虎御前山(長浜市中野町)

信長が浅井氏を攻めた最前線基地

虎御前山は、大きな戦の場として二度日本の歴史に登場する。一度目は、南北朝の内乱のとき。足利尊氏と弟の直義が戦った八相山の合戦である。 二度目は戦国時代、織田信長が小谷城の浅井氏を攻めたときだ。元亀元年、信長は三万の大軍を率いて越前の朝倉氏を攻めるが、突如浅井氏が敦賀にいた信長に対して兵をあげる。 挟み撃ちにあった信長は、湖西の道を京都へ逃れ、いったん岐阜に戻る。そして、二カ月後再び近江に進軍し、姉川の戦いで勝利を収めた後、小谷山を見上げる虎御前山に陣を張った。 小谷城は堅固だった。浅井氏が滅ぶのは、姉川の戦いから三年後のことである。その間、信長は虎御前山に砦を築き、秀吉を城番として配する。虎御前山の南にある石段を登ると、 矢合神社がある。山道は、ここから先に付いている。山頂一帯には多くの陣地跡が残っており、滝川一益、堀秀政、織田信長、木下秀吉の陣跡とされる曲輪が、次々に現れる。 最も高い位置にある陣跡は、まわりを高い土塁で防御されていることから、信長の陣跡と考えられている。その北にある秀吉の陣跡は、最も堅固で城郭としての完成度も高いという。

データ

 

標高:225.5m

 

参考タイム:矢合神社(10分)キャンプ場(30分)信長陣跡(5分)秀吉陣跡

 

アプローチ:矢合神社へ、北陸自動車道長浜ICから車で20分

 

周辺の見どころ:近くに虎姫時遊館という資料館があり、周辺の歴史や虎御前山などを紹介している。

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