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はるちんの星


 かとなく気だるい昼下がり。
 気だるいのは夏の太陽がまぶしすぎたわけではなくて。

『ピッチャー棗、振りかぶって、ワン・ワンからの第三球目、投げました! 打った! 三遊間ゴロになる! 来ヶ谷深いところで押さえ、あっとイレギュラー! しかしそこはさすがの名手、素早く捕球し一塁へ! ――間に合った! 間に合いました一塁はアウト! 一塁はアウトです! 直枝一歩及ばず、さすがの守備と言ったところでしょうか!』

 それがどうして気だるいかというと。

『ピッチャー返し! 捕った! 棗、素晴らしい反応です!』
『レフトへ上がった! 大きいぞ、能美バック、バック、飛び込んでどうだ!? 捕っています捕っています! まさに犬の名にふさわしい見事なプレーです!』

「おい三枝! 実況してる暇があったらカバーにでも行けーっ!」
 真人くんがレフトから馬鹿でかい声で言うものなので
「どーせみんななら逸らさないでしょーがっ!」
 怒鳴り返してみますけど、聞こえたかどうかは定かでありません。

 まぁ、全然飛んでこないわけです、球が。

 リトルバスターズ合同練習。始まる前の恭介くん訓示。
「いつも通りピッチャー鈴。打つのが最初は理樹でファースト謙吾、セカンド小毬、できるか? サードが俺。ショート、もちろん来ヶ谷。レフトは真人、まぁ適当に頼む。センター能美。任せたぞ。ライト、三枝な」
 また、別の日。
「能美はセンター。三枝がライト」
 別の日。
「……えぇっと、ライト三枝」
「三枝、いつものとこ」
「言わなくても分かるよな」

「私ショートやる!」
 あくる日提案してみました。
「それはいいが……できるか?」
「失敬な! はるちんのバツグンの運動能力をご存知ないと見えるね」
「……まぁいいや。なかなか燃える設定だしな」
 と恭介くんが相変わらず意味のわからないことを申しまして。なにくそーっ! と燃え上がったわけですが、このときはるちんはまだなにも知らなかったのであります。

 そして練習。
 二遊間のゴロ!
「ほいやーっ!」
 逆シングルでボールを捌き流れるように一塁へ!
「……って、あれーっ!?」
 なんと足がもつれて大転倒! むむ、ボールが手に付かなかったか!
 気を取り直して三遊間!
「チョイサー!」
 今度は深い位置からのステップスロー! 一塁へ大遠投だ!
 びゅおおおおおっ!!
 風を切って矢のように白球が放たれる! 謙吾君が身体を伸ばしてナイスキャッチ!
「……余裕でセーフだな」
 謙吾くんがやれやれってな顔をする後ろで、理樹くんが息を切らしていたのでありました。
「むむむ……」
 なんかおかしい。
 そのときになってはるちんは異常を察知したわけであります。
「ねぇ恭介くん」
「なんだ? 三枝よ」
「一塁の代わりに三塁投げちゃダメ?」
 そう――左利きは一塁にとっても投げにくいのでありました!
「駄目。野球にならんだろ」
 はるちんの提案をあっさりと棄却して、恭介くんは私の守備位置を奪っていくのです。
 以来はるちんは、リトルバスターズ不動のライトフィールダーと相成ったのでした。



「葉留佳。さっきから誰と話してるの? それと、食事中くらい静かになさい」
 お姉ちゃんはたくあんをお箸でつまみながら、ぽりぽりとそう言いました。食べながら喋るのはお行儀悪いぞ! なんて言った日には三日は口を聞いてくれない(推定)ので、私は黙っておきました。
「うっわー! ひっどー! せっかく話題を提供してあげてるのに!」
「あ、味の素とって」
 赤いキャップの小瓶を渡すと、お姉ちゃんは黙って味の素たくあんをぽりぽりしました。
「ははは。佳奈多さんの言うとおりだぞ。一人で喋ってないで、みんなで話さないと」
 お父さんまでこんなことを言うわけです。はるちんに味方はいないのでしょうか。
「いいじゃないの。たまの家族団欒ですもの、葉留佳だって佳奈多さんとお話したいことがいっぱいあるんでしょう」
 そして差し伸べられる救いの手。お母さんはやっぱり素晴らしい!
「佳奈多で結構です。ここでは二木の家の者ではありませんから」
 お姉ちゃんの意外といえば意外な一言。
 お父さんとお母さんは互いに顔を見合わせ、微笑んで頷き合ってから、
「じゃあ……佳奈多」
 と声を揃えて言いました。
 お姉ちゃんはつっけんどんに口を閉ざしているわけですが、ほっぺたが赤くなったのを私は見逃しませんでした。ほっぺが真っ赤っかだ! なんて言った日には十年は口を聞いてくれない(推定)ので黙っておきました。
 音量を絞ったテレビでは野球中継がかかっていました。ライトの左利きの選手が、かっこよく三塁へ向かったランナーを刺し殺していたりもしました。
「ねぇ……ライトってだめなの?」
 お母さんがテレビを観ながらそう言います。
「だめってことは無いさ。ライトは外野守備の要だからね」
 お父さんが得意げに解説を入れました。そう言われると、はるちん無性にやる気が湧き出てきます。
「でも、草野球のライトなんて野球に参加してないのと一緒よ。ね、葉留佳」
 意地悪くお姉ちゃん。私はまたもしょげ返るわけです。
 それから、みんなして野球を観ました。
 試合もたけなわ、終盤に差し掛かって鈴ちゃんみたいにびゅんびゅん投げる右ピッチャーが出てきました。
「リリーフエースってやつね」
 ふふん、とお姉ちゃんが勝ち誇ります。
 エースと名が付くだけのことはあり、いともあっさりバッターを三振に切ってとったのでした。
「――あれ、でも帰っちゃうわよ、あの人」
 お母さんが言いました。見れば、さっさとマウンドから離れて、別のピッチャーにボールを渡しています。
 お母さんが首を傾げています。
「なんで? お姉ちゃん」
 素朴かつ妹としての完璧な振り。お姉ちゃんにお姉ちゃんらしさを出させてあげる健気な妹。はるちん憎い! 憎いねぇ!
 ……が、いつまで経ってもお姉ちゃんは答えてくれず、お父さんとお母さんはお姉ちゃんの答えを待って黙るのでした。
 お姉ちゃんの頬がひきつりました。
 長い時間が経ちました。
 そう、はるちんは地雷を踏んでしまったのです!
「……あ、あれはね。あの投手は、十球肩なのよ。もう、それでいっぱいいっぱいなの」
「え? そうなの?」
「そうよ。シーズンオフに手術もしたし、大事を取ってるんでしょう」
 おー、物知りだな、佳奈多は。
 お父さんはそう言って朗らかに笑いましたが、手術云々というのは画面にちっこく表示されたプロフィールに書いてあったことなのでした。
 折りよく解説が聞こえてきました。

『――監督、ここでピッチャーを代えてきますか』
『次が左のローズですからね。左の横投げのホシノくんで確実にアウトもう一つ、という計算でしょう』
『ではここで出てきたホシノもワンポイント、と考えていいんでしょうか?』
『そういうことになりますね』

 ……というのが正解だったらしいです。
 楽しい一家団らんの時間に、暗く冷たい影が落ちてきました。お姉ちゃんは恥辱に顔を赤く染め、目に涙を浮かべんばかりでした。
「あっ! ほら、見て見て! 次のピッチャー左利きよ! 葉留佳、なにか参考になるんじゃない!?」
 慌てたお母さんが画面を指差し、お父さんは「おー、どれどれ」と身体を前のめりにして画面に見入る振りをしました。
 テレビには、サイドスロー、左投手のホシノさんの投球練習が映し出されていました。
 しなやかな雌豹を思わせる流麗なフォーム。そこから繰り出される一条のシルクのような真白の道程。
 そのときはるちんに電流走る――!

「これだああーーーーっ!!」

 ざわ……ざわ……
 観客席がどよめきました。
 何事かとお父さんお母さんが目を丸くしました。
 俯いていたお姉ちゃんまでも、なんだこいつは、という表情で私を見ました。
「そうと決まればお姉ちゃん! 練習に付き合ってもらいますヨ!」
「嫌。一人でやりなさい」
 お姉ちゃんは素知らぬ顔でたくあんを齧るのでした。



 それからはるちんは幾多の困難を乗り越えていった。
 はるちんは孤独だった。
 血が滲み胃から汗が出る鍛錬の日々。それでも放課後の練習はサボれない。はるちんは物理と数学を犠牲にしながら、たゆまぬ努力を続けたのだった。
 そして、リベンジのときは訪れた。
 ドーナツやらぽっきーやらを貪るこまりんたちを尻目に、はるちんは部室を後にする。グラウンドでは鈴ちゃんと理樹くん、それに恭介くんがいて、さっそくキャッチボールを始めていた。鈴ちゃんは相変わらずの荒れ球で、ボッコンボッコン理樹くんをぶっとばしてる。それを柔らかな微笑みを浮かべて眺める恭介くんと、ばしばしぶつけられながらニコニコボールを受ける理樹くん、そして天使か無垢な幼子のような純真な笑顔で剛球をぶつけ続ける鈴ちゃん。
 そんな三人を見て、はるちんは背筋に薄ら寒いものを感じていた。この三人は、いろんな意味で手の届かない場所にいる。なんというか、アブノーマルな方向に。そう思った。
 しかしはるちんは立ち止まるわけにいかなかった。
 ざっ、と地面を蹴り上げて、恭介くんの下へ全力疾走。
 三人の注目を浴びながら、高らかに告げる。

「はるちんピッチャーやりたい!」
「面白そうだ。鈴、今日はライトな」
「やじゃ、つまらない」
「わがままはダメだよ、鈴」
「んぅ……わかった」

 初めて立つ小高いマウンド。みなの視線がきらきらとカクテル光線のように注がれるのを感じる。
 鈴ちゃんはこんな素晴らしい場所を独り占めしていたのかっ……!
「なにか秘策があるようだな」
 とは傍らに立つ恭介くん。
「ふっふっふ、ダメな子はるちんという野球選手は死んだのですよ」
 漲る気迫に圧倒されてか、打席の理樹くんが身じろぎしました。
「じゃあ、いっくぞーっ!!」
 気合一閃! はるちん大きく振りかぶり、第一球をぉ!
 ――そのときでした。
 ガシィ! と突然肩を掴まれて、はるちんはバランスを崩しその場に倒れこんでしまったのです!
「まあ待て」
 はるちんをひっくり返したのはなななななんと! 恭介くんだったのです! むむむ、この期に及んで妨害工作かぁっ!
「まず、肩作れ。怪我するぞ」

 そして始まる投球練習。
「ちょいさー!」
「ていやー!」
「あちょーっ!」
 はるちんの左腕が唸る! 唸りを上げる! ってな感じだったわけですが、どういうわけか理樹くんは、こまりんの二の腕、あるいはうなじ、脇腹の背中辺りほどにたるみ切った表情を見せているわけですよ。
 そしてキャッチャーを始めた恭介くんに向かって、
「これならどうにか……」
 なんてことを言っちゃってるんです。はるちん非常に傷心。
 でもそこはさすが恭介くんと言うべきで、
「そうか。そりゃ頼もしい。……まぁ、俺にはそう言ってられるのも今のうちって気がするがな。リトルバスターズの中軸打者らしいところを見せてくれよ」
 なんというか、格の違う、例えるなら落合と田尾くらいの違いを醸したコメントをつけてるわけですね。
 さて、理樹くんが再び打席に入ります。
 はるちんのダメな子返上劇がいまここに開幕したのでありました。

 大きく一つ深呼吸。グローブはセットポジション。にらみを利かせていったん静止。
 そしてミットめがけて第一球!
「ぐ、ぐわあああああああっ!」
 響き渡る悲鳴。
 巨体がゆっくりとグラウンドに倒れ込んでいきました。
「三枝ぁ! てめえいきなりなにしやがる!」
 顔面にボールをめり込ませたまま、ファーストの真人くんが猛然と走り寄ってきました。
「なにって、牽制ってやつですヨ。あれ? 真人くんしらなかった?」
「ランナー居ないで牽制もクソもあるかぁっ!!」
「やはは、ちょっとしたオチャメですから」
 胸倉を掴まれます。乙女に対してこの扱いは酷いとおもうのですが。
「まあいいじゃねーか。ピッチャーが三枝なんだぜ?」
 恭介君は笑ってフォローしてくれますが、なんだか馬鹿にされた気がします。
「そーだぞ馬鹿。いいからさっさと戻れ」
 外野のほうから援護射撃。グッジョブ、鈴ちゃん!
「うるせえ! てめえも自分のこと棚に上げてんじゃねえ! 何回ぶつけられたと思ってやがる!
 服を掴んだまま腹式呼吸で怒鳴るもんですから、耳キーンですよ。それでも真人くんは構わずに、
「だいたい、猫にぶつけられるとキレて俺んときはスルーってのはどういうことだ!」
「猫は身体中に毛がふさふさしてて可愛い」
 バッサリやられ、私を放して頭を抱えだしたのでした。
「くぅぅ、あんな軟弱なもさもさに俺の筋肉が負けるとはぁっ……! 鈴、俺の筋肉だって自在にプルプル動いて可愛いんだぜ!? ほら、ちゃんと見てくれ!」
「き、きしょい! こっちくんなぁ!」
 鈴ちゃんに走り寄って実践しだしたものですから、側頭部に一発キメられ真人くんはまたグラウンドに崩れ落ちたのでした。
「えーと、私はどうすれば……」
 ほっぺたを掻きつつ、恭介くんにお伺いを立てると、
「気にせず投げろ」
 と言ってぱん! と一回ミットを叩き、替えのボールを渡してくれたのでした。
「ただし、ボークだからワンボールからな」
 教訓、過ぎたオチャメは身を滅ぼしかねない。
 まぁそのくらいでへこたれるはるちんじゃありませんが。

「よぅし! 今度こそいっくぞーっ!」
 こまりん式の気合を入れて、はるちん振りかぶります。
 そのときはるちんの脳裏には辛い特訓の日々が鮮明に思い出されたのでした。あの、コンダラを引き回した日々を――。
『葉留佳、踏み込みが甘い!』
『こうかーっ!』
『違うって言ってるでしょうが! もっと抉り込むように!』
 いや、お姉ちゃんは誇張ですけど。

 頭上に掲げたグローブを腰の高さに、まだボールを隠したままで。
 打席の理樹くんが軸足に体重を預け始めたのが見て取れました。
 そこで右足を上げ、下げる振りしてまた上げる、この動きです!
 このトリッキーな動きに、理樹くんが惑わされる!
 そして私はボールを死角に納めたまま、振り上げた右足を、思い切り一塁側へ踏み出し、
「はるちんグランドスペシャル・クロスファイヤーーー!」
 理樹くんの胸元めがけて白球を繰り出す!
 理樹くんが目をつむり、思い切り後ろに身体を仰け反らせます。
 が、しかし!
 パァン!
 乾いた音がして、ボールは恭介くんのミットに吸い込まれたのでした。
「ストライク・ワン」
 ボールが投げ返されます。理樹くんは驚愕の表情で、私と恭介くんのあいだに視線を這わせます。
「こらっ! 理樹、ちゃんとやれ!」
 理樹くんのそんな姿に鈴ちゃんは、ご機嫌ナナメなようでした。
 私と恭介くん、ふたりでほくそえみ、頷きあって、はるちんは大きく振りかぶります。

 そんな感じで何日か。
 もう誰もはるちんをいらない子とは言わなくなったのです! そこには、リトルバスターズの変則左腕、鈴ちゃんとのダブルエース構想まで打ち立てられた、ミラクルサウスポーの姿があったのでした!

 ……そう思っていた時期が、はるちんにもありました。

 カキーン! と快音を残して、白球が青く青く突き抜けるような青空へ消えていきます。
「くぅ〜っ、またやられた〜」
 私はマウンドにがっくりと膝をついて、悠々とダイヤモンドを回る理樹くんを見るのでした。
「変則投法にも対応できるようになったか。さすがだな、理樹は」
 ホームインした理樹くんの肩を恭介くんが抱き、その頭をポンポンと叩いています。理樹くんはほっとしたような表情で頬を染め、恭介くんの胸に頬を預け、
「きしょいもん見せんなぁ!」
 と鈴ちゃんは、美魚ちんに殺意の視線を投げかけられつつ恭介くんを蹴り倒すのでした。
 バシィ! と澄んだ音がして、綺麗に恭介くんと理樹くんが分離されます。
「……妹よ、なぜ兄だけなんだ。理樹を蹴れという意味ではないが」
「うっさい! 馬鹿兄貴が馬鹿なのが悪い!」
 顔を真っ赤にして理不尽な鈴ちゃん。姉御はそんな鈴ちゃんを愛でるように眺めています。
「三枝はフォームはいいんだがな、慣れられると苦しい。もう少し球威が欲しいところだな」
 恭介くんのワンポイントアドバイス。私は立ち上がりつつ、ニーソックスについた土を払います。
「やはは、やっぱ小手先だけじゃ通用しませんかね〜」
「なに、理樹がすごいだけさ」



 夕暮れの公園。可愛い七つの子がいるからよ〜、がスピーカーから流れてきて、ちょっと寒い感じがします。さっきまで周りではしゃぎまわっていた子供たちも帰ってしまい、はるちんちょっとセンチメンタル。
 「ガラスを割るな!」の看板なんかに負けるはるちんではなく、ひとりトイレの壁に向かってボールを投げています。
『球威が欲しいな』
 恭介くんの言葉を思い出しながら、おもいっきり、肩から先が千切れるくらいに腕を振って、白い壁にボールを叩きつけるのです。
「とりゃーっ!」
 ばしん、ぼてぼて。
「うおりゃーっ!」
 ばし、ぼてり。
「このやろーっ!」
 ばし、ぼと。
 ……。
 ……。
 はるちんの脳裏には、鈴ちゃんのフォーム。
 真っ直ぐで、小細工しない、正直な動き。
 誤魔化したり逃げたりしない、綺麗なボール。思い描くと、みんなの輪の中、マウンドの上で、満面の笑顔の鈴ちゃんまでも。ストレート。あくまでもストレートな鈴ちゃんの姿。
「……はるちんには真似できないなぁ」
 冷たくなってきた風に、呟きもさらわれて行きます。
 代わりに運ばれてきたのが、外野から眺める、野球の風景。外野って言うのは、読んで字のごとく『外野』なわけで、まぁ野次馬みたいなもんですか。
 みんなは打って走って守って投げて、きらきらしていました。はるちんは外野です。こまりんは大きな声で参加したり、筋肉だるまは筋肉を見せびらかしたり、クド公はファインプレーで目立ったりといろいろですが、はるちんには到底できようもありません。
 ダメな子。ロクデナシ。役立たず。
 まぁそう呼ばれてたことはもう別にいいんですよ。あんたの役に立つために生まれてきたわけじゃないし〜ってな感じですか。全然気にしちゃいません。
 でもですね。
 でも、みんなには、絶対にそう呼んで欲しくない。私も、みんなと一緒に野球をやって、遊んで、勉強だって大奮発で頑張ったりして、そんな風に過ごしたいと思うんです。
 ボールを拾い、セットポジション。そこから振りかぶり、壁に向かってオーバーハンドで全力投球。
 ずる、といった感じでボールがすべり、あさっての方向に立っている木にぶつかりました。
 慣れないことをしたせいでしょうか、左肩にみょーな痛みが生まれます。
 私はボールを回収し、また壁の前に立ちました。ちょっと目を離した隙に、壁はやたらと遠くなっていて、はるちんは思わずその場にしゃがみ込んでしまいました。
 なんだか疲れてしまったのでした。
 はるちんの脳裏には、先日の野球中継が浮かんできます。

『打ったーっ! 大きい! 右中間、ライト、センターもうボーゼンと見送るしかありません! ホシノ、がっくりと肩を落とします! ローズ第二十三号の同点ホームラン!』

 なんだか笑えたので、はるちんはつい一人で笑い出してしまいました。
 あんまり笑ったものですから、涙腺が緩むは緩むはで、土で汚れた袖口の、できるだけキレイな場所でごしごししなければなりませんでした。
 仕方ないので、立ち上がって帰ろうと思いました。

「あら。もう終わりなの?」

 そのとき静まり返っていた公園に、よく通る声がしました。
 顔を上げると、入り口のところの、『л』←こんな形をした鉄のアレに、お姉ちゃんが腰掛けていました。
「……やはは、投手の肩は消耗品っていいますしネ」
「なに言ってるのよ。所詮は草野球じゃない」
 お姉ちゃんが歩み寄ってきて、はるちんからボールをひったくります。
「こうやるの?」
 お姉ちゃんはドッジボールでも投げるみたいな感じ、いわゆる円盤投げで、ボールを思い切り壁に投げつけるのでした。
 そんな投げ方なのに、バシーッ! といい音がして、ボールがこっちまで跳ね返ってきました。
「あら。思ったより簡単ね」
 さらりとお姉ちゃん。
 涼しげにボールを拾って、二球、三球とますますスピードとコントロールを上げて投げ続けます。
 そのすまし顔が愛しい妹のピュアなハートをチクリとやってることなど気づきようもなく。
「ほら、そんな顔しないの」
 って、普通に気づいてましたか。
 ならやんなよ! などと言う気はないので別にいいですけど。
「葉留佳もやって見せてよ」
「いやー……なんか自信なくしそうなんで遠慮しときます」
「自信もなにも、この前ボロボロにされてたじゃない」
「見てたの?」
 訊ねると、もちろん、といった感じで頷いて見せます。
「妹のことだしね」
 そう付け加えて、もう一球、活きのいい球を放るのでした。
 それを拾ってさらに一球。
 暗くなってきた公園に、お姉ちゃんのボールの音だけが響くようになります。
「落ち込んでいたみたいだけど」
 お姉ちゃんはそこはかとなく赤らんだほっぺたを強張らせ、ボールを投げ続けます。
「葉留佳にしては素直よね」
「なんだか私が素直じゃないみたいに聞こえますね」
 その通りでしょ? とお姉ちゃん。
「もっと能天気にしてればいいじゃない。たかが草野球なんだし」
「……たかが、じゃないですよ」
 思わず反論。
 すると、お姉ちゃんは聞こえよがしにため息を吐いて、
「仲間内で楽しくやってることなんでしょ?」
「そういう問題じゃなくてですね」
「そういう問題よ」
 言い返そうとして、お姉ちゃんがぴしゃり。
 ……と、勢いよく遮った割りに、お姉ちゃんはうまくまとめられないみたいで、手を止めて口ごもってしまいました。
 街灯が灯りました。公園はもう夜と呼んでも差し支えないくらい暗くなっています。
「つまり、あれね」
 お姉ちゃんが再び口を開きました。
「葉留佳が楽しいようにやればいいじゃない。葉留佳が下手だからって、仲間外れにする人たちじゃないでしょ? 向き不向きはあれ、それを踏まえて自分ができる場所で楽しめばいいのよ」
 お姉ちゃんにしては、考えられないくらい論理性とか理論性とかそんな感じのものに乏しそうな言葉でした。たぶん分かりやすく言ってくれたのだとは思います。

 その言葉をよーく噛み締めたはるちんに再び電流走る――。
 要するに、楽しんだもん勝ちってことですか!

「いよぅーしっ! そうと決まればお姉ちゃん! 練習に付き合ってもらいますヨ!」
「……いいわねぇ、単純で」
 ため息をつくお姉ちゃん。
「ま、いいわ。相手してあげる」



 それからはるちんは幾多の困難を乗り越えていった。
 はるちんの隣にはいつしかお姉ちゃんの姿があった。
 血が滲み胃から汗が出る鍛錬の日々。
「葉留佳、腕の振りが甘い!」
「こうかーっ!」
「違うって言ってるでしょうが! もっと抉り込むように!」
「てやーっ!」
「鞭をイメージしなさい!」
「とうあーっ!」
「月に向かって!」
「オリャーっ!」
 そしてリベンジのときは訪れた。

 バッターボックスには、あのときより一回り逞しく見える理樹くん。
「先に言っておくよ、葉留佳さん。僕に同じ手は二度通用しない」
「言われなくても、百も承知ですヨ」
 はるちん振りかぶります。
「いっくぞーっ!」
 前よりも若干肘を下げて、アンダースロー気味の緩いボール。理樹くんは自信満々に見送りストライク一つゲット。
 そして二球目は、腕を上げてスリークォーター気味の速球!
 リリースポイントを変化させての投球に、理樹くんびっくりしたように手を出してファール。ツーナッシング。
「これが秘策?」
 理樹くんはそう言って不敵に笑います。
 そしてはるちんも不敵に笑います。
「はるちんにはもう一枚奥の手があったりします」
「へぇ……楽しみだね」
 ニヒルな理樹くん。
 三球目、完全なオーバーハンドからの全力速球! 思い切り外れてツーエンドワン!
 四球目、今度はまた下からスローボール! スロー過ぎて届かない! ツーエンドツー!
 そして五球目! 今までどおりのあのフォームから、全力ストレート!
 理樹くん難なくカット!
 カウント動かずツー・ツーのまま!
「次はどんな投げ方?」
 もうさすがにないだろう、はるちんの引き出しもここまでだろう、と理樹くんが高を括っているのがわかりました。
「ふっふっふ……愚かな。愚か過ぎるぞぉ理樹くん!」
 はるちんは大きく左手を掲げ――
 ズビシッ! と振り下ろし、指を差します。
「ピッチャー交代! はるちんに代わって鈴ちゃん!」
 理樹くんの後ろで腕組みしていた鈴ちゃんが、肩をグルグル回してウォームアップ。
「よし! ピッチャー鈴! 行って来い!」
 恭介くんが鈴ちゃんの背中を押します。
「え? えっ、え? なになに?」
 理樹くんは何が起こったのかわからないようで、バッターボックスでただおろおろするだけなのでした。
「なんか私もよく分からんが、悪いな、理樹」
 鈴ちゃんはさすがに適応が早くて、ボールを受け取るや思いっきりワインドアップ。
 理樹くんは慌てて構え直します。
 鈴ちゃんの流麗なフォームから繰り出される剛速球!
 糸を引くような美しいストレートに、全くタイミングの取れなかった理樹くんのバットはあっけなく空を切ったのでした!
「いやったぁ! 鈴ちゃんお見事! ナイスボール!」
 私は全力でマウンドに駆け寄って、鈴ちゃんを思い切り抱き上げました。
「ねえ、今のあり? ありなの?」
「ルール上、問題はないな」
 しれっと恭介くん。
「ええい、うっとい! 放せ!」
 腕の中で暴れる鈴ちゃん。

 ――後にこの継投がはるちんスペシャルと呼ばれる、その三時間前のことでした。

あとがき

 はるちんのテンションは書いてて楽しいけど、だんだん後が辛くなるね!
 はるちんの地は清楚な乙女……なーんて言うとでも思ったかバーカ。
 だってはるちんだもんね。

 エクスタシー。
 なぜ佳奈多が野球をしないのか理解に苦しむ。
 というか、開発前段階でエクスタシーを念頭に置いていたなら二人も組み込めるようにすべきだろぉぉぉ!
 と思わないではいられません。
 はるちんは左利きの癖に野球でなんのメリットもないってのは寂しすぎるかと思います。
 ピッチャーが佐々美と鈴の二人でさ。
 野村スペシャルとかやりたかったなぁ。

 試しにウェブ拍手置いてみようと思いました。
 よかったらどうぞ。

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