柳ヶ瀬山は、賤ヶ岳の合戦のとき柴田勝家が本陣を置いた山である。本能寺で信長が倒れた後、勝家は柳ヶ瀬山に築いた玄蕃尾城に本陣を置く。 一方、秀吉は木之本に本陣を設け、両者は余呉湖の北で一か月以上もにらみ合いを続ける。柳ヶ瀬山の麓に北国街道が南北に通り、柳ヶ瀬で街道と分かれて 刀根越えと呼ばれる敦賀へ出る峠道がある。柳ヶ瀬の北の端に北国街道と刀根越えの分岐を示す道標があり、柳ヶ瀬山へは刀根越えの道を取る。峠から柳ヶ瀬山はすぐだ。 急登の道を越えると、城跡の入り口らしき平坦地が現れる。城は南北三百メートル、東西百五十メートルもある広大な平坦地に、自然の地形を利用して築かれている。 曲輪や土塁などが敦賀市教育委員会によって復元されており、城跡をめぐると、戦国時代の城がどういうものであったのかをよく知ることができる。本丸からは、 東と南に連なる山々が見渡せ、眼下には柳ヶ瀬の集落と北国街道が手に取るように見える。刃根越えの道に近いし、北国街道も望める。勝家の本陣として、最適の立地にあったことがわかる。
標高:439m
参考タイム:柳ヶ瀬関所跡(5分)分岐の道標(40分)倉坂峠(20分)柳ヶ瀬山
アプローチ:柳ヶ瀬へ、北陸自動車道木之本ICから車で20分
周辺の見どころ:柳ヶ瀬の北に明治17年完成当時日本最長だった鉄道トンネルが残り、現在は敦賀へ抜ける自動車専用トンネルとして利用されている。