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 リトバスEXのネタバレです。お気をつけください。



「実銃射撃をしよう。チーム名はリトルバスターズだ」
 と恭介が言ったのはちょうど4年前のことだった。なんで4年前だと言い切れるかというと、別に僕の記憶力が優れているからというわけではなくて、単純にロンドンオリンピックの真っ最中だったからだ。
 そのころ鈴はまだ恭介と同居していた。スクレボの最終巻が発売されたのを受けて、恭介は有給休暇を取りずっと部屋に閉じこもっていた。前後の恭介の言動はかなり怪しく、鈴は怯えて僕の下宿に転がり込んできた。さらにしばらく音信不通、野垂れ死にとか在宅餓死とか孤独死とかいう言葉が現実味を帯び始めてきたころ、いきなり僕を訪ねてきた。そして言い放った第一声がそれだった。

 いったい何がどう作用して恭介にそう言わせたのかは分からない。ただ折りよくオリンピックで射撃が注目されて、外国のスター選手がテレビに出たりしていた時期で、僕らもそれで恭介が立ち直れるなら、と付き合うことにしたのだった。付いていったのは僕と鈴の二人だけだったけど。
 そのおかげかどうかは知らないけれど、恭介は今でも真っ当に社会人している。数えてみるともう8年目だった。


  土曜日の朝の銃声


 2、3日前の折り込み広告で近所にクレー射撃場があることを知った。近所といっても電車で30分くらいのとこだけど。
 そういえば最近遊んでないね、なんてことを鈴と電話で話したところだったので、せっかくだから誘ってみようと思った。
 土曜日ということもあってか、ホームで電車を待つ間にも何組かの家族連れを見かけた。案の定ボックス席はもう一杯で、僕らは一人で座っていたおじさんに相席させてもらうことにした。
「今日はどこかにお出かけですか?」
 荷物を棚に上げてから訊ねてみたけれど、ふいと顔を逸らされてしまった。まあ、見るからに無愛想な人だった。
 アイコンタクトで鈴に「お弁当は諦めよう」と伝える。当然鈴は不満そうな顔をして、
「他のみんなは食べてるじゃないか」
「おじさんに迷惑かかるでしょ」
 そもそも電車で物食べちゃだめなんだし。
 張り切って早起きしてまでお弁当を作っていたものだから、鈴の落ち込みぶりは見ていて悲しくなるくらいだった。もちろん僕だって楽しみにしてたわけで、多分同じくらいに落ち込んだ。いや、別に電車を降りてからでも良かったんだけど、青空の下、少々揺れるボックス席。膝に置いた、慎ましくて色鮮やかなお弁当箱。そういうシチュエーションがすごくいいなと思っていたのに。
 仕方がないから印刷した射撃場のパンフレットなんかを二人で眺めた。
 初心者歓迎! という赤い文字が躍っている。ただこの「初心者」というのはどのレベルを指しているのか不安だ。銃の初心者講習みたいなのは受けてはいるけど、最近いろいろ制度が変わったらしい。そういう法律のことは分からない。
「そういうのは事前に調べてこい」
 鈴の声がトゲトゲしい。いや、まあ、その通りなんだけど。
 そんなことを話していると、向かいに座るおじさんがわざとらしく咳払いした。騒がしくしすぎたかな? と思って謝ろうとすると、
「射撃をされるんですか?」
 そう一言。
 僕と鈴は顔を見合わせた。
「はい。初心者なんですけどね」
 僕が答えると、おじさんは少しほっとしたような、はにかんだ笑みを見せた。
「私もね、これからやりに行くところなんですよ」
 ライフルを構える真似をして、バン、と撃って見せた。
 話を聞くところによると、おじさんも前回のオリンピックで射撃に目覚めた口で、ライセンスなんかを取っていた期間を差し引いても、もう競技暦3年目のベテランだそうだ。
「やっぱりカッコよかったよね。前金メダル獲った……なんだっけ、なんか長い名前の」
 ロンドンの金メダリスト。一時期話題になった人だ。だから僕も鈴も誰のことを指しているのかは分かったけれど、おじさんと同じように名前が出てこなかった。もう4年も前の話だから仕方ないといえば仕方ないんだけど。それでもまだ(下火とはいえ)ブームが続いてるんだから、きっと楽しいんだろう、と思う。そう話すと、嬉しそうに頷いてくれた。
「でもまあ、規制が緩くなったのが一番だと思うけどね」
 そう言って、日焼けした首筋を掻いた。
 最初の印象とは違って親切な人で、つい調子に乗っていろんな質問をしてしまった。それでもちょっとオーバーな身振りを交えながら、丁寧に解説してくれた。
 それから、おじさんにお裾分けしながら鈴のお弁当を食べた。
 同じ駅で電車を降りる。まあ、予想通り目的地は同じだった。
「ライフルデートなんて、最近はすごいねえ」
 おじさんは笑った。僕らも合わせて笑った。鈴が一緒なら別にボーリングでもカラオケでもそれこそ筋トレでも良かったんだけど、なんでクレー射撃にしたんだろう? いや、僕が決めたことなんだけど。
「でも今のご時世、銃くらいは使えないと。可愛い彼女も守ってあげないといけないんだから」
「そういう場面に出くわさないよう祈りますよ……」
「相変わらず頼りないやつだな」
「そんなこと言われても……そりゃ前よりは危なくなったけどさ」
 相変わらず無茶を言う子だった。

 バスを降りてなだらかな坂を歩く。割に好評らしく、駐車場は一杯だった。子供がお父さんお母さんに手を引かれ、なんて姿もある。さすがに子供が撃つってことはないと思うから、お父さんがいいとこ見せに来ているのかもしれない。それだとゲームセンターデートと一緒であまり得策とは思えないけど。
「家族で射撃とか、最悪にセンスないな」
 鈴も同意見らしい。それじゃ僕らはどうなのさ、とは言わなかった。
 おじさんとはロビーに入ったところで別れた。僕らは初めてなので、受付で煩雑な手続きをすることになる。身分証を見せて、心理テスト(?)と色々な説明を受けた。まだ馴染まない貸し銃制度や新しい銃規制についてなど、大半が法令に関することで、鈴は途中から舟漕いでいた。係の人は別に気にしてなかったみたいだけど、そんなんでいいんだろうか。
 準備する間、厚手の窓から射撃場が見えた。ピクニック日和な晴天の下、乾いた銃声が響いている。とは言っても、運動会の号砲みたいな感じで、なんだか間延びしていた。壁下げ型のテレビから聞こえる甲子園の中継や、時折沸く拍手がほのぼのした空気を作っているのかもしれない。
 そんな和やかムードだとは思うんだけど、鈴は銃声のたびにビクッと背筋を震わせている。視線も落ち着かない。それに、さっきからいやに無口だ。
「鈴、緊張してる?」
 ぶんぶんぶん、と無言で首を振る。でも表情は強張ってるし、よくよく見れば膝が笑っている。
「震えてるけど」
「……武者震いだ。心配するな」
 その言葉を聞いて、あ、やっちゃったかな、と。
 鈴は僕に付き合ってくれてるだけで、もともと乗り気じゃなかったのかもしれない。というか乗り気じゃなかったんだろう。お父さんがたを批判してる場合じゃなかった。というか最悪にセンスがないのは僕だった。いまさらなんだけど、恋人同士で鉄砲撃ちに行くデートは確かにない。僕は何を考えていたんだろう。
 ともかくやるだけやって、映画にでも行こうと思った。
 防弾ベストを着込むと射撃ブースに通された。鎖付きのライフル銃が置かれた先に、土の山でぐるりと囲まれたすり鉢状の広場がある。知らない誰かといきなり競技なんてことにはならないで、僕らの他に人の姿は見えなかった。お試しコースみたいなものだろうか。
 弾は込めてないけれど、念のため引き金に触れないようにしながら銃を持ち上げる。想像よりずっと重かったけど、意外と手に馴染んだ。
「お手並み拝見といこうか」
 さりげなく後ろに回って、鈴が不敵に笑う。つまり僕がやれってことだ。……さて、早いとこ終わらせてしまおう。
 渡されたヘッドホンをして、おっかなびっくり弾を込める。銃を構えて引き金に指をかける。
 ふと、想像をした。今少し指に力を込めれば、銃弾が発射される。万が一誰かに当たればその人は死ぬ。現実味がない。実感が湧かない。それがどんな光景なのか僕には全くわからない。撃つとか撃たれるとか。だからこそとても恐ろしいことに思えた。本当、いまさらなんだけど。
 緊張で渇いた喉をわずかな唾で湿らせた。コールをして、発射されたクレーに狙いを定めて、引き金を引く。それだけだ。危険なことは何もない。
 息を吸い込んだ。
「はいっ!」
 コール。発射音がして、正面にオレンジ色のクレーが飛び出る。
 12時。
 反射的に時計の文字盤を思い浮かべた。すると自分でも驚くほどスムーズに――すごく無造作に、引き金を引けた。
 ヘッドホン越しの鈍い破裂音と肩に衝撃。砕けたクレーの煙。火薬の匂い。
 妙に遠く鈴の声がした。ヘッドホンを外す。
「すごいな理樹! 完璧じゃないか!」
 無邪気な声。それで緊張の糸が切れて、身体の火照りに気がついた。
 不思議と懐かしい。妙に落ち着く。恭介に連れられて講習を受けたときは特別感慨もなかったんだけど、僕の中でそんなに印象深かったんだろうか。あれは的当てだったんだけど。
「うん、意外とできるもんだね」
 銃を戻すと、鈴が胸を反らして腕組みをしていた。
「とうとうあたしの出番か」
 僕のを見てて恐るるに足らずと思ったんだろう。急に頬に赤みが差して元気が出てきた。そんな様子が逆に不安で、弾の込め方とかについて色々口出ししていると、
「ええいうっさい! わかるわぼけぇ!」
 と銃ごと振り返るものだからものすごく怖かった。監視員の人もびっくりしていた。
 ともかく鈴も僕も、初めてなりにずいぶん楽しんだ。映画に行く必要もなかった。女の子と射撃。今では割とアリな気がしている。スリリングなんだけど、平和でいい。



 今は心地よい筋肉痛を感じながら、僕の部屋で鈴とお酒を飲んでいる。恭介の許可を取って今日はお泊まり。いや、もう、鈴が心配なのはわかるけど、僕らの歳を考えて欲しい。……僕は考えたくないけど。
 未だブラウン管な分厚いテレビでは、オリンピックの中継をしている。
 オリンピックの真っ只中。僕も鈴もあまりメダル競争とかに食いつくタイプじゃないけれど、他に見るものもないので、なんとなく流しながらおしゃべりしていた。
 歓声が上がった。
 若干興奮気味のアナウンサーの声がする。
「お、そうだ、この人だ」
 鈴がテレビを指差す。
 髪の短い日本人選手――ではなく、ライフルを構えた日本人選手とメダルを争う前回の金メダリスト。なじみのない国旗が画面上に表示される。昼間、おじさんが言っていた人だ。僕らと同い年の女性選手。かなりの美人だ。名前は……読み取る前に消えてしまった。
 日本の射撃ブームの立役者であり、国境地帯での紛争に揺れる出身国の希望でもある。アナウンサーがそんなことを言った。
 日系……というか、両親とも日本人。ただ国籍だけが違う。それにすごい美人。日本語も上手。二十歳にも満たない。そんな彼女が目の前で人が銃弾に倒れる光景や、小さな女の子に拳銃の扱いを教えたことを当たり前のように語る姿はとてもセンセーショナルだった。
 折りしも、戦争がまたどこかで起きた。日本で銃を使った犯罪が増えた。自衛が叫ばれだした。
 そういう時代だったから、四年前彼女は時の人になった。
 もうブームは去ってしまって、日本で彼女の勇姿を見るには面倒なテレビ契約をしなければならない。
 救いがあるとすれば、彼女を悪し様に語る人々が日本にいることを彼女が知らずに済んだことだろうか。日本を銃化社会に導く尖兵とか、そんな中吊りを思い出す。そんなの彼女が知ったことではないだろうに。
 幸い、彼らが煽ったほどのことにはなっていない。
 だから僕らはお酒を傾けながら、土曜日の夜を静かに過ごしていられる。

 テレビの向こう。
 彼女は地球の反対側で、澄み渡る夏空と目の眩むような芝生の狭間で銃を構えている。文字通り世界中の人間が、夢とか祈りとか、そういったものを託しながら彼女の姿を見つめている。
 果たしてこの射撃の可否でどれだけ世の中は変わるんだろう? なんてことを考える歳はだいぶ前に過ぎてしまった。それでも結論を言うと、たぶん、なにも変わらない。これで紛争が終わるなんてことあり得ないし。
 クレーが撃ち出されるまでの数秒間。カメラが彼女の横顔を捉える。真剣な表情。息を飲むほどに綺麗だった。
 ひとつの銃声、鮮やかなピンク色の煙が空に舞った。
 端整な顔立ちに似合わない、ガッツポーズと派手な雄叫び。そう、これが流行ったのだった。
 競技者には珍しい、腰まで届く長い髪が滑らかに揺れた。ワンテンポ遅れての大歓声。彼女を照らすカメラのフラッシュ。興奮するアナウンサー。感極まって彼女に抱きつく髭の男。知らない言葉でインタビューに応じる彼女。未だにアナログと表示されるブラウン管に次々映し出されては、その先に流れていく。
 僕には縁遠い光景だった。だから彼女の姿を見て感極まって、とか、そういうことは全然なかった。
 ただ、もう一度見たいな、と思った。
 もう4年後も、地球のどこかで「平和の祭典」なんて名前のついた、明るくて幸せな場所で、彼女の射撃を見守っていられたらいい。
 願い事っていうものは得てして実らない物だってことは痛感してきたつもりだけれど、せめてこれくらいは叶って欲しいと思う。
「おー、やっぱ上手いんだな」
 僕の膝に納まっていた鈴は僕ほどセンチじゃないらしく、口の端からスルメを生やしながら感心していた。
「ねえ鈴?」
 ん? とスルメ(さきいかかもしれない)をもぐもぐしながら振り返る。
「次のさ、オリンピック見に行かない?」
 なにがおかしかったんだろう。鈴はちょっとだけむせて、3分くらい口を動かしていた。もぐもぐ、ごくん。
「それはいい考えだが、しなきゃいけないことがあるな」
「え? なに? 言ってみてよ」
「ひとつは、お金が足りない」
「……他には?」
「ほかか。ほかにはな」
 そこでなぜか口ごもる。
 ごにょごにょとなにか言ったかと思うと、僕の膝の上からスイと逃げて、フローリングに正座した。
 僕に向き直った顔は、心なしか赤い。
「そーいう旅行は、家族旅行だ」
「……いや、別に限定することないと思うけど」
「うっさい! とにかく、海外旅行に二人で行くっていうのは、なんかこう……」
 鈴がまた考え込んでしまう。
 二人で、とも言ってないんだけど。ソフトボールも復活するし、笹瀬川さんの応援とかも兼ねて。
 なんてことはさすがに言わないでおいた。
「じゃあ、結婚しようか」
 不意打ちのつもりで口にしたんだけど、鈴は案外あっさり頷いた。逆にびっくりした。

 テレビを消すと鈴の寝息が聞こえてくる。静かな夜だった。僕はまずどうやって鈴を起こさないでベッドに運ぶか考えた。それからソファーに寝転んで、僕と鈴と、もうひとりか、ふたりで射撃場に行く日のことを考えた。
 土曜日のよく晴れた朝だ。鈴たちの応援を背に受けながら銃を構え、引き金を引く。銃声のあと、遠く拍手が聞こえる。耳にずっと響き続ける。案外悪くないかもしれない。
 そしていつかの硝煙の匂い。

あとがき

 沙耶SSのつもりが沙耶出てこない。どうしよう。
 ……そうだ! 沙耶エンド後SSと名づければいいんだ!
 テーマはオリンピック。だったんだけど、ぶっ飛びすぎましたすみません。なんか全体的に。
 ネタバレって頭に書いたけどそもそも沙耶が出てこないんだからネタバレも糞もありませんでした。

 あと、日本の法体制とか治安とかに一家言あるとかじゃありません。地上デジタル放送には(ry

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