三陸鉄道南リアス線


 40年程前の昭和47年頃に仕事で釜石を訪れ、釜石から大船渡までバスで移動した時、この三陸海岸を「いつの日かゆっくり旅をしたい」と長い間想っていた。そして、そろそろと思った時、大震災に見まわれてしまった。 これでは、暫く行けないだろうと考えて想いを伏せていた。 想いからすれば、もっと北の八戸位から南に下り、松島までをゆっくりと時間を感じさせないた旅をしたい

 平成9年9月に竜飛岬への旅の帰りに平泉の中尊寺に立ち寄った時、厳美渓にしようか?、猊鼻渓にしようか?と考え、厳美渓を観て帰ったが、いつか猊鼻渓を見に来ようとの思いもあり、2010年10月に訪れた宮崎の高千穂峡をみてから、「厳美渓を」の想いが、更に強くなっていた。

 釜石に住んでいた従兄弟から「道路は、もう大丈夫」と教えられたこと、更に三陸鉄道南リアス線の開通を知り、「三陸鉄道南リアス線に乗りに行くんだ」という大義名分を得て、若い頃の想いを果たすべく、旅路についた。

 往路は、新東名、東名、首都高、東北道、釜石道を経て、釜石に向う事にした。

 せっかくなので、新東名を全線を走ってみようと思い、平成26(2014)年5月24日午前2時頃に家を出て、東名豊川ICから、三ヶ日JCTを経由して新東名を入った
  以前、どこから富士山が見えるかと清水JCTまで走った時は、見える所がなかったが、何処で見えるのか楽しみだった

   
 新東名清水PA手前で富士山のシルエットが、確認できた。  御殿場JCT直前では、上り車線なので左手にくっきり富士山が見えた
 (画像中央に微かに見える)


 首都高速に入るか?、否かは、計画段階でおおいに悩んだ。しかし、東名東京ICの先にある首都高の大橋JCTから首都高中央環状線が、完成していることが確認できたので、この首都高中央環状線を使い、板橋JCT、江北JCTから首都高川口線に入り、東北道へのルートに決定した。

 6月末には、東名海老名JCTから中央道八王子JCTを結ぶ首都圏央道が開通する事を知っていたので、このコースで八王子と、国分寺に引っ越して間のない知り合いを訪ねたかったが、日程が調整できなかった。このような旅に出かける時、可能な限り友人を訪ねる様にしてきたが、今回は叶わなかった

 以前の様に首都高都心環状線まで入るならば、帰路のコースを逆に西から東へ走るつもりだったが、この首都高中央環状線経由にした。釜石までを考えると約100Kmも短くなる。実際に走ってみると、まず大橋JCTでのループに驚かされ、地下トンネルから地上に出るとすぐ板橋JCTに差しかかり、右折で東北道への案内がすぐに出て来る。そして、右から合流してくる首都高速5号池袋線合流車線に向かって左車線から右に寄って、板橋JCTの東北道方面に斜めに走行しなければならないのは、田舎者にとっては怖かった。


 途中、毎度のことでほとんどのサービスエリアで休憩をとり、眠くなれば後部にベニア板で作った超簡易ベットで暫しの仮眠を取りながらの走行
 (その為、高速道路での平均速度は、時速50km位になっている。)

    
 東北道安達太良サービスエリアにある自販機           同駐車場でのモービル
 ジュースを買うと「シュワッチ」とウルトラマンがお礼を言ってくれる



   
 釜石道を出て、遠野市の市街地を抜けた所にあった地吹雪対策の防護策。シーズンではないので折り畳まれている。
 これは、以前に竜飛岬に旅をした時、五所川原付近で同様の物を見ていたので直ぐに判った。住んでいる我が地方では、想像がつかない代物!。


 途中、若き日に仕事で釜石鉱山に行く為に降り立った駅のJR釜石線の陸中大橋駅に立ち寄った。よく見るとあれは当時の物だろうなと想われる構造物が、昔の面影を微かに残していた。

 釜石鉱山は、もう鉱石を採掘していなくて、大峰山の地下600メートルにある坑内に湧き出る、自然の恵みの『仙人秘水』を生産販売するようになっていた
 冬、補助の暖房として机の下の電球で暖をとっていた事を思い出す。坑道の中なので火の気は当然ご法度!。



   
  横断幕の様な看板の下のコンクリートの構造物はそのなごりのはず?
  昭和47年頃この駅に降り、釜石鉱山に入った事を想いに浸り、釜石に向かった


    
 2車線で市内中心に向かうのが、対向は1車線。出勤時に混雑?  三陸鉄道釜石駅



  
 2011.3.11の東日本大震災の津波の冠水高さが、表示されている  南リアス線 釜石発6:55に乗車(予定より、4時間も早い!)

 この列車に乗る乗車券の自販機が、鍵の掛かった向こう側に見えるのでどうして買うのか解らずいたら、出勤するらしい方から車内で買えることを教えていただいて、安心して駅構内に入った。

 たまたま、隣あわせに座ったので何となく世間話を始めたら、道路トンネルを掘削するジャンボを運転していると知った。思わず、40年ほど前は、削岩機メーカーに勤務していたことを話し、今は、油圧削岩機だけど、私の頃は圧縮空気の削岩機だったこと、当時、ドイツ製の油圧削岩機のテストに関わっていたことなどに話題の花を咲かせた。彼が九州佐伯の出身でトンネル工事に2年から4年位で全国の現場に赴任していると聞き、2010年10月に津久見の鉱山見学会に出かけた折りに佐伯にも寄ってきましたと思わず入れ込んで話をしました。

 彼の工事の安全を、私の旅の安全をお互いに祈念して、私たちは、彼に勧められた恋し浜駅まで乗ることにして、最初に折り返そうと考えていた吉浜駅で彼と別れた。(東海環状道の豊田付近のトンネルも掘ってきたとも言っていた)

 ジャンボとは、飛行機で有名なボーイング747ではなく、トンネル掘削時にダイナマイトを装填する穴を切り羽に掘削する機械のこと。自在に移動できる複数のアームに削岩機が、搭載されている機械でトンネルドリルジャンボと呼ばれている



   
 ワンマンカーなので料金箱が、設置されていた          鉄ちゃん達のビデオカメラ(吸盤で窓に吸い付かせてある)



   
  この恋し浜駅で戻りの列車を待った。 手前の鐘は、恋し浜駅の「幸せの鐘」



  
 恋し浜駅待合室中の無数に掛けられているホタテ貝の殻に書かれた絵馬  想いは......?。



   
  三陸鉄道南リアス線 盛駅                      JR盛駅


 出張で来た時は、釜石からバスに揺られJR盛駅からタクシーで小野田セメント(現太平洋セメント)の鉱山に出向いた。
  この鉱山は、現在も稼働していのたで、ここから海岸線を離れ、鉱山を見てみようと国道107号線で山側に入った。この鉱山は、鉱石の搬出は、鉄道を主としているので道路にダンプカーがあふれることはなく、また案内もなかった事から大船渡鉱山への道路を見つけられなかった。

 当初の予定走行経路は、この盛駅から大船渡市街に入り、さらに国道45号線で陸前高田、気仙沼、本吉まで海岸線を走り、本吉から国道346号線で山側に向かい、456号線を経て、宿の館ヶ森ホテルに泊まり、次の日の午前中に猊鼻渓に入る予定だった。三陸鉄道南リアス線に乗車を予定より4時間も早く乗れた事から、急遽予定を変更し猊鼻渓にハンドルを向けることにした。

 結果、国道107号線、国道340号線、国道343号線で、海岸線を走ることなく大船渡、陸前高田の山側を経て、猊鼻渓に向かうことになった。



   
   名勝 猊鼻渓 の石碑                      途中にある神社(賽銭箱は、入りやすい用に傾けてある)


  
  登り側                                     下りでパンフレットにある断崖
  この景観を観たくてはるばる三河の国からのドライブ
 2枚とも画面に入りきらないので複数枚の画像を重ねた画像処理をしている

 前述の用に平成10年に訪れた九州の高千穂峡を観てから、北の渓谷として観たかった。また、平成9年の青函トンネルの帰りに中尊寺にお参りした際にこの猊鼻渓に行こうとしたが、会津若松で人に会う為に、時間の余裕がなく諦めたことも思いにあった。

 高千穂峡は、手漕ぎボートで楽しんだが、船頭さんの竿での渓谷めぐりは、また別な趣が有り、ゆったりと景色を楽しめた。この猊鼻渓と高千穂峡とは、似て非なる渓谷で、それぞれの趣が有ることが良く判った。そして、次の厳美渓もまた別な趣がある。
 堅い事を言うと地理学上からの興味も大いにあり、こうした地形を観ることで太古の時代からの悠久の時間の流れを想う事もある



 猊鼻渓から平泉の中尊寺までは、20Km程なのでまたまた中尊寺に向かった。
   
 中尊寺売店にある瓶コーラと瓶牛乳の自販機 平成9年青函トンネル見学の帰りにも立ち寄った時にもあり、娘がびっくりしていたを思い出す。
 当時と同じ自販機か、どうかは不明だがとにかく瓶の自販機である



   
 中尊寺本堂の山門                       金堂(実際は覆い堂の中に金堂がある)



 中尊寺を訪れ、まだ時間があったのでもう一度厳美渓に行ってみようとハンドルを切った

   
 厳美渓の上流                      岩の小さな凹みに入った岩が、激流で回転して、大きな穴にする


   
 厳美渓の下流                       向かいのダンゴ屋さんにこの板を叩いて知らせる(売り切れだった)


 厳美渓は、以前に訪れた時と大きな変化はなく、東北大震災の影響をあまり受けていないことを感じじた。
 
 
  中尊寺拝観し、厳美渓から館ヶ森高原ホテルへのコースを宿に訪ねると県道の何号線云々と地図をみてもさっぱり解らないので、勝手に地図から判断して、一関駅から国道284号線、456号線を経由したコースで宿に向い、陽が落ちる頃に宿に入った。



   
  この展望が、360度に展開 夜空の星の数は、???。   宿の玄関前で
 宿からの高原の眺望は、素晴らしく曇りではなく、晴れていたらなあーと思わずつぶやいた。

 明日は、次の宿のいわき市郊外の玉山温泉に向かう為の約300kmの走行が待っている。


 5月26日午前9時頃にこの館ヶ森高原ホテルを立ち、途中にあるいわき市小名浜の「アクアマリンふくしま」目指して出発した
 
 東北道国見サービスアリアで給油した時、こんな案内をサイドミラーに掛けてくれた



   
 2度目のアクアマリンふくしまに到着 大震災からの復興の様子も見たかった。 アクアマリンふくしまの全景
 前回、工事中だったビオトープが、津波の被害を受けたことをニュース映像で見て知っっていたが、今は復旧し、完成していた 


  
  エトピリカ 水中の足は忙しく動いていました(静止画では、判らない)


   
 とどのあくびではなく、遠ぼえ中(館内に響くでっかい声でした)  こいつの遠ぼえで、体長3m超え


    
 キンメもどきの生態(でっかい固まりに見える)          哺乳綱の中の霊長目ヒト科ヒト属です


    
  空中を泳ぐ鯉のぼりならぬ、鰹のぼり 口先に送風機があった  仲良く並んで泳がされている

 かなり復興していたが、数年前に訪れた時とはその雰囲気が何か違い、寂しさを感じたのは否めなかった 


 ふくしまマリンランドから約1時間、約25km北にある思い出の玉山温泉に向かった。

   
 昭和47年頃この奥にある八茎鉱山に出張に来て泊まった宿  出張で入った八茎鉱山跡(廃業していたが、坑道はどうなったんだろう)
 昔からの湯治場と聞いている

 数年前に来た時、30年位前に仕事でよく来ましたと言ったら、若女将は、まだ嫁いで来ていませんでしたと言われたことを思い出した
 この八茎鉱山には、新幹線2時間30分と常磐線特急3時間、東京駅18番ホームで降り上野駅18番ホーム乗車を30分で乗り継ぎ、日帰り出張もさせられたお客さん(この時は、当時の平駅からタクシーで入った。トラブル解決の打ち合わせなので、片道6時間、客先には、1時間程しか滞在できなかったが、トラブルの解決には、顔を合わせて話す事の大切さを学び、以後、この出張をを教訓としました)。

 この宿で昔の思い出に浸って、帰路に着きました



 
 一夜明けて、玉屋旅館をを出発し、八茎鉱山に来たときに降り立ったこの四ツ倉駅で寄ってみた。当たり前だが、すっかり様変わりしている


 帰路は、常磐道、北関東道路、北信越道、長野道、中央道、東海環状道、東名を経る予定だ


 常磐道いわき四倉ICから長野道松本ICまで約430Km、長野道松本ICから東名音羽蒲郡ICまで約230Kmの合計約660km程なので一気に家に帰る事もできる距離だが、相変わらず各サービスエリアで休憩を取りながらの走行で松本に日暮れ前に着くことができる見通しになった。

 そこで、国宝の松本城、黒部ダムの突堤までならゆっくり回れるはずとして、松本市内に宿を探す為に松本ICで下り、松本駅に向かい宿を探した。駅前のロータリーで迎えに来ていたあるホテルのマイクロバスの運転手さんに尋ねたところ、松本城には別のホテルの方が近いから、このホテルを尋ねなさいと別なホテルを紹介された。そのホテルは、松本城まで5分程の所で、翌朝、ホテルの駐車場にそのまま駐車させて貰い、松本城を見学した。


   
  国宝の松本城 堀の外から               城郭の中


   
  展示されている鯱                        国宝の証明


 1時間ほどで松本城を後にし、長野道を安曇ICまで戻り、約50Km北の黒部ダムへのトロリーバスに乗車する扇沢駅へ大町市経由で向かった。



 扇沢に着いて、トロリーバス乗り場に向かうと、もうすぐ発車します。今なら間に合いますよと案内され、12時30分発のトロリーバスに飛び乗った。
 約15分の間、黒部ダム、この関電トンネル、トロリーバスのガイドを聞き、黒部ダム駅に着いた

   
 扇沢駅からトロリーバスに乗車 50周年の案内がある トロリーバス黒部ダム駅


   
 黒部ダム突堤の全景                    立山のはず(?)

 黒部ダム駅で展望台へ上り220段、ダム突堤へ下り60段の案内があり、当然展望台への登り220段を登った。別ページに紹介したように私の足は、黄色靱帯骨化症の為、かなり衰退しているが、この位ならと思ったのが甘かった。何とか登り切ったが、改めてその衰えを思い知らされた。
 そのかい有って、展望台からの景色は、すばらしい晴天と相まって紺碧の青空、ダムと緑と残雪を抱いた雪山との景色を堪能した


   
 黒部ダム湖                        正面は、赤牛岳(?)
 素晴らしい青空が、迎えてくれた。写真を撮っていたらツアーガイドの方にこんな天気の日は、この時期では月に2〜3回しかなく、今月は6回来ているがこれだけの天気は、今日だけですと教えて貰い、日頃の心掛けと気を良くしてこの黒部ダムをあとにすることができた。


   
  運転手さんは、女性だった               残り2台だが、数台の縦列で運行している

 14時16分扇沢駅着のこのトロリーバスで扇沢に戻り、家路に着いた。いつか、この立山黒部アルペンルート全線を縦断してみよう思っている
  (このトロリーバスは、平成30年21月1日もって廃止され、翌平成31年4月15日からは、電気バスにバトンタッチをしたそうだ。)


 午後2時30分頃に扇沢を出発し、長野道、中央道、東海環状道、伊勢湾岸道、経て東名音羽蒲郡を目指した。

 中央道の駒ヶ根サービスエリア、恵那峡サービスエリアで休憩をとり、日がとっぷり暮れた午後8時頃に娘と猫が待つ我が家に無事帰宅した

   
   Mac G5上に鎮座する猫 右下のモニターに写っている子猫画像が、我が家に居候となった時

  何せ、我が家から道路上800Km程の所への往復で3泊4日、総走行距離2252kmとそれなりに走行した。夕方のコンディションのよい頃、お馴染み局、豊橋のローカル局とのQSOも、疲れを癒してくれる。ワッチ周波数ドンピシャリで呼ばれると毎度の事ながら一種の感動を覚える。昼間は、2、3エリアの信号を感じるがとてもQSOできるレベルではない。夕方から午前0時頃までと朝日が昇った午前7時位が、3,5MhzモービルのQSOチャンスで、高速道路、水辺の近くは格好のロケーションです


 各局にQSOをいただきましたこと感謝申し上げます。癒されました!



  仮眠をする後部のベットの様子

   
 定尺のベニア板のタイヤハウス部分を切り欠いてある   キャンプ用のシートを敷いてベットの完成

 前の車の時は、後部シートが分割できなかったので定尺板のままだった



                                        
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