中央竪坑の設備説明図

 採掘した鉱石を運搬する設備の説明
 柵原鉱山では口径600ミリの縦穴を掘削する掘削装置の実験を担当していました。3台の鑿岩機を束ねて遊星ギヤの方式で回転させて大口径の掘削をしようと代物でした。

 これは、シャンデリアレイズボーラーとエレガントな開発名の掘削装置で先輩からの引き継ぎで設計に加わりましたが、引き継いだ時にはかなりの開発時間が経っていた為、結果を出す前に予算の枯渇で敢え無く中止となってしまいました。

 この遊星ギヤの機構は、現在の自動車のオートマチック機構に採用されているものとまったく同じなのですが、入力軸(太陽ギヤ)が固定され、遊星ギヤ部分に鑿岩機があって自転するようになっていました.

 普通太陽ギヤを入力軸にして、リングギヤ又は遊星ギヤを停止させるて複数のギヤ比が得られます。遊星ギヤ枠は、複数の遊星ギヤの位置を固定させています。

 昔の無線機のバーニアダイアルは、この機構その物ですが、歯車を使わずに遊星部分には、2枚の皿状のローラーが背中合わせになっていて、リングを挟んで回転するようになっています。
 親父のロマンシリーズ柵原(やなはら)鉱山


 トンネルの掘削機械の設計担当でしたのでなのでいろんな所に出張したその一つです。たいていは、人里離れた所なのですが、このような鉱山は、大都会に出張する思いがしました。


  平成19年7月、第45回天の川ミーティング倉敷大会に向かう途中で中国道の美作インターから国道374号線を南下し、柵原を訪れました。当時は、山陽本線の和気駅から片上鉄道に揺られて柵原駅に降り立ち鉱山に入りました。


 今回、訪れてみると鉱山の象徴であった竪坑のエレベーター塔は取り去られいて柵原鉱山の面影は、町のたたずまいから消えていました。過っての柵原鉱山は「柵原ふれあい鉱山公園」にだけでなっていました。当時の宿もまだ在りましたが、普通の民家となっていました。

            
 30番坑道の拡大



資料館入場券の半券

 鉱山の断面図

 内部は、蟻の巣のように坑道が整然と掘られています。
 深さー415M迄下がった事を記憶していたので、資料館のガイドの方に話をしたところ「それは、30番坑道です」と教えていただきました。(本人は、ここが海抜0mと思い込んでいましが、間違いでした)

 地上は、真っ白に雪がつもっていて防寒着を着込み、竪坑のエレベーターに乗ると数分でこの30番坑道に達します。今度は暑くて脱ぎ捨てることをなります。


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鉱山の簡単歴史

 この柵原鉱山の歴史は、古く慶長年間(1596〜1614年)津山城築城の石材収集中に褐鉄鉱を発見した事に始まったそうです。本格的に採掘は大正年間で、それから75年間に渡って良質の硫化鉄鉱の生産量は東洋一を誇り、昭和30年代・40年代には、わが世の春を謳歌したそうです。

 日本の食料増産の肥料の硫安の製産におおいに貢献したのですが、石油の精製での脱硫装置から副産物として製産される安価な硫酸と外国からの安い硫化鉄鉱の輸入等で膨大な埋蔵量を残して、平成3年閉山していました。


柵原ふれあい鉱山公園
    http://www.town.misaki.okayama.jp/manabi/sisetsu/kouzan.htm#top

 この柵原ふれあい鉱山公園内にある資料館(鉄筋地上2階地下1階建、延べ1,540平方メートル)をゆっくりと見学しながら、昔の思い出にひたって来ました。