〜26.02.07
               

 私は 平成6年(1994)9月18日に死体腎移植、献腎移植を受け た。17日の夜11時過ぎに八事日赤(名古屋第二赤十字 病院)に呼ばれ、翌18日午前9時から名大病院(名古屋大学医学部付属病院)で手術を受けた。その詳細は以前書 いたのでここでは触れないが、現在に至るま での経過には、正直なところ、献腎移植を希望してゐたにもかかはらず、腎移植に対する己が無知故に、考ヘてもみ なかつたことが多い。これは術後の 経過が不調で移植腎が生着してゐないといふことではない。無事に、順調にここまで来たけれど、といふわけであ る。
 以下に記すのは、 私の腎移植に関はる最近の動きである。月録とはしたものの、果たして月単位で書けるかどう か。ともあれ、私自身の覚えのために、そして腎移植後の具体的な様子を、これまで<移植>とは縁の無かつた方々 に知つていただくために、できる限り記していきたい。



〜02.07  を読む。
〜06.07  を読む。
〜08.24  を読む。

「被死体腎移植覚書」 を読む。
「被死体腎移植覚書」2(退院後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」3(移植1年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」4(移植2年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」5(移植4年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」6(移植10年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」7(移植15年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」8(移植20年後)
 を読む。

「被死体腎移植覚書」9(移植25年後)
 を読む。

26.02.07
 早くも2月、前回が去年の6月であつたから、既に半年以上が経つてゐる。この間、何にもなかつたので は、当然、ない。去年の1月初旬退院以降、3度目の入院をしてゐた。退院してからも、また入院するかもしれないと思ひ、なかなかこれ を書く気にはなれなかつた。1月下旬になつてやつと書かうかと思ふやうになつた。そこでかうして書き始めたのである。
 入院をしたのは9月2日から12月1日までの12週間、3ヵ月間であつた。最初は6週間の予定と言はれてゐたが、2周目ぐらゐであ つたらうか、感染症チームの判断により12週間になると言はれた。入院前、前回と同様に熱があり胸に痛みがあつた。痛みは左鎖骨のあ たりまで上がつてきてをり、これは結構痛かつた。入院の時点で原因の菌は分かつてゐなかつたが、前回と同じ症状であり、呼吸器外科で は診てくれないとのことで、移植外科から綜合診療科に回されたのである。入院後、更に菌特定のために総合診療科から整形外科に回さ れ、そこで採取した組織を培養した結果、緑膿菌であると判明した。最初の(コロナ後の)肺炎と同様であつた。これが入院後10日目く らゐであつた。胸骨骨髄炎である。
 今回の入院を一言で書けば、1日2回の点滴をするための3ヵ月間であつたと言へる。それ以外は、整形で問題を起こしてゐる菌を特定 してもらつたり、経過を確認するための血液検査、CT、MRI、腹部エコーを受けたりであつた。これ以外には、土日を除くほぼ毎日、 体力維持を目的としたリハビリがあり、皮膚科の問題があれば皮膚科に行つたりで、以前の入院からすれば、私自身の問題となるやうなこ とは特になかつた(と思ふ)。入院は感染症の問題から個室であつた。他に気兼ねすることもなく、時期的にも寒くなる前だつたので、比 較的快適に過ごすことができた。
 ただし、部屋の外に出ることは基本的に許されてゐなかつたやうで、ドアはほとんどいつも閉ぢてあり、看護師等は入室時に手指消毒、 マスク、エプロン着用であり、私の部屋のゴミは室内の段ボール箱に捨て、後に一括して処理(点滴の針等はまた別)をする。こんな状態 であつた。今回は缶コーヒーを買ひに行くなどといふこともなく、ただ風呂、いやシャワーはその日の最後の時間帯に希望すれば許されて ゐた。その代はり、私が入つた後には看護師が風呂場の消毒をしてゐた。リハビリはその階の廊下を歩いたりしたので、その時は部屋のド アが開けられ、私も理学療法士の付き添ひの下、廊下を歩いてゐた。これら以外は、土日を除く1日1回、総合診療科の主治医や医師の回 診(?)があつたり、病棟の看護師の検温、血圧測定等の体調確認があつたり、3度ばかり移植外科の医師や看護師が見舞ひに来てくれた りで、1日2度(午前10時、午後10時)の点滴以外は特にすべきことのない日々であつた。
 最初だけはいささか時間を持て余し気味だつたが、ふと思ひついてリハビリもどきをやることにした。理学療法士もそれを勧めたし、私 もこのままでは体力が落ちて本当に歩けなくなると思ひ、以前の赤岩病院等で覚えた体操(?)の類を午前中は食後から点滴前まで行ふこ とにした。点滴時間が実際にはばらばらなので、そしてそれ以上にスマホを見ながらであつたので、あのリハビリもどきもあれで十分であ つたかどうかは分からない。午後にも行つた。基本的にリハビリ終了後に行ふと決めてゐたので、こちらも十分であつたかどうか。それで もやらないよりはましであつたとは思ふ。
 こんな3ヵ月間であつた。しかし、この間、すべてが順調であつたわけではない。前回も書いた如く、最大にして唯一かもしれない問題 点は点滴の針を刺す場所であつた。前回の入院でも既に刺す場所はなくなりつつあつた。ただし左手はあまり使はなかつた。今回は左手を 使つてもなほかつ刺す場所がなくなりつつあつた。珍しく1週間近くもつた場所もあつたが、これは例外であつて、基本的には2、3日程 度、早ければ朝刺したのに夜には使へなくなる、つまり1回しかもたずに、夜にも新たな場所を刺さねばならないこともあつた。最初のう ちはまだ長めであつた、とは言ふものの、他の患者さんと比べれば短めであつたが、徐々にその間隔が短くなつてゐるのは明らかであつ た。結局、最後の3週間あたりからであらうか、点滴のしかたを変へた。ごく簡単に言へば、右上腕部に15センチのカテーテルを挿入、 留置するのである。もちろん普通に刺せるわけがない。医師がエコーで血管を確認して挿入するのである。最低でも2週間はもつと言は れ、3週間、退院までもつてほしいものだと言はれた。
 実際、その先は点滴の針刺しから解放された。看護師はあまり見たことのない刺し方だと言つてゐた。多いのは首のあたりから鎖骨辺に 挿入するのであるらしい。どのやうな方法が良いのかといふのは各患者の状態にもよるのだらうが、私の場合はこれで良かつたらしい。た だ、この点滴は長期にカテーテルが留置されることになるので感染しやすい。ただでさへ感染症に弱い人間である。そこで週に1回はテー プを貼り替へつつ丁寧に消毒をしてゐた。これでシャワーも日常生活にも支障はなかつた。ただ、時に右上腕部が意識されるだけであつ た。そんなわけで、これさへなければ快適な入院生活と言へたかもしれない。しかし点滴が入院治療の目的であつたからには、どうにもし やうのないことであつた。ちなみに、私の入院期間は、退院時に現在6番目の長さだと言はれた。私よりも長い人がまだゐるのだと思つた 次第。
 今回の入院中、週に1度の血液検査があつた。そのうちでポイントになりさうなものを以下に記しておく。

     Cr             BUN       RBC         Hb           Ht          WBC         CRP
  9月  2日     2.46         47        304          8.1         26.6       12310       14.78
  9月15日     1.79          35        292         7.8         25.6         7150         3.28
10月  7日    1.61           31        344         9.3         31.0         5740         0.09
10月28日    1.57           33        364        10.0        32.7         4250         0.01
11月18日    1.64           34        369        10.0        32.4         4410         0.03
12月 1日     1.83           35        400        10.7        34.7         6530         2.26
12月15日    2.14           51        414        11.6        36.2         7390         0.69

入院日から退院日まで、そして退院後の通院日である。例の如き値で、CrとBUNは腎機能、赤血球RBCとヘモグロビンHb、ヘマト クリットHtは貧血関連、白血球WBCとCRPは炎症関連である。腎機能関連は入院日には高かつたが、以後、退院までは落ち着いてゐ る。偏に病院食のおかげである。実際、退院後はともに高くなつてゐる。これはタンパク質の摂り方による。
 貧血は、入院後しばらくはかなり低い。それが9月終はり頃から上がり始めてゐる。これは薬による。前回の入院時には輸血をしたのだ が、今回は薬、ダーブロックといふ腎性貧血の治療薬である。以前は注射しかなかつたといふから、もし かしたら私が透析時の最後に使つてゐたエリスロポエチンと同じ(やうな)ものであらうか。最初は2mgを朝2錠だつたが、11月下旬 から6mgを朝1錠となり現在に至る。透析中の(透析中の)エポも効いてゐたが、これも効いてゐる。数値を見れば明らかである。
 CRPと白血球が炎症関連、これが今回の入院の目的である。炎症は緑膿菌によるものであつた。前回の入院時に菌は検出されなかつた が、たぶんコロナ後の肺炎以降ずつと緑膿菌がゐたのであらう。だから前回同様に薬が効いたのである。前回は6週も経たずに退院した が、今回は念には念を入れてで12週であつた。ほぼ1ヶ月後にはCRPは基準値内に入り、白血球も下がつた。それでも入院、点滴は続 いたのである。
 ところが、11月の終はり頃、そろそろ退院といふ頃にまたCRPが上がり始めた。私自身の体調に変化はないのにこれは何だといふこ となのだが、実はお尻にできものができてゐた。これかもしれないと思つて医師にきくと、さうかもしれないといふわけで皮膚科受診とな つた。皮膚科では、これを見るなり毛穴にばい菌が入つたと言つた。これも感染症であるからCRPは上がるとのこと、そこで薬が出た。ゼビアックス油性クリームである。これはにきびの薬であるらしい。抗菌の塗り薬であ る。従つて退院時にはかなり小さくなつてをり、それでもCRPは2.26あつた。退院後で0.69、まだ下がりきつていゐないが、で きものの痕跡はほぼなくなつた。そんなわけで、最後に心配したCRPも無事に解決したのであつた。
 ここで終はろうと思つたのだが、記録のために書いておく。その1、整形外科、一昨年の春頃から右手が上がらなくなつてゐた。その 秋、入院中に理学療法士に尋ねたけれど分からない。去年の9月の入院中に整形を受診したついでに聞いてみた。さつそくX線撮影で確認 すると、右肩の腱が切れてゐるといふ。離れてしまつてゐるので元には戻せないとのこと、結局、右手は前後左右、下はほとんど問題ない が、上に上げることは難しい。遅れてしまつたのでしかたない。その2、腹部エコー、これは例の如く、入院中に肝機能の数値が上がつて きた。最も高い時は基準値上限超えであつたか。そこでこれは何だと医師に尋ねた。医師にも分からないのでエコーである。結果は特に肝 臓に問題なし、ただし膵臓に水腫ありであつた。これが良性か悪性かを見極めるために消化器内科を受診した。日程的に退院後であつた。 そこでまづは血液検査で腫瘍マーカーの確認をすることになつた。その結果は問題なし。ただしこの先のことは分からないのでまた半年後 にといふことで終了した。膵臓は肝臓についでに見つかった。よくあるといふか、かういふのが普通であるらしい。
 以上で入院関連は終わる。これ以外には歯科に行つた。退院後である。少し遅れたが定期の健診であることと、入院中に左上の奥歯に浮 いた感じがあつたからである。初めのうちは何ともなかつたのだ。そのうちに徐々に浮いた感じがするやうになつた。下ならば歯周病が悪 くなつたと思へるのだが、上がこんな状態になるのは初めてである。だからなぜ浮いた感じがするのか分からない。結局、診断の結果は特 に異常なし、入院中のストレスから来たのではないかと言はれた。現在も左上奥歯に浮いた感じがある。少しは弱くなつたかと思はれるの だがそれだけのこと、入院中からあまり変はつてゐない。これがどうなつていくのかは気になるところである。
 今回は9月から11月の入院について書いた。1月末の時点では熱も痛みもない。再発してゐないと思はれる。前回は5月半ばに退院し てから3ヶ月ちよつとで再発、入院となつた。この期間に意味があるのかどうかは分からないが、とりあへずは3ヶ月後にどうなつている のか、再発してゐないかが気になる。次に肺に入つたら終はりだとは移植の主治医の言である。今はさうならないことを祈るのみである。
 なほ、私の所属する日本赤十字社愛知医療センター名古屋第二病院等の腎移植患者会である朋友会ホームページと、日本赤十字社愛知医 療セ ンター名古屋第二病院腎臓病総合セン ターにも日常生活、検査、免疫抑制剤等についての様々な情報が載せられてゐる。そちらも併せて御覧いただければ幸ひである。




ドナーカード兼ド ナー拒否カード表 (画像提供"Transplant Communication HOMEPAGE")



25.06.07
 6月である。先月は雨が多かつた。梅雨入り前のはず なのに雨がよく降つた。おかげで一時給水制限と言つてゐたのに、いつの間にかダムにその必要はなくなった。しかし、間もなく梅雨に入る。 今年の梅雨を無事越せるやうにしたいと思つてゐる。こんな折、いかがお過ごしであらうか。
 実は私は先月下旬までまた入院していた。昨年のコロナ入院に始まり、今回で4回目の入院であつた。この詳細は別に書くが、今回は骨髄炎 であつた。胸の、 ちや うど肋骨が左右に分かれるあたりが痛かつたのだが、ここ、つまり肋骨の胸骨体からから始まつて肋骨最上部の柄、更には右鎖骨の途中あたりまで(左鎖骨は痛 みなし)痛みがあったから、この間が骨髄炎であ つたといふことであらう。つまり胸部骨髄炎である。
 以下に、簡単にその経過を記しておく。4月下旬、移植で胸のあたりがあやしいと言はれたので、それを確認するためにまずは関 係ありさうな心臓内科と皮膚科に行つた。心臓内科ではこちらでは分からないといふことで皮膚科に行き、結局、CTとMRIを受けた。その 結果、最終的に骨髄炎であると分かつてこの日に呼吸器外科に行った。呼吸器外科では骨髄炎であるからできるだけ早く入院せよと言はれ、そ こでその当日の入院であつた。移植の看護師は骨髄炎は長いからと言つてゐた。どれくらゐかといふと、 最低でも5週間から6週間といふことであるが、これは入院中に知つたつこと、当日には知らなかつた。しかし炎症であり感染症である。従つ て病室は個室となつ た。かういふこともあらうかと、私は(移植外科からいつ緊急入院と言はれても困らないやうに常に用意しておいた)入院セットを持参してゐた。
 入院後、部屋に入ると直ちに点滴である。 感染症であるから点滴中心、これが 最後まで続いた。外科とはいふものの、今回は外科的な治療を受けてゐない。最初から最後まで、途中で3種の点滴が2種の点滴となつたとい ふことはあるがそれ以外はなし、暇なと言つては語弊はあるが、とにかく1か月のうち20日以上はそんな生活であつた。
 ただし、治療を始めて数日後、リハビリの時であつた。理学療法士に血圧を測つてもらつたら血圧が低いのである。上が60代であつたか、 50代であつたか、これは異常だとい ふことで看護師に知らせてくれた。私は異常を感じてはゐなかつたのだが、熱もあつたらしい。これは大変だといふことになつた。翌日は朝から熱が出た。 39.5℃、かうなるとさすがに体調がをかしい。私は半分眠つてゐるやうな状態であつた。そこ家族が呼ばれ、何と延命治療についての説明 があつ た。人工呼吸はどうする、透析はどうする等の確認をしたのである。
要するに、家族は私に対して延命治療はしないでほしいと言つてゐるのであつた。私は半分眠つてゐ るやうな状態であつたし、また話の内容は分かつたが、 反対はしなかつた。その後も話は続いたが、私は聞いてゐるやうな聞いてゐな いやうな状態であつた。そして最後に昼食はどうするかと聞かれたので、直ちに食べると答へて昼食であつた。もちろん完食である。翌日は熱 も下がり始め、3日目にはほぼいつもの、平熱より高めの熱になつてゐた。これが今回の入院で最もあぶない時で、これ以外は前述のやうな暇 な生活を送つてゐたので ある。
 ただし、この少し後に1回だけ輸血をした。貧血だからであつたか。180ccの輸血であつた。私はもちろん何も感じなかつた。昨年夏も 輸血をしたといふから、これで2回目の輸血であつた。
 治療は上記以外はうまくいき、1週間ぐらゐで膀胱の緑膿菌は消え(緑膿菌は尿で流すしかない移植から言はれてゐた)、10日過ぎには胸 の痛みもほぼ消え、押せば違和感を感じるといふ程度になつてゐた。この少し後で点滴が1回、1種類減つて2種類となつた。これは菌を特定 できないけれどうまく抗生剤が当たつたといふことあるらしい。当たつて幸ひであつた。当たらなければ治療は伸びるばかりであつたかもしれ ない。かう考へるとこれは本当に有り難かつた。
 実は前回の肺炎ゐよる入院も、そして今回も、更にはそれ以前の昨年8月末からの入院も、とにかく点滴が多かつた。それで、今回の入院で は始めて 間もない頃に点滴の針を刺す場所がなくなつてしまつたのである。私の場合、左手首に透析のシャントの名残がある。ここは既に閉ぢてあつて 使へないのだが、どうも左手は将来的に透析に戻つた時のことを考へて使はないやうにしてゐたらしい。これは部屋の扉の注意書きに記してあ つ たことである。だから点滴は右手を使ふしかない。そこで針を刺す場所がないといふことになるのである。しかしそこはプロ、4度か5度の失敗の後でも、最後 は何 とか 刺せる場所を見つけてくれ、ほとんど2日に1回のペースでの点滴針刺しも終はつて無事に退院できたのである。今回の入院で困つたのは点滴 の針の刺し所であつた。かくして1か月、ほぼ4週間、長めにみても5週間弱で退院であつた。早かつたと言ふべきであらう。
 なほ、今回の入院で私は個室であつたが、これは感染症のためである。希望してもほとんど入れないのが個室である。私は希望しなくても個 室 に入つた。個室管理で部屋の外へは出られないやうにするためであつた。実際、去年8月からの入院、市民病院では個室から出られなかつた。 ところが今回は途中から少しなら外に出ても良いと言はれた。それでリハビリは部屋の前の廊下で行つた。歩行器、ピックアップを使つ歩く練 習をするだけである。そして家族が来た時にはデイルー ム、歓談室であらうか、に行つて、缶コーヒー等を飲んでゐた。これも有り難かつた。暇を持て余すといふこともあるが、1日中連日の個 室では気が滅入るといふものである。
 かくして外来である。これで入院生活も終はるかと思ひながら行つたのが今回の外来であつた。結果は、Cr2.23、BUN45、総コレ テロール233、 LDL-C155、中性脂肪194であつた。病み上がり第1回の検査結果である。入院中の値は知らない。炎症は治まり、腎臓もだいぶ良くなりましたと医師 に言はれてゐた。これがそれなのかどうかどうか。基本的に高い。基準値超えである。呼吸 器外科に入院してゐたが、退院 後、特にそれに ついては言はれなかつた。移植でも言はれなかつた。現状ではこんなものだといふことであらうか。貧血関連、赤血球381、ヘモグロビ ン9.7、ヘマトクリット32.3、これまた以前よりもひどくなつてゐる。昨年8月と比べるとかなり低い。それでも私には何も 異常はない。立ちくらみとかめまいとかの症状はない。この結果を見て驚くばかりである。しかし低い。下には下があるらしい。肝臓関連、 AST(GOT)28、 ALT(GPT)34、γ-GTP35であつた。こちらはすべて基準値以内である。入 院中に肝臓が壊れることはなかつた。
 今回の結果、呼吸器外科ではとりあへず治つたであ らうと言はれた。移植では、治つたにしても原因となる菌が特定されてない以上、いつ再 発するかもしれないと言はれた。私は、10年以上前の肺炎でも、菌は特定されなかつた。まさか同じ菌ではないと思ふが、肺炎球菌とかには感染しないのであ らう か。予防接種が効いてゐるのかもしれない。骨髄炎といふのは再発し易いらしい。だから再発については気をつけるつもりでゐた。これから は移植で診てもらつて下さいとは呼吸器外科で言はれたこと、移植では、専門外でそれは難しいと言はれた。とにかく去年の11月あたりか ら胸が痛かった。入院直前の体温ははほ とんど37.0以上あつた。それからすれば熱と痛みが骨髄炎の兆候でらうと思はれるので、それに気をつけて日々を送るしかないと思つてゐる。
 ちなみに、薬はかなり変更があった。免疫抑制剤シクロスポリン、1日120mg、朝夕各60mgが朝食前1回50mgとなり、ステロイ ドのプレドニンも5mgとなつた。プレドニンは減らしつつあつたのだが、これで目標達成であるらしい。降圧剤はカルスロットがなくなり、 以前の アーティストと同じカルベジロール1.25mgが残つた。1日2回、朝、夕食後、各2錠、2.5mgである。ダイフェンは変はらず、週2回、月、木朝食後 に1錠づつ。以下変更 となつた薬、エリキュース2.5mg、朝、夕食後1日2回各1錠、各2.5mgづつ、ラプソプラゾールOD15mg、朝食後1日1回1 錠、ラプソプラゾールはエリキュースとペアで飲む胃腸薬である。フロセミド40mg、朝食後、1日1回1錠、利尿剤で、かつて飲んでゐた ラシックスである。以上、かなり変はつた。利尿剤は足の浮腫に有効であるが、やめ時が難しいのかもしれない。完全に浮腫が取れることはな いと思ふ。エリキュースは飲めと言はれた。これは血栓対策である。以前これと同様のリクシアナを飲んでゐたが、これがよく効いて浮腫がか なり良くなつた。ただし、血栓はなくならないから、これでも浮腫がなくなることはない。ここでふと、この薬の変更にどの医者がどのやうに 関は り、 どのやうな理由で変へたのかを私は知らないと思つた。気がついた時には既にほとんどかうなつてゐたのである。
 以上が、4月から5月にかけての入院に関してである。これ以外に、クリニックはどこにも行つてゐない。行く必要がなかつたといふより、 どこにも行け なかつたと言ふべきであらう。とりあへず、近日中に歯科の健診に行きたいと思つてゐる。入院中のいつの頃からか、左上奥から2番目のあた りに違和感があるのである。






ドナーカード兼ド ナー拒否カード裏 (画像提供"Transplant Communication HOMEPAGE")

    

 
24.08.24
 8月も末、やつと涼しくなつてきた。7月の末から先日、8月 中旬までは暑かつた。その間、私は所謂新型コロナ、COVID-19にかかつてゐた。発症、投薬から入院を 含め て、結 局、退院までに2週間かかつた。取り急ぎこの間の様子を記しておく。はつきりしないところもあるが、それで も大雑把に経過が分かるやうには記したいと思ふ。
 そもそもは家人の感染であつた。7月25日頃であつたか。この頃に感染したらしく、咳が出るとか熱がある とか言つてゐた。近くの開業医に行けば確かにコロナであつた。従つて、ハイリスクではないといふことであ らう、対症療法として薬が出た。咳止めと解熱剤が1週間であつた。1週間ではきちんと治らずにグズグズして ゐたが、それでも最終的には治った。
 当然、私はすぐに感染すると思つてゐた。実際にすぐに感染したのかもしれない。しかし症状が出たのは8月 1日の夜であつた。夕食後に検温、38度以上であつた。ただし、これ以前から鼻水が出てゐた。私は、夏にな る と寒暖差アレルギーと思はれる鼻水がよく出たので、今回もそれかと思つてゐた。しかし、それにしてはひど い。エアコンにゐる時、食事の後あたりがひどい。それ以外はほとんどない。以前もさういふ傾向ではあつた が、今回のはそれがひど い。これは熱が出る以前からあつたことだが、今思へば、やはりコロナの症状として出てゐたのであらう。ただ し、咳は出なかつた。これは一貫してほとんど出てゐない。体のだるさ、倦怠感はあつた。
 そこで豊橋市民病院の移植外科に連絡する。すぐ来いといふので行つたのだが、この時は入院はしないであら うと思つてゐた。さう簡単には入院できないよと言はれてゐたのである。しかし鼻の奥から検体採取等を経て 確かにコロナ感染と確定、そこで薬が出ることになつた。私はハイリスクである。免疫抑制剤、ステロイド服 用、 さうなると対症療法ではすまない。出たのは、以前から万が一の時は服用せよと言はれてゐたラゲブリオで あつ た。この薬、「緊急承認にされたラゲブリオ(モルヌピラビル)は初めての経口抗ウイルス薬です。ようやく、 診療所レベルでも新型コロナ感染症に対する治療ができるようになりました。診断すらままならなかった2年前 と比べると大幅な進歩です。」(
医療法人社団 東京 石心会 新緑脳神経外科)とある薬で、現時点では1日朝夕2回、5日間服用で10万円弱といふ 結構な値段の薬である。しかしこれを飲まねば終はらない。豊橋市民移植外科の処置はこれで終はりであつた。 診断を確定して薬を出す。これだけであつた。そこで5日間飲んだ。確かに一時的に熱は下がつた。しかし下が りきらなかつたのである。
 ラゲブリオ飲み終はりの頃には熱は下がつてゐるかに見えたのだが、その翌日あたり、金曜日夜には38度以 上の熱がまた出てゐた。体調悪しである。熱が出て、鼻水が出て、倦怠感がある。どう考へても治つてゐな い。土曜日であるから、豊橋市民救急外来に電話をして、今回は入院の支度をして出かけた。最終的に入院でき たのだが、それまでが長かつた。コロナと決まつた時点で点滴を始めたのだが、その先へ進まない。いつまでも そこにゐるだけである。途中でレントゲンを撮つたりしたがそれもそれだけ、何の連絡もない。結局、昼頃に点 滴を始めたのだが、入院が決まったのは午後6時頃であつたか、最終的に病室入りは午後7時を回つてゐた。
入院したのは豊橋市民病院 南病棟、例の感染症専門病棟であつた。 そんな時間の入院である。入院して食事はと 尋ねたところ、注文してゐない、できなかつたとのこと、つまりはこの日は 朝1食のみであつた。
 以下、退院直前までこの点滴は続き、毎日、3種の点滴を行つてゐた。当然これは肺炎に対するものである。 検査値を見ると、炎症反応のCRPは8月10日には14.46あつた。結構高い。個人的には意外に低いかと も思つたのだが、それに意味はない。要するに肺が炎症を起こしてゐるのである。この値、12日には 9.76と少し下がつた。さうして退院日には1.79であつた。これでも所謂基準値超である。まだ高い。し かし、許される範囲といふことであらう、これで無事に退院であつた。もちろん、病室のベッドでレントゲンも 撮つた。動けなければ来てくれるのである。しかしこの写真は見てゐない。これも含めての診断であつたはずだ から、ここでも肺炎が治りつつあつたのであらう。
 この間の他の検査値を簡単に書いておく。体温は38.3度まで上がつた。13日夜にはほぼ平熱状態であつ た。酸素飽和度、最初の7月末の段階 で90程度であつた。つまり80 代になつたりもしてゐた。ほぼ一貫してこれはこのあたりであつた。ところが入院の頃は更に下がつてゐたらし い。点滴を始めると同時に、酸素吸入を始めた。これでも90代初めあたりであつた。その後、肺炎の点滴と酸 素吸入 のために回復していつた。最終的に酸素吸入を外したのは14日夜であつた。この頃には、酸素吸入なしで、最低でも90は超え るやうになつてゐた。さうして退院の頃には、高ければ95以上、低くても90はあつた。現在もその状況が続 き、 少々低めかとは思ふものの、高い時は95を超えるやうになつた。
 咳はほぼ出なかつた。出たと言ふのなら、横になつた直後にほんの少しだけである。同室 の患者さんには咳のひどい人もゐた。結構、夜中でも咳をしてゐた。(だから、
入院中はほぼ一貫して私はマスクをしてゐた。) 私にはこれはなかつた。 喉の痛みが あつたかどうか。ほとんどそれらしきものはなかつたと思ふのだが、どうなのであらう。違和感を感じたことが あるにはあつた。これが喉の痛みにつながるのであらうか。関連して、いや関係なささうな気もす るが、コロナ前後から、夜中に起きて水分を摂るやうになつた。コロナ以前にはなかつたことであり、退院後の 現在もほとんど夜中に水分は摂らない。熱のあるなしにかかはらず、コロナの間は夜間水分摂取であつた。喉の 渇き、これもコロナの一症状であらうか。更に、これは関係ないと思ふのだが、コロナの前あたりか ら右上奥歯のあたりを磨くと、オエッとなる、つまりゑづくことが多かつた。現在はない。コロナ以前にもなかつた。たまたま コロナの時期に重なつただけか、あるいはコロナの症状としてあつたのか。関係があるとすれば喉の痛みか何か であらうと思ふのだが、実際はどうなのであらう。単なる歯磨きの問題であらうか。痰もほとんど出なかつた。 ほんの少しあつたとは言 へると思ふが、それ以上ではない。倦怠感はあつた。これはほぼ最初から終はりまで続いて現在もまだある と言へば言へさうである。
 味覚や嗅覚の異常はない。味も匂ひも発熱の時点からずつと普通にあつた。ただし口がうまくない。味も匂ひ も分か るのだが、それが食欲に結びつかない。一応、出されたものはすべてきちんと食べた。しかし、うまくないから 時間をかけて食べる。食事は軟菜食とあつた。軟らかめのご飯に軟らかめのおかずといふものである。塩分は分 からない。エネルギーはその回のがまとめて紙に書かれてゐるだけである。1回500Kcalを切ることが多 かつた。つまり、1日1500Kcal以下であつた。基本的に、紙に患者名と献立が書かれてゐるだけであ る。この点で、腎不全食等の、これまで入 院中に食 べてき食事とは違ふ。要するにさういふものは一切考慮する必要のない食事であつた。ちなみに、現在もまだゆ つくりと時間をかけて食事をしてゐる。口のまづさは消えたが、まだそんなに食べる気にはならない。動い てないのだから当然であらう。ちなみに、症状として下痢といふのもあるらしいが、私の場合、退院後に下痢で はなく便秘に悩まされた。いつもだと入院中から便秘になるのだが、今回は退院後の便秘であつた。まだ完全に はもとに もどつてゐない。
 このやうに見ていくと、私の症状は軽かつたと言へさうな気がする。風邪の症状としては鼻水が出たぐらい で、他はほとんどなし。嗅覚や味覚も正常であつた。熱と倦怠感はコロナ定番とでもいふべきものであつたか ら、これはむしろあつて当然であつた。これはラゲブリオを発熱翌日から飲み始めたことが関係してゐたのであ らうか。しかし、それでは治りきらずに、第2週目には入院となつたのであつた。
 入院中に血液検査を3回受けた。以下に、コロナとは関係ないが、気になる数字だけを気しておく。
 貧血関 連、もちろん3回ともに貧血であつた。3回目、8月16日は赤血球401、ヘモグロビン11.5、ヘマトク リット35.9であつた。低い。白血球は最初の8月10日に12380であつたのが、最後は所謂基準値内の 7540まで下がつてきた。これでも私としては高めである。肝臓関連、
AST(GOT)30、 23、20、 ALT(GPT)18、16、22であつた。これならば問題ない。Crは1.71、1.40、1.17であつた。いづれも高いのだが、最後は、私としては 珍 しく1.2を切つてゐる。動かないといふより、動くことができなかつたからであらうか。こんな のは久しぶりであつた。尿素窒素は一貫して高い。34、44、41、いづれも基準値大幅超であ る。これも先のやうな食事である。何も考へずに作られたものを、何も考へずに食べてゐればかう なるといふものであらう。なほ、点滴の関係で毎日3回、午前、午後、夕方と血糖値を測つてゐ た。点滴で血糖値が上がる可能性があるとのことで、これが200を超えれば薬が出る(?)とか 言つて ゐた。大体、午前中は110あたり、午後には140、夕方には180ぐらゐであつた。結局、こ の件に関しては何もなしに終はつた。
 実はこれら以上に問題となることが1つある。筋肉量減少の問題である。何しろ2週間まともに 動い てないのである。これでは筋肉量が減らぬわけはない。現在退院1週間、実際に減つたと思ふ。身体が重い。歩ける 距離が短くなつた。これ以外の身体の痛みは前、つまり退院後よりは良くなつた。動くことにより 痛みのコントロールはできるらしい。ただし、筋肉量の減少はどうしやうもない。歩くと疲れる。 痛い。こればかりはも とに戻るのを待つだけである。問題は、これがいつまでかかるかである。現在もリハビリもどきをやつて ゐるのだが、これがどのくらゐかかるのか。もしかしたらもとに戻らないかもしれない とも思ふ。それでもやらねばならない。前の脊柱管狭窄症の手術の後もほぼ同様であつた。最初の 2ヶ月であつたかは近くのクリニックに通つた。しかし同じことの繰り返しなので、それ以降は自 分で歩いたりしてゐた。それでも何とかもとに戻つたらしい。今回はどうなるか。個々の検査値は その時々の値でしかない。まともに歩けるやうになるまでリハビリもどきである。
 以上、 コロナに関して記した。他の患者さんと比べて違ひがどの程度あるのか。個々の症状の違ひは私には分からない。しかし、ハ イリスク患者 がコロナにかかるとどうなるかの一つの症例では,ある。何らかの参考になればと思つて記した次第。






「被 死体腎移植覚書」  を読む。
「被 死体腎移植覚書」2(退院後) を読む。
「被 死体腎移植覚書」3(移植1年後) を読 む。
「被 死体腎移植覚書」4(移植2年後) を読 む。
「被 死体腎移植覚書」5(移植4年後) を読 む。
「被 死体腎移植覚書」6(移植10年後) を読む。
「被 死体腎移植覚書」7(移植15年後) を読 む。
「被 死体腎移植覚書」8(移植20年後) を読む。
「被 死体腎移植覚書」9(移植25年後) を読む。


 

お名前:  email:

ご感想:

ご意見、ご感想を入れていただいた後、1回だけ送信ボタンを押して下さい。
お名前、emailアドレスは差し支へなければご記入下さい。
送信を押しても画面は変はりませんが、正しく送信されてゐます。

  トップページ 目次歌謡文学関係資料豊川水系のまつり 愛知県方言談話資料

   短歌短歌2短歌3短歌4腎移植後月録私の好きな音楽電網怪怪雑感

 

ご意見、ご感想等は こち らへ。