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宝はついに見つからず


 何年か越しの宝探しということでみんな集まったのはいいけれど、グラウンド脇の木はファールネットの鉄柱に植え変わっていた。それ以来、なかなか集まる機会がない。みんな新婚生活が忙しかったり転勤で慌ててたり育児ノイローゼになったりで大変みたいだ。
 僕と鈴はというと、休みには二人でふらふら出歩くのが日課になっていて、最近は中学校のグラウンドに立ち入っては「あのピッチャー、カーブのときと真っ直ぐのときで全然腕の使い方違うな」などと批評して過ごしている。
 そんなだから恭介から電話があって、今度の休みに東京に帰るから遊びに来ないか? と誘われたとき僕らはすごく喜んだ。たまには遠出、と思っていてもなかなか理由が見つからなかったのだ。
「高崎くんとこ寄ってこう」
 鈴は今からお土産になにを持っていくか考えていて、近所でパンを焼く友達の名前を挙げた。
「うーん、もうちょっと気の利いたのがいいんじゃない?」
 久しぶりに会うんだし、ちょっとくらい奮発してもバチは当たらないと思う。
「おねーさんはケーキ嫌いなのか?」
「いや、僕に聞かれても……なんでいきなりケーキなのさ」
 鈴は不思議そうな顔をした。
「お菓子屋さんになったって年賀状に書いてただろ。見てない?」
「え? 本当? また変わったの?」
 鈴が立ち上がってごそごそと収納棚を漁り始める。輪ゴムで束ねた年賀状の束をいくつもいくつも取り出して、その中からさっと一枚抜き取り僕に見せた。手にとって眺めてみると、言われてみれば読んだ気もしてくる。
「鈴が返事書いたんだっけ?」
 どうせ大して送られて来やしないだろう、と準備もなにもしていなかったせいで、かなりでたらめに返事を書くことになった。高崎の年賀状なんてダイレクトメールと一緒に捨てられていてもおかしくなかったし、事実僕は出した記憶がない。
「返事というか、こっちから出しといた」
 ああ、なるほどねえ。
「東京行くまでに電車停まるよな?」
 手紙に書かれた地名を指差す。その辺の電車なんて殆ど使わないから分からないけど、あれだけ路線があればたぶん停まるんじゃないかとは思う。
「電車よりバスの方が安いと思うんだけど」
「たまに顔出さないと、また拗ねるからな」
「んー、それもそうだねぇ」
「じゃあ、決まり」
 満足げに腕を組んで頷く。
 その日は鈴がさっさと寝てしまう横で、僕は不鮮明な年賀状とGoogle地図とYahoo!の路線図を見比べていた。

 それでいざ恭介のマンションを訪ねると、インターホン越しにお義姉さんがすまなそうな顔をした。ついさっき恭介から「今日は帰れない」と電話があったらしい。それで携帯を見てみると、ちょうど僕らが高崎の店を出たくらい(高崎はいいとも! を観ていた)にメールが入っていた。
「あの、よければあがって行きませんか? 散らかってて恥ずかしいんですけど」
 どうやって鈴の機嫌を取るか考えはじめたところだったので、ありがたくお誘いを受けることにした。
 お姉さんがスリッパを出してくれているとき、足のあいだから白と黒のぶち猫が顔を突き出してきた。
「ようタロー、元気だったか?」
 にゃお、と一つ鳴き声をあげて、鈴のジーンズに噛みつく。しばらくその味を堪能してから、申し訳程度に僕のくるぶしを齧った。慣れたとはいえすごく痛い。
「なんだおまえ、太ったな」
 僕のことなど構いもせずに、鈴はタローを抱き上げてさっさと歩いていってしまった。勝手知ったる人の家。玄関に僕とお義姉さんだけ残されて、いろいろ立場がない。
「勇樹がなんでも食べさせちゃって。困ってるんですよ」
 一番手の掛かる年頃だろうに、恭介の方が困ったもんだ。僕がそう言うとお義姉さんは歯を見せて笑った。
「勇樹ー、鈴おばさんたち来たよー。ご挨拶なさーい」
 居間に行く途中の部屋を覗いて、お義姉さんが勇樹を呼ぶ。少し間を置いてからトタトタと足音が聞こえてきた。
「あ! こらっ、また変なの描いて!」
 言うなり、お姉さんが洗面所に走る。部屋から出た途端怒られたものだから、勇樹は部屋に逃げ込もうとしたんだけれど、ぱっと僕の顔を見ると、その場に立ち止まった。
「大きくなったね」
 膝に手をついて、マジックで落書きされた顔を覗く。なにか言いかけたんだけど、戻ってきたお義姉さんの剣幕を見て僕の足にしがみつき、形勢不利と見て鈴のところへ走って逃げた。
「おー、男前になったなー! プリンあるぞ、生クリームいっぱいのやつ!」
 お義姉さんは疲れたように笑った。
「子供ってさ、その場で誰が一番自分を守ってくれるか嗅ぎ分けるよね」
「あー、それ多分タローから勉強したんですよ。きっと。サッカー観てたら顔にペイントしだすし。……テレビとかが子供に影響与えないって、あれやっぱり嘘ですよね」
「お義姉さんがそんなこと言うの、なんだか意外だねえ」
 学生のころはメディア規制なんてバカらしい、なんて言ってたのが嘘みたいだ。
「ですからその呼び方やめてくださいって」
「そう? 気に入ってるんだけど。まさか呼び捨てってわけにもいかないし」
「棗先輩はまだ呼び捨てですよ?」
「いや、おねーさん、なんて言ってたよ」
「……うわー、なんか複雑。やめてくれるようお願いしてくださいよ」
 文句を言うなら、こんな複雑な関係にした恭介に言うべきだと思う。
 立ち話するうちに、勇樹に居場所を追われたタローがやってきて、八つ当たりするみたいにまた僕の足を噛んだ。
「お茶淹れますね」
 お義姉さんに勧められた椅子に座って、ケーキの箱を開ける。ひんやりとした甘い匂いがした。日持ちしないから保冷剤入れときますね、などと言っていたけれど、なにもケーキの下に敷き詰めることはないと思う。ともかくもうやることがなくなって、膝の上でタローを遊ばせながら、動き回るお義姉さんの後姿を眺めたりあちこち見回していた。鈴が勇樹の手を引いて洗面所に入っていくのが見えた
「先輩がたがすっかり親戚のおじさんおばさんですからねえ」
 ティーカップ3つと子供用のマグカップ1つ。テーブルに並べると、僕の向いに座った。
「僕としては恭介や飯島がお父さんお母さんってのが信じられないんだけど」
「私はもう慣れましたよ? こんなに早く慣れたことにびっくりですけど」
「まあ、そりゃそうだろうねえ」
「いやー、ほんとにびっくりしますって。『えっ、なんで自然に受け入れてるの?』みたいな。先輩もわかりますから、このびっくり」
「まあ、しばらくないけどね。そのときになるとそんなもんなのかも」
 お義姉さんは「しまった」という風に両手で口を塞いだ。なにか失言したときの癖だった。新歓で会ったときからずっと変わらない。その様子を見て、僕も自分の失言に気づいた。
「こら! まだ終わってないぞ!」
 鈴の声がして、勇樹が洗面所から飛び出してきた。顔中びしょぬれにしたまま、ケーキの箱に手をつっこんでカップのプリンを掴み取った。お義姉さんは気を取り直してスプーンやフォークを取りに席を立って、僕も倒れてしまったショートケーキを取った。
 追ってきた鈴が真っ白なタオルを勇樹の顔に押し当てる。ずいぶん締まらない顔をしていた。鈴の膝の上で、勇樹はぽろぽろ食べこぼしながら幸せそうにプリンを食べていた。お義姉さんだけ困ったように落ちていくプリンを眺めていた。

 鈴がタローを連れ立って子供部屋に行ってしまうと、二人でまぁ久しぶりにあった親戚同士の会話みたいなのをした。出版社なんてもういつ潰れるか分かんないから、今のうちに稼いどいてもらわないと困る、とか、恭介といると倦怠期とかないでしょ、といったことだ。
「いやー、そうでもないですよ。あと話してない話題って子供のことくらいですし」
 僕が少し黙るとお義姉さんは両手を口に当てた。ただ溜まったつばを飲み込んでいただけなんだけど。僕自身別に気にしてないんで身構えられると困ってしまう。このままだと勇樹の話題自体タブーにされそうな気がしたので、思いつくまま口を開いた。
「僕の稼ぎが少ないのが悪いんだけどね」
 冗談めかしたつもりなのに、お義姉さんは深刻そうに目を伏せて、なにごとか考えていた。それから、意を決したように、
「あの、あんまりできることありませんけど、よかったら相談してください」
 と言った。
「うんまあ、ありがと。一応二人で決めたことだから」
 ある日鈴が「子供作るか」などと突然言い出してきて、「そんな猫拾って飼うんじゃないんだから」と返したらいきなり蹴られた。初めて夫婦ゲンカした。初めて鈴を殴って、初めて蹴り倒された。鈴は肩に赤い小さなミミズ腫れを作って、僕はムチ打ちになりかけて入院した。
「なにも顔蹴らなくてもいいじゃない」
 会社勤めの命でもある。僕は抗議した。
 すると鈴は、
「子供作れなくなったら大変だと思って、とっさに顔にした」
 と答えた。最初どこを狙っていたのかは怖くて訊けなかった。
 もうずいぶん前の話で、今となっては笑い話だ。
「ねえ、カメラある?」
 子供部屋から出てきた鈴が、なんでもなさそうに訊ねてきた。
「デジカメなら持ってきてるよ。どうしたの?」
「ん、ちょっと来て」
 お義姉さんと顔を見合わせ、なにがなにやらわからないまま鈴のあとに続く。鈴がそっと部屋の中を指差したから、その通りに中を覗いた。散らかったおもちゃに囲まれて、勇樹がねむりこけていた。手にはタローのしっぽを握っていて、タローは難儀そうにキョロキョロと辺りを見回しては戦隊ヒーローの人形を齧っていた。
 それだけのことなんだけど、鈴は僕の手からカメラをひったくって写真を撮り始めた。最近はどこに行くにもカメラカメラで、だったら自分で持てばいいじゃない、と言っているんだけど、なくしそうで嫌なんだそうだ。いつもメモリーがいっぱいになるまでたっぷり撮っては、印刷もしないでたまに眺めて、新しいカードを買う。
 勇樹がタローの尻尾を放した。タローは一瞬の隙も逃さずに全速力で飛び出してくる。部屋には勇樹だけ残っているんだけど、たった今撮った一枚にはしっかりタローが映っていて、鈴はいつもそういうことを不思議がる。写真と部屋を見比べると、タローがいなくなったこと以外には何ひとつ変わっていない。僕も最近不思議に思うようになった。

 起きだした勇樹と写真を撮ったり一緒に夕方のアニメを見たりで時間が経って、晩御飯のお誘いを受けた。ぜひご一緒したいところだったんだけど、明日はまた仕事だから帰らないわけにいかない。
 そんな感じで出てきたんだけれど、そういえば電車の時間もなにも確かめてなかった。マンションの五階からは町並みの灯りが見下ろせて、なんとなく九時ちょっと前くらいかなと思った。最悪、どこかに泊まって始発で帰ることになる。
 気持ち早足になりかけたところで、僕の焦りをあざ笑うように恭介から電話が掛かってきた。
「今日は悪かった」
「いや、気にしないでよ。こっちこそお義姉さんに迷惑じゃなかったかな、って感じだった」
 分かってはいたけど、恭介は仕事だったそうだ。時候の挨拶みたいな会話を交わしてから本題に入った。
「来週、今度こそ休みが取れそうなんだが、もう一度学校に行ってみないか?」
 電話越しの恭介の声は相変わらずのん気で、仕事疲れとか悩みとかをまるで感じさせなかった。逆に心配になってしまう。
「兄貴からか?」
「来週? ちょっと待って、今鈴に訊いてみる。……来週宝探ししないか、って」
 話口を手で押さえて、隣の鈴を見る。
「野球の約束があるな。だから却下」
「あれ、来週だっけ」
「森田さんからメール来てた」
「――あ、もしもし恭介? 来週空いてなかった」
 特にがっかりした感じもなく、恭介は「そうか」と短く答えた。
「じゃ、お互い休みが合ったとき遊びに来いよ」
「またそんなこと言って。勇樹が会いたがってたよ? 休みくらい遊んであげたらいいのに」
「えっ、まじかよ。電話しても久美しか出ないから嫌われたのかと思ってたぜ」
「たぶん電話する時間が悪いんだと思うよ」
 そんな感じに言葉を交わして、電話は切れた。
「埋めた場所もわかんないのに、どうするつもりなんだろうねえ」
「ん? ……ああ、宝探しか。ただの集まる口実だろ」
 携帯を弄りながら鈴は実も蓋もないことを言う。
「まあ、そうかもね。でもみつからないままってのも、なんか落ち着かないよ」
 もしかしたら鉄柱を埋めたとき、運び出された土に混じって、どこかの海を埋め立てているかもしれない。それぞれの大切な思い出の品が海の底。そう考えると気持ちが暗くなった。
 そんな考えを察してくれたんだろうか。鈴が携帯をポケットにしまって、僕の腕を取った。
「まーそー落ち込むな」
「いや、まあ、そう言われても」
「別に誰も、埋めて困るのは埋めてないと思うぞ」
 埋めて困るものは埋めない。
 確かにそりゃそうだ。
 ……でも、本当にそういうものだろうか。
「あたしはお前を埋めなかったし」
「……ちょっとサイズが合わなかったよね」
「はるかは教科書の灰だったし、美魚は使ってない黒ぶちメガネだった」
 僕なんか全然思い出せないのに、鈴はよく覚えているものだ。感心してしまう。
 鈴のポケットが震えた。メールらしかった。なにも言わないで返事を打ち始めるところを見ると、僕の知らない相手らしい。
 鈴のメールが終わるまで暇だった。みんなが何を埋めたか気になってきたから、ちょっとメールでもしてみようかと思った。
 でも鈴はすぐ携帯を閉じたし、送信エラーを確認して、それからアドレスを削るというのもなんだか面倒に思えたから、僕も一緒にやめた。
「来週の野球、がんばれ。あたしはもう絶対出ない」
「なんで? 一球で大人気だったじゃない」
「みんなが理樹いらないって言ってて、むかついた」
「いや、どうみても冗談でしょ。それに鈴の球見ちゃったらねえ」
 面子の中では一番若い。助っ人として恥ずかしくないくらいのプレーはしてると思う。これでも一日少年野球を教えたことがあるくらいの実力はある。
 そう鈴に力説していたところに、森田さんからメールが入った。
『来週は代わりに奥さんスタメンだから、説得よろしく』
 二人で黙り込んだ。
 始発でいいか、と思い、鈴と居酒屋に入った。軟骨のから揚げを食べながら、お義姉さんとも話題に上った倦怠期について話し合った。
 よくよく思い返してみると、特別楽しかった時期ってあったっけ? となった。鈴はむくれたけれど、具体的にいつごろがどんな風に楽しかったかは言えないようだった。今がどん底なら割かし悪くないんじゃないか? というところに話が落ち着いた。

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