インタビュー


2003年7月 メールマガジンcreator's column magazine「zekt」に掲載された記事です。 

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creator's column magazine「zekt」
編集長 羽沢友美
E-mail:hazawa@allesklar.co.jp
http://www.allesklar.co.jp/zekt/
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■ ■    ■ ■   ■     クリエーターコラムマガジン
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■ ■    ■ ■ ■      VOL.114
■■■ ■■■  ■ ■  ■ July 27,2003

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好評につき、今号からcreater's jobは対談形式にします。
週刊最後の号です。さあ、いってみましょー!


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1.クリエーターを目指される方に … creator's job …
2.zekt主催お仕事やりますあります掲示板 〜メルマガ編〜
3.現役テレビマン”雲野そらお”のあれこれ気になる「テレビ業界」
4.ライターTommyの知ってか知らずか、出版&広告業界のホント
5.from editor

 
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┃1.┃クリエーターを目指される方に … creator's job … 
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ガラス工芸家 熊谷周二さん(34才)が本音を語る… 

イギリスのエンジバラカレッジオブアートを卒業後、ガラス工房勤務を経て、ガラス工芸家としてさまざまな作品を発表し続ける熊谷周二さん。順調な滑り出しに見える彼。しかし、工芸家として自立されるまでには、さまざまな歴史があったようです。その時の思いを綴っていただきました。目指す方必見です。

編集T(以下:編):熊谷さんのお仕事内容、加えて現在手がけている具体的な仕事内容を教えてくださいませ。

熊谷さん(以下:熊):ガラス工芸の作家活動と、注文製作、ガラス工芸教室の3本柱で活動しています。作家活動は、ガラスを専門に扱うギャラリーがデパートや他のギャラリーで行う展示会を紹介してくれます。注文製作では、主にインターネットから贈りものなどのオーダーメイドをいただいたり、アンティークものや工芸品の修理なども行いますね。


編:それは多岐に渡るご活躍ですね。熊谷さんは、なぜこのガラス工芸というお仕事を選ばれたんでしょうか?よかったらきっかけを教えてください。

熊:私は高校を卒業すると同時に、イギリスに留学したんですよ。そこで、四年制大学の美術大学 エジンバラカレッジアートに入学しました。1年目は基礎科目、ファインアート、デザイン、彫刻などがありますが、2年目からは専門ジャンルになります。私は3年生の中盤まで、彫金とガラスとで迷っていましたが、結果、ガラスを選ぶことにしました。

でも、イギリスから日本に帰ってきて、実は私、逆カルチャーショックを受けたんです。イギリスに残るという選択肢もあったのですが、インターナショナルとはまず日本人であるというアイデンティティが前提に成り立っていることに気づきまして、日本での就職を決めたんです。ところが、ちょうどバブル経済が崩壊した時期にぶつかり、日本で抱いていた甘い期待は見事に裏切られたんですね。朝の通勤ラッシュで揉まれるサラリーマンたちの顔に、日本が抱える底知れぬ闇を感じました。海外留学から日本に帰って、幸せになったという話は私の周りにはあまり聞きません。彼らがあまりにも欧米化してしまい、いつしか日本人やそのライススタイルを軽視しているところがあるように思います。私も日本の悪いところばかりが目につくようになっている自分に気づきました。結局のところ、私がガラスを職業に選んだのは、クリエイティブな活動としてではなく、日本社会に受け入れてもらうための唯一の方法だったのです。それ以外では、時給850円のアルバイトさえもさせてもらえなかった、というのが本当の理由です。

編:センスの良さが光る熊谷さんの作品ですが、作品づくりに際し、イマジネーションの元になるものは何でしょうか?

熊:夢からの影響が大きいですね。自分の経験や知識の枠から外れているビジョンには、人種やイデオロギーを超えた集合無意識につながっていると思っています。作家の個性やアイデンティティなどは無意識の海に漂う小舟に過ぎないと思いますし。

編:熊谷さんはそうした作家活動のみならず、先生としてスクールなども開講されていらっしゃるようですが、自分で作るのと人に教えるのではご苦労のカタチが異なると思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

熊:自分が先生と呼ばれて、それに慣れていくことに恐れを抱いています。私の太極拳の師の言葉である“教えることは2度学ぶことである”を大切にしています。

編:ガラス工芸をなさっていて一番嬉しかったこと、逆に辛かったと思われたことを教えてください。


熊:個人が一生のうちに関わることのできる人の数は限られています。では、ガラスはどうでしょうか。確かに大量生産、大量消費される器や小物は、使えば傷になり、時とともに価値は薄れ、アンティークとなるものはごく少数かもしれません。でも、それを使う本人が自分のために作ったものであるならば、どうでしょうか。いびつながらも、それが愛おしくなるようなガラスが世の中に増えることを願います。今は、体験教室の後で見せる人々の笑顔が、私のささやかな喜びです。逆に辛かったことは、工房を設立するにあたり、たくさんの障害がありました。しかし、それよりも、多くの方々の理解と協力があったことを感謝しています。


編:本当におっしゃる通りですね。熊谷さんのようにガラス作家としてスペシャリストになるためには、どうすればよろしいかご教授いただればと思いますが、いかがでしょうか?

熊:Edinburghの大学を卒業後、その分野で仕事をしている人はたしか3年後で5%だそうです。在学中、私よりも才能にも恵まれ、学校の成績も良くあらゆる点で私より優位に立っていた人のほとんどが今は製作をしておりません。いろいろな理由があるとは思いますけどね。彼らや彼女たち自身が、作ることをあきらめてしまったのです。私に特別な才能があったからではありません。“単純に、私は作り続けている”それだけなのです。

編:ずばり、ガラス工芸に向き不向きはあると思いますか?

熊:職業として、吹きガラス職人を希望する若者を面接する立場に私がいるとしたら私はいくつかの要素をチェックすると思います。しかし、もしガラス工芸作家を目指すのに必要な素質があるとしたら、“ガッツ”それだけですね。

編:熊谷さんの信念、こだわりを教えてください。

熊:私が卒業製作に追われていた事、当時交際していたアメリカ人女性の作品に強い衝撃を受けたことを覚えています。そのことが、私の作品に対する姿勢の原型になっていると言えそうです。彼女の作品は、作品とも呼べないような実に不思議なものでした。早朝砂浜に降りてゆき、海を眺めては一時間おきに波打ち際へただ石を置くというそれだけのものでした。それは、イギリス各地に見られるストーンヘンジにどこか似た見えざる静かな波紋を放っていました。完全に周りの風景と調和し、360度、どこをとっても自然そのものでした。ただ、石を置くという行為そのものが、実は地球と月の衛星運動のやり取りで引き起こされた引力の増減が形になってあらわされてはいないかと…。ある晩、私はその不思議な作品の秘密に気づいた時、自分のやっている仕事がひどく小さなものに見えて、みじめな思いにかられてしまいました。何日もかけて磨きこんだガラスの表面にできた傷で一喜一憂している作業は、作為にあふれていました。現在も、工芸について否定的な感情を持っているわけではありません。修練を重ねた技は、究極的にはテクニックがはがれおち、無為に辿りつくのだと思います。

吹きガラスについてですが、1200度に溶けたガラスを竿の先端に巻取り、濡れた新聞紙で形を整え、成形し、膨らましていくことでさまざまな器のバリエーションを作っていきます。この同じ作業を繰り返し、何千回、何万回と重ねます。最もキレイにより早く、より多くのガラスを作ることに心を向けると、とてもシンプルな答えに行きつきます。それは道具はなるべく使わない方がいいということなんです。最高の道具は、結局のところ、目には見えない自然の法則だということに気づきます。私の経験からいうと、いい作品ができる時は、頭で作らない時です。頭がカタチを決めるのではありません。何度も繰り返し、動いた空間を指先が無条件で反射的になぞる時にガラスがそのカタチになってくれます。ガラスは生きています。心がガラスと重なった時、心で描いたカタチに間違いはありません。
作り手にできることは、観客がもともと持っているイメージや原風景をいかにうまく掘りだせるかということだと私は思っています。
まず、大多数の人が容易に受け取ることのできる古典的な概念でつくられた箱を手渡します。受け取ってもらえなければ意味がないからです。
次に、受け手自身にその箱を開けてもらいます。箱の中身は受け手次第で意味合いが変化します。
当然、作者からのメッセージも変わってしまうでしょう。しかし、それこそが、他者とコミュニケーションをする上で、日常的に行われていることですし、自分が意図したものを相手が察することができなかったからといって、相手を非難することはできません。
こうしたプロセスがじつは工芸制作を続けることだと思います。

編:熊谷さんの夢を教えてください。

熊:ガラス工房としては、今、住んでいる鳩ヶ谷市の人々にガラス工芸をもっと良く知ってもらいたいと思っています。それが、地元産業の発展につながることを期待しています。
作家としては…。
今の高度な情報化社会は1000年後に何を残せるのでしょうか?何らかの災害や戦争で都市が消滅した場合、情報自体は何も残せません。つまり、1000年後の世界の予測など、誰もできないのです。畑を耕していたらガラスが出て来た。例えば、それが子供であったとしても、好奇心で手にとってもらえるかもしれません。1000年後に名前は残らずとも、ガラスが私の存在のかけらとして誰かに拾い上げてもらえることが、私の希望です。


編:熊谷さんにとって、ガラスとは何でしょう?

熊:この質問は、私にとって人生とは何か、生きるとはどういうことなのかという質問のベクトルと同じような気がしてしまいます。突き詰めて考えると宇宙の存在理由にまでその問いは辿りついてしまうのではないでしょうか。私にとって、ガラスとは“何か”ではありません。赤く光を放ち、力強く流動する風景。世界という大木の枝分かれした枝葉のひとつ。そして私たちもその太い幹へときっと、繋がっているのでしょう。働きかけるのではなく、存在するという現象に心を溶け込ませることなのだと思います。


編:ガラス工芸作家を目指す方に一言、お願いします。

熊:何かを発表すると必ず批判や批評を受けることになります。また、それ以前に周囲の反対や多くの困難が待ち受けてるかもしれません。人は生きたように考えるのか、それとも人は考えるように生きるのか?言い方を替えると、人は自分の置かれた環境から考え世界を見ているのか?それとも、どのような立場や境遇であっても自ら考え、信じた結果がそのまま世界となるのか?
卵が先か、鶏が先かといったところでしょうか。答えはありません。ただここで大事なのは、どちらを信じるかです。どこまで本気で信じることができるか、その度合いがそのまま制作の原動力になり、作品の世界観につながります。我々は表現者です。自分の信じた世界こそが真実であり、それに対してどれだけ誠実に向き合えるかだけが、必要なのだと思います。

編:ありがとうございました。

 ★熊谷周二さんのプロフィール&作品展示について★
山形県生まれ。エジンバラ美術大学卒業後、SUWAガラスの里工房勤務、彩ガラス
 スタジオ工房スタッフ、講座講師を経て、2002年に熊谷ガラス工房&「Canari」
 オープン。日本現代ガラス展や神奈川県美術展、東急本店など数々の展示会を経
 て、現在も活躍中。
 次の展示会は、8月1日(金)〜8日(金)
 赤坂・乾ギャラリーで行います。
 港区赤坂3-8-8 赤坂フローラルプラザビル2F Tel&Fax.03-3584-3850

 ▼熊谷周二さんホームページ、問い合わせ先▼
 ガラス工芸作家を目指す方、お気軽に見学に来てくださいね。
 ●熊谷ガラス工房&「Canari」
 埼玉県鳩ヶ谷市南5-8-4
 営業時間:11:00〜18:00
http://www.cablenet.ne.jp/~canari/
mailto:canari@cablenet.ne.jp


【編集部の目】
 今回メールで質問させていただいたのですが、熊谷さんからはご丁寧にも自筆で したためたものを郵送いただきました。心のこもったメッセージは、さすがガラス 作家さんならではのお言葉もあり、難解かとも思いましたが、熊谷さんの肉声を 感じていただきたいと思い、あえてほとんど訂正は入れませんでした。 私たちが、手にとるどんなモノにでも、すべて作り手の思いがあるんですよね。 熊谷さんのメッセージを拝見し、素人意見かもしれませんが、モノを大切にしな かればと感じた次第です。そして、1000年後もの未来に作品を残せたらという熊谷 さんの思い。私たちモノづくりに携わるすべての人の思いなのかもしれません。 熊谷さん、お忙しいところ、お答えいただきまして、ありがとうございます。
 スタッフ一同、熊谷さんのこれからのご活躍を祈っております。

*次号は画家の井上玲さんにご登場いただきます。どうぞお楽しみに…。



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