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ワッフルと木苺の幸せ


 お昼も済んだお休みの日。計量カップを抱きしめて、ぽかぽかしてる廊下を歩く。近頃ずっと寒かったけど、今日は久しぶりにいいお天気。インディアンサマー。せっかく理樹くんと一緒にいられるのに、なにかしてないと眠っちゃいそう。
 目指しているのはクーちゃん&かなちゃんのお部屋。理樹くんにお菓子をごちそうしよー! と思ったら牛乳がなくって、分けてもらいに行くところだった。
 こんこん。ドアをノックする。
「こまりでーす。今おっけーですかー?」
 お部屋の中からパタンパタンと音がした。
「はーい。今出ますよー」
 クーちゃんの声だった。
 よかった。だいじょうぶなのかな?
 私はそう思って、ノブをかちゃんと回す。
「あーっ! いけませんっ! ダメです!」
 そしたらいきなりクーちゃんの声。
 ほぇ、なんだろ?
 そう思ったらバーン! と何かが飛び出してきて、床と天井がひっくり返った。
「ほ、ほわああああああ!?」
 ごつんとお尻をどこかにぶつけてすごい痛い。私の上に重たいのが乗っかって、それからヌルヌルのがほっぺたを撫で回してくる。
「うぇいと! ストレルカ、うぇいとなのです!」
 クーちゃんの声がして、重たいのがどく。
 目を回した私に、小さくて白い手が差し伸べられた。
「だ、大丈夫ですか、小毬さん」
「う……う〜ん、だいじょ〜ぶだよー」
 お尻をさすりながら、なんとかそれを掴んで身体を起こす。なんかもう、すんごい怖かった。
 立ち上がった私の背中を、クーちゃんがパタパタしてくれた。
「すみません。今日はストレルカのお風呂の日でして……なんだか興奮しちゃったみたいで」
「だ、だいじょーぶだよ。私もお風呂好きだもん」
 しょげるクーちゃんの足元に、ストレルカがベロを出して座っていた。
 クーちゃんがストレルカと一緒に、中に入れてくれた。
「じゃあ、ラップかけておきますね」
 玄関のところでスカートの皺を伸ばしていたら、クーちゃんが牛乳をたっぷり注いだ計量カップを持ってきてくれた。
「ありがとー。ごめんね、急に」
 いえおかまいなくー、と言ってクーちゃんは笑った。
「お菓子ですか? 小毬さん」
「そう。ワッフル作るんだー。できたらクーちゃんとかなちゃんにも持ってくるねー!」
「わふっ、ワッフルですか?」
 ワッフル、と聞いたクーちゃんの目がくるりと輝く。うん。甘いお菓子は女の子の憧れだもんね。サクサクしたきつね色の、可愛いチェックのあま〜いお菓子。
「通信販売でね、焼き型買ったんだ」
 ちょっと高かったけど。
「あ、それならいいものがありますよ! ちょっと来ていただけますか?」
 クーちゃんはそう言って部屋の奥に引っ込んでしまう。私も上がらせてもらって、なんとなく抜き足差し足でマントの背中にくっ付いていった。
「ジャムがたしかここに……」
 しゃがんで、クーちゃんが机の引き出しを探し出す。かなちゃんのベッドに座ったヴェルカが、キラキラした目でこっちを見ていた。
「もしかしてこの前のマーマレード?」
 私はそう言って、甘くて、オレンジの皮の苦味と鼻に抜ける香りを思い出す。お茶と揚げたてラスクとお日様の匂い。
「すみません。前食べたのが最後だったのです……マーマレードがよかったですか?」
 クーちゃんは私のほうを見て、悲しそうに眉毛を寄せた。
「ううん。クーちゃんのジャムはどれもおいしいもん」
 クーちゃんはそれを聞いて、もじもじしてから、また引き出しの中のカンカンを探しだした。
「わふっ、ありました、これですっ!」
 そう言って布に包まれた瓶を差し出す。透明なガラスの中に、濃い赤色をしたつぶつぶのジャムがたっぷり詰まっていた。イチゴ……じゃあない。ブルーベリーよりは、赤みが強い。
「あ、もしかして木苺?」
「はい。おじい様とハイキングに行ったとき摘みまして。我が家の味なのです!」
 クーちゃんはそう言って、えっへんと胸を張った。
「ですが……作ったのは私なのです」
 そしてすぐに、しょんぼりして瓶をみつめた。
「これクーちゃんの手作りなの?」
「はい。一応。私のお母さんも、おばあ様も、得意だったそうです。おじい様も、お父さんも、大好物で、だったら私が、と思いまして」
 クーちゃんのおうちのことは聞いていた。悲しいお話だけれど、それでもクーちゃんは、元気に学校に通って、おじいさんとも仲が良くて。だから、よかった。
「開けていい?」
「お願いします。小毬さんに見ていただこうと思ってたのですが、機会がなくて」
 私は手に力を込めて、アルミの蓋をゆっくり回した。
「どきどき……」
 蓋が開いたとたん、爽やかな甘酸っぱい匂いが広がった。
「わぁ……」
 そんな声が出た。ふかふかなワッフルの網目にたっぷり乗せて、パクッと頬張るところを想像する。生地の温かい甘さとひんやりしたジャムの酸味。やわらかくてシットリしたワッフルとつぶつぶの種の食感。間違いない。これはおいしいよ。
「食べてみてくれますか?」
 私は頷いて、小指を瓶に伸ばし、少し掬って口に運ぶ。
「……どうでしょうか?」
 口にした瞬間、甘みが広がる。舌の上をころころした種の感触がしたかと思うと、喉を通るときにはさっぱりした酸っぱさになってすっと落ちていく。
「うん、とってもおいしいよ!」
「ほんとですか! よかったですー!」
 クーちゃんは手を叩いて喜んで、ストレルカに抱きついた。思わずクーちゃんが見てないところでもう一回、食べる。これがクーちゃんの家庭の味かぁ……とってもおいしい。
「貰っちゃっていいの?」
「もちろんですとも! どうぞどうぞ!」
「じゃあ、私もワッフル作ったら絶対持ってくるから、待っててね!」
「佳奈多さんのぶんもお願いしますね!」
 私は玄関に歩いていく。両手にジャムと計量カップ。強力粉と薄力粉、お砂糖ふるって、お塩とイースト、卵とミルクと溶きバター。よーく混ぜて、しばらく寝かす。生地がおっきくなったら、ワッフルメーカーを温めて。
「あ、あの……」
 背中に声をかけられた。
 私が振り向くと、クーちゃんは俯いていた。影になって表情はよく分からなかった。
「リキに、よろしくです」
 顔を上げたクーちゃんは笑っていた。私の目をまっすぐ見て。
 廊下には傾いてきた日差しが入り込んで明るかった。光の筋が窓から床に向かって落ちていた。
「……うん、ジャムの感想聞いておくよ〜!」
 私も笑って、そう答えた。


「ただいま〜」
 ドアを開けてあいさつしても返事がない。中に入ってみたら理樹くんは毛布を抱きしめて眠ってしまっていた。
 テーブルの上に牛乳とジャムを置いて、私はそろそろとベッドに近寄る。いつもの病気……じゃ、ないよね。治ったって言ってたし。
 自分のベッドで男の子が眠ってる。私がいっつも使ってるお布団を、理樹くんが抱きしめてる。
 ほんとなら、恥ずかしいはずなのに。
 ベッドに手をついて理樹くんの顔を覗き込もうとすると、バネが軋んだ。
 長い睫毛にスベスベのほっぺ。小さくて優しい寝息。大好きな人の顔。そうして見つめていると、時間なんか忘れちゃいそうで、幸せで。
 薄い唇の端からよだれがこぼれそうになっている。私はそっと指で拭おうとして。
「ん……小毬さん?」
「ほわぁっ!?」
 びっくりして慌てて離れる。そしたら手を突こうと思ったところにベッドがなくて、そのまま床にひっくり返ってしまった。どしんをしりもちを突いて、その拍子に、ゴチン、と後ろ頭をテーブルにぶつけた。どっちもすごく痛い。
「ご、ごめん……大丈夫?」
 理樹くんがベッドの上から身を乗り出して、覗き込んでくる。すかさずスカートを押さえた。
「あはは、だ、だいじょーぶだよ〜」
「ならいいんだけど……牛乳貰えた?」
「あ、うん! 今から作り始めるから、理樹くんにも手伝ってもらおうと思って、あの、理樹くんの寝顔見てたとかじゃなくてね?」
 私は立ち上がって、テーブルに向かって座った。えっと、レンジはないから、まずカセットコンロで牛乳を温めて、それから。
「僕はなにしようか?」
 私の隣に理樹くんが降りてくる。
 って、なにしようかって、なにも考えてなかったよ……うーんと。
「じ、じゃあ、お砂糖と小麦粉を、ふるいにかけてもらえますか?」
 ボウルとふるいを差し出す。
 理樹くんは頷いて、大真面目な顔をして袋をあけて、ぱさぱさぱさとおっかなびっくり網をゆすった。その横顔が、やっぱりカッコイイな、と思った。
 好きな人と一緒に並んでお菓子作り。本当に幸せ。本当に幸せで、なんだか怖い。
 だからいろんなことを考える。
 あんなことがあって、もしかしたらみんな、いなくなっちゃうかもしれなかったのに。もし次、あんなことが起きたら、どうしよう。とか。なんで理樹くんは私に告白してくれたんだろう? とか。
 私じゃなくて、もっと可愛い子だって、料理が上手な子だって、いるのに。ぐるぐる。おなべをかき回す。ぐるぐる。
「……小毬さん? 牛乳、大丈夫?」
 ハッとして目を開けたら、牛乳がふつふつ沸騰しそうになっていた。慌てて火を止める。
「ご、ごめんね、ありがと〜……」
「ううん。今日みたいな日は眠くなっちゃうよね。僕も寝ちゃったし」
 理樹くんが笑う。つられて私も笑う。
「このくらいでいい?」
 綺麗な、真っ白い粉がいっぱいに積もったボウルを、理樹くんが傾けて見せる。
「……うん。そこにお塩と、イーストと、牛乳と、溶き卵と、バターを入れて、混ぜるの」
「へぇ、結構大変なんだね」
「今日はちょっと本格的なやつやってるんだ」
 せっかくだから、温めすぎた牛乳で湯せんしてバターを溶かそう。
「小毬さん、いいお嫁さんになるね」
 手が滑ってバターが牛乳に落ちた。
 ぽちゃん、と音がして、黄色い膜が牛乳に広がる。
「わあああん! 理樹くんが変なこと言うからあああ!!!」
 私はお玉を持ってきて、上に浮いたバターを掬い上げた。慌ててお茶碗に油を取るけど、それでもふちの方に黄色い油が残ってしまった。
「ごっ、ごめん、これ大丈夫?」
 理樹くんは困った顔をして、おなべの中を覗いた。
「……たぶん、これくらいなら大丈夫」
 最後には全部混ぜちゃうしねと笑ったら、理樹くんは落ち込んだ顔をして、
「寝ぼけてたのかな。なんか。変なこと言っちゃって、ごめん」
 と言った。私は笑って、ワッフル作りを続けた。
 生地を捏ねながら、また考えた。
 上手くできるかなって、最初に思う。失敗しちゃったりしないかな。理樹くんを残念がらせちゃったらどうしようって。
 それから、理樹くんの言ったこと。
 理樹くんは「変なこと」って言った。
 変なこと? 私がお嫁さんになるってところかな。
 ……それって、変なことなのかな。私がお嫁さんになるのは変なこと?
 ちょっとだけ胸が痛んだ。理樹くんは本当は、私のことなんてなんとも思ってないのかもしれない、なんて考えて、怖くなった。
「小毬さん、寒いの?」
 ほぇ? と振り向くと、理樹くんはちょっと迷って見せてから、上着のボタンに指をかけた。
「りっ、りりり理樹くんっ! どうしたのいきなり!?」
 私は慌てて、ベタベタの手を振り回す。理樹くんの制服に、生地が跳ねて白い跡が付いてしまった。
「大丈夫だよ」
 そう言って、理樹くんは私の肩に上着を羽織らせる。
「ワッフル、続けて」
 言われるまま、私は生地を捏ねた。理樹くんに背中から抱きしめられるみたいな格好になった。温かくて、ポカポカした匂いがした。
 胸が、もっと強く痛くなった。
 誰が理樹くんのお嫁さんになるか、まだ誰も知らない。理樹くんだって、まだ知らない。そのことが怖くなる。
「変じゃ、ないよ」
 手が止まっていた。気がつけば、私はそんなことを口に出していた。
「え?」
「理樹くん、なにも変なこと言ってないよ」
 わがままだなあ、と思う。理樹くんを困らせちゃうだけかも知れない。それでも、止まらなかった。私は理樹くんを独り占めしたいだけなんだ。
 喉がカラカラに渇く。確かめないのは怖くてたまらなくて。でも、確かめるのは、もっと怖くて。どうしよう、と思う。泣きそうになった。
 みんなが元気に、幸せに暮らしました。じゃ、足りないんだ。
 そうなっても、私は幸せになれないかもしれない。きっとそれだけじゃダメだったんだ、私には。そんなことを思ってしまう自分も怖かった。理樹くんと会ってから、みんなで修学旅行に行ってから、ぐるぐると嫌なことが心の中を行きかう。怖いものばかり見えてしまう。でも、遠くは霞んで見えない。どうしたらいいんだろう。
 ドロドロなのも構わないで、肩に置かれた理樹くんの手を握った。生地の甘い匂いがした。理樹くんの手が、ゆっくり動いて私のおなかに回った。
 本当に温かかった。包まれているだけで幸せな気持ちになった。なんだか分からない怖さを和らげてくれる、私が見つけた大切なもの。
「理樹くんのお嫁さんになら、頑張ってなれるよ」
 それでも、そこまで言うのが精一杯だった。
 理樹くんは私のこと、どう思う?
 聞こうと思っても、言葉にならなかった。顔が赤くなっていくのが分かった。逃げ出してしまいたくなった。
 そこに理樹くんの声がする。優しくて、力強い声だった。
「小毬さんなら、頑張らなくても、きっとなれるよ」
 私は振り返って、あとで洗濯するから、と謝りながら、理樹くんに抱きついた。


 出来立てのふわふわワッフル。レモンティーを淹れてお皿に並べる。ちょっと生地を寝かせるのに時間がかかってもう晩御飯だった。
 理樹くんはご飯を抜くことを伝えに学食に行ってくれてる。私は一人、場所を移した理樹くんの部屋で待っている。
 理樹くんが戻ってきても少ししたら真人くんやみんなが来るから、理樹くんと二人っきりになれるのもあとちょっと。
 それから、女子のみんなでお茶会の約束。
 早く帰ってこないかな。ワッフルは焼きたてが一番なんだけど。
 ぐぅ〜、とお腹が鳴った。安心しちゃったせいかもしれない。焼きたてのお砂糖の匂いがする。
 うん。もう我慢できなかった。
 ジャムの瓶を開けてスプーンで小さじ一杯、ワッフルの網目に乗せた。大きく口を開けてあむっ、と頬張る。木苺のフレッシュな香りと、バターたっぷりのワッフルの濃い目の匂いが、口の中で一つになる。ぐるぐると甘みと酸っぱさが行ったり来たりする。うーん、幸せスパイラル。
「ごめん、待った? 真人に捕まっちゃってさ……って、小毬さん?」
 最後のひとかけらを、大きく開けた口に入れようとしたところに、理樹くんが帰ってきた。喉の奥までばっちり見られた。
「こっ、これはその、決して我慢できなかったとかじゃなくてですね、そう、味見! ちゃんとできてたかどうかの……」
 想像をしてみた。
 理樹くんのお嫁さんになったときのお休みの日。私がワッフルを焼くのを理樹くんが見守ってる。キッチンにいるのはだけど二人っきりじゃなくて、だけどきっと、今みたいに幸せで。
「ほらっ、理樹くんも食べてっ! クーちゃんのジャムたっぷりだから!」
 ジャムが山盛りのワッフルを固まってる理樹くんの口元まで一目散に持っていって、押し込む。
 もぐもぐむしゃむしゃ。理樹くんが食べるのをじっと見る。
「おいしい?」
 ちょっと居心地悪そうに飲み込んでから、理樹くんは言う。
「……うん。ジャムとピッタリだと思う。おいしいよ。……お茶ある? ちょっと詰まっちゃった」
 私は慌ててポットに走ってレモンティーを注ぐ。
 カップは温かくて、甘い湯気を立てた。






あとがき


 世にゆう75,000ヒット記念SSである。嘘。本当は70,000ヒット記念のつもりで68,000くらいから準備してた。12/28日現在で78,742ヒット。
 特に言うことはない。
 言うことはないけど、あえて言うなら、乙女コスモがたりない!

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