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姉御のお悩み相談室


 初秋の候。その日私は、いつものように木陰のテラスでティータイムを満喫していた。このようなベタベタな書き出しは正直本意ではないが、まぁどうでもいい。
 授業時間とあって辺りはとても静かだ。盛夏の象徴たる蝉たちもいつの間にやら姿を隠し、聞こえるのは葉擦れの音、鳥の声。耳を澄ませば教師達が板書する音さえ聞こえてきそうだ。クラスでは、今も皆が記号の羅列と格闘していることだろう。
 ……数学者たちは、あの無意味な記号で本当にこの世界が説明できると思っているらしい。そしてもう、この世界の本質を知った気でいるらしい。そんなもの、目に見えはしないというのに。
 そんなことを考えつつ紙パックのストローに口をつける。これも資本主義の賜物か、百円ながらなかなかに美味しい。しっかりと紅茶の味がする。少なくとも、私は嫌いではない。
 飲み終えたパックを潰し、自販機横のくずかごへ放り込むと、遊歩道の方から靴音が聞こえた。女子生徒のローファーではない。男物の革靴の音だ。支給品の男子のもの。響き方からして体格はよくない。私と同じくらいか、それ以下。歩幅が小さく、焦りが窺えるが、緊急というわけではなさそうだ。誰かを探しているのだろうか。授業時間中に、わざわざこの場所へ誰かを探しに来る、なよっちい男子生徒。当てはまる人間を、私は一人しか知らない。
「ふむ」
 隠れておちょくってやろうかとも思ったが、なにやら急ぎのようなので、素直に声をかけてやることにした。
「私になにか用かな、少年」
 呼ばれた男子生徒が足を止め、ギクリと肩をいからせる。
「……今日は後ろなんだね」
 彼は振り返りながら、あどけない面立ちに困惑の表情を浮かべて見せた。私は何気にこの顔が気に入っている。
「なに、理樹君が私に気付かず素通りしただけだぞ」
 そう言うと、理樹君は少し驚いたあとすまなそうに、
「あぁ、そうだったの。……ごめん」
 と。なんというか、顔そのままに素直でよろしい。
「今は授業時間だと思うが、どうしたのかな? 理樹君らしくない」
「今日は先生が休みで、自習になったんだ」
「ほぅ。それは知らなかったな」
 自習といえど教室から抜けるのはまずいわけだが、なるほど、恭介氏たちとの修学旅行を経てなにか思うことがあったらしい。悪いことではなかろう。この年頃の男の子なら、そのくらいはやってのけてくれなければ。
「それで理樹君は、教室を抜け出してまでお姉さんに会いに来たというわけか」
「えぇっ、い、いや、そうじゃないけど……」
「なんだ、違うのか。なら私はおいとましよう。理樹君の邪魔になってしまうからな」
「え、あっ、違う、来ヶ谷さんに用があって来たんだよ!」
 理樹君は赤面してみたりきょどってみたり、私の期待通りの反応を返してくれる。豪胆になるのもいいが、やはりこういう部分は失くしてはいけない。
「はっはっは、理樹君は可愛いなぁ」
「からかわないでよ! もう!」
 そう言ったきりそっぽを向かれた。どうも怒らせてしまったらしい。あまり苛めすぎても反応が薄くなるだけだ。私は謝罪することにする。
「すまんすまん。クドリャフカ君が最近構ってくれないものでな、つい。……それで、私に用があるんだったな」
 あ、そうそう! と理樹君は私に向き直り、何事かを訴えようとする。
「待て。皆まで言うな。当ててやろう」
 言葉を遮り、私はこめかみに指をあて考える仕草をした。
 理樹君はこの夏からクドリャフカ君と付き合いだした。そりゃもう人目を憚らぬアツアツぶりで、眼福眼福。いい歳をした可愛いロリっ子と可愛いショタっ子がジャレ合う姿などなかなか見られるものではない。教室で抱き合ったかと思えば学食でちゅーとなっ……!
 ……ではなく。今の理樹君が必死になることといえばもう、クドリャフカ君のことしか考えられまい。
「……そうか。とうとう同棲する気になったか。わかった。このお姉さんがなんとかしてみせよう。なぁに、若い二人の頼みだ。無下にはできん。大船に乗ったつもりでドーンッ! と待っているがいい」
 私の悪い癖だ。またからかいたくなってしまった。それにしても、少年とクドリャフカ君の嬉し恥ずかし同棲生活など、想像するだけでもう……っ!
 さて、さぞや理樹君は面白い反応を返してくれることだろう。私は理樹君の顔を注視した。
 その反応は実に面白いものだった。
「すっ、すごい! なんで分かったの!? ふつう、そんなこと考えないよね!?」
 と、感嘆の声。
 キラキラとした視線。胸の前で両手を組んで、私に尊敬の眼差しを投げかけてくる。
「……」
 理樹君はすごい。いやあ、すごい成長ぶりだ。よもや、この短期間でここまで冗談が上手くなるとは。これもバスターズの面々に鍛えられたせいだろうか。
「……はっはっは、いや、やるな。お姉さん、危うく担がれるところだったよ」
 だが少し詰めが甘いな。冗談に現実味がなさ過ぎた。
 理樹君を見る。「え?」といった感じに可愛らしく小首を傾げて、見つめ返してくる。
 冗談の顔に見えるか?
 ……否。どうみても本気の顔だ。
「まぁ、なんだ。少年」
「うん、なに?」
「放課後指導室に来なさい。もちろん能美女史も連れてだ」
「え、でも野球の練習が……」
「そんなものはいつでもできる。が、青少年の性の乱れは正せるうちに正さねばならん」



「さて、今日ここに呼びつけたのは他でもない」
 指導室。私は教員用の革張りの椅子に、理樹君とクドリャフカ君はコンピューター室から払い下げた生徒用の安い椅子に腰掛けた。教員の許可を得て、この部屋を使っている。窓には分厚いカーテンを引き、扉の鍵をかけ、天井裏には画鋲を撒いた。完全防音で床下にさえ音は届かない。
「あ、あのー、なにがあるんでしょーか?」
 恐る恐るといった感じに、クドリャフカ君が私の顔を窺う。肩を丸めて縮こまり、叱られた子犬のようだ。ああ、可愛い。
「まあ落ち着いて聞きたまえ」
 私は邪念を払い、姿勢を正した。
 ……この上さらに叱りつけたなら、いったいどうなるだろう。白く細い顎を引き、頬を紅潮させ、涙に濡れた青い瞳が、震えながらの上目遣い。マントの裾などを小さな手でぎゅっと握って。
 それを独り占めしようなどという横暴が許されてなるものか。
「二人で同棲したいんだってね?」
 驚くくらい冷めた声がでた。クドリャフカ君がビクッ! と背を伸ばす。内心、私の早とちりなら、と思っていたが、そうではなかったらしい。
 幼い二人は私の気持ちを知ってか知らずか、互いに顔を見合わせて、揃って頷いて見せるのであった。
「……まぁ、いい」
 背もたれを軋ませ、一度天井を仰いだ。ぎにゃーっ! という野太い男の声がした気がするが、どうでもいい。
「クドリャフカ君は相部屋だったな。相手は二木女史だったか。……多分、彼女は頼めば葉留佳君と一緒になってくれるだろうからな、これはなんとかなる。次に校則と寮則だが……これも、私ならなんとかしてやれるだろう。こういうとき、どうすれば道理というものが引っ込んでくれるか、ということはよく心得ている」
 言葉を切って、私は二人の目を見た。恐ろしいほど真っ直ぐだった。どうやら本当の本当に本気らしかった。若気の至りここに極まりといった感じだった。私は溜息を吐く。
「ちょっとこれを見て欲しい」
 私は鞄に手を掛けた。最大限優しく微笑みながら、取り出すは『明るい家族計画』。
「きっと君たちの道を照らしてくれるはずだ」
 そう言ってもう一度、にっこり。
「まっ、待ってよ来ヶ谷さん! なんでそんな話になるのさ!」
 理樹君が身を乗り出して私を制した。クドリャフカ君など真っ白な肌を耳まで充血させて俯いている。
 あぁ、可愛い。ウブだ。
 だから私はそれを守らなければならない。
「……やっちゃわないのか?」
「やっちゃわないよ! 話が飛びすぎだって!」
「でも、やっちゃいたいのだろう? 君もいい歳をした青少年だ。夜中に愛しいクドリャフカ君が隣でわふーっ、わふーっ、などと寝息を立てていて、堪えられるとでもいうのかね?」
「え? ……いや、それは、その」
 理樹君が目を泳がせる。バッチリとクドリャフカ君と視線がかち合う。二人ともゆでダコのように赤面し、黙り込んでしまった。
 ああっ、可愛いっ!
「……見せてくれるなら考えてもいいが」
 小声で理樹君に耳打ちする。
「ダメだよ! なんでそうなるのさ!」
「やっぱり、やっちゃうつもりなんだな」
「ち、違うって! そんなつもりじゃなくて、ああもう、話を聞いて!」
 バン! と机を叩く理樹君。必死になりすぎて汗までかいている。そんなところがまた可愛い。
「ほう、話とな」
 理樹君は肩で息をして、心を落ち着ける。
「大切な話なんだよ」
 だんだんと火照りが収まるにつれ、理樹君の表情が真剣さを増していく。
「最近、クドが寝付けないっていうんだ」
 そして理樹君は話し始めた。
 それによると、クドリャフカ君は夢を見るようになったらしい。それが原因で、夜中に突然目を覚ましてしまう。
「え、えっとですね」
 理樹君のあとを受けて、クドリャフカ君が話を継ぐ。悩みが子供っぽいということを恥じているのだろう。人さし指をツンツンと合わせながら、もじもじと声を出す。
「とっても幸せな夢なんです」
 口調は穏やかで、口元には笑みも浮かんでいた。
「夢の中にいる私は、リキや、皆さんに囲まれて、とても楽しい日々を送ってるんです。野球をして、缶ケリをして……それはもう、夢のような時間で。いえ、夢なんですけど……その夢の中で私は、それが夢だって気がついてしまうんです。夢だって気付きさえしなければ幸せなのに。」
 そこまで話し、声調を落とす。おおよそクドリャフカ君の言わんとすることは分かったが、私は先を促した。
「……それで、一度気がついてしまうと、私はもう幸せじゃなくなってるんです。リキと居ても楽しくないんです。ただ私は、みんなに合わせて笑って、心の中でビクビクしてるんです」
 唇を噛み、みるみる声を詰まらせてしまう。
 隣に座る理樹君が、その小さな肩を抱いた。
「だから、来ヶ谷さん」
 哀願ではなく、強く訴えかけようとする目。泣き落としであわよくば私に頼り、縋ってなんとかしてもらおうというのではない。
「……それで理樹君は、クドリャフカ君が目を覚ましてから怯えてしまわないよう、側にいてあげたいと言うのだな?」
 私の目を見据えながら大きく一つ頷く。
「ふむ」
 クドリャフカ君の夢。もしかしたら、いつかの母国の事故を起因としているのかもしれない。私たちの生活というものの脆弱さ。日々の終わりの予感。クドリャフカ君を苛む恐怖は、私には痛いほど分かった。
 しかし。だからこそだ。
「頼ってくれるのはありがたい。しかし残念だが、そういうことならお姉さんは君たちの力にはなれない。少なくとも寮のことではな」
 理樹君が瞳を見開いた。何故、と口が動くが、それでも声は出なかった。
「一時の情に身を委ねてしまうのは楽だし、あたかも自分の精一杯の選択のように見える。だがそれは誤りだ。道は幾らでもある。例えば、うちの学校にもカウンセラーの先生が見える日がある。相談に行ってみるといい。……事故の後だ。近頃はかなり頻繁にいらっしゃる。相応のノウハウと経験を持つ人たちだ。少なくとも私よりは頼りになろう」
 理樹君が眉をしかめるたのがわかった。私は無視して立ち上がり、出入り口の鍵を開けた。
「呼びつけたりして済まなかったな」
 言外に、話の終りを告げる。
 それでも二人は別れ際、失望する様子も見せずに私に礼を言った。
「今日はどうも。いろいろ勉強になったよ」
「なに、礼を言われる筋合いはないよ」
 そして二つの小さな影は、並んで廊下を歩いていった。私から離れるにつれ、少しずつ小さく小さくなっていく。
 私は不安に駆られ。その背中に声をかけることにする。
「もし君たちがまた同じ結論に辿り着いたなら、そのときは尽力することを約束しよう」
 理樹君たちが振り向いて、可憐な笑みを浮かべて見せた。



 私はテラスで紙パックの紅茶を飲んでいる。
 私のあの言葉で、彼らは納得したのだろうか。やはり私は伝えるべきだったのではないだろうか。どれだけ美しく言い飾ろうと、人は最後の最後、孤独なのだと。
 支えてもらうだけでは人は立ち上がれない。クドリャフカ君の苦悩は独りで乗り越えねばならない類のものだ。理樹君は関係ない。仲間が居ようと恋人が居ようと、時間は流れ戻らない。現実の時間を生きるということはそれを受け入れることに他ならないのだ。私たちは、私たちだけの修学旅行で学んだはずではないか。
 そのことを、私は噛んで含んで納得させるべきだったのではないか?
 私は自問するが、答えは出ない。
 思索を巡らせていると、この世界はそのような問いが集まり成り立っているようにさえ思える。この世界は不可解だ。幸せとはのちの不幸を前提としてしか存在できないのだろうか。果たしてそんなものが幸せと呼ぶに足るのだろうか。

 ただ、ある確信として。

 理樹君ならば、きっと“正しい”選択をしてくれるに違いない。例えどんなに誤りに見えようと、未来にいつか振り返り、最善だったと信じられる道を選んでくれる。かつて彼が私たちにそうしたように。かつて、彼が私にそうしてくれたように。
 ……と、いうよりも、その選択を最善にする強さが、理樹君には備わっているように思える。
 だから、彼が不遇なクドリャフカ君を支える道を選んだことを、私は祝福したい。

 しばらくして、遊歩道から二組の足音が聞こえてきた。

あとがき

 すっごく久しぶりのホムペ用SSです。
 都乃河さんも仰っていましたが、自分より遥かに頭のいいキャラクターを書くというのはとてもとても辛いものですね。こればっかりはウィキペディアでどうこうなるものでもありませんし……。
 来ヶ谷さん、好きなんだけどなぁ。

 理樹君が他のヒロインを選んだときの来ヶ谷さんが悲しすぎて悲しすぎて。

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