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三年目くらいの同窓会


 クリスマスイルミネーションが未だに灯る駅前を、四人で歩いていく。前にはくたびれたジャンパーを羽織る謙吾とタンクトップ姿の真人が行き、僕と鈴がその後を遅れないよう早足で付いていく。
「理樹、なんでおまえはそんなカッコをしてるんだ?」
 歩きながら、コートにジーパン、スニーカーに白のショルダーバッグというラフな格好の鈴が、不思議そうに僕の足元を指した。
「え? いや、恭介が正装で来いって言うからさ。……てっきりみんな同じだと思ってたよ」
 僕は上着の下にスーツとネクタイ、大学の入学式で使って以来の革靴という姿だった。もう三年近く前に買ったものなのに、履き慣れないで歩きづらい。朝に合流したときなにも言わなかったところを見ると、今になって気になりだしたんだろう。
「ふーん、そか。あいつも相変わらず意味わからんな」
 鈴はすぐに興味をなくし、また口をつぐむ。無言が気まずくなる間柄でもないので、僕も黙って歩いた。
 すれ違う居酒屋から暖かな灯りがこぼれてくる。大勢の笑い声が遠く聞こえる。左側を流れる大通りの光と比べると、ずっと柔らかかった。新年会のシーズンで、どこも賑わっているようだ。きっと、僕らのようなグループが大勢騒いでいるのだろう。
 ときおり冷たい風が吹いて鈴の髪飾りを鳴らしていく。そのたび鈴は首をちぢこめ、毛糸の手袋を口に押し当てる。その顔があんまり辛そうなものだから、
「マフラー貸そうか?」
 と訊いてみるが、
「かっこ悪いからいい」
 と言って聞いてくれない。別にかっこ悪いことはないと思うんだけれど、久しぶりにみんなと会うものだから、大人ぶりたいんだろう。
 鈴は卒業式のとき、みんなの前で大泣きしてしまったことを今でも恥ずかしがっているみたいで、「立派にやってるぞ」とみんなを安心させてあげたいんだと思う。そんなだから、僕もあまり強くは言えない。
 そういう強がりは子供っぽいものだけど。
 鈴はしつこく手袋に息を吹きかけている。毛糸があまり詰まっていなくて、風が抜けてしまうのかもしれない。ピンクの下地にレモン色の星がいくつも織り込められた、手作り風の手袋だった。
 自分の着けている皮製のものを貸してあげようかとも考えたけれど、その手袋に目を落とす鈴の顔が微笑ましくて、結局口には出さなかった。
「おい理樹、おまえ先入ってくれよ。俺ぁこういうの苦手だ」
 真人と謙吾が赤い提灯の下で手招きしている。僕と鈴は小走りになって二人に追いつく。

「いらっしゃいませーっ!」
 引き戸を開けるなり威勢のいい声が飛び出してきて、鈴がびくりと身体を震わせた。これはまぁ人見知りとかではない気がする。
 声に遅れて、中年の男の店員が出てくる。
「えーと、予約していた棗というものですが」
「はい、ご予約の棗さま、ですね。……少々お待ちください」
 店員はそう言ったものの、すぐには下がらず僕を見た。訝しげに眉を潜め、僕の顔をじっと注視した。が、僕の足元に目を落とすと、店員は変な笑顔を浮かべてそのまま奥に消えていった。
「なんだったんだ、いまの?」
 鈴もさすがに不審に思ったらしく、僕に訊ねてくる。訊かれたところでわかるわけがないんだけど。
「さあ……なんだろうね」
 応えながら、何事だったのかとあたりを見回す。するとレジに張られた一枚の張り紙に目が留まった。
 毛筆で『未成年飲酒撲滅強化店』と。
「ああ、なるほどな」
 謙吾が張り紙と僕の顔とを交互に見比べながら、一人でうんうんと頷いた。
 僕もそれを見てようやく、恭介が正装で来いなんて言った理由がわかった気がした。僕は身分証なんかを普段持ち歩かない。ようするに、童顔の僕があらぬ疑いをかけられないように、と、そういう配慮だったのだろう。
 ……でもそれなら、学生証でも持ってこいって言えば済みそうなものなんだけど。
「こちらになります」
 今度は女性の店員さんが出てきて席へ案内される。その後に付いて四人して階段を上る。踊り場のところにシシオドシなんかが置かれていて、BGMも落ち着いたものが流れていた。チェーン店ではない独特の雰囲気があった。恭介が言うには『バラバラになったみんなが集合しやすい場所を選んだ』らしいが、それでもきっといいお店なんだろうなと思った。
 十人掛けくらいの座敷の広間に通された。入り口のところに垂れている暖簾を押し開けて中を覗く。時間が早かったせいか僕たちが一番乗りで、他にはまだ誰も来ていなかった。
「最初にお飲み物のご注文があればお聞きします。お通しもお出し致しますが」
 男三人顔を見合わせる。まだこれしか揃っていないのに、先に注文なんてしてしまっていいものなんだろうか。
 真人が「ちょっとくれーならいいだろ」というが、謙吾はこの辺り厳しく、あくまでみんなを待つべきだと主張する。僕も待つべきだと思い、鈴に意見を聞こうとすると、
「あたし、チューハイ飲む。りんごのやつ」
 そう言ってさっさとコートを脱いで席に着いてしまった。
「はい。他にご注文は?」
 また三人、顔を見合わせる。
「……同じの、あと三つで」
 謙吾が額に手を当てながら、力なく言った。
 店員が注文を復唱して部屋を出て行く。僕もコートをハンガーにかけて、鈴の隣に座る。テーブルの下が掘られていて楽にできる造りになっていた。
「鈴、飲めるの?」
 訊ねると、鈴は拗ねたように
「うっさい。ちょっとくらいならへーきだ」
 そう言ってふん、と横を向いてしまった。
「そうだね。それでいつも背負って帰るのは僕だよね。鈴のアパートは駅近いからいいけど」
 大学の仲間で集まると大抵飲み会になる。鈴は気の合った人だけのときにはほとんど飲まない。ただそこに知らない人が混じると、空気を壊したくないのかカッコつけたいのか、人より速いペースで空け始めて真っ先に潰れる。僕はいくらも飲まないうちに鈴を抱えて席を立ち、結果として場を白けさせてしまう。この二年でお決まりになったパターンだ。
「あんまり強くないんだから、ほどほどにね」
 その割に次の日にはピンピンしてるから不思議だ。
「馬鹿兄貴は、多分強いから問題ない」
「まぁ、遺伝だとは言うけどね……恭介が潰れるとこなんて想像できないし」
 鈴の場合、お酒を飲むことで暗示かなにかにかかってるのかもしれない。
「お待たせしました。ご注文のりんごチューハイになります」
 僕と鈴が並んで下座に座り、その正面に謙吾と真人が着いた。そこに四つのグラスと、タマネギやレタスの和え物が盛られた小皿が置かれる。
 店員が下がって、四人で顔を見合わせる。
「……まぁ、一口くらいならいいじゃねーか、謙吾っちさんよぉ」
 真人に肘で小突かれながら、謙吾は腕を組み目を瞑る。
「いーや、だめだ。親しき仲にも礼儀あり。こういうことは形式が大事なんだ」
「おまえ、堅っ苦しいの小さいときからまんまだな」
 不満をたれて鈴は割り箸でグラスの氷を回し始める。行儀は悪いがこのメンバーで気にすることでもないだろうし、謙吾も気にしてはいないようだった。
 鈴は堅苦しいと言ったけれど、僕からすると謙吾ははっちゃけ始めてからの印象の方が強い。硬いなにかを爆破した、というか、むしろ爆発したような謙吾の姿だ。猫のジャンパーを見て改めて思う。
 そんなわけで、こんなふうに律儀な謙吾を見るのが、僕にはとても懐かしく感じられた。変わっていなかった、ということが嬉しいような、懐かしい、と感じてしまうことが切ないような、複雑な気分になった。
「おっ、ほら、おまえがイケてないこと言うから理樹が落ち込んじまったじゃねーか」
 真人の言葉で、自分が下を向いていたことに気づいた。
 顔を上げる。謙吾が僕の顔をまじまじと見つめていた。目が合うと謙吾はなぜか微笑み、それから軽いため息のあと、
「なら、まずは旧リトルバスターズの再会を祝しての乾杯だな」
 そう言ってグラスを掲げた。謙吾に倣って、真人と鈴もグラスを手にする。
「えっ、え? 恭介は?」
 謙吾が折れるとは思っていなかったので僕は慌てた。
「なぁに。どうせ、あいつと飲む機会なんてこれからはいくらでもあるさ。……それより俺は、一刻も早く飲んで歌って祝いたい」
 謙吾が涼しげな真顔で言うものだから、思わず笑いをこぼしてしまった。そのギャップがすごく可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて、僕も思わずグラスを取ってしまう。
 謙吾の気持ちはよくわかった。僕だって早くお祝いしたいのだ。なんたって、卒業してから初めてリトルバスターズが顔を合わせる記念の日なんだから。

「でも、本当にいいのかな?」
「馬鹿兄貴のことなんかほっといていいぞ。遅れる奴が悪い」
 鈴はそう言うけど、約束していた時間まであと五分あった。
「うむ。普通、幹事が最初に来て全員を出迎えるものだ」
 むっつりと謙吾。
「この面子だけってのも、結構レアだしな」
 真人が歯を見せて笑う。
「……そうだね。たまにはいいか」
 僕も同意して、改めてグラスを握り直す。そして四つの琥珀色のグラスがテーブルの上に集まった。
 しかし、誰も音頭を取ろうとしない。
 四人はグラスを持った手を中に浮かせたまま、互いに目配せをする。隣室から若い人たちの乾杯の声と拍手が聞こえてくるが、僕たちの間には不思議な静寂が流れていた。
 誰からともなく忍び笑いがこぼれる。いつの間にか四人が四人、ニヤニヤと締まらない笑い顔をしていた。
 いたずらのとき、息を殺して機会をうかがう、ワクワクした静けさだった。
 みんな、胸を高鳴らせて待っていたのだ。


「その乾杯、ちょっと待って貰おうか!」


 部屋に、待ちわびた声。暖簾の向こうにスーツの長い足が見えた。
「待たせたな」
 みんな待っていたのだ。
 そんなセリフが決まってしまう、僕たちのリーダーを。
 テーブルに着いた三人が、子供のように目を輝かせて、恭介を見ていた。そしてきっと僕も。
 遅かったじゃないか、恭介。
 そんな風に軽口を叩く用意はしていたはずなのに、胸が詰まって声がでなかった。たまにメールや電話でやりとりするのに、その不敵な笑顔が、嬉しくてたまらなかった。
 ほかのみんなも同じだった。自信を持って言える。鈴なんて、今にも泣き出しそうじゃないか。
 恭介が部屋に入ってくる。

「あっ! 鈴ちゃん、久しぶり〜っ!」
 その背中にぴったりとくっついて、小毬さんが顔を出した。
「なんでおまえとこまりちゃんが一緒にくるんじゃーっ!」
 ふかーっ! と威嚇しながら鈴が飛び出す。久しく見ていなかったハイキック。スーツに包まれた恭介の身体が鮮やかに舞う。キレのある鋭い蹴りだった。
「わあああああっ! きょ、恭介さ〜ん!」
「こまりちゃん、こっち座ろう」
 恭介に駆け寄ろうとする小毬さんの手を引いて、鈴は上座の方へ歩いていってしまった。仕方がないので、僕はぐったりして動かない恭介を抱え起こした。
「……ふふ。鈴の奴、お兄ちゃんが取られちゃうと思ったんだろうな。……可愛いところもあるじゃないか。なぁ、理樹……?」
 ぐったりと僕に体重を預けたまま、そんなうわごとを呟く。僕の背後では鈴に真人に謙吾たちが、手を握られたりしてないか? 歩いてるときだんだん距離が縮まってこなかったか? なんてことを小毬さんから聞き出していた。振り向くと、鈴は本気で心配してるのか、小毬さんをあらん限りの力で抱きしめて、小毬さんを困惑させていた。
 漏れ聞く話によると、たまたま駅で一緒になっただけのことらしい。
 あんまりに残酷な現実だと思い、恭介のお酒が来るまでは耳を塞いでおいてあげようと思った。慈しみの心でもって、恭介の頭を膝に置く。その冷え切った両耳に手のひらを押し当ててやる。
「理樹……手、大きくなったな」
 恭介はそう言って僕の手に手を重ねた。恭介にはしばらく恋人なんてできないだろうな、と思った。
「なんなんだ君たちは。入ってしょっぱな男同士の絡みを見せつけてうわぁきめぇと思わせながら、そこから奥にメインディッシュを用意しているとは……一瞬そういうサービスのお店なのかと思ったぞ」
 聞き慣れた声。
「わたしはむしろ、いきなり主菜でいいのかと……失敬」
 デジタルカメラのフラッシュが焚かれた。
 僕は思わず目を細めた。
 入り口に来ヶ谷さんと西園さんが立っていた。
 来ヶ谷さんはブラウンのレザージャケット姿。西園さんは黒いタートルネックのセーターに白のマフラーを巻いていた。
 二人の姿を懐かしい、と思いながら、見慣れない服装に違和感みたいな新鮮さを感じて、自分がどういう気持ちでいるのかわからなくなった。
 その隙にまたフラッシュ。
「ち、ちょっと、なに撮ってんのさ!」
 我に返る。二人を止めようと立ち上がろうとするが、恭介が腰に抱きついて離れてくれない。
「理樹……もう少し、このままいさせてくれ」
「恭介も変なこと言わないでよ!」
「スーツ姿が不釣合いな直枝さんに、オトナの男性な恭介さんが甘える……アリですね」
 さらに何度か西園さんのカメラが光る。来ヶ谷さんも便乗して、鈴と小毬さんが抱き合う姿を撮影している。
「ああ、もう!」
 思わず全力で叫んでしまう。ずいぶん久しぶりなことだ。
「はっはっは、いいじゃないか、少年。……と。こういう呼称は今ではセクハラに当たるらしいな、理樹君」
「……同い年でセクハラもないでしょ」
「はっはっは、それもそうだな。本来この場合両者の力関係が重要になってくるのだが……まぁ数年来の再会なんだ。無礼講といこうじゃないか、少年」
「そうだそうだ。俺の成人式のときには一人で寂しかったんだからな」
「いや、恭介年上だし……同級生と飲みにでも行けばよかったのに」
 なにを無茶言ってるんだろうか。
「おまえらがいない宴会なんてありえないだろ」
「あ、そ……僕らの成人式のときには?」
「能美がまだ成人してなかっただろう」
 むくりと起き上がって恭介は言った。言われるまで、僕もすっかり失念していた。
「俺は、おまえらのいない宴会なんて考えられないんだ」
 恭介が僕の肩を掴んだ。昔のままの真っ直ぐな目で捉えられ、顔が火照るのを感じる。
「直枝さん、その表情グッドです」
 恭介の後ろに回りこんで、西園さんがパシャパシャとやる。来ヶ谷さんも調子に乗って鈴に威嚇されていた。
 そんな姿を見て、なんだかほっとした。
「……二人は変わんないねぇ」
 呟くと、二人は顔を見合わせる。
「はて、二人、とな?」
 西園さんが廊下に顔を出す。なんだろう? と思っていると――
「リキッ、私もいますよ!」
 暖簾の向こうから、舌っ足らずな声がした。
 その向こうに亜麻色の髪と、白いマントが揺れた。
「Haven't seen you for such a long time!」
 滑らかな英語と共に、女の子が飛び込んでくる。
「えーっと……I'm glad to see you again……で、合ってるかな?」
「はい! 私も嬉しいです、理樹!」
 クドはそう言って、僕にじゃれついてきた。また寝転がった恭介を押しのけて鼻をおなかに押し付けてくる。
 クドはずっと日本を離れていて、つい最近帰国したのだそうだ。
「英語、上手くなったね」
 僕でも聞き取れるくらいにまだ訛りはあるみたいだけれど、それでも昔を思うと格段に進歩していた。単語帳に目を落とす放課後のクドを思い出す。
「はいっ! ……いっぱい、勉強してきました!」
 鼻を押さえているせいかクドの声はくぐもって聞こえた。労ってあげようとその背中に手をおいて、気がつく。
 マントの下に、日本風の晴れ着。
「この服、どうしたの?」
 訊ねると、クドは顔を上げないまま、
「……皆さんに、お見せしようと思いまして」
 と言った。なんだかすごくクドらしいと思った。
「あーっ! ワンコが抜け駆けしてるー!」
 声とともに、肩に衝撃。わふーっ! というクドの悲鳴。
 なんだかしんみりしかけた空気を、突然吹いた風がさらって行った。
「おひさー理樹くん。ついでにほかの面々もー!」
 相変わらず脈絡のない登場にみんな苦笑しながら、それぞれ再開の言葉を交わす。
 それにしてもテンションがいやに高い。もう酔っているんだろうか。
「店員さん、カシスオレンジ一つ!」
 そんなことを考えてから、ああ、これが葉留佳さんの素だったな、と思い直した。
 ともかく、これで全員が揃ったことになる。何年ぶりか、あの馬鹿みたいに楽しい時間を一緒に過ごしたメンバーが再会を果たしたのだ。
 なんだか感慨深い。
 そう思っていたところに、新しい声。
「お邪魔します。相変わらず賑やかですね」
 葉留佳さんに遅れて、もう一人。
「お、ちゃんと来てくれたのか。嬉しいぜ」
 いつの間にか起き上がっていた恭介がそんなことを言った。
「……まぁ、お断りする理由もありませんし」
 クドが息を呑む音が聞こえた。恭介と葉留佳さんを除く、僕を含めた全員が驚きの目でその人を見た。
 数瞬、部屋が静まり返る。
 二木さんはそれを颯爽と受け流して、葉留佳さんの脱ぎ捨てたコートを立ったまま手際よく畳み始めた。
「お姉ちゃん、みんなに会わせる顔がないーとか言っちゃって、ダダこねてたのを私が無理やり引っ張ってきたんですヨ」
 やはは、と笑って葉留佳さんが言う。
 二木さんはそれを聞いて、恥ずかしそうな、所在なさげな顔をして、手を止めてしまう。
「……やっぱり、私は」
「佳奈多さん、お久しぶりです!」
 身体を翻そうとしたその腰に、クドが飛びつく。
 二木さんはびっくりしたようにクドを見下ろして、それから戸惑うように目を瞬かせ、やがてクドの髪を撫でながら微笑んでみせた。
「久しぶり、クドリャフカ。勉強ははかどってる?」
「はい、これも佳奈多さんのお陰です!」
 飼い主の帰りを待っていた犬みたいに、クドは笑う。その姿を見て、みんなが笑顔になる。二木さんはクドのルームメイトで、そのときずいぶん英語を教わっていたんだそうだ。
 やっぱり、二木さんもこの場に居なきゃいけなかったんだな、と思った。
 僕はテーブルに向き直り、改めて部屋を見渡す。みんな思い思いの場所に座って、近況報告や思い出話に花を咲かせている。
「ささしっ、……笹瀬川にも声かけたんだがな」
 ワイシャツ姿になった恭介が、ネクタイを緩めながら隣に座った。それを見て僕もスーツのボタンに手をかけようとすると、
「いや、おまえはそのままでいろ」
 となぜか止められた。意味がさっぱりわからない。
「……それで、笹瀬川さんは?」
「成人した後輩に呼ばれてるんだと」
 小さくため息。それを聞いて少し寂しくなった。
「後輩に人気あったからねぇ」
 やっぱり、こうして集まろうとして、全員が全員予定が合うというのは難しいことなんだろうか。何年か先、みんな社会人になってしまったら、きっと難しくなるんだろう。

 それぞれ頼んだ料理やお酒が運ばれてきた。
 下がろうとする店員を、注文をしていなかった二木さんが呼び止める。
「梅サワーひとつ」
 慣れた口ぶりでそう言って、澄ました顔で髪をかきあげる。
 そんな二木さんに、またみんなの視線が集まった。
「ほぅ……あの佳奈多君がな」
「なっ、なんですか来ヶ谷さん」
 含みのある言葉に、二木さんは語気を強めて言うが、
「いやいや、お姉さんはいいことだと思うぞ」
 来ヶ谷さんはさらりと微笑み、うんうんと頷いてみせる。
「は〜、あの鬼の風紀委員がねぇ」
 真人が意外そうな感心したような表情で言う。
「かなちゃん、かっくい〜!」
 小毬さんは独特のイントネーションでそう言って、目を輝かす。二人とも煽るつもりはないんだろうが、当の二木さんは言われるたびに赤面していく。
「お姉ちゃん、お酒飲むんだ。意外だなー」
「葉留佳まで……梅酒くらいいいじゃない」
 卒業前、寮生同士の隠れ飲みの現場に踏み込んだことがあるという。ストレルカを引き連れて飲酒喫煙を徹底的に取り締まってきたあの二木さんがお酒を飲む姿というのは、ちょっと想像できない。
「お待たせしました〜」
 店員がやってきて、二木さんの前に黄緑色のグラスが置かれた。
「……」
 みんなが固唾を呑んで二木さんを見守る。二木さんは居心地悪そうにグラスを手に取り、
「ほら、乾杯は?」
 言われて、みんなが自分のグラスを持ち上げる。僕のグラスはもう氷がとけて、少し汗をかいていた。
「じゃ、乾杯」
 乾杯の音頭もおざなりに、恭介まで二木さんを注視する。
 かちんかちんと、グラス同士が合わせられる音が響く。
 が、誰も口をつけようとしない。
「……あなたたちって、ほんとに、……はぁ」
 佳奈多さんはあきれたように呟くと、観念したのかため息をつき、グラスを口元に運んだ。
 その中身を一口、軽い音を立てて飲み込む。
 途端、歓声が上がった。
「佳奈多さん、いい飲みっぷりですーっ!」
「お姉ちゃんやるぅ!」
「お姉さんの知らぬ間に、佳奈多君もまた一歩オトナの階段を登っていたようだな」
「すげえ……俺は今すげえものを見てる気がするぜ」
「ああ、なかなか見られるもんじゃないな」
 口々に言われ、佳奈多さんはまだ酔ってもいないだろうに、さらに顔を赤くする。
「タバコは吸うだろうか」
 備え付けの灰皿を取って恭介が言う。
「いい加減にしてください!」
 これはさすがに悪ノリだったようで、二木さんがその手を叩こうとする。恭介は笑ってそれをかわす。
 いつだったか、こんなやり取りを見た覚えがあった。
「鈴ちゃん、お酒飲めるの?」
 小毬さんの何気ない問いかけで、今度は鈴に注目が集まった。鈴は大いにたじろいでみせる。
「い、いつもこれくらい飲んでる。だからへーきだ!」
 そう言って両手をいっぱいに広げ強がって見せるが、
「……あまり、無理はしない方がいいと思いますよ」
 西園さんに言われて、鈴は「う……」と短くうめく。
 飲めないのをノリで強制されちゃ可哀想だと思い(二木さんと違って分別がつかない子だから)、助け舟を出してあげることにする。
「いつもそんなに飲まないでしょ。無理しないほうがいいと思うよ、鈴」
 すると鈴は途端に俯き、肩を落とした。
 かと思うといきなり顔を上げ、
「うっさい! 理樹に心配される筋合いないわっ!」
 怒鳴ってからグラスを一気に傾けた。
 ぐび、ぐび、ぐび、とりんごチューハイが勢いよく鈴の喉を落ちていく。
「う、うわぁ!」
 完全に火に油だったようだ。
 チューハイだし、だいぶ底が厚いグラスのようだから、危ないってことはないと思うけど……。
「ぷっはぁ!」
 鈴が手を下ろす。
 二木さんのときとは全く違った意味で、みんなが鈴を見守る。
「……どーだ! お酒くらい、もう飲める!」
 鈴が胸を張った。
「わふーっ! 鈴さん、すごいですー!」
 クドを皮切りにして、また歓声があがった。
「よーし、おかわりだっ!」
 それで気をよくしたのか、鈴が呼び鈴に手を伸ばす。
 いや、それはさすがに心配だ。
 不興を買うこと承知で鈴に釘を刺そうとすると、小毬さんが、
「私、やっぱりデザート頼もうかな〜。鈴ちゃんもなにか食べない?」
「ん……? じゃ、あたしも小毬ちゃんと一緒の奴」
 小毬さんが鈴より先に呼び鈴を押す。そして、僕を見てひとつウィンクをした。



 そのあとはもう昔と殆どおんなじノリで、みんなで飲んで踊ってのドンチャン騒ぎになった。クドは酔った葉留佳さんに文字通り振り回されて目を回し、葉留佳さんも一緒になって倒れた。二木さんはその介抱だったり酔った振りして抱きついてくる来ヶ谷さんを払いのけたりで忙しなく動き、来ヶ谷さんは二木さんが構ってくれないと知ると潰れた振りをしてクドに添い寝し、西園さんはやたらと僕の写真を撮った。
「なにに使うのさ?」
 訊ねてみると、
「資料です」
 とのことだった。
 そして残ったメンバーはというと。
「じゃあ僭越ながら! いっちばーん! 神北小毬、歌いま〜す!」
「いぃぃやっっっほおおぉぉぉぉぉ!!」
「待ってましたぁぁぁっ!」
「うおお……すげぇ唸りで部屋が揺れているじゃないか!」
 小毬さんはすっかり出来上がって、おしぼりをマイクにしながらカラオケを始めていた。


『愛してるってだけでつよくなれる気がしたよ〜』


 ……あれ、なんて歌だっけ、これ。
 ……歌詞に覚えはあるんだけど、もしかして音程が変?

「いいぞ小毬、ナイスなコブシだ!」
「いよっ! だいとうりょーっ!」

 みんなの反応を見ると、どうもそうじゃなかったらしい。
「ねえ西園さん……これなんて歌だっけ?」
 パシャリ。フラッシュが閃く。
「さあ……あまり、フォークにはあまり明るくないので……失礼します」
 申し訳無さそうに言って、パシャリ。
「いや、気にしないでいいよ」
 パシャリ。
「ねえ恭介。これ、なんて歌だっけ?」
 クイ、クイ、と恭介の背広を引っ張る。パシャリ。
「ん、なんだ理樹」
 恭介が振り向く。

『二度と戻らない〜 くすぐりあって転んだ日〜』

「小毬さんが歌ってるこれさ、なんて歌だっけ?」
「……さあ、なんつったかな。小学生かそんくらいで流行った歌だろ……もう十五年近く昔の歌だな」
 十五年。
 口に出されると、妙にリアルな数字だった。

『春の風に舞う花びらに変えて〜 ウーッ!』

 小毬さんが「さあさあ、ご一緒に!」と両手でカム、カムとジェスチャーした。
 男四人で笑いあい、西園さんや他のみんなを無理やりに引っ張り起こす。

『君を忘れない 曲がってばかりの道を行く〜♪』

 みんなして、いっせーので声を揃える。

「きっと、想像した以上に 騒がしい未来が 僕を待ってる〜」
『愛してるってだけでつよくなれる気がしたよ〜♪』
「ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて」
『ズルしてもまじめにも 生きてゆける気がするよ〜♪』
「いつかまたこの場所で 君と巡り会いたい〜!」

 小毬さんが一礼して戻ってくる。
「小毬さん、カラオケとか行くんだ?」
「うん! 新しいお友達とすんごいよく行くんだよ〜! 今、ちょっとしたマイブームなのです!」
 えっへんと胸を張る。
「採点機能とか使ったりする?」
「ふぇ? う〜ん……お友達が採点嫌いっていうからさ〜」
 話を聞く限り、小毬さんはいい友達を作れたようだ。

「二番、みんなのリーダー棗恭介! いくぞヤロウども!」

「あのー、他のお客様のご迷惑になりますので、歌などは控えていただけるとありがたいのですが」
 店員が暖簾から顔を出してそう言った。
 みんなして平謝りした。
「それじゃあ…最後にアイスを人数分、いただけますか」
 西園さんが言った。



 遊ぶのにももう終電を気にしなきゃいけない歳になったらしい。二木さんは葉留佳さんに肩を貸し、来ヶ谷さんはクドをお姫様抱っこして、僕は鈴を背負い、真人と謙吾は互いに寄り掛かりながら店を出た。
「今日は楽しかったですねぇ〜」
 ほろ酔い加減で上機嫌な小毬さんが、そんなことを言いつつ恭介の腕を取った。当の恭介は気にもせず、
「そうだな。またいつか、集まれればいいな」
 実妹の鈴と打って変わって、まったく酔っている気配もない。
 冷たい風が吹く。
 これだけ固まって歩いていれば、その冷たさも少しは和らいで良さそうなのに、酔って火照った身体に染みる。
「鈴ちゃん、手袋しててくれたんだ」
 僕の胸元に回された鈴の手を見て、小毬さんが言う。ちなみに手袋をはめさせたのは僕だ。鈴は寝息を立てている。
「あ、やっぱり小毬さんのなんだ」
「卒業のお祝いにね、あげたんだ」
 ニコ、と小毬さんが微笑む。いや、この歳の同級生に贈るものとしてどうなんだろう、とは思うけど。
「実はお揃いなのです!」
 そう言って、ポケットから鈴と同じ手袋を取り出した。
「でも、だめなんだ。なんかほつれてきちゃって」
 中指と薬指の又に開いた穴を見せて、はぁ、と肩を落とす。
「こーゆうの着けててくれると、ああ、鈴ちゃんは変わらないんだなあ、って思える気がしてたんですけどねえ」
「え? そんなに変わってた?」
「変わってましたよ〜。鈴ちゃん、すごいオトナだった〜」
 その驚きを、表情で再現してくれた。
 そうか。そんなに違ったか。
「まぁ、理樹は鈴といつもベッタリだからな。気づかないのも無理はないさ」
 うんうん。恭介は腕を組んでしみじみと頷いていた。
「あー、これこれ、クドリャフカ君。涙を拭きたまえ。おねーさん困ってしまうぞ」
 後ろを歩く来ヶ谷さんの声。
 振り向くと、来ヶ谷さんの腕の中でクドがしゃくりあげていた。
「わ、私っ、帰りたくないです。ずっとみなさんと一緒に、遊んでっ、たいです」
 すんすんとすすり上げる音が、とても大きく聞こえた。
 クドはなにも、みんなと居るのが楽しかったからというだけで泣いているのではないだろう。
 住み慣れた場所を離れてまた新しい生活を始める。その一事がどれだけ難しいことかみんなわかったからこそ、クドを励ますのではなく、いつでも会えるよ、と慰めたのだった。



 駅のホーム、上りと下りで別れることになった。
 最初の四人以外は、先に来る電車に乗ってそれぞれ帰っていくことになる。
「あ、そうだ、理樹」
 電車がホームに入る、というアナウンスが流れたとき、恭介が僕の肩を掴んだ。
 なにごとかな? などと思っているうちに、恭介の手がおもむろに僕の上着のボタンを外し始めた。
「ち、ちょっと、恭介!?」
 あっという間に上着を脱がされてしまった。
 西園さんが血相を変えた。
「これだよ。これが見たかったんだ」
 真剣な眼差しに、なにか身の危険を感じた。
 薄暗いホームにフラッシュがきらめく。
 そして恭介は僕の身体を背中の鈴ごと抱きしめ、お酒臭い顔を僕の肩に置いた。
「あの理樹がなぁ……スーツにネクタイだなんて、信じられねえよ、まったく」
 恭介の頬が耳に触れた。火傷しそうなほどに熱かった。
「ねえ、恭介、もしかして、酔ってる?」
 恭介は僕の質問に答えることなく、立派になりやがって、見違えちまうぜ、なんてことを呟いていた。
「また集まろうな。もちろん能美も、誰も欠けないように。お前らが卒業して、就職して、偉くなったり、逆に失敗なんかしたりしても、またな」
 撥水加工の僕のスーツに、恭介の涙は吸い込まれることなく、アスファルトの地面に落ちた。
 恭介の言葉は、いかにも弱々しい、哀願のようだった。
 もしかしたら、これが僕たちの最後になるかもしれない。
 そんな極端なことはありえないはずなのに。また会おうと思えばいつでも会えるはずだったのに、きっとここに居る誰もがそう考えた。だってあの恭介が弱音を吐いているんだから。
 恭介が自信を持てないことを、僕らはどうすることができるだろう。

「だいじょーぶだっ! あたしにどんと任せとけっ!!」

 僕の耳元で、鈴の怒鳴り声がした。駅の鉄橋にぐわんぐわんと反響している。そしてとてつもなくお酒臭かった。
 誰からともなく笑い出して、それからまもなく普通電車がホームに入ってきた。

あとがき

 みんなでお酒を飲んで馬鹿騒ぎするだけの話を作るつもりが、どうにも。

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