![]() 鹿児島市交通局1000型 「ユートラム」 路面電車とは路面電車とは、専用の用地ではなく一般道路上に線路を敷設する電車。市街電車ともいい、日本では法規上軌道と呼ぶ。 電車は1879年にドイツのE・W・ジーメンスが発明してベルリンの勧業博覧会で公開したが、時を置かず 市街地の鉄道馬車にかわって発達した。 日本では1890年(明治23)に東京で開催された第3回内国勧業博覧会にアメリカ製スプレーグ式電車が紹介 された。最初の路面電車は京都市下京区東洞院塩小路から伏見町油掛(あぶらかけ)間に運転が開始された。 内国勧業博覧会から5年を経た95年であった。その後、東京、京都、大阪、名古屋などの各都市で馬車鉄道 による市内公共交通を路面電車に置き換えたばかりでなく、網の目のように整備されていった。 最初は電灯会社など民営企業が開拓したが、整備されるにしたがって市当局が交通局として運営する場合が 多くなった。 19世紀末には世界各国の主要都市では乗合馬車にかわって路面電車網が発達して、市民の足の主役になった。 当時の電車の大きさは乗合馬車の収容能力とほぼ同じ程度で、2軸単車で車体長は6メートル、定員が20人 から30人程度であった。1903年(明治36)に開業した大阪市の路面電車には2階式の車両が最初から混じって いた。電車の発車合図には車掌が手で紐(ひも)を引っ張ってベルを鳴らし、また、運転手は足踏み式のゴング を鳴らして警報合図をしたので、チンチン電車の愛称がおこった。 やがて路面電車の普及発達と利用者の増大に伴って電車は大型化の一途をたどり、2軸ボギー車が主流となった。 ヨーロッパ諸国では2両または3両の連結列車とか連節台車式のものも普及するに至った。アメリカでは1930年代 にPCCカーという高加速・高減速の近代的な路面電車を普及させて自動車交通への対抗策を講じた。 その後自動車の急速な普及発達に伴って、ともすると自動車群の洪水による電車線の占領を余儀なくされ、電車 運転速度の低下などサービスの低下と運賃値上げによる客離れの相乗効果によって廃止に追い込まれていった。 しかし路面電車が廃止されても道路交通渋滞は解消されるどころか、いっそう混乱が加わっている。 ヨーロッパ諸国や日本の広島・長崎市などのように、市条例によって路面電車の路線敷に自動車の侵入を許さない 地域はいまだに電車の正常な運営が確保されている。 1970年代に入ってから、世界の諸都市では路面電車の再評価が行われ、電車そのものを近代化するだけでなく、 システムを含めて市民のよき公共交通機関にする動向が現れ、1990年代にはかつて路面電車を廃止した都市でも、 近代的交通機関LRT(light rail transit)として復活している。 両車はLRV(light rail vehicle)とか軽快電車と呼ばれている。 ※「Yahoo!辞書」より抜粋し加筆しました。 日本における路面電車現在日本の路面電車は、西日本を中心に「軌道法」で定められた19路線が運行されている。通常、一般道路上を走る「併用軌道」になる。 (東急世田谷線や京阪京津線のように併用軌道でない軌道も存在する) 総延長は短くなる傾向があるのだが、低床車の導入や新たに路線が出来たりと見直しの動きもある。 軌道法は、一般公衆(公共)の運輸事業を目的とする道路に敷設される鉄道に適用される日本の法律である。 1921年(大正10年)4月14日公布、1924年(大正13年)1月1日施行。 軌道条例に代わって制定された。一般公衆用ではなく道路に敷設される鉄道はすべて国土交通省令による。 元来は主として路面電車を対象としてきたが、近年ではモノレール、新交通システム等に適用例がある。 また大阪市営地下鉄の大半も軌道法が適用されている。最近の改正は、2000年(平成12年)5月31日。 一般道路上を走る場合、道路交通法にも準拠しており、通常の鉄道とは下記の点が異なる。 ・列車の長さは30m以下に制限される。 (広島電鉄の5000形(GREEN MOVER)や京阪800形は30mを超えるため、特認を受けている。) ・最高速度は、時速40km以下に制限される。(特認を受け、時速40km以上で走る路線もある) ・系統や行き先を車両外部に明示しなければならない。 ・複線区間では閉塞設備を要せず、目視で続行運転できる。 ・通票が存在する単線区間においても、最後尾以外の車両は続行標を掲出して続行運転できる。 ・進行信号は黄色の矢印(免許を取るときに学科で習いますよね)、停止信号は赤色の×印。 ・自動車用の信号機にも従う。
※「Wikipedia」より抜粋し加筆しました。 戻る |