私は 平成6年(1994)9月18日に死体腎移植、献腎移植を受け た。17日の夜11時過ぎに八事日赤(名古屋第二赤十字 病院)に呼ばれ、翌18日午前9時から名大病院(名古屋大学医学部付属病院)で手術を受けた。その詳細は以前書 いたのでここでは触れないが、現在に至るま での経過には、正直なところ、献腎移植を希望してゐたにもかかはらず、腎移植に対する己が無知故に、考ヘてもみ なかつたことが多い。これは術後の 経過が不調で移植腎が生着してゐないといふことではない。無事に、順調にここまで来たけれど、といふわけであ る。 以下に記すのは、 私の腎移植に関はる最近の動きである。月録とはしたものの、果たして月単位で書けるかどう か。ともあれ、私自身の覚えのために、そして腎移植後の具体的な様子を、これまで<移植>とは縁の無かつた方々 に知つていただくために、できる限り記していきたい。
〜02.07 を読む。 〜06.07 を読む。 〜08.24 を読む。 「被死体腎移植覚書」 を読む。 「被死体腎移植覚書」2(退院後) を読む。 「被死体腎移植覚書」3(移植1年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」4(移植2年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」5(移植4年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」6(移植10年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」7(移植15年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」8(移植20年後) を読む。 「被死体腎移植覚書」9(移植25年後) を読む。
ドナーカード兼ド ナー拒否カード表 (画像提供"Transplant Communication HOMEPAGE")
ドナーカード兼ド ナー拒否カード裏 (画像提供"Transplant Communication HOMEPAGE")
24.08.24 8月も末、やつと涼しくなつてきた。7月の末から先日、8月 中旬までは暑かつた。その間、私は所謂新型コロナ、COVID-19にかかつてゐた。発症、投薬から入院を 含め て、結 局、退院までに2週間かかつた。取り急ぎこの間の様子を記しておく。はつきりしないところもあるが、それで も大雑把に経過が分かるやうには記したいと思ふ。 そもそもは家人の感染であつた。7月25日頃であつたか。この頃に感染したらしく、咳が出るとか熱がある とか言つてゐた。近くの開業医に行けば確かにコロナであつた。従つて、ハイリスクではないといふことであ らう、対症療法として薬が出た。咳止めと解熱剤が1週間であつた。1週間ではきちんと治らずにグズグズして ゐたが、それでも最終的には治った。 当然、私はすぐに感染すると思つてゐた。実際にすぐに感染したのかもしれない。しかし症状が出たのは8月 1日の夜であつた。夕食後に検温、38度以上であつた。ただし、これ以前から鼻水が出てゐた。私は、夏にな る と寒暖差アレルギーと思はれる鼻水がよく出たので、今回もそれかと思つてゐた。しかし、それにしてはひど い。エアコンにゐる時、食事の後あたりがひどい。それ以外はほとんどない。以前もさういふ傾向ではあつた が、今回のはそれがひど い。これは熱が出る以前からあつたことだが、今思へば、やはりコロナの症状として出てゐたのであらう。ただ し、咳は出なかつた。これは一貫してほとんど出てゐない。体のだるさ、倦怠感はあつた。 そこで豊橋市民病院の移植外科に連絡する。すぐ来いといふので行つたのだが、この時は入院はしないであら うと思つてゐた。さう簡単には入院できないよと言はれてゐたのである。しかし鼻の奥から検体採取等を経て 確かにコロナ感染と確定、そこで薬が出ることになつた。私はハイリスクである。免疫抑制剤、ステロイド服 用、 さうなると対症療法ではすまない。出たのは、以前から万が一の時は服用せよと言はれてゐたラゲブリオで あつ た。この薬、「緊急承認にされたラゲブリオ(モルヌピラビル)は初めての経口抗ウイルス薬です。ようやく、 診療所レベルでも新型コロナ感染症に対する治療ができるようになりました。診断すらままならなかった2年前 と比べると大幅な進歩です。」( 医療法人社団 東京 石心会 新緑脳神経外科)とある薬で、現時点では1日朝夕2回、5日間服用で10万円弱といふ 結構な値段の薬である。しかしこれを飲まねば終はらない。豊橋市民移植外科の処置はこれで終はりであつた。 診断を確定して薬を出す。これだけであつた。そこで5日間飲んだ。確かに一時的に熱は下がつた。しかし下が りきらなかつたのである。 ラゲブリオ飲み終はりの頃には熱は下がつてゐるかに見えたのだが、その翌日あたり、金曜日夜には38度以 上の熱がまた出てゐた。体調悪しである。熱が出て、鼻水が出て、倦怠感がある。どう考へても治つてゐな い。土曜日であるから、豊橋市民救急外来に電話をして、今回は入院の支度をして出かけた。最終的に入院でき たのだが、それまでが長かつた。コロナと決まつた時点で点滴を始めたのだが、その先へ進まない。いつまでも そこにゐるだけである。途中でレントゲンを撮つたりしたがそれもそれだけ、何の連絡もない。結局、昼頃に点 滴を始めたのだが、入院が決まったのは午後6時頃であつたか、最終的に病室入りは午後7時を回つてゐた。入院したのは豊橋市民病院 南病棟、例の感染症専門病棟であつた。 そんな時間の入院である。入院して食事はと 尋ねたところ、注文してゐない、できなかつたとのこと、つまりはこの日は 朝1食のみであつた。 以下、退院直前までこの点滴は続き、毎日、3種の点滴を行つてゐた。当然これは肺炎に対するものである。 検査値を見ると、炎症反応のCRPは8月10日には14.46あつた。結構高い。個人的には意外に低いかと も思つたのだが、それに意味はない。要するに肺が炎症を起こしてゐるのである。この値、12日には 9.76と少し下がつた。さうして退院日には1.79であつた。これでも所謂基準値超である。まだ高い。し かし、許される範囲といふことであらう、これで無事に退院であつた。もちろん、病室のベッドでレントゲンも 撮つた。動けなければ来てくれるのである。しかしこの写真は見てゐない。これも含めての診断であつたはずだ から、ここでも肺炎が治りつつあつたのであらう。 この間の他の検査値を簡単に書いておく。体温は38.3度まで上がつた。13日夜にはほぼ平熱状態であつ た。酸素飽和度、最初の7月末の段階 で90程度であつた。つまり80 代になつたりもしてゐた。ほぼ一貫してこれはこのあたりであつた。ところが入院の頃は更に下がつてゐたらし い。点滴を始めると同時に、酸素吸入を始めた。これでも90代初めあたりであつた。その後、肺炎の点滴と酸 素吸入 のために回復していつた。最終的に酸素吸入を外したのは14日夜であつた。この頃には、酸素吸入なしで、最低でも90は超え るやうになつてゐた。さうして退院の頃には、高ければ95以上、低くても90はあつた。現在もその状況が続 き、 少々低めかとは思ふものの、高い時は95を超えるやうになつた。 咳はほぼ出なかつた。出たと言ふのなら、横になつた直後にほんの少しだけである。同室 の患者さんには咳のひどい人もゐた。結構、夜中でも咳をしてゐた。(だから、入院中はほぼ一貫して私はマスクをしてゐた。) 私にはこれはなかつた。 喉の痛みが あつたかどうか。ほとんどそれらしきものはなかつたと思ふのだが、どうなのであらう。違和感を感じたことが あるにはあつた。これが喉の痛みにつながるのであらうか。関連して、いや関係なささうな気もす るが、コロナ前後から、夜中に起きて水分を摂るやうになつた。コロナ以前にはなかつたことであり、退院後の 現在もほとんど夜中に水分は摂らない。熱のあるなしにかかはらず、コロナの間は夜間水分摂取であつた。喉の 渇き、これもコロナの一症状であらうか。更に、これは関係ないと思ふのだが、コロナの前あたりか ら右上奥歯のあたりを磨くと、オエッとなる、つまりゑづくことが多かつた。現在はない。コロナ以前にもなかつた。たまたま コロナの時期に重なつただけか、あるいはコロナの症状としてあつたのか。関係があるとすれば喉の痛みか何か であらうと思ふのだが、実際はどうなのであらう。単なる歯磨きの問題であらうか。痰もほとんど出なかつた。 ほんの少しあつたとは言 へると思ふが、それ以上ではない。倦怠感はあつた。これはほぼ最初から終はりまで続いて現在もまだある と言へば言へさうである。 味覚や嗅覚の異常はない。味も匂ひも発熱の時点からずつと普通にあつた。ただし口がうまくない。味も匂ひ も分か るのだが、それが食欲に結びつかない。一応、出されたものはすべてきちんと食べた。しかし、うまくないから 時間をかけて食べる。食事は軟菜食とあつた。軟らかめのご飯に軟らかめのおかずといふものである。塩分は分 からない。エネルギーはその回のがまとめて紙に書かれてゐるだけである。1回500Kcalを切ることが多 かつた。つまり、1日1500Kcal以下であつた。基本的に、紙に患者名と献立が書かれてゐるだけであ る。この点で、腎不全食等の、これまで入 院中に食 べてき食事とは違ふ。要するにさういふものは一切考慮する必要のない食事であつた。ちなみに、現在もまだゆ つくりと時間をかけて食事をしてゐる。口のまづさは消えたが、まだそんなに食べる気にはならない。動い てないのだから当然であらう。ちなみに、症状として下痢といふのもあるらしいが、私の場合、退院後に下痢で はなく便秘に悩まされた。いつもだと入院中から便秘になるのだが、今回は退院後の便秘であつた。まだ完全に はもとに もどつてゐない。 このやうに見ていくと、私の症状は軽かつたと言へさうな気がする。風邪の症状としては鼻水が出たぐらい で、他はほとんどなし。嗅覚や味覚も正常であつた。熱と倦怠感はコロナ定番とでもいふべきものであつたか ら、これはむしろあつて当然であつた。これはラゲブリオを発熱翌日から飲み始めたことが関係してゐたのであ らうか。しかし、それでは治りきらずに、第2週目には入院となつたのであつた。 入院中に血液検査を3回受けた。以下に、コロナとは関係ないが、気になる数字だけを気しておく。 貧血関 連、もちろん3回ともに貧血であつた。3回目、8月16日は赤血球401、ヘモグロビン11.5、ヘマトク リット35.9であつた。低い。白血球は最初の8月10日に12380であつたのが、最後は所謂基準値内の 7540まで下がつてきた。これでも私としては高めである。肝臓関連、AST(GOT)30、 23、20、 ALT(GPT)18、16、22であつた。これならば問題ない。Crは1.71、1.40、1.17であつた。いづれも高いのだが、最後は、私としては 珍 しく1.2を切つてゐる。動かないといふより、動くことができなかつたからであらうか。こんな のは久しぶりであつた。尿素窒素は一貫して高い。34、44、41、いづれも基準値大幅超であ る。これも先のやうな食事である。何も考へずに作られたものを、何も考へずに食べてゐればかう なるといふものであらう。なほ、点滴の関係で毎日3回、午前、午後、夕方と血糖値を測つてゐ た。点滴で血糖値が上がる可能性があるとのことで、これが200を超えれば薬が出る(?)とか 言つて ゐた。大体、午前中は110あたり、午後には140、夕方には180ぐらゐであつた。結局、こ の件に関しては何もなしに終はつた。 実はこれら以上に問題となることが1つある。筋肉量減少の問題である。何しろ2週間まともに 動い てないのである。これでは筋肉量が減らぬわけはない。現在退院1週間、実際に減つたと思ふ。身体が重い。歩ける 距離が短くなつた。これ以外の身体の痛みは前、つまり退院後よりは良くなつた。動くことにより 痛みのコントロールはできるらしい。ただし、筋肉量の減少はどうしやうもない。歩くと疲れる。 痛い。こればかりはも とに戻るのを待つだけである。問題は、これがいつまでかかるかである。現在もリハビリもどきをやつて ゐるのだが、これがどのくらゐかかるのか。もしかしたらもとに戻らないかもしれない とも思ふ。それでもやらねばならない。前の脊柱管狭窄症の手術の後もほぼ同様であつた。最初の 2ヶ月であつたかは近くのクリニックに通つた。しかし同じことの繰り返しなので、それ以降は自 分で歩いたりしてゐた。それでも何とかもとに戻つたらしい。今回はどうなるか。個々の検査値は その時々の値でしかない。まともに歩けるやうになるまでリハビリもどきである。 以上、 コロナに関して記した。他の患者さんと比べて違ひがどの程度あるのか。個々の症状の違ひは私には分からない。しかし、ハ イリスク患者 がコロナにかかるとどうなるかの一つの症例では,ある。何らかの参考になればと思つて記した次第。
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