第2章 映画作品

第1節 『ホーリー・グレイル』


 テレビシリーズ第四期終了の翌1975年、劇場用映画第二作『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』が公開された。脚本・主演は第四期にグループを離れていたクリースも加わったフルメンバー。監督はギリアムとジョーンズ。後に職業が「映画監督」となる二人の初監督作品である。

 本格的な映画作品としては第一作となる本作品の題材は、イギリス人にとって伝説的英雄であるアーサー王 Arthurと円卓の騎士 Knights of the Round Tableの物語が選ばれた。映画はアーサー王(チャップマン)がイギリスを遍歴し、多くの騎士たちを仲間にし、神の命を受け聖杯 Holy Grailを探す旅に出るというものである。

 粗筋だけならばまともな伝説に沿った骨格をもっているのであるが、作品中これら本来英雄であり伝説である事柄がことごとくギャグの対象にされている。モンティ・パイソン作品であるので当然といえば当然であるのだが、しかしアーサー王と円卓の騎士の物語は「騎士道の美徳を表現し、ロマンティックな伝説のいちじるしく人間的なものに騎士的な冒険とキリスト教的な儀礼をまじえ」た、いわばイギリス人の精神の根幹ともいえるものである。テレビで無意識となっている日常をズラし続けたモンティ・パイソンは、ここにきて無意識に自らの土台となっている誇りを破壊するところまでいってしまったのである。

 誰もが英雄として疑うはずのない大英帝国の王アーサー。旅の途中、彼は城を見つける。泥にまみれ働く庶民(ペリン)に彼は質問する。城主はどのような人物か。庶民はアーサーを見て言う。ここでは組合管理主義で、指導者は毎週変わる。王はいない。アーサーは言う。私は湖の女王からエクスカリバーを授かった、この国の王だ。庶民は答える。主権の委任は市民の意思によるものだ。湖の女王なんてヨタ話など、誰が信じるか。万事この調子であり、アーサー王と円卓の騎士たちが高貴なものであると信じるのは彼ら自身一行だけである。

 実際かれらの姿も英雄として描かれない。英雄的場面は山ほどあるが、そのどれもが英雄的活躍ではない。

 騎士は別々に聖杯の手がかりを求める。サー・ロビン Sir Robin(アイドル)の物語。彼は楽隊(ニール・イネス Neil Innes他)を引き連れ森へ入る。楽隊は歌う。「♪キャメロットのサー・ロビン 死さえ恐れぬ勇敢なサー・ロビン 無残な殺され方も恐れない 勇ましいサー・ロビン つぶれて死ぬことも気にしない 目玉が飛び出てひじが砕けても 膝の皿が割れ黒焦げになっても 手足をぶった斬られても 頭を潰され心臓えぐられ腸を抜かれ 鼻を犯されペニス切られ」勇敢ではないロビンは歌をやめさせる。そこへ3つ首の騎士(ペリン、チャップマン、ジョーンズ)登場。彼を倒さないと先へ進むことはできない。しかし3つ首の騎士は自分たちの意見がまとまらず口喧嘩。やっとまとまるとロビンはすでにいない。去っていくロビン。楽隊は歌う。「♪サー・ロビンは逃げた勇敢に逃げた 危険が迫ると一目散に逃げた サー・ロビンは勇ましく尻ごみして 雄々しく目を盗み堂々と逃げた」「違う! 逃げたんじゃない!」

 純潔の騎士、サー・ガラハド Sir Galahad(ペリン)の物語。嵐の夜、疲れたガラハドは森の中に城を見つける。城の上部に光輝く聖杯。中へ入るとそこは女だけの城である。介抱されるが、このままでは女たちに純潔を奪われると思ったガラハドは聖杯を手に入れて城を立ち去ろうとする。しかし聖杯と思ったものはただの信号灯。城の女のいたずらであった。しかしそのいたずらに対するお仕置きについて聞いたガラハドは性的に興奮、城に残ろうと決意するが、そこへタイミング良く(悪く)円卓の騎士たちが登場、ガラハドは本人の意思とは裏腹に救い出されてしまう。

 サー・ランスロット Sir Launcelot(クリース)の物語。城主(ペリン)の息子王子(ジョーンズ)は城を出たいと願う。このままでは父のいいなりに土地を手に入れるために好きでもない地主の娘と結婚させられてしまう。王子は矢文を放つ。矢文はランスロットのお供(アイドル)に命中。矢文を読んだランスロットは可憐な姫が囚われていると勘違いし、城を襲撃。結婚式の準備をする人々を片っ端から斬っていく。王子のもとにたどり着き、やっと自分が勘違いしていたことに気付いたランスロットは格好つけて城を後にするがうまくいかない。

 アーサー王とサー・ベドヴィア Sir Bedevere(ジョーンズ)組は森の中で聖なる言葉「ニッ!Ni!」を守る騎士たちに出会う。ここより先に進みたければ低木を持ってこい。なんとかして低木を持ってくると既に聖なる言葉は「ニッ!」ではなく「エキエキエキエキプカングルパングアワユ」に変わったためもう一つ低木を持ってこいとのこと。しかしちょっとした発言から騎士が「is」という単語に弱いことが判明。一行は難なく通りすぎる。

 このように、一見英雄的物語に見えながらその実まるっきりそのようなことはなく映画は進む。

 途中歴史家(ジョン・ヤング John Young)が現われる。彼は歴史講座の講師で、アーサー王と円卓の騎士についての解説を始めようとするが、円卓の騎士と思われる男に斬り殺される。映画は合間に歴史家殺人事件の捜査を挟んで展開していく。

 ラスト、アーサーたちは聖杯がある城にたどり着く。円卓の騎士たちも数百名となり、一丸となって城へ向かう。しかしそこへパトカーがあらわれ、アーサー他円卓の騎士たちは警察に捕えられ、警官は画面(=カメラ)を手で覆い隠し、画面は暗くなる。そしてフィルムが途切れそのまま映画は終わる。

 アーサーは聖杯を手に入れるどころか殺人容疑で捕まってしまうのである。英雄や伝説としての威厳は全て剥がされてしまう。モンティ・パイソンはこうして自らのイギリス人としてのバックボーンをからかい、イギリス人であるということに依存しない姿勢を表しているといえる。そして次回作『モンティ・パイソン・ライフ・オブ・ブライアン』では、さらに大きな依存の対象をからかうこととなる。


アーサー王 ケルト民族に属する英雄。↑戻る

円卓の騎士 アーサー王が身分の上下を区別しないため円卓を作って会談したためにこう呼ばれる。↑戻る

「騎士道の美徳を表現し、ロマンティックな伝説のいちじるしく人間的なものに騎士的な冒険とキリスト教的な儀礼をまじえ」 尾島庄太郎「アーサー王伝説」、『世界大百科事典』第1巻、平凡社、1974、pp.136。↑戻る

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル Monty Python and the Holy Grail The Album Of The Soundtrack Of The Trailer Of The Film Of Monty Python And The Holy Grail


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