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>>ベラトリックスの夜

 
孟徳は、頭上の星を見上げると、無意識に少し口端を柔らかくした。


山田 花という少女が唯一わかる星の名前を、思い出す。


冬の星で、花の国の名前で、「オリオン座」というらしい。


だれもが教育を受ける彼女の国では、星の見方まで教育される。
しかし、花はその分野は苦手だったらしく、唯一わかる星座です
と照れて笑ったあの表情が、今でも鮮明に思い出せる。


冬の寒い星空は、深く深く青い闇が広がっている。
あのときの花の指差した星座だけがその中で一際輝いて煌めいていた。


あれから季節がまわって、再びあの星座が頭上に輝く。


あの星を指差した彼女は、孟徳の目の前にはいない。
彼女はどこまでも自由で、一つのところにずっと留まっていない。
それが、恨めしくも、ひどく惹かれたところでもあった。




山田 花は奇跡を起こす。


彼女を知る人間は、皆、口をそろえてそういうだろう。


花自身は、そんなことは無いし、私は特別ではない。と、笑って言う。


不可能と、絵空事といわれた三国分権化を成し遂げて、今や彼女の身柄は、
皇帝が直接預かっている。


彼女の功績を称えて、そして信頼してのことだという。
しかし、預かっているといっても形だけだ。彼女は皇帝の意思関係なく、
今日も西へ東へ諸国を飛び回っている。


だから、今、孟徳の目の前に花が現れたとき、自分の目が見た光景を
一瞬信じることが出来なかった。


「花・・・ちゃん?」


恐る恐る聞くと、幻覚だと思っていた花は、相変わらず屈託のない笑顔を浮かべ、
頷いた。


「お久しぶりです、孟徳さん。」


すこし、痩せたように見えたのは気のせいか。
花の用件は、子供の使いのようなことだった。
皇帝からの簡単な公式とは言えないような言伝だったが、久しぶりに会った花は、
自分の立つ地位が変わっても、以前と同じ媚びることも高慢になることも無い、
どこにでもいるような少女のままだった。


花が、初めてこの国にきた時は最初はただ、珍しくて興味をひかれただけだった。
彼女の姿。彼女の行動、反応。
それが何時の間にか唯一無二の存在に
なっていったのはいつからだろう。


「体を冷やしたら、体調を壊すよ。着替えを用意させよう。」


「大丈夫ですよ。じつは、呉の人たちから、このモコモコもらいまして。」


嬉しそうに外套の下からゴソゴソと毛皮を見せた。
確かに、花を冷やすことはないその毛皮の出所に、孟徳は思わず舌打ちを
したい気持ちになる。
珍しい毛皮だ。彼女はそのことを知ってか知らずか機能性重視なのか喜んでいる。
それが、歯がゆく孟徳は思わず顔を強張らせた。


花がこの国を出ていったとき、再び玄徳軍へと戻るとき、それを知っていたのに
捕まえはしなかったのは、彼女が見せる未来を見たかったからだった。


しかし、あのとき考えもしなかったことが起きている。


「君が素敵すぎるから、生きているのがつらいよ。」


彼女に惹かれるのは、孟徳だけではなかった。三国の代表が集まったときにも、
はっきりと感じていた。
彼女の言葉に触れる時が、数えきれない血にまみれた罪を持つ自分が許された存在に
なったような気持ちになった。その気持ちも他の国の男も感じていたのだろう。
多かれ少なかれ、同じような闇をもって今の立場にいる者たちだ。向き合うだけで
嫌気が刺すのは、同属嫌悪だ。


それを取りなしたのは、花。
彼女がいたから、彼女惹かれたからあの奇跡が起こせた。


「もう、そんなこと言ってくれるの孟徳さんだけですよ!」


花はそういって、少し照れた色をみせた。


その表情に引き摺られるように、頬にそっと触れる。
暖かな輪郭は、ここにいるというかけがえの無い愛しい存在を示している。
孟徳の触れた手を、花は避けることなく、ただされるがままになっていた。


目をとじた瞬間にどこかに彼女のが消えるような気持ちになって、孟徳は花を
衝動的に抱きしめた。


「孟徳さん?」


流石に花も驚いて、離れようと試みるが、細いのに意外と強い孟徳の腕力に抗えずにいた。


「やっぱり、痩せたよ。花ちゃん。胸とかお腹とか」
「胸とか!・・・抱きしめただけで、体のサイズがわかるってすごい特技ですね・・・」
「当然のたしなみだよ。」
「変わらないですね、孟徳さん。」


呆れたように笑う花をよそに、孟徳はじんわりと暖かい花の体温を感じていた。


「花ちゃん、すきだよ。君のことはすごく大事に思ってる。多分、だれよりも。」
「え・・・」
「だからね、花ちゃん。」


孟徳は、笑顔を浮かべた。
その顔に花は、一瞬目を奪われて自分が抱きしめられていることを忘れてしまう。


「君の痩せた体が、元に戻るまで拘留。」
「は・・・えぇ?!」
「君の部屋、ちゃんと残してあるから大丈夫。」


語尾にハートマーク見えるほど楽しそうに孟徳は言う。


「嘘・・・ですよね」


「俺は君に対してはいつも誠実だよ。あぁ、悲しいな。君に信用されないなんて。
国家間を揺るがしかねない大問題だ。」
「大きくでましたね!」
「心配しているだけだよ。君が倒れたら、俺まで倒れるよ。」
頷くまで、離れようとしないであろう孟徳の態度に揺らぎはない。


そんな孟徳に、花はあきらめたように笑ってつぶやいた。


「わかりました・・・孟徳さんには本当に敵わないです。ちょっと覚悟決めてきて
良かった。」


「覚悟?」


ふらりと訪れた彼女にそんな気配はなかったが、孟徳が聞くと花は答えた。


「好きな人に会うのが、こんなに緊張するとは思わなかったです。」


聞き間違いでも、嬉しい言葉を伝える花に、孟徳は思わず抱きしめる腕に
力をこめた。


「お帰り、花ちゃん。」


冬の寒い星空は、深く深く青い闇が広がっている。
オリオン座がめぐりめぐって頭上に光る季節に、再び花は戻ってきた。





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