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************* 昭和43年 春期大垣合宿 ****************

********* 昭和43年 夏期和歌山市方合宿 *************

残念ながら私は、写っていない。中津高校の合宿に指導に出かけていた
 学連理事長の水野先生から、「合宿は、どこでするのか?」声をかけられて、「大垣」ですと答えたら、「見に行くよ」と言われ、本当に来ていただいたことには感激した。後日、水野先生に何故訪れようと思った訳を失礼を省みずにお尋ねし、聞かせていただいた言葉は、私の生涯の「座右の銘」とさせていただいている

当時では珍しいカラーの写真
 高学年が、円陣を組みエール、1年生が見学

********* 昭和44年 夏期小松島市合宿 **************

私は、教育課程の集中講義の為に最後までいなられかった。初めて徳島から大阪のフェリーに乗船し、エンジン音のやかましさに寝付けなかったことを思い出す。
 合宿の中日項、丑三つ時に地震に襲われ、2階で宿泊していて、いっせいに階段から逃げようとして転んだ者も何人かいたと思う。と言う私は、窓際に寝ていたので窓に座って見ていた覚えがある。
 宿の計らいで「阿波おどり」を堪能させてもらった。信愛の子達が、阿波おどりではなく、はやりの「ゴーゴー」ふうに踊っていた。

昭和43年卒業で、唯一の田村先輩
 現在は、画壇で活躍され、名古屋近辺でも毎年個展を開いておられると聞いている
 インターネットに依ると

  田村勉 −春陽会会員−
テニスで鍛えた、若々しい田村先生。
10年毎年、個展をお願いした。毎日、5分でお弁当を食べ、会場では1日中立ったままで決して座らない。

と、紹介されていた
(早飯は、当時のままか? 1回生は、自分が食べ、先輩の給仕をしなければならない。これが、癖になりこの癖が抜けない

合宿を終わり帰路に着いて電車発車前の一こまか?

       2年の諸君
  4年田村さん、3年 大塚、白井

とにかく エール 
これをしないと始まらないし、終わらない

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記録では昭和42年8月20〜29日とあるが昭和43年ではないか?

 当時、近くに住友金属の製鋼所があり、夜空が夕焼けのようになっていたことを思い出す
 打ち上げは、海岸でのキャンプファイヤーだった。宿舎の湯船が小さくてゆっくりと風呂に入れなかった

恒例の集合写真