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なるほど!易学入門ここでは易学=易経(周易)に基づく占いの成り立ちについて、初心者向けに解説しています。易の起源は中国の有史以前、まだ文字がなかった時代だと言われています。

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Y 六十四卦と日本文化

 プロローグでも少し触れたように、日本の伝統文化は易と深く繋がっている。
 そこで、その辺を手がかりに、六十四卦の中からいくつかの卦をピックアップして、どう日本の伝統文化と繋がっているのかというスタンスで、その意義を紹介したい。
 「ほほう、易ってそういうものなんだ」と、面白がっていただけたら、幸いである。

一陽来復と十二消長卦

 は六十四卦の中から、見た目の形がそれに相応しい12の卦を選んで、旧暦(太陰暦)の1年12ヶ月に配し、これを十二消長卦と呼ぶ。

 旧暦では冬至を迎える月を11月とするのだが、冬至を過ぎると再び日が長くなる様子を、陰の記号ばかりの最下に、陽の記号が一本復活したかのように見える地雷復(ちらいふく)[一陽来復活動開始]が最も相応しいとし、以下、陰陽の増減をもって、右図のように、
 12月は地沢臨(ちたくりん)[悦び望んで迎える人々]、
 1月は地天泰(ちてんたい)[天下安泰万物生成]、
 2月は雷天大壮(らいてんたいそう)[走り出した羊の群れ]、
 3月は沢天夬(たくてんかい)[裁かれ決去される邪魔者]、
 4月は純陽の乾為天(けんいてん)[満ち溢れた生気]、
 夏至の5月は天風姤(てんぷうこう)[偶然の出会い]、
 6月は天山遯(てんざんとん)[逃げるが勝ち]、
 7月は天地否(てんちひ)[溶け合わない水と油]、
 8月は風地観(ふうちかん)[よく観察して慎重に]、
 9月は山地剥(さんちはく)[山崩れの危険]、
 10月は坤為地(こんいち)[従順な牝馬]、
 そして再び冬至の11月で地雷復[一陽来復活動開始]、
 といった具合に並べる。


 よく、冬至を指して「一陽来復」というのを耳にするが、この言葉は10月の坤為地ですっかり消滅した陽が、次の11月の地雷復で、最下に一本復活することを指しているのである。
 図形として各卦を眺めていると、実に上手くできていると感心してしまうが、ともあれ十二消長をもって言う時には、陽を動、陰を静とし、陽の記号が増える時を活動期、陰の記号がこれに取って代わる時を静観期とするので、一陽来復で活動開始となる地雷復から数えると、7番目の天風姤で静観となり、その天風姤から数えると7番目が地雷復となる。このことから地雷復は、「6段階活動したら7番目には休む」、日で言えば「6日間働いたら、7日目には休む」という意味と、逆に「6段階休んだら7番目には活動を再開する」、日で言えば「6日間休んだら、7日目には動く」という意味を持つのである。
 例えば、何か連絡待ちをしているときに占い、この地雷復が出たならば、7日後に連絡はある、と判断する。

易者の看板地天泰

 ところで、易者はよく地天泰[天下安泰万物生成]という卦の形を看板に描いたりしているのだが、これは、この卦が儒教の最も重要な事柄を表現しているからなのである。

 当然だが、天は上にあり、地は下にある。
 しかしこの地天泰は、天を意味する(天)が下、地を意味する(地)が上にと、上下が逆転している。するとどうなるか。
 上にあるべきものが下にあれば、その性質により下から上へと昇ろうとし、下にあるべきものが上にあれば、こちらは上から下へと降りようとするのが必定である。したがって、この状態があってこそ、上下のものがほどよく混ざり合うのだ。
 言うなれば、サラダにかけるドレッシングの油と酢の関係のようなものである。
 ドレッシングは油と酢が、その比重に従って上下に分離しているのを、よく振って混ぜ合わせることで、絶妙な味わいを醸し出している。
 もっとも、実際に天地が逆転したり、混ざり合ったりということはないわけだが、要するに天の気と地の気が混ざり合ってこそ、世の中は調和して安泰になるということである。
 そして、天の気は王様の心、地の気は民衆の心としてみよう。
 すると、王様の心を民衆がよく理解し、民衆の心を王様もよく理解している状況を表現していることになる。
 男と女で言えば、互いに心が通じ合っている様子である。それならふたりは肉体関係を結び、やがて子供が生まれるというものである。だから天下安泰や万物生成という意味に解釈し、その安泰の「泰」と名付けられているのである。
 しかし大切なのは、ドレッシングの油と酢は、放っておくとすぐ分離してしまうということである。
それを表現したのが、この地天泰とは上下が逆になった天地否[溶け合わない水と油]という形である。
 見てのとおり天地否は、上にあるべき天の(天)が上に、下にあるべき地の(地)が下にと、それぞれがあるべき位置にある。これでは上下の者がそれぞれ自分の立場で勝手なことばかりやっていて、相手に対する気遣いがまるでない。互いの心が通っていない様子となる。
 これでは、油と酢が分離したままのドレッシングが不味いように、物事は何も上手く行くはずはなく、否定されるのが落ちである。だからこの卦は否定の「否」という文字をもって卦名とされたのでもある。

 人と人とがコミュニケーションするためには、互いに相手の気持ちを思いやることが大切で、勝手に自己主張し合ってばかりいれば、その両者間が険悪になるのは目に見えている。当たり前のことだが、つい忘れて人は自己主張に突っ走り、人間関係をギクシャクさせてしまう。これは天地否が自然な形で、地天泰は上下が逆転した不自然な形だからなのであって、丁度ドレッシングをいくら混ぜても、いつしか油と酢は分離してしまうように、不自然な形を放っておけば、いつしか元の自然な形に戻ってしまい、人間は利己主義で思いやりの気持ちに薄いのが自然だからである。
 相手の気持ちを考えようとしなければ、妬みや憎悪の感情が発揚しやすくなり、互いに傷つけ合い、ついには武力衝突にも発展しよう。そこで、より平和な社会を築こうと、人々が思いやりの気持ちを厚くするという不自然な状況を作り、それを維持する目的で諸制度や秩序、礼節、公共道徳といったものが、この易の理論を応用して考案された。それを知るのが儒教の奥義だったのである。

地天泰と正月遊び

 さて、その地天泰は、十二消長で言えば、旧暦正月の卦である。
 かつての正月と言えば、子供たちはコマ回し、タコ揚げ、羽根突きに興じていたものだが、これらの遊びを正月にやるようになったのは、この地天泰が正月の卦だ、ということから来ている。
 旧暦の11月を地雷復[一陽来復活動開始]とする十二消長では、1月がこの地天泰となる。地天泰は天の気が大地にあり、地の気が天空にあるという卦象(卦の形)である。ドレッシングのやつである。が、ドレッシングは置いておいて、まずは、天地の形についてから話そう。
 天空を彩る夜空の星は、北極星を中心に円を描くように回り、大地は田畑や宅地を区画整理する時がそうであるように、四角い方形で区切るのが便利である。だから円運動は天空すなわち天の気の象徴、方形は大地すなわち地の気の象徴とされた。
 このことを念頭に、例の正月遊びを考えてみよう。
 コマ回しは、大地の上でコマを円運動させて楽しむ遊びである。すなわち、円運動の天の気が、大地に降りて来たイメージである。
 タコ上げは、天空高く四角い方形のタコを上げるわけだが、その様子、要するに方形の地の気が天空に上がったイメージである。
 羽根突きは、柄のついた方形の羽子板で羽根を打ち上げるのは、方形の地の気を天に押し上げるイメージ、クルクル回転しながら落ちて来る羽根は、円運動の天の気の下降のイメージにピッタリはまるではないか。
 おそらくかつては、こんな遊びを通じて、地天泰の意義とともに、人間教育がなされていたのじゃろうが、こんなことを発見できるのも、易を知る面白さのひとつである。
 そして、大切なのは、天地それぞれの気が交わろうとしない天地否のままでは何も生まれないが、天地の気がともに交わろうとする地天泰のイメージから何かを考えれば、そこに人々を和ませる遊びさえも生まれて来るのだ、ということを知るである。
 どんな時でも常に地天泰の意義を大切にすること、それがより楽しい人生を送る秘訣である。

 戦国時代にやって来たキリスト教の宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本人は我々よりも遥かに思いやりを大切に生活している、この人たちを信者にすれば、模範的な信者になる、といった趣旨の日記を残したようだが、それこそ当時の人々がこの地天泰の意義を、何よりも大切に暮らしていた結果だろう。
 しかし、西洋のキリスト教徒よりも温和なのであれば、わざわざキリスト教徒にする必要はないのであって、迷惑な話である。
 もっとも宣教師の布教の本当の目的は、植民地支配のために西洋の白人優位主義を植えつけるためなのだから、迷惑だろうと何だろうと関係ないのだろう。
 また宣教師たちは、布教ついでに西洋の商人と一緒になって、いわゆるキリシタン大名相手に、若い娘50人を火薬1樽といった塩梅で物々交換し、娘たちを東南アジアやヨーロッパに売り飛ばして暴利を貪ってもいたらしい。
 学校の教科書では、政治的配慮のためか宣教師たちの蛮行には一切触れないので、彼等が人身売買に関わっていたことはあまり知られていない。しかし、だからこそ日本はキリスト教の禁教令を出し、宣教師を追放し、その後、鎖国をしたのである。

 ともあれ、最近の子供達は、勝つことだけがすべてのテレビゲームに明け暮れているようだが、果たして昔とどちらが幸せなのだろうか。
 ふとそんなことを考えさせもするが、そんなほのぼのとした日常を大切にするのもまた、儒教なのである。

卦の形を図形的に捉えると・・・

 このような六十四卦だが、陰の記号は見るからに無機質で可愛げに欠ける。
 しかし、だからこその利点もある。それについて、少し話しておこう。
 古代中国では、易の卦の陰の記号の組み合わせを図形的に捉え、そのイメージからいろいろなものが作られたと、『易経』の「繋辞伝(けいじでん)」というところで伝えている。
 例えば 離為火 (りいか)[火を扱う時の心がけ]という卦があるが、この形は陰の切れ目を隙間とすれば、目の詰まった織り方をした布ではなく、糸と糸との隙間が広い織物のイメージに見える・・・だろうか。今の人間は古代人と違って発想力が貧困だから、いささか難しいだろうか・・・。とにかくある時古代人は、この離為火という卦の形をそんなふうに捉え、そこに卦名の ()の「付着する」という意味をオーバーラップさせ、目の粗い織物に何かが付着している様子を思い浮かべた。そして発明したのが、魚などを獲る網なのである。
 もっとも、この話の真偽は定かではないが、ともかく易の卦は、このように見た目の形から何かを発想することも重要なのだ。

 なお、離は「付着する」という意味だと言うと、訝しく思われるかもしれないが、この離の字は、もともとは「付着する」という意味で使われていたのが、時代とともにいつしかまったく逆の「はなれる」という意味になってしまったのである。
 考えてみると、こんなに意味が変化してしまう言葉も珍しいものだ。女の子の「あんたなんかキライ」という言葉の裏には「好き」という想いが隠れていたりするものだが、未だに「嫌」という字を「好き」という意味では用いない。

 とにかく、古代中国では易の卦から魚などを獲る網が発明されたわけだが、この他にも風雷益(ふうらいえき)[利益を得るチャンス]から農機具の(すき)が発明されたり、沢風大過(たくふうたいか) [背負った大きな重荷]からは、何と棺桶が発明されたのだなどと、「繋辞伝」には書いてあるが、それはまた別の機会に話すとして、次に、日本で易の卦から考案されたモノの話をしておこう。

神社の鳥居と風地観

 日本で易の卦をもとにデザインが考案されたものの代表と言えば、鳥居である。
 神社に神様をお祭りすることを「神道」と言う。その神道という言葉の語源は、『易経』の風地観(ふうちかん) [よく観察して慎重に]という卦の意義を説明した文章の中の、「天の神道を観る」だということは、津田左右吉により、指摘されている。戦前に『古事記』や『日本書紀』の批判的研究で投獄され、戦後は一転その学問的功績が評価されて文化勲章に輝いたあの津田左右吉博士である。
 鳥居はその神道の語源となった風地観の卦の形から考案されたのである。

 と言うと、神道は日本古来の伝統に根差した宗教であって、そんな中国の影響は受けていないと反論する人々もいるようだが、そういった言葉は、かつての日本人のバックボーンだった四書五経を無視している。
 無論、お祭りしている神様は日本独特のものだし、柏手を打ったり玉串を捧げたりするといった作法も、日本人が生み出したのだろう。しかし全体の骨格を見渡すと、そうは言えない。
 おそらく仏教が伝来した頃に、その対抗手段として、それまでの土俗的で素朴な信仰形態を洗練された形に整備し直さなければ、生き残れなかったのであって、その手本が中国だったのだろう。

 毎年秋には新嘗祭(にいなめさい)というのがある。11月23日。今の勤労感謝の日である。
 これも五経のひとつ『礼記(らいき)』に書かれていた祭儀である。
 また、戦前は祭日だった2月17日の祈年祭(きねんさい)もしかりである。
 新嘗祭は、その年の作物を神前に供え、報告をする儀式、祈念祭はその年の豊作を祈願する日である。
 神主さんの服装にしても、そもそもは律令制度の中で整えられたということだが、もともとは中国から朝鮮経由で入って来た服装を日本風にアレンジしたものである。

 ともかくそんな神道だから、神域と俗世間の境界を明らかにするために建てる鳥居の重要性を考えた時、そのデザインを当時の最高の学問だった易に委ねるのは、当然のことである。
 知ってのとおり、鳥居は上方にある2本の横柱を、左右の柱が支えている形だが、右図の左側のように、風地観の上2本の陽の記号は鳥居の横柱、下4本の陰の記号は左右の柱のように見えないだろうか。
 なお、右図右側は、水地比(すいちひ)がキリスト教のシンボル十字架のイメージになる、ということを示している。
 無論、形が似ているだけではなく、水地比の卦の意義は、キリスト教の教義と類似しているのだ。
 この関係には、何やらキリスト教と易との間に深い関係がありそうな気配を感じる。
 詳細は『聖書は易学』のページをご覧ください。

 また、日本神道の根源とは何なのか?といったことについては古事記と易学のページをご覧ください。

 六十四卦と日本文化との関係は、取り敢えずこのくらいにして、次に六十四卦の序次について、触れておきたい。

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最終更新日:平成30年09月14日 学易有丘会
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