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>>月下心中話 上

 
 飾り格子から見えるのは、木の陰と空。
月の光だけが、この暗い部屋の中に差し込む
唯一の光だった。

それでも、この部屋に孟徳によって囚われた花には、
その光も見えなかった。

目を閉じていても、閉じていなくても、
広がるのは暗闇。墨よりも濃い深い闇。
あの日、学校で友達と他愛ないことで笑ったり
していた日々が、もう思い出せないくらい遠くに
感じる。


花は寝台に腰を掛けて、不釣合いな足枷が金属音を鳴らす。
花の自由は、心を寄せた相手に剥奪されていた。


「ここから、出してください・・・」

花のその声は、か細く、涙声で嗚咽も混じっていたが、その願いを
孟徳は、目を細くして、薄く笑い彼女の耳元で囁く。

「そんなこと、まだ言えるんだ?」

わかっていたことなのに、残酷にも打ち砕かれた願いに、
花はうなだれた。

この部屋に閉じ込められてから、もうどれくらいになるのかわからない。




「この間、あいつが死んだよ。」



この部屋に訪れた孟徳は、穏やかに笑顔で語る。
まるで天気の話でもするように、何事も無いように。
多分、彼にとっては天気の話よりも価値のない話かもしれない。

耳元で囁かれた名前に、花は悲鳴を微かにあげて、瞳を閉じた。


花がここにいる間に、この部屋の外は激しく変化していて、
たくさんの人を殺されて、国はひとつになった。

今でも血は流れ、畏怖の君主として君臨している男は、
以前、彼が、彼自身を呪うかのように宣言した言葉通り、
誰も信じることができない男だった。











孟徳は、花を前から抱きすくめる。
痛いと感じるほどに強い力だが、花は逃げようと身じろぐ。


「さわら・・・ないで・・・」
「俺を・・・拒むな。」


噛み付くように唇を奪われ、息がうまく出来ずに意識が霞む。


「やだっ・・・!!」


寝台に押し倒されると、逃げる間もなく両手首を帯で縛られた。


「逃げるな。・・・お願いだから。」
「やめて・・・やだやだっ・・・!」
「どうしたの?傷がついているよ。」


孟徳が掴み上げた花の脚には、ほんのかすり傷で、
傷とはいえないものだったが、その傷を見る孟徳の瞳は、
ひどく冷たく、怒りの色を映していた。


「侍女の腕・・・いらないよね。
 無能だから、斧で落とそうか。
 君が怪我をするのを防げないなんて。」
「じょうだん・・・ですよね・・・?」
「俺は、君には嘘ついたことは無いよ。」
「・・・私は怪我なんてしていません。
 だから、・・・お願いですから、
 そんな怖いこと・・・言わないでください。」

涙をためたまま、まっすぐ孟徳を花は見た。
その瞳に孟徳は、視線を外して、花を再び抱きしめる。

「君の体は心地よくて、寒気がする。
 君の体温はこんなに暖かいから、いつか冷たくなるのかな?」
「もうとくさ・・・」

言葉は吐息ごと唇を奪われた。
身を強張らせた身体も、重ねられた唇と身体のラインを辿る
孟徳の指先に、力を失くしていく。
「ふぅっぁ・・・っ」
孟徳は指や舌で執拗、じわりじわりと花を追い詰めた。
花は泣きながら許しを請うが、それでも、孟徳は構わずに花を貪った。


花が意識を失っても、孟徳の腕が緩むことはなかった。






花が目を覚ますと、孟徳が花の両手を握っていた。


「もうとく・・・さん?」

孟徳は両手で花の手をとり、自分の首元へと寄せる。

「ほら、好機だ。」
「え?」
「このまま俺を殺せば、君は自由の身だ。」








ぽたり、と雫が頬に落ちる。


気付けば花は泣いていた。


この部屋に閉じ込められた時から、怒りなど感じたことはなかった。
ただ、ひどい悲しみだけが花の感情だった。


あのとき大切な人を信じられなかったから、
あのとき大切な人は壊れてしまった。





「できません。」
「殺してほしいと頼んでも?」
「・・・できない・・・です。。」


落ちる雫は増えていく。
孟徳はゆっくり口端を緩ませた。


「あぁ、君は好機を失った・・・そして俺の一番の希望も。」







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