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>>真昼の庭と願い事

 
 吹く風が、白い花びらを舞わせている。
そんな庭の中央の東屋の椅子に、山田花は腰掛けていた。
遠くから、鳥の声。春の柔らかな日差しは、眠りを誘うようだ。

この軍の一番上にいる男。
悪名高く、無慈悲で冷酷といわれている男に呼び出された花は、
捕虜という身の上、断るわけにも行かず、この美しい庭園で眠気と戦いながら
男を待っていた。

男の名は孟徳。

戦場で初めて見たときは、噂に違わない姿に足が竦み、鳥肌がたった。
それは、恐怖なのか、怒りなのか、今でもわからない。

そして、そのときの印象があまりにも強く、今もわだかまりを胸の中に燻らせている。

花は、ぱらぱらと手元の本をめくった。
途中から白いページになっている本に、花が探す「話」は載っていない。
孟徳に、一度ごまかす為に話した昔話は、意外にも好評で、次の話をねだられた。

ぼんやりと、孟徳は気がついてボロが出るのを待っているのかも、なんて思う。
それならば、正直に言ったほうが、手の内を明かしたほうが得策な気がしていた。


「ごめん、待たせちゃって!」


穏やかで静かな庭に、足音が響く。


「あ、大丈夫です。走らなくても大丈夫ですよー!」

遠くの廊下から走ってくる孟徳を止めるが、人の話を聞いていないようだ。

「君といる時間が、短くなるから走っちゃった。」
「どうしてでしょうか・・・、孟徳さんから天性の軽さを感じます。」

ふと目をそらして本音をつぶやくと、少し唇を尖らせて孟徳は言う。

「俺をそんな評価をするのは君くらいだよ。」
「そうですか・・・そうなんですか。」


ちょっとすねた顔から、ふんにゃりとした崩れた笑顔になる。




「お待たせいたしました。」

少し遅れて茶器を運ぶ侍女が現れると、途端に孟徳の顔が変わる。
優雅な仕草で椅子にゆったり座り、まるで先ほどのバタバタ走って
軽薄な台詞を言っていたとは思えないほどのこの館の主の顔で
そこにいた。元々涼やかな良い顔立ちが際立って見えた。

(うん、たぶんこれは詐欺。)

その変わり身の早さを、花は目をそらしつつも現実に頷いた。

侍女はお茶の用意をすると、一礼をして何事もなかったように去っていく。
そして、それを当たり前のように流れるような仕草で茶碗をつかむ。
この庭とその姿がしっくりと合う。

そんな風景に白い花びらが再び舞い、ひとつの花びらがこちらへと
ふわりと舞い降りる。

「あ」

花が、声を出した瞬間に何かをつかんでいた。

「どうしたの」
「花びらがお茶に入りそうだったんで。」
「つかんだの?」
「つかみました。」

驚いて笑う孟徳に、なんでそんな顔をするのか判らない花。
昔から、動体視力は良く、また反射神経も良かった。
祖父から習った柔道と、弟と趣味でやっていたレスリングは
誰にも言えない特技だが。


「いいこと教えてあげよう。花びらをつかむと願い事をすると叶うんだって。」
「本当ですか?」
「俺はつかんだことがないからね、やったことがない。」
「簡単ですよ、ほら。」

なんなく2回目成功。

「…」
「君は刀で花びらを切るという花断ちもできるのか。」
「できませんよ。」

 再び花びらは、花の手の中にある。

「・・・花ちゃん・・・困難だからおまじないというものが
成立するんじゃないかな。 たとえば流れ星に3回願い事とか。
あれも困難だよね?」

孟徳が真面目な顔で花を諭す。
夢を壊すなと言いたい事はわかっていた。

「・・・たしかに。」
「特技の場合はどうなるんだろうね。」


二人の間にしばし静寂が居座る。
近くの枝にとまった鳥が、パタパタと飛び去ったとき、
花は閃いたと笑った。


「いいこと考えました!・・・じゃあこれは孟徳さんが掴んだってことで。」

花の提案する「いいこと」に、孟徳がきょとんとした顔をする。

「え?」
「私が掴んでもおまじないにならないのなら、孟徳さんが掴んだって事にすれば
 いいですよね。」
「ははっ強引だね、・・・君が優しくしてくれてうれしいよ。」
「優しくしてないですよ、孟徳さんのほうが・・・
 たぶん優しいです。」

捕虜としての花の扱いは、とても優しい。
それがどんな目論見があったとしても、孟徳の行為は偽り無く優しいものだった。

「俺は優しくないよ?結局自分のためにやっているんだし。」

なぜか自嘲気味に言う孟徳に、らしくないと花は感じて首を横に振った。

「そう言ってしまえるところ、がです。」

その言葉に孟徳は、じっと花を見る。
全てを見透かすような瞳に、花も瞳をそらさずに孟徳を見上げた。
数秒だったのかもしれないし、数分だったのかもしれない。
ただ、花にとって長いと感じるくらいの時間が経った後、孟徳は言う。

「俺をそんな評価するのは、君だけだよ。」
「そうですか?」
「そうだよ。」

自嘲気味に笑っていた顔が、また、あの笑顔になる。
こっちもつられてしまうような笑顔に。

(コレは卑怯な顔だ・・・)


花の目の前には、悪名高い冷酷無慈悲といわれる男。
そして、軽佻浮薄でふにゃりとした笑顔を浮かべる男。

どちらも同じ人物なのだ。

(つかみどころが無いというか・・・)

花は孟徳のことがますますわからなくなっていたが、確かにいえることは
目の前で笑うこの表情は、嫌ではないということだった。

そんな事を考えている間に花びらを掴んだ花の拳ごと、孟徳は両手でそっと掴んだ。
そして自分の唇に押し当てる。

「じゃあひとつ願い事。」
「ひゃ!?」
「・・・ように。」
「?」
「花ちゃんが裸エプロンで『お帰りなさい、ごはんがいい?お風呂がいい?
それとも私?』と聞いてきてくれますように。」
「この変態ーーーーーッッ!!!」





それは見事な空気投げだった。
重力を無視したかのように孟徳がくるりと投げ飛ばされたのを
近くにいた文若が見ていたが、気のせいだ、度重なる仕事のせいで
幻覚・幻聴を感じたと自分に言い聞かせた。

それほどまでに、見事に決まった投げ技だった。


捕虜として、軍のトップを投げ飛ばした者は今までいたであろうか
いや、いないだろう。生きてもいないだろう。

(しまった・・・処刑されちゃうよ!!)

花は衝動のままに投げ飛ばしたことを後悔して、草の下に倒れている
孟徳に手を伸ばした。

「あ・・・あの・・・大丈夫ですか。」
「大丈夫じゃない・・・。」
「すみません、つい本能が発動しまして。」
「君・・・もう部屋に帰っていいよ。」
「・・・。」

手を振り払う孟徳、そして目線はそらされた。

花の鼓動が早まる。
(こんなちゃらんぽらんだけど、冷酷な丞相なんだ。
きっと私・・・)



「ごめんね。君の考えているようなことは無いよ。
それに、ちゃらんぽらんじゃないよ、俺は!」
「じゃあ、どうして立ってくれないんですか?」
「なんだかねぇ、しばらくすれば収まるとおもうんだけど。」
「・・・?」
「君みたいな可愛い子に投げられるなんて初めての体験で・・・」
「はい?」
「たってたてない。」


意味を理解するのに10秒。
その後は、一目散に花は廊下を走り出した。


「ムリ・・・もうこの館でやってけない!!」




捕虜になって1週間、自分の置かれた環境下の過酷さを
今、初めて知る山田花であった。




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