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ももちゃんの一級試験


 キッチンの片づけが終わってから、タオルを干して二階に上がった。一段一段、階段がぎしぎし音を立てた。
 部屋は暗かったけど、窓から入ってくる明かりで歩いた。
「マジョモンロー、片付け、終わったよ」
 返事はない。ベッドのへりに手を突いて顔をのぞき込む。小さなカエルの身体が、すこしだけ息を立てていた。
 閉じた目に掛かっていた前髪をそっと払う。深いくまが目の下に影を作っていた。
 疲れて、小さくなった、マジョモンロー。生クリームを泡立てていた腕も、私にクッキーを差し出してくれた手もない。
 見ていたら、悲しくて泣きそうになった。眠っていることが多くなったマジョモンローのそばで、夜、毛布に顔をうずめながら、私はいつも泣いていた。
 でももう、泣かなくていい。
 ベッドを離れて窓際まで歩く。空を見上げると、薄い雲のすきまから月が笑っているのが見えた。一人で月を眺めるのも、今日で最後。
「また明日ね。マジョモンロー」
 静かなニューヨークの道を、家までずっと走って帰った。
 今日は朝から明日の試験のことで頭がいっぱいだった。いつも二つくらい焼くホールケーキもお砂糖の量や焼く時間を間違えたりで全部失敗した。ケーキの型に生地が焦げ付いて全然取れないで、ケーキを買いに来てくれたお客さんに怒られた。
 得意のはずのクッキーも、やっぱり上手く行かないで、でも売り物がないと困るから、よくできてそうなのを選んで出した。
「なんだか今日のクッキー、ぱさぱさしてない?」
 いつも来てくれるスミスおばさんにもそう言われた。
 モンローは試験は忘れちゃっていいって言ってくれたけど、やっぱり忘れられなかった。
 明日は今日みたいな失敗はしませんように。
 どんな試験なんだろう。
 ちゃんとできるのかな。
 そんなことを考えながら、私も暖かいベッドに入って眠った。
 明日の夜、お手製のクッキーとココアで、マジョモンローの膝の上で、一緒に月を見る。そんな夢を見た。楽しくて、とても嬉しかった。

 太陽が出る前に目が覚めた。学校がお休みの日はいつも早起きができる。
 ベッドから跳ね起きて、顔を洗った。いつもの服に着替えてから髪型を作って、スニーカーのヒモをいつもよりぎゅっとむすんで部屋を出た。
 お母さんはパジャマのまま、眠そうにお皿にシリアルを注いでいた。
「おはようももこ、早いのね」
「行ってきます!」
「え? 行くって、お店? 朝ごはんは?」
 背中でなにか聞こえたけれど、私はそのまま家を飛び出した。
 まだ暗くて寒い、気持ちのいい道を走った。
「おはよー! マジョモンロー!」
 階段を駆け上るとマジョモンローはもう起きだしていて、笑顔で私を迎えてくれた。
「おはようももこ。今日はいい朝ね」
 マジョモンローはベッドから床に降りると、私の方に来ようとして、つまづいた。
 床に顔から倒れてしまう。
「わわ、ダメだよ寝てなきゃ!」
 慌てて抱きかかえて、ベッドに寝かせてあげた。
「うーん、久しぶりにココアでも作ってあげようと思ったんだけど……」
「調子悪いなら、無理しないで」
 私がそう言うと、マジョモンローは少しだけ笑った。
「そう。じゃあ今日は、ここから応援してるわね」
「うん! 私、がんばる!」
 窓を開ける。だんだん暖かくなってきた日差しが目に入った。高いビルの頭から太陽が顔を覗かせていた。
 表にお休みの札をかけた。試験はいつも夜だからお店を開けてもいいんだけれど、今日はなんだか集中したかったのだ。まず中の掃除をした。マジョモンローがまたお菓子を作るようになったとき気持ちよく使ってもらえたらいいと思った。それからココアを作った。今日の夜の二人分を取っておいて、お昼は自分でサンドイッチを作って食べた。
 夜にはまだまだ時間がある。試験のための練習をしておこうと思った。
 ポケットからタップを取り出して、鼻から息をはく。ボタンに指を添えて、さあ押そう、というそのときだった。
 いきなり物置の扉が開いた。
 タップを隠そうとして慌てて落とした。ガランガランと音が立って、身体で隠した。誰かが私の背中に近づいてきたけど、恐くて振り向けなかった。
「それじゃー試験を始めるわよー」
 気の抜けた声がした。
 こわごわ後ろを見てみると、モタモタが立っていた。
 私は固まってしまった。
「さー、もたもたしないで準備しちゃってー」
 それからモタもいた。
「へ?」
 と言うのが精一杯だった。
「今日の試験はぁ、人間界でやるのー。魔法を使って誰かに『ありがとう』って言ってもらえば合格よー。もちろん、魔法で言わせたりしたら失格ねー」
 私はまだ固まっていた。
「あ、あのー……なに?」
「それじゃあよーい、ドン!」
 とりあえず、で店を飛び出した。




 高いビルに腰掛けて、町を見下ろす。車も人もバニラビーンズみたいに小さくて、どうしていいか分からなかった。
「うーん、困ってる人、いないかなぁ」
 肩に座っているニニに話しかけてみる。
「ニニニ?」
「そーだよねー、ここからじゃ見えないよねー」
 でも、ホウキで飛んでいると、ビルの中で働いてる人に見つかっちゃう。
「どうしたらいいと思う?」
「ニニ、ニニニッ」
 こうしてても仕方ないから、とりあえず歩いて探そう、なーにそのうち見つかるさ。
 ニニはそう言って笑った。
 確かにそうするしかないみたい。
「……じゃあ、行こうか。よぉーしっ!」
 ホウキにまたがって空を飛ぶ。日曜日なのに下の人たちは忙しそうに歩いていて、見つからないで済んだ。

 魔法を使ってありがとう、と言ってもらえば合格。難しい。
 スミスおばさんのパン屋を、外から覗く。お店には三人くらいお客さんがいて、おばさんはレジのところでお客さんとお話していた。ときどき、外まで笑い声が聞こえてくる。
「……困ってないね」
 まず困ってる人が見つからなかった。みんな楽しそうに日曜日を過ごしていた。
 町中を行き来して、やっと見つけても、お礼は言ってもらえない。
 道を掃除してるおじさんを手伝ってみても魔法が使えなかったし、男の子同士のケンカもそうだった。
 ハイヒールが折れて困っているお姉さんがいた。
「ペルータンペットン、パラリラポン!」
 建物の影から魔法をかける。お姉さんはとってもびっくりしていた。その前に出て行った。
 お姉さんは私を無視して、さっさと歩いていってしまった。
 魔法玉はどんどん減って、残り三個になっちゃった。
 そうこうするうち、太陽はいちばんてっぺんまで昇って、傾こうとしていた。
「もー、やんなっちゃう! 誰がこんな試験考えたのかなー?」
 ひとまずMAHO堂に戻ってブレイクした。ニニに向かって言ったんだけど、ニニはキッチンの奥でなにかやってて、私の声はぼんやりと消えてしまった。
 チクタクと時計の音が聞こえた。あと五回くらい鐘が鳴ったら、試験が終わっちゃう。本当はもう飛び出して行きたかったんだけど、前にマジョモンローが、忙しいときは休憩を取りなさいみたいなことを言っていたから、私はテーブルに突っ伏していた。
 こんなことしてても、なんにもならないと思う。
 ニニを置いて階段を上った。ベッドの上ではマジョモンローが眠っていて、私は椅子を引きずってとなりに腰掛けた。
 おでこのところに浮かんでいた汗を袖でぬぐった。
 マジョモンローが辛い思いをしてるのは私のせいだ。だから今すぐ合格したかった。でも、全然上手く行かない。泣きそうになって、ぎゅっと目をつむった。
「……どうしたの、そんな悲しい顔をして」
 声がして、目を開ける。
 マジョモンローが私に笑いかけていた。
 私は試験の話をした。魔法を使って『ありがとう』と言ってもらうのが試験だっていうこと。陽が沈んじゃうまでがタイムリミットだってこと。でも、誰も困ってる人がいないっていうこと。
「全然どこにもいないの」
 マジョモンローは少し考え込んだ。
「その人が困ってるかどうかっていうのはね。その人と同じ高さや同じ場所に立ってみて、初めて分かるのよ。……わかる? ももこ」
 私は考えてみた。同じ高さ、同じ場所。
 分からなかったから、首を振った。マジョモンローはまた、ほんの少しだけ笑った。
「私がももこを見つけられたのはね。私がひとりぼっちでベンチに座って、ひとりで絵本を読んでたら、きっと悲しいだろうなって思ったからなのよ」
 マジョモンローの言うことは、最後まで分からなかった。
 あの日、どうしてマジョモンローは私にクッキーをくれたんだろう。魔女だって分かったときには、魔法で私の考えていることが分かったのかも、と思ったけど、マジョモンローはそうじゃないよって言っていた。きっと、マジョモンローには私の気持ちが分かる超能力があったんだ。
 マジョモンローの手は大きくて温かくて、クッキーはバターの風味が利いていて、手作りらしい柔らかさがあって、甘かった。本当に嬉しくて、慣れない英語で何度も『サンキュー』と言ったのを覚えている。
 寝息を立て始めたマジョモンロー。
 この姿のままじゃ、もう手も繋いでくれないし、クッキーだって作れない。
 階段を下りていくと、ココアの匂いがした。ニニが、朝に作っておいたココアをマグカップに注いでいた。
「ニニッ、ニーニニ」
 フラフラとマグカップを抱えて飛んできて、えっへんと胸を張る。
 オーブンにかかったお鍋には、たくさんココアのまくができて縁に張り付いていたし、ココアにしては熱すぎた。それでも私は口を付けた。火傷しそうなくらい熱かったけど、甘くておいしかった。
「ニニ、ニ?」
 どう? おいしい?
 そんな風に、不安そうな顔で訊いてきた。なんだか、初めてケーキをお客さんに出したときの私みたいだと思った。
「すっごくおいしいよ。ありがとね、ニニ」
 だから私は、思いっきり笑って言った。

 ――そして、ひらめいた。

「そうだ、これだよ!」
 私は私が一番得意なことで、ありがとうって言ってもらえばよかったんだ!
 二ニは分からないような顔をしている。
「ニニ、急いで薄力粉持ってきて!」
 私はキッチンに駆け込んで、ニニが消したばかりのオーブンにまた火を入れた。それから手を洗って、ボウルとバター、卵に計量カップを用意する。
「ニニニ……」
 ニニがフラフラと薄力粉の袋を持ってきた。
「あとお砂糖もお願いね!」
 ボウルに薄力粉を入れる。ふるいをかけながら、大体目分量。バターはオーブンの熱で軽く溶かして、卵を混ぜる。手で一度に混ぜてしまう。
 砂糖の袋によりかかって休んでいたニニをどかして、お砂糖は計量した。薄力粉の半分の半分くらい。なんとなく全部になじむように落とす。それからまた混ぜる。粉だったのが、だんだんクッキーのタネに変わっていく。
「ニニッ、ニニニニッ」
 クッキーなんて作ってる場合じゃないよ! 試験はどうしたの!?
 ニニが耳元で怒鳴る。
「ふふ、まぁ見てて。これも試験のために作ってるのよ」
 小麦粉を引いた板の上に生地を置く。めん棒で全部が同じ厚さになるくらいまで伸ばす。それをクッキーの型で抜いて、天板に並べていく。手を洗ってキッチンタイマーを合わせる。オーブンが温まったのを確かめて、天板をセットする。
 あとは焼くだけだ。
 私はオーブンから離れて、ポロンを構えた。
「ペルータンペットン、パラリラポン!
 おいしいクッキーになーれっ!」
 魔法玉が二個なくなった。残ってるのはあとひとつ。
 でも、きっと大丈夫!




 焼きあがったクッキー。甘いバターの香りがして、色だって綺麗だし、全然形も崩れてなかった。すごくおいしそうだった。誰かにあげれば、きっと『ありがとう』って言ってくれるはずだった。
 私は嬉しくなって、半分お皿に乗せて二階に登った。
「マジョモンロー、見て見て!」
 こんなに上手くできたのは初めてだった。
 マジョモンローは身体を起こして私の顔を見た。
「あら、おいしそうなクッキー。ももこが作ったの?」
 マジョモンローも嬉しそうだった。私は大きな声でうん! と答えた。
「ねえ、食べて食べて! スミスおばさんに持ってくの!」
「そう急かさないで。それじゃあひとつ、頂くわね」
 細い手でクッキーを摘まんで、小さな口に持っていく。ポリッ、といい音がして、マジョモンローは口を動かす。
 しばらくマジョモンローは黙っていた。きっとすごくおいしかったんだと思う。
「これ、スミスおばさんにあげたら喜んでくれるかな?」
 新しく作ってみました。食べてみてください!
 そう言って持っていこう。スミスおばさんは大きな鼻を動かして、うーん、と唸ってから、一口で食べちゃう。
 それからよく噛んで、幸せそうにタプタプのほっぺたに手を添えて、きっとこう言うんだ。
『とってもおいしいわ。これ、本当に貰っちゃっていいの? ……そう! じゃあすぐ全部食べちゃうわね! ありがとう、ももこ』
 それで試験はきっと合格。
 またマジョモンローがお菓子を作って、私はお手伝いをして、スミスおばさんと世間話をして、おばさんはマジョモンローのケーキを食べながら幸せそうに笑う。
 そういう日が、また来るんだ。
 すごく嬉しかった。
「これ、ももこが作ったの?」
 また同じことを訊かれたけど、私は気にしないで頷いた。
「きっと、スミスさんは……いえ、誰も喜ばないでしょうね」
 マジョモンローは私に小さな背中を向けた。
「……え?」
「私だって、嬉しくなかったわ」
「そ、そんな! おいしくなかったの!?」
 魔法に失敗しちゃったんだろうか。慌ててクッキーを口に入れて、よく噛む。
 ……クッキーは、とってもおいしかった。
 私が作ったクッキーの中では、一番おいしかった。魔法は大成功だった。
「お菓子は、味じゃないのよ」
 マジョモンローは振り向いて、泣きそうな顔をした。
 なんでマジョモンローが、こんなひどいことを言うのか、分からなかった。
 ただ私は悲しくなって、部屋から走り出してしまいたかった。
 マジョモンローや、スミスおばさんや、みんなにおいしいお菓子を食べてもらえればと思ったのに。
「ねえ、待って」
 その声に引き止められた。
「よく聞いてね」
 私は椅子に座って頷いた。
「おいしいお菓子を作るだけなら、機械の方が上手なの。もちろん、すごい人は機械になんか負けないけど。でも私たちみたいな、普通の人たちに比べれば、間違いがない分きっと機械のほうがおいしいクッキーを作るわ」
 私は首を振った。マジョモンローが作ってくれるクッキーのほうが、スーパーで売ってるクッキーよりずっとおいしかった。
「工場で作るクッキーと、手作りのクッキー、なにが違うと思う?」
「……スーパーのは冷たい気がする」
 マジョモンローは笑ってくれた。
「そう。その通りよ、ももこ。工場で分量とか、味の計算とか、全部済ませて、絶対失敗しないで作ったクッキー。成分……材料より、お菓子は人の手の温かさが一番の味付けなの」
「でも、私のクッキーはスーパーのより、ずっとおいしいよ?」
「それはももこが初めて食べたからだと思うわ。……私は、何度もこれと同じ味のクッキーを食べてきた。全部おんなじ。魔法で作ったクッキーはね。誰がやっても違いがないの。まるで冷凍庫の氷みたいに」
「……」
「私は、ももこが前作ってくれたクッキーの方が好きだわ。焦げてたり、混ぜ方がバラバラだったりしたけれど、とっても温かかった」
 私はうなだれて聞いていた。涙がこぼれそうだった。
「ももこ。お菓子作りは失敗から学ぶの。失敗すればするだけ、またおいしいお菓子が作れるようになるのよ。……ももこも知ってるでしょ?」
 マジョモンローは、そっと浮き上がって私の頭を撫でてくれた。
 窓の外の空は、青さが抜けて、少し赤くなりかけていた。
 MAHO堂を飛び出した私を追って、ニニが付いてきた。もうクッキーを作ってる時間はなかった。
 失敗したそのあとが大切。試験にも、もう失敗しちゃうかもしれないけれど、頑張ろう。




 とうとう太陽が傾いてきた。
 試験にはたぶんもう、間に合わない。あと一時間くらいで終わってしまう。
 マジョモンローがずっとマジョガエルのままだったらどうしよう。そんな考えが頭に浮かんでしまう。悲しかった。マジョモンローがずっと調子悪いままだったら、どうしよう。
 人気のなくなった公園の前を一人で歩いていた。
 ベンチに、女の子が座っているのを見つけた。私はその前を通り過ぎようとした。
 でも私の足は止まった。
 女の子はすごく寂しそうに、私が読めない字が書いてある絵本を読んでいた。今にも泣き出してしまいそうだった。私より小さくて、金色の髪をしていた。
 私は膝に手を突いて、女の子の目を覗き込んだ。
「どうしたの?」
 声をかける。女の子はすごくびっくりして顔を上げた。それから、なにか言った。
「え? ごめん、もう一回言って?」
 女の子は声を出す。
 私にはなんて言ってるか分からなかった。
 こんなとき、どうすればいいだろう。
「……そうだ」
 思い出したのが、マジョモンローのクッキーだった。温かくて甘いクッキー。
「今、ちょっと時間ある?」
 女の子も、私の言葉がわからないみたいだった。それでも私は笑った。女の子の手を取って、歩き出した。
 女の子は不安そうにしていたけれど、私が連れてきた場所がお菓子屋さんだってわかったらほっとしたようだった。
 残っていたココアを一杯、温めてあげた。キッチンで私は、残った半分のクッキーを片付けて小麦粉を探した。
 クッキーは時間が掛かるけど、ホットケーキならばすぐだった。
「ねえニニ、小麦粉どこ?」
 隠れていたニニが顔を出す。さぁ、知らないよ、って首を振った。
 お店の女の子に、
「も、もうちょっと待っててね」
 と言って、倉庫に走った。
 小麦粉の袋は空だった。
「た、大変、どうしよう!?」
 ニニを掴んで揺さぶってみても、小麦粉は出てこない。
 ほかのお菓子にしようか。なにかあるかな。私に作れそうなのは思いつかない。
 焦ってばかりで考えが先に進まない。
 それとも、さっきのクッキーをあげようか。
 そんな考えが浮かんだ。
 私は首をブンブン振って、それを振り払う。私は、マジョモンローみたいな魔女になりたいと思った。一人ぼっちで寂しくしている女の子を、魔法で笑顔にしてあげられる魔女。
 魔女。
 そうだ。私には魔法があった。
 ポロンには、魔法玉がひとつ。
 倉庫のドアを閉めて、魔法の呪文を唱えた。
「ペルータンペットン、パラリラポン!
 小麦粉よ、出てこーい!」
 煙とともに、小麦粉の袋がでてきた。魔法玉は全部なくなっちゃった。
 マジョモンローを助けてあげられなかったのかと思うと、悲しくなった。悲しくなったけど、お菓子は悲しい気持ちで作っちゃダメだって教えてもらったから、私は全速力でキッチンに入った。
 小麦粉、卵、牛乳に、ほんの少しのベーキングパウダーをボウルに入れて、かき混ぜる。落としたタネが、上にすこし盛り上がるくらい。ニニにはオーブンを入れてもらって、ハチミツや甘いジャムを用意して、それから生クリームを作った。
 油を引いて温めたフライパンの上に、ホットケーキのタネを落とす。女の子は、なにがあったのか分からないし、おいしいって言ってくれるかどうか分からないけど、私がしてあげられることをしてあげたいと思った。
 きつね色に焼きあがったホットケーキを大皿に乗せていった。それから小皿とトッピングをトレーに乗せて、女の子の前に持っていった。
「食べ方、分かる?」
 訊いてみたけど、答えはない。困ってしまったから、私の分を取って、ハチミツをたっぷりかけて、ナイフで切って口に運んだ。甘くてとってもおいしかった。
 女の子に切り分けたホットケーキを差し出す。それから新しいフォークとナイフも。
 困ったような顔をしてホットケーキとフォークを見比べていたけど、私がもう一口食べると、女の子は私と同じハチミツをかけて、ホットケーキを食べた。
 喜んでくれるかドキドキした。
 女の子の顔を見た。女の子はホットケーキを飲み込むと、笑顔になってすぐ切り分け始めた。それだけで十分だった。
「いっぱいあるから、いっぱい食べてね。生クリームとかもあるよ」
 嬉しくなって、女の子のお皿にホットケーキを次々乗せた。
 女の子はすぐに全部食べてくれた。女の子の顔は明るくなった。本当に、嬉しかった。
 公園まで、言葉も交わさないまま、手を繋いで歩いた。
 夕焼けが目に染みた。
 試験はダメだったけど、マジョモンローには謝らない。マジョモンローが教えてくれたことを、私はできたと思う。
 女の子が繋いだ手を解いた。
 ここまででいい、っていうことだと思う。
「また、どこかで会えたらね」
 そう言ったけど、女の子には分からないみたいだった。それでもよかった。
 女の子が歩き出す。私も逆を向いて歩く。背筋は真っ直ぐ、MAHO堂まで。

「ダンケシューン!!」

 後ろから声が聞こえた。
 振り向くと、女の子は、ホットケーキを食べているときよりずっと、おもいっきりの笑顔で、手を振っていた。
 あのときの私も同じことをしていた。マジョモンローに初めて手を引いてもらったあの日。私も夕焼けの中で、千切れるくらい、肩が痛くて涙が出るくらい、嬉しくて、ずっとマジョモンローの大きな背中に手を振っていた。
 私は超能力が使えるのかもしれないと思った。私はマジョモンローのおかげで、魔女になれたのだ。金髪が夕日で照らされて、キラキラとして、女の子の笑顔は本当にきれいな、たからものみたいだった。
 私も女の子に、大きな声でありがとうと言った。




 マジョモンローは、一緒に月を見上げることもなく死んでしまった。
 私はまた一人ぼっちになった。
 でもすぐに友達ができた。マジョモンローに教えてもらったことが、私を助けてくれた。
 その友達とも、ずっと前にお別れした。
 それでも私は一人ぼっちにはならなかった。
 今、ケーキ屋さんでアルバイトしている。ケーキを作らせてくれるようになったし、ハイスクールの友達や、ベスたちもたまに来てくれる。ベスたちは私のケーキを食べるといつもおいしいと言って笑ってくれる。
「知ってた? ももこ。もうすぐケーキのコンテストがあるのよ? 出てみたら?」
「あはは、まだまだしゅぎょーが足りないよ。もっと練習して、ベスたちが泣くくらいおいしいのが作れるようになったらね」
「なに言ってるのよ。私たち、ももこに会いに来てるんじゃなくて、ももこのケーキを食べに来てるのよ?」
 そしてみんなして笑う。

 ニューヨークの片隅にあるお菓子屋さん。看板の文字ももう読めない。
 ときどき、勝手に中まで入ってしまう。キッチンにはあの泡だて器や、計量カップがまだ残っている。
 耳を澄ますと、シャカシャカとボウルをかき混ぜる音が聞こえて来る気がする。
 どれみちゃんから手紙が届いた。夏休みになったら遊びに来なよ。お盆にあわせておじいちゃんのところに行こうって。一緒に花火やったり、いろんなことしようって。
 日本の夏といえば、お盆祭り。年に一度、死んだ人のことを思い出して、みんなでその人をおもてなししてあげる、優しいお祭りだ。
 旅費は溜めていたバイト代から出そう。新しいオーブンはまた今度。
 ビデオ越しじゃない、どれみちゃんの笑顔を、久しぶりに見たい。





あとあとがき

 初めてのおジャ魔女SSということで、個人的には思い入れのある作品です。おジャ魔女ジャンルで文章作品がどれだけ受け入れられるのか不安でしたが、多くの方が手にとって下さったそうで、感無量です。


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