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楽しいは正義


「ハンマープライス!!」
 マックスさんが拳を突き上げ、取り囲むギャラリーが沸いた。ダイスケさんが年甲斐もなく何度も何度もガッツポーズをしてみせる。
「お取引は裏手にてどうぞー」
「周囲からの横取りにはご注意くださいー」
 看板のケンが二人にそんなことを言うが、意味はよくわからない。案内に従って、セシリアさんとダイスケさんが裏へ消えた。
「さて、次の出品者は……いないのか!? いなければ今日はお開きだ!」
「えっと……それじゃあ私から」
 マックスさんの大げさな煽りに乗せられて、というわけではなさそうで、アリンさんがおずおずと手を挙げた。
「それでは、アリンさん。前へどうぞ!」
 ギャラリーの合間を縫って、アリンさんがマックスさんの隣に立った。すこし困ったように顔を赤らめているのは、なにもマックスさんが側にいるからだけではないようで、
「出品するアイテムはなんですか!?」
 と聞かれて、アリンさんはもったいつけてから、ギャラリーの盛り上がりに合わせるように、高らかに宣言。
「いぬみみヘアバンドです!」
 そして熱狂。BLの浜風が加熱しながら、人々の間をすり抜けていく。燦々照りの太陽も、今日一番の興奮を後押ししている。
「最後に大物出た! 開始価格と入札単位をどうぞ!!」
「100kから1k単位でお願いします」
「強気の100kスタートだ!」
 それもそのはず、いぬみみヘアバンドといえば今をときめく人気のレアアイテムだ。競合必至。参戦しない野次馬にとっても、楽しい戦いになるに違いない。
 ましてや、その争いに身を投じようという人間にとっては。
「250!」
 私は高らかに挙手。ライバル達に戦う意思を示す。闘志なき者は去れ! といった感じの牽制だ。
「300!」
 すかさず割って入るは、クーちゃんだった。
「いきなり大台300だっ! 他無いか!」
 マックスさんの司会にも熱気が篭る。「おおおおお!」とどよめいて見せるはギャラリー。
「400k!」
 私はもちろん全面攻勢。このアイテムのため、今日まで貯金を続けてきたのだ。今着ているこの服も中古品だ。
「450!」
「500!」
 間髪置かず。私の声を聞き、手を挙げかけたセシリアさんが肩を落とすのが見えた。
「520!」
 手を挙げたのはまたもクーちゃん。競りが始まり一分足らず。戦いは一騎打ちの様相を呈するが、引く気はない。人ごみの中、クーちゃんと視線がぶつかる。その目からクーちゃんの気迫がうかがえた。
「530!」
 気迫で負けてはいけないと、必要以上の声量で私は入札。
「530きたぞ! もう無いか!?」
 無いわけはないのだが、マックスさん。
「すごい争いだ!」
 とダイスケさん。
「どっちも頑張れー」
 これは、完全に野次馬のピピン。ただでさえ混んでいるのに、この子はなにをやっているのか。
「さぁ、カウント始めます!」
「630!」
 マックスさんの宣言と同時。よく通る、ピンと張った金属線のような声だった。
 その主はセシリアさん。
 勝ち誇ったように、右手を突き上げた。その手が揺らいで見えたのは、セシリアさんの全力だからか、それとも揺らめく陽炎のせいか。
「630きたぁ!」
 ――ジュニBごときが、身の程を知りなさい。
 盗み見たセシリアさんの目が、そう言っていた。
 乱入者の突然の登場。無責任な歓声が聞こえる。そんなギャラリーの興奮を尻目に、思わず舌打ちが出てしまう。セシリアさんにはさっきの競りの収入があるのだろう。それを使って、最後の最後で引き離しにきやがったのだ。
 いきなりの100上乗せ。決めに来たのは間違いない。逆に言えば、これがセシリアさんの限度なのだろう。と思う。クーちゃんのケチくさい値付けを見れば、追加の声が掛かることは無さそうだとわかる。つまり、さらに入札すれば、
「カウント行きます! 5!」
 さらに入札。650以上で。
「4!」
 ――いくらなんでも、650は厳しいんじゃないか。
「頑張れーっ!!」
 ギャラリーのだれかが無責任に怒鳴る。
「3!」
 しかし、次いぬみみが出品されるのはいつかわからない。今日の結果を受けて、相場が600超えで固定されてしまわないとも限らないんじゃないか?
「2!!」
 でも、650は全財産だ。使ってしまえば、下手するとドルフの肩を叩くことになるかもしれない。足元の青いのを見る。もはや、私がくびにしてしまえば仕事はなかろう。それはさすがに可哀想なんじゃないか。だいいち、650なんて常軌を逸してる気がする。
 マックスさんのカウントがのろくなる。煽られ煽られ、自分でだんだん思考がおかしな方向に転がって行くのがわかる。なこと言われても。
「1!!」
 ああ、まずい、どうしたものか。
「負けんな、頑張れっ!」
 ――しかし、あのヘアバンドは可愛いだろ、常識的に考えて……っ!!

「「680!!!!」」

 クーちゃんと私の声がハモりながら、海岸の熱風に乗って響いた。



 ろくじゅうはちまんとんでろっぴゃくろくじゅういちぴーぴー。
 私とクーちゃん、それぞれの全財産であった。
「……それで、お互い引く気はないと」
 日も暮れたので、ということでギャラリーを散らしたマックスさんが、あきれたように尋ねる。私とクーちゃんはマックスさんの前で、互いに視線で牽制しながら、力強く頷いた。
「なこと言ってもねぇ。まさか同額ってんじゃ……」
 そう言って出品者のアリンさんを見やる。アリンさんはほとほと困っているようで、ちんまりと立ち尽くしていた。
「ちなみに、どっちに売りたいとか、ある?」
 そんな角が立つようなこと。マックスさんが尋ねると、びっくりしてアリンさんは首を振った。
「持ってるアイテム売って……ってのはルール違反だから除外するとして」
 マックスさんが黙ってしまうと、気まずい沈黙が訪れた。
 ドルフはくりくりとしたあわれっぽい目で私を見上げている。アリンさんはただ困ったように突っ立っていて、クーちゃんは薄着のポケットをさっきから何度も漁り、小銭がないか探している。悲しいほどのせせこましさだ。かく言う私は、小銭入れの中身を改め、数え間違っちゃいないか確認している。
 幾分冷めた潮風が、私の汗を乾かした。あれほど熱くたぎった太陽が沈んでいく。集まっていたギャラリーはとりあえずの解散宣言で散り始めているが、こちらを窺っている人も多い。
 いっそのこと降りようか?
 そんな考えが私の心に芽生え始めた。ドルフは可哀想だし、いぬみみだって別になくても構わないような気もする。いや、可愛いけど。欲しいけど。それでクーちゃんを見ると、なんとも複雑そうな表情で、同じように私の顔を窺っていた。初めて見るクーちゃんの弱気な、心細げな顔だ。
 ――この様子だと、むしろ、クーちゃんが降りてくれるかもしれない。
 そう考えるともうダメで、さっさと降りてくれと願うようになり、クーちゃんの視線もまた険悪さを取り戻していた。
 月が光り始めた。星が瞬き始めた。波がそういった光を浴びて、遠くで近くでキラキラと輝いている。夜風と呼んで差し支えない涼やかな感触が髪を撫でる。あの、今では名前も思い出せない、パンヤ島初のナイトコースを思い出した。今の飛距離とトマ精度なら、結構良い成績が残せる気がする。と言っても、PPが稼げないコースに用は無いわけだけど。そんなことを考えて、さらに時間が流れた。
 そして、アリンさんが口を開いたのだった。
「いいことを考えました!」
 この前振りから名案が生まれることなどあり得ない。が、それでも私たちは耳を傾ける。それしか道は無いのだから。
「ちょっと、ついてきてください」
 パン、と胸の前で手を叩き、アリンさんは笑った。

「それでは、ご説明します」
 クラブハウスで、アリンさんはノリノリだった。私とクーちゃんとマックスさんは訳もわからぬまま、イスに腰かけ、アリンさんの話を聞いていた。マックスさんは時間外の仕事ということでいくらかめんどくさそうだ。だけど、曲がりなりにも義務のあるマックスさんより、徒労感ばかりが残った私とクーちゃんの方が疲れているようだった。
「パンヤのもめごとは、パンヤで解決しましょう!」
 テーブルに肘を突いていた私とクーちゃんが、顔を見合わせる。
「ルールを決めましょうか」
 マジックのキャップを外し、嬉々としてホワイトボードの前に立つ。
「勝負はフロント18H対戦」
 ホワイトボードに、F18と書く。
「コースは、ICがいいですね」
 隣にIC。
「ほー、それで?」
 クーちゃんが急に楽しげに身を乗り出しアリンさんの先を促す。クーちゃんは根っからの好き者だ。この子はパンヤができればなんでもいいんじゃなかろうか、と思うこともしばしばある。
「以上です」
「ルールもなにも、まんまじゃないか!」
 律儀にツッコんでみせる。アリンさん相手なのに。
「ええ、まぁ、普通の対戦ですね」
 困ったようにアリンさん。クーちゃんは急に興を削がれたように、
「だいたい、普通の対戦だったら私がジュニBに負けるわけないだろ」
 そう言ってイスの背もたれを軋ませる。
 ……子供に煽られたからといって、腹を立てる私ではない。以前一緒にラウンドしたときも感心してばかりだったのを思い出す。今クーちゃんはアマチュアで、私はたかだかジュニア。それだけの力量差を考えれば、少々のぼせ上がってしまうのも分からないではない。
「ええ、どうしましょう……」
 アリンさんはクーちゃんの言い分をそのまま受け入れて、私がクーちゃんと対等に戦えるルールを探しているようだった。
「……そういえば、エリカ。おまえってかなり意外に金持ちだよな」
 マックスさんだった。ランクに似合わず。とでも続けるつもりだったのだろうが、そこで言葉を区切る。
「……はい。まぁ、PP稼ぎは好きなので」
「よし、じゃ、それでどうだろう」
「それ?」
「IC、F18H。普通対戦」
 名案だ! と言わんばかりにマックスさんは立ち上がり、声色を高ぶらせる。
「おい。それアリンの言ったことと変わってないぞ」
 今度はマックスさんにツッコむはクーちゃん。
 まぁ、最後まで聞きなさいとマックスさんがやんわり制し、アリンさんのキラキラした視線を浴びて、話を続ける。
「ただし、勝敗を決めるのは純粋に獲得PPのみ。これでどうだ」
 再びクーちゃんと顔を見合わせる。
「なんでそうなるんですか?」
 手を挙げて早速質問。
「勝ったら、その全額でいぬみみを買い取ればいいだろう」
 うん、名案名案。と部屋の中を歩き回りながら、しきりに頷くマックスさん。はい、名案です! さすがマックスさん! とばかりにキラキラした目でアリンさん。
 なんだって、そんな大金を払わねばならんのか。
 ICを全力でラウンドしたら、1k2kでは済まない。680kに比べれば雀の涙だが、18ホール周ってスッカラカンでは。
「ふん。ま、いいさ」
 とクーちゃんは乗り気のようだが、私にはだんだん馬鹿馬鹿しく思えてきたり。
「ジュニとやるのは気が引けるがな、いぬみみのためだ」
 意気揚々とイスを立ち、頬杖を突いた私を見やった。そして、鼻でせせら笑い、
「なに、心配するな。ハンデはやるよ。私は寛大だ。なにがいい? アイテムなしか? それともおまえと同じクラブセットにしてやろうか?」
 ――どこまで狙って煽ってるんだろうか。
「……いらないわ。サシで勝負よ」
 麻で編まれたイスを倒し、私は立ち上がっていた。



 IC。アイスキャノン。ご祝儀PPの大盤振る舞いで、金に飽かして人を集める人気コース。これの出現で、憂き目を見るようになったコースも数知れず。
 実際、殆ど私のホームコースと化している。クーちゃんも知らなかったみたいだけれど、私のこのコースのやりこみ具合はそうそう他人に引けを取らないと思う。なんたって、楽しい。スパイク一つでちょっとしたお小遣いが稼げるだなんて、素敵だ。スパイクトップが完璧に決まって谷を捉えたときなど感激する。
 そんなわけで、第1ホール。
「パニャーっ!」
 オナーはクーちゃん。カディエの正確なアドバイスもあり、さすがに道伝いに綺麗に乗せた。風向きなどからしてもベストな選択で、それを選ぶのに迷いがない。グリーン手前までオーバードライブ。ショートチップも狙える距離まで飛ばして、一息にPPを稼いでいく。
 手ごたえがあったのか、クーちゃんは小さく握りこぶしを作る。
 いきなりプレッシャーになった。
「OBになりそう」
 ドルフの呟きを黙殺。狙うは左で、トップスピン。目標はクーちゃん越え。
 テークバック。スイング。体重移動。
「パンヤー!」
 フックボールに綺麗な回転がかかった。そんな感触。
「クーよりもいいんじゃない?」
 余裕の顔でカディエが呟き、それでクーちゃんが眉をひそめる。ボールは側面に当たることもなく、スムーズに転がっていった。
 何度かに一回の好感触。思わずガッツポーズ。
「ほらっ、OBとかなに抜かしてくれちゃってんのよ」
 ドルフの頭をぽんと叩いて、私は先に歩いていく。
 しかし、いつまでたってもドルフの表情は冴えない。
「ナイスオン」
 パチパチ、と二人の拍手。最後のスピンの分、エッジからグリーンに乗る。ワンオンからイーグルの珍しくないホールとは言え、対戦では大きなアドバンテージになる。通常ならば。
 それでようやく、ドルフの眉間の皺の意味が分かった。私は思わず舌打ちしてしまう。
「どうした? まさかホールインワン狙いだったとか?」
 グリーンへ向かって歩きながら、クーちゃんが軽口。
「なわけないでしょ。……さっさと打ってよね」
 グリーンエッジすぐそばのラフ。クーちゃんはアイアンを手に取り、風を確認する。斜めの5mといったところだろうか。ビームは無理と判断したらしく、無難にトップで転がしていく。
「ないあぷ」
 クラブを振り回し、クーちゃんは無言で地面を蹴る。急傾斜を僅かに読み違えたらしく、カップに嫌われた。
「ほら、20yパットくらい沈めてくれよ」
 聞き流す。そして私は、カップに背を向けパターを構えた。隣から、クーちゃんの舌打ちが聞こえる。
 馬鹿馬鹿しい話だが、PP対決で馬鹿正直に理論値狙いというのが馬鹿なのだ。
 指を舐めて、慎重に風を読む。狙うは、その向きとカップが直線になるグリーンエッジ。
「ナイスパター」
 拍手をくれたのはドルフだけだった。カディエとクーちゃんは、特に興味もなさそうに、グリーンから退いて私のプレーを眺めている。
 狙うはビームインパクト一本。何百回と、それこそパターに匹敵するほど練習を重ねた打球だ。クラブを選び、アドレスに入る。ここからも迷わなかった。
 インパクトして、ボールが浮く。手ごたえは悪くなかった。
 カコ、という音を残してのカップイン。
「……縁に当たったね。ただのチップインバーディーかな」
 ドルフの言葉に、軽く右手を挙げて応える。クーちゃんを盗み見ると、本当になんの興味も無さそうに、さっさとショートパットを沈めてバーディーを取った。
「PP狙いじゃなくていいの? 意地張ってジュニアに負けたかないでしょ」
 次のコースへ向かいながらクーちゃんに言う。
「……なに、すぐに分かる」
 その言葉が強がりなのかどうか、私には判断がつかなかった。
 第2ホール。相変わらず強い風だ。それも右よりの向かい風。8mはあろうか。
 オナーはクーちゃん。風によってはホールインワンを狙ってもいいのだけれど、この状況ではすこし苦しい。
 それでもクーちゃんが手にしているのは、2番ウッドだった。ここでもベタピン狙い。まったくもって芸がない。
 ティーショット。大きく右に寄った弾道が、風で流される。絶妙のパワー調節だった。バックスピンも決まり、ピン側3ヤードに着けた。
「ナイッショーっ!」
 カディエがはしゃぐ。クーちゃんはそれでも難しく顔をしかめて、芝目についてあーだこーだとカディエに話す。よし、次はこう打ってみよう。とか。驚いたことに、クーちゃんはコース攻略のテンプレというものを持っていないのだ。舐めてる、とさえ私には思える。
 それでよく勝ってこれたものだとは思うが、それがアマチュアの実力か。顔に似合わず、驚きの正確さだ。いかにカディエが付いているとは言え脱帽する。
 しかし惜しいのは、このゲームがスコア勝負でなかったことだ。クーちゃんは見誤っている。
 この状況ならば結論はひとつ。
 カップもかなり手前。同じ狙い方でバックスピンに失敗すれば難しいポジショニングになるし、アイテムを浪費してまでアプローチするメリットもない。
 狙うはグリーン奥。風とカップが直線になる位置。グリーンオンすればそれでよし。傾斜はきついが、幾度と無く練習した場所だ。LPを沈める自信もある。
 アドレスからショットへ。保険のバックスピンが効いた。沈めてもおいしい距離ではないけど、芝目は読みやすい位置。次打のロングパットを私は沈め、さらにアドバンテージを奪う。クーちゃんにはアプローチのポイントがあるが、大したものではない。
 3ホールでビームインパクト、4ホールでスパイクとロングパットを決め、私はさらにクーちゃんを放す。オーバードライブもがっつかず、常にベタピンのクーちゃんは苦しい。5ホール6ホールでも目立ったプレイは見えず、私はまたじわりと離す。
 そして、第7ホールへ移る。オナーは私。
 一見するとちょっと長いだけのショートホールだが、打ち下ろしになっていてベタピンは難しい。カップは手前で追い風だ。
 やはりここでも選択肢は一つ。
 端からグリーンは狙わない。右の氷を狙おう。3番ウッドのトップスピン。
 これも決まった。結構なオーバードライブを頂き、差をつけていく。
「さすがに正確だな。ずいぶんやり込んだろう」
 クーちゃんが言う。まだ余裕ぶっているようだが、700近い差になっているのだ。もう苦しかろうに。
「無理しないでODでいいんじゃないの? ベタピンしてもおいしくないよ」
 年上の余裕。そう忠告してあげる。
 すると、だ。
「さっき言っただろうが。わかるって」
 クーちゃんは笑って見せた。手に、ウッドを持って。
 クーちゃんが初めて長考した。指を舐めて風を測り、クラブを地面に立てて高低差を読む。カディエにグリーンの形状を事細かに尋ねる。
 そして、アドレスに入ってからは速かった。
 トマホークショット。
 この条件下で、あくまでベタピンを狙いに来たのだ。本当なにを考えているのだろう。たとえトマホークに成功したからといって、確実に寄るとは言いきれないホールなのに。本当運の要素がほとんどを占めているはずだ。
 それなのに。
 高々と舞い上がった打球が、グリーン目掛け急降下する。その放物線の先には、ビームの立ったカップ。
 信じられない光景だった。ピン奥1ヤードに着弾。そして、バックスピンがかかる。
「入ったっ!」
 カディエが叫んだ。
 カコーン、という小気味のいい音が、ここまで届いた。
 私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
 おおよそクーちゃんらしくない、心の底から嬉しそうな満面の笑みを隠そうともせず、派手にガッツポーズ。
 そして私たちに向き直り、不敵に笑う。
「これで、だいぶ差は縮まったかな」
 本当、その声のなんと嬉しそうなことか。
 私は第二打、アプローチの高低差計算を誤り、初めてボギーを叩く。勝ち誇ったようなクーちゃんの顔が視界にちらつく。だがそこは私、ドルフはさっきから落ち着け落ち着けとうるさいが、平静を保って見せるくらい訳はない。
 8ホールに突入。飛距離の問題もあり、私はパワーカーブで中央の氷へ打ち込む道を選ぶ。クーちゃんはしばらく迷っていたようだが、結局右から最短でカップを狙いに行くようだ。私はビーム狙い。相変わらずのアプローチ精度で二打目、クーちゃんはニアピン2ヤード。私は氷からのアイアン。グリーンまでの高低差はひどいし、エッジを外せばここまで転がり落ちてしまう。少し、コントロールに自信がない。それを気にするあまり狙いきれなかった。あえなくグリーンオン。だが、ここでもクーちゃんは私以下のオーバードライブとアプローチだけだ。
 無理せずとも、この平坦ロングパットを抑えれば確実にリードを広げられる。
 ドルフは私にパターを渡すと、まったく見当違いの方向に歩いていった。カップを挟んで風下のグリーンエッジ。
「ドルフ。アイアンの準備はしなくていいわよ」
 嘆かわしいことだが、これだけ長いあいだ一緒にラウンドしていて、未だにコミュニケーションミスが起こるのだ。
「……え? なんで?」
 なに言ってんのこいつ。そんな目をしていた。どうやら、口にしてあげないと分からないようだった。
「狙うのよ、カップ。これからバーディーパット」
 ドルフはまた私の下に戻ってきたが、まだ腑に落ちないような顔をして私を見上げていた。ハーフで三つしかバーディーが取れないというのも、情けない話じゃないか。ドルフには分からないと思うけど、クーちゃんに舐められたままでは後半に響く。気がする。
「ナイスLP!」
 パターを振り上げて、みんなの声に応える。カディエ、ドルフ、そしてクーちゃん。30ヤード近いバーディパットだ。なかなかのものだろう。私はクーちゃんの顔を横目で覗く。
 その口元を見て、思わず目を逸らした。
 笑っていたのだ。たぶん、嘲笑ってやつだ。
 なぜかは分からないけれど、自分の顔に血が昇っていくのが感じられる。

 9ホール。追い風だった。無理や、甘い見通しは禁物のホール。分かっていたはずだった。
 クーちゃんのボールが船の向こうの氷を転がり、オーバードライブを稼ぐ。回転をかけ、見事に奥の水を避けている。カーブの技術が違うのだろう。狙いも正確だった。それを見た私は1番ウッドで、パワーショットを狙っていた。結果は、氷の傾斜に捕まってそのままOB。私を尻目に、クーちゃんは淡々と三打で決めてバーディーを奪う。
 折り返しの10ホール、昔は失敗しまいと緊張したが、今は迷わずトマを選べる。文句なく先手で成功させたクーちゃんに続き私も成功。PPに差が出ない。
 続く11ホール。
 上級者のセオリーならば、左の船のポケットに落としチップも見据えた2オン狙いか、平坦な甲板から平坦なグリーンへのチップイン。私は考える。風は右後方。ポケットに入れれば、ちょうどカップまで完全な追い風になる。
 だが。
「ねえドルフ、この風どう思う?」
 あくまで気休めだ。別にドルフの見解を参考にしようとは思っていない。それはドルフも心得ているようで、いつものように
「OBになりそう」
 と。まぁ、そんな感じ。
 右後方からの風、9m。狙うのが無理な条件というわけじゃない。それくらいのアプローチの練習はしてきたつもりだ。単純に考えるなら甲板狙いオーバードライブ狙いで構わない。
 だけれども。
 クーちゃんのアイアンから打ち出される、高い飛球。嫌味なほどの正確さで甲板の装甲を避け、ポケットに落ちる。バックスピンも完璧だった。
 さっきのチップインが思い出された。少し風は強い。高低差もある。だけど、このくらいならクーちゃんは決められるんじゃないだろうか。正確度重視スタイルというだけでは、説明にならない。……だいいち、サイレントウィンドでも使われようものなら、間違いなく決められるじゃないか。クーちゃんは私のミスに乗じて、少しずつ差を詰めてきている。ここでチップインされれば逆転。逆に結構なリードを奪われてしまう。

 それを回避するには、どうすればいいか?
 私もチップインすればいい。

「無理しなくていいんじゃない?」
 考えを読み取られたのだろうか。カディエが言った。
「……OBになりそう」
 それはドルフなりの説得なのか。
 確かに、自信は薄いのだ。しかし、まったく動じることなく、鮮やかに華麗にショットを決めるクーちゃんの像が、どうしても消えなかった。
 インパクトするまでもない、テークバックの段階で感触の違和がわかった。それでも止まらない。バックスピンを意識しすぎて、左肩が下がる。ヘッドがダフるほど低い部分を通過する。ボールはあらぬ方向へ飛んでいき、船の下に消えた。
「ドマショ」
 クーちゃんのねぎらい。
「……どまあり」
 なんでもない、対戦ならば当然のやりとりに、私はペースを乱される。いつもの私なら――個人プレイのPP稼ぎ大会ならば――こんなことはありえないはずなのに。
 ドルフに謝りつつ、打ち直し。今度は船を狙う。風読みを間違えた。フェアウェイには乗っているものの、変なキックのせいでボールとグリーンを結ぶ線上におもいきり障害物がある。舌打ちを止められない。
 クーちゃんの第二打。予想通りサイレントウィンド。そこから、トマホーク。
 クラブを振り切った姿勢から、クルリとこちら向き。パターのときにするように、顔の高さで軽くガッツポーズ。クーちゃんの背後で爆発が起こり、バックスピンのかかったボールがカップに消えた。

 もう当然といえば当然だけれど、その後の私はボロボロだった。13ホールは氷の縁にぶつけてOB、ボギー。14ホールでは風に助けられ、パワーショットパンヤに成功してオーバードライブを得るものの、続くビームを失敗。さらにリカバリもしくじって結局ボギー。淡々と右のフェアウェイを進むクーちゃんに、もちろんPPでは詰め寄ったものの、気分的に差が埋まった気がしない。
「あっちからならアルバが狙えるんだな」
 と、カディエと話しているのが聞こえてきた。
 15ホールでもクーちゃんは落ち着き払ってバーディー。私は第一打のミスショットで障害物の正面につけてしまい、アプローチができない。廉価で飛距離が出るものの、安定感のないこのクラブが悪い方に作用し始めた。普段なら、こんなにずれたりしないのに。どうにかグリーン右に乗せたものの、ロングパットも決まる気配がなく、またもボギー。スコアはいったいどうなっているだろう。
 16ホールはさらに酷かった。正面の弱風で、クーちゃんはアイアントマでのニアピンに成功。それに私も触発された。
「フック気味のショットでいい。ロングパットは難しい傾斜だけど、エリカなら大丈夫」
 そういうドルフを無視し、トマミス。1PPさえ得られない。
 17ホール。ここを落とすわけには行かなかった。左のフェアウェイからチップを狙いに行くクーちゃんを尻目に、私はラッキーパンヤの純正品まで使って谷を目指す。最後のアイテムでどうにかスパは成功したが、カップが狙える位置にはつけられない。私はなんとかバーディーを拾ったものの、クーちゃんはまたもトマホークチップインを決める。三度目だ。
 そして迎えた最終ホール。17ホールが決定打となり、1000PPにも近い絶望的な差をつけられてしまった。
 オナー、クーちゃんの第一打。ここでもクーちゃんは、果敢にワンオンを取りに行くようだった。体力補助剤を使ってスパイク。もう、惚れ惚れしてしまうほどの特殊ショット成功率だ。
 クーちゃんのスイングを見ながら、私はいまさらになって思い出していた。パンヤっていうのは、対戦相手と向かい合う、対戦ゲームだったのだ。そしてその性質として、逆に相手の結果に対応して打とうとするのは、愚かなミスだった。対戦だからこそ惑わされてはいけなかった。忘れていた。クーちゃんのショットが上手いことグリーンに飛び乗る。「ナイスパーっ!」と声を掛けられ、クーちゃんは拳を突き上げる。
 悔しかった。パンヤで相手を下回る悔しさがとても懐かしく思えた。きっとそんなんだから、私は勝てなかったのだ。
 最後は、綺麗に終わらせよう。
 谷の手前のOBの、そのまた手前。そこに落としてから谷を狙う。ツーオンは堅い。イーグルで締めれば、それなりにカッコはつくだろう。
 そして私はドルフからクラブを受け取る。
 手渡されたクラブが予想よりもずっと長くて、私はそれを取り落としてしまった。見れば、1番ウッドだった。
 こんなときまで、本当に息が合わなかった。
「ドルフ。アイアンでいいのよ、この場面は」
 ウッドを拾って、ドルフに返そうとした。
 その私の手よりも先に、小さな白い手が伸びて、シャフトの部分を握りこんだ。それは片手で持ち上げられて、ずい、と私の目の前に差し出された。
「これで打て」
 クーちゃんだった。
「諦めるな」
 凛と響く、強い声だった。純真で穢れをしらない雪のような、といったところか。
 ……それにしても、この期に及んでなにを言いだすかと思えば。
 アマチュアになって、そんなことも、わからないんだろうか。
「……あのね、クーちゃん。気持ちはわかる。だけど、ここでは刻むスタイルもありのはずだよ。いちいち口出しされたくないんだけど」
 言いながら、クーちゃんの真っ直ぐな視線を受け止めてみせる。ついでに、けしかけたドルフも睨む。
「あのねぇ、無理にホールインワンなんか狙ったって、それ以上にリスクが大きい。まだ逆転の目がある、って言ってくれるのは嬉しいんだけどさぁ」
 諦めるなと言われても、逆転の可能性なんてそれこそホールインワンしか残されていない。カップはグリーン奥で、とても届きそうにない。そんなんがここで出るほど、パンヤは甘くは無いのだ。
 するとクーちゃんは、
「逆転? いや、ありえんだろ。風はともかく、カップの位置が悪すぎる」
 何が言いたいんだこのガキ!
 怒鳴りそうになってしまうのをぐっと堪えた。
「いいか? よく聞け。私が諦めるな、と言ったのはな」
 そしてクーちゃんは、癇癪を起こした子供をなだめるかのような調子で、話し始める。
「勝負を、ってことじゃない。そりゃ、今回はまだ天文学的低確率とは言え可能性もあるが、諦めざるを得ない状況だってある。ここで私が言いたいのはな、勝負を諦めるなってことじゃないんだ。自分のスタイルを、だ」
 珍しく、クーちゃんは熱弁を奮う。いつしか私は、その言葉に聞き入っている。
「PP稼ぎのなにが楽しいのか、私にはわからん。だが、恥じることじゃないだろ。お前は好きだからそうやっていたんだろ? 楽しかったからやってたんだろ? 楽しかったなら、いいじゃないか」
 仲良きことは美しきかな、などと言いつつ、カディエがうんうんと頷いている。
「パンヤってのはそもそも、本人が楽しけりゃいいんだよ。……だから、はい」
 私の胸にぶつかるぐらいに、クーちゃんがずいとクラブを差し出す。
 ドルフを見る。ドルフは何も言わないし、いつもの無表情だった。だけど、その目が私に何を期待しているか。それは分かる。
 私はそのクラブを受け取った。

 今日初めて、クーちゃんの視線を正面から受け取る気持ちで、アドレスに入った。
 クーちゃんの言うことが正しいかどうかなんて分からないけれど、とりあえず私が考えたのは、ここで奇跡のホールインワンが出れば、生意気なお子様の鼻を開かせられるわ、忘れてたけどいぬみみは手に入るわで、とても楽しいことになりそうだ、ということだった。

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