの大きな目標に達したが、自分自身をのばす為に、また新たにより高いハードルを設定し、それに向かって活動していきたいと考えています。博士号を取得後、4月に主査(課長級)に昇格し、6月の会社の創業記念では社長特別賞を受賞することができました。多くの方のおかげで無事に博士号を取得することができて、本当に感謝しています。また、博士取得の副収入として英語を勉強できたことが私にとっては非常に大きかったです。NOVAで英会話を学んだことと、国際会議で英語でのプレゼンをやったことは良い経験でした。そしてNOVAに入ったときに目標にしていたレベル4にも到達することができました。これらの結果は、自分の努力だけでは難しく、いろいろ協力してくれた周囲のおかげであると思います。本当にありがとうございました。
3.これから外国語習得を始める方へのアドバイス&メッセージ
いかに長時間英語に関わるかが上達の大きなポイントだと思います。出来る限り毎日英語にふれあい、通学や通勤等の空いている時間を有効に活用し、英語のCDを聞くなどしましょう。