EX-Excel-
「EX-Excel-」
表紙・本文:雪平鍋 2008/11/02 「リトルバスターズ!」より
EX-Excel-

NO SERVICE
「NO SERVICE」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2008/09/15 「リトルバスターズ!」より
   NO SERVICE
 朝の九時。太陽はまだ半分校舎に隠れている。それだけに肌寒い。天気はいい。ただ、晴れ渡った空が逆に寒々しくも思える。そのせいか、校門の周りには僕のほかに人影もない。休みとはいえ、普段の活気を思うとさみしい気もする。今から戻って重ね着してこよう。という考えもちらつくけれど、入れ違いになることを考えてその場に残った。
 十時。運動部だろうか。ジャージを着た生徒たちが、体を伸ばしながら校門の前で整列し始めた。最近買い換えた携帯を取り出す。着信はない。昨日のメールを読み返してみる。十時に校門前。うん、大丈夫。時間も場所も合っている。運動部の人たちはいち、に、いちに、と声をかけて、校門の外へ走り出した。そろそろ陽が照ってきて、風が吹かない分には暖かい。眩しくて空を見上げるのが辛いくらいだ。
 こんな日に好きな人と並んで歩けたら、さぞ楽しいだろう。
 十時十三分。来ヶ谷さんはまだ来ない。

 (中略)

 外観はあれだけど、失礼とは思うけど中は意外に綺麗だった。目に入りすぎない程度に置かれた観葉植物や白い壁、それに木目を生かした飾り。むしろ清潔でさえある。それも近寄りにくさを感じさせるものじゃなくて、親近感の湧く暖かいものだった。おばさんたちのグループがいくつかテーブルを占めていて、静かではないけれど、騒がしくもない。
 二人で頼んだコーヒーはおいしかった。タイムサービスのケーキで来ヶ谷さんはコーヒーロールを頼んでダブってしまい、僕のショートケーキと半分こして食べた。
「二人でお茶というのはこういうとき便利だな」
 来ヶ谷さんが照れて笑って、僕も笑った。
 コーヒーのお代わりを注文して、いろんなことを話した。
 他愛のない話。学校にいるとき、放課後二人で会ったとき、夜みんなが寝静まってから携帯をいじっているとき、いつでも話すようなこと。真人がハンドグリップを握ったまま眠ってしまって開かなくなってしまったとか、クドが昨日に限って鈴と同じシャンプーを使っていたとか、そんなことを話すのが、とても楽しかった。
「飲食店は雰囲気代込み、とはよく言ったものだ。学校のテラスもいいが、こうは行かない」
 会話がひと段落して間ができたとき、来ヶ谷さんがポツリと。
 意図を測りかねて、僕は首をかしげる。
「なに。理樹君と話すのは楽しい、と言ったのだよ」
 サラッと口にして、来ヶ谷さんはコーヒーカップに白い指を絡めた。
 そう。来ヶ谷さんも僕と同じことを感じてくれている。そのことがとても嬉しかったのだ。
 だから。
「海外留学だな」
 学生同士の、恋の話の次くらいに、普通の話。将来の話。卒業したらどうするか。
 夢、なんて、いつのまにか口にするのが憚れるようになった淡いものではなくて、すごく近い、ちょっと目を凝らして見えてくる場所の話。
 微笑んでコーヒーカップを口にする来ヶ谷さんの真意が、とても空恐ろしく思えた。訊ねることなんてできなかった。

 (後略)

雑貨屋はじめました
「雑貨屋はじめました」
表紙・本文:雪平鍋 2008/06/29 「リトルバスターズ!」より
雑貨屋はじめました

ももちゃんの一級試験
「ももちゃんの一級試験」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2008/06/01 「おジャ魔女どれみ」より
   ももちゃんの一級試験
 (前略)


 魔法を使ってありがとう、と言ってもらえば合格。難しい。
 スミスおばさんのパン屋を、外から覗く。お店には三人くらいお客さんがいて、おばさんはレジのところでお客さんとお話していた。ときどき、外まで笑い声が聞こえてくる。
「……困ってないね」
 まず困ってる人が見つからなかった。みんな楽しそうに日曜日を過ごしていた。
 町中を行き来して、やっと見つけても、お礼は言ってもらえない。
 道を掃除してるおじさんを手伝ってみても魔法が使えなかったし、男の子同士のケンカもそうだった。
 ハイヒールが折れて困っているお姉さんがいた。
「ペルータンペットン、パラリラポン!」
 建物の影から魔法をかける。お姉さんはとってもびっくりしていた。その前に出て行った。
 お姉さんは私を無視して、さっさと歩いていってしまった。
 魔法玉はどんどん減って、残り三個になっちゃった。
 そうこうするうち、太陽はいちばんてっぺんまで昇って、傾こうとしていた。
「もー、やんなっちゃう! 誰がこんな試験考えたのかなー?」
 ひとまずMAHO堂に戻ってブレイクした。ニニに向かって言ったんだけど、ニニはキッチンの奥でなにかやってて、私の声はぼんやりと消えてしまった。




 焼きあがったクッキー。甘いバターの香りがして、色だって綺麗だし、全然形も崩れてなかった。すごくおいしそうだった。誰かにあげれば、きっと『ありがとう』って言ってくれるはずだった。
 私は嬉しくなって、半分お皿に乗せて二階に登った。
「マジョモンロー、見て見て!」
 こんなに上手くできたのは初めてだった。
 マジョモンローは身体を起こして私の顔を見た。
「あら、おいしそうなクッキー。ももこが作ったの?」
 マジョモンローも嬉しそうだった。私は大きな声でうん! と答えた。
「ねえ、食べて食べて! スミスおばさんに持ってくの!」
「そう急かさないで。それじゃあひとつ、頂くわね」
 細い手でクッキーを摘まんで、小さな口に持っていく。ポリッ、といい音がして、マジョモンローは口を動かす。
 しばらくマジョモンローは黙っていた。きっとすごくおいしかったんだと思う。
「これ、スミスおばさんにあげたら喜んでくれるかな?」
 新しく作ってみました。食べてみてください!
 そう言って持っていこう。スミスおばさんは大きな鼻を動かして、うーん、と唸ってから、一口で食べちゃう。
 それからよく噛んで、幸せそうにタプタプのほっぺたに手を添えて、きっとこう言うんだ。
『とってもおいしいわ。これ、本当に貰っちゃっていいの? ……そう! じゃあすぐ全部食べちゃうわね! ありがとう、ももこ』
 それで試験はきっと合格。
 またマジョモンローがお菓子を作って、私はお手伝いをして、スミスおばさんと世間話をして、おばさんはマジョモンローのケーキを食べながら幸せそうに笑う。
 そういう日が、またくるんだ。
 すごく嬉しかった。
「これ、ももこが作ったの?」
 また同じことを訊かれたけど、私は気にしないで頷いた。
「きっと、スミスさんは……いえ、誰も喜ばないでしょうね」
 マジョモンローは私に小さな背中を向けた。
「……え?」
「私だって、嬉しくなかったわ」

 (後略)

お勉強の夜に
「お勉強の夜に」
表紙・本文:雪平鍋 原作:山鳥 2008/06/01 「おジャ魔女どれみ」より
お勉強の夜に

つゆのあとさき
「つゆのあとさき」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2008/05/03 「リトルバスターズ!」より
   つゆのあとさき
 メールは返ってこなかった。
 僕はベッドに寝転がり、携帯のサブ画面を眺めていた。六月九日、土曜日、午後九時ちょうど。今ちょうど表示が変わり、九時一分になった。
 部屋は怖くなるくらいに静かで、自分の動悸が聴こえるほどだった。真人は昨日筋肉温泉の話をしてから行方が分からない。僕はそれをチャンスと思い、西園さんをデートに誘ったのだった。
 送ったメールが悪かったのでは、と携帯を開く。送信済ボックスの一番上。
『もし明日あいてたら、よかったらでいいんだけど、どこかに遊びに行かない?』
 本当はシンプルに、『デートしよう』と言うつもりだったのだ。それが文章にしてみると気恥ずかしく思えて、いろいろ迷ううち、結局こんな歯切れの悪いものになってしまった。
 今思うともっと気の利いた誘い方があったかもしれない。なんだか他人行儀過ぎた気もする。それで西園さんを怒らせてしまったんじゃないだろうか。背中に嫌な汗が流れた。
 あんまり居た堪れないものだから、僕は起き上がって真人のダンベルを拾い上げた。重くてとても冷たかった。ダンベルを振り回しながらジャンピングスクワットを繰り返しても、なかなか身体は温まらない。真人のポカポカした肉体が恋しくて、ちょっとでも不在を喜んだことを恥じた。

 (中略)

「……西園さんは、どうしたの」
「美魚? 美魚はねえ」
 不恰好に乱れた息を整えながら訊ねると、美鳥はもったいつけるように背伸びしてから、おもむろにシャツの中に手を差し込む。
「なにしてるのさ」
「んー? いや、理樹くんってこういうのが好きなんだなあって」
 そして美鳥は襟元から、見覚えのある雑誌を――
「ちょ、ちょっと、それ!」
 反射的に手を伸ばす。でも美鳥はわかっていたようにさっとかわして、僕の肩に両膝を乗せた。
「ふっふー。さっきベッドの下で美魚がみつけちゃってさ。やっぱり胸のところに雑誌が隠せるような女の子はだめなのかな?」
 鼻で笑って、小ばかにするように僕を見下げる。自分が赤面するのがわかった。慌てて取り上げようともがいても、押さえつけられた手は全然動かない。
「恥ずかしがることないよお。理樹くんも男の子だし? ちょっと力は弱いけどねえ」
「う、うるさいな! やめてよ、こんなこと!」
「つれないな〜。あたしは美魚のためを思ってこうしてるんだよ?」
 西園さんのため。一瞬、その意味を考えてしまった。
 美鳥の手が僕の足の付け根に伸びた。
「ふぁっ!?」
 予期せぬ刺激に、思わず声が出てしまう。
「可愛いねえ、理樹君は」
 嬉しそうに笑って、ズボンの上に手を這わせる。そうなってしまわないよう、堪えれば堪えるほどに敏感になる。美鳥はからかうように先端ばかりを撫でてくる。
「な、なんでこんなことするの!」
 僕の上ずった声に気をよくしたように、美鳥の手はさらに動きを激しくする。
「さっきからそればっかりだねぇ。……だからさ、理樹君に美魚が消えちゃったわけを教えてあげて、それから美魚の願いを叶えるためだよ」

 (後略)

晩夏のプレイボール
「晩夏のプレイボール」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2008/03/16 「リトルバスターズ!」より
   晩夏のプレイボール
 (前略)


 鈴の予告どおり、その週の金曜日の放課後、恭介は部室を訪れた。
 その姿に僕は心から安堵したし、嬉しかった。

「そろそろこの部室を明け渡そうと思うんだが」

 だから、恭介の言葉の意味が上手く受け取れなかった。
 さすがにみんなも驚いて、部室をざわめきが支配した。
 誰一人として、こんな終わりだなんて思いもしていなかったのだ。
「それって、野球もうやんないってことですか?」
 最初に訊ねたのは葉留佳さんだった。口調がこわばっていた。
「まぁそうなれば、少なくともこの学校でやることはなくなるな。グラウンドも使えなく
なる」
 あっさりと。
 漫画の筋でも解説するように、恭介は言い切った。
 あまりに素っ気無くて、僕には理解できない。恭介が言わんとしていることも、こんな
ことを言い出す恭介も。
「どういうことだ! 説明しろ!」
 いち早く鈴が噛み付く。顔を真っ赤にして恭介を睨みつける。
「どうって、今まで好意で借りてたもんなんだぜ? それを返すのは当たり前だろ?」
「誰がそんなこと言ってるんだ」
「野球部以外に居るのか?」
 鼻で笑うように。
 鈴の表情が青ざめていった。みんな呆然として、恭介を見つめ返していた。
「ちょっと待ってよ。野球部は休部……もう廃部みたいなもんで、人数だっていないんじ
ゃないの? なんでいきなりそんなこと言ってくるのさ」
 思いもかけず言葉が口を突いた。
「キャプテンに言われたんだよ。また野球部を作りたいってな。断れないだろ? 休部も、
夏の地区大会に出場自粛ってだけだ。なにもおかしなことはない」
 野球部キャプテン。草野球のときの、ファーストを守っていた目立たない先輩を思い出
した。
「キャプテンってもう引退したでしょ? なんで?」
「なんでって……理由が必要なのか?」

 (後略)

恭介の長いひと月
「恭介の長いひと月」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2008/01/13 「リトルバスターズ!」より
   恭介の長いひと月
 鈴が泣いている。足元の地面には動かなくなった黒猫が伏している。
「こいつ、なにも悪いことなんてしてないのに! こんなのおかしいだろっ、変だろっ!」
 鈴が俺の胸板を叩く。仇を討つように、何度も何度も、拳で殴りつけてくる。
「ま、間違ってる。嫌だ。あたしはこんなの嫌だ!」
 鈴は泣き続ける。俺はその細い両肩を抱いてしまいたい衝動を押し殺して、鈴に告げる。
「悪いことをしようと、すまいと、生き物はいつか死ぬんだ。それは絶対だ。変えることはできない」
 そう告げても、鈴は俺を殴り続けた。殴る身体を持たない現実の代わりなのだろう。
 死は絶対。 大嘘だった。
 この黒猫の命を奪ったのは俺だ。俺がその気になれば、こいつは今日も鈴と一緒に遊べたはずだったのだ。

 (中略)

「私は直枝くんのことが……好きだから」
 杉並は言った。
 どうやら理樹にも、杉並の真意が伝わったようだった。
 俺に興味があるのはこの先のことだ。残念ながら杉並の勇気も決断も、この世界では生かされない。先に続いていかない。ここではただ理樹の心だけが試されている。
 理樹はなにも答えない。現実の理樹もきっと、リトルバスターズの誰かに惹かれていたんだと思う。この世界では鈴だった。
 それなのに、理樹は逡巡している。杉並の心を裏切れない。どちらを選ぼうと、杉並の心は消えてしまうというのに、そのことを知らない理樹は迷い続け。
 どのくらい時間が経っただろう。
 やがて理樹は、杉並に頷いて見せた。
 理樹は鈴の想いを足蹴にしたことに気が付いていないようだった。
 杉並はしばらく呆然としたあと、想いが届いたことに感極まって泣き出し、床に膝をついてしまった。理樹は曖昧な表情を浮かべたまま、恐々とその肩に手を置いた。
 念願を叶えた杉並の表情は眩しかった。それも当然だ。一度きりの、すべての想いを込めた勇気が報われたのだから。
 やがて杉並は泣き止んで、腫れぼったい目のまま満面の笑顔を浮かべた。細められた目からこぼれた涙が床に落ちるのをを待たずに、俺は世界を閉ざした。

 (後略)

青空越えてホームラン
「青空越えてホームラン」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/12/31 「リトルバスターズ!」より
   青空越えてホームラン
 (前略)


 野球の練習が終わり、体育倉庫の鍵を返しに職員室に立ち寄ったときだった。
「直枝、ちょっと来い」
 呼ばれて振り向くと、担任が手招きをしている。が、用件が思いつかない。渋そうな顔をして、額に手など当てている。真人あたりがなにか粗相をしたのかもしれない。
「はい、なにか御用でしょうか」
 担任は椅子に預けていた背を起こして、机の上の便箋を手に取った。エアメールらしかった。
「これ、わかるか?」
 そう言って僕に手紙を差し出す。赤と青と白の斜線で縁取られた封筒だった。
「多分、間違えて学校に送られたんだと思うんだがな」
 その多分、ところを強調して、気難しく唸る。宛先は英語で書かれているものの、肝心の宛名の部分が読めなかった。英語ではない。けれど、よく親しんだ字だった。
「多分ですが、ク、……能美さん宛の手紙じゃないでしょうか」
 封筒は見た目より分厚くて、持ってみると意外なほどに重かった。遠い異国で暮らす家族に宛てて手紙を書くと、こういう風になるんじゃないかと思った。
 考えを告げると、担任は表情を明るくする。
「ああ、やっぱりか。ロシア語わかる先生がいなくてな。そうじゃないかとは思ったんだが」
「僕も読めるわけではないんですが……」
 見慣れた文字ではあるが、未だその字がクドを指し示す言葉なのだという実感が持てない。
「お前、能美と仲いいだろ。悪いんだが届けてやってくれないか。それで少なくとも能美宛だったのかどうかはわかる」
 そして担任は何を考えたのか、ぶきっちょにウィンクなどして見せた。僕とクドのことは、どうもここまで伝わってきているらしい。
「……わかりました。もし間違っているようだったら、能美さんに教えてもらうようにします」
 恥ずかしくなって、僕はそれだけ言って早足で出入り口に向かった。僕の背後で、担任の物ではない先生の声が聞こえる。
「まったく、少しは気を使ってくれてもいいと思うんですけどねえ。ここは日本なんですから」
 言葉に続いて、朗らかな笑い声が聞こえてきた。そのおかげでそれが嫌味や悪口と違い、クドに対してなんの悪意も抱いていない軽口なのだとわかった。

 (後略)

遠くの空
「遠くの空」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/11/18 「リトルバスターズ!」より
   遠くの空
 (前略)


 みんながビーチバレーに興じるそばで、海を眺めるクドがいた。セパレート水着の胸のフリルと亜麻色をした異国の髪が浜風にはためいていた。足元にビーチボールが転がり来ても気づきもしない。
 僕は砂で汚れたボールを抱いて、クドの視線を辿った。その先にはなにもない。ただ青い海と空とが接しているだけで、遊泳客も船もなかった。
 なにを見ているんだろう。
 クドは果てないものに想いを馳せるようでもなく、感傷に浸っているようでもなく、表情もなく、ただじっと水平線上の一点を見つめていた。肌寒く人気の無い晩夏の海で、クドはひとり海を見ていた。あの、僕には海面の弧が描く直線にしか見えないその先に、なにが見えているんだろう。

 ――海は、終わりの始まる場所ですから。

 唐突にそんな言葉が思い出された。そう言ったのは西園さんだっただろうか。たぶん、そんな気がする。
 恭介がその言葉を知っていたのかどうかは分からない。でも、クドの横顔を見ていると、恭介が「修学旅行」の行き先にこの海を選んだことには、やはり僕の知れない意味が込められているのではないかと思えた。
 どういうわけか、そんなクドを見ていると落ち着かない気持ちになった。夏が終わってしまうときの寂しさとか、そういうものを感じないではいられないでいる。
 恭介が用意した子供用の水着が、今のクドにはいくらか不釣合いに感じられる。
「おーい! 理樹ーっ! なにやってんだー?」
 無遠慮な声に、クドがはっとなって振り向いた。離れて後ろに立つ僕と目が合う。クドは少し驚いた顔をしたあと、照れくさそうに笑ってみせた。
「クドもやんない? バレー。みんなで」
「あ……はいっ、お供します!」
 僕とクドは並んで歩き出す。隣をぺたぺたと行くクドは僕のよく知るクドで、いつものように笑っていた。

 (後略)

放課後に居眠り
「放課後に居眠り」
表紙・本文:雪平鍋 2007/11/18 「CLANNAD」より
放課後に居眠り

楽しいは正義
「楽しいは正義」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/08/17 「スカッとゴルフ パンヤ」より
   楽しいは正義
 (前略)


「250!」
 私は高らかに挙手。ライバル達に戦う意思を示す。闘志なき者は去れ! といった感じの牽制だ。
「300!」
 すかさず割って入るは、クーちゃんだった。
「いきなり大台300だっ! 他無いか!」
 マックスさんの司会にも熱気が篭る。「おおおおお!」とどよめいて見せるはギャラリー。
「400k!」
 私はもちろん全面攻勢。このアイテムのため、今日まで貯金を続けてきたのだ。今着ているこの服も中古品だ。
「450!」
「500!」
 間髪置かず。私の声を聞き、手を挙げかけたセシリアさんが肩を落とすのが見えた。
「520!」
 手を挙げたのはまたもクーちゃん。競りが始まり一分足らず。戦いは一騎打ちの様相を呈するが、引く気はない。人ごみの中、クーちゃんと視線がぶつかる。その目からクーちゃんの気迫がうかがえた。
「530!」
 気迫で負けてはいけないと、必要以上の声量で私は入札。
「530きたぞ! もう無いか!?」
 無いわけはないのだが、マックスさん。
「すごい争いだ!」
 とダイスケさん。
「どっちも頑張れー」
 これは、完全に野次馬のピピン。ただでさえ混んでいるのに、この子はなにをやっているのか。
「さぁ、カウント始めます!」
「630!」
 マックスさんの宣言と同時。よく通る、ピンと張った金属線のような声だった。
 その主はセシリアさん。
 勝ち誇ったように、右手を突き上げた。その手が揺らいで見えたのは、セシリアさんの全力だからか、それとも揺らめく陽炎のせいか。
「630きたぁ!」
 ――ジュニBごときが、身の程を知りなさい。
 盗み見たセシリアさんの目が、そう言っていた。
 乱入者の突然の登場。無責任な歓声が聞こえる。そんなギャラリーの興奮を尻目に、思わず舌打ちが出てしまう。セシリアさんにはさっきの競りの収入があるのだろう。それを使って、最後の最後で引き離しにきやがったのだ。
 いきなりの100上乗せ。決めに来たのは間違いない。逆に言えば、これがセシリアさんの限度なのだろう。と思う。クーちゃんのケチくさい値付けを見れば、追加の声が掛かることは無さそうだとわかる。つまり、さらに入札すれば、
「カウント行きます! 5!」
 さらに入札。650以上で。
「4!」
 ――いくらなんでも、650は厳しいんじゃないか。
「頑張れーっ!!」
 ギャラリーのだれかが無責任に怒鳴る。
「3!」
 しかし、次いぬみみが出品されるのはいつかわからない。今日の結果を受けて、相場が600超えで固定されてしまわないとも限らないんじゃないか?
「2!!」
 でも、650は全財産だ。使ってしまえば、下手するとドルフの肩を叩くことになるかもしれない。足元の青いのを見る。もはや、私がくびにしてしまえば仕事はなかろう。それはさすがに可哀想なんじゃないか。だいいち、650なんて常軌を逸してる気がする。
 マックスさんのカウントがのろくなる。煽られ煽られ、自分でだんだん思考がおかしな方向に転がって行くのがわかる。なこと言われても。
「1!!」
 ああ、まずい、どうしたものか。
「負けんな、頑張れっ!」
 ――しかし、あのヘアバンドは可愛いだろ、常識的に考えて……っ!!

「「680!!!!」」

 クーちゃんと私の声がハモりながら、海岸の熱風に乗って響いた。

 (後略)

Aztec――魔法のボールと空腹と
「Aztec――魔法のボールと空腹と」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/08/17 「スカッとゴルフ パンヤ」より
ぱにゃってナイショ!2で発行した同名の本の改訂版
   Aztec――魔法のボールと空腹と
 (前略)


 マガ谷の針葉樹の木立の中を潤んだ風がすり抜けてくる。セーラー服とスカートの裾をはためかせながら真っ白な雲を運んでいく。
 私はこの風が好き。本当に好き。ここが、パンヤのコースでなかったら。
「ア……OBになりそう……」
 ティーショットを眺めていたドルフが、インパクトの瞬間呟いた。
 カチンと来た。でも私は舌打ちだけに止めておく。打球の行方を一番よく知っているのは、私の手のひらに残る感触だったから。
「うー……」
「ドンマイ。残念だったね」
 そう言って馴れ馴れしく肩を叩くのは対戦相手のダイスケさん。パンヤ島に来てすぐに知り合った人の一人で、一番年配の方。貫禄ある体格から生まれる力強いショットとシブい髭が自慢のナイスミドル、短気なのが玉に瑕。もちろん自称だ。
「気にせずに、次のショットに集中することですな」
 こっちはダイスケさんのキャディ、タンプー。アルバイトだけど。大きい体に無限の力、心優しい一面も持っているみたい。気は優しくて力持ちを地で行く白熊。受け売りだけど。
 このコンビはパンヤ島で一番威圧感があると評判だ。なんたって、でかい。
 それで、ここはWizWizの5ホール目、ダイスケさんとPPを賭けた前半9ホールのスキンス対戦中。いまのところ私が30PP負けているけど、勝てばあのウィング靴が買えるし、そうそう負けられるもんじゃない。もちろん学校の革靴よりは紐靴のがゴルフに向いてるし、動きやすそうだから欲しいんだけど、そんなことよりデザインが大事なのだ。ここはもうひと踏ん張りしなきゃ。
 とは言うものの、飛距離の差が重い。ダイスケさんくらい上手い人たちなら多少の飛距離差はトマホークとショートチップでカバーできるみたいなんだけど、もちろんカバーできるような人たちの装備は桁違いに高い。だから一概には言えないのだけれど、円筒形でしならないアオダモの棒で250ヤード飛ばせる人たちだから、出来るのだろう。
 そんなわけで、技術面でもダイスケさんの方が上だからどうしようもない。アイテムを使わないとトマホークなんて出るもんじゃないし、実際2ホールは挑戦してもだめだったし。結局次の6ホールも2ホールと同じくダイスケさんのイーグルで終わった。これで私の負けは90PP。……とはいっても、まだビギナーを抜けられない私がシニアのダイスケさんにこれだけ迫れるってのは大したもんだと思う。正確さに欠けるダイスケさんの苦手コースだったにしても。

 (後略)

改訂版 みんな野球が好きだった
「改訂版 みんな野球が好きだった」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/08/17 「CLANNAD」より
ミラクルレインボー6で発行した同名の本の改訂版
   改訂版 みんな野球が好きだった
 (前略)


「わたしが投げます!」

 誰もが、幻聴だと思ったに違いない。みんな一斉に、その声の主を驚きの表情で振り返った。もちろん俺もその一人だ。
 叫んだのは、古河だった。
「えと、わたしは、速い球なんて投げられません。だから、あ、前投げたときは、その、打たれちゃいましたが、えと、それで……」
 唇を震わせて、古河が言葉を続けようとする。
「とっ、とにかくっ……」
 だが、その先が出てこない。
「お父さん。もうこれ以上、無理、しないで下さい。わたし、野球ってよく分かりませんけど、……野球って、みんなでやるものだって、お父さん言ってました」
 俯いてしまった古河の頬を涙が伝う。そんな古河の声を聞くのは辛かった。たとえ顔見知りであろうと、身内が相手であろうと、古河の性格からすれば、こういう主張をすることは計り知れないほど勇気のいることだったのだろう。それが、見ず知らずの敵と向かい合う場所に自分の意思で立つということだったなら、なおさらだった。
「……古河。俺は、おまえがいいと思う」
 え? と古河が顔を上げた。
「オッサンより、ずっと、おまえのほうが投げられるよ」
 そう口に出してしまったことは軽率だっただろうか。古河に余計な重圧をかけてしまうんじゃないだろうか。そんなことを考えた。
「……あたしも、そう思う」
 杏が手を挙げた。
「後ろで見てて、もう限界っぽいし。見てらんないわ」
「わたしも、そう思います」
 冷静に、芽衣ちゃんが。
「私もだ。私も全力で当たる。二度と失態は見せん。だから、全力で投げてくれる奴がいい」
 智代が言う。
「俺もだな。戦うという強い意思は、ときに実力を凌駕する」
 芳野さんだ。
「よくわかんないけど、僕も。想いってのは大切だよね」
 芳野さんに負けじとクサい台詞を交えつつ、鷹文が。
「春原、お前はどうだ」
 最後の一人、春原に水を向ける。オッサンは春原を恫喝するように、悪い目つきを血走らせ、睨みを利かせる。
 春原はその威圧にビビりかけていたが、
「……僕もそう思う。渚ちゃんのほうが受けてて絶対楽しいしね」
 全員の意見がそろった。
 あとは、オッサンだけだ。
「お父さん。わたし、精一杯やりますっ」
 古河が深々と頭を下げる。その懇願は、父親の体調を憂いる娘、というだけのものではないように見えた。古河が見つめているのは、父親だけでなく、もっと大きなものの気がした。
 オッサンは放心したように、いつまでも古河を見つめていた。
 長い長い時間が流れた。いろいろなものが変わっていた。
 それからやがてオッサンは、なにかを確認するように呟く。
「……あぁそっか。なんだよ、俺が心配されるようになってたんだな」
 そしてオッサンは、古河にボールを握らせた。
「審判! ピッチャー交代だ!」

 (後略)

フライング・フィッシュ
「フライング・フィッシュ」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/07/22 「リトルバスターズ」より
   フライング・フィッシュ
 (前略)


「怪我、したのかっ?」
 すっ、と今度は優しく引き寄せられる。ずっと外にいたんだろうか。恭介の黒い制服から、暖かな匂いがした。
「見せてみろ」
 僕の身体を少しだけ放して、制服のボタンに手を掛ける。嫌な気持ちはしない。僕は恭介の顔を見る。身長差があって、下から見上げるような形になる。恭介は真剣だった。上着を脱がされると、夜気を帯び始めたそよ風が肌に染みた。
「シャツも、いいか?」
 返事を待たず、ワイシャツの襟に手がかかった。しゅるしゅると衣擦れの音を残して、ネクタイが引き抜かれる。ボタンが外される。夕闇の昇降口は既に無人で、僕と恭介の息遣いだけが空気を震わせていた。胸元がはだけられる。肩が晒される。いったいなにを意識しているのか、僕は自然、制服を抱える腕に力を込めた。恭介の意外なほどに温かい手のひらが、ずきずきと痛む肩を包んだ。
「ここか。痣になってる。……腕、上がるか?」
 僕は制服を持ち直して、ぐっと肩に力を込めた。腕は上がるには上がるが、同時に痛みも走る。
「骨や筋は痛めてないと思うが……とりあえず、湿布でもあるといいんだが」
「え……でも、保健室なんてもうだれもいないと思うし……」
 僕がそう言うと、恭介は、僕の両肩に、壊れ物を扱うように手を置いた。

「俺が、治療してやるよ」

 僕はそれに、どう答えただろうか。

 (後略)

大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました CD
「大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました CD」
撮影・編集:雪平鍋 2007/05/14 「リトルバスターズ原画展」より
大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました CD

大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました
「大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました」
表紙:雪平鍋・桜沢みゆき 本文:山鳥 2007/05/14 「リトルバスターズ原画展」より
大阪版 リトルバスターズ原画展撮って参りました

子猫は親を選べなかった
「子猫は親を選べなかった」
表紙:雪平鍋・桜沢みゆき 本文:雪平鍋 2007/05/14 「CLANNAD」より
   子猫は親を選べなかった
 (前略)


 あたしの目の前には一面灰色の空が広がっていた。石の色をした冷たい雨が、真っ直ぐに落ちてくる。ここには、屋根がないらしい。
 隣では椋が寝息を立てていた。幸せそうなぬくい息があたしの頬に当たる。その反対には黄土色をした紙の壁があって、背中にはざらざらしたくすぐったいような感触があった。見るとそれは、使い古しのタオルケットだった。
 あたしは椋を起こさないよう、毛布から抜けだしてそっと立ち上がった。それで初めて、あたしたちが小さな箱に押し込められていたことを知った。あたしたちを入れた箱は見知らぬどこかの空き地にあって、辺りから雨と土の混じった匂いがした。すぐ脇に積み上げられたぼろぼろの材木に、大きな雨粒が落ちては音を立てていた。
 詰まるところ、あたしたちは捨てられてしまったのだ。

 (中略)

 きれいな子だと思った。黒く光る毛がなめらかで、耳の先から尻尾まで流れるように生え揃うっていた。
「ことみ。ひらがなみっつで、ことみ。呼ぶときは、ことみちゃん」
 女の子はそう名乗った。見たところ、ことみはとても手入れの行き届いた猫だった。シャンプーのいい匂いがした。爪もきれいに切り揃えられていた。きっと、いい飼い主に恵まれているのだろうと思った。
 ことみは、黙ってあがりこんだノラ猫であるあたしたちを、追い払うでなく邪険にするでなく、まるで昔からの友だちにするように、自然に受け入れてくれた。
「私は椋。椋ちゃんって呼んで。こっちが、私のお姉ちゃんの」
「杏よ」
 椋はあたしとは違い、すぐにことみと打ち解けた。
「ソファー、濡らしちゃってごめんなさい」
 申し訳なさそうに椋が言う。雨に打たれながらあちこち走り回ったせいで、あたしたちの身体はすっかり汚れてしまっていた。だった。床もソファーも水浸しで、あちこちに泥が落ちていた。
 それでもことみは気にした風もなく、
「ううん。大丈夫なの」
 と言って、家のどこかからタオルを運んできてくれた。あたしたちはそれで身体を拭いた。
「椋ちゃんたちは、お外から来たの?」
 ことみは外の雨模様を見て、少し心配に尋ねた。椋があたしに目配せする。隠すことでもない。あたしは小さく頷いて、椋に合図した。
 椋は、この家に入り込むまでの経緯をほとんどことみに話して聞かせた。
「私たち、捨てられちゃったみたい」
 椋の声が、少しだけ上擦った。捨てられちゃった、と言ったとき、ことみはピクリと耳を動かして、顔を曇らせた。それを見た椋も、自分の言葉に動揺してか、おろおろと周りに視線を泳がす。

 (後略)

みんな野球が好きだった
「みんな野球が好きだった」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/03/21 「CLANNAD」より
   みんな野球が好きだった
 (前略)


「それじゃ、早速だが明日のスタメンな」
 ホワイトボードに赤いペンを使って、打順とポジションを順々に書いていく。
 一番上に名前を書かれた杏が、俺の肩をつついた。
「今日、ガチでミーティングするのね」
 ひどく意外そうな声だった。
「……おまえ、なにしに来たんだ? 飲み会でもやると思ってたのか?」
「あ、あははっ。やーねー、そんなこと考えるわけないじゃない」
 ふ、と俺から目を逸らす。図星だったんだろうか。
「でもさー、あの人がこういうことするのって、なんか意外よね」
「あん?」
「なんか、もっとてきとーな人だと思ってたんだけど」
 そう言って熱心に書き込みをしているオッサンの背中を指す。
 ……言われて見れば。
「なんか不機嫌っぽいしさ。珍しくない? そういうの」
 思い返してみると、たしかにそういう素振りがあったかもしれない。
「まあ、なにかあるんだろ。オッサンだし」
 オッサンは杏の言葉を知ってか知らずか、眉に皺を寄せながら振り向いた。
「これが明日のオーダーになる」
 ホワイトボードを平手で叩いて、みんなの注目を集める。


 一番 6 杏
 二番 4 芽衣
 三番 5 芳野
 四番 1 秋生
 五番 8 智代
 六番 9 鷹文
 七番 2 春原
 八番 3 朋也
 九番 7 渚

 (後略)

廊下でみたもの
「廊下でみたもの」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2007/01/21 「Kanon」より
   廊下でみたもの
 (前略)


 夜の校舎は薄暗く、肌寒い静けさに包まれています。
 日中の喧騒は欠片も残らず、どこか遠い場所へ持ち去られてしまったようでした。
 動くものはありません。
 ただ、晩秋の月の光を受けて、剣の切っ先だけが鈍く仄かに輝いています。
 舞は今日とてひとりきり、冷たい廊下に立っていました。息を殺して身じろぎもせず、魔物の姿を探していました。目がくらむほどに冷たく暗い、夜気の向こうを見据えています。
 しかし、この日は魔物も休みと見えて。
 舞は大きく息を吐き、剣を下ろして座り込みます。背中を壁にもたれさせ、ゆっくり身体をほぐします。
 舞はふと、廊下の端に目を向けました。ただ気まぐれに、そちらを見やっただけでした。
 魔物もいない深夜の学校。動くものなどありません。
 そのはずなのに。
 冷え込む夜気の向こう側、月の明かりも届かない、べたりとした暗がりの中。廊下の奥の曲がり角に、動くなにかがありました。
 舞は跳ね起き剣を取り、なにかに向けて駆け出します。夜もしじまも切り裂いて、なにかの背中に追いすがります。
 なにかは耳をぴょこぴょこ揺らし、廊下の角に消えていきます。
 月の綺麗な夜でした。

 (中略)

 教室の中ほどに立って、改めて周囲を見渡します。
 ここには、なにもいませんでした。
 なにかを追って来たはずが、しかしここには誰もいない。舞の居る教室は、昼間となにも変わらない、ただ明るさだけが抜け落ちた、普通の教室でした。舞を包む暗闇は、とつとつと、静謐な時間を流しています。なにかなど、どこにも居はしませんでした。
 手汗に濡れた剣を置き、真ん中の列の後ろ側、机の一つに腰掛けます。昼間ならピンク色をしていたはずの、水玉の折り畳み傘が脇に下がっていました。
 舞は首を傾げます。あの影は、もしかしたら見間違いだったのでしょうか。それとも、自分の気付かないうちに、あの影はこの袋小路から逃げおおせたというのでしょうか。窓を開ければ気付きます。廊下を歩けば、必ずなにか気配がするはずでした。
 考えていると、おなかの虫が鳴き出しました。

「川澄舞、先輩ですか?」

 唐突に、声がしました。教卓の向こう側でした。舞は剣を掴み、寝静まっていたはずの可哀想な机たちをなぎ倒しながら、教卓に突進します。
「私は、一年の天野美汐と申します」
 声は丁寧な自己紹介を始めました。舞はその喉元に、鋭いやいばを突きつけます。
「いくつか、お尋ねしても良いですか?」
 声は平然としていました。その声は地味めな顔立ちと、辛気臭いような癖っ毛と、いささか謙遜が過ぎるような背格好を持っていました。
 その背格好の上に、この学校の制服を羽織っています。リボンの色は分かりませんが、もしそんな背格好の彼女が上級学年だとすれば、そんな殺生なことはないでしょう。
「川澄先輩」
 美汐は言います。
「もし今、空からお菓子が降ってきたりすれば、素敵だと思いませんか?」
 舞は想像しようとしましたが、空腹のせいで集中できませんでした。糖分が足りていないのでしょうか。舞は剣を下ろして、とりあえず頷きました。
「分かりました。では、私がご馳走しましょう。少し下がってください」
 両手を組んで上を向き、美汐が何かを念じます。
 するとどうでしょう。天井が光り輝き、雨あられとお茶請け類が降ってくるではありませんか。
 のりせん揚げ餅ソフト煎餅、チーズおかきに梅せんべい……。
 包装もなにもないまま、ばらばらばらと床に直接積もっていきます。梅の香り、醤油の匂い、せんべい臭。そういった類の臭気が、底冷えするような秋の夜に立ち込めていきました。粉っぽいかすが舞の足元まで飛び散ってきます。明日、この教室はきっと使い物にならないことでしょう。
 立ち尽くしている舞を尻目に、美汐はひとりで山のお菓子をえり分けています。山の奥底、本来ならば万人にとって闇であるはずの場所から、美汐は次々とチーズおかきを引き込んでいきました。

 (後略)

fish shaped pancake filled with bean jam
「fish shaped pancake filled with bean jam」
表紙:雪平鍋 本文:雪平鍋・山鳥 2006/11/19 「Kanon」より
fish shaped pancake filled with bean jam

果たせぬ約束
「果たせぬ約束」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2006/10/08 「Kanon」より
   果たせぬ約束
 (前略)


 深い意味などありそうにない、単なる昔の夢だった。
 男の子がいた。
 男の子はなにをするでもなく、ただ街角に立っていた。
 ときおり、背広の肘が男の子の肩を掠めた。小さな舌打ちが聞こえ、革靴の音は雑踏に紛れていった。ブーツや香水や学生服が、とめどなく男の子の横をすり抜けていった。思い思いに流れていく人混みの中で、男の子だけがひとり所在なさげだった。
 夕焼け空の一角が、青みを帯びたころだった。
 頼りなく結ばれていた男の子の口元が、不意に緩んだ。
 正面のスーパーマーケットから買い物袋を提げた女の子が出てきて、男の子に歩み寄ってきた。男の子は不満を垂れて、女の子の三つ編を引っ張った。女の子は謝りながら、男の子に買い物袋を預けた。二人は並んで帰っていった。

 懐かしい気持ちに浸ったままで、俺は目を覚ました。

   ◆       ◆

 はだしで踏みしめる廊下の冷たさが、心なしか和らいできた気がした。
 それが春の到来を表しているのか、単に俺が慣れただけなのかはわからない。きっとそのどちらでもあるんだろう、とは思うが、やっぱりわからない。
 ただ、雪の印象のしかなかったこの町にやってきて、もうそれだけの時間が流れたということは確かなようだった。
 いつものように洗顔その他を済ませて部屋に戻った。ベッドの掛け布団をたたみ、制服に着替えようとタンスを開けた。
 そこで、はたと手が止まった。
 タンスの中に制服はなかった。部屋を見回してみても、影も形も見当たらなかった。一日の初めにおかしなケチがついてしまった。
 制服はどこに行ってしまったんだろうか?
 考え込んでいてもしょうがないので、とりあえず名雪に聞いてみることにした。
「名雪、起きてるかー?」
 尋ねてみても返事は無い。まったく普段どおりの朝だった。
 ネームプレートの下を三度叩いて、もう一度呼びかける。
「名雪! 起きろっ!」
 ドンドンドンドン。
「おーいっ! ドア、開けるぞー?」
 反応なし。
 それを確認して、俺はドアを開けた。
 名雪の部屋に名雪はいなかった。カーテンが開いていた。ベッドはもぬけの殻だった。掛け布団は綺麗にたたまれてるし、時計のベルも全部がOFFになっていた。鞄もなくなっていた。しかし、筆記用具や教科書類は机に置かれたままだった。
 名雪はどこに行ってしまったんだろうか?
「名雪なら、もう出かけましたよ?」
 背後から不意に声がした。机を物色していた俺はそりゃもう驚いた。振り向くと、俺の制服を抱えた秋子さんが立っていた。

 (後略)

仮免許練習中
「仮免許練習中」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2006/09/10 「CLANNAD」より
   仮免許練習中
 椋はベッドの上に寝そべったまま、すがるようにあたしを見上げた。
「お姉ちゃん……やっぱり、怖いよ……」
「何も怖いこと無いわよ。みんなやってることじゃない」
「そ、それは、そうだけど……」
 震える目、震える声で、切実に訴えかけてくる。
「だいじょうぶ。怖いのは初めだけだから」
 あたしは椋の怯えが和らぐように、その細くて滑らかな髪を手で梳いてやりながら言った。
「う、わ、私には、……早いんじゃないかな」
「そんなこと無いわよ。もう十八にもなったじゃない」
「え、あの、……」
「慣れると結構気持ちいいもんよ。きっと椋も気に入るって」
「そ、そんなこと言われても……」
 消え入りそうだった声がついに詰まり、椋の視線があらぬところをさまよい始める。あたしは椋の柔らかな頬に両手を添えて、あたしの目を見るように優しく導く。
「ほら。あたしがしっかり教えてあげるから」
「で、でも、でも……」
「……信用できない?」
 椋の瞳が揺れる。なんとか目を逸らすまいと懸命に食いついてくる。あたしは最後の一押しにかかる。
「朋也もこういうの好きだって言ってたよ」
 でまかせだった。朋也とそんな話はしたことが無い。
「え……」
 それでも椋は途端に顔を赤く染め、目を伏せようとした。あたしは椋の小さな顔を挟む手に力を入れて、すかさず上を向かせた。
「朋也も男の子だし、ね」
 椋は相変わらず震える視線で、でも怯えだけだったさっきとは違う色の目で、あたしを見返してくる。
「……どうする?」
 椋に覆いかぶさるように手を突き、耳元でそれだけ囁く。椋は口元に握った手を当て、目だけを伏せた。あたしには肯定の合図だとわかった。
「本当に、いい?」
 ここまでくれば、もう椋は拒まない。わかっていながらあたしは念を押した。行動と矛盾した自己満足でしかないのだが、強制はしたくなかったのだ。
 椋は少しの間ぎゅっと目を閉じ、それから小さく確かに頷いてみせた。
「……でも、聞いていい? お姉ちゃん」
 あたしは無言で頷く。
「教えてくれるって言ったけど、お姉ちゃん、車なんて運転したことあるの?」
「だいじょうぶよ。原付免許は一日で取れたし」

 (後略)

転機の夏 夏の転機

6月3日
「転機の夏 夏の天気」「6月3日」
表裏表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2006/06/04 「Kanon」「ONE」より
   転機の夏 夏の天気
 (前略)


 季節はまるで遅れを取り戻そうとするように足早になって行った。

 春風が吹いたかと思えばいつの間にか葉桜が茂り、それに気付いた日の天気図では本州付近に停滞前線が重く圧し掛かっていて、雨天曇天にため息でも吐こうかと深く息を吸い込んだ頃、空はまた突き抜けるような青色に染まった。
 気がつけば、青空と暑さと入道雲と受験の夏が訪れていた。
 長かった奇跡の冬も、時折窓から吹き込む風に少しばかりの面影を残すばかりになった。


 ちりん、と風鈴の音がした。
 俺はまだ水瀬家のご厄介に預かっていて、今では名雪先生のご指導のもと大学受験へ向けて奮闘中である。大学というのはもちろんこちらの大学のことだ。両親は何かと俺の行く末を案じているようだが、当面、この街を離れるつもりは無かった。

 風鈴の音?
 顔を上げ、開け放したベランダの窓を見やる。
 はて、俺は風鈴なんて小粋なものを持っていただろうか。折よく吹いた風に合わせて、涼しく澄んだ音色が転がった。
 風鈴なんて影も形も見当たらなかった。音はすれども姿は見えない。それどころか、風が止んでも鈴の音は止まなかった。
 ベランダ伝いに別の部屋から……にしては、音が近すぎる。間違いなく俺の部屋で、この風鈴の音は生まれていた。
 まぁ、それだけなんだが。
 なにかと怪現象が好きな街ではあるが、これはいくらなんでもお粗末すぎやしないか。いくら夏本番も近いといっても、まだ太陽が折り返してさえ居ないじゃないか。そんなことより、早く次の方程式を解かなければならない。
 ……それでもまぁ、薄気味悪いのは確か。
 こうも気になってしまっていては、頭に入るものも入らないのではないだろうか? いや、きっとそうに違いない。
 俺はそう自分に強く強く言って聞かせて、椅子から立ってベランダに出た。吹いてくる風がオーバーワーク気味の頭に心地よかった。
 次の瞬間、謎の鈴の音は室外機の陰から勢いよく飛び出してきた。
 鈴の音は素晴らしい俊敏さで隙間を抜けて部屋に飛び込み、俺が部屋を覗き込んだときには書き連ねた諸々の積分定理の上に着地していた。
 それから、にゃあと一つ鳴いた。
「なるほど、お前が正体か」
 ぴろはノートに腰掛けて自慢げに首輪の鈴を揺らして見せた。
 真琴が買って付けてやった、真琴とお揃いの鈴だった。贔屓目を差し引いてみても、よく似合っていると思う。

 (後略)

冷めない鉄製のお皿で
「冷めない鉄製のお皿で」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2006/05/05 「CLANNAD」より
   冷めない鉄製のお皿で
 (前略)


キッチンに甘い肉汁の匂いが広がった。
 私は遠く飛び立ってしまったふぅちゃんを脇にどかして、金網の上で焙っていた鉄板を慎重に木のお皿に移す。その上に、ふぅちゃんの顔ほどもあるハンバーグを乗せた。
「それでは、ふぅちゃん。あとはお野菜を盛り付けて……って」
 聞いちゃいない。
 ふぅちゃんは脇目も振らず、目を輝かせて手作りの和風おろしソース――ふぅちゃん曰く、今最も玄人から愛されている至高のソース――を特大ハンバーグの上にふりかけていた。ぴちゃぴちゃと水音まで立てている。
 お医者さまから食生活の心得を賜った身としては、何かガツンと言わねばならないのだろうけれど……。
「あはは……ふぅちゃん、ハンバーグ久しぶりだったもんね」
 つい、思わず、笑ってしまう。
 私は良い姉で在り続けた気でいたけれど、もしかしたらそうでは無いのかもしれない。
 いつであっても、今日くらいはいいんじゃないか、と思ってしまうのだ。
 肉料理? いいじゃない。せっかく、ふぅちゃんが検査入院から帰ってきた日なのだから。

 テレビには球場の遠景が映されて、今まさにプロ野球中継が始まろうとしているところだった。七時前には食べ始めたかったのだが、予定より三十分ほど遅れてしまっている。
 私がリビングに入ると、岡崎さんたちとお話していたらしい祐くんが立ち上がって、私のほうへ歩いてきた。そして、袖口から覗く日焼けした腕が、私の手の中にある温野菜を盛ったボウルを掴んだ。

 ――ほら、俺が持つよ

 祐くんが控えめに笑いかけてくる。私も微笑んでそれに応える。

 (後略)

くらすぺ攻略本 〜完成編〜
「くらすぺ攻略本 〜完成編〜」
表紙:桜沢みゆき 本文:雪平鍋 2006/02/12 「くらすぺ」より
くらすぺ攻略本 〜完成編〜

必殺ごった煮鳩スープ
「かわいい妹たち」
本文:山鳥 2005/10/09 「To Heart2」より

「役に立つもの立たないもの」
本文:雪平鍋 2005/10/09 「To Heart2」より
   かわいい妹たち
 (前略)


 手探りで寝癖を撫で付けながら部屋を出る。あたしには鏡を覗く習慣が無かったが、それでもあたしは洗面所へ向かった。今日は外出する予定。女として生まれついた以上は最低限の身だしなみは整えなければならない、というのは、去年の夏辺りからすっかり女っ気づいた姉の弁。そういえば、登校時間が差し迫る中、手ごわい寝癖と格闘していた後姿が思い出される。二人分の弁当箱を置き忘れたことに気付いたときの泣き顔と、慰められて覗かせた笑顔も。そんな間抜けな姉は昨日の夜、今日『友達』と出かけると言っていた。両親も留守で、病弱なあたし独り残された。……どうせ、あと一週間もすれば去年と変わらぬてんてこ舞いの学校生活が始まるのだから、せいぜい楽しめばいい。
 あたしは五分で手早く寝癖を直し、寝起きということもあって何度か歯ブラシを取り落としつつ十分で歯磨きを済ませ、十分で服を選び、メモ書きにある『朝食』を五分で終わらせた。三食必ず摂るようにと常々言われている。途中でドーナツでも買わねばならない。
 そのあと、桜並木を守る市民グループと行政のごたごたを報じているワイドショーを二十分だけ観てから、財布と分厚い薬袋の中身を半分と玄関の鍵をコートのポケットに押し込んで家を出た。
 目的地は無いし、日差しはあっても風は冷たかった。
 それでもまぁ、馬に蹴られて死にたかないし。

 (中略)

 階段を登りきると、冷たい風がおさげを乱暴に撫でつけてきた。風が肩の向こうに駆け抜けていくまで、わたしはじっと目を瞑ってリボンを押さえていた。
 髪型を変えようか、という話をしたとき、ちゃるとよっちは笑った。『先輩に変化球なんて投げても見送られてジリ貧になるだけだよ』
 結局、タカくんを打ち取ったのはまっすぐな人だった。みんなから好かれていて、みんなに親切で、頭がよくて、お弁当とお菓子を毎日作れる可愛い人。
『安心しろ、このみ。良妻賢母型はすぐに飽きられるというぞ』
 ……タカくんはそんな人じゃないもん。
 目を開けると、風の中にピンク色のかけらがひらめくのが見えた。顔を上げると、川沿いにクレヨンでなぞったようなピンク色の線が伸びている。もう少しで、線から帯に格上げ出来そう。春はもうインターホンのカメラに笑顔を映して、ドアノブに手を掛けてる頃かな。
 なんだか嬉しくなって、次々運ばれてくる桜を口で受け止めようと挑戦してみる。でも、何度やっても上手くいかない。タマお姉ちゃんなら、風に飛ばされたやつでも取れるかもしれないけれど、わたしにはまだ難しい。

 (後略)


   役に立つもの立たないもの
 (前略)


 今日は暑くなりそうだった。南に高く上がった太陽を遮る雲はなく、風もあまり強くない。衣替えも過ぎた時期だというのに、こんな日に長袖を着ているあたしはかなり暑苦しかったと思う。しかし、そんなことに気付く余裕もないくらいその時は緊張していた。ついでに言えば目的のバス停を2つ乗り過ごしてから気が付くくらい。バス停2つ分という半端な距離を歩いて目的地に着く頃には、もう昼過ぎとは言えない時間になっていた。
 扉の前に立つ。一回、二回。深呼吸で鼓動が落ち着いたところで、呼び鈴に手を伸ばした。一般的なチャイムの音。誰の家を訪ねたときでも、この音が響いてから扉が開くまでの時間は落ち着かない。先ほどの緊張がまたぶり返してきたんじゃないだろうか。きっと傍目にわかるくらいそわそわしてる。まず何て言おうか、もう決めてある台詞を思い出す。思い出す……。

 (中略)

 ――で、案内されたたかあきくんの部屋。
 大きめの窓は開かれ、涼しげにカーテンがそよぎ午後の日が明るく差している。起きたばかりらしく布団は持ち上げられたままだが、予想していた床に散らばるCDも、読みっぱなしの雑誌も、長い間溜められたゴミもなく、ケープに埃など被りようもないほどに整然としていた。びしっと背表紙の並んだ本棚を連想させるような片付き方だった。窓枠をなぞった指にも塵ひとつない。
「へぇぇ……」
 思わず間抜けな声が漏れる。予想外といえば予想外だが、これは予想外の範囲すら外れていた。
「えっと…ついこの間なんだけど…俺の妹分と姉貴分なのかな、その二人が押しかけてきて…全部片づけられたんだ……」
 申し訳なさそうにたかあきくんが話す。
「あ、いいのいいの、全然大丈夫だから…」
 繕いきれなかった落胆は伝わってしまっただろうか。こんなのはたかあきくんが気に病むべき事ではない。
「じゃあ、次は洗い物とかやってみようかな…」
 薄い期待を抱きつつ、次の場所を口にした。
 続いて向かったキッチン。予想外というか、予想通りというか、ここもこれでもかというくらい綺麗に片付いていた。生活感がないという感じではなく掃除が行き届いているのは明らかだった。
「えーと…」
「えっと…」
 二人とも言葉に詰まる。
「これも…妹さん?」
「いや、姉貴分のほうなんだけど…」
 冷蔵庫にはおかずの残りが置いてある。どれもこれも見事な料理だった。
「……」
「せっかく来てくれたのに…期待に添えなくて悪い…」
 今度ばかりはため息が漏れた。

 (後略)

Aztec ―魔法のボールと空腹と
「Aztec ―魔法のボールと空腹と」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥(+雪平鍋) 2005/10/09 「スカッとゴルフ パンヤ」より
   Aztec ―魔法のボールと空腹と
 (前略)


 マガ谷の針葉樹の木立の中を潤んだ風がすり抜けてくる。セーラー服とスカートの裾をはためかせながら真っ白な雲を運んでいく。私はこの風が好き。本当に好き。ここがパンヤのコースでなかったら。
 私のティーショットを眺めていたドルフが、インパクトの瞬間呟く。
「ア…OBになりそう…」
 カチンと来た。でも私は何も言わない。打球の行方を一番よく知っているのは、私の手のひらに残る感触だったから。

 (中略)

 それにしても意地の悪いホールだ、と私は思った。ルーキー時代に――まだコースの危険性が問題になる事もなく、今よりもずっと自由で、やや無秩序だったあの頃のこと――いったい、何度このフェアウェイに騙されたことか。
 ダイスケさんの不恰好なスイングから放たれたボールが強烈なスライス回転を持ってグリーンを跳ねた。わざとスイングを乱してアズティックをコントロールするという高等打法だ。言葉にすると実に胡散臭い。
 私は、他人の振り見て、ではないけれど、(もちろん振りとスイングを掛けた駄洒落でもない)基本に忠実なスライスショットでグリーンをキープした。フォームを自分から乱すような真似はしたくない。だから私はビギナーなんだろうか。
 波乱もなくプレッシャーもなく、予定調和的に連続バーディーを決めた。一打差で最終ホール。私はセーラー服の上から中のペンダントに手を添えた。

 (後略)

くらすぺ攻略本 マップ
「くらすぺ攻略本 マップ」
制作:雪平鍋 2005/09/18 「くらすぺ」より

くらすぺ攻略本 〜応用編〜
「くらすぺ攻略本 〜応用編〜」
表紙:桜沢みゆき 本文:雪平鍋 2005/09/18 「くらすぺ」より
くらすぺ攻略本 〜応用編〜

くらすぺ攻略本 〜入門編〜
「くらすぺ攻略本 〜入門編〜」
表紙:桜沢みゆき 本文:雪平鍋 2005/09/18 「くらすぺ」より
   くらすぺ攻略本 〜入門編〜
 ゆきね……Stage3 地下水脈
 (前略)


 絶え間なく聞こえる水音。天井からは水滴でなく滝のように水が染み出しているところもある。あちこちで急流が行く手を遮り、牙の鋭い魚が餌を探して泳ぎ回っている。
 なぎさちゃんから水場らしいとは聞いていたけれど、まさか地下にこんな水脈があるとは思わなかった。地上の川より地中を流れる水の方が多いと聞いたことはあるけれど、今まで実感したことなどなかった。
 そんな一風変わった洞窟なのに、ここには明らかに人の手によって作られた足場やいかだがある。探索すればもっと深くまで人の手を加えられた洞窟になっているのだろう。あの魚の群れも、もしかしたら人為的に放流されたものなのかもしれない。
 その魚が泳ぐ池を前にして、構えた銃を握り直す。ここでは火薬の銃は全く役に立たない。わたしの銃は壁を通り抜けて向こう側に攻撃できるし、水中でも使用できる。魚のいる水場に外側から撃ち込めるメリットは大きい。それでもここまで辿り着くのは大変だった。ある程度の潜水装備があるので水中に行くことはできるのだが、哺乳類と魚類では圧倒的に分が悪い。遠距離から撃つのが最も効果的だ。
 また、撃ち続けていると希に弾が通らない場所がある。岩の種類が違うのか、中に別の何かが含まれているのか。試しに爆破してみると、これが綺麗に崩れる。隠された宝をその瓦礫の中から見つけることもあった。
「きゃっ」
 魚を撃ち殺して安心していたところに天井から水滴が落ちてくる。感触がただの水じゃない。慌てて足下の水で手を洗った。目の前の池が無害なところをみると、この酸も自然なものじゃないらしい。嫌らしい。
 それでも、仕掛けがあろうがなかろうが結局やることは変えられない。また銃の感触を確かめて、足下の池に飛び込んだ。



 こんにちは〜。3ステージ担当のゆきねです。入門編講座も後半3回目に入りました。ジャンプ操作にはもう慣れましたか? 3ステージはわたしを使う機会が非常に多いと思いますが、わたしのジャンプはなぎさちゃんやことみちゃんより短いので、3ステージなら最初の穴からぎりぎりです。この機会に、ぜひドット単位の判断力を身につけてくださいね〜。
 さて、第三回の講座内容は最後の基本操作である「爆破」と、3ステージらしく「泳ぎ」になります。特に前者は仕掛けの突破だけでなく隠し要素に対しても大事なのでがんばってくださいね。「ここだっ!」と思ったら迷わず↓+攻撃ボタンを押してみるといいですよ。
 3ステージまで来て爆弾を使えない人はいませんから、基礎的なことは端折りますね。今回は「ちょっと上いく爆弾利用」をテーマにいきましょう。
 まず、爆破範囲はわかりますか? 「爆弾のそば」っていうのは3点くらいです。爆弾には、硬い岩などに有効な内側範囲と、木箱やブロック、敵や自分(汗)に有効な外側範囲があります。これで10点満点です。便宜的に「内径」「外径」と称しますね。
 まず、内径の直径はキャラクター4つ分くらいです。爆弾の位置から2歩程度が半径ですね。岩などを爆破するときはこの距離に爆弾を設置しなければなりません。逆に言えば、爆弾を間近に置く必要はないということになります。きわどいラインになりますが、上手く使えば高いところから先に爆弾を落としておくという方法で時間短縮もはかれます。
 次は外径ですね。これはキャラクター8つ分くらいの直径があって、半径は4歩以内です。爆煙の円よりちょっと小さいくらいと思っていてください。爆弾を使うときはこれ以上離れていないと爆風に巻き込まれてしまいますから注意です。タイムアタックでの爆破はチキンレースになりますから、自身でぎりぎりまで詰める練習をするといいかもしれません。この一歩を削るだけで数秒減る条件もありますので、狙ってみて損はないと思います。
 この外径で壊せるブロックというのはかなり多く、木箱以外にも地面に擬態した壊れるブロックや火薬樽に有効です。4歩というのは結構あると思いますので時間短縮のためにはきっちり狙っていくべきでしょう。
 また、全ての敵は爆弾の外径で即死します。幽霊やコウモリ以外の敵にも爆弾は非常に有効なので、いろいろ遊んでみてください。魚の群れを全滅させるなども楽しいです。こういうのを上手く使えばことみでも簡単に敵全滅の部屋をクリアできます。それにコウモリには天井の厚い場所でもわりと届くので、邪魔なところは先に爆破しておくのも手です。こういう使い方をしても、ゲーム内の数はかなり余裕をもたせてあるので心配しないでください。
 あと、爆破に関しての注意点ですが、鍵・宝箱・隠しキャラを取ってゲームが一時停止することがあると思います。この間、照明弾と爆弾の時間だけは進んでいるので狙ったタイミングで攻撃できません。停止中は自分も敵もダメージを受けないので注意です。4ステージにはこれを利用した罠もあります。

 ついでと言ってはなんですが、爆破する岩についてです。爆破できるブロックと落ちる岩については貫通式の弾が貫通しないだけでなく、当たったときの音も違いますので気付くことができます。また、4ステージ限定で地震が起こったとき画面内に揺れていないブロックがあればこれも落ちる/爆破できるブロックになります。こういうのに注意してゲームを進めてみると、隠しも簡単に見つけることができますよ。
 あと、内径で爆破する岩ブロックです。突きだした岩と同じようにジャンプ中に当たると跳ね返されますが、実はこの性質を利用して2ステージと4ステージに1か所ずつ計2か所、壊さないでクリアできるところがあります。ジャンプ距離によりますが、意外に簡単にできることなので時間を争うときは不可欠の技術になります。ちなみに4ステージ側はちんちらソフトハウスのミスか遊びのように思える仕掛けで、鍵をいくつか取る必要がなくなります。

 爆破に関してはこれくらいですね。照明弾と爆弾しか攻撃アイテムのないゲームなので、この2つを活用して敵を攻撃できるようになってください。動きの鈍い幽霊は、意外にタイムアタックの邪魔になります。照明弾や爆弾が当たれば必ず倒すことのできる敵なので、活用してください。

 次はわたしの特技、泳ぎについてですね。
 わたし以外のキャラは、水中で泳ぐことが出来ません。具体的には、頭まで水に浸かるとミスになることと通常の水の水面から飛び出せないことがあります。3ステージをこの条件でクリアするのは結構難しいです。それにわたしでないと手に入れられない宝箱も結構ありますし、やっぱりわたしが主体のステージになります。
 さて、泳ぐというのはどういうことかというと、まず水に潜ってもミスにならない、水中でジャンプボタンを押したとき少しだけ上に進める、横方向を押しながらジャンプボタンでその方向の少し上に移動できる、水面から飛び出せるということを言います。水面での移動も他のキャラに比べて格段に早くなります。
 操作は簡単なので、やってみればすぐ慣れると思います。
 泳ぎに際して最も脅威なのが、凶暴な牙を持った魚です。主に水面近くを泳ぎ回り、ときにはその位置から真上に飛び出します。動き自体は単純なのですが、水中で避けるのは困難です。魚と人間が水中戦を行ったらどうなるのか、ということですね。横移動はともかく縦移動は明らかに魚の方に分があるので、真っ向勝負は避けてください。
 このゲームは仕様上、弾を水平にしか撃てません。魚の移動も水平です。そのため、泳いでいる魚を撃つのはなかなか難しくなっています。無難にプレイするなら、魚が上に飛び出してくるところを狙い撃ちにするか、壁貫通性の弾で魚の通れない壁の外側から撃つかしてください。場所によっては爆弾投下も有効です。
 ゆきねは水中に特化したキャラのため、攻撃力が渚と同じで射程がより長く、貫通性になっています。魚を撃つならゆきねが最も向いているでしょう。
 あと、水中に飛び込むときの注意を。どのキャラも水面は高さに対して安全なもので、どんな高さから落ちてもミスになりません。ミスになるのは「水面に浮いている壺にミス以上の高さから落ちたとき」と講座の2回目でやった「高いジャンプ中のジャンプボタン入力の仕様」によっての二通りです。急流はもちろんミスになります。3面だけでなく他の場所でもこのショートカットは有効になりますので、覚えておいてください。

 以上で「くらすぺ」入門講座の第三回目を終了しますね。お疲れ様でした。3ステージあたりからセーブに戻るスパンが長くなりますので、根気強くプレイすることが大事になります。がんばってください。



 噴水に乗せられた皿という凝った作りのリフトを乗り継いで、どうやら最下層の最も大きい流れに着いたようだった。壁際の穴に落としてみた爆弾は見事に有効だったらしく、エレベーターのそばには瓦礫に埋まった宝箱が落ちていた。
「何が入っているんでしょう…?」
 出てきたのは、クリスマスの赤緑模様の、子供向けの三角帽子だった。コーンの先端には丁寧に綿が付けられている。
「子供の頃を思い出します。いつもお兄ちゃんと一緒に…あっ…」
 びしょびしょに濡れた袖で顔を拭う。つい湿っぽいことを考えてしまった。
「いけませんね…これじゃ…」
 落ち込んでしまった気分を持ち上げて、エレベーターに乗り込む。着いた最後の急流にはいかだが繋がれていた。流れに対してあまりに華奢に見えるそれに乗り込むのには抵抗があったが、恐怖でもいい、何かで心を洗い流したかった。
 乗り込んで深呼吸をひとつ。縄を解く。ここでは無理にでも集中しなければ向こうの滝に落ちていってしまう。怖がっている暇も思い出を見ている暇もなかった。ただ、近づいてくるツルだけを見つめていた。

 (後略)

紫陽花の咲いた頃
「紫陽花の咲いた頃」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2005/05/29 「ひぐらしのく頃に」より
   紫陽花の咲いた頃
 (前略)


 ボンネットバスの窓枠から見える山並が、整然とした杉の若木の林から鬱蒼とした雑木林に変わって行く。久しぶりの日差しに溶け出したアスファルトから立ち上っていた陽炎は消えたが、入れ替わりに酷くなった車体の振動が、数年ぶりの景色をぶれさせていた。
 彼女にとってこれが初めての帰郷だった。今新しい生活を送っている町と故郷とは、距離的にはこの通りバス一本分しか離れていなかったが、流れた時間の重みは、確かに彼女の胸中を満たしていた。もっとも、その重みは、心に懐古の情が涌き始めるより先に、舗装された道路と高級車の座席に浸り切っていた足腰に圧し掛かっていたが。

 (中略)

 園崎の門の前に一人で立ったのはいつ以来だろう。厳かな風格漂う門扉を見上げながら、茜は逡巡した。だが、まるで思い出せない。そりゃそうだ。毎日この門を通って国民学校、間をおいて大学と行き来したのだ。そのうち偶然最後になった一回なんて意識してるはずが無い。勘当を食らう直前はあの人と一緒だったわけだし。茜は無意識にハンカチを取り出して、しきりに額の汗を拭った。今日の決意は、絶対に退かないこと。
 勘当された家に戻る体験なんてあるわけが無い。母親はこの地域一帯の現役の元締めであり、確かに怖いには怖い。だがそれを言ったら、彼女の夫はもうちょっと不健全な大団体の幹部の息子である。それは茜もわかっているので気にはしなかった。彼女にとって本当に怖いのは……。

 (後略)

Start From…
「Start From…」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2005/05/05 「CLANNAD」より

「踏み出す一歩、出せない一歩」
本文:雪平鍋 2005/05/05 「CLANNAD」より
   Start From…
 グラウンドの爽やかな陽気と活気から置いてきぼりを食らったように、もうヘソを曲げてしまった時計を掲げて、その校舎は佇んでいた。
 遠目には、あのころと何も変わらない様に見えた。
「うーむ……どうしたものか…」
 俺は『立入禁止』の看板の前で腕を組んで唸っている。旧校舎の周りには黄色と黒のロープがめぐらされている。もちろん、目的地はその中。ただ入るだけならばそれほど苦労はいないのだが……ちょっとした誤算があったのだ。すなわち。
 このままだと、休日の学校で人気の無い校舎の窓という窓、入り口の鍵を確認してまわる不信な20代前半の男女になってしまう。世間一般の高校生ならその後の詳細を確かめたくなるというものだろう。もちろん彼(もしくは彼女)の期待するようなものは何も無いし、見つからなければいいのだが、気になるものは気になる。さて、どうしたものか…。
 そこで、酔った芳野さんに伝授された技の存在を思い出した。ちなみに免許皆伝の称号もいただいた。
「……仕方ないか」
 不法侵入には変わらないのに、こちらは後ろめたさを覚えるのであまりやりたくはないのだが…。

 渚を少し離れた校舎の影で待機させると、俺は立入禁止というプレートを下げたロープをまたいで、入り口の施錠の有無を確認する。もしかしたら、という甘い幻想をコンマ・セカンドで否定される。……案の定、というか、当然鍵はかけられていた。しかし俺はその鍵の仕組みを確認すると、ほっと安堵のため息を漏らしたのだった。
 小道具で鍵穴をいじくりながら、こんな真似をしているところを渚に見られたくないと思った。……何を今更、ではあるが。偽善という言葉を知ったあくる日の午後。

 (後略)


   踏み出す一歩 踏み出せない一歩
 (前略)


 ぱちっ。
 …。
 ……!?
 がばっ。きょろきょろ。だっ!

 はぁはぁ。
「風子としたことが見失ってしまいました…。目が覚めたと思ったら、いきなりホタルが飛んでましたっ。風子、春ホタルって初めて見ました。感激ですっ! それなのに、ここまで来て逃すなんて…」
 …しかし、今まで風子は何をしていたんでしょう。ここはどこでしょう。しばらく純文学風味の物思いに耽ってみます。触らないで下さい。混ぜると危険ですっ。って、目を閉じてたら何もわかりませんですっ。
 ……。開けたら開けたで、ここって一体どこですか?
 ちょっと思い出してみます。さっきまで風子は寝てました。…って、どうして寝てるんですかっ。風子、学校から帰る途中です。早く帰らないとっ。…って、だからここは一体どこですかっ。


 朝日に白みはじめた曇り空。桜の季節とは言えど、日の出前のこの時間はまだ少々肌寒い。駐車場には人気はない。朝を知らせる鳥の声と、遠く車のエンジン音。何ということのない一日の始まり。そんな空気の中に、役目を負うことになる少女が一人。

 (後略)

追い風に乗って
「追い風に乗って」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2005/02/11 「CLANNAD」より
   追い風に乗って
 (前略)


 しんと冷え込んだ廊下に私の足音だけが響く。灰色がかったタイル貼りの味気ない廊下。夜と早朝の違いこそあるものの、今日までに何度と無く繰り返した光景が続いた。
 その途中で、私はふと足を止めた。静寂の中で喧しくさえ思えた足音が止む。目の前に広がる風景も、あの時と何も変わっていないように思えた。
 でも、そんなことはありえないのだ。
 私のすぐ脇の病室の、その入り口に掛けられたネームボードから、先日は有ったはずの名前が無くなっていた。小さな窓の外側では、足場が廻らされた建設途中の建物が見えた。
 結局、この世界には変わらないものなど無いはずなのだ。この世界に住んでいる以上は、それは当然のこと。
 それなのに、あの子の世界は止まってしまっている。あの子はいつ終わるとも知れない、…そもそも終わりなどあるのかさえ分からない夢を見続けているのかもしれない。
 その夢の中で、私はふぅちゃんに辛く当たり続けているのだろうか。

 一階のナースステーションで、顔なじみの婦長さんにお礼を言ってからロビーを出る。多くないバスの時間にもまだ十分間に合いそうだ。出入り口のガラス戸を押し開けながら、昇りかけの太陽に目を細める。気温こそ冬のそれに近いが、日差しは確かに冬の終わりを、ひいては春の訪れを感じさせるものだった。
 病院前のロータリーには、ちらほらとタクシーが見られた。退院する患者さん目当てなのかもしれない。
 ふと、ふぅちゃんの手を引いてこの歩道を歩く日のことを想った。ロータリーの入り口のところで祐くんと待ち合わせておいて、おねぇちゃん、結婚しますっていきなり告げると、ふぅちゃんは初めは驚いて、私の背中に隠れてしまうだろう。それでも、一緒にファミリーレストランでお食事したり、プールに遊びに行ったりしているうちに、きっと祐くんのことを気に入ってくれて、そのうち私よりも祐くんのほうが好きになるかもしれない。姉妹だけあって、好み男性のタイプも似てるから。
 そんなことを想像しているうちに、いつの間にかバス停に着いていて、目の前には電鉄バスのステップがあった。

 (後略)

ひぐらしのなく前に
「ひぐらしのなく前に」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2005/02/11 「ひぐらしのく頃に」より
   ひぐらしのなく前に
 (前略)


 あなたは誰なの?と女の子は聞いた。私も同じようにあなたは誰?と聞くと、女の子は園崎詩音と名乗った。私も同じように、竜宮礼奈だよ、と答えた。同じくらいの子だと思ったが、本当は私より一つお姉さんだった。
 女の子は私しか知らないと思っていた抜け道を知っていて、私にとって未知の世界だった壁の内側の世界の全てを知っていた。それでも私はさほどショックを受けなかった。今まで自分と歳の近い子と話したことなんてほとんどなかったから、私にとってこのことは何にもまして興味深いことだった。
 詩音ちゃんには双子のお姉さんがいるそうだ。私は一人っ子だから、姉妹というものがどんなものか知らなかった。私が、お姉ちゃんが欲しい。お姉ちゃんってどんな風なの?と聞くと、詩音ちゃんは笑って、双子だからお姉ちゃんって感じじゃないんだよ。私がもう一人隣に居る感じ。と言った。私はお姉ちゃんの話が聞きたかったが、私がもう一人居る感じというものは想像さえ出来なかったので、私はそっちに興味を持った。じゃあ、自分が二人居るってどんな感じ?と聞くと、詩音ちゃんは困ったように、上手く説明できないや、と照れて、お母さんたちにも見分けられないくらいそっくりなんだよ、と得意げだった。私は詩音ちゃんの話す双子の姉妹の悪戯の数々に心を躍らせた。
 その話の中に、おばあちゃんの話が出てきた。詩音ちゃんのおばあさんは、みんなの前ではお姉さんばかり可愛がるけど、本当は私にも優しくしてくれるんだよ、と嬉しそうだった。全然違う私と詩音ちゃんだけど、おばあちゃんが好きなところは同じなんだと安心して、ほんのすこし、残念だった。

 (後略)

雨のやまぬ頃に
「雨のやまぬ頃に」
表紙:桜沢みゆき 本文:山鳥 2004/10/24 「ひぐらしのく頃に」より
   雨のやまぬ頃に
 (前略)


 降り続ける雨は、ぬかるむ地面に転がされたささやかな花束をさえ、意に介すことなく打ちつける。
 水色のリボンは、元々何色だったかさえも分からなくなってしまった。黄色と白の花弁は、次々と散らされて泥水に飲み込まれていく。

 その光景は、この穢れた土地で起き続ける事件の、行く末を暗示しているように思えた。また、闇に葬られた犠牲者たちへの皮肉のようにも見えた。

 ふと、センチになっている自分に気付いて、思わず苦笑が漏れる。こんなところを見られたら、一週間は酒の肴にされるところだっただろう。
 ゆっくりとしゃがみ、ポケットから缶チューハイを取り出して散りかけた花束の隣に供える。

 そして、目を瞑って手を合わせた。
「早いものでねぇ…大学近く雀荘で知り合った仲なのに。…気付いたら私、もう定年なんですよ?…体にガタも来ましたし…。実際、今座ってるのも厳しいんですから。覚悟はしてましたが…老いっていうものは嫌ですねぇ…。」

 そこで一度言葉を区切った。大きく息を継いで、自分の決意を揺ぎ無いものにする。

「ですから、ケリつけてきちゃいます。今年がラストチャンスでしょうから。…次に会ったとき、私が白装束着てても驚かんよう覚悟しといてください。……なんてね、なはははははははははっ!」

 最後の弔い合戦への精一杯の景気付けも、この雨の中に空しくかき消えていった。

 雨は、まだ止みそうにない。

 (後略)

笑顔の作りかた
「笑顔の作りかた」
表紙:雪平鍋 本文:山鳥 2004/10/24 「AIR」より

「羽の記憶」
中表紙:雪平鍋 本文:雪平鍋 2004/10/24 「AIR」より
   笑顔の作りかた
 (前略)


 目覚めは上々。
 ゆっくりと体を起こして、埃くさい納屋から這い出る。
 両腕を高く上げ、万歳のような格好で伸びる。
 そして、大きく深呼吸して、夏の朝の新鮮な空気で肺を満たした。
 まだ上りきってもいないのに、太陽はじりじりと照りつけてくる。
 今日も暑くなりそうだ。

 俺が台所に入ったとき、ちょうど観鈴は朝食の目玉焼きを作り終えたところだった。
「おはよ、往人さん。見て見て、観鈴ちん今日は5の5だったよ! ぶいっ。」
 そう言って、目玉焼きのよそられた二枚の皿を見せてくる。
「…おまえでもこんなことがあるときにはあるんだな。」
「が、がお…褒められてるのかどうかわかんないよ…。」
 ご飯をよそって、二人そろっていただきますをして、目玉焼きを頬張り始めた。

 朝食の後片付けを終え、俺は玄関で観鈴の身支度が整うのを待つ。
 しかし、いくら待てどもなかなか出てこない。

 (後略)


   羽の記憶
 (前略)

     7月21日(金)晴れ

朝、お向かいの河原崎さんに偶然会って相談したら仕事を紹介してくれた。町を歩き回って廃品を集める仕事だって。
登校してる途中で、転んで膝から血が出た。家にばんそーこー取りに行ってたらまた遅刻してしまいました。ごめんなさい。

補習の間も、往人さんのお仕事が心配だった。今日の『へーほー完成』っていうのがわからなかったのも、きっとそのせい。どんな字を書くのかな?
補習が終わったら、急いで学校を出た。そしたら、往人さんが迷子の女の子と遊んでた。その女の子はさいかちゃんだった。かわいかった。病院から抜け出してきたんだって。さいかちゃんを志野さんのところに送っていくと、いっぱい廃品をくれた。よかったね往人さん。往人さんのお仕事が成功したから、往人さん、一万円を手に入れた。往人さん、お金持つとヘンな人。往人さんがヘンなのはちょっと嫌。
これでナマケモノさんは往人さんのもの。そしたらわたしにくれるの。持っていたいけど、それよりもいい考えがあるの。



澱んだ空気が満ちていた。部屋の中には、昼間のむっとした熱気が、そのままに篭っていた。開かれた窓の外は、赤く染まった景色。
 部屋の主は、ベッドに横たわっている。周りにはトランプが散らばっていた。額に汗の玉を浮かべ、苦しそうに胸を上下させて時折顔をしかめている。しかしその苦しそうな様子を看る者の姿は、その部屋のどこにもなかった。
「…ゆき…と…さん…」
 苦しげに歪んだ唇から、そんな声が漏れた。その声は誰にも届かないで消える。
 微動だにしないカーテンは、硬質で作り物めいていた。その部屋全体に動くものはなく、時が止まっているかのような雰囲気を漂わせていた。
 その雰囲気を、一陣の風が吹き飛ばす。ぱたぱたとカーテンをはためかせながら部屋の中を撫でて、こもった暑気を持ち去っていく。それでも、少女の様子に変化はない。
 ぱらぱらと、机の上に出しっぱなしにされたノートがめくれた。無地のノートは、ページの半分に絵をが描かれ、絵日記帳になっていた。子供っぽい絵と丸っこい文字で埋め尽くされたページは、様々な色で彩られていた。

 (後略)

幸せについて
「幸せについて」
表紙:天久保二丁目 本文:山鳥 2004/09/05 「CLANNAD」より
   幸せについて
 (前略)


 ポケットに入れた鍵を取り出しながら、ボロアパートの階段を上る。
 そして、たった一つだけ明かりの灯る部屋の鍵を開け、中で寝ているはずの娘を起こさないように静かにドアを開ける。

 このところ、大きな工事が立て続けに入ってしまい、うちに帰り着く頃には時計の針が真上を刺していることも珍しくなくなってしまった。だから、汐を幼稚園に迎えに行き、夕食をとった後、また職場へ行く。こんな状態が続いている。

 ドアを開けて、すぐに異変…というより、いつもの部屋との違いに気づく。
「パパ…お帰りなさい。」
 トテ、トテと、奥から愛娘が歩いてくる。思わず顔がにやけそうになるが、そこではっとする。
「汐っ! おまえ、明日は遠足じゃないか。こんな時間までなにやってるんだ!」
 思わず語気が強まってしまった。言ってしまってから、ひどい自己嫌悪を覚える。
 聞かなくたって分かることだ。俺が帰ってくるのをずっと待っていたからに決まってる。

 (中略)

 そうして電話を終える。嫌な予感が的中してしまった。早苗さんに言われなくとも、明日は汐と一緒に過ごすつもりだったのだが…情けなさで嫌になる。
そこで気がつく。明日、汐はどうしよう。まさか半日ほっておくわけにも行くまい。早苗さんたちはいない。仕事場につれていけるわけもない。
プルルルルルル…
そんなことを考えているときに、不意に電話が鳴った。あわてて受話器を取る。
「はい。岡崎です。」
『もしもし。朋也? 生きてた〜?』
 最近また聞くようになった、明るい声が聞こえてくる。
「杏。何の用だ?」
『あんたに用はないわよ。汐ちゃんの様子はどうかなと思って。』
「ああ。だいぶ良くなったよ。今は本を読んでる。」
『そう。それは良かった。汐ちゃん人気者だから、みんな心配してたわよ。特に男の子。』
 最後の、男の子の部分を強調する。…男と聞いて一瞬不安になったが、すぐに改める。
「そりゃ野球仲間じゃないか?あれだけできれば引っ張りだこだろ。」
『あはは。そうね。将来はソフトボール選手とかもいいんじゃない?』
「…ところで話は変わるんだが、明日は暇か?」

 (後略)

足枷を振り切って
「足枷を振り切って」
表紙:天久保二丁目 本文:雪平鍋 2004/09/05 「Kanon」より
   足枷を振り切って
 (前略)


「んと…わっ。」
 息も絶え絶えに、隣を走る名雪に時間を尋ねる。
「っ…はっ…はっ…どうした…っ?」
「もう歩いても大丈夫だよ。」
 いつものように間延びした声に乗せられたその言葉を聞いて、その場所でひざに手をついて呼吸を整える。
「ふぅ…ふぅ…。」
「すごい、家から校門までの新記録だよ。」
「……。」
「祐一、五センチでの新記録だよ。」
 隣で喜んでいる名雪に返答する余裕さえなくなった体で、校門から教室までのあと少しを、とぼとぼと歩き始める。
「わ…黙って歩いて行かないでよ〜。」
 それを追って、まだ余裕を持った様子の名雪が駆けてくる。

 (中略)

 常夜灯と非常灯以外の光が消えた建物の中には、陰気な空間が広がっていた。物音は一切しない。名雪以外には誰の姿もない。その名雪も、さっきの医師の説明が聞こえているのかさえ怪しい様子だった。何時間も前から集中治療室前の椅子に腰掛けて、何もない一点を見つめている。回復して面会できるのを待っているのではなく、万一のときが訪れてしまった場合に備えて待っているということが、ここに充満する重苦しさを作り出していた。
 ちょっと外の空気を吸ってくる、と声をかけて立ち上がったが、それでもこちらに顔を向けることさえなかった。廊下の端まで歩いて一度振り返ってみても、相変わらずそこに座ったまま動かないでいた。
 昼間は大勢の人が診察を待っているであろう待合室を通り抜ける。この時間になると人気がなくて不気味だった。ふと、暗く沈んだ反対側に見慣れた制服が見えた気がしたが、多分この雰囲気がもたらした錯覚だろう。

 (後略)

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